2018年8月9日木曜日

【DVD感想】バカリズムライブ『ぎ』


バカリズムライブ『ぎ』

内容紹介(Amazonより)
脚本やCM、ナレーションなど様々な分野でマルチな才能を発揮するピン芸人・バカリズムが、5月に赤坂・草月ホールで行った単独ライブを映像化。作、主演、演出だけでなく作詞までも自身で手掛け、独自の感性で作り上げた最新ネタを披露する。


・オープニング


『ぎ』というライブタイトルについての語り。
『ぎ』ではなく他の文字でもよかった、ただし『ぬ』はだめだ、あえてマニアックな文字を選ぶセンスのアピールがダサいから、しかし『の』は優しい、と独特の主張をおこなうバカリズム。トークから「バカリズムライブを擬人化する」というメタな構成のひとり芝居につながってゆき……。

『ぬ』や『ぺ』や『あ』はタイトルにふさわしくないという主張、論理的に説明できないけど感覚的にはよくわかる。たしかに『ぬ』だったら狙いが見え透いていてダサいよね。
はじめて「ゆず」というアーティスト名を知ったときに「うわあ、あえてかっこよさを目指してませんよっていうアピールが透けて見えてかえってダサいなあ」と感じたのを思いだした。


・(オープニングアニメーション)


「ぎ」の文字が流れてゆく映像と「ぎ」だけの歌詞の歌が流れるアニメーション。


・『過ぎてゆく時間の中で』


余命を教えてくれ、もう覚悟はできているからと医者に懇願する患者。
意外な余命を告げられ、残された時間の中で何ができるかと慌てだし……。
「大型連休の話じゃないですよね?」
「茹で時間の話じゃないですよね?」

演技力の高さが光るコント。コントというより喜劇といったほうがいいかもしれない。芝居として見入ってしまった。


・(幕間アニメーション)『ギガ』


電器屋に「溶けるスマホ」を探しにきた客と店員のやりとり。


・『難儀と律儀』


レストランにてひたすら長いメニューを注文する客。

これはちょっとイマイチだったなあ。幕間映像でもよかったような。


・(幕間アニメーション)『銀』


地球外生命体にしか見えない友人の告白「じつは他の……」


・『ふしぎ』


某テレビ番組のカメラリハーサル中に、「草野」役のスタッフが「黒柳」役や「まことくん」役のスタッフを叱りはじめる。

コントの仕掛けとしてはシンプルだが「足のくさいホランさん」「金に汚いLiLiCoさん」といったフレーズや、某番組のテーマ曲の使い方が絶妙。


・(幕間アニメーション)『卒業』


なにかになることが夢だと語る青年。
「どこかの誰かが何者かになにかされてどうにかなっちゃうの」


・『の?』


今回のライブでを唯一「ぎ」がつかないコント。
のんが、ぬンターネット、にソコン、ぬレステ4のある「のんが喫茶」が舞台。

うーん、次の展開がほしかったな。これは期待はずれ。


・(幕間アニメーション)『律儀』


区役所への行き方を尋ねる、区役所というあだ名をつけられる方法を尋ねられる……。


・『六本木の女王』


どMの男がデリバリー女王様を呼んだら、なぜか中年の男がやってきて……。

これは好きなコント。いい発想だなあ。「村上春樹」という小道具も絶妙。品のある中年男性にふさわしいチョイスだよね。


・(幕間アニメーション)『疑惑の螺旋』


日曜の朝にテレビ局がしゃあなしでやっているような番組『月刊テレビ批判』。とあるサスペンス番組に寄せられた苦情を紹介する。


・『志望遊戯』


高校の三者面談。靴屋になりたいという生徒に進学を勧めるために「じゃあちょっと靴屋やってみよっか」と提案し……。

漫才コントの定番導入である「じゃあちょっとやってみよっか。おれが〇〇やるからおまえは……」のパロディ。安い芝居をする芸人への皮肉が込められていてにやりとさせられる。たしかにプロなら「ウイーン」はそろそろ終わりにしないといけないよね。
今回いちばん笑いの多かったコント。
お母さんがボケだしたときの担任のうれしさを隠しきれない顔がたまらない。


・(幕間アニメーション)『疑い男疑う』


カフェで彼女と話す疑り深い男。


・『疑、義、儀』


恋人が親に決められた婚約者と結婚することになった男。披露宴に乗りこんで花嫁を略奪しようかと思うがよく考えてみると……。

彼氏、花嫁、花婿それぞれの思惑が錯綜する様子を描いた、パワーポイントあり、歌あり、芝居ありのスケールの大きな(?)コント。
少しカッチリしすぎているコントだが、随所にばかばかしさをとりいれて頭でっかちな印象になりすぎないようにうまく調整されている。
すごくおもしろいわけではないけど、ラストにふさわしい完成度の高いコントだった。


・(エンディング)


「ぎ」と「の」だけの歌詞の歌。



前作『類』に比べると、笑い・奇抜性ともに少しスケールダウンしたかなという印象。
ただ、芝居のうまさは相変わらずなので演劇として見てもレベルが高いし、爆発的な笑いの起こるコントこそなかったもののすごく見劣りするコントもなかった。平均は下がってない。

今回は幕間映像がどれも良かった。アニメもバカリズム自身で作っているというからすごい。コントライブの幕間映像というと、箸休め的なものや「ファンには楽しめるもの」なんかが多いのだが、『ぎ』は幕間映像でもがっつり笑いをとりにきていた。
特に『疑惑の螺旋』は、大喜利として見たらそこそこレベルぐらいなのに「日曜朝の退屈な番組」っぽく見せることでなんだか妙なおもしろさが漂っていて好きだった。もしかしたらあのフォーマットに乗せたらなんでもおもしろくなるのかも。見せ方がうまいねえ。

数多くのコントを作っていたらどうしてもパターン化されてきそうなものなのに、バカリズムコントは趣向がそれぞれちがう。過去の作品とも似ても似つかぬコントを毎回放りこんでくる。
「常に新しいことにチャレンジする」という姿勢だけは不変だ。


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2018年8月8日水曜日

楽しいカビキラー


掃除洗濯炊事アイロン衣替え布団干し、家事にもたくさんあるけれど、ぼくがだんぜん好きなのはカビキラーだ。
お見合いで「ご趣味は?」って訊かれたら「そりゃあカビキラーですけど?」って答えるつもり。もう結婚しちゃったけど。

カビキラー、ほんと楽しい。
風呂場のカビに向かって「おまえたち、やっておしまい!」と言いながらシュっとやる。それでおしまい。
数分して見たらもうカビがなくなってる。最高。

  • きれいになる
  • 達成感が感じられる

こんないい仕事ほかにない。欠点は金銭的報酬がもらえないことだけだ。カビキラーやるだけのかんたんなお仕事ないですかね。インディードにありますかね。



友人にカビキラー最高って言ったら、
「わかります。王様の気分ですよね」
と言われた。

王様?
「そう。家臣に命じるだけで、勝手に戦ってくれるわけでしょ。勝ってカビがいなくなれば自分の手柄だし、負けても自分自身にはほとんどダメージないですし」

なるほど。王様ってこんな気分だったのか。

そういやこないだのサッカーワールドカップで、いろんな国の大統領や国王が観戦に来てたけど、あの人たちもこんな気分だったんだろうな。

あとポケモンマスターもこんな気持ちだろうね。安全圏からバトルを観戦できるわけだから。
いけ、カビキラー!
カビキラーのジェットふんしゃ! こうかはばつぐんだ!


2018年8月7日火曜日

すきあらばバタフライ


区民プールあるある言いまーす!
「ちょっとレーンが空いてくるとバタフライやりがち」


区民プールにはいつ行ってもそこそこ人がいる。ひとつのレーンでだいたい3人ぐらいが泳いでいる。
たまに、2人ぐらいになる瞬間がある。するとすかさずバタフライをやるやつがいる。

プールに行かない人や「いやわたくしは自宅の庭のプールで泳いでいますがそんな人は見たことありませんわ」って人にはぴんと来ないだろうけど公共のプールではよく見る光景だ。


なんなんでしょう、アレ。
そんなにバタフライやりたいの?
一応「前を向いたまま早く泳げる」というのがバタフライのメリットらしいが、なんとも微妙なメリットだ。
疲れるし、かっこ悪いし、水しぶきだけはすごいし、バタフライなんか何が楽しいんだと思うんだけど、でもすきあらばバタフライをしかけてくるやつがいる。しかもけっこう多い。

あれは完全に貧乏性だろう。

バタフライは幅をとる。バタフライは2車線使う。
10トントラックでさえ車幅は1車線の中にぎりぎりおさまる。2車線使う車両は戦車ぐらいだ。つまりバタフライは戦車だ。

対向レーンに人がいるときにはバタフライができない。
だから向こうから人が来ないと「あっ、今ならバタフライできる! やらなきゃ損!」という気持ちでたいしてやりたくもないバタフライをやっちゃうのだろう。

こういう人は正月バーゲンで必要もない福袋を買っちゃう人だと思う。「今なら半額!? 買わなきゃ損!」とほしくもない福袋を買うタイプだ。
業務スーパーで安いからといってロールパン50個ぐらいまとめ買いしちゃうタイプだ。


まあレーンにひとりしかいないときならバタフライでも水球でも好きにしたらいいけど、困るのがプールの対岸に人(ぼく)がいるのに、バタフライをしかけてくるやつらだ。

向こうからバタフライでばっしゃんばっしゃんとこちらに向かってくる。もちろん対向車線も使って。
「おれはバタフライやるけど文句あるか?」という威圧感がある。ヤンキーがわざと車線をはみだして走るのといっしょだ。

ぼくは負けじとクロールをしかける。脅しには負けないぞという強い意志をこめて。ぼくはテロには屈しないぞ。ミサイルには経済制裁だ、ぐらいの気持ちで水をかく。

するとバタフライヤンキーはすれ違う寸前までバタフライをして、こちらが脅しに屈しないのを悟ると、ぎりぎりでクロールに切り替える。

そうまでしてバタフライがしたいのか。彼らをバタフライに駆り立てるものは何なのか。ぼくの知らない快感がバタフライにはあるのか。


ということで一首。

 すきあらばバタフライをする君よ 誇示か威圧か快楽なのか


2018年8月6日月曜日

【短歌集】揺れるお葬式



高架下葬儀会場 急行が通過するたび死人が笑う


各駅停車(かくてい)が上を超えてく葬儀場 坊主の読経はビブラートなり


満員の通勤快速通るたび 喪服がはだけてゆく未亡人


「あの故人(ひと)はシャンパンタワーが好きでした」寡婦の独白、不吉な予感


特急の振動、心臓マッサージ 死んだ老人息吹き返す


「振動で三途の川が氾濫し川の向こうへ渡れなかった」


あの人が生前愛したかつお節 焼きたて遺骨の上で踊る



2018年8月3日金曜日

大阪市吉村市長は学力低下の産物


「学テ」結果、校長や教員のボーナス、学校予算に反映へ…最下位状態化に危機感 大阪市の吉村市長方針

http://news.livedoor.com/article/detail/15103783/


じっさい大阪市の教育水準低下は深刻だ。
なにしろ、重要なことを決めるにあたって少しも歴史やデータを調べようともしない吉村洋文のようなバカを生みだし、さらにはそのバカを大阪市長に選んでしまったのだから。
これは教育の失敗の結果といわざるをえない。

大阪市で何が起ころうとしているのか。
 大阪市の吉村洋文市長は2日、今年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の総合成績が昨年度に続き、政令都市の中で最下位になったことを受け、「抜本的な改革が必要だ」として、学力テストに具体的な数値目標を設定、達成状況に応じて校長、教員のボーナス(勤勉手当)や学校に配分する予算額に反映させる制度の導入を目指す考えを明らかにした。 

どうやら吉村市長は「子どもたちの学力に応じて教員のボーナスを決めれば子どもの学力が伸びる」と考えているらしい。
ここには何重もの過ちがある。

まず、こんなことをしても教員はやる気にならない。むしろ逆効果だ。
ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』にこんな一節がある。
人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。たとえば、数年前、全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ、一時間あたり三〇ドル程度の低価格で、困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかし、その後、全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイデアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると、圧倒的多数の弁護士が引きうけると答えた。
今、子どもたちに勉強好きになってもらおうとがんばっている教員たちはたくさんいるだろう。彼らはボーナスの査定のためにやっているのだろうか。そういう教員もいるだろうが、むしろ少数派ではないだろうか。
彼らの行為に対して報酬をちらつかせることは逆効果だ。もちろんがんばっていることは評価したらいいが「結果を出したらボーナスはずんでやるよ」ということで彼らがよりいっそうがんばるようになるかというと、まったく逆だ。

ほとんどの親は子どもの運動会で一生懸命走る。がんばっても何ももらえないのに。
ではレース前に「一等になったら百円あげます」と言ったらどうなるだろう。
百円のために一生懸命走っているようで恥ずかしい、みっともない、情けない。たいていの親はそう考えて手を抜くだろう。
吉村市長は金のためだけに市長職をやっているせいで理解できないのかもしれないが、ほとんどの教師は金のためだけに教えているわけではないのだ。

能力のある教師のやる気を奪い、金をちらつかせなければ動かない教師に報酬を与え、意欲ある未来の教師を遠ざける。吉村市長は大阪市の教育をぶっつぶそうとしているらしい。



全国学力テストは1960年代にもおこなわれていた。全国中学校一斉学力調査という名前で。
なぜなくなったのか。学校間、都道府県間の競争意識が高くなりすぎた結果、不正が横行するようになったからだ。
学力テスト対策のための授業をするようになる、問題や答えを生徒に教える、勉強の苦手な子どもをテスト当日欠席させる。
このような経緯と現場の教員の反対で昭和の学力テストは廃止された。

2007年になって全国学力・学習状況調査という名前で復活したが、その名の通り学力を調査するためだけのものとしてである。
学力テストの結果をもとに報奨を与えたり罰を与えたりすることがマイナスにしかならないことがわかったので、あくまで現状把握のためだけに使うことになったのだ。
ちょっと調べればこういう経緯はすぐわかるわけだが、市長は歴史から学ぶ気が少しもないらしい。

また、子どもの学力に影響を与える最大の要因は遺伝であることが数々の調査から明らかになっている。
他にも家庭環境や友人関係なんかも影響を与え、教師が与える影響というのはごくごくわずかだ。
 さらには、学力には遺伝の影響も大きいことがわかっています。私が行動遺伝学の専門家である九州大学の山形准教授らとともに行った研究では、中学3年生時点の子どもの学力の35%は遺伝によって説明できることが、明らかになっています。
 これ以外にも、生まれ月、生まれ順、生まれたときの体重など、どう考えても子ども自身にはどうしようもないようなことが、子どもの学力や最終学歴に因果効果を持っていることを示すエビデンスもあります。身もふたもありませんが、これが経済学の研究の中で明らかになっている真実です。「どういう学校に行っているか」と同じくらい、「どういう親のもとに生まれ、育てられたか」ということが学力に与える影響は大きいのです。先ほどの北條准教授が日本のデータを用いて教育生産関数を推計したところ、家庭の資源が学力に大きな影響を与える一方で、学校の資源はほとんど統計的に有意な影響を与えなかったことも明らかになっています。
(中室牧子『「学力」の経済学』)

教師の鼻先にニンジンをぶらさげ、それによって仮に教師のやる気に火がついたとして(まずない話だけど)、短期間に全体の学力が向上することはありえない。

ボーナスで釣ってもマイナスにしかならないことを示す歴史もデータもいくらでもあるのに、そこから市長が何も学ぼうとしないのだから大阪市の教育はもうだめかもしれない。



ぼくは音痴だ。まるっきり音程がとれない。歌は超へただ。
でもそれは小中学校の音楽の先生のせいじゃない。原因を求めるにはもっと昔にさかのぼらなければならない。ぼくの親のせいかもしれないし、胎児のときに胎教で聴いた歌のせいかもしれないし、もしかしたら遺伝子のせいかもしれない。

音楽教師に「合唱コンクールのうまさによってボーナスを決めます」といったらどうなるだろうか。
もし音楽教師がボーナスを欲しがるならば、合唱コンクールの日にぼくを休ませるか、「口パクしなさい」と命じるだろう。それがもっとも手っ取り早く合唱のレベルを上げる方法だ。ボーナスの多寡に釣られる賢しい教師であればそうする。合理的な判断だ。
ちょっとマシな教師であれば、合唱コンクールの課題曲だけをまともに歌えるようにうんざりするぐらいぼくに居残り練習をさせるだろう。ぼくが歌うことを大嫌いになるまで。

学力もそれと同じだ。努力でなんとかなる部分はあるが、大部分は遺伝子と生まれ育った環境で決まってしまう。
全国学力・学習状況調査は小学六年生と中学三年生を対象におこなわれる。小六や中三で勉強が苦手なのは、まずまちがいなく小六や中三のときの教師のせいではない。できなかったことの積み重ねなのだ。

たしかに教師がめちゃくちゃ努力して生徒本人もやる気になれば、一年である程度リカバリーすることは可能だろう。だが数十人のクラス全員にそれをするにはリソースが圧倒的に足りない。



吉村市長は短絡的に「学力が低いのは教師がさぼっているせいだ」と考えているらしい。大阪市は生活保護受給率が全国の政令指定都市中ワーストワンだが根っこにあるこういう原因には目をつぶって「監督者の頬を札束でビンタすればすべて良くなる」と考えているらしい。
上の記事にはこうある。
成績の低迷は長年常態化しており、吉村市長は「強い危機感を持っている」と強調。児童生徒の学力向上に向けて、市教委や学校の意識改革の必要性を指摘し「結果に対して責任を負う制度へ転換しなければならない」とした。
もしほんとに結果に対して責任を負う制度へ転換したいのであれば、責任をとるのは現場の教師ではなく制度設計をしている機関の長、すなわち大阪市長だ

「学力テストで全国ワーストワンになったら大阪市トップであるぼくちんの報酬全額返納します! その分を教育に使うお金に充ててください!」というのがスジじゃないのか。

それだったらまだ「ああ、バカなりになんとかしようと考えたのね。はっきり言って無駄だけど心意気だけは評価するわ」という”愛すべきバカ”キャラ扱いだったのに、「大阪市の子どもの成績が悪いのは教員のやる気がないからだ!」と他人に責任を押しつけるようではただの”迷惑なバカ”でしかない。

世の中が悪いのはすべて公務員がさぼっているからだ、という維新の会マインドがこの方針にはとてもよく表れている。誰かのせいにすることほど楽なことはない。なんたって自分は頭を使わなくていいんだから。



ちなみにぼくは大阪市民である。今までのんきに「うちの子は公立校でいっか。お受験とか面倒だし金もかかるしな」と考えていたけれど、バカが頭を使わずに考えたバカな政策が本気で通るようなら、本気で公立校を避けることを考えなくてはならない。

かくして教育熱心な親は大阪市の公立校を避け、大阪市の学力テストの結果はますます下がるんだろうな。


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