2026年7月14日火曜日

【映画感想】『トイ・ストーリー 5』

このエントリーをはてなブックマークに追加

トイ・ストーリー5

内容(映画.comより)
おもちゃと子どもの絆を描いてきたディズニー&ピクサーの人気作品「トイ・ストーリー」シリーズの第5作。現代的なテクノロジーというかつてない脅威を前に、ウッディとバズが再び手を取り立ち向かう姿を描く。

ボニーのもとで暮らすバズやジェシー、フォーキーたちは、これまでと変わらぬ日常を送っていた。しかし、最新型の電子タブレット「リリーパッド」がやってきたことで状況は一変。多機能なデバイスに夢中になるボニーの姿を前に、おもちゃたちは自分たちの存在意義に疑問を抱き始める。「おもちゃはもう必要とされていないのか」という不安が広がる中、仲間からのSOSを受けたウッディが再びボニーのもとへ戻り、バズと再会する。かつての名コンビは、おもちゃの居場所を守るため、新たな脅威に立ち向かう。。

 うん、まあおもしろかった。映像はすごいし(でもすごすぎて、まるで実写映画を観ているようで、かえって驚きを感じなくなってしまった)。

 ストーリーも『4』に比べればぜんぜんいい。まあ『4』は大失敗作なので(ぼくは記憶から消してなかったことにしている)、それと比べればどんなものでもマシなんだけど。

 でもなあ。やっぱり『3』で終わりで良かったな、とおもう。続編をつくるとしても、登場人物を全部入れ替えて別のおもちゃの物語にしていれば良かったのに。

 ここから愚痴。


『4』で子どもを捨てて出ていったウッディを『5』で無理やり登場させたが、これはファンサービスでしかなく、出てくる必然性は何もない。ウッディが古くなったという設定もすでに『2』で通りすぎた話題だ(ハゲをギャグにするのはさすがに古すぎないか?)。

 オールドファンに向けて昔のようなウッディとバズの関係性を描きたかったのだろうが、ウッディとバズに今さら喧嘩をさせるのもしらじらしい。もうそんな段階はとっくに過ぎただろう。まして勝手に出ていったウッディがえらそうに仕切りだす正当性がどこにあるんだ?

 もうウッディのことは忘れて新しい一歩を踏み出してもいいんじゃない?(ていうかその覚悟がないくせに『4』みたいなのを作るなよ) 唐沢寿明のお声もだいぶ歳をとっていたし。



『3』までの3作は完璧だったし、その中であらゆる展開をやりつくしてしまった。主役の座を奪われる、置いていかれる、売られそうになる、盗まれる、捨てられる、寄付される。『おもちゃにとって何がいちばん幸福なことか』というテーマを3作かけてじっくり問いつづけ、これ以上ないという答えを提示してしまった。

 その後でどれだけピンチが訪れても、おもちゃたちが悩んでも、全部『3』までの焼き直しでしかないし、それでもまだ現状に不満を示すなら「じゃあサニーサイド保育園に行けばいいじゃない」としか言いようがない。

『3』で「保育園でずっと子どもたちの遊び相手として生きる」「いつか遊んでもらえなくなるとしても、今、子どもにとっての親友として生きる」という究極の二択を提示してしまった以上、それ以外の道を選ぶ理由がない(だからそれ以外の道を選んだ『4』は失敗作だった)。



 おもちゃの幸福と葛藤、というテーマについてやりつくしてしまったからだろう、『5』は人間の話が大きな部分を占める。

「子どもに、タブレットなどのデジタルデバイスをどのように扱わせるか」というのがメインの(そして陳腐な)テーマだが、それっておもちゃが心配することじゃないよね。保護者が考えることだ。おもちゃが教育方針にまで口を出すのは出しゃばりすぎ。

 実際ボニーはタブレットのチャットが原因でトラブルを引き起こすのだが、これは保護者が注意深く管理していれば防げたことで、『トイ・ストーリー』という装置を使って描くべきテーマとはおもえない。本来なら人間が人間に向けて言うべきことをおもちゃの口を借りて言わせているだけなので、説教くさいことこの上ない。

 やるとしても『インサイド・ヘッド』あたりで良かったのでは。



 そしてやっぱりぼくはボニーを好きになれない。『4』でもおもちゃを大事にしていない様子がありありと描かれていたが、『5』でもあっさりとおもちゃたちを裏切る。

 世間体を気にしておもちゃを手放そうとするボニー(しかもそれはアンディから託されたおもちゃ)。持ち主がこれでは、おもちゃとの間の信頼関係など築けるはずがない。もうこいつアンディとの約束なんて覚えてもいないんだろうな。嫌いだわー。

 アンディはおもちゃを託す相手をまちがえたな。ボニーに比べれば『1』のシドのほうがまだおもちゃを愛してるぜ(愛の形は歪んでるけど)。


 ただ、『2』からずっとしこりのように残っていたジェシーとエミリーの物語に結着がついたシーンは本当によかった。



 8歳の娘といっしょに鑑賞したのだが、娘は中盤ちょっと飽きていた。でもその気持ちはわかる。視点があっちこっち行くのでむずかしいんだもん。

「ボニー」「ジェシー」「バズたち」「ウッディたち」「ハイテクバズ軍団」と、それぞれのシーンが目まぐるしく変わる。ぼくは大人だし前作までの内容も頭に入っているから(『4』の内容は記憶から消去したけど)ついていけたけど、子どもには追いきれないよね。

 過去作ではシーンの切り替えは少なかった。『1』で言うと「2階と1階」「ウッディ&バズとその他のおもちゃ」ぐらい。『2』『3』も多くてせいぜい3シーンまで。

 これは意識的にやっていたんだろう。なるべくストーリー展開をシンプルにして、メインターゲットの子どもにも十分ついていけるようにしていた(時系列をさかのぼるシーンも極力なくしていた)。なぜなら、おもちゃで空想の世界にふける子どもたちは「数多くのシーンの切り替え」「時系列をさかのぼるストーリー展開」なんて考えてないのだから。幼少期におもちゃで遊んでいた気持ちを思い出させてくれる感覚が『3』にはあったが、こういった配慮が『4』以降失われた。監督の交代によるものだろうか。

 おもちゃに向けるあたたかい目を失ってしまったのは、はたしてエミリーやボニーだけなんだろうか。制作陣もまた子ども心を忘れてしまったんじゃないだろうか。

 制作陣に問いたい。あんたたちこそデジタル端末の使いすぎでは?


【関連記事】

【映画感想】『トイ・ストーリー 4』

【映画感想】『バズ・ライトイヤー』


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿