娘(六歳)とその友だちと公園で遊んだときのこと。
娘の友だちのお兄ちゃん・Kくん(九歳)も公園で遊んでいた。友だちと野球をやっている。
しばらくして、Kくんとその友だちがやってきた。
「いっしょにドッチボールしよう」
「いいよ。ええっと、そっちの子はなんて名前?」
「名前? 知らない」
「え!?」
友だちの名前を知らない? ずっといっしょに野球やってたのに???
「えっ、なんで知らないの」
「だってさっき会ったばっかだもん」
「同じ小学校じゃないの?」
「ううん。はじめて会った。あいつがどこの小学校かも知らないよ」
「それでいっしょに野球やってたの?」
「そう」
「それにしても、名前とか小学校とか聞こうとおもわない?」
「べつに」
えええ。
すげえ。
見ず知らずの人と出会ってすぐに野球をやれるのが。
それで名前も所属も気にしないのが。
そのくせ「あいつ」呼ばわりできるのが。
男子小学生ってこんなだったっけ。
ゆきずりの女と一夜を共にできるプレイボーイぐらいすげえ。
2020年5月1日金曜日
2020年4月30日木曜日
【読書感想文】電通はなぜダサくなったのか / 本間 龍『電通巨大利権』
電通巨大利権
東京五輪で搾取される国民
本間 龍
広告界のガリバーと呼ばれる株式会社電通。
(ちなみに前にも書いたけど、ガリバーは巨人じゃなくてふつうのサイズの人間だからね。ガリバーは巨人じゃない)
ふつうの企業は売上を伸ばすことに全力を傾けるものだが、電通の場合は既に売上が大きすぎて独禁法に引っかかるスレスレ(見方によっちゃあもうアウト)なので、売上が増えすぎないように注意しなければならないのだ。すげえ。
と、日本のメディアに対してとんでもなく大きな影響を持っている企業でありながら、電通そのものが話題になることはそう多くない。
電通の商売相手はメディアであり広告出稿したい企業なので、一般消費者と直接かかわることはほとんどない。だから電通を宣伝するテレビCMもやらないし電通の社員も基本的に表に出てこない。
ところがここ数年、電通が話題になることが増えてきた。
女性社員の過労自殺に代表される不祥事が相次いだためでもあるが、それ以上にネットが普及して誰でも情報を発信できるようになったことがある。
インターネットがあたりまえになる前は、情報を発信できる人はかぎられていた。
テレビやラジオの出演者、新聞や雑誌の記者など。
だがテレビもラジオも新聞も雑誌も、そのほとんどが広告の収益によって成り立っている。そしてその広告を出稿するのが電通なのだ。つまりメディアにとっては、直接のお客様なのだ(もちろんその先にはスポンサーがいるわけだけど、直接取引をするのは広告代理店)。
だから昔なら電通にとって都合の悪いニュースがあっても、新聞もテレビも大きく報じなかった。それは電通が圧力をかけるというより、むしろメディア側が勝手に忖度した部分が大きかっただろう。
誰だって、自分たちにお金を払ってくれる人の悪口は大声で言いにくい。
だがインターネットの普及によって潮目が変わってきた。
電通の客でない人が情報を発信できるようになったのだ。
女性社員の自殺もそうだが、最近特にその傾向が強くなったのはオリンピックについてだ。
かつて、オリンピックについてネガティブなことを言う人はメディアにはいなかった。
テレビも雑誌も新聞もオリンピックに利益を得ていたし、なによりオリンピックは電通様が仕切っている興行だったのだ。悪く言えるはずがない。
昔は芝居や相撲などのイベントは地元のヤクザが仕切っていたという。興行主はヤクザに金を渡し、その代わりにトラブルを未然に防いでもらう。トラブルがあったらヤクザに出てきてもらって解決してもらう。そんな持ちつ持たれつの関係があった。
オリンピックと電通の関係もそれに似ている。
だがインターネット、SNSの普及で電通をおそれずにものを言える人が増えた。おかしいことはおかしいと言える人が。
オリンピックなんてしょせんスポーツのイベントなのにどうして巨額の税金をつぎこまなきゃいけないの、招致のときに言ってた話が嘘ばっかりなのにどうして許されるの、当初の予算を大幅にオーバーしてもどうして誰も責任を取らずに税金で補填してもらえるの、東京開催なのにどうして国のお金でやるの、復興五輪とか言ってたけど具体的にどう復興につながるの、どうして役員は高給もらってるのにボランティアはタダ働きなの、ボランティアが熱中症で死んでも誰も責任とらなさそうだけど自己責任になるの、ていうか招致のときに集まって浮かれてたメンバー森喜朗以外いったいどこ行ったの。
こういう声が広がりやすくなった。
この本の著者である本間龍氏も積極的に問題を発信している。
というか言えなかった今までが異常だったんだけど(そしてテレビや新聞は今もまだその異常な世界に浸ってるんだけど)。
ぼくはオリンピックは好きじゃないけど、やる分には勝手にやったらいい。
「日本がひとつに」みたいな気持ち悪いスローガンや、税金を湯水のように使うことさえやめてくれればどうぞご自由に、という感じだ。
でもその「嫌なところ」がまさに電通的なところなのだ。
この本では電通が大きくなりすぎたことの問題点を、メディアとの関係性、政党や政府との癒着、スポーツイベントの商業化など様々な点から論じている。
ただ誤解してはいけないのは、決して電通が邪悪な企業ではないということだ。
もちろん過労死事件やネット広告費不正請求問題に関してはめちゃくちゃ悪いことをしていたわけだが、似たようなことをやっている会社はごまんとある(だからって電通が許されるわけではないけど)。
電通で働いている人だって、大半はいい人なんだろう。ぼくもひとり知り合いにいるけどいい人だし。
みんな一生懸命に仕事をしているだけだ。
過労死事件も不正請求事件も、誰かひとりの責任に押しつけられる問題ではないだろうし、数人が防ごうとしても止められなかった問題だろう。
最大の問題は、電通という会社が大きくなりすぎたこと、力を持ちすぎたことなのだとおもう。
もう誰にもコントロールできない巨大な組織になってしまい、暴走しても誰も止められなくなっているのだ。東京オリンピックだってもう完全に暴走して誰にも手が付けられなくなってるし。
だが、電通の力は今後弱くなってくるんじゃないかとおもう。
あくまで今と比べると、の話だけど。
ぼくはWeb広告の仕事をしているが、たしかに電通にとってうまみは少ないだろうなとおもう。
理由のひとつはGoogle、Yahoo!、Facebook、Twitter、Amazon、楽天などのプラットフォーム企業が広告のルールを決める支配者になっていること。テレビCMや雑誌広告のように電通がゲームマスターになることができない。
そしてWeb広告は電通のような巨大代理店であろうとぼくがいるような小さな代理店だろうとまったく同じ条件で広告出稿できること。
たとえばリスティング広告と呼ばれるGoogle、Yahoo!の検索結果に表示される広告であれば、電通が1クリック100円で出した広告よりも無名の個人が101円で出した広告のほうが上位に表示されるのだ(実際は価格以外の条件もいろいろあるけど)。
テレビCMのような「お得意さんだから」「電通さんだから」といった融通が利かないのだ。
さらにWeb広告はテレビCMや新聞広告よりも明確に成果が数字で出る。いくら予算をかけたら何人が広告を見て何人が行動を起こしたかが計測できてしまう。
イメージとノリでやってきた会社は(電通がみんなそうとは言わないけれど)苦しいだろう。
また、Web広告を出稿したところでWebに出回る情報をコントロールすることはできない。
なぜならWeb上では既存メディアと違い、広告費をもらわなくても情報発信ができるからだ。
もちろんインフルエンサーに広告費を渡せばその人の発言をある程度コントロールできるだろうが、すべてを抑えることはいくら電通でも現実的に不可能だ。数社を抑えればほぼ全部網羅できるテレビ局や新聞社とはわけがちがう。
……というわけで電通という会社がWeb広告全体に占める影響は(他メディアと比べて)すごく小さい。
Web広告は今後もまだまだ拡大する。新聞やテレビが衰退していくのと対照的に。
ということは、電通の影響力は今後どんどん弱まっていくだろう。
それに。
電通って「かっこいい」から「ダサい」会社になりつつあるんじゃないかな。ダークなイメージがつきすぎて。
皮肉なことに、旧来のメディアで力を発揮すればするほど古臭いイメージが濃くなる。
広告会社にとって、「ダサい」イメージがつくのって致命的だとおもうんだよね。
この本の中で著者は独占禁止法を根拠に「電通解体」を掲げているけど、もしかしたらそんなことしなくても衰退していくんじゃないかとぼくはおもっている。それも急激に。
とはいえ、テレビCMを発注するような役職にいる人はおじいちゃんが多いだろうから、高齢者向けメディアに高齢者向け広告を出稿する高齢者向け代理店としての地位は確固たるものを保つかもしれないけど。
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2020年4月28日火曜日
【読書感想文】上のおもいつきで死ぬのは下っ端 / 新田 次郎『八甲田山死の彷徨』
八甲田山死の彷徨
新田 次郎
1902年にじっさいにあった 八甲田雪中行軍遭難事件(Wikipedia)を題材にした小説。
小説なので登場人物は仮名だし随所に創作も混じっているが、大まかな話は史実通り。
しかし「八甲田山死の行軍」という言葉は聞いたことがあったが、そこから想像されるものよりずっとひどい出来事だった。
二つの聯隊が真冬の八甲田山(青森県)を行軍。うちひとつの聯隊はなんとか助かったが(とはいえ隊員の多くが凍傷を負っている)が、もうひとつの聯隊は遭難して210名中199名が死亡というとんでもない大事故になっているのだ。
天災と交通事故以外で200人が一度に死ぬなんて日本で他に例のない事故なんじゃないか?
しかもこれ、どうしても雪山を歩く必要があったわけではないのだ。
訓練、それも事前によく計画されたものではなく上官のおもいつきではじまったものなのだ。
上官のおもいつき、おまけに命令ではなく忖度からはじまっている。
「冬の八甲田山を歩いて見たいと思わないかな」
なんちゅうひどい質問だ。
そんなもん、歩きたくないに決まってる。
しかし軍隊でずっと階級が上の上官から「やりたいか」と言われて、「危険なのでやめておきます」と言えるだろうか(言える人間はたぶん隊長になれない)。
この忖度が空前絶後の大惨事を生んだのだ。
軍隊や官僚組織で部下を殺すには、上司の命令すらいらない。
「あの人はおれの友だちだから国有地を安く売却してもらえたら助かるそうだ」だけで十分なのだ。
記録的な悪天候、準備不足、物資不足、経験不足、情報不足、指揮官の判断ミスなど悪条件の重なった青森5聯隊の姿はただただ悲惨だ。
この部分は創作ではなく、生存者の談話に基づくものらしい。地獄だ。
じっさいの戦争でもここまで悲惨な体験をしたものはほとんどいなかったんじゃないだろうか。
これは完全に人災だ。
精神主義が幅を利かせ、経験のある地元民間人の声を軽視し、乏しい情報に基づいて判断を下す。そしてなにより、過去の失敗を認めない。
日本的な悪いところが全部出ている。
こうしてバカなトップのせいで未曽有の被害が起こったわけだが、なんともやるせないことに、この5聯隊、上官の生存率は20%近くだったのに対し、その下の階級である下士官の生存率は約8%、さらにいちばん下の兵卒は約3%に過ぎなかったそうだ。
無謀な作戦のせいで下っ端は命を落とし、現場責任者は責任を感じて自決を選んだ。だが現場に行かなかった上官は誰ひとり責任をとっていない。
これが現実なのだ。
新型コロナウイルスの感染拡大という世界の危機に陥っている今、また同じことがくりかえされようとしている(もしくはもう起こっている)。
はあ。やりきれない。
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2020年4月27日月曜日
それは愛ではない
子育てをしていていちばんおもしろいのは、子どもの成長を見ることよりも親の気持ちを追体験できることだ。
たとえば真夜中に子どもが目を覚まして泣いている。
どうしたのと訊くと「こわいゆめをみた」と云う。
正直「知らんがな」とおもう。「きにすな。はよねえや」とおもう。だってこっちも夜中にたたき起こされて眠いからね。
でもそうは言わない。
なぜなら、ぼくも子どものころに同じようなことを経験し、そのときに母親が「そう、じゃあおかあさんのおふとんでいっしょにねよう。そしたらだいじょうぶだから」と優しく言ってくれたからだ。その言葉に幼い日のぼくは心から安心することができたからだ。
だからぼくもめんどくせえなあとおもいながらも「そっか、じゃあおとうちゃんと手をつないで寝よっか。こわいゆめをみないように念じながら手をにぎっといてあげる」と言って、いっしょに寝る。
そしておもう。「ああ、あのときおかあさんも心の中では『めんどくせえなあ。しょうもないことで起こすな』とおもいながらも優しい声で接してくれたんだなあ」とおもう。
母親というのは無条件で子どもに尽くすものだとおもっていた。子への奉仕こそが母の喜びなのだと。
でも自分が人の親になり、とんでもないまちがいだったことを思い知る。
めんどくさい、うっとうしい、憎い、生意気で腹が立つ、やかましい、つまんない、くだらない、かわいくない……。
子どもに対していろんな負の感情を抱く(もちろんポジティブな気持ちになることのほうが多いよ)。
自分の母や父も、同じように感じていたんだろうな。
本気で憎んだりしてたんだろうな。
あのとき厳しく叱ったのは愛しているからこそではなく、ただ単純に心の底からいらだってたからだったんだな。
我が子だからって全面的に愛していたわけではないんだな。ときには我が子だからこそ本気で嫌ったりしていたんだろうな。
それがわかったからといって両親に対してに失望したりしない。むしろ余計にすごいとおもう。余計に感謝する。
だって愛する者を育てるより憎らしい者を育てるほうがはるかにたいへんだもん。
ぼくが子育てをする動機は愛じゃない。そんな気楽なもんじゃない。
使命感というか本能というか、あるいはもっとシンプルな物理法則(慣性の法則)によるものか。
たとえば真夜中に子どもが目を覚まして泣いている。
どうしたのと訊くと「こわいゆめをみた」と云う。
正直「知らんがな」とおもう。「きにすな。はよねえや」とおもう。だってこっちも夜中にたたき起こされて眠いからね。
でもそうは言わない。
なぜなら、ぼくも子どものころに同じようなことを経験し、そのときに母親が「そう、じゃあおかあさんのおふとんでいっしょにねよう。そしたらだいじょうぶだから」と優しく言ってくれたからだ。その言葉に幼い日のぼくは心から安心することができたからだ。
だからぼくもめんどくせえなあとおもいながらも「そっか、じゃあおとうちゃんと手をつないで寝よっか。こわいゆめをみないように念じながら手をにぎっといてあげる」と言って、いっしょに寝る。
そしておもう。「ああ、あのときおかあさんも心の中では『めんどくせえなあ。しょうもないことで起こすな』とおもいながらも優しい声で接してくれたんだなあ」とおもう。
母親というのは無条件で子どもに尽くすものだとおもっていた。子への奉仕こそが母の喜びなのだと。
でも自分が人の親になり、とんでもないまちがいだったことを思い知る。
めんどくさい、うっとうしい、憎い、生意気で腹が立つ、やかましい、つまんない、くだらない、かわいくない……。
子どもに対していろんな負の感情を抱く(もちろんポジティブな気持ちになることのほうが多いよ)。
自分の母や父も、同じように感じていたんだろうな。
本気で憎んだりしてたんだろうな。
あのとき厳しく叱ったのは愛しているからこそではなく、ただ単純に心の底からいらだってたからだったんだな。
我が子だからって全面的に愛していたわけではないんだな。ときには我が子だからこそ本気で嫌ったりしていたんだろうな。
それがわかったからといって両親に対してに失望したりしない。むしろ余計にすごいとおもう。余計に感謝する。
だって愛する者を育てるより憎らしい者を育てるほうがはるかにたいへんだもん。
ぼくが子育てをする動機は愛じゃない。そんな気楽なもんじゃない。
使命感というか本能というか、あるいはもっとシンプルな物理法則(慣性の法則)によるものか。
2020年4月24日金曜日
診断されたし
娘の同級生、Tくん(六歳)。
元気な男の子だ。元気すぎるぐらい。
じっとしていられない、人の話を聞かない、怒ると手が付けられなくなる。無鉄砲で損ばかりしている。
まるで子どもの頃のぼくを見ているようだ。ぼくもあんな子だった。教師や親の話なんかぜんぜん聞いてなかったし、しょっちゅう喧嘩してたし、いろんな子を叩いてたし、そのくせ攻撃されると弱くてよく泣いて暴れていた。
だからちょっと自分と重ね合わせてTくんをかわいがっていた。
Tくんはこちらから追いかけると逃げる。でも放っておくと近づいてくる。かまってほしそうにボールをぶつけてきたりする。
素直じゃないところがかわいい。うちの娘は「いっしょにあそぼう」「今はひとりで本を読みたいから」とはっきり口にするタイプなので、余計に。
そんなTくんのおかあさんと話していたら、
「こないだ病院で診てもらったら、Tは発達障害なんですって」
と云われた。
えっ、と驚いた。
「え? たしかにちょっと落ち着きないところはありますけど、でも男の子ってそんなもんじゃないですか。他の子も似たようなもんだとおもいますけど。ていうかぼくが子どものころもあんな感じでしたし」
「まあ外だとちょっとマシなんですけどね。でも家の中だとほんとに手が付けられないんですよ。気に入らないことがあったらぜったいに譲らないですし、何時間でも抗議しつづけますし、大暴れすることもありますし」
「そうなんですね……。保育園とか公園で見るかぎりではそこまででもないですけどね……」
「まあ保育園とか公園ならね。でも小学校でじっと座ってるのはむずかしいから、小学生になったらもっと他の子と差がつくだろうって言われました」
「そうですか……」
ぼくはそれ以上何も言わなかった。
ぼくは専門家ではないから。家の中でのTくんの様子を知らないから。
そしてなにより、Tくんのおかあさんが決して悲嘆にくれているわけではなくむしろ晴れ晴れとした顔をしているように見えたから。
ここからはぼくの想像でしかないんだけど、Tくんのおかあさんは息子が発達障害と診断されて、もちろんショックを受けただろうけどそれ以上に安堵したんじゃないだろうか。
昨年、ぼくは熱を出した。全身がぐったりとだるく、食欲もなくなった。
風邪にしちゃあ症状が重い。インフルエンザだろうか。咳も出るし肺炎とかになってたらどうしよう。それとももっとめずらしい病気だったりして。
あれこれ考えていたが、病院に行って「ウイルス性の胃腸炎ですね」と診断されて薬を出されたとたん、ふっと症状が軽くなった気がした。
病院に行くときはふらふらと這うようにしながら向かったのに、帰りは足取りも軽かった。
まだ薬を飲んだわけではない。病気の身体を引きずって病院まで歩いていっただけなので、本当なら具合が悪くなることはあっても良くなることはないはずだ。
でも、ぐっと楽になった。自分の不調に病名がついて対処法が示されただけで、まだ何も手を打っていないのに楽になった。
Tくんのおかあさんも同じ気持ちだったんじゃないだろうか。
どうもうちの子は落ち着きがなさすぎる。他の子はもっと落ち着いているように見える。話も聞いてくれない。
何が悪いのだろう。これまでの育て方に問題があったのか。自分の対応が悪いのか。他の親ならもっとうまく対応しているのだろうか。それともこの子に重大な疾患があるのだろうか。回復の見込みのないような病気だったらどうしよう……。
あれこれと結論のない思いをめぐらせていたんじゃないだろうか。
で、病院に行って発達障害と診断された。
何が変わったわけではないけれど、余計な不安はなくなった。
生まれついての脳の問題だ。育て方が悪かったわけではない。誰が悪いわけでもない。どんな親だって手を焼いていたはず。
発達障害はとりたててめずらしいものではない。同じ問題を抱える親も多いし、対処方法もある程度確立されている。薬物療法で一定程度は症状を抑えこむこともできる。
原因とやるべきことが明確になるだけで、事態がまったく動いていなくてもずっと楽になった!
……ってことがTくんのおかあさんに起こったんじゃないだろうか。勝手な憶測だけど。
わかんないって何よりもつらいもん。
ぼくらがちょっと体調が悪くて病院に行くのは、治してもらうためじゃない。診断されるためだ。
町医者の仕事の九割は「診断」にあるんじゃないかな。治療は一割で。
医者があれこれ検査した結果、病名不明だったとする。
それでも「あーこれはホゲホゲ病ですね。大丈夫ですよ、薬出しとくんで」と言ってプラシーボ(偽薬)を出しておけば、患者の病状が良くなるとおもう。
「いろいろ検査しましたが結局わかりませんでした」と正直に言うよりも(だからって嘘をついたほうがいいとは言わないが)。
もしかしたら「発達障害」自体が、そういうニーズに応えるためにつくられた言葉なのかも。
「発達障害と言ってもらうことで助かる」という親を安心させるためにつくられた言葉。
じっさい、多くの親が「発達障害」という診断に救われているはず(ぼくが子どものころにも「発達障害」があればきっとぼくの親もいくらか楽になっただろう)。
だからどんどん病名を増やしていったらいいとおもうんだよね。
「勤労障害」とか「難熟考症」とか「起床不適応症」とか。
救われる人はたくさんいるはず。
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