2023年4月26日水曜日

【読書感想文】サム・キーン『スプーンと元素周期表』 / 肉に鉛をトッピングするな

スプーンと元素周期表

サム・キーン(著) 松井 信彦(訳)

内容(e-honより)
紅茶に溶ける金属製スプーンがあるって本当?空調ダクトを清潔に保つ素材は?ネオン管が光るのはなぜ?戦闘機に最適な金属は?そもそも周期表の順番はなにで決まる?万物を構成するたった100種類余りの元素がもたらす不思議な自然現象。その謎解きに奔走する古今東西の科学者たちや諸刃の剣となりうる科学技術の光と影など、元素周期表に凝縮された歴史を繙く比類なきポピュラー・サイエンス。


 寝る前にKindleでちょっとずつ読んでたんだけど……。

 いやー、よく眠れた!

 この本を読んでいるとてきめんに眠たくなってくる。入眠前読書にぴったり。


 とにかくむずかしい。元素周期表にまつわるよもやま話がくりひろげられるのだが、たぶん素人向けに書いてくれているとおもうのだが、それでもよくわからん。

 化学は苦手じゃないんだよ。むしろ高校時代は得意だった。大昔とった杵柄だけど、センター試験の化学は満点だった。

 そんな「高校化学はざっと頭に入っているつもり」という自信をこの本はこっぱみじんに砕いてくれた。ほとんどわからねえ……。


 元素周期表の周辺のエピソードをこれでもかってほど書いているのだが、とにかくむずかしい。「ポピュラー・サイエンス」なんて書いてあるけど、とても素人向けとはおもえない。『Newton』『日経サイエンス』レベルでは太刀打ちできない。

 とはいえ断片的なエピソードの寄せ集めだから、部分部分では楽しめるところもあるんだけど。




 我々が目にする元素周期表をつくったのは、メンドレーエフというロシアの化学者だ。

 今ではあたりまえの周期表だが、つくられた当時は画期的なものだったようだ。

 第一に、メンデレーエフはほかのどの化学者より、元素には変わる性質もあれば保持され性質もあることを理解していた。ほかの化学者は、酸化(第二)水銀(オレンジ色の固体)のような化合物が、気体である酸素と液体の金属である水銀を何らかの方法で「格納している」と考えていたが、メンデレーエフはそうではないと気づいていた。むしろ、酸化水銀に含まれている二つの元素は、分離するとたまたま気体と金属になるのだ、と。変わらないのは各元素の原子量で、メンデレーエフはこの原子量こそ、各々の元素に特徴的な性質と考えた。これは現代の見方にきわめて近い。
 第二に、片手間で元素を縦横に並べようしていたほかの化学者とは違い、メンデレーエフ生涯を通して化学実験室で仕事をして、元素の感触や臭いや反応にかんするひじょうに深い知識を得ていた。(中略)そして、何より重要なのが次の事実だ。メンデレーエフとマイヤーは二人とも、表でまだ元素が見つかっていない位置を空欄として残したのだが、慎重に過ぎたマイヤーとは違って、メンデレーエフは大胆にも新しい元素が見つかるはずだと予言したのである。もっと真剣に探すのだ、化学者と地質学者の諸君、見つかるはずなのだから、と挑発するかのように。同じ列に並ぶ既知の元素の性質から類推して、メンデレーエフはまだ見ぬ元素の密度や原子量まで予言しており、そのうちのいくつかが正しいと判明すると世間からも大きな注目を集めた。さらに、科学者が一八九〇年代にガスを発見した際に、メンデレーエフの表は重大な試練に耐えた。新しい列を一つ足してガスを簡単に取り込むことができたのだ(メンデレーエフは当初、貴ガスの存在を否定したが、その頃になると周期表は彼だけのものではなくなっていた)。

 見つかっている元素を並べるのはメンドレーエフの他にも様々な人が挑戦していたようだが、メンドレーエフは「まだ見つかっていない元素を予言していた」というのだからすごい。なかなかできる発想じゃないよね。


 ところでこの本には「メンドレーエフは原子の存在を認めていなかった」という衝撃的な文章があるのだが、これホント? 原子の存在を認めていない人が元素周期表をつくったってどういうこと???

 さらっとしか書いていなくてさっぱり理解できない。ほんまかいな。

 


 

 元素はどこでつくられるのか。

 恒星(太陽のような星)がつくっているのだという。

 が、それは元素番号26(鉄)まで。それ以降の元素は、恒星でもつくられないという。

 ならば、最も重い部類の元素である二七~九二番め、コバルトからウランまではどこでつくられたのか? B2FH論文によれば、なんとミニビッグバンから出来合いの状態で出てくる。マグネシウムやケイ素などの元素を惜しみなく燃やしたあと、きわめて重い星(太陽の一二倍の質量)は、地球の一日ほどで燃え尽きて鉄の核になる。だが、果てる前に黙示録的な断末魔の叫びを上げる。大きさを維持するためのエネルギー(高温のガスなど)が突然なくなって、燃え尽きた恒星はみずからの途方もない重力によって内向きに爆発し、わずか数秒で数千キロメートルも縮む。核ではさらに陽子と電子がぶつかって中性子ができ、やが中性子のほかはほとんど残らなくなる。すると、この収縮の反動として今度は外向きに爆発する。この爆発が半端ではない。爆発した超新星は数百万キロにまで膨らみ、一カ月のあいだ華々しく、一〇億個の恒星より明るく輝く。そして、爆発中には、途轍もない運動量を持った何兆何億という粒子が毎秒信じられないほど何度も何度も衝突し、通常のエネルギー障壁を飛び越えて鉄と核融合する。これにより多数の鉄の原子核が中性子で覆われ、その一部が崩壊して陽子になることで新しい元素がつくられるのだ。天然に存在する元素とその同体の組み合わせはどれも、この粒子の嵐から吹き出てきたものなのである。

 んー、わからん! わからんけどすごい!

 さっぱり理解できないけど、このスケールにとにかく圧倒される。

 この現象、当然誰も見たことがなければ観測したこともないはずだけど、でも判明している。科学ってすごいなあ。わからんけど。



 

 化学は政治や経済にも大きな影響を及ぼしている。化学兵器がつくられたり、資源をめぐって戦争が勃発したり。

 1990年代、携帯電話を小型化するために密度が高くて熱に強くて腐食しなくて電荷をよく蓄える金属を求めた。それがタンタルとニオブで、多く取れたのがコンゴ民主共和国(当時はザイール)だった。

 当時、コンゴでは紛争が起こっていた。そこにタンタルとニオブが資金をもたらしたことで、軍に金がまわり、紛争が長引いた。また儲けを求めて農民が鉱物探しに乗り出したことで、食糧難に陥った。

 コンゴでの紛争は一九九八~二〇〇一年に熾烈を極め、ここに至って携帯電話メーカーは自分たちが無政府状態の社会に資金を提供していたことに気がついた。評価していいことだが、各メーカーは高くつくにもかかわらずタンタルやニオブをオーストラリアから買い始め、コンゴの紛争は少し鎮まった。それでもなお、二〇〇三年に停戦協定が公式に結ばれたにもかかわらず、同国の東半分、すなわちルワンダ近くでは、事態は今なおあまり沈静化していない。そして最近、また別の元素であるスズが戦闘に資金を供給し始めた。二〇〇六年、ヨーロッパ連合は一般消費者向けの製品に鉛はんだを使用することを禁じ、ほとんどのメーカーが鉛をスズに置き換えた――このスズもたまたまコンゴに大量に埋蔵されているのである。ジョゼフ・コンラッドはかつてコンゴで行われていたことを「人類の良心の歴史をすっかり汚した、最も下劣な金目当ての略奪」と呼んだが、この見方を変える理由は今のところほとんどない。
 こうしたわけで、一九九〇年代なかばから数えて五〇〇万を超える人が殺されており、第二次大戦以降で最大規模の人命損失となっている。かの地での争いは、周期表が数々の高揚の瞬間を演出するばかりではなく、人間の最も醜く残虐な本能にも訴えうることを証明している。

 間接的ではあるけれど、携帯電話が小型化したことで命を落とした人がたくさんいたんだなあ。

 化学が原因ではなく、化学が人々の中にある憎しみや凶暴性を増幅させているだけなんだけど。



 

 アルミニウム。一円玉やジュースの缶などにも使われているごくごく身近な金属だけど、かつてアルミニウムには金よりも価値があった時代もあるのだそうだ。

 二〇年後、フランス人が抽出法を工業用に拡張する方法を突き止め、アルミニウムが商業製品として手に入るようになった。とはいえ、ものすごく値が張り、まだ金より高かった。その理由は、地殻で最もありふれた金属 ―重量にして八パーセントもあり、金より何億倍も豊富である― なのに、まとまった単体としては見つからないからで、必ず何かと、たいてい酸素と堅く結合している。単体の試料を調達するのは奇跡に等しいとされた。フランスはかつて、王冠の宝石の隣にフォートノックス[訳注 金塊が貯蔵されていると言われているアメリカ陸軍基地]ばりにアルミニウムの延べ棒を展示していたし、皇帝ナポレオン三世は晩餐会で貴重なアルミニウム製食器を特別な客だけに出していた(それほどでもない客は金製のナイフやフォークを使った)。アメリカはというと、自国産業の技量をひけらかすため、一八八四年に政府の技師がワシントン記念塔の先端に六ポンド(約二・七キロ)あるアルミニウム製のピラミッド形キャップをかぶせた。ある歴史家によると、このピラミッドを一オンス削り取れば、この塔を建てた労働者全員の賃金一日分を賄えたという。

 アルミニウムを分離する方法を発見したチャールズ・ホールという化学者は莫大な財産を築いたという。

 夢があるねえ。ひとつの金属を取り出すほうほうができたことで大金持ちに。今、我々の身の周りにどれだけアルミニウムが使われているかを考えたら当然だけど。

 こういう化学者がちゃんと報われるのはいいことだ。そうじゃないケースが多いからなあ。



 

 元素のはたらきに関する説明は難解だが、化学者たちのエピソードはおもしろい。

 なかでも感服したのがド・ヘヴェシーというハンガリーの化学者の逸話。

祖国から遠く離れていても、ド・ヘヴェシーの身体は風味豊かなハンガリー料理に慣れており、下宿の賄いのイギリス料理が合わなかった。そこへきて、出される料理にパターンがあることに気づいた彼は、高校のカフェテリアが月曜のハンバーガーを木曜のビーフチリにリサイクルするがごとく、女主人が「新鮮な」と言って毎日出す肉が新鮮とはほど遠いのではないかと疑った。問い詰めたが女主人に否定され、彼は証拠を探すことにした。
 (中略)
彼はある晩、夕食で肉を多めに取ると、女主人が背を向けている隙に「やばい」鉛を肉に振りかけた。女主人はいつものように彼の食べ残しを回収し、ド・ヘヴェシーは翌日、研究所の同僚だったハンス・ガイガーの新しい放射線検出器を下宿に持ち込んだ。ド・ヘヴェシーがその晩出された肉料理に検出器を向けると、案の定、ガイガーカウンターはカリカリカリカリと勢いよく音を立てた。ド・ヘヴェシーはこの証拠を突き付けて女主人を問い詰めた。だが、科学の徒として、放射性現象の不思議の説明に必要以上に念を入れたに違いない。科学捜査の最新ツールを駆使して証拠を鮮やかに押さえられた女主人は、感心してまったく怒らなかったという。ただ、それを機にメニューを変えたかどうかは記録に残っていない。

「一度下げた肉を使いまわしているのではないか」という疑念を確かめるために、鉛とガイガーカウンターで検証……。化学者らしいクレイジーなエピソードだ。

 ちなみに鉛は人体に有毒ですからね。ぜったいに真似をしないように。


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2023年4月25日火曜日

【読書感想文】麻宮ゆり子『世話を焼かない四人の女』 / 自由に生きられる生きづらさ

 世話を焼かない四人の女

麻宮ゆり子

内容(e-honより)
住宅メーカーの総務部長を務め、土曜夜は会社に内緒の別の顔を持つ水元闘子。宅配便のドライバーをしている元ソフトボール選手の榎本千晴。鋭敏過ぎる感覚を持ち、ドイツパン作りに情熱を燃やす石井日和。女と逃げた夫の小さな清掃会社を育て上げた会沢ひと美。仕事の悩みや将来への不安に揺れる四人の女たちが踏み出す一歩。読めばすっと心が軽くなる連作短編集!


 著者のデビュー作『敬語で旅する四人の男』が、デビュー作とはおもえないほどいい小説だったので、似たタイトルの『世話を焼かない四人の女』も読んでみた。

 ふむ、こちらも悪くない。めちゃくちゃおもしろかった! というほどでもないけど、ゆっくり身体に染みわたってゆく味噌汁のような小説。


『敬語で旅する四人の男』の登場人物のひとりであった斎木くんが登場するのもうれしい。四篇ともに登場して、『世話を焼かない四人の女』というタイトルでありながら真の主人公は斎木くんかもしれない。

 自閉症スペクトラム障害で他人の気持ちをまるで理解できない斎木くんが、今回も物語を動かす上でいいアクセントになっている。男性以上に「他人に気を遣うこと」が求められる女性だからこそ、まるで気を遣わない斎木くんに良くも悪くも刺激をもらうのだろう。

 まあこれは小説だからであって、実際に斎木くんがいたら嫌われ避けられるだけだろうけど(斎木くんが超美形という設定はずるいとおもう)。




 離婚歴があり、会社では身だしなみをとりつくろうことをやめた女の『ありのままの女』、愛想がないと言われるセールスドライバーの『愛想笑いをしない女』、感覚が鋭敏すぎるがゆえの悩みを抱える『異能の女』、主婦をやっていたのに夫の失踪を機に社長をやることになった『普通の女』の四篇を収録。

 主人公となる女たちは、それぞれ「女だから部下から反発される」「女だからなめられる」「女だから男以上に愛嬌を求められる」という生きづらさを抱えている(『異能の女』の主人公の生きづらさはあんまり性別と関係ないけど。敏感すぎる人はむしろ男のほうが生きづらいとおもう)。

 きっと多かれ少なかれ、現代日本で働く女性たちが抱える悩みなのだろう。


 近代以降の女性の社会進出の歴史を探った斎藤 美奈子『モダンガール論』を読んだときにおもった。女性が生きづらいのって、選択肢が多すぎるからなんじゃないかって。

 どういうことかというと、この百年で女性の社会進出は飛躍的に進んだ。もちろんまだまだ差別は残っているけど、それでも百年前に比べれば天と地の差だ。

「女に教育なんて必要ない!」の時代から「良妻賢母」の時代となり(今では想像しにくいが良妻賢母は女性に教育・就職の機会を増やすための思想だった)、戦争で男手が不足したことにより女性の社会進出を経て、戦後は少しずつ働く女性が増えていった。今では、結婚・出産後も働く女性も、資格職について高給を稼ぐ女性も、社長となる女性もめずらしくない。様々な生き方が選べるようになった。つまり選択肢が増えた。

 その結果、女性は生きやすくなったのだろうか。「女は高校か短大を出たら数年腰かけOLをして寿退社して専業主婦」の時代よりも生きるのが楽になったのだろうか。

 決してそんなことはないだろう。「生きやすさ」を比べる指標はないけれど、平均をとればひょっとしたら生きづらくなっているかもしれない。

 だとすると、それは「他の選択肢がある」ことに由来するんじゃないだろうか。あるいは「他の選択肢があるとおもわれていること」か。

「専業主婦/兼業主婦」の道もあるとおもわれるから、仕事でもなめられる、給与も上がらない、昇進しにくい。また「他の生き方もあったのでは」とおもうからこそ隣の花が赤く見え、悩み苦しむ。

 なんだかんだいっても男の道は狭い。主夫になる人はごくわずか。「仕事をせずに生きていく」「短時間労働で生きていく」という選択肢はないに等しい。それはそれでしんどい面もあるけれど、仕事に慣れてさえしまえば意外と楽だ。ぼくは無職だった頃よりサラリーマンになってからのほうがずっと楽に生きている。


「いろんな生き方をしていいんですよ」「自分らしく生きましょう」という言葉は美しいけど、決して人を楽にしてくれるわけじゃないよね。ほとんどの人にとっては「あんたにとっての幸せはこれ! こう生きなさい!」と誰かに決めてもらったほうがずっと楽に生きられるんだろうね。

 だからといって今さら時計の針を巻き戻すことはできないんだけど。


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2023年4月24日月曜日

【読書感想文】ロバート・ホワイティング『ニッポン野球は永久に不滅です』 / プロ野球界でいちばん大変なのは通訳

ニッポン野球は永久に不滅です

ロバート・ホワイティング(著) 松井 みどり(訳)

内容(e-honより)
近くて遠い“野球”と“ベースボール”―かつてニッポン野球を賑わしたすごいガイジンがいた。変なガイジンもいた。彼らの活躍を語りながら、滞日20年のジャーナリストの眼を通して見る“日米野球摩擦”の現場。そして、愛と皮肉をこめておくる刺激的なニッポン人論。

 1985年刊行。

 アメリカ人ライターが書いた、日本プロ野球論(なぜかメキシコ野球についてもページが割かれているが)。


 この著者がアメリカ人に向けて日本野球を説明した『和をもって日本となす』がめっぽうおもしろかった(昨年のナンバーワン読書だった)ので期待して読んだが、『ニッポン野球は永久に不滅です』のほうはコラムの寄せ集めで、かつ時代性が強いものだったので、今読むとわかりづらい。

 今から四十年前に活躍した外国人選手の名前があたりまえのように出てくる。さすがに40年近くたった今読むには無理があったか。




 選手について書かれたところよりも、通訳の仕事についての記述のほうがおもしろかった。

 とにかくたいへんそう。

「ガイジンの1年目、特に最初の2ヵ月間がきつくてね」と中島国章。ジョー・ペピトーンの頃からヤクルトの通訳を勤めている。「ガイジンが日本の生活にスムースに入っていけてるかどうか見守るのが僕の仕事なんだ。球場の中はもちろん、プライベートなことまでね。マンション捜しに始まって、家具の買い物を手伝ったり、奥さんにいろんな店を教えてやったり、子供達にいい学校を見つけて、通学が可能かどうか確かめたり……。まあ一日24時間待機ですな。真夜中に子供が病気にでもなれば、飛び起きて病院まで連れていかなくちゃならない」
 中島は言う。
「練習が長すぎるとか、コーチが口出ししすぎるとか、監督にけなされたとか、そういうアメリカ人の不平不満を聞いてやらなくちゃならないんだ。彼らと話しができて、情況を説明してやれる人間は、たいてい僕しかいないわけよ。とにかく何から何まで事情が違い過ぎるんだな。時には彼の心理学者、アドバイザー、時には友達……。アメリカ人の世界に入って行って、興味をもって話を聞いてやる。そうすれば孤立感を深めなくて済むからね。彼の考え方とか、困っていることを僕が理解できれば、監督だって手の打ちようがあるというものだろう? 精神的な悩みがあったら、とてもプレーどころじゃないからね。彼をハッピーにしてやること、うまくいくように手助けすること、それが僕の役目なんだと思っている」
「彼をチームに解け込ませるようにしなくちゃいけない。日本の選手が食事に誘ってくれたらしめたもんさ。ガイジンと付き合ってもいいな、という気になり始めた証拠だからね。もし僕が疲れていて断るとするだろ。そのとたんに行きたくないんだと誤解されて、もう二度と誘ってくれないんだ。その日本人選手とアメリカ人選手が知り合いになれるチャンスはそれっきりなくなっちゃう。 通訳ははにかみ屋じゃ勤まらない。チームのハーモニーを保つためにも、人なつっこくて気さくでなくちゃだめさ。(後略)」

 通訳という立場でありながら、通訳の何倍もの他の仕事がある。外国人選手の通訳となり、秘書となり、コーチとなり、友人とならなくてはならない。

 グラウンドの上だけでなく、ミーティング、休憩中、移動中、宿舎、オフの日にいたるまでずっと外国人選手の身の周りの世話を焼かなくてはならない。人によってはトスバッティングのボールを上げてやったりまでするという。

 球団関係者で、いちばんきつい仕事をしているのは選手でも監督でもなく、ひょっとすると通訳かもしれない。

 これで給料はふつうのサラリーマンぐらいというのだから、ふつうの神経ではやっていられない。能力、拘束時間、責任、ストレスなどを考えたら年俸数千万ぐらい出してもいい仕事だとおもうなあ。




 すべての通訳が口をそろえて「そのまま通訳してはいけない」と語っているのがおもしろい。

 監督が放った失礼な言葉、コーチが口にする的外れなアドバイス、外国人選手が叫んだ罵詈雑言。それらを逐一翻訳していたら、たちまち喧嘩になって選手たちは帰国してしまうだろう。だから「まったくべつの言葉に変換する」技術が求められるそうだ。

 延長12回の末、中日ドラゴンズをシャットアウトしたクライド・ライト。直後のテレビ・インタビューで「どんなお気持ですか?」という質問に、間延びした口調で答えた内容は、まったくもって日本的じゃなかった。
「そうだなぁ、実を言うとよぉ、勝ったか負けたかなんて俺にはどーでもいいんだわさ。早いとこ試合を終わらせて、さっさと家に帰って寝たかったなぁ」
 これを受けた田沼通訳の如才ない翻訳――
「僕は一生懸命やりました!勝てて本当によかったと思っています」。これで波風がたたなくてすんだ。

 と、こんなふうに。

 ここまで極端じゃなくても、〝日本的〟な発言を求められる場面は随所にある。

 たとえばヒーロー・インタビューで記者から「打席に立ったとき、スタンドはすごい声援でしたね。いかがでしたか?」と訊かれた場合、〝日本的〟な答えは「ファンのみなさんが打たせてくれたヒットです!」であって、他の答えはすべて不正解だ。まちがっても「集中していたので声援は耳に入りませんでした」とか「適度なトレーニングと休息のおかげで良いコンディションを保っていたからだよ」なんて答えてはならない。

 もちろん「ファンのみなさんが打たせてくれたヒットです!」が嘘であることは、選手も記者もファンもみんな知っている。それでもそう言わなくちゃいけない。それが〝日本的〟なふるまいであるから。

 ここで外国人選手の発言をそのまま訳せばファンや他の選手はおもしろくないし、「あんたのその発言はまちがってるよ」と言ったところで外国人選手は納得しないだろう(じっさい間違ってないのだから)。

 そこで、通訳がまず「英語→日本語」の翻訳をおこない、その後に「訳した日本語→〝日本的〟な日本語」に翻訳をするわけだ。めちゃくちゃすごいことやってるなあ。




 コーチ口出しすぎ問題。

 通訳が否が応でも直面しなくてはいけない「異文化の交差点」は、ウェイティング・サークルの問題だ。日本のほとんどの監督が、そこで打順を待つバッターに何らかのアドバイスをしなくてはいけないものだと思っている。(「低めのシュートに気をつけろ」とか「高めのカーブをよくねらえ」とか、その他もろもろのありがたい入れ知恵をする……)
 ところが、たいていのアメリカ人は干渉されるのが大嫌いときてる。アメリカで監督に放任されるのに慣れているからだ。
 ロッテのレロン・リーのコメントはそれをよく物語っている。
「バッターとして言わせてもらうけど、打順を待つ間に他の誰とも口なんかききたくないね。せっかく精神を集中してたのに、ひっかき回されちゃうからさ。俺が頭の中で『スライダー』を浮かべてるっていうのに、飛んで来た通訳に、『シュート』だなんて言われてみな。気になって打てやしないさ」
 サンドイッチマンの根本的なジレンマがここにある。監督の言葉を伝えるのは義務だし、アメリカ人には「こっちの身にもなれよ」とぴしゃりと言われてしまう。

 これは野球界、外国人に限った話ではないよね。

 たとえばプログラムのプの字も知らないのに、プログラマーに対して「こうすればもっと効率化できる」なんて言う上司、きっとあなたの会社にもいるでしょう?


「部下のやりかたに口を出すのが仕事」とおもってる上司が多いからね。今もなお。

 この本には「メジャーリーグで名内野手としてならした外国人選手に対して、ゴロのさばきかたをアドバイスしようとする外野手出身のコーチ」が紹介されているが、これに近い例はいくらでもある。

 プロ野球の世界なんて、何十年も前に引退したおじいちゃんがいまだにテレビでえらそうに「ああしろ、こうしろ」って言ってるからね。あいつらなんか仮に肉体が若返ってもぜったいに今のプロ野球では通用しないのに。

 だいたいプロ野球のコーチなんてほとんどが選手出身で、コーチとしての専門教育を受けてきたわけではない。そして野球のレベルは年々高くなっているのだから、ほとんどの場合は選手のほうがコーチよりもよくわかっている。そうでなくても自分の身体のことはコーチよりも選手のほうがわかるだろうし。

 それでも何か言いたくなる、言わずにはおれないコーチが多い。

 あれは、わからないからこそ言いたくなるんだろうね。自分がわからないから、疎外感を解消するため、あるいは権威を見せつけるために(じっさいは逆にばかにされるだけなんだけど)あれこれと口出しをする。


 そういやぼくが前いた会社でも、営業職出身の上司が、営業社員よりもプログラマや事務職の人間に対して、やれ効率化がどうだとか、仕事のやりかたがどうだとか、愚にもつかないことを言っていた。

 具体的なアドバイスはなにひとつできないから、やれ気合が感じられないだの、士気を上げろだのといったとんちんかんな根性論しか語れない。

 わからないからとんちんかんなことを言う → ばかにされる → ばかにされていることだけは感じ取って挽回しようとする → ますます権威をふりかざして口を出す → ますますばかにされる という流れだ。

 上司がやるべき仕事は「部下のやりかたに口を出す」ではなく「部下のやりかたに口を出さない」のほうが大事なんだろうね。そっちのほうがずっとむずかしい。

 ぼくも気を付けよう。




 プロ野球の話というより、日米比較文化論として読んだ方がおもしろいかもしれない。

 日本プロ野球界の話なのに、日本全体にあてはまることが多いからね。


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2023年4月17日月曜日

おためごかしの嘘

  人並みに嘘を憎んでいて人並み以上にほらを吹くぼくだが、嫌いな嘘がある。

 それは「おためごかしの嘘」だ。

 あんたのためにやっていることなんですよ、という嘘だ。


 具体例を書こう。

 テーマパークやスタジアムにおける「飲食物の持ち込みは、食中毒などのおそれがあることから禁止とさせていただいております」、おまえのことだ。


 嘘つけー!!!!



 いやいや。どう考えてもほんとの理由は「こっちは相場より高い値段で飲食物を提供して儲けたろうとおもってんのに持ち込みされたらかなんわ」だろ。


 ことわっておくが、持ち込み禁止自体に不服があるわけではない。公共施設とかならともかく、民間団体が営利目的で運営している施設であれば、儲けるためのシステムをつくるのは当然だ。

 相場より高いのも、その割に量が少なくて出来あいの料理でおいしくないことも、ある程度はしかたないとおもっている。テーマパークやスタジアムに安くてうまい飯なんてはなから期待していない。

 気に食わないのは、「お客様のためをおもって禁止にさせていただいているのです」という態度だ。

「金儲けのためって言えばあんたらはケチやから文句言うんでっしゃろ。せやからあんたがたの健康を守るためっていう理由にしてるんですわ」という、客をなめきった姿勢が気に入らない。

 おまえらの魂胆なんか見え見えなんじゃい!


 増税もさ、福利厚生充実のためとか「あなたたちのためにやってあげてるんです」みたいな言い訳するんじゃなくて、「今年度苦しいんですわ。もう火の車で」みたいに本音を吐露してくれよ! ……だとしてもイヤだけど!



2023年4月13日木曜日

スポーツのずるさ

 スポーツはずるい。

 なにがずるいって、ずるさを認めないところがずるい。


 たとえば、野球の盗塁。

 世界で最初に盗塁がおこなわれたとき、ぜったいに物議をかもしたとおもうんだよね。

「おいおい、何勝手に2塁に走ってるんだよ。戻れよ」

「なんで?」

「なんでって……ずるいだろ、そんなの」

「ルールに書いてあるの? ピッチャーが投げてる間に2塁まで走ったらいけませんって」

「それは書いてないかもしれないけど……。でもわかるだろ、ふつうに考えて」

「おれはふつうに考えて、走っていいとおもったんだけど。文句があるならそれがダメって書かれたルールブック持ってこいよ」

「う……。わかったよ、じゃあいいよ2塁進塁で。その代わりこっちも同じことやってやるからな!」

「ああいいぜ、言っとくけど、2塁に到達する前にボール持った野手にタッチされたらアウトだからな!」

みたいなやりとりがあったはずだ。ぜったい。

 でなきゃ steal(盗む)なんて名前がつけられるはずがない。


 送りバントも、敬遠四球も、変化球も、牽制球も、最初はずる扱いされたにちがいない。かくし球やトリックプレーに関しては言うまでもない。

 これずるくないか? とおもわれつつ、でもルールで明確に禁止されてるわけじゃないからしょうがないか、みたいな感じでしぶしぶ認められたプレーだ。

 野球だけではない。

 サッカーのヘディングだって、バレーボールの時間差攻撃だって、柔道の寝技だって、ボクシングのクリンチだって、最初はずるだったとおもう。でも今ではテクニックとして認められている。


 断っておくが、これはぜんぜん悪いことではない。

 ルールから逸脱しないぎりぎりの範囲で、いかに相手の裏をかくか、相手を騙すか、相手の嫌がることをするか、自分だけが利することをするか。これこそがゲームの醍醐味だ。

 たとえばテーブルゲームの世界で「ルールの範囲内で相手をだます」はまったく悪いことじゃない。むしろ見事なプレーだとして褒められる。

 将棋で「歩をさしだしたのは、桂馬を手に入れるためだったのか。だましたな! ずるいぞ!」とか「王将が逃げざるをえないのをいいことに、王手飛車取りをかけるとは、なんて汚いやり方だ!」なんて責められることはない(ちっちゃい子どもは言うが)。うまく相手をだます人が一流のプレイヤーだ。

 

 テーブルゲームでもスポーツでも、対人ゲームのおもしろさは「相手をいかにうまくだますか」にある。だからだますことはぜんぜん悪くない。ずるくない。

 じゃあスポーツの何がずるいかというと、だましたりしませんみたいな顔をするところだ。

 正々堂々、正面からぶつかります。

 フェアプレーを学ぶことは青少年の健全な発達につながります。

 こういうことを言うところが、ずるい。

 掃除の時間にふざけるやつは、悪いけどずるくはない。先生が見にきたときだけ、ぼくずっとまじめに掃除やってましたよみたいな顔をするやつはずるい。

 スポーツ界がやっているのはまさにそれだ。相手によって「悪い顔」と「いい顔」を使い分けている。これがずるい。

 そんなに正々堂々やりたいなら「右四つからの寄り切りを狙います!」と宣言してから立ちあいなさいよ。「内角低め、カーブ」と宣言してからその通りに投げなさいよ。


 正々堂々やっていると言っていいのは、陸上競技ぐらいのものだろう。四百メートル走も走り高跳びも砲丸投げも十種競技も、相手をあざむくことはない。己の記録を伸ばすことだけが勝利に近づく。そこに「いかに相手をだますか」という視点はまるでない。

 だからほら、陸上競技って見ていてつまらないでしょ?