2025年8月6日水曜日

変な名前に対する処世術

 六歳の娘が「こどもが生まれたらどんな名前をつけるか考えた」と言う。


「へーどんなの」

  「女の子だったら、かりん」

「へー。かりんちゃんかー。かわいい名前だね」

  「でしょ? で、男の子だったら、さいかわ!」

「さ、さいかわ……?」

  「そう!さいかわ!」

「(苗字みたい……)へー、えーっと、とってもめずらしい名前だねー」

  「でしょ!」

 そして娘は、母親のところへ走っていき、「ねえ聞いて、こどもが生まれたらどんな名前にするか考えた! めずらしい名前!」とうれしそうに語っていた。

 どうやらぼくの言った「めずらしい名前」という感想が気に入ったらしい。


 だが娘よ。

 君はまだ人生経験が浅いから知らないだろうが、おとうさんの言った「めずらしい名前だね」は褒め言葉じゃないぞ!

 悪いとは言えず、かといって良いとも言いたくないときに使う苦しまぎれの感想だ!

 おとうさんは、知人からこどもの名前を聞いて「変な名前」とおもったときは「へーめずらしいですねー」とか「クラスの誰ともかぶらなさそうですよね」とかで切り抜けてるぞ!

 変な名前をつけるやつは「唯一無二な名前であること」に異常に誇りを持っているから、そんな感想でもけっこう「そうなんですよー☆」と喜ばれるぞ!

 おぼえとくといいぞ!



2025年8月5日火曜日

ウナギとドジョウとヒトの呼吸

 ウナギはエラ呼吸だけでなく、皮膚呼吸もできるのだそうだ。だから泥の中でも動ける。落語で「ウナギをつかもうとしたらぬるりとすべって逃げるのでひたすら追いかけて、知り合いから『どこまで行くんだ』と言われたので『ウナギに訊いてくれ』と言った男」が出てくるが、あれもウナギが皮膚呼吸をできるから成り立つ噺なのだ。


 一方、ドジョウは腸呼吸ができるそうだ。口から息を吸い、腸から酸素を吸収。二酸化炭素は肛門から排出するのだそうだ。そのとき出た空気はドジョウのおならとも呼ばれるそうだ。

 このシステムはなかなかいいんじゃないだろうか。ヒトをはじめとする多くの陸上生物は、口にいろんな仕事を担わせすぎだ。噛みつく、咀嚼する、食べる、飲む、息を吸う、息を吐く。「息を吐く」だけでも他の器官が担当すれば、口の負担はずいぶん減るんじゃないだろうか。それに吸うのと吐くのが同じなんて効率が悪い。「吸いながら吐く」ができないじゃないか。掃除機だってエアコンだって換気扇だって吸うとこと吐きだすところは別口だ。

 ヒトも腸呼吸ならよかったのに。そしたらずっと肛門から空気が出ているわけだからおならも恥ずかしくないのに。でも痔になったりしたらずっと音が鳴っててそれはそれで恥ずかしいだろうな。



2025年8月4日月曜日

【読書感想文】畑 正憲『ムツゴロウの獣医修業』 / 医者はだめでもともと

ムツゴロウの獣医修業

畑 正憲

内容(文藝春秋BOOKSより)
ホモの豚、カゼ引きのキツネ、虫歯と痔に悩む犬、ペニスを骨折した牛等々、難病奇病でテンヤワンヤの動物王国。名獣医をめざすムツゴロウ氏と動物たちとの間のお色気ムード。

 1980年刊行。50年近く前ということで、あらすじの文章ですらかなり強烈。もちろん中身はこれ以上。ほとんど下ネタである(といっても動物の性行為とか性器とかの話だが)。


 畑正憲氏(通称ムツゴロウさん)といえばテレビでの変人のイメージが強いとおもうが、本業は作家である。ぼくは中学生のときに畑正憲氏のエッセイにはまり、古本屋をまわって数十冊のエッセイのほとんどを蒐集していた。畑正憲氏はすごく賢くてすごく行動力があってすごく変な人なので、エッセイも抜群におもしろい(小説はイマイチだが)。現在ではほとんど入手困難なのが惜しい。

 ひさしぶりに古本屋で氏の本を見かけ、なつかしかったのと、『獣医修業』はたぶん読んだことがなかったので(似たようなタイトルが多いので自信はない)、数十年ぶりに氏のエッセイを読んでいた。

 うん、今も変わらずおもしろい。というか、こういうヘンな文章を書く人が他にいないんだよな。鳥類学者の川上和人さんとか昆虫学者の前野ウルド浩太郎さんとか鳥類学者の松原始さんとかがそれに近いかな。動物を研究している人に特有の文章があるのか?

 でも畑正憲氏の博学で精力的で淫靡で嘘か誠かわからない文章はやっぱり他に類がない。どこまでほんとかどこからホラ話かわからない文章は、今の時代だと書かせてもらえないのかな。



 

 犬の交尾を手伝っている獣医の話。

「染色体だとか遺伝子だとか、難しいことはわかりませんがね、犬が年々下手になっていっているのは、これはもう疑いようのない事実ですよ。月末に収支をしめてみますとね、助手料が着実に増えています。この助手料というのは、つまり、交配の際の犬の押え役であるわけです」
「物理的に好き嫌いを超越させるわけですね。今度、私にもやらせて下さい」
「ああどうぞ。しかしですね、獣医というのが犬同士の結びの神であるわけでして、本来は必要でないところへシャシャリでているわけでしょう。要らぬことをやるので、犬どもが下手になっていくと思えるし、だとしたら犬に悪い影響を与えているのは獣医だと言えるし、これで、なかなか複雑な思いをさせられています」
 童貞の犬と十分に発情したメス犬を広い囲いの中に入れると見ものである。オスの方は次第に落着かなくなり、メスの上に乗ろうとする。しかしメスは、そう簡単に許さないので、童貞夫は身をよじって、サービスにこれつとめる。
 首筋を咬む。体をこすりつける。食物をゆずる。前にまわって口を開け、必死で相手の関心をひこうとする。
 要するにサービス精神のかたまりとなり、メスのしもべと化すのである。その有様を先生はこう表現した。
「まったく何か至上のもの、この世で一番の快楽がすぐそこにあるぞと自然が犬に吹込み、犬は食事も要らぬ、プライドも要らぬと張切っているのだけれど、さてどうしていいかわからない。それで、ひたすらメスにつきまとい、機嫌を取り結んでいるみたいですな」
 と、私は相づちを打って、
「かわいいとも言えるし、じっと見ているとアメリカの男性を連想しませんか」
「そうですね。あの似非ヒューマニズム、レディファーストの習慣は童貞犬のものですなあ」
「もし犬が煙草を吸うとしたら、ライターをパチリとつけるのはオスの役目ですね」

 酒の席の会話のようなくだらない会話だ。でもくだらなさの中にも知性が漂う。だけどいいかげん。

 最近、こういう「賢いのにちゃらんぽらんな文章を書く人」が減ったよなあ。北杜夫、遠藤周作の系譜。



 

 この本に書かれているのは、畑正憲氏が北海道の広大な土地で数多くの動物を飼いはじめた時期のことである。多くの動物がいれば怪我もするし病気にもなる。そんな中で、駆け出し獣医として奮闘している。

 ちなみに氏は免許を持つ獣医ではない。

 獣医師法第十七条には「獣医師でなければ、飼育動物(牛、馬、めん羊、山羊、豚、犬、猫、鶏、うずらその他獣医師が診療を行う必要があるものとして政令で定めるものに限る。)の診療を業務としてはならない。」とあるが、あくまで「業務としてはならない」なので、自分の飼っている動物を治療したり、知人の動物を無報酬で診療したりするのは獣医師法違反ではないようだ。そのへんは人間の医者とはちがう(人間の場合は無報酬でも医師でない者が医療行為をしてはいけない)。

 虫歯が一本や二本ならば、何とでもする自信が私にはあった。
 ロボットの腕みたいな歯医者のドリルは、私も一台持っている。先がとがったドリルや平たいヤスリをつけ、かつては幾多の手術に活用したものだ。
 特に便利だった点は、出血する部位の骨を削る場合などに、ごく僅かずつ作業を進め得ることだった。カエルやナマズの脳下垂体除去手術、カメ類の手術にも有用だった。
 なに、歯だって似たようなものだろう。人と違って全身麻酔を施してあるのだから、手早く削って悪い部分を除き、充填剤を注入すればよい。
 この充填剤も、私はしばしば活用している。二剤にわかれているものをガラス板の上で混ぜると、後の作業を急がねば固化してしまう速乾性が気に入って、ズガイ骨に穴を開ける手術などを行なった際には、ちょいと借用しているのである。
 動物学者はさまざまな手技を獲得しなければやっていけないのである。この私でさえ、センバンからガラス細工、七面倒くさいアンプの組立て並びに設計、バキュームカーの運転並びに汲取作業、処女の鑑定から発情の検定まで、一応の技術は身につけている。
 私は自分で再手術をすることにした。
 薬品類を調べると非バルビタール系の麻酔剤や、全身麻酔の薬が取揃えてあった。それを使って開いてみた。
「あれ、何だいこれは」
 皮を切って私はうろたえた。何が何だか分らないのである。
 赤い肉がごちゃごちゃと重なり、膿らしきものは見当らない。しかも、筋肉の所在が明瞭でないし、あまり深く切ると、腸を傷つけるのではないかと不安になった。私は途方に暮れ、
「おい。どうしよう」
「そう訊かれたって困りますよ。執刀医はムツさんだから、どうするのか自分で決めて貰わなければ」
 助手はてんで冷たいのである。私は、切口を引っ張ったりつねったりしてみたが、結論らしきものは出なかった。
「えい、思い切って!」
 メスを一閃、ズバリと切ってみた。分らなければ、分るようにしなければならぬ。手掛けた以上、原因をつきとめてやるのが情というものだ。傷口が三十センチになった。
 すると、見慣れた懐しい腹壁が現れたのである。胸のすぐ下で、腹直筋と外腹斜筋が見分けられた。とすれば、わけの分らぬ代物は、皮膚と腹壁の間に存在しているのだ。そこまで調べて私はやっと件の代物が腫瘍であろうと見当をつけた。
「大丈夫ですか」
「なるほど。おぼろげながら正体がつかめたぞ。こんなものを腹に入れていいわけがないから、ながら正体がつかめたぞ。こんなものを腹に入れていい切除してしまおう」
「なあに、腹壁の上ならことは簡単だよ」
 腫瘍が悪性のものであるのか良性であるのか、判別するのは容易ではない。私に出来るのは、止血しながら切ってしまうことだけである。
 切除には三時間かかった。傷が古く、治っては口が開き、閉じては開きしたものらしく、どうに惨憺たる有様だった。こぶしを三つ並べたほどもある肉塊を切出して開いてみたら、管状になった腫瘍が三つ複合し、ねじれ合って一つになっていた。
 切ってしまうと犬は元気になった。お腹がペソリとしてスマートになって、食もすすむようになった。素人の治療でもたまには功を奏すこともあるようだ。

 ずいぶん悪戦苦闘、試行錯誤している様子が伝わってくる。


 ほんの百数十年前までは人間の医療もこんな感じだったんだろうな。

 よくわかんないけど切ってみる。なんだかわからないけど悪そうなものがあるから切り取ってみる。切ったらうまくいったから次回もそうする。切ったら死んじゃったから次はもうやめとく。医療ってその歴史の大部分は「勘でやってみる。だめでもともと」で成り立っていたんだろう。

 でも今はそんなやりかたをとるわけにはいかない。人間相手なら当然、動物相手でも、世間的に許されないんじゃないだろうか。たとえ法的にはOKでも。

 畑正憲氏は、見よう見まね、試行錯誤、実践あるのみ、だめでもともと、というやり方で医者ができた最後の人かもしれない。


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作家としての畑正憲氏

金がなかった時代の本の買い方



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ファストパスはイヤだ

 ファストパスってあるじゃない。テーマパークで、高い金を出してファストパスを買った人は並ばずに優先的にアトラクションを体験できますよってやつ。

 あれ、いやだよねえ。

 最初に行っておくと、ぼくはディズニーランドにもUSJにも行かない。最後にディズニーランドに行ったのは2歳のときだし(もちろんまったくおぼえていない)、USJには会社のイベントで業務として行っただけだ。


 なので想像でしかないのだが、ファストパスはイヤだ。

「金の力で順番を抜かされる」のはもちろんイヤだし、逆に「金の力で順番を抜かす」のもイヤだ。ズルしてるようで後ろめたい。

 そもそもああいう場所で金のことを考えたくない。持たざる側に立つのも持ってる側に立つのもどっちもイヤだ。

 ぼくが好きなテーマパークは大阪のスパワールドなのだが(ただし夏場を除く)、あそこは水着が裸で移動するので「リストバンドでツケ払いをして帰るときに精算」というシステムをとっている。これは中でお金のことを考える必要がないのでたいへん気分がいい。


 ファストパスを売って売上を増やしたいという施設側の思惑もわかるのだが、それって短期的には収益上がっても長期的に見たらライトユーザーの印象を下げることにつながってマイナスなんじゃねえの? ともおもう。

 ぼくの意見としては、もっと収益を増やしたいんだったら入場料を上げてくれたほうがいい。そしたら入場者数は減るかもしれないけどその分待ち時間が減って居心地は良くなる。「行かない人」と「行って満足する人」に分かれるのが理想だ。前者はテーマパークを味わえないけど、時間も金も失っていないのでがっかり感は少ない。

 ファストパス制度は「行かない人」と「行って満足する人」の他に「行ったけど満足できない人」を生みだしてしまう。お金も時間も使ったのにあんまり楽しめなかったね、の人だ。これは最悪だ。行って楽しめないぐらいなら行けないほうがずっとマシだ。


 ファストパスじゃないけど、以前某テーマパークに行ったときの印象が最悪だった。とにかく従業員が足りていない。客は長蛇の列をつくっているのに従業員が少なすぎてまったくさばけていない。「乗物に誰も乗っていないのに、説明をする従業員がいなさすぎて乗れない」という状況だった。人が多くて乗れないのよりも腹が立つ。並んでいる人たちはみんなイライラしていた。ぼくも二度と行くもんか、とおもった。

 従業員がいないのはしゃあない。でも、対応できないならいっそ「今日はこのアトラクションは中止します!」とやってくれたほうがいい。遊べないとわかっていれば他のプランを考えられるのだから。


 今の時代、どれだけチケットが売れているか、どれぐらい客が来たらどれぐらい待つことになるかなんてリアルタイムですぐわかるはず。もっと賢いやり方があるはず。

 行くなら、「チケットは確実に買えるけどぜんぜん楽しくないテーマパーク」よりも「(枚数的、金額的に)なかなかチケットを買えないけど行ったら楽しいテーマパーク」だ。

 これから働き手は減っていく一方。海外からの旅行客は増えていて、あちこちで「需要はあるけど供給が追いつかず長時間待たせる」ことが増えてくるにちがいない。

 そろそろ旧来の「とにかくたくさんの人に来てもらう」やり方を捨てて、来てもらう人を絞って満足度を高めるほうに舵を切ってもらえないだろうか。単価を上げて同程度の売上を確保するやりかたもあるんじゃないかとおもうのだが。


 ま、ディズニーランドにもUSJにも行かないぼくにはほとんど関係のない話なのだが。

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アドベンチャーワールドはちょうどいいテーマパーク

おためごかしの嘘



2025年7月29日火曜日

【読書感想文】ジェンマ・エルウィン・ハリス『世界一シンプルな質問、宇宙一完ぺきな答え 131の質問に111人の第一人者が答える』 / かっこいい質問にすばらしい回答

世界一シンプルな質問、宇宙一完ぺきな答え

131の質問に111人の第一人者が答える

ジェンマ・エルウィン・ハリス(編)  西田 美緒子(訳)

内容(Amazonより)
人間はなんのために生きているの? どうして右と左があるの? なぜ虹は曲がっているの? ……子どもは疑問の天才だ! 大人が困る子どもの質問に世界の第一人者が答える。


 子どもたちからの質問に、各分野のプロが答えるという企画をまとめたもの。ほぼ日本の「子ども科学電話相談」だね。ただし日本のほうは科学に限定しているけど、こっちはもっとくだらない質問も含まれる。

 どうすれば目から牛乳を出せるの?
 
 質問 ― ベン、一〇歳
 
 回答 ― イルケル・ユルマズ(目から牛乳を飛ばすチャンピオン)
 
 ぼくは目から牛乳を遠くまで飛ばす世界記録をもっている。どうやっているのかって? まず、鼻から牛乳を吸いこむ。それから鼻をつまんで(鼻から息を出すように、しかも鼻をつまんだまま)息を吹くんだよ。そうすると牛乳が強い力で押されて、鼻から目のはじっこまでつづいている涙管に流れこみ、上がっていく。そして目から飛びだしていく!ぼくが牛乳を遠くに飛ばした最長記録は、二メートル七九センチ五ミリ。これをできるのは、ぼくの左目の涙管が、たいていの人よりも太いからなんだ。
 だれにでも目から鼻につうじる涙管があって、目と鼻はなかでつながっている。泣くと鼻水がでるのはそのせいで、涙の一部が目から鼻に流れこむからさ。鏡に自分の目を映してごらん。目がしらの内側の上下に、小さい点が見えるはずだ。それがきみの涙管につがなる穴だね。
 お医者さんは、目から牛乳を出すのはよくないと言うだろうから、きみはやってはいけないよ。目が伝染病になったり傷ついたりすることがある。牛乳は、最後には耳にはいっていくかもしれない。でも、この回答をよろこんでもらえたらうれしいな。

 すばらしい。バカな質問にバカが真剣に回答している。なんだよ“目から牛乳を飛ばすチャンピオン”って。こいつに訊くこと、この質問しかないだろ。

 めちゃくちゃくだらない。くだらないけど、くだらないからといってボツにせず、ちゃんと採用して専門家(しかもこれ以上の適任はいない)に答えさせる姿勢はえらい。何がくだらなくて何が大事かなんて当人にしか決められない。もしかしたらこの回答を読んだ子どもが、人体の構造にさらに興味を抱いて優秀な研究者になるかもしれないしね。それか二代目目牛乳を飛ばすチャンピオンになるか。



 大人が読んでもけっこう勉強になる。

 グルグルまわると、どうして目がまわっちゃうのかな?
 
 質問―ジュマイナ、七歳
 
 回答―エリー・キャノン医師(テレビに登場する開業医)
 
 知らないかもしれないけれど、人がからだをまっすぐにしてじっと立っていられるのは、じつは耳のおかげなの。耳は音を聞きわけるだけでなく、からだのバランスもとっている。ほんとうにすぐれものね。
 耳の奥のほうの、脳のすぐ近くに、アーチ形をしたとても小さい管が三つあって、そのなかには液体がいっぱい詰まっている。
 その小さい管の内側には、もっと小さい毛がびっしり生えていて、液体が動くと、つられて毛もゆれる。
 海の底の海藻にちょっと似ているわね。でもその毛には、脳に信号を送って、「今はたくさん動いている」とか「今はあまり動いていない」と伝える役割があるのよ。
 あなたが動いていないときには、液体はおだやかな池の水のようにじっとしているから、両足でしっかり立っているかじっとすわっていることがわかって、管のなかの毛が脳にそう教える。でもグルグルまわりはじめると、液体は嵐の日の海のように激しくかきまわされるから、毛も激しくゆれ、からだがグルグルまわっていることを脳に伝える。ところが問題は、からだがまわるのをやめても、液体はしばらくバシャバシャ波うつのをやめないこと。
 液体のゆれがしずまるには少し時間がかかり、そのあいだは毛もゆれて、からだが動いているという信号を脳に送りつづける。からだは止まっているのに、脳はまだ動いていると思う。こうして脳が考えていることとからだがしていることがちがうために、目がまわってしまうというわけ。

 揺れるから酔うのかとおもっていたけど、これを読むかぎり、そうではなさそうだ。「揺れてて止まった」あるいは「揺れのリズムが変わった」ときに酔うわけだ。ずっと一定のリズムで揺れているのであれば酔わないのだろう。

 VR映像で酔うことがあるそうだけど、これはちょっとちがうな。「からだは止まっているのに脳は動いていると認識してしまう」という点では車酔いや船酔いといっしょだけど、VR映像では半規管は揺れないもんね。




 ぼくが選ぶベストQ&Aがこちら。

 サソリに紫外線をあてると光るのはなぜ?
 
 質問―シリン、八歳
 
 回答―ダグラス・D・ガフィン博士(生物学者)
 
 これはまた、むずかしい質問だ。まず、もう少しやさしい「サソリに紫外線をあてると、どうやって光る?」という質問に答えてみよう。光るのはサソリの表皮にある、紫外線(UV)があたると反応する化学物質だ。紫外線は目には見えないが、この化学物質のなかの電子というとても小さい粒のようなものを、いつもより活発に動かす力をもっている。その電子がまたふだんの動きに戻るとき、ぼくらの目に見える緑色の光を出すんだよ。
 でもきみの質問は「なぜ?」だね。たくさんの人たちが、こうではないかという答えを考えているが、たしかなことはまだわかっていない。そのなかのひとつは、メスのサソリが光ってオスのサソリを引きつけるというものだ。そのほかに、えさになる動物を引きつけているという考えもある。サソリは夜になると姿をあらわして、ガなどの昆虫をつかまえる。虫は光に集まるから、おなかをすかせたサソリのかすかな光にも誘われるかもしれない。
 三つ目は、サソリは表皮を使ってぼんやりした光を「感じている」という考えだ。ネズミやフクロウがサソリを食べようとねらっているので、サソリは逃げて身をかくさなければならないことがある。もし表皮で星の光を感じることができれば、からだに光があたらない、かげになるところまで走って、安全な場所を見つけられるかもしれない。ほのかに光るのは、緑色の光に気づく感覚が最も鋭いからだろう。表皮は星の光を吸収して緑色の光を出すことで、サソリができるだけうまく、ものかげを見つけられるようにしているというわけだ。
 ほかにもきみの質問にはいろいろな答えが考えられる。もしかしたら、サソリの光が果たしている役目などないのかもしれない。きみのようなすばらしい生徒が気づいて、質問をして、どんな可能性があるかと考えるよう、興味を呼び起こす以外にはね。

 えっ、サソリって紫外線をあてると光るの!? かっこいー!

 しかも画像検索してみたら、エメラルドグリーンに光ってた。かっこいー!

 質問もいいけど、回答が実にいい。

 三つの異なる答えを用意し、その上で仮説はまだまだあると伝えている。さらに、目的などない可能性も伝えている。世の中のものにすべて意味があるとおもっている人もいるけど、自然界には「たまたまあるだけで何の役にも立たないもの」もけっこうあるからね。ぼくらも含めて、すべての生物はまだまだ進化の途中なのだから。

 そして最後に、質問を褒めて、自分でも考えてみるよう誘導している。なんとすばらしい姿勢!


 NHKでやってる某クソ番組の「こうに決まってる! これ以外の答えをするやつはボーっと生きてんじゃねえよ! あ、でも文句つけられたらイヤだから『諸説あります』って言い訳しとこ。わからないことをわかりませんって言わずに済むための便利な言葉だから」の科学軽視の姿勢とは正反対だね!


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