2026年5月26日火曜日

【読書感想文】下川 裕治 仲村 清司『新書 沖縄読本』 / 諦観からくる明るさ

このエントリーをはてなブックマークに追加

新書 沖縄読本

下川 裕治(編・著)  仲村 清司(編・著)

内容(Amazonより)
「癒し」イメージが先行するなか、長寿伝説の崩壊、格差の拡大、迷走する基地問題、サンゴを巡る島と本土のねじれなど、島は多くの問題で揺れている。 その一方でなぜ近年沖縄野球は強くなったのか、次々とメジャーの歌手を輩出する沖縄音楽の魅力の源泉とは。 沖縄ブームにも深く関わった著者たちが紡ぐ、沖縄の歴史といまを照らす21の物語。

 かつて沖縄を「心温かい人たちのいる南の楽園」として紹介する雑誌や本の出版に携わり、“沖縄ブーム”に一役買った著者たち。

 だがあたりまえだが実際の沖縄は楽園ではない。良いところと同じぐらい、あるいはそれ以上に、悪い部分もある。

 そんな沖縄の様々な面(主にネガティブな面)について、沖縄事情に明るいライターたちがつづった本。


 正直、いろんな人がいろんなテーマで書いているので散漫な印象だ。「あまり語られない沖縄の抱える問題」について書いてあるのかとおもいきや、沖縄の老舗ホテルがつぶれたとか、沖縄は野球熱が高いとか、琉球人を象った像がタイにあるとか、それがどうしたと言いたくなるような章もある。

「沖縄には鉄器が足りなかったから大規模農業ができず近くの人と助け合わなければならないので沖縄の人たちは温和な人柄になった」なんて話(司馬遼太郎が唱えた説)はおもしろかったが、ちょっと根拠があやふやすぎる。酒の場の話としてはいいんだけど。

 もうちょっとテーマを絞ってくれたほうが読みやすかったな。



 かつて「日本一長寿な都道府県」だった沖縄だが、県民の健康状況はどんどん悪くなっているそうだ。都道府県別肥満率はワースト1位に。

 原因のひとつが食文化のアメリカ化。かつては海藻などを豊富にとっていたことが健康につながっていたが、ファストフードやスパムなどを多く食べるようになり、健康状況は悪化の一途をたどっている。背景にはもちろん米軍基地の存在がある。

 それだけではない、経済的要因も大きい。

 大変ショッキングなことを述べるが、沖縄は男性の自殺率が全国平均をはるかに上回っていて、一九九五年の統計では全国二位。世代も二〇歳代から六〇歳代まで幅広い。厚生労働省の統計(二〇〇〇年度調査)で、男性の平均寿命が全国四位から二六位に転落したととは前述したが、当時、県が試算したところによると、自殺がなくなると平均寿命が〇・七七歳延びるとされた。沖縄は「癒しの島」「楽園の島」などとイメージされているが、実態はまるで違っていたことになる。もはや深刻というレベルを超えて、社会問題として認識すべきところにきているのではないか。
 そのように言い切ってしまうのには理由がある。警察庁が公表した二〇〇九年の沖縄の自殺者は四〇六人に上り、〇六年の四〇〇人を超え、過去最悪となっているからである。しかも、前年比で六九人も増加、その増加幅はなんと全国三位の水準である。その自殺者の多くが鬱病を発症していたわけだが、病気の原因としてあげられているのが失業による生活苦や多重債務なのである。

 沖縄県民は心身ともに不健康になっているわけだ。

 沖縄と本土の経済格差は拡大しているので、今後もこの傾向は続くのだろう。肥満率はともかく、自殺が多いのは「楽園」とは真逆だよなあ。

 このあたりの話は興味深かったので「沖縄のたどってきた歴史と健康度、幸福度」といったテーマで一冊にした本のほうが読みたかったな。



 宮古島の近くにあるため「離島の離島」とも呼ばれる伊良部島の話。

 2015年に宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋が完成し、島民はそれまでより便利な生活を送れるようになった。

 伊良部島の青年に橋の建設現場を案内してもらった。彼自身、この工事で仕事を得ていた。これといった産業がない島では、公共工事がもたらす経済効果は計り知れない。橋の建設は、完成後の便利さ以前に、島を潤してくれる有効な手段だった。
 しかし青年の表情は冴えなかった。
「素直には喜べないさー」
 彼が口にするのは、島の現実だった。
「橋ができると伊良部島の土地の値段は確実に上がります。いや、すでに上がってきている。沖縄本島や本土の業者が入ってきているって噂さー。すると、島の物価がじりじり上がってくる。島での商売が難しくなるってことになる。宮古島の大型店に行けば、安いものがいくらもあるからね。これまで伊良部で商店を経営してきた人のなかには、島を出ていく人も出るかもしれない。最終的には、島の人口が減っていく……」
 それは離島に限らない過疎地の現実だった。交通が不便だった村に立派な道路が完成する。道路建設という公共工事で村に金が落ちる。政治家は、さも自分の力で道路をつくったかのような持論を展開する。
「近くの町への通勤も可能になります。町から人が移り住み、村の活性化に結びつくわけです」
 しかしふたを開けてみると、現実という針は逆方向に振れてしまう。過疎の村から、人々は完成した道路を使って出ていってしまうのだ。道路建設はすぐに効力が消えるカンフル剤だったことを教えられるのだ。日本各地で起きた現象は、当然、島にも届いている。その流れに伊良部島も呑み込まれていってしまう不安に、島の若者は苛まれていた。

 ストロー効果ってやつだね。

 高速道路や橋ができて都市に行きやすくなることで地方の生活が便利になるかとおもったら、若者や働き手が都市に出ていってしまい、かえって地方の過疎化が進む現象。隔絶されているからこそ守られる生活もあるんだけど、失うまでなかなか気づけないよね。

 昔より交通網が発達したり情報伝達速度が上がったから「日本中どこに住んでも似たような生活を送れるようになった」はずなのに、現実には昔よりも東京一極集中が進んでいる。

 かんたんに帰ってこられるとおもうと出ていきやすくなってしまうんだね。




 戦前、人口過剰や土地不足を背景に、沖縄からブラジルなどへの移民が相次いだ。その傾向は戦後になっても変わらず、1954年からは南米・ボリビアへ集団移住する人たちがいた。

 たいていの移民がそうであるように、ボリビア開拓団は大きな苦労を強いられたようだ。政府から「海外に行ってがんばって働けばいい暮らしができる」と言われていったのに、裏切られた気になった人も多かったという。

 しかし、本土からの南米移民地に比べると、ボリビアの沖縄村は、そこに流れる空気が違っていたという。ボリビアのサンタクルス周辺には、九州の炭鉱で働いていた人が多く占める移民地もあった。上原はそこにも関わっていたから、雰囲気の違いがよくわかった。「沖縄の移民地には暗さがないんですよ。本土からの移民地と同じように貧しいのにね。沖縄の人は楽天的。現地に溶け込んでいくのも早かったな。それに比べると本土の移民地は重苦しかった。彼らはよく棄民という言葉を口にしました。つまり、われわれは、日本から棄てられたんだ……と。なにかのトラブルが生まれると、すぐに日本政府への要求を口にする。それがかなわないとわかっていても、日本にすがろうとする。でも、沖縄の人たちは違ったね。自立心があるんです」
 実際、沖縄村はその後、ボリビアの農牧大臣から「小麦の里」と激賞されてもいる。
 だが、それを移民の成功譚として書き留める前に筆が止まる。ボリビアに渡った沖縄の人々は、アメリカ占領下の琉球政府に頼ることを、はじめから諦めていたようなところがある。棄島した人たちに、棄民もなにもなかった。その背後には、戦争を通して日本から棄てられたような沖縄の現実が横たわっている。そのなかでは、琉球政府もまた犠牲者だった。それが当時の沖縄の人たちの共通認識だったような気がしないでもない。それを嗤って開墾に励む。沖縄村のエネルギーだった。

 ボリビアに渡った沖縄移民たちは明るかった。だがその明るさは本来の気質によるものだけでなく、「そもそも日本という国に期待をしていなかった」という背景によるものなのかもしれない。

 琉球処分によって琉球が日本のものになり沖縄県ができたのが1879年。1950年代の沖縄の人にとっては「我々は日本人だ」という意識は薄かったのかもしれない。アメリカ占領下だし。


 沖縄移民の明るさは、楽観から来るものではなく、むしろ諦観だったのかもしれない。そしてその感覚は現代では完全になくなったものなんだろうか。


【関連記事】

【読書感想文】高橋 哲哉『沖縄について私たちが知っておきたいこと』 / 沖縄は「戦争特区」

【読書感想文】寺尾 紗穂『あのころのパラオをさがして』



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿