2021年5月27日木曜日

【読書感想文】21世紀の子どもも虜に / 藤子・F・不二雄『21エモン』

21エモン

藤子・F・不二雄

内容(e-honより)
おんぼろホテル「つづれ屋」の跡取りで宇宙に憧れる少年・21エモンと、テレポーテーション能力を持つ絶対生物・モンガー、イモ掘りに執念を燃やすアクの強いロボット・ゴンスケなど、豊かなキャラクター性も魅力です。

  七歳の娘のためが半分、ぼくが読みたいからが半分という理由で『ドラえもん』の単行本をどんどん買っていたら、ほとんどコンプリートしてしまった(大長編も含む)。

 そんなときに古本屋で『21エモン』を見かけたのでまとめて購入。
 ぼくが子どものころにテレビアニメをやっていたのだ。好きだったなあ。美空ひばりの『車屋さん』をリメイクしたOPテーマ曲も、「ベートーベンに恋して ドキドキするのはモーツァルト」というわけのわからない歌詞のエンディング曲も好きだった。
 もちろん本編もおもしろかった。21エモンが宇宙で死にそうになるシーンはほんとにドキドキした。


 ……と、「おもしろかった」という記憶だけはあるのだがストーリーはほとんどおぼえていない。
 大人になって改めて読み返して「こんな話だったのか」と新鮮な気持ちを味わった。


『21エモン』の舞台はもちろん21世紀。
 手塚治虫作品もそうだけど、昭和時代にとって〝21世紀〟って遠い未来だったんだなあ(鉄腕アトムなんか2003年誕生だからね)。
『21エモン』のトーキョーは宇宙から観光客がどんどん押しかけてくるし、車は空を飛ぶし、ロボットは人間並みの知能を持って二足歩行している。未来~!

 その割に「宇宙からの電話代は高い」とぼやいたり、宇宙に行った21エモンが地球に宛てて手紙を書いたり、映像はカセットテープを入れ替えていたり、情報・通信の分野は昭和の延長なのがおもしろい。インターネットとか電子メールとかマイクロメディアとかは想像の範囲外なのだ。


『21エモン』は藤子・F・不二雄作品の中ではマイナーなほうだけど、王道の少年SF冒険話だ。
 随所にちりばめられる科学知識や、テンポのよいギャグなど、藤子・F・不二雄らしさが存分に発揮されている。子どもは惹きつけられるよなあ。

 ただ、大人になった今読むと少々退屈な面もある。
 中盤までは「つづれ屋(21エモンの父親が経営するホテル)に泊まりに来た宇宙人の独特な性質・風習のおかげでドタバタ騒動に巻きこまれる」というパターンがくりかえされ、少々飽きる。大人からすると先の展開が読めるし。

 そしてキャラクターが薄味だ。
 21エモンは「宇宙に行きたい」という強い意志を持っている以外はとりたてて特徴のない少年。秀でたものはないが、のび太ほどダメでもない。性格もぼんやりしている。

 マスコットキャラクター的存在であるモンガー。
 どんな環境でも生きられ、何でも食べてエネルギーにでき、テレポーテーション能力を持つというすごい生物でありながら、ドラえもんやオバQほどの個性はない。こちらもあまり我が強くなく、最終的には「ときどきテレポーテーション能力を使ってくれる21エモンの友人」ぐらいのポジションに収まってしまう。
 ちなみに当初は「一週間に一言しかしゃべれない」という設定だったのだが、藤子・F・不二雄先生がこの設定を持て余したのか、途中からべらべらしゃべるようになる(一応理由付けはあるが)。

 モンガーの印象が薄くなっていったのと入れ替わるように、道化役としてのポジションを築いたのが芋ほりロボット・ゴンスケ。
 前半は脇役のひとりだったのに、芋へのこだわり、守銭奴っぷり、プライドの高さ、モンガーとのライバル関係など次々に強烈な個性を身につけてゆき、終盤にはなくてはならない存在になった。

 終盤は、チームのリーダーであり調整役である21エモン、その補佐役であるモンガー、そしてロケットのオーナーでありトラブルメーカーのゴンスケという役割がしっかりしてきて、おもしろくなる。
 太陽系の外まで出かけて冒険の舞台も広がり、生死のかかるピンチに巻きこまれる状況も増える。

 やっとおもしろくなってきた……とおもったらそこで物語が終わってしまう。ううむ、残念。


 七歳の娘は「『21エモン』読んで読んで!」と毎日せがんできて、ぼくも「しょうがないなあ」と言いながら内心楽しんでいっしょに読んだ。娘はその後も何度もひとりでくりかえし読んでいる。

 21世紀の子どもも虜にするなんて、さすがは藤子先生。

 聞くところでは『モジャ公』が『21エモン』の続編的立ち位置の作品らしい。『モジャ公』を読んでみようかな……。娘に言ったらぜったいに「買って!」と言うだろうな……。


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2021年5月25日火曜日

助数詞はややこしい

 助数詞はややこしい。

 助数詞というのはものを数える単位だ。「匹」とか「枚」とか「個」とか。

 うちの長女は七歳なのでもうそれなりに日本語は使いこなせるが、それでも助数詞はよくまちがえる。
「ハトが一匹」とか「靴が一個」とか言ってしまう。

 日本語を学習する外国人も苦労するだろう。
 ぼくも中国語を学んでいたとき、量詞(やはりものを数える単位)をおぼえるのに苦労した。中国語の量詞は日本語の助数詞と同じようでちょっとちがう。
 水やお茶を「一杯」と数えるのは同じだが、「本」は本や雑誌を数える単位だったり、手紙は「通」ではなく「封」だったり、いろいろややこしい。


 そもそも助数詞は何のために必要なんだろう。

 英語にはほとんどない。「two dogs」「three dogs」だ。
(「a sheet of paper」とか「a cup of tea」などの言い回しはあるが)
 べつになくても困らないからないのだろう。。

 幼児はなんでも「一こ、二こ、三こ」で数えるけど、それでいいんじゃないだろうか。
 犬も本も人も家も「一こ、二こ、三こ」でいいんじゃないだろうか(家はカナで書けば「一こ、二こ、三こ」だけど)。

 助数詞を使うメリットはなんだろうか。
 考えられるのは、省略できるということである。
 スプーンとコップとテーブルクロスがあるとき、「それ一本とって」といえばスプーンのことだとわかる。「一個とって」ならコップ、「一枚とって」ならテーブルクロスだとわかる。
 英語なら「one spoon」と言わなくてはいけない。
 こういうとき、助数詞はちょっとだけ便利だ。

 とはいえ。
 こういう状況はあまり多くない。
 スプーンとフォークとナイフとお箸があるとき「それ一本とって」ではどれのことかわからない。
 覚える苦労と、メリットが釣りあわない気がする。


 なにより助数詞がややこしいのは、法則がないことだ。
 いや、一応法則はある。
 細長いものは「本」、薄っぺらいものは「枚」、書物の類は「冊」、小さい動物は「匹」、大きい動物は「頭」、鳥は「羽」というように。

 だけど例外も多い。
 ウサギは「羽」、イカは「杯」、タンスは「棹」、蚕は「頭」……。例外はいっぱいある。

 また、同じものなのに状況によって数え方が変わったりする。
 イカ・タコは生きてるときは「匹」で食べ物としたら「杯」、魚も「匹」と「尾」、家は「軒」だったり「戸」だったり「棟」だったり。
「1試合にホームラン3発」とはいっても「年間30発のホームラン」とはいわない。この場合は「30本」になる。そもそもホームランがなんで「本」なのかさっぱりわからない。細長くないし。

 さらには複数を表す単位もある。
「お箸一膳」とか「靴一足」とか「寿司一貫」とか言われるたびに、それってひとつ? それとも一セットのこと? と迷ってしまう。

 なんとかならんもんか。

 せめて人は「一人」、日にちは「一日」、月(暦)は「一月」、年は「一年」、株式は「一株」、米俵は「一俵」、戦いは「一戦」、瓶は「一瓶」、箱は「一箱」、畳は「一畳」、イニングは「一イニング」みたいにシンプルにできないものか。
 しかし「そのものの名前を使って数える」ものはごくわずかだ。上に挙げたものぐらいしかおもいつかない。




 以前読んだ『カルチャロミクス』という本に、英語の不規則動詞はどんどん減っていっていると書いてあった。

 昔は動詞の活用の仕方はばらばらだった。
 だがあるときから[-ed]をつければ過去形、過去分詞系になるという法則ができた。こっちのほうが覚えるのが断然楽なので、次第に動詞の活用は規則活用に変わっていった。特に使用頻度の高くない動詞は忘れられやすいので、規則動詞になっていったらしい。
 だから今も残っている不規則動詞は、[be] [do] [go] [think] [have] [say] など、基本的には使用頻度の高いものばかりだ。

 文法は(ほんのちょっとずつではあるけど)単純になっていくのだ。

 だから何百年後かの日本語は、助数詞がずっと少なくなっているにちがいない。
 犬もクジラも鳥も魚も人間も「匹」、椅子も机も鏡も「台」か「個」、シャツもズボンも着物も帽子も靴も「枚」。
 そんな感じで単純化していくにちがいない。

 とおもっているのは、ぼく一匹だけではないはず。

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2021年5月24日月曜日

ツイートまとめ 2020年10月


Ω

星空の下の

治安

インタビューとは

かけ算の順序問題

二代目

ハンコ

出る杭

都にはなれない都構想

正道と信道

永沢

木こり風

優先席

走馬灯

なぜ

元農水事務次官長男殺害事件

全額

2021年5月21日金曜日

いちぶんがく その6

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



僕は1時間、ニンニクを微分し続けていたのだ。

(橋本 幸士『物理学者のすごい思考法』より)




皮肉だが、手綱を手放すことは、影響を与えるための強力な手段なのだ。


(ターリ・シャーロット(著) 上原直子(訳)『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』より)




この女なら杉子みたいに、客の残した寿司の上だけ食べて返すことはしないだろうと思った。


(向田 邦子『思い出トランプ』より)




おやおや、お前に苦痛はもったいないよ。


(伊藤 計劃『虐殺器官』より)




そして何故こんなにも、多くの人が壊れ始めているのかを。


(堤 未果ほか『NHK100分de名著 メディアと私たち』より)




いきなり中年男性が身体をくねくね動かすだけでは、じつに怪しいでしょう。


(広瀬浩二郎『目に見えない世界を歩く』より)




障害者は「健全者」に気に入られようと思ってはいけない。


(荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』より)




「可能性があればなんでもできると考えるのは、自分ではなにもしない奴だけだ」


(石持 浅海『三階に止まる』より)




ようやく「被害者」になれた。


(重松 清『十字架』より)




そこを流れ落ちていくのは、恐怖政治と下水だけだ。


(トム・バージェス『喰い尽くされるアフリカ』より)




 その他のいちぶんがく


2021年5月20日木曜日

【読書感想文】自由な校風は死んだ / 杉本 恭子『京大的文化事典 ~自由とカオスの生態系~』

京大的文化事典

自由とカオスの生態系

杉本 恭子

内容(e-honより)
折田先生像にバリスト、キリン!?西部講堂、こたつに石垣☆カフェ、タテカン、吉田寮まで…最後の(!?)自由領域を大解剖!森見登美彦(作家)インタビュー!&尾池和夫(元京都大学総長)特別寄稿掲載!

 京都大学に関する様々なキーワードを読み解きながら、「京大」の特徴や歴史を説明する本。ちなみに学問の要素はほとんどなく、京大という「場」に関する話が大半だ。

 著者は京大出身者ではなく、そのお隣の同志社大学出身。とはいえ学生時代はよく京大に出入りしていたらしい(京大吉田キャンパスと同志社大今出川キャンパスは自転車で10分ほどしか離れていないので京大内にもよく同志社の学生がいる。といっても女子ばっかりだが)。


 ぼくは20年近く前、京大に通っていた。2001年入学。国立大学が大学法人化したのが2005年だから、京大が国立だった最後の時代を過ごしたことになる。

 じっさい、今おもうとぼくが在籍していたのは「変わり目」の時代だった。
 ぼくが1回生(関西では大学1年生のことをこう呼ぶ)のとき、A号館改修工事がおこなわれた。改修前のA号館はとにかく汚くて、夜中でも出入りし放題だったし、地下には学生が勝手に運営しているバーがあった。ぼくが属しているサークル(持久走同好会)の部室もA号館の地下にあった。「校舎の下に部室があってそこにコタツや漫画やファミコンがある」という夢のようなシチュエーションに惹かれて持久走同好会に入ったようなものだ。
 地下部室では夜な夜な飲み会がおこなわれていた。飲みつぶれてこたつで寝る人もたくさんいた。今おもうとなんとすばらしい環境だろう。

 キャンパスに畳を敷くということにも、コテラさんは「場に対する関わりの特異さ」を感じていたそうだ。「畳を敷くことは『この場を、自分たちのものとして考えるぞ』という意思表示でもあるんですよ。しかも、所有や占有とはちょっと違う。畳によって誰のものでもない空間にしてしまってから、『この場を自分たちのものとして考えよう』と呼びかけるのがミソなんです」
 いつ、こたつをキャンパスに出すようになったのかは定かではないが、一九八〇年代には現れはじめ、一九九〇年代には「吉田寮からこたつと古畳をリヤカーに乗せて運ぶ」ことはごく普通に行われていたようだ。なぜ、吉田寮生たちは、キャンパスにこたつを持ち出すようになったのだろうか?

 今はどうか知らないが、ぼくが学生のときはキャンパス内にこたつを出している人がときどきいた。
 冬の朝になるとこたつに入って寝ている酔っ払いの姿が見られたものだ。こたつには酒瓶や麻雀牌が散乱していた。

 たぶん、目的があってやっていたのではないだろう。キャンパス内でこたつに入ること自体が目的なのだ。
 ぼくも大学構内ではないが、公園にテントを張って友人たちと意味なく泊まったことがあるので気持ちはわかる。


 だがA号館は改修工事できれいな建物になり、夜間は立ち入れなくなった。まあそっちがふつうなんだけど。
 とにかくいろんなものがすごいスピードできれいになっていった。
 時計台の下に薄暗い生協や床屋もあったがいつしか消えていた。代わりにこじゃれたレストランができた。
 四回生ぐらいのとき、夜中に大学構内のテニスコートで遊んでいたら警備員に注意された。それまではそれぐらいのことで注意されたことなんてなかったのに(見つからなかっただけかもしれないが)。
 百万遍(地名)の石垣取り壊しに反対して学生たちが石垣を占拠し「石垣カフェ」を作ったのがぼくが卒業する直前。

「唯一無二の京大」が「数ある大学のひとつ」になっていった過渡期にぼくは居合わせていたのかもしれない。

 ま、大学から離れた今だからノスタルジックな思いに浸れるけど、在学中は食堂やトイレがきれいになるのは素直にうれしかったし、新しい教室での授業のほうが快適だった(古い校舎の大教室はめちゃくちゃ寒いんだもん)。




 在籍中は、他の大学と比べて「なんて自由な大学だ」とおもっていたが、しかしそれでも昔と比べるとずいぶんお行儀のいい大学になっていたようだ。
 一九六九年一月三〇日、一五〇〇人の学生が集まったという教養部代議員大会は、無期限バリストを可決。四月になってもバリストは続き、入学式の日には教養部や西部講堂などを舞台に映画上映や講演会を行う、バリケード祭」がはじまった。バリケードのなかで、学生たちが「反大学」をスローガンにした自主講座を立ち上げると、教養部の教官たちも正規の講義に代わる自主講座を開講。学生と教官は「どっちがおもしろいものをやるかで、学生という客を取り合」った。教官たちは「はからずもそれぞれ得意の分野やテーマをもとにして講義を行う機会」に恵まれ、講義の内容も充実していたようだ。ふだんは大学に来ない学生たちも出席。出版社からも聴講に来る人がいて「次はどの先生に本を書いてもらおうか」という算段まではじまったらしい。

 この時代に学園闘争をやっていたのは京大だけではないが、教官たちまでもがそれに乗っかっていた(あるいは対抗していた)というのがおもしろい。

 理学部の建物が学生たちに不法占拠した際(「きんじハウス」事件)、近くにいたサル学の教授がフィールドワーク経験を活かして出入りしている学生を個体識別して勝手に名前をつけていた……なんてエピソードも出てくる(ちなみにこのエピソードを語っているのが京大元総長の尾池和夫氏)。

 学生だけでなく、教官や職員にも「外の世界とちがうこと」を楽しむ余裕があったのだ。

 「反動的管理強化」とは、大学生をひとりの大人として認めず、「勉強させよう」とする京大当局への批判の言葉です。京都大学新聞の記事によると、経済学部は単位が取りやすいため、学生が積極的に講義に出席していないことを認めつつも、「勉強する・しないは学生の勝手である。勉強しなかった結果、おとずれたものが『堕落』であったとしても、それは学生の責任というものだ。否、それどころか学生は『堕落』する権利を有しているとさえ言える」ときっぱり主張。「少なくとも京大では学生の『自主性』『主体性』を重んじることを一つの『売りモノ』としてきたのではなかったか」とまで書いています。

 ぼくも、入学式の日に学部長から「大学に来るのは二流の学生です。一流の学生は大学に来ずに勝手に学ぶ」という話を聞いて面食らった。
 一教官ならともかく、学部長がこんなことを大っぴらに言うのかと。
 当時はまだ「学生には堕落する権利がある」という風土が残っていたんだなあ。


 だがその余裕はどんどん失われつつある。

 最大のきっかけは、さっきも書いたけど2005年の大学法人化だろう。
 国から独立した存在だったのが、何をするにも国にお伺いを立てなくてはいけなくなった。京大だけでなく全国の国立大学が。

 その結果、教職員は疲弊した。この十数年で日本の大学の国際競争力がぐんぐん低下したのは周知のとおり。
 研究力が落ちただけでなく、大学側には学生と対話する余裕もなくなっていった。

 しかし京大当局は吉田寮との話し合いを再開しようとはせず、二〇一九年二月一二日、「吉田寮の今後のあり方について」という文書を公開。吉田寮の運営は「到底容認できない」「不適切な実態」であると決め付けた。また、「安全性の確保」と「学生寄宿舎としての適切な管理」を実現するために現棟からの退去を求め、「入寮選考を行わない」「本学が指示したときは退去する」などの条件を遵守した者のみ、新棟への居住を認めるとした」。同文書では「学生の責任ある自治を尊重する」としながらも、吉田寮の現状について「時代の変化と現在の社会的要請の下での責任ある自治には程遠」いと書かれている。もう一度繰り返すが、寮自治の根幹は自主入退寮権だ。それを否定する京大当局は、いったいどんな寮自治を「責任ある自治」だと考えているのだろう。さらに、「危険な現棟での本学学生の居住をもはや看過することはできない」と、京都地方裁判所に現棟に対する占有移転禁止の仮処分の命令を申し立て、二〇一九年一月一七日に仮処分が執行された。

 これをおかしいとおもうかどうかは難しい。このへんの感覚って、大学自治、寮の自治を知らない人にはぴんと来ないとおもうんだよね。

「学校側の命令に従わない学生に対して、大学側が裁判所に訴えを起こす」
って、世間の人からしたら「それの何が悪いの?」って感じだとおもう。
 私立高校とか私企業とかだったらあたりまえのことだろう。会社所有の寮に住んでいる社員に対して、会社が出ていくよう要求した。いつまでも退去しないので裁判所に訴えた。会社の対応におかしなことはない。

 でも、大学ってそういうもんじゃないんだよね。東大ポポロ事件を知ればわかるように、大学というのは特殊な場だ。国家権力からは独立している。
 学問の自由があるので、外の世界の法律が通用しないこともある。勝手に大学に入った警官を学生がぶん殴っても、無罪判決が出る(ポポロ事件の場合は最終的には有罪になったが)。それぐらい大学における学問の自由というのは強い。

 だから「社員寮を立ち退かない社員」と「大学自治寮から退去しない学生」はぜんぜん違う。
 にもかかわらず京大は裁判所への訴えを起こしたわけで、あまり話題にならなかったけどこれはかなりの大事件だ。

 法的に問題はないのかもしれないけど、つまんねえ大学になっちまったな、とぼくはおもう。
 それって長期的に見ると自分たちの首を絞めてることだとおもうんだけどな。大学にとっても、国にとっても。


 尾池和夫元総長はこう書いている。

一九八九年、京都大学新聞によるサークルBOX特集のなかに、「国有財産は税金でつくられるのであり、特別に問題がない限り誰でも自由に使えるべきだ」という文章がある。最近、公文書を読む機会が多いので、税金を使う以上、その成果をわかりやすく国民に説明する必要があるという内容を頻繁に目にする。そのこととの関連で、京都大学新聞の表現は新鮮であった。何の役に立つかという言葉は、最近の予算書にはしかたなく出てくるが、ふだんの研究者の議論にはあまり出てこない。研究者たちは盛んに「面白い」という言葉を使う。面白いから研究をして、面白いから学習をするのが大学なのである。人類の存続のために、子孫の繁栄を願い、自分の心身の健康のために、食を楽しみ、芸術を楽しみ、知的好奇心に応える学習をする。それらを支えるのが大学であり、面白いと人びとが感じることができれば、それが大学で懸命に仕事する研究者や学生たちが、税金を使って挙げた成果なのである。

「役に立つ」ではなく「面白い」が研究の目的にならないと、大学の力は衰退していく一方だよ。




 巻末の対談で、京大出身の作家・森見登美彦氏がいいことを言っている。

ただねえ、阿呆は「阿呆っていいね」と言ったとたん腐るというかね。自由もそうじゃないですか?「我々は自由なんだ」って言ったとたんにすぐ自堕落なものになる。そこが京大について語るときのいやらしいところというか、ね。持ち上げたとたんに、急にそれが別なものに変わって腐ってしまうのがいやなんです。

「京大ってこんな自由な大学なんですよ」って書くのってすごく野暮なんだよね。そう書いちゃったとたんに自由でなくなる。
 そういうことをあえて口に出さないから自由でいられるというところはある。
「私おもしろいでしょ?」って言う人がおもしろくないのと同じで。

 だからほんとは、こんな本出ないほうがいいんだよね。
「京大ってこんな文化があるんです」
って書いちゃったらおもしろくなくなる。縛りがかかってしまう。

 でも残念ながら京大の自由さもおもしろさも過去のものになりつつある。だからこういう本が出たんだろう。有名人が死んだときに追悼番組をやるようなものだ。
 自由な校風(ほんとはこういうこと書かないほうがいいんだけど)はもう死んだのかもしれないな。悲しいけど。


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