そうはいってもぼくはいたって生真面目な人間だから、法律や規則は極力守るように努めている。
無人の野菜販売所でもきちんとお金を払うし、よほどのっぴきならない状況にならないかぎりは立ち小便だってしない(つまり先週金曜の晩はのっぴきならない状況だったということになる)。
ここで突然だが、性の話をする。
おっと。
ぼく自身の名誉のためにことわっておくが、「性」といっても、社会的な性差をあらわすジェンダーだとか、生物学的な男女のちがいといった意味の「性」ではなく、もちろん、やらしい意味での「性」の話だ。
小学生のとき、男子が女子と仲良くすることは、戦争と同じくらいの「悪」だった。
女子と仲良くするやつはエロい、
エロいことはいけない、
したがって女子と仲良くするのはいけない。
この一分の隙もない三段論法は、神聖ニシテ侵スベカラズ鉄の掟として男子小学生の世界を統べていた。
優等生だったぼくはもちろんその掟を愚直に守り、憎まれ口以外の言葉を女子との間に交わすことはなかった。
それがどうだ。
ぼくの預かり知らぬところで、いつのまにやらルールが変わっていた。
女子と話すなんてかっこわりい、と云ってたやつが、女の子と手をつないで一緒に帰るようになっていた。
おれエロいことになんて興味ねえし、と云ってたやつが、どうやらスカートめくりよりももっとエロいことを女の子と楽しんでいるらしかった。
エロいやつは蛇蝎のごとく蔑まれていたのに、ぼくが気づいたときには、エロいことをしたやつのほうが偉いという風潮に変わっていたのだ。
なんたる価値観の転換。
昭和二十年八月十五日。
敗戦を機に、軍国主義から民主主義へと世の中が一変した戦後の日本人もこんな感覚を味わったのだろうか。
いや。
彼らには玉音放送というターニングポイントがあった。
しかしぼくの場合、気づかぬ間に世界のルールが変わっていたのだ。
終戦を知らずにジャングルで隠れていた横井庄一さんが真実を知らされたときの気持ちだ(のはずだ)。
いったいいつのまに。
あれか。
たまたまぼくが風邪で学校を休んだときに、学級会で話し合いがもたれて、
「それではー、エロいことをした人のほうがー、かっこいいということになりましたー。賛成の人は拍手をしてください!」
みたいな議事があったのか。
ぼくだけ聞いてないぞ。
あんまりじゃないか。
学校を休んだときは近くの家の人がプリントを届けることになってるのに。
そんな大事なおしらせが、ぼくにだけ届いてない。
おかげでぼくは今も、女の人と話すことに後ろめたさを感じてしまう。
会社で女性社員と雑談をしているだけで、
「うわー、あいつ女と仲良くやってるゼー」
なんて後ろ指をさされるんじゃないかという気がしてならない。
とまあ、突然のルール変更に苦しんだ経験があるから、なるべくならルールは変えないでいただきたいというのがぼくの信条だ。
(以上、「憲法改正に対するあなたのお考えをお聞かせください」という質問に対する回答)
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