2024年2月14日水曜日

【読書感想文】杉井 光『世界でいちばん透きとおった物語』 / フォークだけすごいピッチャー

世界でいちばん透きとおった物語

杉井 光

内容(e-honより)
大御所ミステリ作家の宮内彰吾が死去した。宮内は妻帯者ながら多くの女性と交際し、そのうちの一人と子供までつくっていた。それが僕だ。「親父が『世界でいちばん透きとおった物語』という小説を死ぬ間際に書いていたらしい。何か知らないか」宮内の長男からの連絡をきっかけに始まった遺稿探し。編集者の霧子さんの助言をもとに調べるのだが―。予測不能の結末が待つ、衝撃の物語。

【核心のネタバレは避けるようにしますがネタバレにつながるヒントにはなってしまうとおもいます】


2024年2月13日火曜日

第2回門戸厄神厄払いツアー

「厄払いしないと悪い目に遭うと脅されて行くのは嫌だから、厄年のおっさんたちが楽しく行く厄払いツアー」を今年も決行した。

 早生まれのぼくは今年が本厄、同級生たちは後厄だ。


 去年は厄年おっさん四人で行ったが、うちひとりは子どもの病気のため今年は欠席。しかし新たに二人を加え、おっさん五名での厄払いツアーとなった。それぞれ子どもたちも連れてきて、おっさん五名+子ども五名の大所帯だ。

 去年は阪急門戸厄神駅から歩いたが、今年は甲東園駅に集合。そこから「山陽新幹線記念公園」なる公園に行く。公園から山陽新幹線が通るところをを見下ろすことができるという新幹線好きにはたまらないスポットなのだ。が、電車好きの子どもが病気により欠席だったため、特に新幹線に心躍る人はいない。「新幹線が見える」と「新幹線建設工事中に亡くなった人の慰霊碑がある」以外には何にもない公園なので、すぐに退去。そこから歩いて厄神明王のおわします東光寺へ。

 去年もやってもらった「そえごま」なる厄払い儀式。八百円払う。

(去年の日記を見て気づいたのだが、去年は五百円だった。一年で六割の値上がり! 原油価格高騰の影響がこんなところにまで)

 お参りをして、御守りを買う。そういえば去年ここで娘に御守りを買ってやってランドセルにつけていたのだが、少し前にその御守りが破れて穴が開いていた。ランドセルにぶらさげているだけなのになぜ穴があくのか、とおもって買いなおしたのだが、その御守り、なんと「身代わり御守り」という名前なのだ。ということは娘の身代わりになって破れたのか。御守りがなかったら娘が破れていたかもしれない。


 参拝の後、近くの関西学院大学まで歩く。関西ではよく知られた名門大だ。「かんさいがくいん」ではなく「くゎんせいがくいん」と読む。小さい「ゎ」の字を使うのは関学とシークヮーサーだけだ。

 関学は関係者以外でも自由に出入りできる。芝生の上では、近所の家族連れがシートを広げてお弁当を食べたり、子どもたちがボールやラジコン遊びに興じている。

 偶然にも我々五人のおっさんのうち二人が関学に通っていた。だが一人は関学に一年だけ通った後他の大学を受験しなおしてそちらに移り、もう一人は関学卒業後に別の大学に入りなおした。ふたりとも最終学歴が関学でない。つまりは「関学を捨てたやつら」だ。だがそんな連中も関学は拒まない。懐の広い、いい大学だ。


 関学の芝生で缶蹴りや大縄跳びやケイドロで遊び、おやつを食べた。おっさんのひとりが「嫁さんが怒っているから早めに帰るわ」とトボトボと帰っていった。後ろ姿の悲壮感がすごかった。厄払いしても、厄は家にいる。


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門戸厄神厄払いツアー

2024年2月7日水曜日

【読書感想文】鎌田 浩毅『武器としての教養』 / そうはいっても素人知識

武器としての教養

鎌田 浩毅

内容(e-honより)
超想定外を突破する真の教養とは何か。「京大人気No.1教授」が紙上講義。


 講談社現代新書みたいな装丁だったので講談社現代新書だとおもって読んでいたら、講談社現代新書にしては内容がスカスカだなとおもってよく見たら講談社現代新書じゃなかったごめんよ講談社現代新書、講談社現代新書って書きたいだけだね。


 いやあ、ほんと中身なかったなあ。

 火山学の教授らしいんだけど、この本に関しては火山のことよりも歴史や文学について語っている。博識ではあるんだけど、そうはいっても歴史や文学については素人の域を出ないから、どうも語っている内容が薄い。要約みたいな内容なので、それだったらオリジナル作品にあたったほうがいいやとおもってしまう。一応火山活動にからめて語ってはいるけど。


 たぶんここに書いてあることを聞いたらおもしろいんじゃないかな。ただ聞いておもしろいのと読んでおもしろいのはちがうからね。話が散漫だし、掘り下げは浅いし、読んでおもしろいもんじゃないな。編集が良くないんだろうな。講談社現代新書ならこうはならなかったはず。




 「浅間山の大噴火がフランス革命の原因になった説」という俗説について。

 この「天明三年の大噴火」については、一八世紀のフランス革命と関連するという巷説があります。この年に日本を覆った「天明の大飢饉」もそうですが、この時期は北半球全体を異常気象が襲いました。
 冷害がヨーロッパの農作物に大打撃を与えました。特に小麦が不作となり、パンの値段が高騰しました。そのためフランスでは、庶民の不満がちょうど”マグマ"が急速に上昇するように高まりました。やがてそれが社会にあふれ出し、ついに爆発したのが一七八九年のフランス革命だった――というわけです。
 たいへん魅力的な説です。しかし残念ながら、火山学的にはフランス革命は、浅間山が原因なのではありません。
 一七八三年の気候変動は、大西洋北部の氷の島アイスランドの火山爆発が原因だったと現在では考えられています。アイスランドの活火山ラカギガル火山が、大爆発を起こしたのです。確かに、浅間山の天明の大爆発とまさに同じ年という偶然はありました。
 地上にできた巨大な割れ目から噴出した溶岩流による直接の被害も甚大でした。しかし、もっとも深刻だったのは、飛散した細粒の火山灰による被害でした。農耕地や牧畜への弊害だけに留まらなかったのです。火口から空中に排出された二酸化硫黄が、人体にまで悪い影響を及ぼしました。
 こうした被害は、アイスランド国内や近隣のイギリスに留まりませんでした。火山灰と有毒な火山ガスは、偏西風にのって遠くヨーロッパ大陸にまで達したのです。すなわち、地に降りては人、動物、農地を直接襲いました。そして天に昇っては、分厚い靄を形成して気温の低下を招いたのです(拙著『地球の歴史』中公新書)。

 残念ながら「浅間山が原因説」は誤りらしく、「アイスランドの火山爆発が原因説」も完全に立証されているわけではないらしい。

 とはいえ、こういう話はおもしろい。歴史の話って「誰が何をした」でとらえてしまうけど、人が生きていた以上、気候とか天気とか食事とか体調とかも関係あったはずなんだよな。「あの日雨が降っていたからこうなった」「もしあのとき風邪気味じゃなかったら歴史はこうなっていた」みたいなこともあるんだろうな。あんまり記録に残っていないだけで。近ければ「桜田門外の変は雪が降っていたので成功した」みたいなのもあるけど。


 もっとこういう専門分野の話を読みたかったなあ。


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2024年2月6日火曜日

高級腕時計の世界

 少し前の『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』で腕時計の話をしていた。

 高級腕時計が好きな村上さんが、腕時計にまったく興味のない野田さんに数百万円出してもなかなか買えない高級腕時計の話をしていたのだが、そこで野田さんが放った質問がおもしろかった。

「えっ、それだけ高いってことは……。もしかして、ゲームとかできたりする?」

 もちろんこれはボケだ。その後で村上さんに「そういうのはできない」と否定され、さらに「じゃあアラーム機能は?」とボケを重ねていた。

 子どもの質問のようなボケなのだが、意外と真理をついている。改めて「何百万円もする腕時計なのに数千円で買える腕時計よりも機能が上回っていないのはなぜか」と考えるとなかなか答えるのはむずかしい。


 ぼくも高級腕時計のことは知らないが、高級腕時計に「時を知らせる」以外の機能がついていないことは知っている。もちろん指す時刻が正確だとか、自動巻き機能がすごいとかはあるのだろうが、大したメリットとはおもえない。ほとんどの人はゼロコンマ数秒のずれなんか気にしないし、なんなら今は自動で時間をあわせる機能のついた時計もお手頃価格で買える。自動巻き機能だってそれがなに? って感じだ。数百万円の腕時計を買う人が電池代を惜しむとはおもえないし。

 機能面、実用性で考えたら高級腕時計はデメリットだらけだ。自動巻きなので数日使わなかったらずれてしまう。アラーム機能がない。日付も曜日もわからない。歩数計機能もない。重い。文字盤が読みにくい。なにより高い。

 三万円も出せば、自動時刻合わせ機能があって、防水機能があって、傷がつきにくくて、歩数計もついてて、アラーム(スヌーズや曜日別設定も可能)もあって、ストップウォッチにもなって、日付も曜日もわかって、心拍数も測れて、スマホと連動して通知機能もあって、文字盤も自由に変えられるスマートウォッチが買える。

 値段を伝えずに小学生に「どっちが欲しい?」と訊いたら、多くは三万円のほうを選ぶだろう。大人だってそうかもしれない。


 でも、現実問題として使いにくいほうの腕時計のほうが高い値がついている。

 腕時計に限った話ではない。服でも靴でも自動車でも料理でも、ある程度の価格までは価格に比例して機能も充実するが、一定の価格以上は機能と比例しない。「誰がつくったか」「誰が使っているか」「みんなが欲しがるか」など、機能とは関係のないところで価格が決まっている。五千円のシャツは五百円のシャツよりも質のいい生地を使っているだろうが、五万円のシャツが五千円のものよりいい生地を使っているかというと、必ずしもそんなことはない。

 つまりモノの価格には「機能や材料によって決まる価格(主に売り手の事情によって決まる価格)」と「機能や材料とは無関係の価格(主に買い手の事情で決まる価格)」の二種類があるわけだ。

 野田さんが言った「それだけ高いってことはゲームとかできたりする?」は前者の考えであり、村上さんの「高い時計だからそういうのはできない」は後者の考え方だ。どっちも部分的にはあっている。


 ちょっとしたボケだが、価格決定のメカニズムを問うやりとりだ。経済学の入門書に載せてほしい。


2024年2月5日月曜日

【読書感想文】奥田 英朗『オリンピックの身代金』 / 国民の命を軽んじる国家組織 VS テロリスト

オリンピックの身代金

奥田 英朗

内容(e-honより)
小生 東京オリンピックのカイサイをボウガイします―兄の死を契機に、社会の底辺ともいうべき過酷な労働現場を知った東大生・島崎国男。彼にとって、五輪開催に沸く東京は、富と繁栄を独占する諸悪の根源でしかなかった。爆破テロをほのめかし、国家に挑んだ青年の行き着く先は?吉川英治文学賞受賞作。

 舞台は昭和39年。アジア初のオリンピック開催を目前に控えた東京。

 警察幹部の自宅や警察学校で爆発事件が起き、警察宛てに、東京オリンピックの妨害を予告する手紙が届く。人質は東京オリンピック、要求された身代金は八千万円。警察は犯人を突き止めるが、彼は学生運動もしておらず、将来を嘱望された東大生エリートだった。なぜまじめな学生だった島崎国男が、日本中が待ち望んだオリンピック開催を妨害しようと考えたのか……。


 エリート学生が兄の死をきっかけに肉体労働の現場に身を投じて資本主義社会の矛盾に気づいてゆく様子、ダイナマイトやヒロポンを手に入れ社会の暗部へと足を踏み入れてゆく様、彼を追う同級生と刑事の奮闘、警察内での刑事部と公安部での対立、身代金をめぐる攻防、そして東京オリンピック開会式を舞台にした大捕物と、緊張感あふれるシーンの連続で長い小説なのに少しも退屈させない。つくづくうまい。

 ストーリー展開も見事だが、感心したのが、昭和39年の風俗を映す小説にもなっていること。流行や当時のファッションがちりばめられ、会話文はもちろん地の文にも当時の言葉遣いが用いられている。

 著者は昭和34年生まれらしいので、当時の世相はリアルタイムでは知らないはず。がんばって書いたなあ。




 この小説は2008年刊行。2020年東京オリンピック(2021年に延期)は開催どころか決定すらしていない状況で書かれた小説だが、驚くほど1964年東京五輪と2020年東京五輪には酷似しているところがある。

 それは、開催にあたって国民をまったく大事にしていないこと。

『オリンピックの身代金』には東京オリンピックを控えて浮かれる国民の様子が書かれるが、一方で、オリンピックのために犠牲を強いられる人々の姿も描写される。

 棚田の並ぶ坂道を上りながら、国男は村を見下ろした。舗装路は一本もない。瓦屋根の家がここでは珍しい。火の見やぐらは木造だ。堤防は土を盛り上げただけのもので、毎年洪水がある。病院も診療所もない。水道もなく、井戸水は女たちが汲み上げなくてはならない。電気は通っているが始終停電する。テレビのない家がたくさんある。電話は村長の家にしか自家用車は一台もない。平均世帯収入はおそらく年間十万円程度だろう。米どころと言っても平地が少ないので、大半が一反歩以下の超零細農家である。食べるにやっとの毎日だ。若者はいない。農閑期は女と老人ばかりになる。晴れていればいい景色だが、天気が悪いと墨汁を垂らしたような陰々滅々とした風景となる。夜は真っ暗だ。自殺者が多い。
 この村の貧しさと夢のなさはどういうことなのか。経済白書がうたった「もはや戦後ではない」とは東京だけの話なのか。この村は戦前から一貫して生活苦にあえいでいる。生活が苦しいと、なんのために生まれてきたのかわからない。まるで動物のようだ。

 東京ではオリンピックに備えて着々と新しくきれいな建物がつくられ「外国からのお客様」を迎える準備が整えられる。その一方で、主人公・国男の故郷である秋田はその開発から取り残されたままだ。

 この対比により、国民(東京以外の)の生活よりも外国からの体面を気にする国家の姿勢がありありと浮かび上がってくる。

 貧乏なのでご飯に漬物だけの食事をしながら、世間体を気にして高級外車を買うようなものだ。なんともあほらしい。


 また、テロの予告があり、現実に爆破事件が何度も起きているにもかかわらず、警察は徹底的に事件を隠す。マスコミには一切情報を流さず、爆破もただの火災と発表。開会式の爆破が予告されても一切公表しない。なぜなら「公表しないことによって一般市民が命を落とすことよりも、公表することで外国からの評判が落ちるのを防ぐことを優先したいから」。

 国男は自分の兄のことを思わずにはいられなかった。兄もまた、ヤマさんと同じように粗悪なヒロポンを摂取し、心臓が耐えられず、昏睡状態に陥ったのだ。そして救急車を呼ばれることもなく、担ぎ込まれた先の病院で息をひきとり、心臓麻痺と診断された。
 塩野に問いただすと、「仕方がね、仕方がね」を繰り返すばかりだった。
「飯場で起ごるごどは、全部内輪で処理するのが慣わしだ。元請けにヒロポンさ打ってるごどを知られたら、山新が罰を食らって、そうなりゃあおらたちの給料が下がる」
 国男はそれを聞き、兄はなんて浮かばれない死に方をしたのかと、三十九歳で人生を終えなくてはならなかった無学な一人の男を、たまらなく不憫に思った。労働者の命とは、なんと軽いものなのか。支配層にとっての人民は、十九年前、本土決戦を想定し、「一億総火の玉」と焚きつけた時分から少しも変わっていない。人民は一個の駒として扱われ、国体を維持するための生贄に過ぎない。かつてはそれが戦争であり、今は経済発展だ。東京オリンピックは、その錦の御旗だ。
 オリンピックの祝賀ムードの中、水をさすような事件事故はすべて楽屋裏に隠したいのだろうか。新聞もまた、本来の使命を忘れ、オリンピックに浮かれているのだ。
 いったいオリンピックの開催が決まってから、東京でどれだけの人夫が死んだのか。ビルの建設現場で、橋や道路の工事で、次々と犠牲者を出していった。新幹線の工事を入れれば数百人に上るだろう。それは東京を近代都市として取り繕うための、地方が差し出した生贄だ。
 国男の中で沈鬱な感情が、まるで何年も作物が実らない荒地のように、ただ寒々しく横たわっていた。もはや自分がどうしたいといった欲望はない。あるのは死んでいった兄や仲間への、弔いの思いだけだ。
 雨脚が強くなった。このまま開会式の日まで降ってくれと、国男は黒い雲を見上げて思った。

 著者は予想していなかっただろうが、この「国民の命よりも体面を気にする国家の体質」は2021年東京オリンピックでも変わらず発揮された。

 新型コロナウイルス感染者数が増加し、多くの専門家が中止か延期にすべきと主張したにもかかわらず、政府は開催にとって都合のよいデータだけを並べて強引に開催に踏み切った。開催か中止を議論した上で決めたのではなく「何が何でも開催する」という結論が先に決まっていて、そのための理屈を並べたことが明らかだった。

「東京オリンピックが開催されていなければ死なずに済んだ人」もいただろうに、政府も報道機関も「経済全体のためだからしょうがないよね」という空気をつくって強引に開催してしまった(結果的に期待していた経済効果は得られず、儲かったのは汚職でうまい汁を吸った人間ぐらいだったわけだが)。

 過去の東京オリンピックを書くと同時に、未来(2021年)の東京オリンピックの予言にもなっていたわけで、その慧眼に感心せざるをえない。




 職務に忠実ではあるが、国民の生命を軽視する警察組織(に代表される日本という国家)。「国民の命よりもオリンピックのほうが大事」とする警察の非人道っぷりにより、対比的にテロリストであるはずの国男のヒーロー性が増す。とんでもないテロリストのはずなのに、どんどん応援したくなるからふしぎだ。最後は「東京オリンピックに一泡吹かせてくれ!」と願いながら読んだ。(昭和の)東京オリンピックがつつがなくおこなわれたことは史実として知っているのに、それでも失敗を願わずにはいられなかった。


 社会派サスペンスとしても、単純にクライムノベルとしてもおもしろい圧巻の内容だった。重厚なのにスピーディー。すっきり終わらないところも個人的には好き。

 国民の命を軽んじる国家組織 VS それに抗うテロリスト、とどっちも悪という構図がいい。

 いやあ、すばらしい小説でした。


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