スティーヴン・ミルハウザー/著
柴田元幸/訳
『ナイフ投げ師』
柴田元幸/訳
ファンタジー小説、なのかな……。
本屋で「変なタイトルの本だな」と思って手に取った。
作者のことは何も知らない。
新書サイズだったのではじめは小説とすら思わなかった。ヨーロッパに実在した職業について書かれた本なのかな、と思った。
人生において「うまく解釈できない」ことってある。
ぼくの場合、小学1年生ぐらいのときの体験がある。
布団で寝ていたら誰かが部屋に入ってきた。顔は見えない。男だということだけはわかる。男は部屋の片隅にあったタンスをごそごそと探っている。
直観的に「これはお父さんじゃない」と思った。「たぶん泥棒だろう」と思ったが、ぼくは何も言わずにじっと見ていた。こわいとは思わなかった。
男は黙って部屋を出ていった。
……という記憶。
後から考えると泥棒とは思えない。行動が大胆すぎる。
寝るときは常夜灯をつけていたから暗くて顔が見えないというのもおかしい。
たぶん夢か空想だったんだろう。
でも夢とは思えないたしかな実感があった(これはもう感覚としか言いようがない)し、今でもしっかりと覚えている。
この記憶は、今でもぼくの中に「うまく解釈できないこと」として残っている。
そういう「うまく解釈できないこと」を集めたような短篇集。
スリルと狂気に満ちた見世物を見たときに感じる自分の中の狂気にとまどう『ナイフ投げ師』。
久しぶりに会った友人は大きな蛙を妻にしていたが、何食わぬ顔をしてその場をやり過ごそうとする『ある訪問』。
大人に隠れて夜中に集まり、けれど何もしようとしない少女たち。彼女らの目的は?『夜の姉妹団』。
真夜中に女の子と遊ぶ夢か現実かわからない体験『月の光』。
夢幻のような感覚の小説が並ぶ。
本を読んでいるのに、白昼夢でも見ているような気分になる。
ファンタジー小説と呼ぶのをためらってしまうのは、幻想的でありながらも「味わったことがあるような感覚」があるからだ。
この感覚は、どこかで体験したことがある。でもいつどこでかは思いだせない。
もどかしい。そして懐かしい。
もどかしい。そして懐かしい。
いつか見た夢 のような味わいの短篇集だった。
精巧かつ自動で動く人形による劇場が流行している未来。
人形の精密さはもちろん、観客の様子や人形職人の生活を丹念に描写することによって、見たことのない自動人形劇場の魅力がありありと伝わってくる。
どんどん精巧さを競った結果に原点回帰した朴訥な自動人形が復古するという流れもいかにも "ありそう" で、ほんとうに自動人形劇場が流行った時代があったのかな? という気持ちになる。
この説得力あふれる筆致は唯一無二のものだなあ。
小説って人物を描くことが多いけど、ミルハウザーの小説にはあまり「個を持った人物」が出てこない。ストーリーも起伏豊かとはいいがたい。
理想的な百貨店を描写した『協会の夢』、
斬新かつ進化を遂げつづける遊園地の顛末をつづった『パラダイス・パーク』、
地下道のある町を落ち着いた筆致で語る私たちの町の地下室の下』など、
「人」よりももっと遠い視点で「場」や「状況」を見つめた作品が多い。
理想的な百貨店を描写した『協会の夢』、
斬新かつ進化を遂げつづける遊園地の顛末をつづった『パラダイス・パーク』、
地下道のある町を落ち着いた筆致で語る私たちの町の地下室の下』など、
「人」よりももっと遠い視点で「場」や「状況」を見つめた作品が多い。
小説を読んでいてこんなことを思うことはめったにないんだけど、短編映画にしても雰囲気豊かな名作になりそうな作品集だなあ。
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