ジブリの乗り物
ジブリアニメでいちばんスリルのある乗り物は、ドーラの飛行船でもなく、ポルコ・ロッソの飛行艇でもやく、キキのほうきやトンボの改造自転車でもなく、誰が何といってもリサの軽自動車。
今はもう
ひゃくねんやすまずに チクタクチクタク
おじいさんといっしょに チクタクチクタク
いまは もう うごかない
その点P
四段論法
馬鹿な子ほどかわいい
かわいい子には旅をさせよ
旅は道連れ
→ 馬鹿は道連れ
ジブリアニメでいちばんスリルのある乗り物は、ドーラの飛行船でもなく、ポルコ・ロッソの飛行艇でもやく、キキのほうきやトンボの改造自転車でもなく、誰が何といってもリサの軽自動車。
ひゃくねんやすまずに チクタクチクタク
おじいさんといっしょに チクタクチクタク
いまは もう うごかない
その点P
馬鹿な子ほどかわいい
かわいい子には旅をさせよ
旅は道連れ
→ 馬鹿は道連れ
みんなで食べようと買ってきたじゃがりこを置いていたら、なくなっている。家族の誰かが食べたにちがいない。
買ってきてから、なくなっていることに気づくまで、家にひとりでいたのは長女だけ。
長女は学校から帰った後にときどきお菓子を食べている。だらしないのでよく机の周りにお菓子のごみが置きっぱなしになっている。
長女に「食べた?」と訊くと、知らないという。
しかし、状況的に長女以外はありえない。
「食べたらだめって言ってるわけじゃないんだよ。何も言わずに置いといたお父さんが悪いんだから。食べたからって怒ったりしないよ」と伝えた後に、「食べたでしょ?」と訊くと、やはり長女は「食べてない」と言う。
以前にも同じようなことがあって、そのときも犯人は長女だったのだが嘘をついてごまかそうとした。こいつぜんぜん反省してないじゃないか。
「なあ、食べるなって言ってるんじゃない。食べたことを隠すなって言ってるの!」と強めに叱った。長女は「知らんし……」と言ったきり黙りこんでしまった。
出勤のために家を出てからも、もう、なんで嘘を認めないんだとぷりぷりし、電車の中で「子ども 嘘 認めない」なんて検索してどう対処したら潔く嘘を認められるんだろうと考え、帰ってからも長女に対して「今日はお菓子食べたらだめだよ!」なんて冷たくあたっていた。
少しして、長女が食料品置き場をごそごそやっていたとおもったら、出てきたのだ、じゃがりこが……。
長女「あったよ」
ぼく「えっ……、どこに」
長女「べつのお菓子の袋の奥のほうに入ってた」
ぼく「あー……。ごめんなさい」
めちゃくちゃばつが悪い。
しかも、長女はそれ以上何も言わないのだ。いっそ「ほら、食べてないって言ったじゃん!」とか責めたててくれたほうがまだいいのに、何も言わないのだ。ぼくの謝罪をあっさり受け入れ、あとは普通に接してくる。余計に心苦しい。
こいつ、なんて大人なんだ……! 父親があんなにみっともないふるまいをしてというのに……!
愚かな自分を忘れぬよう、自省のためしたためる。
「厄払いしないと悪い目に遭うと脅されて行くのは嫌だから、厄年のおっさんたちが楽しく行く厄払いツアー」を今年も決行した。
早生まれのぼくは今年が本厄、同級生たちは後厄だ。
去年は厄年おっさん四人で行ったが、うちひとりは子どもの病気のため今年は欠席。しかし新たに二人を加え、おっさん五名での厄払いツアーとなった。それぞれ子どもたちも連れてきて、おっさん五名+子ども五名の大所帯だ。
去年は阪急門戸厄神駅から歩いたが、今年は甲東園駅に集合。そこから「山陽新幹線記念公園」なる公園に行く。公園から山陽新幹線が通るところをを見下ろすことができるという新幹線好きにはたまらないスポットなのだ。が、電車好きの子どもが病気により欠席だったため、特に新幹線に心躍る人はいない。「新幹線が見える」と「新幹線建設工事中に亡くなった人の慰霊碑がある」以外には何にもない公園なので、すぐに退去。そこから歩いて厄神明王のおわします東光寺へ。
去年もやってもらった「そえごま」なる厄払い儀式。八百円払う。
(去年の日記を見て気づいたのだが、去年は五百円だった。一年で六割の値上がり! 原油価格高騰の影響がこんなところにまで)
お参りをして、御守りを買う。そういえば去年ここで娘に御守りを買ってやってランドセルにつけていたのだが、少し前にその御守りが破れて穴が開いていた。ランドセルにぶらさげているだけなのになぜ穴があくのか、とおもって買いなおしたのだが、その御守り、なんと「身代わり御守り」という名前なのだ。ということは娘の身代わりになって破れたのか。御守りがなかったら娘が破れていたかもしれない。
参拝の後、近くの関西学院大学まで歩く。関西ではよく知られた名門大だ。「かんさいがくいん」ではなく「くゎんせいがくいん」と読む。小さい「ゎ」の字を使うのは関学とシークヮーサーだけだ。
関学は関係者以外でも自由に出入りできる。芝生の上では、近所の家族連れがシートを広げてお弁当を食べたり、子どもたちがボールやラジコン遊びに興じている。
偶然にも我々五人のおっさんのうち二人が関学に通っていた。だが一人は関学に一年だけ通った後他の大学を受験しなおしてそちらに移り、もう一人は関学卒業後に別の大学に入りなおした。ふたりとも最終学歴が関学でない。つまりは「関学を捨てたやつら」だ。だがそんな連中も関学は拒まない。懐の広い、いい大学だ。
関学の芝生で缶蹴りや大縄跳びやケイドロで遊び、おやつを食べた。おっさんのひとりが「嫁さんが怒っているから早めに帰るわ」とトボトボと帰っていった。後ろ姿の悲壮感がすごかった。厄払いしても、厄は家にいる。
講談社現代新書みたいな装丁だったので講談社現代新書だとおもって読んでいたら、講談社現代新書にしては内容がスカスカだなとおもってよく見たら講談社現代新書じゃなかったごめんよ講談社現代新書、講談社現代新書って書きたいだけだね。
いやあ、ほんと中身なかったなあ。
火山学の教授らしいんだけど、この本に関しては火山のことよりも歴史や文学について語っている。博識ではあるんだけど、そうはいっても歴史や文学については素人の域を出ないから、どうも語っている内容が薄い。要約みたいな内容なので、それだったらオリジナル作品にあたったほうがいいやとおもってしまう。一応火山活動にからめて語ってはいるけど。
たぶんここに書いてあることを聞いたらおもしろいんじゃないかな。ただ聞いておもしろいのと読んでおもしろいのはちがうからね。話が散漫だし、掘り下げは浅いし、読んでおもしろいもんじゃないな。編集が良くないんだろうな。講談社現代新書ならこうはならなかったはず。
「浅間山の大噴火がフランス革命の原因になった説」という俗説について。
残念ながら「浅間山が原因説」は誤りらしく、「アイスランドの火山爆発が原因説」も完全に立証されているわけではないらしい。
とはいえ、こういう話はおもしろい。歴史の話って「誰が何をした」でとらえてしまうけど、人が生きていた以上、気候とか天気とか食事とか体調とかも関係あったはずなんだよな。「あの日雨が降っていたからこうなった」「もしあのとき風邪気味じゃなかったら歴史はこうなっていた」みたいなこともあるんだろうな。あんまり記録に残っていないだけで。近ければ「桜田門外の変は雪が降っていたので成功した」みたいなのもあるけど。
もっとこういう専門分野の話を読みたかったなあ。