『超発明: 創造力への挑戦』
真鍋 博
昔の人の「未来予想」は愚かでおもしろい。だってはずれているに決まっているから。
自分だけが答えを知っているクイズのように、にやにやしながら「君たちにはわかんないよねー。難しいよねー」と底意地の悪い楽しみかたができる。
明治時代のとある学者が「このままだと東京の街は馬車の馬糞でいっぱいになる」と真剣に憂慮していたらしいが、そういう的はずれな予想がぼくは大好きだ。
真鍋博の『超発明』も、今から40年以上前に刊行された本なので、いわば”昔の人の未来予想”だ。当時の科学技術を土台に、ありったけの想像力というスパイスをふりかけて考案された発明たち。
これがなんというか、性格の悪いぼくにとっては残念なことに、40年たった今でも色褪せていないのだ。今年書かれたと言われても信じてしまうくらいの鮮度の良さだ。
予想は古くなるが空想は古びないのだと教えてくれる。
真鍋博といえば星新一作品のイラストで有名だが、あらゆる刺激をなくして死を疑似体験する『無刺激空間』や、増えすぎた生物を狩る『天敵ロボット』なんて発明は上質のショートショートような味わいだ。
諷刺やエスプリがたっぷりと効いて、さらなる想像をかきたてられる。
輸送や陳列のコストを削減する『四角い卵』、味を記憶する『録味盤』、光そのものを絵の具にする『オプティカル・パレッ ト』、物体の一部分だけの重さを量る『部分体重計』のような、もうすぐ実現するんじゃないかという発明(ぼくが知らないだけでもう開発されているのかもしれないが)も魅力的だが、突拍子もないナンセンスな発明にこそ真鍋博の豊かな想像力が光る。
たとえば次の発明。
まだレコードしか録音手段がなかった時代なので「レコードをいかに改良するか」という発想になるのは当然だ。だがそこから出発して、現代ではほぼ実現したといってもいい“一個のレコードに何億曲でも”という着地点にまで持ってくるのは、単なる空想にとどまらない、現実的な視点も必要になる。
理論に裏打ちされた空想、これもやはり星新一に共通するものがある。
最後に、ぼくがいちばん気に入った発明を。
美しいほどにリアリスティックでロマンティックな発想だ。
隣国同士が憎み合わずに互いに贈り物をすれば世の中はよくなる。だが、それを支えるのは親切心ではない。愛は地球を救わない。なぜなら愛は長続きしないから。
だが競争心や闘争心は持続する。数々の戦争が数多の偉大な発明を生んだように、米ソの対立が宇宙開発につながったように、『憎悪は地球を救う(可能性もある)』のではないか。
地に足のつかない理想を並べたてる輩よりも、こういうリアリスティックなアイデアにこそノーベル平和賞をあげたほうがいいんじゃなかろうか。
ノーベル平和賞だって “競争心を平和のために利用する発明” だしね。
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