妖怪の「意味」について考えてみる。
妖怪が実際に存在するとしても、想像の産物だとしても、妖怪を思い描いて他人に伝承するときには、その人の意図が介入する。
人は事実をそのまま伝えることが苦手だから、必ず「解釈」や「願望」や「恐怖」が投影されているはずだ。
■ こなきじじい
ものの本によると、山の中で赤子に化けて泣き、旅人がおんぶをすると石のように重くなり、ときには旅人を死に至らしめる妖怪だという。
旅人の親切心につけこんだずいぶん非道な妖怪だが、これも「意味」を考えれば理解できる。
かつてはどの家も貧しかったから、口減らしのために赤子を捨てることもあったにちがいない。だが、捨てられている赤子がかわいそうだからといって連れてかえっていたら、家計を圧迫することになり、場合によっては一家全員が食っていけなくなる。
「捨てられている赤子はかわいそうだけど、拾ってやるわけにはいかない」という慚愧の想いが、「あれはこなきじじいだから拾わなくてもかまわない」といって自己を正当化するための妖怪を創りだしたのではないだろうか。
■ ぬりかべ
ものの本によると、歩いていると目の前に突然大きな壁が現れ、通せんぼをするのだとか。それがぬりかべで、押しても引いても先に進めなくなってしまうらしい。
これはやはり、君子危うきに近寄らず、というような意味がこめられているのだと思う。
人生においてさまざまな試練(=壁)が立ちはだかることがある。そんなときは無理に乗り越えたりせず、早々に諦めて引き返すべきだという教えだろう。
昔は、試練に挑戦する者の大半が命を落としていただろうから。
■ あかなめ
ものの本によると、風呂にたまった垢をなめる妖怪だという。
この妖怪は「風呂はきれいに掃除しましょう」という教訓によって生みだされたものだと考えられる。
現代人であるぼくらは「風呂をきれいにしてないとカビが生えるよ」と聞かされているが、それと同じようなものだ。
なにしろカビを見たことはあるが、実際にカビが悪さをするところは目にしたことがない。
カビはおなかをこわしたり病気になったりする原因だとされているが、はたしてほんとうだろうか。
「カビが生えてるパンを食べたからおなかをこわしたんだよ」
「目に砂が入ったのは砂かけばばあのしわざだよ」
いったいどれほどのちがいがあるのだろう。
カビやウイルスや複雑な家庭事情は、人に害を与えるとされている、現代の妖怪だといえるね。
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