2020年8月24日月曜日

【読書感想文】めざすはミドルパワー / 竹田 いさみ『物語オーストラリアの歴史』

物語オーストラリアの歴史

多文化ミドルパワーの実験

竹田 いさみ

内容(e-honより)
APEC提案、カンボジア和平の国連提案、農業貿易の自由化など、オーストラリアは国際社会の構想を次々と実現してきた。中規模な国家ながらベンチャー精神にあふれた対外政策はどこから生まれてきたのか。さらにアジア系移民が暮らす多文化社会は、かつての白豪主義からの一八〇度の転換であり、社会革命といえる。英帝国、米国、アジア諸国との関係を軸に一五〇年の歴史空間を描き、新しい国家像の核心に迫る。

オーストラリア。

有名な国だ。小学生でも知っている。
だいたいの形も描ける。

でも、オーストラリアについて何を知っているだろう。
カンガルー、コアラ、グレート・バリア・リーフ、エアーズ・ロック、アボリジニ、山火事、捕鯨反対……。
自然遺産や生態系のことばかりで、文化的・歴史的なことをほとんど知らない。

そういや世界史の教科書にオーストラリアって出てきたっけ?
白豪主義とか聞いたことあるような……。


ほとんどの日本人が似たようなもんじゃないかな。

オーストラリアという国は知っている。
でも文化や歴史はほとんど知らない。オーストラリア出身の有名人もイアン・ソープぐらいしかわからない……。


知っているのにまるで知らない国、オーストラリア。

その謎(ぼくが知らないだけなんだけど)を解き明かすべく、『物語オーストラリアの歴史』を読んでみた。

2000年刊なので「今後の展望」などについては情報が古すぎるが、オーストラリアの歴史はよくわかった。

オーストラリア史は勉強するのが楽だね。(先住民の歴史を含めなければ)250年ぐらいしかないから。




オーストラリアは元々イギリス帝国の一植民地だった。
だが、アメリカに独立を許したことでイギリスは植民地政策の転換を余儀なくされる。
きつく締めあげて、独立されてはかなわない。ほどほどに自由を与えてイギリス帝国を支えるメンバーでいてくれたほうがいい。

オーストラリアは18世紀後半に独立してからも、イギリス帝国の一員だった。
君主制であり、オーストラリアの君主はイギリスの国王や女王が兼務していた。

そう昔の話ではない。
なんと1975年には、オーストラリアの首相がイギリス連邦総督によって解任されるという事件が起こっている。
連邦総督が首相を罷免することができると憲法に規定されているのだ。

それでいいのかオーストラリア人! と言いたくなる。
独立国なのに、よく黙っていられるな。

まあホワイトハウスの言いなりになっている日本も他の国から見たら同じようなものかもしれないが……。




とはいえ、今のオーストラリアはイギリスとは距離を置いている。

そのきっかけに日本が一役買っていたとは知らなかった。
といっても決して名誉なことではないのだが……。

 カーティン政権は、第二次世界大戦をアメリカと運命を共にする戦争と位置づけ、対米同盟を外交・防衛政策の根幹に据えていった。もはやオーストラリアの安全保障に、イギリスの姿はない。オーストラリアは、マッカーサーとの協議を基に戦時体制を築いていったのであり、冷戦時代を貫く対米同盟関係の原点を、ここに求めることができる。このときからオーストラリアは、まったく異なる景色を背景に自画像を描くようになる。かつて背景画の中心であったイギリスがアメリカに代わった瞬間から、オーストラリアの新しい歴史が動いた。

第二次世界大戦で日本がオーストラリアに空爆をしかけた。
オーストラリアは日本から本土を防衛するため、英帝国の傘下から離れ、アメリカに庇護を求めた……。

恥ずかしながらぼくは、日本がオーストラリアを空爆したことすら知らなったよ……。

太平洋戦争ってオーストラリアまで行ってたのか……。
たしかに改めて地図を見ると、東南アジアのすぐ先だもんな、オーストラリアって。

一般にアジアじゃなくてオセアニア地域としてくくられるからずいぶん離れているように感じるけど、ほとんどアジアなんだよなあ。日本とほぼ時差もないし。


オーストラリアにとって日本は、

・第一次世界大戦は仮想敵国であるドイツやソ連の太平洋進出を抑えてくれる味方

・日本が大陸や太平洋に進出したことにより、仮想敵国になる

・太平洋戦争では現実の敵に

・戦後は貿易相手国。1966年にはイギリスを抜いて、対日貿易がオーストラリアの輸出市場一位となる

・最近は対中国が一位だが、依然としてよき貿易パートナー

というふうに、接し方がめまぐるしく変わっている。
知れば知るほど、日本にとってオーストラリアは大きな存在なのだ。

なのにぜんぜん知らなかったなあ。
「コアラとカンガルーの国」としかおもっていなくて申し訳ない。




オーストラリアの歴史を語る上で欠かせないキーワードが「白豪主義」と「ミドルパワー戦略」だ。

白豪主義とは、有色人種の排除政策のこと。

移民国家として誕生したオーストラリアには、ヨーロッパだけでなく、様々な国からの移民が多く流入してきた(日本人も多かった)。
移民が増え、自分たちの地位が脅かされることに危機感を抱いた先住者たちが有色人種の入植を制限したのが白豪主義だ(ほんとの先住者はアボリジニなんだけど)。

 一九世紀末にオーストラリアの植民地社会は例外なく、白豪政策を将来における国家政策の根幹に据える決定を下した。連邦国家の誕生とともに、一九〇一年に開会した第一回連邦議会で、初めて制定した法律が移住制限法であったのは、きわめて自然の成り行きであった。外国人労働者の無差別な流入に対する制限を、全国的に統一して実施するという強い政治的意志が、連邦国家の建設に向けた重要な要因であったからである。
 やや誇張して表現するならば、白豪政策に裏打ちされた白人社会を建設するために、連邦国家が誕生したのである。それほど当時のオーストラリアにあって、アジア系外国人労働者問題は深刻に受け止められていた。移住制限法によって国家政策としての白豪政策が可能となり、国民が共有できるイデオロギーとして、白豪主義が生まれることになった。移住制限法は、将来におけるオーストラリアの国家像を前提に、連邦議会で白熱した討論を経て制定された法律であり、オーストラリア人の心の拠り所となった。

有色人種を締めだすためにオーストラリアがとった方法はなかなかえげつない。

移住希望者に対してヨーロッパ語の書き取りテストを課す。
これだけでも非ヨーロッパ人にとっては不利なのに、フランス語が得意なアジア人にはドイツ語で試験をおこない、ドイツ語が得意ならイタリア語やスペイン語の試験を課す、などして必ず不合格にしたというのだ。

あからさまにやると国際的に非難されるのでこういうやりかたをとったそうなのだが、汚いなあ。
女子学生だけ減点していた東京医科大学みたいなやりかただ。


だが第二次世界大戦後には移民の労働力が欠かせなくなったことで、白豪主義は撤回されていくことになる。
今では積極的にアジアからの移民を受け入れる国となり、「多文化主義」を政策として掲げるほどだ。

この転身は見事。

しかも無制限に移民を受け入れるのではなく、自国にとってメリットのある人だけを受け入れるしたたかさも。

 従来の移民政策は、白人の移民希望者をほぼ無条件に受け入れ、非白人を締め出すという人種差別政策の典型であった。第二次世界大戦直後に、労働党のアーサー・コールウェル移民相が打ち出した大量移民計画も、すべて白人移民を対象としたものであり、東欧・南欧諸国から、英語を母国語としない多数の移民が流入することになった。こうした移民政策を制度的に改革したのが、ウィットラム首相である。
 同首相は人種を基準とした移民審査を廃止し、個人のさまざまな能力をポイント(点数)で表示し、合計点の高い移民を受け入れる新方式の導入を決断した。この方式はカナダで考案されたもので、移民希望者の年齢、教育水準、技能、職歴などにボイントを設定し、ポイント合計が高い移民を優先的に受け入れるというものである。(中略)社会的ニーズとともにテスト項目と配点は若干変化するが、基本的にはこのような項目で審査され、ある一定水準以上の合計点を獲得した者が、移民として受け入れられることになる。新しい移民制度の導入によって、ウィットラム首相は白豪政策を終焉に導いた政治家として、歴史に名を残すことになった。

このへんのしたたかさは日本も見習わないといけないよなあ。

日本がやっているような「単純労働に従事する移民を受け入れる」ってのは短期的にはいいんだろうけど、長期的に見たら生産性を落として対立を深めるだけなんじゃないかとおもう。

もう遅いかもしれないけど。


オーストラリアの戦略でもうひとつ特筆すべきは「ミドルパワー戦略」。

  ミドルパワーの発想は、人口規模や軍事力で見る限り大きな国ではないが、経済的にはきわめて豊かで教育レベルも高く、紛れもない先進国であるとの事実から、国際社会においてどのような役割を演じることができるのか、という問題意識から出発している。つまり知力と経済力はあるにせよ、総合的な国力が十分ではないとの限界を前に、紡ぎ出された国家構想であった。大国や小国が手掛けられない、もしくは手掛けたくない国際問題、さらにこうした国々が対応できない外交問題に、積極的に参加するとの外交政策に結びついていく。

オーストラリアは広大な国土を有しているが、大部分が砂漠なので人間が住める場所は限られている。現在の豊かさを維持したまま人口を増やすことができない。

さらに国土が広いということは国境線が長いということで、防衛・軍備に金がかかる。

地理的な要因で、オーストラリアはどうがんばってもアメリカや中国のような超大国にはなれない。

だがすべての国が超大国をめざす必要はない。
大会社よりも中規模の会社のほうが勝っているところもたくさんあるように、ミドルパワーならではのふるまい方がある。

なるほどなあ。
日本が今後世界の勢力を動かすような大国になることはもうないが、オーストラリアの立ち位置なら今からでも十分めざせる。

日本が今からめざすべきはオーストラリアなんじゃないだろうか。
アメリカや中国ばっかり見てないでさ。


2020年8月23日日曜日

人体感染業協同組合


地元の人たちが山に入って自分たちが食べる分だけの山菜や木の実を採っている。
地主は知っているが特にとがめたりしない。もちろん法律に照らせばよくないことだが、多少は人の手が入ったほうが山も荒れないので事実上黙認している。

ところがある日、トラックで乗りつけて山にあるものを根こそぎ持っていく業者が現れる。毎日のようにやってきてごっそり資源を持っていく。このままだと山が丸裸にされてしまう。
仕方なく地主は「関係者以外立入禁止」の看板を立てる。細々と山菜を採るぐらいならかまわないのだが、業者に「あいつらだって採ってるじゃないか」と言われないため、地元の住民を含め一切の立ち入りを禁ずるようになる。
ロープを張りめぐらし、防犯カメラを設置し、見つけ次第警察に通報する。

これまで細々と山菜を採っていた人たちは寂しいおもいをする……。



ってことが細菌やウイルスの世界でも起こってるんじゃないだろうか。

いろんな細菌やウイルスが人間を媒介して生存、繁殖していた。
人間からしたら害がないこともないが、完全に除外するのもコストがかかるし、中にはいいことをしてくれる菌もある。
多少は人体に入ってくるのもしかたないとおもってそこそこうまく共存していた。

そこに新しいウイルスがやってくる。
こいつは人体を荒らしまくるし、殺してしまうことも少なくない。放っておくとどんどん増える。
仕方なく人間は手洗いうがいをし、マスクをかけてアルコール除菌をし、他人との接触を避けるようになる。凶悪なウイルスだけを防ぐことはできないのであらゆる菌やウイルスを除去することに努める。

困ったのはこれまでそこそこうまく人間と共存していた菌やウイルスたちだ。
おいおいおれたちはそこまで悪さをしてこなかったぜ、まあまあうまくやってたんだ、たまにはいいことだってしてやったし。

でも、だめなのだ。
一部の不届き者を排除するためには、全員を締めだすしかないのだ。


こうして人体から締めだされた菌やウイルスたちは怒っている。
あいつらのせいで。

そのとき、ひとりの菌が言いだす。
「これまで、みんながおもいおもいに人体を感染させてきた。どれだけ感染させるか、どんな症状を引き起こさせるかは各菌の判断に任せられていた。今後、そういうやりかたはダメなんじゃないか。業界団体をつくり、ガイドラインを作って、どこまでならやっていいかの基準を明確にしよう」

インフルエンザウイルスが反対する。
「おまえらみたいな弱小菌はそれでいいかもしれないけど、基準なんか決めたらおれたちは感染力を抑えないといけなくなるじゃないか」

「もちろん不公平を感じるかもしれない。だが好き勝手に感染していたら、いつか限りある資源をとりつくしてしまうことになる。そうなってしまっては元も子もない。ここはひとつ我慢してはくれないか。とはいえインフルエンザウイルスの言い分もあるだろうから、冬は解禁期間と定めて感染を拡大させてもいいことにしよう」

結局最後はインフルエンザウイルスも折れ、自主規制基準を定めてそれぞれが守ることで一致する。

人体感染業協同組合(人協)の誕生である。


数十年後、covid-19というウイルス界のトランプ大統領みたいなやつが現れて、人協からの脱退をちらつかせながら自主規制議定書への批准を拒否することになるのだが、それはまたべつのお話……。


2020年8月21日金曜日

【読書感想文】常にまちがったほうの選択肢を選ぶ主人公 / 筒井 哲也『ノイズ』

ノイズ【noise】

筒井 哲也

内容(e-honより)
のどかな田園風景が広がる猪狩町では、黒イチジクを地域の特産として、限界集落から一転、活況を呈し始めた。そんな中、イチジク農園を営む泉圭太のもとに鈴木睦雄と名乗る怪しい言動の男が現れる。彼は14年前に女子大生ストーカー殺人を犯した元受刑者だった。平穏な地域社会に投げ込まれた異物が生んだ小さな波紋(ノイズ)が、徐々に広がっていく――…!!

内容説明文がおもしろそうだったので読んでみた。

田舎の集落にやってきたある男。主人公たちが言動に不審なものを感じてネット検索すると、元殺人犯であることがわかる。
近寄りたくないが、刑期を終えて出てきた以上は一般市民。強制的に排除することはできない。
元殺人犯の男は主人公の妻と娘にあからさまに性的な目を向けるようになり……。

第一話はこんな内容。ものすごく期待が高まった。

なるほど。この元殺人犯が“ノイズ”ね。
口ではえらそうに人権の重要性を語っていても、みんな自分の生活のほうが大事だもんね。
こういう事態に直面するとエゴイズムがむきだしになるよね。
己の信条とエゴイズムの間で葛藤しながら元殺人犯から家族を守ることができるのか、というサスペンスね。

……とおもいながら二話目以降を読んだのだが。


期待外れだった。

登場人物がみんなバカなんだよね。二つ選択肢がある状況で、常に悪いほうを選択する。

正当防衛で人を殺してしまったことを隠すために死体遺棄をするとか。

死体遺棄を隠すために殺人をするとか。

そんな感じで、常に「まちがったほう」を選択しつづける。どんどん罪を大きくする。

転落人生を描きたいのかとおもったけど、そういうわけでもなさそう。主人公たちはあんまり後悔しないんだよね。

バカなの? バカなのね。あっそう。


めちゃくちゃ展開が早いので読んでいて退屈はしないんだけど、そのスピード感が裏目に出ている。

「直情的な行動」
「都合のよい偶然が重なる」
「主人公たちのために都合よく動いてくれる村人たち」

のオンパレードで、読んでいてどんどん白けてしまった。

はじめの期待が大きかった分、拍子抜けしてしまった。
ラストまで読んでも「はじめっから正当防衛で届け出しておけばよかったのに」としかおもわなかった。




筒井哲也氏の漫画ってどれも綿密に構成されているのがわかるんだけど、今作はその濃密なプロットがアダになったって感じがする。

「言動の怪しい元受刑者が近所に来たとき、どうするか」

というワンテーマでじっくり三巻使って書いてくれたらおもしろかったとおもうんだけどなあ。

ああいう人間てのは本当にいるんだな 人のものを奪う 嘘をつく 邪魔なら殺す そういうことに全くためらいがない 昆虫のような人間だ 俺達が猪を刈るのと同じだ 誰かが仕留めなくちゃいけなかった それだけの話だ 

冒頭のこのセリフとかすごくわくわくしたのになあ。

でもじっくり書くのは漫画向きじゃないのかなあ。


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2020年8月20日木曜日

【読書感想文】誘拐犯たちによる謎解き / 道尾 秀介『カササギたちの四季』

カササギたちの四季

道尾 秀介

内容(e-honより)
リサイクルショップ・カササギは今日も賑やかだ。理屈屋の店長・華沙々木と、いつも売れない品物ばかり引き取ってくる日暮、店に入り浸る中学生の菜美。そんな三人の前で、四季を彩る4つの事件が起こる。「僕が事件を解決しよう」華沙々木が『マーフィーの法則』を片手に探偵役に乗り出すと、いつも話がこんがらがるのだ…。心がほっと温まる連作ミステリー。

連作ユーモア・ミステリ。

リサイクルショップを舞台にちょっとした事件が起こり、店長・華沙々木が探偵気取りで推理を披露するも、的外れ。
副店長の「ぼく」が暗躍してひそかに謎を解く……。

という筋書きの短編が四篇。

読んでいるほうからすると、華沙々木の推理も「ぼく」の推理もこじつけ度はどっこいどっこいなのだが、なぜか「ぼく」の推理だけがずばずばと的中する。

いろんな意味でご都合がよいのだが、まあ謎解きのシビアさに重きを置くタイプのミステリではないのでこれでいいんだろう。


謎解きは可もなく不可もなく、って感じだけど上手だったのは短篇四篇の構成。

主要登場人物三人がいろんな事情を抱えていたっぽい記述があるので
「あれ? これはシリーズものの第二作目か?」
とおもったのだが、後半でそのへんの過去の事情が明らかになる。

また一篇目のキャラクターが四篇目で活きてきたりと、単なる短篇四つの詰め合わせではない。

小説巧者、って感じだね。




ところで二十歳過ぎた男たちが、保護者の了解を得ずに女子中学生をあちこちに連れまわしているのが気になる。

本人の同意があったってこれは誘拐事件でしょ……。


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2020年8月19日水曜日

【映画鑑賞】軍隊とは洗脳機関 / 『フルメタル・ジャケット』

 フルメタル・ジャケット
(1998)

内容(Amazon Prime Videoより)

ジョーカー、アニマル・マザー、レナード、エイトボール、カウボーイ他、新兵たちは地獄の新兵訓練所ブートキャンプに投げ込まれ、残忍な教官ハートマンによってウジ虫以下の扱いを受けていくのだった。

  ↑ もう、この内容説明文がほぼすべて。

「地獄の新兵訓練所ブートキャンプに投げ込まれ、残忍な教官ハートマンによってウジ虫以下の扱いを受けていくのだった」

清水 俊二『映画字幕の作り方教えます』という本に、『フルメタル・ジャケット』日本公開時の“事件”が書かれていた。

日本公開版の字幕は戸田奈津子さんが担当することになっていたのだが、スタンリー・キューブリック監督自らが日本語字幕をチェックして(日本語わからないのに)、セリフの本来の持ち味が失われているとして急遽担当者変更になったのだそうだ。

それほどまでにこだわりぬかれたセリフ、いったいどれほどのものだろうとおもって観てみたのだが……。

なるほど。こりゃすごい。

たしかにこの口汚い罵倒の数々、これをマイルドな言葉に訳しちゃったらこの映画は台無しだよなあ。

新兵の人間性を徹底的に破壊するハートマン軍曹役のロナルド・リー・アーメイ氏は、もともと演技顧問として招聘された人らしい。

ところが彼の罵倒の迫力がすごすぎたので急遽キューブリックから出演を依頼されたのだとか。

そりゃあなあ。こんなすごいキャラクター、ふつうは放っておかんわなあ。




この映画のハイライトは、前半の海兵隊訓練キャンプ部分といっていい。

訓練のひどいしごきに比べたら、後半で描かれるベトナムでの本物の戦争が生やさしく見えてしまう。

リアルなのは、新兵間でのいじめの描写。
ほほえみデブ(レナード)の出来があまりに悪いので(おまけにドーナッツを隠しもっていたりする)、ハートマン軍曹は、ほほえみデブがやらかしたときは本人には一切罰を与えず、他の訓練生全員に罰を与える。
ほほえみデブは訓練生全員の恨みを買い、夜中にリンチを受ける。

いじめの構造ってどこも同じなんだなあ。
自分に直接ストレスを与えている存在(この場合はハートマン軍曹)には矛先が向かわず、攻撃しやすいところ(ほほえみデブ)に向かう。

この陰湿さこそがきわめて人間的。


デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』にこんなことが書いてあった。

 こうして第二次大戦以後、現代戦に新たな時代が静かに幕を開けた。心理戦の時代──敵ではなく、自国の軍隊に対する心理戦である。プロパガンダを初めとして、いささか原始的な心理操作の道具は昔から戦争にはつきものだった。しかし、今世紀後半の心理学は、科学技術の進歩に劣らぬ絶大な影響を戦場にもたらした。
 SL・A・マーシャルは朝鮮戦争にも派遣され、第二次大戦のときと同種の調査を行った。その結果、(先の調査結果をふまえて導入された、新しい訓練法のおかげで)歩兵の五五パーセントが発砲していたことがわかった。しかも、周辺部防衛の危機に際してはほぼ全員が発砲していたのである。訓練技術はその後さらに磨きをかけられ、ベトナム戦争での発砲率は九〇から九五パーセントにも昇ったと言われている。この驚くべき殺傷率の上昇をもたらしたのは、脱感作、条件づけ、否認防衛機制の三方法の組み合わせだった。

人間は基本的に、他の人間を殺したがらない。
武器を持っていて、敵が眼の前にいて、殺さなければ自分が殺されるかもしれない。そんな状況にあっても、個人的に何の恨みもない人間を殺すことはなかなかできないのだそうだ。

だから軍隊で教えることは、戦闘技術よりも「どうやって殺人への抵抗を抑えるか」のほうが大事だ。

軍隊の歴史は洗脳の歴史でもある。

『フルメタル・ジャケット』を観ると、改めて軍隊とは洗脳機関なのだということがよくわかる。
いかに兵士の人間性を破壊するか。
訓練の目的はほとんどそれに尽きる。

ハートマン軍曹の訓練生の中でいちばんの成功者は、ほほえみデブだろう。
靴ひもも結べないような役立たずだった彼が、しごきと罵倒といじめの結果、誰よりも優秀な成績を挙げる優秀な狙撃兵になる。人間性は完全に失われ、銃と会話をするような「殺人マシーン」になる。

殺人マシーンになった結果、ハートマン軍曹を射殺し、自らに向けて銃の引き金を引くのはなんとも皮肉なものだ。

あれは軍隊教育の失敗ではなく、「成功しすぎた」結果なのだ。


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