中学校の数学の授業で「文字につく1は省略して表記する」と教わった。
「2x」とは書くが「1x」とは書かない、「x」と書けばそれは「1x」のことなのだ、と。
数式にかぎった話ではない。
「おれは億を稼ぐ」といえば1億円のこと。2億円ではない。
「箱」とか「ダース」とか「カートン」とかも、特に数字をつけない場合は「1箱」「1ダース」「1カートン」だ。
単位につく係数(3xの3の部分が"係数")が省略されている場合は、係数は1である。
どんな単位でも。
ところがひとつ例外がある。
「倍」だ。
ただ「倍」という場合、それは「2倍」のことだ。「1倍」ではない。
「1倍」の場合はわざわざ「等倍」なんて言葉を使う必要がある。
「倍」だけが1ではなく2を省略する。
ちょっと考えてみたけど、ほかにこんな言葉はおもいつかない。
「倍々ゲーム」といえば、それは[1 , 1 , 1 , 1 , 1 ,……]ではなく[1 , 2 , 4 , 8 , 16 ,……]のことだ。
ところでふとおもったのだが「倍々ゲーム」ってなんなんだ。
「ねずみ算式」とか「等比級数的に増加」ならわかる。
でも何かが倍倍ペースで増えてゆくゲームなんか見たことも聞いたこともないぞ。
ひとつおもいつくのは、むかし北杜夫氏が書いていた『ルーレット必勝法』だ。
カジノのルーレットで、赤に1ドルを賭ける。はずれたら今度は赤に2ドル賭ける。それでもはずれたら次は4ドル賭ける。次は8ドル、その次は16ドル……。
とやっていけば、いつかは当たる。そうするとこれまでの収支で1ドルだけプラスになる。
という理屈だ。
一見もっともらしいが、これは「資金が無尽蔵にある」ことが前提の話だ。
はじめは1ドル2ドルであっても、13回目の賭け金は1,000ドルを超え、15回目には10,000ドルを超え、18回目には100,000ドル、21回目には1,000,000ドルを超える。
20回もはずれつづけることはめったにないが(赤になるのが1/2の確率だとしても100万回に1回ぐらい。実際は赤でも黒でもないこともあるのでもっと多い)、長くやっていればいつかは訪れる。資金が尽きればそこでジ・エンド。
「必ず1ドル稼げる必勝法」は「途中で降りるに降りれず莫大な損失を生みだす賭け方」になる。
(北杜夫氏の名誉のために書いておくともちろん氏はこれが必勝法でないことはわかって書いている)
「倍々ゲーム」とはルーレットのことだろうか。
しかし倍々に賭けていくのは戦略のひとつであって、ほとんどの人は倍々ゲームをしない。
なんで「倍々ゲーム」なんだろう。「倍々方式」でいいんじゃないか。
ゲーム理論の「ゲーム」だろうか。
それにしても倍々になっていくゲーム理論なんて聞いたことないけどなあ。
2020年3月23日月曜日
2020年3月21日土曜日
ツイートまとめ 2019年5月
懐中電灯
懐中電灯を懐中に入れてる人、見たことない。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 1, 2019
痴漢
この人痴漢です!と腕をつかまれたときの金持ちでイケメンの痴漢「おもしれー女」— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 1, 2019
コロンブス
1492年にコロンブスが新大陸発見しました。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 2, 2019
「意欲に(1492)燃えるコロンブス」と覚えてください。
覚えにくいという方は「しゃかりきコロンブス」と覚えてくださってけっこうです。意味はいっしょですからね。
地平線
— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 3, 2019
古本市
— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 5, 2019
怨念
朝のワイドショー見てたら「どこも渋滞がすごい」「トンビに襲われた」「ひょうが降ってきた」と出かけた人がひどい目に遭う話題ばかりやっていて、連休中も仕事させられてる番組制作者たちの怨念が感じられる構成で良かった。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 6, 2019
負けっぷり
娘(五歳)と将棋やオセロをやったとき、娘は負けても笑顔で— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 7, 2019
「もう一回やろ!」
と云う。
負けっぷりがいいのは人間関係的にはいいことだとおもう。
でも負けず嫌いじゃないから強くならないだろうなあともおもう。
どっちがいいのかな。
連休明け
連休明けの娘(五歳)から— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 7, 2019
「保育園もたのしいけどおやすみの日のほうが好きやな。おとうさんといっぱいあそべるから」
と言ってもらえたので、令和もなんとか生きていけそうです。
象徴
次から天皇はゆるキャラにして、宮内庁の職員が交代で着ぐるみの中に入ればいいんじゃないかな。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 7, 2019
デザイナーを集めた有識者会議を開いて、全世界から愛されるゆるキャラを選ぶの。
育児
娘が真夜中に起きて「のどがかわいた」というので起きてお茶を入れてやり、「しんどくて眠れない」というので自分の布団に入れて寝つくまで背中をさすってやる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 10, 2019
正直、すごくめんどくさい。
でも自分が子どものときに母が同じようなことをしてくれたので、その借りを返す気持ちだけでやっている。
コンテンツ
うちの七ヶ月児はよく笑う人で、顔を合わすたびににっこり笑ってくれる。当然こちらも笑顔になる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 15, 2019
おかげで、朝起きて笑って、家出るとき笑って、帰ってきたら笑って、ご飯食べても風呂入ってもおむつ換えてもミルク飲ませても寝る前にも笑ってる。
こんなに笑わせてくれるコンテンツ、他にある?
タワーマンション
駅前タワーマンションの広告とかで「〇〇駅徒歩1分!」とか書いてあるけど、エレベーター待ったり乗ったりする時間で、マンションのエントランスから自宅玄関までに10分ぐらいかかるとおもう。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 16, 2019
うそみたいなほんとの話
「二十数年前は、宅配便配達時に不在だったら隣の家に荷物を預けられてた」— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 24, 2019
って若い子に言ったら
「そんなわけないでしょ」
と言われた。
たしかに今考えるとウソみたいだけど、それがあたりまえだったんだって!
うそだとおもうなら
ピタゴラスイッチの『ウソだと思うなら、やってみな』というコーナーで「氷に糸を垂らして塩をかけると氷が糸にくっつく」とやっていた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 29, 2019
娘が「やってみたい!」というので試してみたが、暑すぎたせいかうまくくっつかない。
娘「『ウソだと思うなら』って言ってたからウソだったのかもしれないね」
下着
弊社の採用面接に来てくれた女性の方へ。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 27, 2019
弊社の社長がずっと下着の話をしていたので驚いたこととおもいます。不快におもわれましたら誠に申し訳ございません。
言い訳にはなりますが、弊社社長はずっと「インドア派」のつもりで「インナー派」と言っていたのです。ご理解賜りますようお願いします。
京都
ぼくが京都に住んでたときの住所は、ちゃんと書いたら40文字以上あった。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 28, 2019
京都府京都市上京区上御霊前通烏丸東入下る相国寺門前町〇〇〇ー〇〇[マンション名][部屋番号]
ダービー
好きな書評ブログがあるんだけど、ほぼ毎日更新してるのにここ数日更新がない。こんなことははじめて(止まったことはあったが事前にお知らせがあった)。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 29, 2019
で、執筆者のTwitterを見にいったら数日前の「ダービーで負けた。長く生きすぎた」というツイートを最後に更新がない。
心配……。
見た目
『名探偵コナン』の連載開始が1994年だから、現実と同じように歳をとってたら— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 29, 2019
「見た目はおじさん、中身もおじさん」
になってるはず。
なんもしてないのに
厚労省のえらい人— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) May 30, 2019
「なんか、なんもしてないのに年金が崩壊したんだけど」
2020年3月19日木曜日
【読書感想文】「没落」の一言 / 吉野 太喜『平成の通信簿』
平成の通信簿
106のデータでみる30年
吉野 太喜
昨年、『FACTFULLNESS』という本を読んだ。
さまざまなデータを示して、「みんな悲観するけどほらじっさいは世界はこんなに良くなってるんだよ~」と紹介する本だ。
病気で死ぬ人は減った、戦争も減った、子どもは教育を受けられるようになった、豊かな暮らしができるようになった、と。
その本に載っているデータはもちろん本当で、世界が多くの人にとって生きやすい世の中になっていっているのはまちがいない。
でもその一方でぼくは「いや世界は良くなってるんだろうけど、でもぼくらが生きる日本についてはどうなのさ」ともおもった。
たとえば1989年(平成元年)の若者と2019年(令和元年)の若者、どっちが生きやすいんだろう?
もちろん物質的には2020年のほうが豊かだろう。スマホあるし。それだけで圧勝。写ルンですでは勝負にならない。
でも「将来に希望を持てるか」とか「周りと比べて自分は恵まれない境遇にあるとおもう人はどっちが多いか」とか「今の社会は自分にとっていい社会か」とか尋ねたときに、令和元年の若者からより前向きな答えを引きだせるだろうか。
世界は全体的によくなっている。それはまちがいない。
でも人が幸福を感じるのは絶対的な尺度よりもむしろ相対的な優位性による面が大きい。
日本人は、三十年前と比べて幸福になったのだろうか?
ということで『平成の通信簿』。
平成のはじまりと終わりで比べて、日本をとりまく状況がどう変わったのかをデータで示す。
「日本版・FACTFULLNESS」といった内容だ。
で、ぼくがもともと悲観的な見方をしていたからかもしれないけど、やっぱり残念なデータが目立つ。
経済力だけでいえば「没落」の一言に尽きる。「凋落」でも「零落」でもいい。
もちろん他国が伸びたから、というのもある。日本は早い段階で成長しきっていたからのびしろが少ないのもある。
とはいえ。とはいえ。
「日本のGDPの伸び率は、データの存在する139カ国中134位、下から数えて6番目」ってのはあまりに衝撃的なデータだ。
日本より下位の中央アフリカとかリビアとかコンゴ民主共和国って、クーデターや内戦があった国だからね。それらの国よりちょっとマシってのが日本の30年。
大きな自然災害があったとはいえ、戦争もないのにこの数字ってのは相当なもんですよ。
ちなみに高齢者人口が増えてるのは日本だけじゃないからね。同じくらい高齢化が進んでても経済成長してる国もあるからね。高齢化だけのせいにしちゃだめよ。
国の経済が伸びていないのだから、もちろん国民の暮らしは悪くなっている。
支出の内訳でいうと、家賃、インフラ代、家賃、交通費、医療費などの「生きていくために必要なお金」の額が増え、被服費、教育費、娯楽費、交際費などの「余裕のある暮らしをするためのお金」が減っているそうだ。
うーん、せちがらい。ほんとに貧しい国になってるんだなあ。
これを「失政」と呼ばずして何を失政と呼ぶって感じだけど、為政者が責任をとるどころか総括すらしないわけだから、日本の凋落は令和の世になっても止まらないだろうな。
せめて認識だけでも改めないとね。先進国という意識は捨てないと。
モンゴルとかポルトガルといっしょですよ、日本は。
はるか昔に世界の覇権を手に入れそうになった国。それだけ。今は見るかげもない小国のひとつ。
もっとも、個人的にはそれでいいとおもうんだけどね。
没落した中小国家のひとつとしてやっていくならそれなりに幸せにやっていける道はある。小国には小国の幸せがある。
そこでオリンピックだ万博だと身の丈にあわないことを言いださなきゃ、ね。
そういうのは先進国さんや成長中の国家さんに任せましょうよ。ねえ。
国債について知らなかったこと。
ぼくなんか物心ついたときから日本が借金まみれだから、借金があるのがあたりまえだとおもっていた。国の財政ってそういうものなんだと。
でもそうじゃないんだね。
1975年までは赤字国債を発行していなかったし、1991年も赤字国債はゼロだった。
借金がないのが健全なのだ。そんなあたりまえのことを忘れていた。たぶんみんな忘れている。財務省の人間なんかもう完全に麻痺しちゃってるんだろう。
「借金があっても大丈夫ですよ」と主張するための言い訳は必死で探すけど、借金を返す方法なんて考えようともしていない。
いちばん悲しくなるのがこれ。
はああ。
教育費の公費負担分は、コスタリカはGDPの6.6%、アメリカと韓国は4.1%(先進国はだいたいその前後)、そして日本の公費負担分は2.9%……。
情けなくなってくるね。
貧しいのはしかたないにしても、未来に投資しなくなったらもう終わりじゃない。小泉純一郎が総理時代に「米百俵」とか言ってたけど、その話はどうなったの?
子どもに投資するどころか、老人が子どもから借金してる(そして返す気はない)のが日本の状況だからね。
つくづく憂鬱になる。
ほんとに平成ってまるまる日本没落の時代だったんだな。
何がつらいって、その没落が止まる傾向がまったくないことなんだよな。
他人事みたいに言ってるけど、責任の一端はぼくにもあるんだけどね。はぁ。選挙行ってるんだけどなあ。変わんねえなあ。
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2020年3月18日水曜日
【読書感想文】地獄の就活小説 / 朝井 リョウ『何者』
何者
朝井 リョウ
もしも過去に戻れるとして、いちばん戻りたいのはいつ頃だろう。高校生のときがいちばん楽しかったし、でも何も考えていない小学生の頃も幸せだったし、結局うまくいかなかったあの子とのデートの日に戻って……。なかなか決められない。
でも「ぜったいに戻りたくない時期」は即決できる。
就活をしていた時期だ。
あの頃はほんとにつらかった。
こないだ、昔友人たちと会話をしていたBBS(ネット掲示板)を久しぶりに見てみた。そこには就活中のぼくがいた。ほんとうにイヤなやつだった。周囲全員を見下し、自分だけが特別な人間であるかのようにふるまい、攻撃的な言葉を隠すつもりもなくまきちらしていた。うげえ。とても見ていられなくなってBBSを閉じた。
「こんなやつとよく友だち付き合いをしてくれていたな」と友人たちに感謝をした(ほとんどは今でもときどき会う友人だ)。
ぼくは、高校までは友だちも多くて勉強もできて「おまえはおもしろいやつだな」とか「個性的だね」とか言われて(「個性的」は必ずしも褒め言葉ではなかったとおもうが)、難関と言われる大学にストレートで入って、ほんとに調子こいていた。
自分は周囲の人間とはまったく違う、いずれ世に広く名前を知られる存在だと本気で思い込んでいた。何も成し遂げていないのに。
で、そのぼくの出鼻がこっぴどくくじかれたのが就活だった。
就活をすると、ぼくは何者でもなかった。履いて捨てるほどいる学生の中のひとり。誰もぼくを特別扱いしてくれない。
面接でがんがん落とされる。上っ面だけ調子のいいやつが次々に面接を突破しているのに、誰よりも誠実な自分は落とされる。
なんなんだ就活って。仕組みがまちがってるとしかおもえない。
毎日がめちゃくちゃ苦しかった。
だからまったく聞いたこともないような会社の社長から「君こそうちにくるべきすばらしい人材だ!」みたいなことを熱く語られて、すぐに飛びついた。社長の言葉に共感したから、というのを自分への言い訳にしていたがほんとは一日でも早く就活を終わらせたかっただけだった。
今にしておもうと、肥大化しきった自尊心を叩き潰してくれたという意味で就活はいい経験だったといえるかもしれない。
でもそれは十年以上たった今だから言えることで、やっぱり当時は毎日つらかったんだよ。
『何者』は読んでいてつらかった。
この小説には、周囲をうっすらと見下している人物が出てくる。
自尊心のかたまりみたいな人間で、何もしていないくせに自分だけは他と違うとおもいこんでいて、自分だけが繊細で物事を深く考えている人間だと思っていて、真正面から就職活動に取り組む同級生を見下し、かといって就職せずに世捨て人になるほどの覚悟もなく傷つかないような鎧をたくさん着込んでから就活に勤しむ。
……まるっきりぼくの姿じゃないか。
二十一歳だったぼくそのものだ。
この登場人物はことあるごとに、社会の矛盾に対して一席ぶつ。それを周囲が感心して聞いている、と当人は思っている。「個性的だね」「いろいろ考えてるんだね」といったお茶を濁す言葉を、額面通りに受け取って。
でもじっさいは、自分が見下している周囲の人間から見下されている。理屈だけこねまわして自分が傷つかないように必死に逃げ回っているのだということを見透かされている。
……まるっきりぼくの姿じゃないか。
たぶん世の中に何万人といるんだろう。
自分だけは他の就活生とは別の考え方で就活をしている、と思っている人間が。
『何者』は、そんなありきたりな人間を容赦なく切り捨てる。
「『企業から採用してもらうために自分を型にはめて偽りの仮面をかぶって就活するなんてダサい』という考えこそがダサい、と。
そうなのだ。
就活をしている人間は何も考えずに就活をしているわけではない。
「自分を偽って面接に臨むことが正解なのか」なんて考えをとっくに通過した結果として面接に臨んでいるのだ。
何も考えていないのは、それをばかにするぼくのほうだったのだ。
読んでいると過去の自分を殺したくなってくる。つらい。
これだけでもぼくにはグサグサと刺さったのに、後半の展開はすごかった。もう息ができないぐらい苦しかった。
「こういうイタいやついるよねー」って半分客観的に読んでいたら、「いやこれまさしくおまえの姿なんだよ!」って小説の内側から指をつきつけられた気分。
観察しているつもりになっていたら、いつのまにか観察される側になっている。
やめてくれえ。
これ以上傷口を広げないでくれえ。痛い痛い痛い痛い。
タイムマシンで過去に戻って就活をやっているぼくの姿を見せつけられているような。いちばん戻りたくない時期なのに。地獄だ。
この小説を貫くキーワードは「就活」と「SNS」だ。
ぼくが学生のときはSNSは誰もやってなかった。卒業ぐらいのタイミングでやっとmixiが広まった。FacebookもInstagramもtwitterもなかった。せいぜいさっきも書いたようなBBSぐらい。
SNSのある時代に学生生活を送らなくてよかった、とおもう。『何者』を読んで余計に。
だってSNSっていやおうなしに「何者でもない自分」を突きつけてくるツールだもん。
すごい人がすごいことを発信している。どうでもいいことをつぶやくだけで何千という「いいね!」をもらう人がいる一方で、自分の渾身のツイートには誰も反応しない。
すごく残酷だよね。
一方で、かんたんに自分をとりつくろうこともできる。だけど無理していることがみんなにばれている。ばれていることにも気づいている。でもやめられない。
ぼくはもう老いて「何者でもない自分」として生きていく覚悟をある程度身にまとったから(完全に捨てられたわけではない)なんとか耐えられるけど、「もうすぐ功成り名遂げるはずの自分」として生きていた学生時代だったらとても耐えられなかった。
でも逆にSNS慣れしてる若い人のほうがそういうくだらない「自己と世間の評価のギャップ」をあっさり乗りこえてたりするのかなあ。それはそれでちょっと寂しい話だなともおもう。
現実を見るのは大事だけど、現実ばかり見なきゃいけないのもつらいよなあ。
就活のときに味わった苦しさをもう一度味わわされた気分だ。
それどころじゃない。
苦しさを何倍にも増幅されて与えられたようだ。
めちゃくちゃひりひりする小説だった。
三十代の今だからなんとか耐えられたけど。
これを二十五歳ぐらいで読んでたら発狂して自傷行為に及んでいたかもしれないな。それぐらいの殺傷能力がぼくに対してはあった。
朝井リョウ氏のデビュー作『桐島、部活やめるってよ』は特に何の感情も揺さぶられなかったので油断してた。ぐわんぐわんと揺さぶられた。
就活が嫌いだったすべての人におすすめしたい。
いやーな気持ちになれること請け合い。
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2020年3月17日火曜日
【読書感想文】明るく楽しいポルノ小説 / 奥田 英朗『ララピポ』
ララピポ
奥田 英朗
内容説明に「下流文学」とあるが、まさに下流文学。
登場人物がみんな社会の下層にいる人間ばかり。ただ貧しいだけじゃない。向上心がない、モラルにも欠けている、地道な努力は嫌い(風俗のスカウトマンだけは地道に努力してるけど)、でも他人への嫉妬心は強い、濡れ手で粟だけは夢見ている。
なかなかどうしようもない連中だ。
しかしそれがリアル。
清貧なんて嘘。貧しい出自で懸命に努力を積み重ねて成功を手にする、なんて例外中の例外。
貧しい環境にある人ほど明日が見えなくなってゆく。明日が見えないのに将来に向かっての努力なんてできるわけがない。
まともな方法で人生大逆転なんてできない。大博打を打つにも資本がいるのだ(金だけでなく時間とか教育とか人脈とか)。
貧困からの一発逆転手段といったら非合法なやりかただけ。
で、違法スレスレ(またはアウト)の方法に手を染める。
それはそれで成功を手にするのはむずかしい。まして非合法なやりかたで継続的な成功を収めるなどまず不可能だろう。
かくしてひとつの過ちをごまかすためにまた別の悪事に手を染め、あとはどんどん転落の一途……。
といったのが全篇に共通するおおまかな展開。
しかしじめじめせずに乾いたユーモアで包みながら物語は目まぐるしく動くので、読んでいて楽しい。
けっこう陰惨なエピソードもあるのだが(介護老人の死とか放火とか売春とか逮捕とか盗撮とか……。よく考えたら陰惨なやつばっかりじゃないか)、でもからっとした筆致のおかげで気が詰まらない。
最後は下流なりの小さな幸せをつかむ……みたいな展開にはなるのかとおもったら、そうはならずに、最後まで救いのない結末だった。個人的にはこのほうが好き。とってつけたような救済を与えたって嘘くさいしかえってみじめったらしいもん。とことん突き離してどん底に叩き落とすほうがいい。フィクションなんだし。
ストーリーはおもしろかったんだけど、性描写が多くて(全篇にある)電車の中で読みながら「これは窮屈な満員電車で読む本じゃなかったな」と後悔した。
性描写があるエンタテインメント小説というより、もはや明るく楽しいポルノ小説。
ちなみにタイトルの「ララピポ」とは「a lot of people」のことだそう。
たしかに早口で言うとそう聞こえる。
だからなんだって話だけど(この小説本編にもあんまり関係ない)、タイトルに使いたくなる気持ちはなんとなくわかるなー。
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