2025年3月21日金曜日

夏休みの宿題をさっさと終わらせてしまう人の心理

 「夏休みの宿題をやっていかなくて、最初のうちは先生から早く宿題出せよと言われるのに、そのうち何にも言われなくなる。その経験が今の自分を形作っている」

と書いている人がいた。


 なんかしみじみと納得した。

 そうなんだよなあ。「早く宿題出せよ」と言われるのはつらいけど、あれは意地悪ではなく、むしろ温情だったんだよなあと大人になってから気づくんだよね。更生するなら今のうちだぞ、とチャンスをくれてるんだよね。


 今でも忘れない、小学二年生の冬休み、始業式の前日の夜になっても宿題が終わってなくて、半泣きになって両親に手伝ってもらいながら(といっても答え合わせをやってもらうとか)なんとか終わらせた。

 親からは「今度からは早めにやるんだぞ」と言われ、つくづくその通りだとおもい、それからぼくは長期休みの宿題は毎回早めにやるようになった。

 今おもうと、小二の冬休みの「始業式前日なのに宿題が終わってない」はいい経験だとおもう。あの失敗があったからこそその後の大きな失敗を回避できたのだろう。


 夏休みの宿題をやらないと、嫌なことからすぐ逃げる大人になるのかどうかはわからない。相関があるようにおもうが、もしかするとぜんぜん関係ないのかもしれない。


 大人になってわかるのは、バイト、いやそれどころか正社員であっても、「何も言わずに来なくなる大人はめずらしくない」ということだ。

 いやまあいろんな事情があるんだろう。精神的に追い詰められているのかもしれない。

 それでも、いや、だからこそ、「やめます」の連絡はしたほうがいい。だって何も言わずに辞めるほうがずっとめんどくさいことになるんだから。電話して「今日でやめます」と言ったら雇い主から文句を言われて(まあ文句っていうか当然の抗議なんだけど)嫌な思いをするかもしれないが、せいぜい数分だけだ。

 連絡せずに仕事をサボり、その後何度も電話がかかってきてそのたびに嫌な思いをして、その店や会社の近くに行くたびにびくびくしたりするほうがずっとしんどい。へたしたら一生嫌なおもいを引きずることになる。


「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」という言葉があるが、「面倒ごとをやるのは一時の苦痛、やらないのは一生の苦痛」だ。


「夏休みの宿題を早めに終わらす」というと「嫌なことに耐える性格」のようにおもわれがちだが、ぜんぜんそんなことはない。

「宿題をやること」と「宿題が終わっていないこと」のどっちが嫌かを考え、後者のほうがより嫌だとおもっているから宿題をさっさとやってしまうのだ。

 つらいことに耐えたくないから、つらいことをやってしまうのだよ。



2025年3月17日月曜日

【芸能鑑賞】『座王 武道館ライブ(2025.3.11)』

 『座王 武道館ライブ(2025.3.11)』を配信で鑑賞。

 配信は4/13までだそうです。みんな観ろー!


 まず気になったのは、なんで武道館なんだ。関西ローカルの番組のライブなのに。番組ファンも関西の人が多いだろうし、大阪城ホールとかでやったほうが絶対にいいとおもうんだけどな。


 残念だったのは、見逃し配信で観たので、ネタがけっこうカットされていたこと。下ネタはまだなんとなく何を言ってるかわかるけど、歌ネタはまるまるカットされていたのが残念。

 まあこれは会場に行くか生配信で観ろよ、という話なのでしかたない。

 でもせめて、歌を流せない分、テロップを入れるとかしてほしかったな……。テレビだと入れてるんだから。

 けっこう序盤にネタカットが続いたので(チープモノマネとか)、「配信を買ったのは失敗だったか……?」と嫌な予感がしたのだが、中盤以降はカットが少なくて良かった。決勝ネタがカットとかだったら目も当てられない。



 まだ配信中なのでネタバレを避けるため、個々のネタの感想や勝敗については書かない。

 ただ、博多大吉さんの審査がなあ……。

 あまりにも日和見主義というか。強いとされている人に有利すぎる。

「アクリルスタンドの人気順でジャッジの札を上げてるんじゃないの?」とおもうぐらい、番狂わせが起きない。

 これだけ後攻がウケてたらさすがに後攻の勝ちだろう、せめてドローだろ、とおもうような場面でも先攻の札が上がる(大吉さんが配信後のトークで「時間の都合でドローにしないよう言われた」と語っていたのでドローにしなかったのはしかたないが……)。

 そりゃあウケと審査員の好みが一致しないことはあるだろうけど、それにしてもやりすぎ。

 心情はわかるけど。座王のライブに足を運ぶ人からしたら、いつものメンバーが勝ち進むところを観たいけど。ぼくだって、たとえばヤーレンズ出井さんは好きだけど、そんなに出ていない出井さんが座王ライブで優勝したら「ええ……」って気持ちにはなるけど。

 でも、そこだけは厳しくやってほしい。

 今でこそ西田さんに有利なジャッジをする人が増えたけど、初期の頃ってむしろ逆で「若手ばかりがやってる場でベテラン枠で出ている西田さんばっかり勝つのはどうなの?」って雰囲気があって(実際に西田さんも口にしていた)、それでもその空気をはねのけて、「そうはいっても西田に上げざるをえない」ってぐらい笑わせて勝ちまくったから鬼と呼ばれるようになったわけで。

 R藤本さんだって、こんなベジータ一本槍のキャラ芸人に大喜利とかできるのかよ、っていう空気の中で、オールマイティに何でもこなす(最初は一分トークだけ避けてたけど)姿がかっこよかったわけで。


 こっちは「えー人気があるのにこの人が序盤で終わっちゃうのー。まあでもたしかに相手が良かったもんね……」というジャッジがある中で、それでも競合が勝ち進む姿が見たいんだよ! 甘めの判定でもらった勝利じゃなくて!

 第一回目のライブということで守りに入っちゃったのかなあ。

 もっと、座王というコンテンツの強さを信じてほしかったな。新参者に厳しいコンテンツは衰退していくぜ。


 ジャッジに不満は残ったものの、イベントの内容自体は大満足だった。

 進行が良かったね。編集の利かないライブだから「何もしていない時間」をどれだけ減らすかがカギになるとおもうんだけど、待ちの時間は必要最小限だった。次がどのお題になるかわからない中で、あれはすごい。セットの出し入れとか相当シミュレーションしたんだろうな。

 登場シーンはわくわくさせてくれたし、広い会場だけどしっかり観客席もウケていたし、ゲストたちも盛り上げてくれた。何より、出場者みんなしっかりネタを考えてきたのだろう、派手にすべっている人がひとりもいなかったのがすごい(あっ、即興お笑いバトルというタテマエなんだっけ)。


 結果的に、配信チケットを買ってよかったとおもえるライブだった。

 次は大阪開催で、大須賀さん、武将様、西森さん、田崎さん、ゴエさん、ギブソンさんら関西常連組を呼んであげてほしい。順番が逆な気がするけど。


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【芸能鑑賞】『最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ』


2025年3月14日金曜日

【読書感想文】伊沢 拓司『クイズ思考の解体』 / こんなにも手の内を明かして大丈夫なのか

クイズ思考の解体

伊沢 拓司

内容(Amazonより)
東大卒クイズ王・伊沢拓司の待望の新刊!
執筆2年半のALL書き下ろし。クイズ業界関係者から大絶賛!
「高校生クイズ」で史上初の2連覇を果たし、「東大王」や「QuizKnock」創設で日本のクイズ界を牽引する伊沢拓司。彼の「思考過程」がまるっと見えてくる”
「クイズは無限の可能性を持つエンターテインメントです。クイズが文化として見直され注目をされている今こそ、クイズを解く時に何を考えているかという過程を解剖したい! それが私を育ててくれたクイズ界への恩返しになる。その使命感で無心に執筆を続けた、『クイズのために書いたクイズの本』です! 」(伊沢)
クイズを愛しすぎた“時代の寵児"が、「クイズ本来の姿」を長大かつ詳細に、繊細だが優しく解き明かす、クイズの解体新書。伊沢氏自らが長期間に渡って調査を行い、圧倒的な情報量を詰め込んだ超大作である。熱意のこもった、かつ親しみやすい筆致で、クイズの現在地をロジカルに体系化し、未来への発展をいざなう。クイズプレーヤーはもちろん、クイズ愛好者にはぜひとも手に取ってもらいたい、クイズ史の「マイルストーン」となる一冊になるだろう。


 最近読んだ小川 哲『君のクイズ』がめっぽうおもしろかったので、競技クイズについてもっと知りたくなって読んでみた。

 クイズメディア・QuizKnockの代表である伊沢拓司氏によるクイズ論。

 テレビ番組『東大王』で有名になった人らしいが(高校生クイズで前人未到の2連覇をしたことでも有名になったそうだが)、ぼくは『東大王』を観たことがないので、この人のことは最近まで知らなかった(別の番組で、クイズに答えた後に「どのような思考を経てこの回答にたどりついたのか」という思考の流れを説明しているのを見て、おもしろい人だとおもった記憶がある)。


『クイズ思考の解体』を読んで、あまりにあけすけに語っていることに驚いた。もうクイズから離れた人ならまだしも、今後もクイズプレイヤー・クイズ作家として活躍するであろう人がこんなにも手の内を明かしちゃって大丈夫だろうか、と他人事ながら心配になった。

 伊沢さんがここまで手の内を明かしている理由は序文で「マジックからロジックへ」というフレーズとともに丁寧に説明されている。

 だがそれを読んだ上でも、やっぱり「こんなに書いちゃって大丈夫?」とおもってしまう。個人の損得よりもクイズ界全体の発展のことを考えている人だからこそなんだろうな。



 この本で最も多くのページが割かれているのが、第2章の『早押しクイズの分類』だ。

 早押しクイズをパターン分けし、それぞれの構文を解剖し、クイズプレイヤーたちがどのような思考を経てどこでボタンを押しているのかを解説している。

 結論から述べてしまえば、「クイズ王たちの頭の中には、クイズの問題文をパターン化した『構文集』的なものがあり、それを用いることで問題文の展開をある程度予測できる」のである。そして、構文集の中から当てはまるものを引っ張ってくることで予測が可能になり、それゆえに他人より多くの情報を早い段階で手にすることができる。情報の先取りをすることで、他人より早い段階で多くのヒントを得て、正解を導き出す。これが早押しの仕組みであり、「構文の把握」が重要な理由でもあるのだ。ゆえに、この章ではそうした脳内「構文集」の可視化を目指す。こうした構文ひとつひとつがどのように成り立ち、なぜ展開が推測できるのか、というところにフォーカスしていくことで、早押しを構造的に捉え、クイズプレーヤーの技術を可視化することが本章のゴールである。

 問題文の序盤を聞いただけで構文を推測し、どこで早押しボタンを押せるかを判断する。

 この際「どこで早押しボタンを押せるか」というのは「どこで正解にたどりつくのか」とイコールではない。正解がわかってからボタンを押していたのでは、レベルの高いクイズプレイヤー同士の戦いには勝てない。「もう少し問題文を聞けば正解がわかりそう」「八割ぐらいの確率でこういう問題だろうと推測できる」ぐらいのタイミングで押しているのだそうだ。

 問題文を聞いている数秒の間に、この先に読まれる問題文を推測し、そこから答えの候補を記憶からひっぱりだし、同時に他のプレイヤーがどのあたりでボタンを押すかを読み、ボタンを押す/押さないの判断をする。

 もしクイズプレイヤーの頭の中をのぞくことができたら、きっと1秒未満の間にとんでもない量の思考をめぐらせていることだろう。もしかするとそうした処理を身体化してしまい思考より先に動作があるのかもしれない。

 ほとんどスポーツと一緒だ。


 では、具体的に「ここで押せる」を見ていきたい。
 いくつか、「ここで押せる」ポイントを並べてみよう。わかるものがひとつでもあったら素晴らしい。
 「いまにお」
 「おおかみのふ」
 「きがいっ」
 「ひゃくはちじゅうどいじょ」
 そして、対応する問題文と答えはそれぞれ以下のようになる。
 「『今に王になれ』という願いを込めて、所属する力士のしこ名に『琴』という字が〜」「佐渡ヶ嶽部屋」
 「狼の糞を混ぜていたことから、漢字では『狼の煙』と書く、~」→「狼煙(のろし)」
 「木が一本立つ舞台で、ウラジミールとエストラゴンのふたりが~」→「『ゴドーを待ちながら』」
 「180度以上の広角な範囲を撮影できるレンズのことを、~」→「魚眼レンズ」

 さて、これらは納得のいくものだろうか。それとも、思わずツッコミたくなるものだろうか。
 そこで行われるツッコミはおそらく、「いやいや、他にも答えの選択肢がありそうじゃねえか!」というものだろう。しかしながら、ここに挙げたものはどれも、他の選択肢について考え尽くされた結果として実践された「ここで押せる」なのだ。「80%を目指す」と先に述べたが、これらの場合は95%以上の確率で正解にたどり着けるようなポイントであろう。
 これらは多くのプレーヤーが別解を探し、それでもなお「高確率でこの正解になるだろう」と認識されているものである。

 このへんはほとんど競技かるたと一緒だ。

 ただし競技かるたと違うのは、「ここで押せる」でも100%正解が確定していないこと。
 百人一首で「む」と読まれたら上の句は「むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに」しかないから下の句は「きりたちのほるあきのゆふくれ」と決まる(こういう字を“決まり字”という)。でも「きがいっ」で始まる問題の答えは『ゴドーを待ちながら』とは限らない。

「きがいっぽんなら木、木が二本なら林、では木が三本なら?」という問題かもしれない。ただしこれだとかんたんすぎるので、クイズ愛好家向けの大会ではまず出題されないだろう。そういうわけで「ここで押せる」なのだ。「ここで決まる」ではない。

 そして競技かるたと異なるのは、クイズの問題は無限にあり、ということは「ここで押せる」もまだ発見されていないだけで無限にあるということだ。

 勝負の強さだけでなく研究や勝敗を決する、そのあたりは将棋や囲碁に似ているかもしれない。




『クイズ思考の解体』ではクイズの問題だけでなく、その周辺に関する思考も開陳している。

 また、置かれた状況によっても判断が異なってくる。
 苦手なジャンルの問題だとわかったとしても、その問題が最終問題、かつ自分が負けている状況なら、勝負しなければダメだ。どうせ最後まで聞いてもわからない確率が高いなら、ひとまず早く押して、自分の中にある少ない選択肢から何か答えなければならない。まずは解答権を取るのが先決である。
 一方、序盤戦なら当然考え方が変わってくるはずだ。苦手ジャンルなんだから、余計な誤答をするわけにはいかない。得意ジャンルが来たときのためにも、ここは我慢しよう……などと考えることができるだろう。

 クイズの大会とは「多く正解することを目指すゲーム」かとおもっていたのだが、どうもそうではないらしい。

 戦略的にあえて間違えたり、確率が低い勝負に出たり。極端なことを言えば、1ポイントしかとれなくても、他のプレイヤーが全員0ポイントであればそれでいい、という考えになる。

 サッカーのリーグ戦で「この試合は引き分けでもいい」とか「1点差の負けならかまわない」みたいな状況が生まれるが、それに近い。しかもその状況が刻一刻と変わる。




 ただの知恵比べではない、クイズの本当の魅力を存分に教えてくれる本だった。

 なにしろ「どうやって知識を増やすか」という話はほとんど出てこない。一流のクイズプレイヤーにとっては知識を増やすことなんて自明のことで、そこからがスタートなのだろう。

 知識があることは、将棋で言うところの「駒の動かし方を知っている」ぐらいの話なのだ。


小ネタ 31(見たことがない踊り / 一人称 / 幸せ)

見たことがない踊り

名前は多くの人が知っているが誰も見たことがない踊り

それはアルペン踊り


一人称

ケイちゃん「ケイちゃん、きのうあそびにいってね」

担任「自分のことを『ケイちゃん』と呼ぶのは小さい子みたいでみっともないですよ。もう三年生なんだから、おうちの外では、まわりの人から呼ばれる呼び名で自分のことを呼ばないほうがいいと先生はおもいますよ」

ケイちゃん「先生の一人称は『先生』ですよね? 『先生』というのは周囲の人が使う敬称であって、敬称を一人称として使うのは名前を一人称にすること以上にみっともないとケイちゃんはおもいます」


幸せ

 あるコンテンツを褒めるときの「まだ〇〇を読んだことがない者は幸せである」という陳腐化した言い回しをまだ聞いたことがない者は幸せである。

 これから先も聞かずにすむ者はもっと幸せである。



2025年3月12日水曜日

【読書感想文】森見登美彦『四畳半王国見聞録』 / 学生時代に通っていた定食屋の味

四畳半王国見聞録

森見登美彦

内容(e-honより)
「ついに証明した!俺にはやはり恋人がいた!」。二年間の悪戦苦闘の末、数学氏はそう叫んだ。果たして、運命の女性の実在を数式で導き出せるのか(「大日本凡人會」)。水玉ブリーフの男、モザイク先輩、凹氏、マンドリン辻説法、見渡すかぎり阿呆ばっかり。そして、クリスマスイブ、鴨川で奇跡が起きる―。森見登美彦の真骨頂、京都を舞台に描く、笑いと妄想の連作短編集。


 森見登美彦の真骨頂というか、いつもの森見登美彦というか。京都(その中でも主に左京区や上京区)を舞台に、『四畳半神話大系』『【新釈】走れメロス 他四篇』『有頂天家族』の家族が登場し、ボロアパートの四畳半が舞台で、図書館警察や詭弁論部などの組織も書かれており……と、どこを切っても森見登美彦ワールド。


 内容もいつもの感じで、四畳半世界の在り方を高らかに宣言する『四畳半王国建国史』『四畳半王国開国史』、マジックリアリズム満載の『蝸牛の角』、愛に飢えた男が詭弁を弄して哀れな自己弁護の言い訳をこねくりまわす『グッド・バイ』など、「らしい」作品が並ぶ。

 いくつもの森見作品を読んできた身からすると、またこれか、とおもいつつも、これこれこの味、と安心する感覚もある。大学時代に通っていた定食屋に久しぶりに行ったら当時とまったく変わらない料理が出てきた感じに近い。

 まったく新しいものを読みたければ他の作家の本を読むので、森見登美彦作品はこれでいいのだ。




 気に入ったのは『大日本凡人會』。凡人であることを目指す、非凡人たちによる結社「大日本凡人會」。メンバーは、マンドリンを弾きながら人生論を説くことで迷える学生をさらに迷わせることのできる丹波、妄想的数学により存在を証明することで物質を出現させることのできる数学氏、モザイクを自由自在に操る能力を持つモザイク氏、気分が落ちこんだときは周囲の空間を凹ませる能力を持つ凹氏、そして存在感がなさすぎて誰にも気づいてもらえない無名君。

 これらのほとんど役に立たない能力を、決して人の役に立てないことが大日本凡人會の会則である。

 だがある日、この会則をめぐって亀裂が走り、メンバーが脱退。脱退したメンバーはその能力を駆使して他メンバーの行動を邪魔するようになる……。

 能力バトルでありながら、言うこと、やることが徹頭徹尾くだらない。

 このファンタジーとくだらなさの融合、これぞまさに森見登美彦! という感じだ。

 森見氏の他作品を楽しめた人なら迷わずおすすめできる一冊。


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