2023年11月28日火曜日

【読書感想文】福田 和也『悪の対話術』 / 悪というより計算高い

悪の対話術

福田 和也

内容(e-honより)
第一印象を制する礼儀正しい生意気のすすめ、悪口、お世辞による観察眼の鍛え方、敬語の意外な役割など、舌鋒鋭く世を生き抜くための刺激的「話し方」講座。


 対話に関する本。が、筆者は舌鋒鋭いことで知られる文芸評論家であるので、巷によくある「相手に伝わる話し方講座」の類ではない。

 どうやって相手の印象を操作するか、いかにふるまえば相手をいい気にさせられるか、どのような言葉を口にすれば本心を知られずに済むか、といったことにページが割かれている。お世辞、悪口、沈黙などについて。

 タイトルには『悪の』とついているが、どちらかというと「計算高い」「打算的な」対話術の本といったほうが正確かもしれない。なので「まっすぐぶつかれば必ず本心が伝わるはず」といったピュアな考え方をする人にはまったくおすすめできない。

 また、対話術とついているが、具体的なテクニックは乏しい。「対話に対する向き合い方」のほうが近いかもしれない。




 中年になった今、腹を割って話せる友人を新たにつくることは不可能だろうとおもう。いや、不可能ではないかもしれないけど、気の置けない友人を作るためにこちらからがんばる気はないし、仮に誰かが「友だちになってよ」と接近してきたとしても「こんな中年おじさんに接近してくるなんて何を企んでやがる」と警戒して拒絶してしまうだろう。つまり不可能ということだ。

 だったら、心を開いてぶつかるような話し方ではなく、誰とでもそこそこの距離をとりつつほどよく付き合えるような話し方を身につけるべきだ。誰かと親友になったり恋人をつくったりするのなら「大成功する交際術」が必要かもしれないが、今求めているのはそうではなく「失敗しない交際術」なのだ。

 仕事をし、生活をしていくためには、ほとんどの場合たいした尊敬には値しない人たちから、指示を受けたり、教えを受けたり、承認をもらったりしなければならないのです。もしも、そうした接触のたびに相手のつまらなさにたいして意識的であったら、どんなに仕事がつまらなく、生きていくことは味気ないでしょう。
 こうした味気なさを救うのが敬語の第一の機能なのです。
 つまり、敬語を使うことで、人は、相手の人品を忖度するというストレスから解放されるのです。敬語を使うことで、「目上」にたいして、その相手にたいする評価とはかかわりなく、あたかも敬意をもっているように接することができる。従い、教えを請うことが出来るのです。なんと便利なのでしょう。
 その点からすれば、敬語とは、敬意の表現ではなく、敬意の存否に関係なく相手と「目上」「目下」の関係を作るための言葉なのです。

 そうそう、敬語って楽なんだよね。

 最近ぼくは仕事関係の人には誰に対しても敬語を使うようにしている。社長でも取引先でも同僚でも今日入社してきた新人にも、同じように敬語で話す。なぜなら、そっちのほうが圧倒的に楽だから。「この人にこんな言い方をして気を悪くしないかな」とか「この人にはため口なのにあの人に敬語だったら変だとおもわれないかな」とか気をもむ必要がない。誰であろうと敬語。向こうがどんなに気安く話しかけてきても敬語。

 ずっと敬語だと、接近することはむずかしいだろう。常に敬語で話す人に対して、プライベートで遊びに行こうよ!とはなりにくいものだ。でもそれでいい。こっちは高得点を挙げたいんじゃなくて失点したくないだけなんだから。




 笑いについて。

 微笑みとか、笑いというのは、自発的なものですね。もしくは自発的に見せなければならないものです。会話している相手から自然に笑みがこぼれたり、笑いが発したりすると、話をしていて、なんとなく嬉しくなる、非常にリラックスした気分になって、解放された心持ちになるのです。
 そういう魅力が、機械的な笑いには一切ない。むしろ笑いという人間にとってかなり自然な現象を、無理やり作り出してしまっているという感じが、無残であると同時に侮辱を受けているような気分にさせるのです。
 エアロビクスという競技がありますね。あの競技は、演技者が、飛んだり跳ねたりしながら、始終笑っているという気持ちの悪い(失礼)ものですが、あの笑いと、ファースト・フードの笑いは同じです。

 あー。たしかに、エアロビクスとかフィギュアスケートとかアーティスティックスイミングの笑顔って気持ち悪いよね。顔に張り付いたような笑み。無表情のほうがずっとマシとおもえるぐらい不気味。

 しかもあれをやらされるのって女子競技ばっかりだよね。男子には求められない。

 ああいうのもなくなっていくかもね。早くなくなるといい。


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敬遠の語



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2023年11月24日金曜日

【読書感想文】風野 春樹『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 / 時代に愛され、時代に消された男

島田清次郎

誰にも愛されなかった男

風野 春樹

内容(e-honより)
本当に天才だったのか。―本当に狂人だったのか。大正時代を流星の如く駆け抜けた作家、島田清次郎。二十歳で空前のベストセラーを生み出し、二十五歳で精神病院へと収容される。その数奇な一生を現役精神科医がたどりなおす新たな人物伝。

 島田清次郎という作家の評伝。

 島田清次郎は大正時代に活躍した作家。デビュー長篇『地上』がベストセラーとなり、さらに自伝的内容であったことから島田清次郎も若者たちからカリスマ的人気を博す。その後も次々にヒットを飛ばすが、清次郎の傲岸不遜な態度が文壇で不評を買い、さらに誘拐・監禁・強姦というスキャンダルにより実質的に文壇から追放、統合失調症(当時の病名は早発性痴呆)を発症し、妄想にとりつかれ、三十一歳で死去するまで晩年は精神病院で過ごした。

 数々のトラブルやスキャンダルにより、文壇からは半ば黙殺され、今となっては国語の教科書にも載っていない。彼の作品も『地上』第一部がかろうじて青空文庫で読めるぐらいで、他の本はすべて絶版。つまり新刊書店では手に入らない。


「俳優やミュージシャンが逮捕されたからといって作品まで非公開・回収する必要があるのか?」という議論がなされることが多いが、文芸に関してはけっこうゆるやかだ。

 薬物中毒だった坂口安吾や中島らも、自衛隊駐屯地に侵入して割腹自殺した三島由紀夫なんかの作品は今でもふつうに書店で手に入る。死刑囚が獄中で書いた手記を発表することもあるし、他のジャンルに比べれば「犯罪は犯罪、作品は作品」と考える向きは強いとおもう。

 にもかかわらず島田清次郎作品は書店から消えてしまった。作者の人となりだけが原因ではないのかもしれないが、なんとも残念なことだ。




 この評伝を読んでいると、島田清次郎という人物はじつに傲岸不遜、尊大な人物だ。

  こうして中山の家に居候することになった清次郎だが、その後「地上」が出て名声があがると、中山や妹、さらには両親までもを奴隷扱いするようになり、「お前の家にいてやるのを光栄とおぼえろ」などと言い出すようになった。
 両親からも苦情を言われ、妹からは清次郎に手を握られたなどと抗議され、ついに堪忍袋の緒が切れた中山は、清次郎を家の外へと投げ出してしまった。清次郎は衣物の泥を払いもせず「覚えていろ」と捨て台詞を吐くと、それっきり戻らなかった。荷物はあとで車屋に取りに来させた。
 小学校時代からの友人である林正義も、同じ上胡桃町の清次郎の部屋を訪ねている。そのとき、清次郎はちょうど『地上第二部』を執筆中だった。
「お母さんも喜んでおられるでしょう」と林が祝辞を述べたところ、清次郎はこう答えた。
「そうです、しかし母はぼくがどれだけ偉くなったかを知らないだけかわいそうです、実際総理大臣より偉くなったんですからね」
 林が自分たちも同人誌を作っていることを告げると、清次郎はすかさず
「ぼくのように成功すると、それが刺激となって、君達も真似するようになるんでしょう」
と答えたため、林は辟易したという。
「流感で臥てゐる。人は冷たし、木枯しは寒し、これまでの態度は悪かったから、看護に来てくれ」と、清次郎は中山のもとに葉書を送った。
 当時の清次郎は蓬萊館という本郷の安下宿にいた。障子は破れ、戸の建てつけが悪くて外気が吹き込むという悲惨な状態だった。すっかり同情した中山は、糊を買ってきて障子を張り替え、戸の隙間には新聞紙を詰め、炭を買ってきて部屋を暖め、流感に効くといわれていた漢方薬の地龍を煎じて清次郎に飲ませた。
 すると、看病の甲斐あって翌朝には平熱に戻り、三日目には清次郎は床の上に座れるまでに回復した。
 元気になるとともに傲慢な発言も戻ってきた。清次郎は、『地上』を出してもらった某氏(おそらく生田長江か堺利彦だろう)に対して暴言を吐き、「天才に奉仕するのが凡人の務めだ」と言い出した。
 失礼な物言いが腹に据えかねた中山が「ほう、では僕が君を看護するのも、君のような天才に対する務めかね」と訊くと、「そうだ、生意気な口答えをするな、貴様は同郷だから出入りを許してやるのだ、吾輩の看病をさせてやるのをありがたく思え」と清次郎は言い放った。
「何を言うか、お前は木枯しは寒し、人は冷たし、来てくれ頼むと泣き言で哀願したから、窮鳥も懐に入れば猟師も云々と言うから、お前は生意気な野郎だが、来てやったのだ。お前に何の責任があって奉仕せねばならぬのか」と中山は怒鳴った。
 すると清次郎は「天才に反抗するか」と言って、まるで殿様が家来を手打ちにするような形で中山に殴りかかったのである。

 こんなエピソードのオンパレード。これでもごく一部だ。

 ほとんど誰に対してもこんな態度だったという。さぞ嫌なやつだったんだろう。「生意気にふるまってるけど実はこんなかわいい部分もあった」みたいな話すらまるでない。副題の『誰にも愛されなかった男』は決して大げさな表現ではない。中には彼の才能を買っていた人もいるが、島田清次郎の身近な人で、彼を愛していたのは母親ぐらいだったようだ。


 島田清次郎の不幸は、才能があったことじゃないだろうか。

 たいていの人が、多かれ少なかれ、傲慢な部分を持っている。特に若い頃は根拠のない自信に満ちあふれ、「おれをそこらへんの人間といっしょにするな」という意識を持っている人は多い。ぼくもそのひとりだった。

 もしぼくが若くから何かの分野で評価され、若い世代のカリスマとして持ち上げられていたら……。きっと天狗になっていたことだろう。周りを見下し、威張り散らす、とんでもなく嫌なやつになっていたことだろう。

 だが幸か不幸かぼくは天才ではなかった。いろんなところで鼻っ柱をへしおられて、現実との折り合いをつけて生きていく道を選んだ。というかそうやって生きていくしかなかった。そのおかげで、とんでもなく嫌なやつにはならず、そこそこ嫌なやつで収まっている。たぶん。

 しかし島田清次郎はそうではなかった。傲慢な態度のままで生きていけるだけの才があった。これが彼の不幸の根源だったのかもしれない。

 幼い頃から成績優秀で、弁論大会に出るほど弁が立って、小説を書けばベストセラーとなって若いファンが天才だとあがめてくれる。これは天狗にならないほうがむずかしいかもしれない。

 とはいえ島田清次郎の場合はちょっと限度を超えている気もするが……。気質の問題もあったのだろう。

「令嬢誘拐事件というスキャンダルが原因で失脚」とされているが、この事件にしても、ちょっとまともな人のやることとはおもえない。この頃にはもう統合失調症がだいぶ顕かになっていたんじゃないだろうか。女性を誘拐して監禁・連れまわし、警察に捕まり、女性の家族から裁判を起こされてもなお、当の女性と結婚できると信じていたのだから。

 傲慢だったから人気を失ったとおもえば自業自得という気もするけど、病気のせいでそうなったのだとおもえば気の毒でもある。




 ところで、大正時代って人権意識が低いなあと改めて感じる。

 島田清次郎が令嬢を誘拐したり強姦したりしたことについても「令嬢のほうが島田清次郎にファンレターを送ったり家族に内緒で会いに行ったりしていたからしかたない」という理由で令嬢のほうが悪いとされたり(裁判所もそういう判断をくだしている)。嫁入り前の女が男に近づいたらレイプされてもしかたない、とみなされる時代だったんだなあ。

 精神病院に入った島田清次郎をおもしろがって、わざわざ会いに行って「こんな支離滅裂な言動をしていた」と新聞記事にしたり。

 ひっでえ時代だなあ。

 島田清次郎は時代の寵児でもあり、忌み児でもあったのだ。


2023年11月21日火曜日

小ネタ6

 

引き取り

ここはひとつお引き取りください。息を。


余計な真実を言う人

「まあまあ、本人もこうやって反省してるポーズをとってるわけですし」


みみ

食パンの耳を表す漢字は「餌」。


好調

テレビのニュースで「クマの出没増加を受けて、クマ撃退グッズが好調です」と伝えていた。

それを「好調」と呼ぶのってあってるんだろうか。そりゃあ武器商人にとっては「戦争が起きて武器が好調です!」って気持ちかもしれないけど、買うほうは買いたくて買ってるんじゃないよ。

どこかの100均ショップで香典袋に「今売れてます!」というポップがつけられていたけど、それに似たものを感じる。売れてるからって人気とはかぎらんぞ。



2023年11月20日月曜日

【読書感想文】杉元 伶一『就職戦線異状なし』 / いろいろとクレイジー

就職戦線異状なし

杉元 伶一

内容(e-honより)
暴走する若さ、純情きわまる愚行の限りを尽くす大学生たちを襲う実社会の試練“就職”の実態を描く長篇小説。講談社、文春、新潮社からフジTVなどマスコミへの入社へ向けての大奮闘。高額初任給とやりがいのある仕事、恋愛まではたして就職戦線の勝利者となるのは誰か?若者たちに大人気の映画原作。

 刊行は1990年。翌年には映画化されている。

 タイトルぐらいは聞いたことがあったけど内容はぜんぜん知らなかった。

 で、読んでみたわけだけど、なんていうか、おもしろかった。でも小説の内容がおもしろかったというより、変な小説でものめずらしくておもしろかったというか。


 なんちゅうか、ずっとドタバタしてる。あんまり説明がない。いろいろとクレイジー。「マスコミ業界をめざして就職活動をする四人の大学生と、その四人のうち誰が最初に内定をもらうかを賭ける後輩たち」というストーリーなのだが、背景の説明もないし、登場人物はみんな変なやつだし、むちゃくちゃなことばかり言っている。

 テレビ局や新聞社、出版社などの名前はすべて出てくるのに、急にスパイダーマンが出てきたり、謎の企業が出てきて荒唐無稽な入社試験をしたり、妙に現実的なところと突拍子もないほら話が入り混じっている。

 マジックリアリズムってやつかな。

 小説としてのうまさとかストーリーの組み立ての妙とかそんなものはまったく気にしないで、とにかくエネルギーだけをぶつけた、って感じの小説。こういうの、嫌いじゃない。読みにくかったけど。

 今でこそネットで「素人が書いた情熱だけは感じられる文章」をいくらでも読めるけど、三十数年前はそうとう斬新だったんじゃないかな。




 ぼくも大学時代、マスコミ業界を夢見ていた。といっても明確なビジョンを持っていたわけでも、マスコミ業界に進むために一生懸命研究・対策していたわけでもなく、ほんとにただ漠然と「なんかおもしろそう」とおもっていただけだ。まさに〝夢見ていた〟という表現がふさわしい。

「若く麗しい学生時代に人生何をはかなんだのか文芸サークルに入り、文学や小説や挙げ句の果てに現代詩だのとアナクロここに極まれりの繰り言のうちに過ごしてしまった奴は、いざ卒業って段になってパニックを起こすんだよ。自分のような言語と精神、季節の移り変わりや善と悪の問題に敏感な人間が粗雑で獰猛な実社会に放り出されて生きていけるのだろうかと悩んでしまう。大体、二十世紀もお終いにきたこのご時世に文学なんぞを志向している奴は自己について巨大な誤解をしてるに違いないんだ。僕は人と違って多分にラジカルでシニカルでクリニカルだなんて自惚れていやがる」
 大原は手で膝を打った。
「それは言えてる」
 スパイダーマンは胴間声で吼えた。
「たーだお気軽なだけなのによ。そして歪んだ頭を働かせて卒業後の行く末に結論を出すんだ。マスコミだ! マスコミならこんな僕でも生きてゆける。これこそ天職、僕の適性ってな具合さ。マスコミの仕事ってのは漠然としてて掴みどころがないからな」

 もう、まさにこれ。

 そうなんだよね。現実と向き合ってないだけなんだよね。ほんとはありもしない己のクリエイティビティを活かせる仕事はマスコミぐらいしかない! ってあさはかな考え。

 自分が就活する前に読んでおけば、もうちょっと己の浅慮さに気づけたかもなあ。


 立川は尋ねた。
「大原さんはレコード会社を受けなかったようですね。音楽は詳しいし、好きでしょう。見込みがあったかもしれない」
 大原は首を振り、
「だから受けなかったのさ。音楽は俺の唯一の気晴らしだ。そりゃ自分の好きな洋楽、なかでもロック、とりわけ熱烈なファンであるバンドの担当になれたとしたら、理想の職業だろうさ。でも、先天性音感欠如症のアイドル歌手やらこぶし命の演歌歌手やらの宣伝やらされて、そいつらのレコードを売り物、価値ある物として否応なく聴かされたら、俺は確実に発狂すると思う。さりとて、仕事となれば、頭がおかしくなる自由さえ認められない。音楽自体が嫌いになりかねない。あくまで自己裁量の利く趣味として接していたい」
 糸町が言った。
「俺が就職試験でうまくいかないのもそれと同じ潜在的な恐怖が原因なのかもしれない。面接でやりたい仕事を訊かれると、やりたくない仕事ばかり頭に浮かんで失語症になりかける。粗雑なマンガを読ませてガキの感受性をズタズタにする幼児虐待はしたくないし、女の裸をちらつかせ、青少年の性衝動に訴えて小銭を巻き上げるポン引き稼業はしたくない、人様の人畜無害なスキャンダルに定価をつけるのは犯罪だと思っている、いちいち挙げていくとキリがないが、総括すれば、そうでなくても日本中に無駄に多いアホを増殖して増長させる運動に加担したくない。パルプ資源に限りはあるんだ、地球上の原生林を単なる金儲けで砂漠に変えていい法はない。そう思うと、面接室における自分の存在理由が消滅してしまう。俺は何しにここへ来たんだろうって絶句してしまうこともしばしばだ」
 立川はさすがに呆れ返り、
「遠慮がないなあ。あわよくば自分も作家になって、本を出そうとしている者の言うことじゃない。別にマスコミに限らず、産業分野の何にでもその種の難癖はつけられる。原子力発電に反対だから電気製品関係の会社は嫌だ、世界中に飢餓難民がいるから食料品関係の会社は駄目だなんて言いたてていったら、それこそキリがない。就職以前にこの社会で生きていけなくなる」
 大原が天井を睨んで呟いた。「さーて、いよいよ就職が難しくなってきたぞ」

 ぼくもこういう心境だったなあ、就活してるとき。

「就職したくない理由」ばっかり考えてたんだよね。一生懸命、就職したくない理由を探してた。とにかく社会に出たくなかったんだよな、今おもうと。

 何十年たってもモラトリアム大学生の考えはそんなに変わらないね。




 話の中にはどっぷり入れなかったけど、時代性が強く感じられて歴史的資料として読むとけっこうおもしろかった。


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2023年11月14日火曜日

小ネタ5

カッパチーノ

 アンパンマンのサブタイトルが「バタコさんとカッパチーノ」だった。

 てっきりアル・パチーノみたいなマフィア風のキャラが出てくるのかとおもって観ていたら、お皿の部分がコーヒーカップになっている河童のキャラが出てきた。

 アル・パチーノじゃなくてカプチーノのもじりだった。


鼻にティッシュ

 近所の男の子が鼻にティッシュを詰めて歩いていたので「鼻血?」と訊いたら、「なんでわかったん!?」と驚かれた。


アクセント

 インディーズのCD、と発音するとき「ディ」にアクセントを置いて発音する。本来の発音は「イ」にアクセントだとおもうのだが。なぜだろう。

 雑貨屋のLOFTや、住宅の中二階のロフトも、フにアクセントが置かれる。最初に言い出した人がまちがえたというよりわざとやっているとしかおもえない。

「外国語をわざとイントネーションを変えて発音する」現象に名前はついているのだろうか。


インディーズ

 ついでに「インディーズ」の定義を調べたら、Wikipediaに「主要なインディーズ音楽レーベル」という項目があった。インディーズなのに主要とはこれいかに。「ベテラン若手芸人」みたいなものか。