中島 隆信
障害者をとりまく状況について、経済学の立場からアプローチした本。
障害者にまつわる本は「こうあるべき」という理念が中心になってしまいがちだが、この本は経済学的観点で語られているだけあって感情的でない冷静な議論が多い。こうあるべきなんだよね。
「こうあるべき」を語ることにはあまり意味がない。まったくとまでは言わないけど。
「障害者にもそうでない人にも分け隔てなく接しよう」でできるのならとっくにやっているわけで。
理念と現実が乖離しているのはなぜか、どういった制度を設計すれば理念に近づくのか、を考えるほうが道徳を説くより効果的だろう。
障害者が経済的に自立するのはむずかしい。単純に「金を稼ぐのがむずかしいから」だけではない。政策的な理由もある。
よくあるのが、障害を持つ子が生まれた両親が離婚するパターン。育てるのに手がかかる→母親が子どもの世話にかかりっきりになる→父親が疎外感をおぼえる→離婚、というパターンが少なくないそうだ。
人間は時間や手間をかけたものに愛着をおぼえる(IKEA効果と呼ぶそうです。自分で組み立てた家具のほうが気に入りやすいから)。手がかかる→愛情が深くなる→さらに手をかけるようになる、というわけ。こうなるともう共依存ですね。
障害児が生まれたら世話をするために母親が仕事を辞める。仕事を辞めるから収入は減るが、手当がもらえるのでなんとかやっていける。だが手当によってぎりぎり家計が持ちこたえているので、子どもが自立すれば親も生活できなくなる。障害を持つ子も親から独立できないし、親もまた子どもから独立できなくなる。
そういうのって外から見ていると不幸な状態かもしれないが、本人たちからしたらけっこう幸せだったりするんだよね。「自分ががんばらないと立ちいかない状態」って裏を返せば「自分が強く必要とされている状態」だからね。快楽だろう。
障害児を持つ親を何人か知っているけど、すごくがんばる人が多い。特に母親。自分の全人生を捧げ、我が子のため、さらには世の障害児のためにボランティア活動や講演会にかけまわったりする。きっとすごい快楽なんだろう。「社会にとっていいことをしてる! 人の役に立ってる! 人から求められてる!」ってドーパミンがどばどば出るんだろう。
悪いことしてるわけじゃないから周囲からも止められにくいし。「そのへんにしときなよ」って言ってくる人は悪いやつ認定すればいいだけだし。
ぼくも子育てをしていたので「全面的に頼られる」ことのうれしさは知っている。自分と乳幼児のふたりっきりのときなんて「自分がしっかりしないとこの子は死んでしまう」とおもえて、すごく自己肯定感が高まる。自分が強くなったように感じる。
気持ちいいから、なかなか抜けだせないのもわかる。多くの場合は子どもが成長するにつれ子どものほうから離れていくけど、子どもが障害や病気を持っていると「私がいないとだめだ」感はいつまでも消えないのだろう。
共依存の関係から抜けださせようとおもったら障害者と同居することの“特典”を減らすことになるんだろうが、それはそれでむずかしいよな……。
障害者のための学校について。
就労率100%をめざして学科を作ったら、学校が「就職させやすい障害者」を採用するようになり、高い就労率を誇っているという話。
民間の学校であればこの姿勢は正しい。入学試験によって企業が採用したがるような人だけを集め、卒業生を就職させ、高い就職率を実績として誇る。営利企業として正しい手法だ。
でも、公的事業としては失敗だよね。民間でできる仕事を公が奪っちゃってるんだから。
ある政治家が公務員の働き方について「民間じゃ考えられない!」と戯言を言っていたが、公務員が“民間の感覚”を持つとこんなひどいことになるといういい事例だ。「民間じゃ考えられない」ことをやるのが公務員の仕事なのだ。
B型就労支援施設(障害が重くて一般就労が難しい人に働く機会を提供する施設)の工賃を上げることを行政が施設に義務づける、という話。
賃金を上げようとおもったら生産性を向上させなくてはならない。だが重い障害を持つ人を抱えているとそれはむずかしい。どうすれば生産性が向上するのか。「軽い障害の人を増やす」「重い障害を持つ人を排除する」だ。本末転倒だ。
かつて全国学力テストがおこなわれたとき、学力競争が過熱した結果、教師たちは「問題を事前に教える」「勉強のできない生徒をテスト当日休ませる」という行動に出た。本末転倒だが、「クラス全員の学力を上げる」よりもはるかにかんたんな方法だからだ。
計測しやすい指標を目標にすると(そしてそれに対して高いインセンティブを与えると)人はずるをして表面的な数字だけを改善しようとするんだよね。
現在、企業には一定数以上の障害者の雇用が義務付けられている。基準に達しない企業は障害者雇用納付金が徴収される。事実上の罰金だ。
そのため、「障害者雇用」を代行するビジネスも存在する。
納付金を収めるよりも手数料のほうが安いのでそっちを利用するほうが得、という計算だ。もちろんこれは違法でもなんでもない。
こういった事例を読んでいておもうのは、上に政策あれば下に対策ありだな、ということ。障害者雇用を促進するためにいろんな制度をつくっても、企業側はあの手この手で表面上の数字だけをあわせようとする。
これは企業側が悪いわけではなく、政策に無理があるということだ。無理のある方針を押しつけられると、なんとかごまかそうとするものだ。
国が企業に求めているのは、障害者を多く雇用せよ、障害者に多くの賃金を出せ、障害者とそれ以外の労働者の垣根をなくして身近な存在として感じよ、ということだ。そしてそれら複数の目標を「生産性は落とさない」という目標を死守しながら達成しなければならない。求めているものに無理がある。同時に追い求められるものではない。
目標の設定を誤るとどうがんばってもうまくいかないよね。あれもこれもと欲張るとすべてうまくいかない。
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