2021年11月15日月曜日

【読書感想文】吉永 南央『オリーブ』

オリーブ

吉永 南央

内容(e-honより)
オリーブの木を買ってきた翌日、突然、消えた妻。跡を辿ろうとする夫は、2人の婚姻届すら提出されていなかった事実を知る。彼女は一体何者だったのか?そして、彼女の目的とは?表題作の「オリーブ」をはじめ、「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズの著者による、「大人の嘘」をモチーフにしたサスペンス作品集。


 あらゆる痕跡を残して失踪した妻、夫の入院中に夫の旧友と関係を持っているらしい妻、不倫相手の彫刻を自作のものとして発表する男、行方不明になった統合失調症の妹……。

 どの短篇も「親しい人の秘密」がテーマとなっている。

 最終的にぜんぶハートフルな結末に着地するのが、個人的には好きじゃなかったな。そういうのもあっていいけど、ぜんぶがそうだと「どうせ次も悲劇的な事実は出てこないんでしょ」という気になってしまう。


 好きだったのは、ラストの短篇『欠けた月の夜に』。

 優しい夫と賢明な息子、そして気の合う友人たちに恵まれ、幸せに暮らしていた主人公。
 ところがある日、夫が突然死してしまう。毎日帰りが遅く、休日出勤もしていたので、過労死ではないかと疑うが、会社側の対応は冷たいもの。会社相手に訴訟の準備をしていたところ、「夫は毎日サボっていて会社で居場所がなかった」との告発状が届く。調べると、夫の意外な一面が出てきて……。

 という話。

 結婚して十年たってわかるのは、配偶者のことなんてちっともわからないということ。
 特に子どもを育てていると関心は子どものことばかりで、配偶者のことなんて考えている余裕がなくなる。
「子どもがしんどそう」の前では、「妻の機嫌が悪そうだ」なんて一顧だにする余地ないよ、じっさい。もちろん向こうもそうだろう。

 家にいる間に妻が何をしているのかなんてまったく把握していないし、妻が「今は子どもが小さいから我慢してるけど、あと十年したらこののん気に鼻をほじっている男とは離婚しよう」と考えていたとしても、ぼくにはわからない。

 子どものとき、家族は一体だとおもっていた。父と母はお互いすべてをわかりあっているものだとおもっていた。

 でも、夫婦なんてしょせんは他人なんだよなあ。どこまでいっても。
 ただこれは必ずしも諦観ではなく「他人だからこそそれなりの距離感を保っていれば長期間つきあっていける」という認識をぼくはもっている。
 夫婦が親子やきょうだいのような距離感になったら、数日で離婚だよ。


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2021年11月12日金曜日

【読書感想文】ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』

ファスト&スロー

あなたの意思はどのように決まるか?

ダニエル・カーネマン(著)  村井 章子(訳)

内容(e-honより)
整理整頓好きの青年が図書館司書である確率は高い?30ドルを確実にもらうか、80%の確率で45ドルの方がよいか?はたしてあたなは合理的に正しい判断を行なっているか、本書の設問はそれを意識するきっかけとなる。人が判断エラーに陥るパターンや理由を、行動経済学・認知心理学的実験で徹底解明。心理学者にしてノーベル経済学賞受賞の著者が、幸福の感じ方から投資家・起業家の心理までわかりやすく伝える。

 人間の思考・行動がいかに不合理であるかを〝ふたつのシステム〟をキーワードに解き明かした本。

 人が判断をするときは、「俊敏だけどまちがいやすいシステム1」と「合理的だけど怠惰で疲れやすいシステム2」のふたつのシステムを使っていると著者は説く。


 たとえば

ボールとバットを1つずつ買いました。合計で110ドル、バットはボールより100ドル高い値段でした。バットはいくら?

という問題を出されたとする。
 このとき、多くの人は「100ドル」とおもってしまう。
 だが、よく考えればこれは間違いだとわかる。答えは105ドルだ。かんたんな二元一次方程式の問題だが、多くの人がまちがえてしまう。

 これは、連立方程式が得意なシステム2よりも、直感で答えを探すシステム1のほうが素早く発動するからだ。

システム2が他のことにかかり切りのときは、私たちはほとんど何でも信じてしまう、ということだ。
 システム1はだまされやすく、信じたがるバイアスを備えている。疑ってかかり、信じないと判断するのはシステム2の仕事だが、しかしシステム2はときに忙しく、だいたいは怠けている。実際、疲れているときやうんざりしているときは、人間は根拠のない説得的なメッセージ(たとえばコマーシャル)に影響されやすくなる、というデータもある。

 システム1は往々にして間違える。システム2も間違いを犯すが、システム1は頻繁に間違える。

 だったらシステム2だけを使えばいいじゃないかとおもうかもしれないが、そうもいかない。システム2は賢いけれど、怠けものだ。

「正解だったら1万円あげます。不正解なら1万円の罰金です」といった条件でもないかぎりは、システム2は出動しようとしないのだ。




 さらにシステム2はすぐに疲れてしまう。ことあるごとに機能不全に陥る。

 いくつかの数字を覚えておくように、と命じられているときにデザートを見せられると、カロリーの高そうなケーキを選ぶ確率が上がったそうだ。

 システム2が忙しいと「カロリーの高いケーキは控えないと」といった判断ができなくなるのだ。

 認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている。頭の中で数字を覚えて繰り返していることに忙殺されて、システム2が行動ににらみを利かせられなくなるためだ。もちろん、認知的負荷だけがセルフコントロール低下の原因ではない。睡眠不足や少々の飲酒も同様の効果をもたらす。朝型の人のセルフコントロールは、夜になるとゆるむ。夜型の人は逆になる。今やっていることがうまくいくだろうかと心配しすぎると、実際に出来が悪くなることがある。これは、余計な心配で短期記憶に負荷をかけるからだ。結論は、はっきりしている。セルフコントロールには注意と努力が必要だということである。だからこそ、思考や行動のコントロールがシステム2の仕事になっているのである。

 専門家であっても、システム2が怠けることからは逃れられない。

 仮釈放申請審査官が仮釈放申請を許可するかどうかを時間帯別に調べたところ、審査員の休憩後は仮釈放の申請が通りやすくなり、休憩時間前には却下されやすくなったそうだ。
 仮釈放は基本的に却下されるため、疲労や空腹によって「基本通り」という判断が下されやすくなったわけだ。仮釈放を許可するには相応の理由を考える必要があるため、システム2の働きが弱っているときは許可されにくいわけだ。

 他人の人生を大きく変える決断であっても、空腹や疲労という単純な要因によって左右されてしまう。人間の判断がいかに当てにならないかを教えてくれる。

 そういやぼくも大学時代に模試採点のアルバイトをしたことがあるが、途中から採点基準が変わってしまうことがあった。午前中は○にしていたけど、夕方は×にしてしまう、というように。あれもシステム2の働きが弱っていたためなんだろう。

 カルト宗教やマルチ商法などが合宿や長時間セミナーを開催するが、あれも疲れさせてシステム2を働かせないためなんだな。




 システム2は空腹や疲労にも弱いが、逆に幸福にも弱い。

 しあわせな気分のときは直感が冴え(つまりシステム1の働きが優先され)、論理エラーを犯しやすくなるそうだ。

しあわせな気分のときは、システム2のコントロールがゆるむ。ご機嫌だと直感が冴え、創造性が一段と発揮される一方で、警戒心が薄れ、論理エラーを犯しやすくなる。ここでもまた、単純接触効果と同じように、生物学的な感知能力との密接なつながりが見受けられる。上機嫌なのは、ものごとがおおむねうまくいっていて、周囲の状況も安全で、警戒心を解いても大丈夫だからである。逆に不機嫌なのは、ものごとがうまくいっておらず、何か不穏な兆候があり、警戒が必要だからである。つまり認知容易性は、しあせな気分の原因でもあれば結果でもあると言うことができる。

 被験者にひっかけ問題を出題したとき、小さいフォント・かすれた印刷の問題用紙を渡したほうが正答率が高かったそうだ。

 認知負担を感じる → システム2が機能 → 注意深くなった というわけ。
 ストレスを感じるのも悪いことばかりではない。


 社会って基本的に「人間は合理的な生き物で、判断は首尾一貫している」という前提で設計されているけど、ぜんぜんそんなことないんだよね。

 天気がいいとか朝食を食べすぎたとかの些細なことで、判断基準は揺らいでしまう。


 他にも、人間の判断がいかに不正確かを示す調査結果が次々に報告される。

 学校補助金の増額案に賛成か反対かの投票。投票所が学校の場合、そうでない場合より賛成率が高くなった。

 ベテラン裁判官に、万引きで逮捕された女性の調書を読んだ上で、サイコロを振ってもらう。サイコロには仕掛けがしてあり、3か9しか出ない。刑期(ヶ月)は出た目より長くすべきか短くすべきか答える。最後に、刑期を決める。
 すると、9が出たグループの裁判官が提示した刑期は平均8カ月、3が出たグループは平均5ヶ月だった。サイコロの目を意識しただけで、判決がそれに引っ張られてしまうのだ。
(ということは、裁判の供述で「半年」「1年」などのフレーズを多用すれば、刑期が短くなりやすいということだな。これはぼくが被告人になったときのためにおぼえておこう)




 システム1/システム2の話とはあまり関係がないが、おもしろかったのは
「極端なケースは大きい標本より小さい標本に多くみられる」
という話。

 たとえば、全国の公立小学校で一斉学力テストをしたとする。
 すると、成績上位10校に入ったのは、生徒数の少ない学校ばかりだった。
 なるほど、少人数学級は成績を向上させるのだな……と考えるのは早計だ。
 逆に成績下位10校を見てみると、こちらも生徒数の少ない学校ばかり。

 なぜなのか。

 たとえば、サイコロを2個振って出目の平均が1になることは、さほどめずらしくない。1/36の確率だ。
 だがサイコロを100個振って平均1になることはまずありえない。
 100個振れば平均は3.5に近い値になるはずだ。

 つまり、標本の母数が少ないほど極端な値になりやすいというわけ。
 特に学力テストなんかだと、上位は話題になるけど下位は話題になりにくいので、より「少人数クラスは成績を引き上げる」という単純な結論につながりやすい。

 これは知っておくと、いろんなことにだまされずに済みそうだ。




 人間がいかに誤った判断を下すかを知っておくと、致命的な失敗を犯すのを防いでくれる……かもしれない。

「確実に5万円もらえるか、50%の確率で10万円もらえる」 なら前者を選ぶ人が多く、
「確実に5万円払うか、50%の確率で1円も払わなくて済むか」なら後者のギャンブルを選ぶ人が多い。ほんとはどちらも同じ期待値なのに。
 人間は損をしたくない生き物なのだ。
「1万円の損と0円の損」は大きい違いだが、それに比べると「5万円の損と4万円の損」はさほど大きな違いではない。

 だから八方ふさがりになった人ほど一か八かの賭けに出る。100万円持っている人が全財産を競馬に賭けることはめったにないが、200万円の借金がある人が100万円手にすればギャンブルで一発逆転を狙ってしまう。

 株の売買も同じこと。株の勝率を上げることは「なるべく売買をしないこと」だそうだ。売買を頻繁におこなう人ほど、負けたくないあまり、短期的な損失を免れようとすると無謀な挑戦をおこなってしまう。手数料も取られるしね。


 そしてプロジェクトが失敗してもなかなか手を引けない。100億の損を取り返そうとして、200億の損失を招いてしまう。

 リスクを伴うプロジェクトの結果を予測するときに、意思決定者はあっけなく計画の錯誤を犯す。錯誤にとらわれると、利益、コスト、確率を合理的に勘案せず、非現実的な楽観主義に基づいて決定を下すことになる。利益や恩恵を過大評価してコストを過小評価し、成功のシナリオばかり思い描いて、ミスや計算ちがいの可能性は見落とす。その結果、客観的に見れば予算内あるいは納期内に収まりそうもないプロジェクト、予想収益を達成できそうもないプロジェクト、それどころか完成もおぼつかないプロジェクトに邁進することになってしまう。

 そうですよねえ。多額の税金をドブに捨ててくれた東京オリンピックの実行委員会さん。




 わくわくするほどおもしろいが、最終的にはこの手の本にありがちな「おもしろいけどくどい。もうわかったから」という感想になった。はじめのほうは刺激的だったが、ほぼ同じことのくりかえしなので後半はすっかり飽きてしまった。

 上下巻あるけど、この半分の分量でよかったな。


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2021年11月11日木曜日

感情の出力が強くない

 二歳の姪(妻の妹の子)が遊びに来た。

 ただでさえ小さい子を連れての遠出はたいへんなのにコロナの影響もあり、ぼくが会うのは二回目。前回会ったとき向こうは0歳だったので伯父のことなどおぼえていないだろう。だからほとんど初対面のようなものだ。

 話しかけるが、おしだまっている。まあそりゃそうだ。ここでにこやかに応える子のほうがめずらしい。
 はじめての場所ではじめて見るおっさん。緊張するのも当然だ。

 だがぼくは子どもの相手には慣れている。
 決して踏みこみすぎない距離感を保ったまま、おもちゃを見せたり、絵本を読んだり、絵を描いたり。
 だが姪はぜんぜんしゃべらない。表情も変わらない。泣いたり逃げたりするわけではないので嫌われてはいないとおもうのだが、距離を詰めることができない。

 あんまり好かれてないのかなーとおもっていたら、姪のおかあさん(義妹)いわく
「これでもけっこうテンション高いほう」
だという。

 あまり感情の出力が強くなくて、わかりやすく笑ったりしゃべったりしない子なのだそうだ。だが入力のほうは鋭敏で、積極的に他人と関わりはしないが他人がやっていることをしっかりおぼえていて、夜になってから真似をしたりするらしい。

 なるほど。今は出力を抑えて入力をしている時間なのね。

 ぼくも思春期の頃はあまり感情を表に出さずに「感情が読めない」「何考えてるかわからない」などと言われたので、その気持ちはわかるぞ。


 姪がうちにあったアンパンマンのおもちゃ(ガチャガチャで入手したもの)を気に入ったので、近くのショッピングモールのガチャガチャコーナーにいっしょにいく。

 姪にガチャガチャをやってもらうと、ドキンちゃんのぬいぐるみが出た。
 姪の表情は……ぼくには読めない。まったくの無表情に見える。
 だがおかあさんいわく、ドキンちゃんは好きなキャラらしい。たぶん喜んでいるだろう、とのこと。さすがはおかあさん。微妙な変化を感じとれるらしい。

 後から聞いたら、その晩はドキンちゃんのぬいぐるみを抱いて寝たらしい。
 大喜びじゃないか! ああよかった。


2021年11月10日水曜日

あれから○年

 テレビ番組『はじめてのおつかい』が好きだ。

 30歳くらいまでぜんぜん観たことなかったんだけど、自分が親になって観てみるとおもしろい。娘たちも大好きで、自分と歳の近い子が奮闘している姿にいろいろと感じ入るところがあるようだ。


 さて『はじめてのおつかい』でぼくがいちばん好きなのは「あれから○年」のコーナーだ。

 番組を観たことのある人なら知っているとおもうが、

「2~5歳くらいの子どもがはじめてのおつかいに行く」
→「あれから○年」というナレーションが流れる
→ 大きくなった子どもの姿が観られる

というものだ。

 つまり「はじめてのおつかい」部分は再放送であり、「あれから○年」が最近収録したものとなっている(場合によっては「あれから○年」さえも再放送であり「さらにあれから○年」が流されることもある)。

 これがおもしろい。


 ふつう、ひとつのテレビ番組の中での時の流れは、長くて数ヶ月、短ければ数十分だ。NHKの気合の入ったドキュメンタリーだと数年かけて撮影、なんてこともあるがたいていは数時間~数日ぐらい。

 ところが『はじめてのおつかい』の映像では、長いものだと十五年ぐらいの時間が流れている。いろんなものがすごいスピードで流れる。はじめて観たときはメイド・イン・ヘブンのスタンドが発動したのかとおもった。おもうかい。

 子どもの成長が一瞬で感じられるのがたまらない。
 さっきまで三歳でおかあさんと離れるのを嫌がっていた子が、十八歳になって進路について真剣に語っているのだ。
 あの小さかった子がこんなに立派になって……と、姪っ子の結婚式を見るような気分になる。姪っ子の結婚式に行ったことないけどさ。


 時の流れを感じるのは人間だけではない。
 街並みも変わっている。

 こないだ観た『はじめてのおつかい』では、子どもが買物に行く商店街に「デジカメプリント」というのぼりが立っていた。
 ああ、なつかしい。

「デジカメプリント」を大々的に掲げる写真屋は今ではもうなくなった。
 今やカメラといえばデジタルがあたりまえだからわざわざ「デジカメ」なんて呼び方をしないし、デジカメプリントのできない写真屋なんて今どき存在しない。

 デジカメが一般消費者に買われるようになったのは2000年頃。その10年後にはほぼフィルムカメラは姿を消している。

 だから写真屋がわざわざ「デジカメプリント」と大々的にうたっていた時代は、せいぜい2000~2010年の10年間ぐらい。

「デジカメプリント」ののぼりひとつの映像だけで、「ああ懐かしい。こんな時代もあったなあ」と感じられる。時の流れが感じられるのはおもしろい。


 昨日と今日で世の中は変わっていないけど、十年前と今なら確実に変わっている。
 日々の暮らしの中では変化に気づけないのだ。


 テレビは基本的に最新の情報だけを流して後はほうったらかしだけど、その後の時の流れを記録したらそれだけでおもしろくなるはずだ。

「最新家電を紹介!」なんて番組はただのコマーシャルでおもしろくないけれど、「あれから○年」と10年後、20年後にその映像を流したらすごくおもしろいにちがいない。10年前はこんな機能をありがたがっていたのかーとか、20年前は電子辞書が売れ筋商品だったんだなーとかいろんな発見があるはずだ。


 ニュースやワイドショーもぜひ「あれから○年」をやってほしい。

 日大アメフト部の危険タックルの学生はあの後どうなったのかとか、あのときマスコミがさんざん犯人扱いしたあの人は結局無罪だったけどどれだけ人生を狂わされたのかとか……。

 やらないだろうな、不都合なことだらけだから。



2021年11月9日火曜日

【読書感想文】日本推理作家協会『小説 こちら葛飾区亀有公園前派出所』

小説 こちら葛飾区亀有公園前派出所

大沢 在昌  石田 衣良  今野 敏  柴田 よしき
  京極 夏彦  逢坂 剛  東野 圭吾

内容(e-honより)
ご存知、国民的マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。縁あって日本推理作家協会とのコラボ企画が実現しました。ベストセラー作家たちによるトリビュート短編小説が誕生。我らが両さんと、あの『新宿鮫』の鮫島や『池袋ウエストゲートパーク』のマコトとの豪華共演も楽しめる。ギャグあり、人情あり、ハードボイルド風の展開ありの宝石箱のようなアンソロジー。


『こちら葛飾区亀有公園前派出所』と日本推理作家協会とのコラボアンソロジー。
『こち亀』のキャラクターを使った短篇を、人気作家たちが書いている。


『こち亀』はぼくが生まれる前からジャンプ掲載していた作品。小学校高学年ぐらいでハマり、いっときは単行本を六十冊ぐらい持っていた。手放してしまったけど。

 百巻ぐらいまでの話はだいたい読んだので、「どれ、ほんとに『こち亀』の世界を小説にできたんだろうな。変な出来だったら許さんぞ」という気持ちで読んだ。


 で、結論からいうといまひとつ。

 大沢在昌『幼な馴染み』と石田衣良『池袋⇔亀有エクスプレス』は、自分の作品のおなじみのシリーズに無理やり『こち亀』のキャラクターをゲスト出演させたという感じ。『こち亀』の世界ではないなあ。

 楽な道に逃げたな、という印象。
 こういうアンソロジーって逃げるとおもしろくない。結果的にイマイチになってもいいから、真正面からぶつかってほしい。


 柴田よしき『一杯の賭け蕎麦』と逢坂 剛『決闘 二対三!の巻』はギャグに挑戦している。その心意気は買うが、ギャグが上滑りしている感は否めない。漫画のギャグをそのまま小説にしたっておもしろくないよ。

 漫画なら許されても、小説にすると「それはありえんだろ」という気になってしまう。読者の求めるリアリティの基準が漫画と小説ではちがうんだよね。

 特に『決闘 二対三!の巻』は、「麗子が他の署員に金を賭けた拳銃摘発勝負を持ちかける」というめちゃくちゃな展開で(もちろん両さんが噛んでいるとはいえ)、原作へのリスペクトも何もあったものではない。原作読まずに書いたのか? タイトルだけはいちばん原作に寄せているけど。




 個人的にいちばんおもしろかったのは、今野 敏『キング・タイガー』。

 定年退職した元刑事が時間を持て余し、ひさしぶりにプラモデルをやろうと思い立つ。模型屋に行くとそこに「両さんの作品」が飾ってある。その完成度の高さに感心し、自分もそれに近づこうと努力するが、やればやるほど両さんとの差が目に付くようになり……というストーリー。

 地味な話だが、元刑事の心中が丁寧に描かれている。

 こち亀というと、両さんの超人的な能力や強引な性格、中川や麗子の金持ちエピソードなどにまず目がいくが、あの作品が40年も続いたのはそういった〝わかりやすいキャラクター性〟によるものではない。作者のホビーに対する深い造詣など、ありとあらゆるものに対する強い好奇心が作品に投影されているからだ。

『キング・タイガー』には、『こち亀』と同じプラモへの愛とこだわりが存分に発揮されている。

 組み立て説明書を開く。さすがにこれだけの部品数のプラモデルともなると、組み立て説明書もただのペラではない。四つ折りにされた大きなもので、しかもカラー刷りになっている。
 昔の安いプラモデルとは大違いだ。
 説明書を読むと、使わない部品がずいぶんあるようだ。他のモデルと共通の部品をひとまとめにしてランナーでつないだものや、好みで選んで取り付ける部品などがあるからだ。
 これは、指揮事案と同じだ。計画性が何より大切だ。私はそう感じた。大事件が勃発したときに、捜査本部、あるいは指揮本部ができる。管理官などの幹部は、情報を集約して即座に上げ、上からの命令を的確に現場に指示しなければならない。
 その情報量は膨大でしかもすべてが緊急を要するのだ。小さな間違いが重大な失敗に結びつく恐れがある。だから、指揮をする立場の人間は常に事態の把握につとめ、さらには的確な判断を下せるように計画性を持つ必要があるのだ。

 今野敏氏は、自身もプラモデル愛好家らしい。だから『キング・タイガー』には両さんはほとんど登場しないにもかかわらず、もっとも『こち亀』らしい作品に仕上がっている。

『こち亀』ノベライズの正解を見せてくれた気がする。『こち亀』を小説にするなら、ギャグ路線じゃなくてマニアックな知識を活かした方向性だよな。活字との相性もいいし。




 京極 夏彦『ぬらりひょんの褌』と東野 圭吾『目指せ乱歩賞!』も悪くはなかった。


 まあ『ぬらりひょんの褌』に関してはぜんぜんこち亀っぽくなくて京極夏彦テイストが強すぎるんだけどね。
 でも大原部長と寺井という地味目なキャラクターを軸に据えているのがいい。両さんや中川や麗子はキャラが強すぎて小説向きじゃないんだよね。


『目指せ乱歩賞!』のほうは、「乱歩賞の賞金額が大きいことを聞いた両さんが反則スレスレの方法で乱歩賞をめざす」という原作にもありそうな話。というかこんな話なかったっけ? 漫画の新人賞を目指す話ならあったような気がする。

『こち亀』と日本推理作家協会とのコラボという点を考えれば、これがいちばん趣旨に近いかもしれない。さすが小説巧者、うまくまとめたな。


 おもしろいかどうかでいうと微妙なところだけど、「与えられた制約の中でどう料理するか」というお題のおかげで作家の力量がはっきり見えるのがおもしろかった。

 たまにはこういうアンソロジーも悪くないね。


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