2023年3月8日水曜日

大和郡山探訪

 奈良の大和郡山市へ行った。

 金魚すくいとひな人形が有名な町だ。といっても、どちらもつい一週間前に知った。それまで、大和郡山に行ったこともなければ、大和郡山について考えたことすらなかった。


 知人と話していて「子どもがひな人形を出してほしいっていうんですけど、めんどくさいんですよねえ。出すのも面倒だし、出してる間は場所をとるし、片付けるのも面倒だし」とぼやくと、「大和郡山に行けばいろんなおひなさまが見れますよ」と教えてくれた。

 街のあちこちにひな人形が飾られているらしい。それはいい。「おひなさまを観にいくから」という口実で、今年は我が家に飾るのは勘弁してもらおう。


 子どもを連れて、JR郡山駅からぶらぶら歩く。なるほど、駅や商店にひな人形が飾ってある。個人商店だけでなくチェーン店や銀行にもおひなさまを飾っている。大きくて高級そうなものもあれば、とりあえず飾ってますよというような簡易的なものもある。その「しぶしぶ付き合わされている感」もまた、街を挙げてやっているという感じがしていい。驚いたことに、お店でもなんでもない個人宅でも玄関を開放してひな壇を見学できるようにしているところまである。なんの得もないだろうに、えらい。めんどくさいめんどくさいと言ってばかりいる我が身を恥じねばならない。

 そうか、これはクリスマスのようなものだ。クリスマスであればいろんなお店が飾りつけをおこない、個人住宅でも派手に飾りやイルミネーションをつけているところがめずらしくない。大和郡山ではクリスマスの代わりにひなまつりなのだ。


 もうひとつ、大和郡山で有名なのが金魚すくいだ。なんでも郡山市で金魚すくいの全国大会が開かれているらしい。

 入ったカフェに『すくってごらん』という漫画が置いてあり、手に取ると大和郡山を舞台にした金魚すくいマンガだった。マンガの世界も、とにかく新しい題材を探さなくちゃいけないのでたいへんだ。

 ひな人形と同じように、街のいたるところに水槽があり、金魚が泳いでいる。またマンホールや橋の欄干などにも金魚が描かれている。

 とある店の前にも水槽があったのだが、一匹死んでぷっかりと浮いていた。そして他の金魚たちが死体をつついていた。生き物なのでそういうこともある。


 ひな人形と金魚。人を呼ぶ力があるんだかないんだかよくわからないものふたつが名物。まあじっさいぼくたちは足を運んだのだから、集客力はあるんだろう。

 ほどよくのどかな街並みをぶらぶらと歩くのは楽しかったのだが、少々不満だったのは道が狭くて人が歩いている横を車がびゅんびゅん通ってゆくところ。そして都市部以外の地域がたいていそうであるように、歩行者がいても車はおかまいなしなところ。横断歩道でもぜんぜん止まろうとしない。

 地元の人の生活もあるので観光客のための街づくりをしろとまでは言わないが、せっかく人を呼ぶための取り組みをしているのに「街が歩きにくい」というのはなかなか致命的かもしれない。

 帰りに路線図を見ていて気付いたのだが、郡山という駅、一駅北に行けば奈良駅で、二駅南に行けば法隆寺駅である。奈良公園、東大寺、法隆寺というたいへんパワーのある観光地にはさまれているのだから、ここに人を呼ぶのはむずかしいかもしれない。ひな人形と金魚、ニッチなところを攻める戦略は正しそうだ。

近鉄郡山駅にあった半額イルカ。
イルカが半額なのではなくこいつは看板らしい。



2023年3月7日火曜日

【読書感想文】藪本 晶子『絶滅危惧動作図鑑』 / 無味無臭

絶滅危惧動作図鑑

藪本 晶子

内容(e-honより)
すでに絶滅の危機に瀕しているものから、もうすぐなくなりそうなものまで。100種類の動作をイラストで解説。


「絶滅しそうな動作」を集めた図鑑。

「死語」や「生産終了したもの」に関する言説はよく見るけど、「動作」にスポットをあてるのはめずらしい。たしかにテレビはまだあるけど「テレビのチャンネルをひねる」や「テレビをたたく」といった動作は絶滅したもんね。


 この本に載っている動作でぼくがなつかしかったのは、うさぎ跳び、体温計を振る、携帯の電波を探す、カメラのフィルムを巻く、など。

 うさぎ跳びはぎりぎりやった世代だとおもう。小学生の時のサッカークラブでやったことがある(やらされた、という感じではなく遊びの延長の罰ゲームみたいな感じだったけど)。中学生のときにはすでに「うさぎ跳びは身体に悪い」と言われていた。

 体温計を振る、もなつかしいな。子どものときは水銀体温計を振っていた。一度振った体温計が机に当たって中の水銀が飛び散っちゃったことがあったんだけど、今おもうとおっそろしいもの使ってたなあ。水銀って毒だからね。

 カメラのフィルムを巻く、もあったね。使い捨てカメラもそうだったし、ぼくが北京で買った「長城」という謎のブランドのカメラも手巻き式だった。あれはなかなか味があっていい動作だったけどね。




 とまあ「ああ、あったなあ」とか「なつかしいなあ」とかおもうんだけど、それ以上のものは何もない。

 とにかく文章が無味無臭。せっかく着眼点がおもしろいのに、教科書みたいな文章なので読んでいてまるで引っかかりがない。まあ「図鑑」だからといえばそれまでなんだけど、それにしてもなあ。

 巻末に著者とみうらじゅん氏の対談が載っていて、みうらじゅんさんの言葉はやっぱりいちいち味があるから、余計に本編の無味っぷりが目立つ。「結局、真っ先に絶滅していくこういっていうのは、人が工夫してやろうとしたことなんじゃないかなと思いますね」なんてしみじみいい言葉だ。


 これはあれだな。カフェとかに置いといて、コーヒーの待ち時間にお客さんがパラパラめくるぐらいがちょうどいい本だね。数分だけ時間をつぶすのにぴったり。無味無臭だからコーヒーの邪魔にもならない。

 そういえばスマホの普及とともに「時間つぶしで雑誌をパラパラめくる」動作も絶滅寸前かもな。


【関連記事】

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2023年3月6日月曜日

R-1グランプリ2023の感想

 

 M-1やキングオブコントに関してはほぼ毎回感想を書いてるんだけど、R-1はあんまり書く気がしなくて2017年以来ずっと書いてなかった。でも今年はひさしぶりに書く気になった。

 リニューアルしてからちょっとずつだけどいい大会になってきてる気がする。芸歴制限には賛成しないけど。



1. Yes!アキト (プロポーズ)

 ギャグの羅列なのにおもしろい、というのがYes!アキトさんに対する評価だったのだけど、今回はストーリー仕立て。緊張して「結婚してください」が言えない男が、ついギャグを言ってしまうという設定。

 なるほどね、「け」ではじまるギャグを次々に言っていくのね、これはわかりやすいし自ら制約を課している分乗り越えたときはおもしろくなるはず! と期待しながら観ていたのだが……。

 あれ。あれあれ。「け」ではじまるギャグ、という設定を早々に捨ててしまって、あとは好き勝手なギャグ連発になってしまった。当初の設定はなんだったんだ。「け」ではじまるギャグか、プロポーズにちなんだギャグにしてくれよ。

 こうなるとプロポーズできない男という設定が単なる時間の無駄でしかなく、これだったら潔くギャグだけを多く見せてくれたほうがよかったな。


2. 寺田寛明 (言葉のレビューサイト)

 ネタの内容がいちばんおもしろかったのはここ。よくできている。

 が、芸として見たときにどうなんだという疑問も生じる。フリップの内容自体が完成されていて、演者ははっきりいって誰でもいい。ちゃんと文章を読める人でさえあれば寺田寛明さんである必要がない。アナウンサーでもいい(そして寺田さんは何度か噛んでいたので実際そのほうがよかった)。このネタ、テキストで読んでも同じくらいおもしろいとおもうんだよね。

 ネタは高評価。でも芸の達者さ、という点で見るとな……。


3. ラパルフェ 都留 (恐竜と戦う阿部寛)

 阿部寛一本でいくにしては阿部寛ネタが弱かったなあ。大きいとかホームページが軽いとか、独創性がないもんね。ホームページネタなんて、知らない人にはさっぱりわからないだろうし、知ってる人からすると「それネタにされるの何十回目だよ」って感じでまったく目新しさがない。

 博多華丸やじゅんいちダビッドソンが「モノマネだけどネタとしてもしっかりおもしろい」ネタを見せた大会で披露するには、あまりに浅かったな。


4. サツマカワRPG (数珠つなぎショートコント)

 ひとりショートコントの羅列、でありながらそれぞれのネタが有機的につながっているという凝った構成(その中でひとつだけつながっていない冒頭の和田アキ子はなんだったんだ)。

 決してわかりやすくないし、無駄も多かった気がするけど、新しいことをやってやろうという意欲は買いたい。というより、今大会は他の人にチャレンジ精神をあまり感じなかったんだよなあ。


5. カベポスター 永見 (世界でひとりは言ってるかもしれないこと)

 寺田寛明さんの感想のとこで「テキストで読んでもおもしろい」と書いたけど、こっちはそれどころか「テキストで読んだほうがおもしろい」。じっさいぼくは永見さんのTwitterアカウントをフォローして「世界でひとりは言ってるかもしれないこと」を読んでいるが、そっちのほうが味わい深い。

 こういう一言ネタって、咀嚼する時間が必要なんだよね。すごくいい肉をわんこそばのスピードで提供されても味わえない。


6.  こたけ正義感 (変な法律)

 これまたフリップネタ。が、このネタの場合は「演者がこの人である必然性」がある。弁護士が言うからこそ説得力があるし、怒ったり嘆いたり表現も多彩。

 ただ、これ以外のネタを見たいとはおもわなかったな(ABCお笑いグランプリの2本目はぐっとレベルが下がってたし)。



7. 田津原理音 (カード開封)

 おもしろかった。カードの開封動画、というのがほどほどに新しくて、ほどほどになじみがなくて。

 何がいいって「触れないカード」があることだよね。せっかくつくったカードだから全部を見せたいだろうに、ちらっと見せるだけで特に触れないカードがたくさんある。あれで一気に引き込まれる。わからないからこそ見入ってしまう。

 映像を使うのではなく、スライドを使用するのもよかった。映像だとどうしても対象との間に空間/時間的距離が生まれてしまうけど、スライドだと距離がなくて対象に触れられるからね。このネタにぴったり。

 そして凝った仕掛けではあるけど中身はあるあるネタなのでわかりやすい。すべてがちょうどいいバランス。


8. コットン きょん (警視庁カツ丼課)

 順番が良かったんだろうね。ギャグ、フリップ、モノマネコント、ショートコント、一言、フリップ、スライド、ときて、最後にしてやっと本格的なストーリーコント。こういうのを見たかった! という空気になってたもんね。

 とはいえ、個人的にはイマイチだった。一杯目のカツ丼がピークで、あとは右肩下がり。特にラストはひどかった。「容疑者の罪状にちなんだカツ丼を提供することで自白に持ちこむ」という設定でやってきたのに、最後は「外国人だから」という理由でつくったハンバーガー。罪状関係ないし。なんじゃそりゃ。それで済むならカツ丼課なんていらないじゃない。

 本格的な芝居をするならこのへんの論理が強固でないといけないよ。設定の根幹をぶち壊してしまう雑な展開だった。



 8人中、7番目と8番目にネタを披露した人が最終決戦進出。たまたまかもしれないけど、なんだかなあ。順番次第じゃん、という印象になってしまう。



最終決戦1.  田津原理音 (カード開封)

 ネタを見ながら、そういやこの素材は陣内智則さんのネタっぽいなあ、とふとおもった。ツッコミどころだらけの変な対象で笑いをとるという構成。ただしアプローチはまったくちがう。陣内さんがずばずばと切れ味鋭いツッコミを入れていくのに対し、田津原さんはあくまで愛でる。ずっとその立場を崩さない。変なものを切り捨てて笑いに変えるネタと、変なものを愛でて受け入れていくことで笑いを生むネタ。なんとなく時代の変化を映している感じがするよね。知らんけど。


最終決戦2.  コットン きょん (リモート会議ツール)

 これまた楽しめなかった。ZoomとGoogle Meetを使って別れそうになってるカップルの中を取り持つ、という設定。この設定であればこういう筋書きになるだろうな……と予想した通りの展開。意外性がまるでなかった。リモート会議が一気に普及した2020年頃ならともかく、2023年の今やるには題材としての新しさもないし。



 ネタの力よりも表現者として魅力的だったふたりが勝ち残って、その中でネタの強さが勝っていた田津原理音さんが優勝、という大会でした。

 はじめにも書いたけど、R-1は数年前に比べたらいい大会になってきてるとおもう。審査員が現役の芸人たち、ってのもいいんだろうな。

 あとはあれだな。「そのときの話題の人や他の賞レースのファイナリストだからといって安易に決勝に上げる」ところさえ直してくれたらな(去年はそういう感じじゃなかったのにまた戻ってしまった)。

 せっかく芸歴10年以内という縛りを課したんだから、人気の人を使うんじゃなくて、人気者を生みだしてやるぞという気概を見せてほしいな。結果的にはお見送り芸人しんいち、田津原理音という新しい才能の発掘ができているからいいけど。


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R-1ぐらんぷり2017の感想

ABCお笑いグランプリ(2022年)の感想


2023年3月3日金曜日

本を読まない理由

 そこそこ本を読むほうだ。

「読書が趣味なんですね。月にどれぐらい読むんですか」

「十冊ぐらいですね」

「へーすごい。私はぜんぜん読んでませんね。もっと読みたいんですけど、どうやったらそんなに本を読めるんですか?」

みたいな会話をよくするんだけど、最近気づいた。


 「どうやったら本を読めるんですか」という質問をする人は、「本を読む方法」じゃなくて「本を読まない理由」を探している。


 読まない人は「時間がなくて本が読めない」なんてことを言う。

 嘘だ。

 そりゃあ超大物政治家とか売れっ子タレントとかだったら「仕事と食事と風呂と睡眠と車移動が生活のすべて」みたいなスケジュールを送ってるかもしれないが、ほとんどの人はそんなことはない。

「時間がなくて映画館に行けない」「忙しくて旅行に行けない」ならわかる。映画や旅行はある程度まとまった時間を必要とするから。

 でも本なんていつでもどこでも読める。ぼくは三十秒あれば本を読む。電車の待ち時間、電車の中、飲食店で注文してから、食事をしながら、食後にお茶を飲みながら、仕事で客先訪問して担当者が出てくるまでの時間、着替えをしながら、風呂、寝る前。それぞれ数十秒~ニ十分ぐらいだけど、合計すればそこそこの時間になる。一ヶ月で十冊ぐらいは読める。

 読まない人は、その時間にスマホでゲームをしたり、動画を観たりしている。時間がないわけじゃない。本を読める時間を他のことに使っているだけだ。


 本を読む気のある人は 「どうやったら本を読めるんですか」なんて質問をしない。そんなひまがあったら読んでる。

 読書に限った話ではない。「英語勉強したいなー」とか「体鍛えないとなー」とか「マラソンでもしよっかなー」なんて言う人は、ほんとにやろうとおもってない。なんとかして〝できない理由〟を探しているだけだ。

 

「どうやったら本を読めるんですか」と質問する人が望んでいる答えは、
「休みの日に三時間ぐらい時間をつくるんですよ。カフェにでも行ってゆっくり読むと集中できます」だ。

 こう言われたら安心して「あーいいですねー。でも最近忙しくって、なかなかそんな時間とれないですねー」と言える。

 まちがっても「読みたいなら読めばいいじゃないですか。一日五分でも読めば、一ヶ月で一冊ぐらいは読めるでしょ」なんて正しいことを言ってはいけない。読みたくないんだから。



2023年3月2日木曜日

審判のいないサッカー

 国会中継を見ていると、ときどき「これは審判のいないサッカーだな」と感じる。

 いや、一応議長はいて発言に対して制止することはある。が、サッカーにおけるレフェリーのような強制力はない。「ベンチからのヤジ」程度の力しか持っていない。また国会における議長はたいていどこかの党に属しているので、中立ではない。一方のチームのメンバーがレフェリーを務めるようなものだろう。


 レフェリーがいなくてもサッカーはできる。小学生が公園でやるサッカーにふつう審判はいないが、それでもまあ成立する。ただそれはあくまで平常時であって、激しく意見が対立したり、著しく協調性に欠けるプレイヤーがいたりするとゲームは破綻してしまう。


 学問の世界には「協調の原理」という言葉がある。

 量の公理(不要なことを言うな)、質の公理(嘘をつくな)、関係の公理(関係のない話をするな)、様態の公理(わかりやすく話せ)の四原則から成る。どれもあたりまえのことである。こんな言葉を知らなくても、ほとんどの人は守って会話をしている。

 ところが国会にいるじいさんばあさんたちはこれを守らない。守れないのか意図的に守らないのか、質問には答えず、話をそらし、嘘でごまかし、不明瞭な言葉で煙に巻こうとする。

〝著しく協調性に欠けるプレイヤー〟だらけだ。こうなると、プレイヤーのモラルに頼っていても解決しない。サッカーで激しいラフプレーが濫発しているときに「みんな仲良くサッカーしようね!」と言っても意味がないのと同じだ。

 解決するには、審判を導入するしかない。国会に、国会議員でないレフェリーを配置する必要がある。

 審判は、各プレイヤー(国会議員)が「協調の原理」を果たしているかをジャッジする。軽微な反則の場合は発言の時間を縮め、悪質な違反、故意の違反に関してはイエローカード、レッドカードを出して退場させる。度重なる退場があれば、ペナルティとして次回の選挙に出馬できなくすればいい。


 ほら、質問に答えないあの人とか、発言の内容がからっぽのあの人とか、平気で嘘をつくあの人とか、党内のえらい人におべんちゃらを言うだけのあの人とか、どんどん退場させたらいいじゃない。ねえ。