2022年6月3日金曜日

漫画読むのだりー

 漫画読むのだりー

とおもう日が来るとはおもわなかった。


 ぼくは漫画が大好きだった。小説やノンフィクションも好きだが、漫画のほうが好きだった。小説も好きだったが、どっちかっていったら「お金がなくて漫画が買えない」「図書室には漫画がない」「漫画を人前で読むのは恥ずかしいからかっこつけて小説を読む」みたいな消極的な理由で、できることなら漫画ばかり読みたかった。

 母親がぼくに語ってくれたエピソードがある。ぼくが小学生のとき、いっしょに買い物に出かけ、買い物をする間ぼくを本屋で待たせておいた。母親が戻ってくると、息子がむずかしそうな小説を読んでいる。感心感心とおもって「一冊買ってあげるよ」と声をかけると、息子はうれしそうに小説を棚に戻し、漫画コーナーへと走っていったという。つまり「ほんとは漫画を読みたいけど漫画はシュリンクされていて立ち読みできないので小説を読んでいただけ」だったのだ。

 小学生のときはこづかいが少ないから漫画は月一冊しか買えなかったし、中高生のときも遊ぶ金がほしくて漫画はそうそう買えなかった。ほんとにほしい漫画(『行け!稲中卓球部』とか『王様はロバ』とか)を月に一冊ぐらい買うだけだった。
 その点、文庫本は安かった。古本屋だと百円で買えたし、近くの公民館でやってたバザーではなんと一冊十円で買えた。おまけに活字の本は一冊読むのに時間がかかる。漫画だったらあっという間に読んでしまうが、活字の本は数日はもつ。ぼくが活字の本をたくさん読んでいたのは「漫画が買えなかったから」だ。


 大学生になると、バイトなどである程度お金に余裕もできて、思う存分漫画を買えるようになった。おもえばこの頃がいちばん漫画を読んでいた。

 今のようにネット上で試し読みもできないし、ネットでレビューも見られなかった時代。どうやっておもしろい漫画を買っていたとおもう? 若い人には想像もできないかもしれない。

 答えは「表紙だけで買ってみる」である。

 表紙と裏表紙の絵、作品タイトル、帯に書かれたわずかなコメント。そういったものを頼りに「おもしろそう」なものを買ってみるのだ。ときには作者のペンネームで選ぶこともある(黒田硫黄なんてはじめはペンネームのセンスだけで選んだようなものだ)。

 あとはブックオフにもお世話になった。ブックオフは立ち読みできたからね。


 大学を卒業してからも漫画はたくさん読んでいた。無職時代は時間だけはあったので漫画喫茶に行ったり、古本屋でまとめ買いをしたりして、『ジョジョの奇妙な冒険』『SLAM DUNK』『H2』などの数十巻ある作品を数日で一気読みしたりしていた。

 その後、書店で働きはじめると「まだ流行っていない作品」の情報が入るようになった。知らない人も多いが、書店に届いた時点ではコミックはまだシュリンクがかけられていないのだ。品出しをする書店員は読み放題なのである(もちろん仕事があるからじっくりは読めないけど)。

『聖☆おにいさん』も『テルマエ・ロマエ』も『俺物語』も『ママはテンパリスト』も『ダンジョン飯』も、「この漫画がすごい!」に選ばれるよりずっと先におもしろさを知った。


 だが、書店員を辞めてから急速に漫画を読まなくなった。読むのは、以前から買っていたシリーズのみ。新たに開拓をすることはほとんどなくなった。今では継続的に買っているのは『HUNTER×HUNTER』と『ヒストリエ』だけ。どっちもなかなか新刊が出ないので(いつ出るんだ!)ぜんぜん買っていない。

 今では漫画を買うのは年に二、三冊だ。それも短篇集とか一巻だけを単発的に買うだけで、何十巻も続くシリーズを継続的に買うということはない。経済的には今がいちばん余裕があるのに、電子書籍のおかげで保管場所の心配もしなくて済むようになったのに、今がいちばん漫画を買っていない。


 自分でも驚くことに、漫画を読むのがめんどくさくなったのだ。学生時代には想像すらしなかった。漫画一日中でも読めた。さほどおもしろくなくても、漫画があればとりあえず読んだ。

 ところが今じゃ漫画を読むのがめんどくさい。気になる漫画がないではないが、「連載作品を買って長く付き合っていくのがめんどくさいなあ」とおもうようになった。「三巻まで無料!」なんて広告を見ても心を動かされなくなった。「読んでみておもしろくなかったらイヤだし、おもしろかったら四巻以降も買わなきゃいけないからそれはそれでイヤだ」とおもうようになった。


 もちろん、今の漫画がつまらないなんて言う気はない。今の漫画は歴史上最高におもしろいのだろう。ただ、ぼくが歳をとってしまっただけだ。

 そういや母もそうだった。
 ぼくの母はかつて漫画好き少女だったらしく、家には手塚治虫の古い漫画がたくさん置いてあった。我が子にも手塚治虫漫画を買ってくれた。

 だがぼくの知っている母は漫画をほとんど買わなかった。たまに気まぐれで『ガラスの仮面』や『動物のお医者さん』を買ってきてくれたが、あまり読んでいる様子はなかった。小説はよく読んでいたが。

「漫画好きなのになんで漫画読まないんだろう」とおもっていたが、あのときの母とほぼ同じ歳になってわかった。漫画を読むのはけっこうめんどくさいのだ。人によっては、活字の本よりも。


 ということで、若い人に言いたいのは、今のうちに漫画をたくさん読んでおいてもいいし、読まなくてもいいし、おまえがどうしようがこっちは知ったこっちゃねえしよく考えたら若い人に言いたいことなんてべつになかったわ。


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新成人

義務教育

ダメ親

アミラーゼ

アナグラム

専門医

録音

デブの発想



2022年5月30日月曜日

爆弾犯あれこれ

「爆弾犯」という言葉がある。

「凶器」+「犯」という呼び方、他ではちょっとお目にかかれない。

「ピストル犯」や「ナイフ犯」はほとんど聞かない。

 Google検索をしてみたら、"爆弾犯"の検索結果37,500件に対して"ピストル犯"は103件、"ナイフ犯"は575件だった。爆弾よりもナイフのほうが圧倒的に多くの犯罪に使われていることをおもえば、「爆弾犯」だけが突出していることがうかがえる。


「凶器」+「犯」という呼び方はなかなかおもしろい。

「ナイフ犯」だとナイフで刺すか脅すかしたのだろうとだいたい想像がつく。

「カメラ犯」だと盗撮でもしたんだろうなとおもう。

「バールのようなもの犯」はよくわからないけどとにかく何かをこじあけたのだろう。

「自動車犯」はむずかしい。ひき殺したのかもしれないし、あおり運転かもしれない。逃走の手段に使ったということも考えられるし、自動車を盗んだということもありうる。


「凶器」+「犯」は「爆弾犯」ぐらいかな、と考えていたらもうひとつおもいついた。「知能犯」だ。凶器とはちがうが、「犯行に使われたもの」+「犯」になっている。

 しかしこれまたどうして知能だけなのだろう。同じ理屈でいえば、殴ったら「拳犯」、痴漢は「掌犯」、詐欺は「口犯」でもよさそうなものなのに(詐欺は知能犯か)。


 犯行に使われなさそうなイメージの言葉に「犯」をつけてみると想像がふくらむ。

 ラブレター犯、カフェラテ犯、おりがみ犯、アブラゼミ犯……。

 どんな犯罪なんだろうとわくわくする。小説の題材になりそうだ。


 爆弾犯や知能犯は例外で、ふつうは「行為」+「犯」で呼ぶ。殺人犯、ひき逃げ犯、ひったくり犯、食い逃げ犯、万引き犯、盗撮犯、窃盗犯。

 これまた例外があり、「犯」以外の字を使うこともある。

 たとえば。詐欺。詐欺犯ではなく詐欺師と呼ぶ。ペテン師、スリ師も「師」チームだ。

 どうして「師」なのだろう。「師」といえば、教師、講師、恩師、牧師などものを教えてくれる人や、医師、薬剤師、絵師、漁師、猟師、講談師、漫才師、呪術師などあるジャンルで高い能力を持った人を指す。そりゃあペテン師や詐欺師も一芸に秀でてはいるが、わざわざ「師」の字をつけなくたっていいのに。ぼくが医師や猟師だったら「詐欺野郎といっしょにしないでくれ」と言いたくなる。


 痴漢もわざわざ「漢(おとこ)」と呼んでいる。「痴犯」でいいとおもうのだが。

 そりゃあ圧倒的に男が多いわけだけど、女が電車内で別の人のおしりをなでまわしたらなんと呼ぶんだろうか。やっぱり痴漢だろうか。「痴女」だと意味が変わってしまう。たぶんだけど「痴漢女」とか呼ばれるんだろう。デビルマンレディーみたいに男なのか女なのかよくわからない呼び名だ。


「爆弾犯」の話に戻る。

 よく見ると、とても物騒な三文字熟語だ。「爆」も「弾」も「犯」もみんなそれぞれ暴力的な響きがある。

 三文字とも暴力的な熟語。他にあるだろうか。

 おもいついたのは「銃撃戦」「剣闘士」「争奪戦」「核戦争」「死刑囚」とか。あと昔の力士で「戦闘竜」とか。



2022年5月27日金曜日

【読書感想文】花村 萬月『笑う山崎』 / 愛と暴力は紙一重

笑う山崎

花村 萬月

内容(e-honより)
マリーは泣きそうな子供のような顔をした。「なにする!」圧しころした声で言った。「犯しに来た」その一言で、マリーは硬直した。冷酷無比の極道、山崎。優男ではあるが、特異なカリスマ性を持つ彼が見せる、極限の暴力と、常軌を逸した愛とは!フィリピン女性マリーを妻にしたとき、恐るべき運命が幕を開けた…。

 この小説の主人公・山崎はとんでもない男だ。ヤクザからも恐れられ、些細なことで初対面の女の顔面を殴ったり、敵対する人間には残虐な拷問をおこなって殺したりもする。それでありながら、京大中退の過去を持ち、色白細身、下戸、喧嘩は弱い。

 漫画『ザ・ファブル』を想起するが、あっちはもはや〝単に強いだけの善人〟だが山崎のほうはあくまで悪人だ。敵とみなした相手はどこまでも追い詰める。死ぬ覚悟ができている相手を助け、食事や女に触れさせて生きる気力が湧いてきたところで拷問にかけて殺すなんていう悪魔のような所業もおこなう。

 とことんワルでありながら、山崎はなんとも魅力的なキャラクターだ。どこか憎めない(もちろん近づきたくないが)。稀代のダークヒーローである。

 あ、エロとグロと暴力の描写がきついし、すかっとする部分もあるけど基本的に山崎は極悪非道のクズ野郎なので胸糞悪いくだりも多い。万人におすすめはしません。




 山崎は血のつながらない娘・パトリシアを溺愛し振り回される一方で、さして怨みもない相手に残虐な仕打ちを加える。慕ってくるヤクザに対して優しさを見せるが、銃撃されたときは平気で盾に使う冷徹さも持っている。どうも一貫していない。行動がちぐはぐな印象を受ける。

 物語のラスト、自身の行動原理を問われた山崎は答える。

「愛だよ、愛」

 これだけ見たらじつに安っぽい言葉だ。「愛だよ、愛」なんて歯の浮くような台詞を吐く人間は信用できない。ましてヤクザと濃密なつながりのある男が口にしたら冗談にしか聞こえない。

 しかし、ここまで読んで山崎という男の不器用きわまりない生き方を見てきたぼくとしてはおもう。まったく、その通りだと。山崎はまさしく愛に生きているのだと。

 山崎だけでない。山崎を取り巻くヤクザや情婦たちも愛を求めて生きている。

 もっとも彼らの愛はみんな歪んでいる。登場人物の多くは親の愛を知らぬまま大人になり、それを別のもので埋め合わせようとしている。
 彼らにとっての愛の表現は、女の顔面を殴りつけることだったり、身代わりとなって死ぬことだったり、誘拐した少女をあちこち連れまわすことだったり、覚醒剤を欲しがる男の代わりに手に入れてやることだったり、一般常識からすると狂っている。

 しかしぼくはおもう。歪んでいるからこそ愛なんじゃないか、と。

 常識で測れるものは愛じゃない。「こうした方が得だから」「こっちのほうが世間的に認められるから」という原理で動くのは愛とは言わないだろう。

 親から子への愛だって同じだ。どんなに悪い子でも、どんなにダメな子でも、献身的に尽くす。それこそが愛。親とはそういうものだとおもっているけど、冷静に考えればいかれている。

 そして愛と暴力はけっこう近いところにいるとおもう。

 ぼくが誰かを殴ったのは中学生のときが最後だ。それ以来誰も殴ったことはないし、殴ろうとおもったこともなかった。数年前まで。
 でも最近はある。相手は、娘だ。こっちが娘のことを大事にして、心配して、甲斐甲斐しく世話を焼いてやる。にもかかわらずまったく言うことを聞いてくれなかったり、露骨に反発されたりすると、つい手を出したくなる。

 どうでもいい相手のことは殴ろうとおもわない。殴っても損をするだけだから。そもそもそこまで他人の行動に感情を動かされない。でも、愛する娘のことは猛烈に憎くなることがある。愛と暴力は近いところにある。


 徹頭徹尾いびつな愛を見せつけてくれる、愛と暴力にあふれた小説だった。


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