2023年5月18日木曜日

レトロニムと生爪

 携帯電話ができたので、それまで単に「電話」と呼ばれていたものが「固定電話」と呼ばれるようになった。

 それはわかる。

 じゃあ「生爪」の「生」ってなんなんだろう。

 今は付け爪とかあるけど、たぶん付け爪ができる前から「生爪」という言葉はあったはず。


 なんでわざわざ「生」をつけたんだろう。

 生じゃない爪って、茹でガニの爪ぐらいしかおもいつかない。そんなのは例外なんだから、そっちを「茹で爪」と呼べば済む話だ。わざわざ我々の手足についているほうを「生爪」と呼ぶ必要はない。

 だいたい、「生爪」と「茹で爪」を区別しなくちゃいけない状況なんかある?

 

 電話はわかるよ。

「今晩、電話するね」

「え? どっち? 家の電話? それともこの持ち運びできるほう?」

ってなるから、「固定電話」「携帯電話」という区別ができた。


 寿司もわかる。

「なんだよ、寿司をごちそうしてくれるって言うから目の前で職人が握ってくれるやつだとおもったのに皿が周回するタイプのほうかよ!」

ってなるから、「回転寿司」「回らない寿司」という呼び方ができた。


 爪はどうだろう。

「なんだよ、爪を食べたっていうから人間の爪かとおもったらカニの爪かよ!」とはならない。

「爪がはがれて痛そうっていうから心配したのにおまえの爪じゃなくて茹でたカニの爪かい!」ともならない。

 わざわざ「生爪」「茹で爪」なんて言わなくても、前後の文脈でどっちかわかる。



 どういう経緯でわざわざ「生爪」という言葉ができたんだろう。

「生脚(ストッキングなどを履いていない脚)」は新しい言葉なのに、「生爪」は古い。なぜだ。

 他に、身体の部位で「生」がつくものはあるだろうか。

「生脳」とかだいぶ気持ち悪い。

「生眼」「生足」「生手」は、「裸眼」「裸足」「素手」だな。これらは衣類で覆うことがあるからわかる。

「生肉」「生レバー」は……。これは人体には使わないな。

「生乳」は……。加熱処理していない乳のことです。誰だ、エロいことを考えたのは!






2023年5月17日水曜日

いちぶんがく その20

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



それは誰かというと、いまこの原稿を書いている人です。

(速水 融『歴史人口学の世界』より)




なんとこの学園では、創立者が銅像の姿で永遠に掃除をし続けているのです。

(辛酸なめ子『女子校育ち』より)




そのとき、ちょうど殺人の罪で死刑の執行を待つばかりとなっていた一卵性双生児の囚人が二人いた。

(ゲアリー・スミス(著) 川添節子(訳)『データは騙る 改竄・捏造・不正を見抜く統計学』より)




みんなどういう肉で口をもぐもぐさせているのか。

(東海林 さだお『がん入院オロオロ日記』より)




彼は笑おうとしているのだ。

(東野 圭吾『真夏の方程式』より)




しかし、何でも買える社会は、何でも買わなくてはならない社会でもある。

(岡 奈津子『〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン』より)




それは、女というより人跡未踏の川にいる水中生物のように見えた。

(笹沢 左保『人喰い』より)




あとは味方のエラー2つ、スタンドの殴り合い2回、停電1回だけだった。

(ロバート・ホワイティング(著)松井 みどり(訳)『ニッポン野球は永久に不滅です』より)




機械から取り出した生地はしっとり指にからみつき、ぐにゃりと気を失った美少年のようだ。

(麻宮ゆり子『世話を焼かない四人の女』より)




元素には科学史があるように社会史もある。

(サム・キーン(著) 松井 信彦(訳)『スプーンと元素周期表』より)




 その他のいちぶんがく


2023年5月15日月曜日

【読書感想文】澤村 伊智『ぼぎわんが、来る』 / 知らず知らず怨みを買っている恐怖

ぼぎわんが、来る

澤村 伊智

“あれ”が来たら、絶対に答えたり、入れたりしてはいかん―。幸せな新婚生活を送る田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。それ以降、秀樹の周囲で起こる部下の原因不明の怪我や不気味な電話などの怪異。一連の事象は亡き祖父が恐れた“ぼぎわん”という化け物の仕業なのか。愛する家族を守るため、秀樹は比嘉真琴という女性霊能者を頼るが…!?全選考委員が大絶賛!第22回日本ホラー小説大賞“大賞”受賞作。


 母が読書家だったので実家にたくさん本があり、ぼくも母の本棚の本を手に取って読んでいた。ぼくが本好きになったのは母の影響が大きい。

 母の本はあれこれ読んだのだが、まったくといっていいほど読まなかったジャンルがある。それが、恋愛小説と(霊が出てくる系の)ホラー小説だった。

 恋愛小説に関しては男女で求めるものがだいぶちがうので、女性向け恋愛小説を男が読まないのも必然かもしれない。

 ホラーについては、なぜだかわからないけどぼくの琴線にまったく触れなかった。やはり母が好きだったミステリやサスペンスは好きになったのに、ホラーだけは読もうという気にならなかった。

 ホラーが好きじゃないというと「はあ、怖いからだな」とおもわれるかもしれないが、むしろ逆だ。

 ぼくがホラーを苦手とするのはちっとも怖くないからだ。

 幽霊だのお化けだのの存在は信じちゃいないし、「仮に人知を超えた存在が存在したとしても対策のしようもないわけだし怖がるだけ無駄」とおもってしまう。

 たとえばヘビが怖ければ草藪に近づかないとか細長いものがあれば避けるとか対策を立てられるけど、目に見えない神出鬼没の存在は対策の立てようがない。そんなものを怖がってもしかたがない。だからぼくは霊的なものは怖くないし、怖がらない。

 殺人鬼とか通り魔とか交通ルールを守る気のないドライバーとかは怖いんだけどね。




『ぼぎわんが、来る』は心霊系のホラー小説である。

 なぜか〝ぼぎわん〟なる存在につきまとわれる主人公一族。〝ぼぎわん〟が来ても返事をしてはいけない。もし返事をしたら山に連れていかれる。死ぬ寸前まで〝ぼぎわん〟におびえていた祖父と祖母。彼らの心配が的中するかのように、主人公の身の回りで次々に怪異現象が起こりはじめる。そしてついに主人公は〝ぼぎわん〟に襲われ……。


 一章を読みおえたときの感想は「ああ、やっぱり怖くないな」だった。

 身の周りで不吉なことが起こり、近しい人がけがをしたり命を奪われたりし、化け物にだんだん追い詰められ、化け物がやがてはっきりと姿を現したときはもう逃れようがなくて……。

 ホラーの王道パターン。怪談を怖がれる人にとっては怖い話なんだろう。でもぼくにとってはちっとも怖くない。「こんなやついるわけないし、もし存在したとしたら狙われたらどうしようもないから怖がってもしょうがない」とおもえる。

 が、二章を読み進めるうちにその印象が変わった。

 おお、これは怖い……。

 以下ネタバレ。


2023年5月9日火曜日

歯医者の金づる

 冷たいものを飲むと奥歯が痛む。虫歯だ。

 こわいものみたさというか、いたいもの味わいたさで、何度もやってしまう。べつに飲みたくもないのに奥歯のずきずきを味わうために冷たいお茶を飲んでしまう。

 奥歯の痛みをじっくり観察してみる。

 ふつうに飲んだら痛くない。奥歯のある位置に冷たいお茶を流すと痛む。ということは、口に含んだ液体は口いっぱいに広がるわけではなく、口の奥のほうには届いていないことがわかる。

 また、冷たいお茶を口の中央部に溜めておいて、少しぬるくしてから奥へと流すと痛くない。

 冷たいのは痛い、ぬるいのは平気、だったら熱いのはどうだろうとわざわざ熱いお茶を沸かして飲んでみた。うーん、ちょっとだけ痛い。でも冷たいお茶にくらべたらぜんぜん。

 以上のことから、虫歯が痛むのは

  冷たいお茶 > 熱いお茶 > ぬるいお茶 = 何も飲まない状態

 だということがわかりました。


 自由研究はそのへんにして、歯医者に行く。

 いつも行っている歯医者で予約がとれなかったので、自宅近くのH歯科に行ってみることにする。Googleマップで口コミを見ると高評価だ。「説明が丁寧」というコメントが多い。

 行ってみると、なるほど、しっかり説明してくれる。

 あなたの歯はこういう状態です、放っておくとこうなります、ですからこれから治療をしていきます、治療には5回ほど通院が必要です、最初は○○をして次の週は○○を……と事細かに説明してくれる。

 これはいい。改めて考えると、歯医者と接骨院や整体院ってぜんぜん説明してくれない上に、やたらと長期にわたって通わせようとしてくるんだよね。たとえばちょっとした風邪で内科に行った場合は1回で済むのに、歯医者や整骨院は何回も通わされる。しかるべき理由があるのかもしれないけど、患者に説明してくれないのでどうも「何度も通って金を落とす金づる」扱いされてるんじゃないかという気になってしまう。

 ちゃんと説明してくれるなんていい歯医者だなとおもったのだが、ふと見ると診察室の壁に「Google口コミを投稿してくれたら500円相当のメンテナンスグッズをプレゼント!」と貼り紙がある。

 なんだかだまされた気分だ。

 じっさいいい印象を持っていたのに、プレゼントで釣って口コミを書かせる歯医者だとわかったとたんにその印象が弱まってしまった。ぼくが「説明が丁寧でいい歯医者だ」とおもった印象までもが、まるで誰かに操作されていたかのような気になってしまう。


 それはそうと、それから毎週H歯科に通った。

 歯を削ったり、薬を詰めたり、仮の蓋をつけたり、翌週にはまたそれを外したり、かぶせものの型をとったり……。

 で、行くたびに請求される料金がちがう。やることがちがうからなんだろうけど、1,500円ぐらいの日もあれば、6,000円請求されたこともある。6,000円っていうのはちょっと油断ならぬ額だぞ。タイミングが悪ければ財布にないことだってある。クレジットカードも使えないし。先に言っといてほしいな。

 で、先週には「次回がいよいよ最後になります。お会計10,000円ぐらいになりますので準備しておいてください」と前もって言われた。前もって言ってくれるのはありがたいが、それだったら全5回の4回目に予告するんじゃなくて、1回目のときに言ったほうが良くないか? だってトータルで20,000円以上かかるんだぜ。人によっては「だったら治療やめます」ってこともありうる額だ。

 それを、歯を削って、仮の蓋をして、かぶせものの型をとって、もう後戻りできない状態になってから「ラストは10,000円!」っていうのはずるくないか? まるでディアゴスティーニじゃないか。


 さらに、次が全5回の治療のいよいよ最後ってときになって、今度は反対側の奥歯が痛みだした。冷たいお茶が染みる。

 さては……。

 患者が治療を終えて離れてゆかないように、歯科医が反対側の奥歯に虫歯菌をしこんだのでは……!?


 やはり「何度も通って金を落とす金づる」扱いされてるんじゃないかというおもいが拭えない。


2023年5月8日月曜日

【読書感想文】津村 記久子『この世にたやすい仕事はない』 / やりがいがあってもなくてもイヤだ

この世にたやすい仕事はない

津村 記久子

内容(e-honより)
「一日コラーゲンの抽出を見守るような仕事はありますかね?」ストレスに耐えかね前職を去った私のふざけた質問に、職安の相談員は、ありますとメガネをキラリと光らせる。隠しカメラを使った小説家の監視、巡回バスのニッチなアナウンス原稿づくり、そして…。社会という宇宙で心震わすマニアックな仕事を巡りつつ自分の居場所を探す、共感と感動のお仕事小説。芸術選奨新人賞受賞。


 ちょっと変なお仕事小説。

 同じ会社で10年以上働いていた「私」だが、燃え尽き症候群のようになって退職し、人付き合いや文章を読むことや仕事にのめりこむことがイヤになる。「たやすい仕事」を求める私に紹介されたのが、「ある小説家の生活をひたすら監視しつづける仕事」「バスのアナウンスに入れる近隣の施設の広告の原稿作成の仕事」「おかきの袋の裏に書いてあるちょっとした豆知識を考える仕事」「『熱中症に気をつけよう』などのあまりメッセージ性のないポスターを貼ってまわる仕事」「広大な公園の中にある小さな小屋にいるだけの仕事」など、一風変わった仕事ばかり。

 どの仕事にもそれなりのやりがいとそれなりの楽しさがあるが、それなりの苦労やストレスもあり……。




 特におもしろかったのは第三章『おかきの袋の仕事』。

 労働環境はいいし、周りの同僚もいい人ばかりだし、仕事の責任も軽いし、でもそれなりにおもしろさもある。徐々にのめりこむ主人公。さらに自分の仕事がおもわぬ高評価を受け、会社の業績にも貢献する。

 だが仕事が認められるようになると周囲からの期待は高まり、同時にプレッシャーや責任感を強く感じるようになる。やりがいやおもしろさと感じていたことが次第に重荷に感じられるようになり……。

 この感覚、なんとなくわかるなあ。

 やりがいがないのはイヤだけど、やりがいがあるのもやっぱりイヤなんだよね。

「あんまり期待されていなかった仕事で期待以上の成果を上げる」とか「自分の仕事が会社の業績に大きく貢献する」ってそれ自体はすごくおもしろいことなんだけど、おもしろいがゆえに重荷になってしまうんだよね。重圧は増えるし、二回目以降は最初ほど評価もされないし。あんまりうまくいきすぎると、イヤになることが増えてしまう。

 プロ野球で三冠王を達成した選手なんて、翌年はすごくやりにくいだろうなあ。昨年より悪ければがっかりされるし、昨年以上の成績を出しても前ほどは評価されない。


 ぼくが書店で働いていたとき、ある人の業務を引き継いだ。担当売場にあれこれ手を入れたので、前年と比べて売上が大きく伸びた。で、ぼくはさっさと異動願いを出してその売場を離れた。なぜなら、1年目は前年比120%の売上を出せても、2年目は良くて100%ぐらいにしかできないとわかっていたから。

 これが理想の働き方だよね。新しい場所に行って業務を改善し、改善したらさっさとそこを離れて次の場所に移る。なかなかそんな仕事ないけど。




 ぼくは今までに四社で正社員として働いてきた。もうすぐ五社目に移る。

 幸いなことに転職を重ねるたびに労働時間は短くなり、給与は増えていった。どんどん働きやすくなっている。ぼく自身が多少スキルを身につけたこともあるし、時代という要因もある(ぼくが大学卒業した頃は景気も良くなくて人出も余っていたのでブラック企業全盛期だった)。

 でも転職がうまくいった最大の要因は運だ。どんな仕事もやってみるまでわからない。慣れてきたら仕事の内容についてはある程度想像がつくが、上司や同僚や顧客がどんな人かは働いてみないとわからない。

 だから転職を迷っている人にはどんどん転職を薦めたい。嫌だったらまたやめればいい。幸い、今の日本は働き手の数が減っている。また次の仕事が見つかりやすい状況だ。

 いろんな会社で二十年ぐらい働いてわかったのは、どの会社もそれなりに良さはあって、それなりに悪さがあるということだ。あたりまえだけど。

 就活生向けにR社やM社が「あなたに最適な仕事が見つかる! 適職診断」なんてやってるけど、最適な仕事なんてない。「わりと我慢できる仕事」と「これ以上我慢できない仕事」があるだけだ。きっと自営業や社長になったって、仕事に対する不満はずっと残るだろう。好きなことを仕事にしている人はいるけど(少ないけど)、好きなことだけを仕事にしている人はいない。

 どんなに給与が良くて楽でやりがいがあっても、不満の種は決して消えない。


 もしぼくが大学生に戻って就活をやり直すとしたら「やりがいとか仕事がおもしろそうかとか」は一切捨てて、雇用条件だけを見るな。業種はなんでもいい。長くなくて安定している労働時間とそこそこの給与。やりがいなんてのはどの仕事にもあるし、どの仕事でも完全には満たされない。でも労働環境がきついと生活すべてがだめになる。労働なんかのために人生を捨てることはない。

 就活したときは仕事選びを「終の棲家を購入するようなもの」って考えてたけど、「賃貸物件をさがすようなもの」ぐらいに考えたらよかったな。どの部屋を借りるかは大事だけど、ぜったいに失敗はあるし、大失敗ならまた引越せばいい。引越しによって失うものはそんなに多くない。「どんな部屋に住んでいるか」は私という人間を示す要素のひとつではあるけど、一生を決定づけるほど大事なことではない。

 二十年近く働いた今だからそうおもえるんだけど。




『この世にたやすい仕事はない』の主人公は他人にあまり心を開かない。ぼくもそういう人間なので、彼女の思考はわりとよく理解できる。

 私は改めて、同じ場所にいて話ができているということは、同じ場所にいて話ができているということは、心理的な距離もないということになる、という仮の定義をまったく疑わない人たちというものを目の当たりにした、ということに気が付き、ちょっと感動して震えた。どういうことなんだろう。団塊ぐらいの年齢の人ってみんなこんな価値観なのか。いやいやまさかな。

 わかるなあ。世の中には「私は腹を割って話したのだからあなたも当然そうすべきだし、そうしてくれているはず」と信じている人っているよなあ。

 たとえば「会社をやめます」って言ったときに「辞めるって決める前になんで相談してくれんかったん」って言った上司とか。安心して相談できる上司、相談して改善するとおもえる環境やったら辞めてへんで!


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