2025年9月30日火曜日

【読書感想文】藤井 一至『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』 / 土は生命

このエントリーをはてなブックマークに追加

土と生命の46億年史

土と進化の謎に迫る

藤井 一至

内容(e-honより)
現代の科学技術をもってしても作れない二つのもの、「生命」と「土」。その生命は、じつは土がなければ地球上に誕生しなかった可能性があるという。そして土は、動植物の進化と絶滅、人類の繁栄、文明の栄枯盛衰にまで大きく関わってきた。それなのに我々は、土のことをほとんど知らない。無知ゆえに、人類は繁栄と破滅のリスクをあわせ持つこととなった。そもそも、土とはなにか。どうすれば土を作れるのか。危機的な未来は回避できるのか。土の成り立ちから地球史を辿ると、その答えが見えてくる。

 どうやって地球上に土ができたのか、土は菌・ウイルス・植物・動物とどう関わっているのか、人類の科学進歩によって土はどのような影響を受けているのか、そして土と共存していくためにはどうすればいいのか。

 タイトルの通り、土と生命の関わりについての46億年史をぎゅっと濃縮した本。すごく密度が濃い。おもしろかった。大地讃頌を歌いたくなる。




 まず文章がおもしろい。文章のおもしろさはこの手の本にとってすごく大事なことだ。専門家が素人に向けて書いた本って、書き手と読み手の知識の差が大きいから、往々にしてついていけなくなるんだよね。そんなとき、文章がおもしろければ、内容がいまいちわからなくてもとりあえず読む気にはなる。なんとか振り落とされずに済む。なんとか食らいついていけば、ちょっとずつわかるようになってくる。

 学校のグラウンドでキラキラと光って見えるのは砂粒であり、石英という造岩鉱物の結晶が日光を反射している。甲子園の黒土(火山灰土壌)もキラキラして見えるが、それはひたむきに白球を追う高校球児のまぶしさによるものではなく、園芸会社が混合した石英砂と火山灰(主に火山ガラス)の結晶が光を反射するためだ。手に取ってみるとどれも砂粒にすぎず、水晶玉のような輝きはない。球児のユニフォームを汚す黒土からは、縄文時代の人々の火入れによって残された炭が見つかることもある。炭の主成分は炭素だが同じ炭素からなるダイヤモンドのような輝きも経済価値もない。高校球児はそんな甲子園の土に特別な価値を見いだす。

「砂の中の石英砂と火山灰の結晶は光を反射する。土に含まれる炭素はダイヤモンドと同じ元素から成るが光を反射しない」だとぜんぜんおもしろくないけど、こう書いてくれるとがぜん興味が湧く。

 ひとりでも多くの人に土に興味を持ってもらおう! という著者の熱意がひしひしと伝わってくる。その想い、しかと受け取ったぜ! 土に関する記述も全部ではないけどなんとなく理解できたぜ!


 地学の話って鉱物の名前とか元素の名前がいっぱい出てくるのでかなりとっつきづらいんだけど、この本では少しでもイメージしやすいように、身近なものを使って説明してくれる。

 花崗岩+炭酸水=砂+粘土+ケイ素+塩(ナトリウム)
 
 この式は、何を意味しているのか。具体的な物にあてはめてみたい。愛知県には、織田氏の拠点となった濃尾平野、徳川氏の拠点となった豊橋平野の背後に花崗岩質の山がある。
 戦国大名の斎藤道三が押しのけた守護大名・土岐氏の名をいただく土岐花崗岩だ。花崗岩が風化すると、石英砂、長石、雲母の微粒子に分解し、重い砂は木曽川に運ばれ、まず山のふもと(扇状地)に堆積する。これが細長い大根(守口大根)を生む砂質土壌となる。
 長石が風化してできるカオリナイト粘土(白粉、ファンデーションの主成分)は水の力で運ばれて、かつて名古屋を含む下流域に広がっていた巨大湖(東海湖)に堆積した。それが陶器(瀬戸焼)に使われる粘土層となる。岩石から放出されたカリウムとケイ素は田んぼでイネに吸収され、米を育む。河口域・海へと流れこんだナトリウムは食塩となり、ケイ素は珪藻(植物プランクトン)の材料となってウナギ(椎魚のシラスウナギ)を育む。あわせると、名古屋名物のうな丼になる。
 山の恵み、海の恵みをもたらす山の神、海の神への感謝の思いを新たにする一方で、この反応武は一つ重要なことを教えてくれている。山の恵み、海の恵みは、岩石の風化速度に制限されているということだ。生命は土や海の栄養分の存在量よりも、その循環量によって支えられている。土や海に資源が無尽蔵にあれば気にならないが、循環量を超えて資源を利用すればやがては枯渇する。家計で収入と支出のバランスがとれていないと貯金が目減りし、やがて生活を維持できなくなるのと似ている。循環量を超えて地球は持続的に生物を養うことはできない。この原則に抗う地球史上唯一の生物が人類である。

 いい文章だなあ。理想的な教科書だ。この文章を読むだけで、我々の生活がどれだけ地層に依存しているかがよくわかる。土地ごとに名物があるけど、名物それぞれに自然環境要因があるんだねえ。大地を誉めよ頌えよ土を。




 土とは、鉱物が細かくなったものにくわえて、動植物の糞や死骸が分解されたもの(腐植)が混ざったものをいうのだそうだ。生物がいなければ土はできない。でも陸上生物は土がなければ生きていけない。鶏が先か卵が先か、みたいな話だ。生物が先か土が先か。

 うーん、おもしろいミステリだ。このスケールのでかい謎を、この本では見事に解き明かしてくれる。

 生物が次々に進化しているのと同じように、土もどんどん変化しているのだ。土が変化することで植物や動物が入れ替わり、動植物の行動が変わることでさらに土も変化する。このダイナミックな動きを紹介してくれるのだが、わくわくするほどおもしろい。


 ヒトは山に登るなどして、少し酸素濃度が低下するだけで高山病になるが、大気中のガス成分は地球史を通して大きく変動してきた。まず、酸性だった太古の海が中和されたことで、海には大量の二酸化炭素が溶けこめるようになった。今や海は地球最大の炭素貯蔵庫だ。次に陸上に進出した植物が炭素を固定し、土壌中に腐植として炭素を貯めこむ。土壌には、大気中の二酸化炭素ガスの約2倍、植物体中の約3倍の炭素が貯蔵されている。産業革命以前の地球では、大気中の酸素や二酸化炭素の濃度は火山、大気と海、そして植物と土のあいだの物質の循環によって決まっていた。大気組成はこれらの微妙なバランスに依存し、植物が光合成しすぎると大気中の二酸化炭素が減少してしまうし、微生物が土の有機物を分解しすぎると二酸化炭素が増加してしまう。
 これが杞憂ではないことは歴史が証明している。石炭紀には、リグニンの合成によって分解されにくくなった倒木や落ち葉が未分解のまま泥炭土として堆積し、石炭として化石化したこと大気中の二酸化炭素濃度が急減した。微生物による有機物の分解を上回るスピードで植物が光成をしたことで酸素濃度が上昇し、『風の谷のナウシカ』の世界のように節足動物は巨大化した。酸素濃度が高ければ、巨大化しても体中に酸素が行きわたる。しかし、やがてキノコの分解能力が高まると酸素濃度は低下し、巨大節足動物たちは姿を消した。

 土が変われば空気中の酸素が増え、節足動物が巨大化する。土が変わればまた別の生物たちが台頭する。『風の谷のナウシカ』で「土から離れて生きられないのよ」という台詞があるが、まさにその通り。土が変わったからあんな世界になったのだ。



 正直に言って、この本の内容をすべて理解できたわけではない。むずかしいので流し読みしたところもある。

 それでもおもしろい。文章がいいので断片的に読んでもおもしろいし、だいたいの流れを追っているだけでも地球のダイナミズムを感じられる。読めば読むほど、土と生命の違いってなんだろうという気になってくる。ほとんど生命と変わらないよな。


【関連記事】

【読書感想文】土はひとつじゃない / 石川 拓治・木村 秋則『土の学校』

【読書感想文】藤岡 換太郎『海はどうしてできたのか ~壮大なスケールの地球進化史~』

【読書感想文】藤岡 換太郎『山はどうしてできるのか ダイナミックな地球科学入門』/標高でランク付けするのはずるい



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿