2022年12月16日金曜日

【読書感想文】内館 牧子『終わった人』 / じじいのプライドを描いた小説

終わった人

内館 牧子

内容(e-honより)
大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられ、そのまま定年を迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れた。生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける男に再生の時は訪れるのか?ある人物との出会いが、彼の運命の歯車を回す―。日本中で大反響を巻き起こした大ヒット「定年」小説!


 岩手の田舎から東大に進み、大手銀行で仕事に明け暮れた主人公。出世コースに乗り役員をめざすも、めぐりあわせにより出世コースからはずれ子会社に出向となりそのまま定年退職する。時間を持て余した主人公は改めておもう。仕事がしたい――。


 リアル、なのかな。この世代の男性にとってはリアルなのかもしれない。ぼくにはさっぱり主人公の気持ちがわからない。仕事をしなくて食っていけるなんて最高じゃないか。

 定年退職して、がっぽり退職金ももらって、十分貯蓄もあって、年金ももらえて、家庭内もそれなりに円満。それで、やることがないだの、時間がたつのが遅いだの、やりがいを感じたいだの言っている。当人にとっては深刻な悩みなのかもしれないが、贅沢な悩みとしかおもえない。

 いい時代に生まれてよかったですねえ。あんたらの安寧な生活はもっと若い世代の苦しさの上に成り立ってるんですけどねえ。それが不満なら、もらいすぎた給料を返上して、もらいすぎた年金も返上して、死ぬまで働けよとしかおもえない。




 主人公は東大卒、メガバンク出身なので、常に「他の年寄りとはちがう」というプライドを抱えている。

 こんな老人たちと一緒に、めしなど食いたくない。いつもの喫茶店で一人でコーヒーを飲む方がいい。
 駅前へと歩きながら、思わずため息が出た。
 俺はこういう日々をずっと、ずっと続けるのだろうか。めしを食って、筋トレして、寝るだけの生活が、動けなくなるまでずっと続くのか。
 現役時代は、今日と明日が違っていた。やることも、会う人も、会議も、帰りの時間も。今は毎日が同じだ。
 他に暮らしようがなければ、ずっとこれが続くのだろう。

 集まってランチをしながら世間話に花を咲かせている老人たちを見下し、妻と出かけても「俺は平日に妻とお茶する男になってしまったのだ。情けない」なんておもっている。

 こういう人はめずらしくない。特にじいさん。

 昔、母が町内会の役員をやらされたとき「じいさんたちのプライドが高くってイヤになっちゃう」とこぼしていた。

 なんでも、町内会の会合ですら「私は○○社にいたので……」だの「あの人は△△大学出身だから……」なんて話を持ち出すのだそうだ。町内会に学歴や職歴を持ちこむなよとおもうのだが、今は何もないじいさんだからこそ「昔取った杵柄」が唯一のよりどころなのだろう。傍から見ていると滑稽なのだが、当人たちは必死なのだ。


 かつては高齢者にも役割があった。高齢者自体が少なかったし、情報の伝達や孫の世話など、高齢者が必要とされる局面も多かった。ジャレド=ダイアモンド『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』によれば、ほとんどの生物は閉経後に長く生きることがないが、ヒトだけが例外的に生殖能力を失ってからも長生きするのだそうだ。それは、おばあちゃんの知識や経験があったほうが孫の生存率が高まるから。

 だが文字による情報伝達が進み、知識がめまぐるしくアップデートされて数十年前の知識の価値が減った結果、高齢者の生きる意味は昔よりも見いだしにくい時代になっていると言えるだろう。

 うちの近所の交差点に、老人たちが立っている。「見守り隊」を名乗り、子どもたちの安全を見守っているのだそうだ。

 まあいないよりかはマシなんだろうけど、傍から見ているとほとんど無駄な仕事だ。交通量も多くないし、ちゃんと信号もある。なにより、老人たちが角に立っているせいで逆に見通しが悪くなっているぐらいだ。

 それでも、本人たちが使命感を持ってやっているのだからそれでいいのだろう。社会から必要とされなければされないほど、「必要とされたい」と願うものだから。




 ぼくはジジババが嫌いだけど、あと何十年かすればジジイになる。それより先に、親だ。

 ぼくの父親も『終わった人』の主人公みたいになりそうで危険だ。父は六十代後半。長年勤めた会社を定年退職した後も、再就職して働いている。お金には困っていないはずなのだが、本人が仕事を好きなのだ。

 これといった趣味はない。ゴルフが好きだが、それも仕事の付き合いの延長。仕事一筋に生きてきた男だ。

 はたして彼が「終わった人」になった後、どうやって生きていくのか。急激に認知症になってしまったりしないだろうか。長男のぼくとしても他人事ではない。

 十代、二十代、三十代と、年代によって「なすにふさわしいこと」があるのだ。
 五十代、六十代、七十代と、あるのだ。
 形あるものは少しずつ変化し、やがて消え去る。
 それに抗うことを「前向き」だと捉えるのは、単純すぎる。「終わった人」の年代は、美しく衰えていく生き方を楽しみ、讃えるべきなのだ。

 そこへいくと、母親のほうは老後を楽しんでいる。庭で畑をつくったり、太鼓を習ったり、楽しそうに生きている。特に社会の役に立つわけではないが、特に迷惑をかけるわけでもない。

 長らく専業主婦をやっていたので「社会との距離のとりかた」を心得ているのかもしれない。仕事一筋でやってきた人には、退き際がむずかしいのだろう。




 自分はどうだろう。と考えると不安になる。

 これといった趣味もない。読書は好きだが、一日中本を読んでいられるほどではない。老眼になれば読書もきつかろう。休みの日は一日中子どもと遊んでいるが、子どもが遊んでくれるのもあと数年だろう。孫ができたとしても、しょっちゅう会えるかどうかもわからない。

 友人はいるが、近所にはいない。小学生みたいに毎日会って遊ぶわけにはいかないだろう。

 ううむ。ぼくもやっぱり「社会に必要とされたい」とおもって、わけのわからないことをしてしまうかもしれない。なけなしの貯金をはたいて起業したり、店を開いたり、そして潰したり。

 今のうちに、歳をとってからもできる何かを見つけないといけないかもなあ。そんなに金がかからなくて(できれば金になって)、社会から必要とされていると感じられるようなこと。

 なんだろうなーと考えていて、ふと「出馬」という言葉が頭に浮かんだ。やべー。いちばんやべーやつだ。

 そっかー。だから年寄りは出馬しがちなのか。あいつらは老後の暇つぶしだったんだな。どうりで未来のことなんか露も考えない仕事するわけだ。




 自分の未来を予習できるようでおもしろい小説だった。まあぼくにはこんな行動力はないけれど。

 ちょっといろいろ起こりすぎではあるけどね。〝終わった人〟なのにさ。若い女性とのロマンスとか、たまたま出会ったベンチャー企業の社長から乞われて監査役になってそのまま社長就任するとか。このあたりの展開は島耕作よりも都合がいい。

 とはいえ、定年退職したじいさんが「昔はよかった」とぼやいているだけではおもしろい小説にならないので、小説としてはしかたない。

 めまぐるしい展開なのに最後はふさわしい結末にうまく着地。このへんはさすがベテラン脚本家。さわやかな読後感で、新聞連載小説にふさわしい話運び。今どき新聞小説を読む層ってじいさんばっかりだろうから、読者層にあったほどほどに希望のある終わり方だった。


 随所に散りばめられた石川啄木の句や、主人公の故郷・盛岡の描写も効果的。そしてなにより、じじいの無駄に高いプライドがうまく書けている。

 そういや内館牧子さんってエッセイは読んでいたけど小説は読んだことなかったな。小説もうまいね。


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2022年12月15日木曜日

【読書感想文】石野 径一郎『ひめゆりの塔』 / ばか死

ひめゆりの塔

石野 径一郎

内容(e-honより)
太平洋戦争末期の沖縄戦。女子師範と第一高女の女学生ばかりで、ひめゆり部隊が結成された。野戦病院を出発し、砲撃の中を米須の洞窟へと向かった彼女たちの九十日。慕われた先生も、かけがえのない親友も、妹も…。死の行進を強いられ、戦場に散った青春への愛惜が胸に迫る名作。

 太平洋戦争時の沖縄戦を舞台にした小説。1950年刊行なので、まだまだ戦争の傷痕も生々しい時期に書かれたもの。

 はっきり言うと、読みづらい。文体が古いのもあるけど、話があっちこっちに移動するし、状況や登場人物の説明も十分でない。なんとなく「たぶんこういうことが起こってるんだろうな」という感じで読んでいた。

 事実があまりにも過酷だと、フィクションがあ事実に力負けしてしまうからね。あまりに現実離れした現実は、かえって小説にするのがむずかしいのかもしれない。



『ひめゆりの塔』では、日本とアメリカの戦いだけでなく、沖縄と本土、市民と軍の闘いも描かれる。

「だいぶ前の話でしょう? ――ぼくもきいている。根も葉もないにきまっているが、沖縄に対する偏見はたしかにあるからね。軍の残虐な要求をいれない硬骨漢がいると、これとそれとが結びついて、反軍思想ということにでっちあげられてしまうんだ。おれの知っている○○文理大出身のやつが、方々に人魂のような灯がゆれて、海上の潜水艦と何か合い図をしているように見えたよ、といっていた。そんなでたらめが悪質のデマになるんだ。そやつなんか、有名な山影治正、ほら右翼の歌人がいるだろう? あれの一味なんだそうだ。どの種類の人間が非人間的な目をもち、現実をまげてものをいっているか、おのずから明らかではないか。しかし歴史を見ると、いつの世でもこういう便乗の徒がいて、自分一個の売名や利益のためにデマを作ったり善良な国民を食いものにしているんだな」

 沖縄の人たちの前で「これが本土だったらたいへんなことだ」「沖縄でまだよかった」と吹聴する軍人。軍の無茶な要求に素直に従わなければスパイ扱いされる。

 このときだけでない。そもそも沖縄が激戦地になったのは、本土を守るための盾にされたから。戦争が終わってからも沖縄はアメリカ領にされ、本土復帰してからも基地だらけ。ずっとずっと不遇を強いられている。

 これだけひどい目に遭ったら、なんなら他の地域よりも優遇されてもいいぐらいだとおもうのだが、今でも冷遇されている。「軍の残虐な要求をいれない硬骨漢がいると、これとそれとが結びついて、反軍思想ということにでっちあげられてしまうんだ。」なんて、今でも通じる言葉だ。近所に外国基地があることに反対するだけで反日だなんだと言われるんだから。どっちかっていったら、外国基地の存在を疑問なく受け入れるほうが愛国心に欠けるんじゃねえのか?




 小さい子供をつれた人の苦労ははたでは見るに忍びないものがあった。昼間の最も危険なときにも幼児は壕をはいだすので、乳飲み子をもった母親たちはひどい睡眠不足と過労におちいる。真也があわてて待避した壕の中でも三家族が避難していた。その子供が、雨の晴れまに赤トンボが目の前をスイスイとび回っているのに迷わされ、ふらりと出ていき、飛行機に狙撃された。老婆は血だらけになって死んだ孫にぽろをかけ、こわばった顔を押しつけてかきくどいていた。生きている自分にこごとをいっているようでもあった。生きて苦しむより死んで安楽をえたい老婆の気持ちもわかるが、一匹のトンボにふらふらと手をだす子供に強いショックをうけた。平和な赤トンボがなつかしいのだ。

 こういうのは、近代戦が生んだ悲劇だ。

 昔の、刀や槍を振りまわしていた時代の戦いであれば、トンボを追いかけている子どもを殺すことはあまりなかったんじゃないだろうか。よく知らないけど。

 デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』によれば、戦闘に巻き込まれた兵士の大半は「武器を使わない」のだそうだ。殺さなければ自分が死ぬかもしれない、そんな状況に置かれても敵を撃たない兵士のほうが多いそうだ。発砲するのは銃を持っている兵士の20%ぐらい。さらにその大半は威嚇射撃をするので、敵めがけて撃つ兵士は2~3%しかいないという。戦争は意外に人を殺人者にしないのだ。

 が、これはあくまで「相手の顔を見なければいけない状況」での話。敵との距離が離れれば離れるほど殺人は容易になるのだそうだ。

 アメリカ兵がトンボを追いかけている幼児を狙撃できたのは、それが飛行機からの空襲だったからだろう。もしも銃を構えて向き合っている状況だったら、もっといえば銃がなくて剣やナイフしか持っていない状況だったなら、99%の人間にはトンボを追いかけている幼児を殺すことなんてできないはずだ。そうおもいたい。


 多くの人が死んだのは、武器の発達により「相手の顔を見ずに殺せるようになった」からであり、そしてこれこそが二度の世界大戦で戦闘が長期化した理由じゃないだろうか。

 ほとんどの市民や末端の兵士にとって、命を賭けて戦うことってそんなにメリットがないじゃない。へたすりゃ死ぬし、眼前の闘いに勝利したって得るものは大してない。急に戦場に送りこまれたとしたら、さっさと降伏するのが最適解だろう。ぼくならそうする。上官がそれを許さないなら、上官を後ろから撃って降伏する。

 戦中の人たちがかんたんに降伏しなかったのは、教育とか時代の風潮とかもあるだろうけど、「既に多くの人が殺されていたから」じゃなかろうか。

 自分の子どもや親兄弟や恋人や友人を殺されていたとしたら。それでもあっさり「降伏しまーす。ぼくだけは助けてくださーい」と言えるだろうか。


  武器の進化により殺される人が増える
→ 残された人たちは戦う決意を強める
→ 戦いが激化
→ ますます死ぬ人が増え、ますます士気が上がる

というスパイラルに陥った。それが二度の世界大戦なんじゃないだろうか(その後の朝鮮戦争とかベトナム戦争とかもそうだけど)。

 核兵器禁止とかじゃなくて、飛び道具禁止ぐらいにしないと大勢が死ぬ戦争はなくならないだろうね。やるならちゃんと覚悟を持って相手の臓物が切れる感覚をその手で味わいながら殺さないとね(だめです)。




 もう完全に勝敗が決した後、壕にこもった市民や兵士に米軍が降伏を呼びかけるシーン。

 人声がした! 英語らしい。米軍だ! 彼らはついにこの洞窟に気がついたのか。一同は声をのみ、神経を耳に集めた。全身に、じっとり汗を感じた。生徒たちの胸は文字通り早鐘を打った。方方で歯をガチガチ鳴らしている。軍医・看護婦・衛生兵にいたるまでおびえに変わりはない。しばらくすると舌のまわりかねた日本語が聞こえてきた。
「でてこい、でてこい、殺さない、恐れないででてこい。水、タバコ、ごちそう、なんでもあります」
 生徒たちは動揺した。兵隊も看護婦もそわそわしだした。カナは意を決して立ちあがった。
「みなさん、最後の救いです。出ましょう。さ、出ましょう。これが、おそらく最後の――」といったときに、カナはガーンという音を後頭部に感じた。彼女は眼前がまっ暗になり、どろぐつの散乱している上へ倒れて気がとおくなった。そこには狂気のような老軍医がやせ細った両手のこぶしを頭の上にかざしてわなわなとふるわせ、仁王立ちに立ちはだかっていた。落ちつきをみせたいのと恥をさらすまいとして、懸命にみえをきっているのだが興奮で口がきけないようである。彼は略帽を脱いでカナにたたきつけたが手もとが狂い、帽子はたあいなく暗やみに消えていった。
「こんなやつが、大和魂にどろを塗るんだ。日本軍人は生きて捕虜になるより死をえらぶのだ。日本人なら子供でも知っている。それをヤマトダマシイというんだ。敵のデマにだまされて生き恥をさらすことがどんなものだか、君たちは知らないのか? 壕からでて彼らの前に出てみるがよい。お前たちのからだはどうなると思う? お前たちは玉のような純潔をすて、処女をすててまで生き延びようというのか。玉砕をきらいかわらとなって命をまっとうしたいのか?よろしい妾婦畜生の道に落ちてもかまわんと欲するやつは、出ていけ! さあ、でていけ!」
 叫ぶほど老軍医の小さいごま塩頭や孤独の顔が貧寒として見えた。水を打ったように静まったあたりの空気をふるわせてすすり泣きが聞こえ、カナのそばにはミトが小さくなってふるえている。カナの信念は老軍医によって大地にたたきつけられた。またもや、拡声器の声が洞窟の中へ流れてきた。
「この穴にはだれもいませんね。いたらでてきてください。早くしないと火器で大掃蕩をはじめるがいいですか? はじめてもよいですか?」

 はあ、くっだらない。くだらない死だ。犬死に。これを「祖国を守るための貴い犠牲」なんて言う輩の気が知れない。貴い犠牲どころか、何の価値もない無駄死にだ。まったく死ぬ必要のない状況での玉砕(笑)。

 こんなのをあがめたてまつってはいけない。英霊じゃない。ばか死だ。ばかすぎる。「昔の日本人はこんなにばかだったんだよ」って笑いものにしなきゃいけない。「そして今でもこのばか行為を貴い犠牲だとおもってるばかがいるんだよ。いつの時代にもばかはいるねえ」と笑いものにしなきゃいけない。




 読んでいておもうのは、つくづく戦争に巻き込まれた市民にとっては勝ちも負けもないんだなってこと。負ければもちろん悲惨だし、勝ったところで得るものより失うもののほうが大きい。

 市民や戦地に行く兵士にとってみれば、戦争に巻き込まれた時点で負け、もっといえば参戦を決めた政治家を選んだ時点で負けなんだろうな。


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2022年12月13日火曜日

作家になることの価値

 昔から、作家(小説家)は多くの人にとってあこがれの職業だった。

 多くの人が作家を目指したのは、作家になることで名声を得たいとか、多額の印税を手にしたいとかの理由もあるだろうが、なんといっても「自分の書いたものを多くの人に読んでもらえて、楽しんでもらえる」ことがいちばんの理由だろう。


 そんな「作家になることの価値」が変わってきているんじゃないだろうか。

 かつては、ふつうの人が小説を書いたとしても、多くの人に読んでもらえることはまずなかった。家族や友人に見せるとか、出版社に持ちこむとか、文学賞に応募するとか、せいぜいそのぐらい。数人に読んでもらえれば多いほうだった。

 十人以上に読んでもらおうとおもったら、同人誌、雑誌、本に載せてもらうしかない。百人以上に読んでもらうためには商業誌か書籍(自費出版ではない)に載るしかない。そのためには、まずは編集者に認めてもらわなくてはならない。

 ところが現代においてそうではない。インターネット、SNSを活用すれば、全く無名の人であっても多くの人に作品を届けることが可能になった。もちろん数万人に読んでもらうことはあいかわらず難しいが(それでもインターネット以前よりはずっとかんたんになった)、数十人、数百人といった数であれば特別な人でなくても届けることができる(場合もある)。


 これは小説にかぎらず、様々な表現において同じである。エッセイ、漫画、詩歌、歌、演奏、ダンス、演劇、造形、お笑い、講演。ありとあらゆる表現分野で、アマチュアによる発信が容易になっている。

「己の表現を多くの人に見てもらいたい」という欲求が、プロにならなくても実現できる世の中になったのだ。


 こういう世の中になると、兼業作家が増えるんじゃなかろうか。昔は、自作の小説を大勢に読んでもらうためには職業作家になるしかなかった。でも今はちがう。他の仕事をしながら、気が向いたときに書くだけでいい。

 兼業作家、兼業漫画家、兼業ミュージシャン、兼業芸人、兼業ダンサー、兼業役者。お金のため(だけ)ではないパフォーマンスをする人が増える。

 こうなると、プロはたいへんだろうな。金儲け目的でない人と同じ土俵で勝負しないといけなくなるんだから。

 レストランの横で、無料または激安で料理を配られるようなものだ。

 しかも、これまでは国内で勝負すればよかったのが、ジャンルによっては世界を相手に闘わなくてはならない。一握りのすごい人が市場の富を独占して、専業では食っていけない人ばっかりになってゆくのかもしれない。


 ところで「詩人」という職業がある。職業だよね。一応。

 一応というのは、詩で食っていける人はほとんどいないから。

 近代以降の職業詩人って誰がいるだろう。三代目魚武濱田成夫氏とか銀色夏生氏とかドリアン助川氏とかも「詩人」を名乗っているけど、ミュージシャンとかラジオDJとかエッセイストとかみんないろんなことをやっているみたい。要するに「詩」だけでは食っていけないのだ。

 戦後日本でいちばん有名な詩人は谷川俊太郎氏だとおもうが、それでも作詞家とか絵本作家とか脚本家とかいろんな職業をかけもちしている。それが、食うに困ってのことなのか、それとも好きでやってるのかは知らない。

 とにかく、「詩作一本で食っていけている人」をぼくは知らない。もしかしたら国内にひとりもいないかもしれない。

 詩をつくったことのない人はほぼいないだろう。小学校の授業でつくったはずだ。思春期のころはポエムを書く人も多い。ぼくも書いた。

 詩は身近な表現である。けれど詩で食っていくことはできない。


 他の芸術も、いずれは詩みたいな扱いになっていくのかもしれないね。


2022年12月12日月曜日

子どもに本を買ってあげたい病

 娘の友だちのおねえちゃん(小学二年生)と 話していると、彼女がたいへんな本好きだということがわかった。

 彼女が好んで読むのは小説ではなく伝記や歴史の本らしい。中でもたくましい女性が好きらしく、平塚らいてう、与謝野晶子、ジャンヌ・ダルク、ヘレン・ケラーやサリバン先生、津田梅子など、なかなか渋い人選をしている。

 しかも自分なりに年表をつくったり、読書日記をつけていたり、読むだけでなくちゃんと血肉となっている。

 聞けば、小学校で話があう子がいないそうだ。休み時間も本を読んでいたいのに、おにごっこやドッチボールに誘われるのがいやだと言っていた。まあそうだろう。小学二年生で青鞜社の話をできる子はそうはいまい。

 ぼくが感染している「子どもに本を買ってあげたい病」が発症してうずうずしてきた。



 勝手に、頭の中で「買ってあげるとしたら何がいいだろうか」と検索が始まる。


 歴史上の女性を主役にした本かー。壺井 栄『二十四の瞳』とかかな。でもあれはフィクションだしな。大石先生はジャンヌ・ダルクや平塚らいてうのような「戦う女性」とはちがうしなあ。

 最近読んだ中だとハリエット・アン ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』とかチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』とかもよかったけどなあ。でも子ども向けじゃないからさすがに小学二年生にはむずかしいかなあ。

「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた新島八重とかいいかもしれないな。たしか以前大河ドラマになっていたから児童向けの本も出てそうだし。


 ……なんてことを考えていたのだが、そもそも「娘の友だちのおねえちゃん」なのであまり会うこともないし、そんな関係の薄いおじさんからいきなり本をプレゼントされても困るだろう(特に親が)。

「あ、いや、べつに他意とかなくて、ただ単に本をあげるのが好きなので買ってきて、あ、買ったっていってもわざわざ買ったとかじゃなくてついでに、そう、Amazonのポイントが余ってたし、他に買いたい本があって一冊だけ届けてもらうのも悪いなっておもったからついでに……」
と、しどろもどろになって余計に怪しいおじさんを演出してしまいそうだ。


2022年12月9日金曜日

キディランドと紀伊國屋書店

 子どもたちを連れて、大阪・梅田に行った。

 他の地域の人には伝わりにくいかもしれないが、梅田というのは大阪の中心部で、すなわち関西、ひいては西日本でいちばんの繁華街だ(ちゃんと調べたわけじゃないからまちがってたらスマン)。

 ぼくは兵庫県の校外で育ったので「梅田に行く」というのはビッグイベントだった。自宅からバスと電車を乗り継いで約二時間。時間的にも経済的にもふらっと行ける距離ではなく(父親はその距離を毎日通勤していたが)、半年に一度ぐらいのことだった。


 家族で梅田に行くのは年末年始だった。梅田にはキディランドという大きなおもちゃ屋と、紀伊國屋書店梅田本店というそれはそれは大きな書店がある(ちなみに梅田本店という名前だが登記上の本店は新宿本店らしい)。

 小さい頃はキディランドにおもちゃを見にいった。クリスマスプレゼントや誕生日プレゼントを物色したり、あるいはお年玉で買うためだ。

 また、パズル雑誌もキディランドで買っていた。ぼくが大好きな『ニコリ』というパズル雑誌はかつて一般の書店には置いてなくて、おもちゃ屋であるキディランドまで行かないと買えなかったのだ。

 また、小学校高学年ぐらいからはおもちゃよりも本を欲しがるようになり、紀伊國屋書店に行くたびに十冊ぐらいの文庫本を買ってもらっていた。


「プレゼントを買ってもらうための場所」だったから、子どものぼくにとって梅田という場所はとてもわくわくする場所だった。ただでさえ年末年始の街は浮かれているのに、そこに浮かれているぼくが行くのだ。こんなに気持ちを昂らせてくれる場所はない。


 大きくなってからは梅田に行く機会も増え、昔に比べて特別な場所ではなくなった。前の職場は梅田にあったし、今も通勤で毎日通っている。

 とはいえ子どもにとってはやはり心躍る場所にちがいない。子どもたちを喜ばせてやろうと「明日おっきいおもちゃ屋さんに行こうか」と宣言して、子どもたちを梅田に連れていった。

 キディランドと紀伊國屋書店は、今も現役だ。多くのお客さんが来ている。しかし、どちらもぼくの記憶にある店とは少し様相が異なっていた。


 まずキディランド。たいへんにぎわっている。が、どうも昔とは客層がちがう。ずいぶん年齢が高いのだ。大人のひとり客も多いし、カップルで来ている人も多い。そして子どもの数が少ない。ファミリー客よりも、大人だけで来ている人のほうが多かった。

 今でもおもちゃは売られているが、どちらかといえば隅に追いやられていてメインの商材ではなくなっている。その代わりに店の中央に集められているのはキャラクター商品だ。

 サンリオ、くまのがっこう、おさるのジョージ、ミッフィー、ムーミンなどのグッズが多く売られている。その多くはおもちゃではない。クリアファイル、食器、コスメ用品、文具などでどちらかといえば大人が持つためのものだ。セーラームーンとか夏目友人帳とか、明らかに大人にターゲットを絞ったキャラクターも多かった。

 店の中央で行列ができていたので何かとおもったら、とあるキャラクターのグッズが限定販売されていた。並んでいるのは全員大人だった。

 久々に行ったキディランドは、おもちゃ屋さんというよりキャラクターグッズの店になっていた。


 ことわっておくが、おもちゃ屋からキャラクターグッズの店に経営方針を変えたキディランドを責める気は一切ない。むしろいい判断だとおもう。

 少子化だし、ネット通販もあるし、おもちゃ屋をやっていても儲からないことは目に見えている。申し訳ないけど、ぼくもおもちゃはたいていAmazonで買う。

 十数年前にキディランドの前を通ったらもっと閑散としていたような記憶がある。キャラクターグッズの店になったことでうまく経営を立て直したのだろう。賢明な判断だ。

 ただ、ぼくの知っていたキディランドではなくなったな、とおもった。


 その後に行った紀伊國屋書店もまた、昔ほど唯一無二の場所ではなくなった。

 というのは、我が家から歩いて行ける距離に大きな書店があり、児童書に関してはそっちのほうが品ぞろえが充実しているのだ。まあ梅田という場所柄、児童書よりもビジネス書を充実させるのは当然なのだが……。


 キディランドにしても紀伊國屋書店にしても、かつては「そこに行けばたいてい揃っている。そこになければ他を探してもまず見つからない」場所だったのだが、今はそうでもなくなった。まあこの二店舗にかぎらず、Amazonに匹敵する品ぞろえの店舗なんて世界中どこにもないのだが……。


「ここに行けばなんでもあるようにおもえて胸躍る場所」って、今はもう現実世界にはなくなってきているのかもしれないな。