2025年8月8日金曜日

【読書感想文】高橋 克英『なぜニセコだけが世界リゾートになったのか』 / 誰もが楽しめるリゾートの時代は終わった

なぜニセコだけが世界リゾートになったのか

「地方創生」「観光立国」の無残な結末

高橋 克英

内容(Amazonより)
地価上昇率6年連続日本一の秘密は何か。
新世界「ニセコ金融資本帝国」に観光消滅の苦境から脱するヒントがある。
富裕層を熟知する著者の知見「ヒトより、カネの動きを見よ!」
ローコスト団体旅行によるインバウンドの隆盛はただの幻想だった。かわりにお金を生むのは、国内に世界屈指のリゾートを作ることだ。平等主義に身も心もとらわれた日本人は、世界のおカネのがどこに向かっているのか、その現実にそろそろ目覚めるべきではないだろうか。
ニセコ歴20年、金融コンサルタントとして富裕層ビジネスを熟知した著者による、新しい地方創生・観光論。バブル崩壊以降、本当にリスクを取ったのは誰だったのか?

 上質なパウダースノーがあることからオーストラリア人スキーヤーの間で人気となり、それに伴って次々にリゾート開発がおこなわれ今や日本を代表するリゾート地となっている北海道・ニセコ。地価はどんどん上がり、超高級ホテルやコンドミニアムなど開発が進んでおり、コロナ禍を経てもその勢いは止まらない。

「上質なパウダースノー」という自然環境もあるが、それだけではニセコの成功は説明がつかない。ニセコ開発の歴史や他の観光地との比較を通して、成功の要因を探る本。




 ニセコの成功の要因のひとつは、外国資本が入ってきたことだ。

 海外の企業が投資して宿泊施設、サービスなどを提供したことで、海外富裕層が訪れやすくなった。日本企業、あるいは国や自治体などが主導していたならこううまくはいかなかっただろう。

 現在、日本各地に死屍累々と存在する「バブル期につくったでっかいハコモノの跡地」がそれを証明している。

 こうしてバブル期に東急グループや西武グループなど日本企業によって作られたニセコの礎は、バブル崩壊後、豪州や米国資本の手を経て、今は香港、シンガポール、マレーシアなどアジアの財閥グループなどによって、更なる大規模開発が続くに至っている。
 地元への還元という意味では、「外国資本」も「日本資本」もあまり変わらないのかもしれない。むしろ海外資本のほうが、景観など自然環境や地元還元、ダイバーシティに理解があったりする。概してビジネスライクで、合理的ではあるが、ロジカルであったりもする。長期的関係を重視する姿勢もニセコにおける開発計画にはみられる。
 ニセコの歴史を振り返ってみる限り、日本資本のほうが短期的でビジネスライクだったといえるのかもしれない。以前の日系ホテルのレストランでは、ニセコ産以外の食材を使う傾向があったが、外資系ホテルに代わってからは地元食材を使ってくれるようになったという。

 外国資本だからうまくいったというのもそれはそれで極端な意見だが、少なくとも海外富裕層を呼びこむためのノウハウは日本企業よりもずっと豊富に持っているだろう。もちろん官庁主導なんて話にならない。

 著者は、国や自治体が主導するリゾート計画の失敗を痛切に批判する。

 官主導、地元自治体主導の観光策やリゾート計画だと、卓上のこうあるべき論や、調査やアンケートやイメージなどから始まり、デメリットやリスクも考え、結局、総花的で「幕の内弁当」のような施策となり、肝心の需要が置き去りにされて、失敗するケースがほとんどだ。いつまでも勉強ごっこと資料収集ばかりしないで、実需を生む営業をし、収益を生む仕事にフォーカスすべきであり、まずは見切り発車すべきだ。
 走りながら考え、実践しながら修正してきたのが、まさにニセコの軌跡だ。行政を筆頭に日本の観光当事者には、事なかれ主義や完璧主義の弊害から、見切り発車をし、走りながら修正するという、スピーディーに顧客ニーズに応えるスタイルが著しく欠けているのではないだろうか。

 そうなんだよね。日本が豊かになった1980年代、あちこちにリゾート施設ができた。「あそこはあんなのを作ったそうだ。おらの町も負けてらんね」的な発想で、次々に。地元の需要も地域の特性も無視して、日本中に同じようなテーマパークができた。

 結果、ほとんどつぶれた。だって同じようなものがあちこちにあるんだったら、わざわざ遠くのテーマパークに行く必要ないんだもん。


 また、多くのリゾート施設の失敗は、すべての人をターゲットにしようとしてあれもこれもと詰めこむ「幕の内弁当」化にあると著者は指摘する。

 猫も杓子も押し寄せる場所に富裕層は来ない。彼らが望むのは特別扱いであり、待たずに済むことである。庶民が大勢来る場所ではそれは叶えられない。

 幕の内弁当にすればたしかに観光客数は増える。だが人が増えれば交通は渋滞し、景観は乱れ、環境は破壊される。観光客の満足度が下がるだけでなく、住民の生活にも支障が出る。京都などで現在起こっているオーバーツーリズム問題だ。

 ニセコがうまくやったのは、富裕層にターゲットを絞ったことで、観光客数を絞りつつ地元に落とさせるお金を増やせたことだ。

 ニセコの場合は雪質が良かったからできたことなのですべての観光地がまねできるわけではないけれど、参考にはなるだろう。


 べつに富裕層にターゲットを絞らなくたって、「長時間並ぶし料理が出てくるのも遅い入場料5,000円のテーマパーク」と「並ばずに済む入場料10,000円のテーマパーク」だったら後者を選ぶ人も少なくないとおもう。ぼくはどっちかっていったら後者だ。めったに行かないからこそ、行くときはストレスなく楽しみたい。

「入場料5,000円で1日200人来場」と「入場料10,000円で1日100人来場」だったら売上はどちらも100万円だけど、後者のほうがコストは少なくなる。つまり利益は大きくなる。来た人の満足度も後者のほうが高いだろう。

 これから働き手はどんどん少なくなる。外国人観光客を呼びこんだって受け入れ先に従業員がいなければどうしようもない。「誰もがそこそこ楽しめる施設」は淘汰され、「ターゲットを絞って満足度と使うお金を高める施設」が生き残ってゆくのだろう。



 この本が刊行されたのは2020年12月。コロナ禍まっただなかである。

 だが海外旅行客がほぼゼロになったときですら、ニセコ開発の速度は陰る様子もなかったという。

 コロナショックにより、日本だけでなく米国、欧州の政府と中央銀行により、史上最大規模の金融緩和策と財政出動策がとられている。コロナ禍から国民の生命はもちろんのこと、
 「雇用と事業と生活」を守るためにはあらゆる手段を尽くすとの意思表示である。
 金融緩和とは、極めてシンプルにいってしまうと、「人工的にカネ余り状態を作り経済を浮揚させる」ことだ。このため、極論をいってしまえば、日米欧が大規模な金融緩和策を採っている限り、おカネはジャブジャブ状態にあり、国際金融市場は悪くなりようがないということだ。
 各国の中央銀行から、おカネが際限なく供給されているわけであり、水の流れと同じように、おカネは必ずどこかに流れ着く。本来は銀行貸し出しなどを通じて設備投資や運転資金に回り、経済や雇用の活性化につながるのがベストではあるが、そこから余り溢れたおカネは、余剰資金として、株式市場や不動産市場に流れることになる。
 金融緩和策とは、言い換えれば低金利政策であり、今はゼロ金利政策やマイナス金利政策が日米欧でとられている。このため、余剰資金を定期預金や国債など債券に預けても、雀の涙ほどの利息にしかならないどころか、マイナス金利の預金のように、逆に金利を払ったり、手数料を払ったりする必要がある場合もあるほどだ。だから、少しでも高い利回りを求めて世界中のおカネが動くことになる。とはいえ、ハイリスク・ハイリターンはご免だ。せいぜいミドルリスク・ミドルリターンを狙いたい、ということで、日米欧といった先進国の株式市場や不動産におカネが日々流れ込んでいるのだ。途上国よりも先進国の株式、過疎地より都市部や高級リゾートの不動産という選択となり、その流れのなかにニセコも含まれている。それがコロナ禍下で、実体経済はダメながら金融市場は活況であるからくりだ。

 なるほどねえ。コロナ禍で株価がすごく高くなってたのをふしぎにおもってたけど、こういうからくりか。みんなが困っている時代でも(そんな時代だからこそ)お金が余って余ってしかたない人がいるんだなあ。




 札幌市が開催地として手を挙げている冬季オリンピックについて。
  2020年1月、日本オリンピック委員会(JOC)により、札幌市が2030年冬季オリンピック・パラリンピックの開催地に立候補することが正式に決まった。札幌の計画には輪のマラソン会場を受け新設の競技会場は一つもなく既存施設を活用すること、東京夏季五輪のマラソン会場を受け入れたことなどもあり、IOCの評価も高いとされている。
 もし開催されれば、1972年以来となる札幌五輪のアルペンスキーの会場候補地には、富良野など並み居る競合地を抑え、ニセコが挙がっている。4種あるアルペン競技の中で、滑降とスーパー大回転は湯の沢地区(ニセコビレッジスキー場とニセコアンヌプリ国際スキー場の間)に新コースを造る方向で検討、大回転と回転はニセコビレッジスキー場の既存コースを活用するという。ニセコビレッジでは、今後リフトやゴンドラ増設などが検討されることになる。
 なお、札幌では、サッポロテイネスキー場、札幌国際スキー場などが、フリースタイルやスノーボードの会場として計画されている。大会開催に伴う経済波及効果は、北海道内で約8850億円、雇用誘発数は同じく北海道内で約7万人と試算されている。
 ニセコでの五輪競技開催は、ニセコの地を、欧州や北米など海外スキーヤーや富裕層に、強くPRすることになる。2030年は北海道新幹線が札幌まで延伸され、ニセコに新駅が誕生する年でもある。五輪と新幹線の効果で、北海道、札幌、そしてニセコの活性化とブランド力の更なる向上につながることになろう。

 なるほどなあ。一般市民の反対の声が強くても、東京五輪が汚職まみれになっても、それでも開催したいのはそれだけ儲かる人がいるからなんだなあ。


 小林一三(阪急電鉄の創設者)は、鉄道路線を敷くと同時にその周辺に百貨店・遊園地・劇場などをつくり、鉄道の利便性を高め、施設利用者を増やし、地価を上げるという相乗効果を生みだした。

 この手法は他の会社でも踏襲され、鉄道会社が不動産開発をしたり、商業施設をつくったり、新聞社がスポーツ大会を開催したりした。

「イベントが開催されることによって儲かる会社が、自ら金を出してイベントを主催する」という手法だ。

 ところが今はあまりそういう会社はない。

「政党に献金をして税金をたんまり使ってイベントを開催させ、それによって甘い汁だけ吸う」というやり方にシフトしている。

 オリンピックや万博のまわりに群がっている連中だ。万博なんて「営業黒字になるかも!」とかわけわからんこと言ってるけど、あれ、用地費用とか建設費用はすべて税金だからゼロ円計算だからね。何千億という税金をもらって「やったー黒字だ!」って言ってるんだよ。黒字にならなきゃおかしいでしょ。


 ニセコのリゾート開発がうまくっているならけっこう。ぜひその調子で税金でアホなイベントを開催せずにがんばってもらいたい。


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2025年8月6日水曜日

変な名前に対する処世術

 六歳の娘が「こどもが生まれたらどんな名前をつけるか考えた」と言う。


「へーどんなの」

  「女の子だったら、かりん」

「へー。かりんちゃんかー。かわいい名前だね」

  「でしょ? で、男の子だったら、さいかわ!」

「さ、さいかわ……?」

  「そう!さいかわ!」

「(苗字みたい……)へー、えーっと、とってもめずらしい名前だねー」

  「でしょ!」

 そして娘は、母親のところへ走っていき、「ねえ聞いて、こどもが生まれたらどんな名前にするか考えた! めずらしい名前!」とうれしそうに語っていた。

 どうやらぼくの言った「めずらしい名前」という感想が気に入ったらしい。


 だが娘よ。

 君はまだ人生経験が浅いから知らないだろうが、おとうさんの言った「めずらしい名前だね」は褒め言葉じゃないぞ!

 悪いとは言えず、かといって良いとも言いたくないときに使う苦しまぎれの感想だ!

 おとうさんは、知人からこどもの名前を聞いて「変な名前」とおもったときは「へーめずらしいですねー」とか「クラスの誰ともかぶらなさそうですよね」とかで切り抜けてるぞ!

 変な名前をつけるやつは「唯一無二な名前であること」に誇りを持っているから、そんな感想でもけっこう「そうなんですよー☆」と喜ばれるぞ!

 おぼえとくといいぞ!



2025年8月5日火曜日

ウナギとドジョウとヒトの呼吸

 ウナギはエラ呼吸だけでなく、皮膚呼吸もできるのだそうだ。だから泥の中でも動ける。落語で「ウナギをつかもうとしたらぬるりとすべって逃げるのでひたすら追いかけて、知り合いから『どこまで行くんだ』と言われたので『ウナギに訊いてくれ』と言った男」が出てくるが、あれもウナギが皮膚呼吸をできるから成り立つ噺なのだ。


 一方、ドジョウは腸呼吸ができるそうだ。口から息を吸い、腸から酸素を吸収。二酸化炭素は肛門から排出するのだそうだ。そのとき出た空気はドジョウのおならとも呼ばれるそうだ。

 このシステムはなかなかいいんじゃないだろうか。ヒトをはじめとする多くの陸上生物は、口にいろんな仕事を担わせすぎだ。噛みつく、咀嚼する、食べる、飲む、息を吸う、息を吐く。「息を吐く」だけでも他の器官が担当すれば、口の負担はずいぶん減るんじゃないだろうか。それに吸うのと吐くのが同じなんて効率が悪い。「吸いながら吐く」ができないじゃないか。掃除機だってエアコンだって換気扇だって吸うとこと吐きだすところは別口だ。

 ヒトも腸呼吸ならよかったのに。そしたらずっと肛門から空気が出ているわけだからおならも恥ずかしくないのに。でも痔になったりしたらずっと音が鳴っててそれはそれで恥ずかしいだろうな。



2025年8月4日月曜日

【読書感想文】畑 正憲『ムツゴロウの獣医修業』 / 医者はだめでもともと

ムツゴロウの獣医修業

畑 正憲

内容(文藝春秋BOOKSより)
ホモの豚、カゼ引きのキツネ、虫歯と痔に悩む犬、ペニスを骨折した牛等々、難病奇病でテンヤワンヤの動物王国。名獣医をめざすムツゴロウ氏と動物たちとの間のお色気ムード。

 1980年刊行。50年近く前ということで、あらすじの文章ですらかなり強烈。もちろん中身はこれ以上。ほとんど下ネタである(といっても動物の性行為とか性器とかの話だが)。


 畑正憲氏(通称ムツゴロウさん)といえばテレビでの変人のイメージが強いとおもうが、本業は作家である。ぼくは中学生のときに畑正憲氏のエッセイにはまり、古本屋をまわって数十冊のエッセイのほとんどを蒐集していた。畑正憲氏はすごく賢くてすごく行動力があってすごく変な人なので、エッセイも抜群におもしろい(小説はイマイチだが)。現在ではほとんど入手困難なのが惜しい。

 ひさしぶりに古本屋で氏の本を見かけ、なつかしかったのと、『獣医修業』はたぶん読んだことがなかったので(似たようなタイトルが多いので自信はない)、数十年ぶりに氏のエッセイを読んでいた。

 うん、今も変わらずおもしろい。というか、こういうヘンな文章を書く人が他にいないんだよな。鳥類学者の川上和人さんとか昆虫学者の前野ウルド浩太郎さんとか鳥類学者の松原始さんとかがそれに近いかな。動物を研究している人に特有の文章があるのか?

 でも畑正憲氏の博学で精力的で淫靡で嘘か誠かわからない文章はやっぱり他に類がない。どこまでほんとかどこからホラ話かわからない文章は、今の時代だと書かせてもらえないのかな。



 

 犬の交尾を手伝っている獣医の話。

「染色体だとか遺伝子だとか、難しいことはわかりませんがね、犬が年々下手になっていっているのは、これはもう疑いようのない事実ですよ。月末に収支をしめてみますとね、助手料が着実に増えています。この助手料というのは、つまり、交配の際の犬の押え役であるわけです」
「物理的に好き嫌いを超越させるわけですね。今度、私にもやらせて下さい」
「ああどうぞ。しかしですね、獣医というのが犬同士の結びの神であるわけでして、本来は必要でないところへシャシャリでているわけでしょう。要らぬことをやるので、犬どもが下手になっていくと思えるし、だとしたら犬に悪い影響を与えているのは獣医だと言えるし、これで、なかなか複雑な思いをさせられています」
 童貞の犬と十分に発情したメス犬を広い囲いの中に入れると見ものである。オスの方は次第に落着かなくなり、メスの上に乗ろうとする。しかしメスは、そう簡単に許さないので、童貞夫は身をよじって、サービスにこれつとめる。
 首筋を咬む。体をこすりつける。食物をゆずる。前にまわって口を開け、必死で相手の関心をひこうとする。
 要するにサービス精神のかたまりとなり、メスのしもべと化すのである。その有様を先生はこう表現した。
「まったく何か至上のもの、この世で一番の快楽がすぐそこにあるぞと自然が犬に吹込み、犬は食事も要らぬ、プライドも要らぬと張切っているのだけれど、さてどうしていいかわからない。それで、ひたすらメスにつきまとい、機嫌を取り結んでいるみたいですな」
 と、私は相づちを打って、
「かわいいとも言えるし、じっと見ているとアメリカの男性を連想しませんか」
「そうですね。あの似非ヒューマニズム、レディファーストの習慣は童貞犬のものですなあ」
「もし犬が煙草を吸うとしたら、ライターをパチリとつけるのはオスの役目ですね」

 酒の席の会話のようなくだらない会話だ。でもくだらなさの中にも知性が漂う。だけどいいかげん。

 最近、こういう「賢いのにちゃらんぽらんな文章を書く人」が減ったよなあ。北杜夫、遠藤周作の系譜。



 

 この本に書かれているのは、畑正憲氏が北海道の広大な土地で数多くの動物を飼いはじめた時期のことである。多くの動物がいれば怪我もするし病気にもなる。そんな中で、駆け出し獣医として奮闘している。

 ちなみに氏は免許を持つ獣医ではない。

 獣医師法第十七条には「獣医師でなければ、飼育動物(牛、馬、めん羊、山羊、豚、犬、猫、鶏、うずらその他獣医師が診療を行う必要があるものとして政令で定めるものに限る。)の診療を業務としてはならない。」とあるが、あくまで「業務としてはならない」なので、自分の飼っている動物を治療したり、知人の動物を無報酬で診療したりするのは獣医師法違反ではないようだ。そのへんは人間の医者とはちがう(人間の場合は無報酬でも医師でない者が医療行為をしてはいけない)。

 虫歯が一本や二本ならば、何とでもする自信が私にはあった。
 ロボットの腕みたいな歯医者のドリルは、私も一台持っている。先がとがったドリルや平たいヤスリをつけ、かつては幾多の手術に活用したものだ。
 特に便利だった点は、出血する部位の骨を削る場合などに、ごく僅かずつ作業を進め得ることだった。カエルやナマズの脳下垂体除去手術、カメ類の手術にも有用だった。
 なに、歯だって似たようなものだろう。人と違って全身麻酔を施してあるのだから、手早く削って悪い部分を除き、充填剤を注入すればよい。
 この充填剤も、私はしばしば活用している。二剤にわかれているものをガラス板の上で混ぜると、後の作業を急がねば固化してしまう速乾性が気に入って、ズガイ骨に穴を開ける手術などを行なった際には、ちょいと借用しているのである。
 動物学者はさまざまな手技を獲得しなければやっていけないのである。この私でさえ、センバンからガラス細工、七面倒くさいアンプの組立て並びに設計、バキュームカーの運転並びに汲取作業、処女の鑑定から発情の検定まで、一応の技術は身につけている。
 私は自分で再手術をすることにした。
 薬品類を調べると非バルビタール系の麻酔剤や、全身麻酔の薬が取揃えてあった。それを使って開いてみた。
「あれ、何だいこれは」
 皮を切って私はうろたえた。何が何だか分らないのである。
 赤い肉がごちゃごちゃと重なり、膿らしきものは見当らない。しかも、筋肉の所在が明瞭でないし、あまり深く切ると、腸を傷つけるのではないかと不安になった。私は途方に暮れ、
「おい。どうしよう」
「そう訊かれたって困りますよ。執刀医はムツさんだから、どうするのか自分で決めて貰わなければ」
 助手はてんで冷たいのである。私は、切口を引っ張ったりつねったりしてみたが、結論らしきものは出なかった。
「えい、思い切って!」
 メスを一閃、ズバリと切ってみた。分らなければ、分るようにしなければならぬ。手掛けた以上、原因をつきとめてやるのが情というものだ。傷口が三十センチになった。
 すると、見慣れた懐しい腹壁が現れたのである。胸のすぐ下で、腹直筋と外腹斜筋が見分けられた。とすれば、わけの分らぬ代物は、皮膚と腹壁の間に存在しているのだ。そこまで調べて私はやっと件の代物が腫瘍であろうと見当をつけた。
「大丈夫ですか」
「なるほど。おぼろげながら正体がつかめたぞ。こんなものを腹に入れていいわけがないから、ながら正体がつかめたぞ。こんなものを腹に入れていい切除してしまおう」
「なあに、腹壁の上ならことは簡単だよ」
 腫瘍が悪性のものであるのか良性であるのか、判別するのは容易ではない。私に出来るのは、止血しながら切ってしまうことだけである。
 切除には三時間かかった。傷が古く、治っては口が開き、閉じては開きしたものらしく、どうに惨憺たる有様だった。こぶしを三つ並べたほどもある肉塊を切出して開いてみたら、管状になった腫瘍が三つ複合し、ねじれ合って一つになっていた。
 切ってしまうと犬は元気になった。お腹がペソリとしてスマートになって、食もすすむようになった。素人の治療でもたまには功を奏すこともあるようだ。

 ずいぶん悪戦苦闘、試行錯誤している様子が伝わってくる。


 ほんの百数十年前までは人間の医療もこんな感じだったんだろうな。

 よくわかんないけど切ってみる。なんだかわからないけど悪そうなものがあるから切り取ってみる。切ったらうまくいったから次回もそうする。切ったら死んじゃったから次はもうやめとく。医療ってその歴史の大部分は「勘でやってみる。だめでもともと」で成り立っていたんだろう。

 でも今はそんなやりかたをとるわけにはいかない。人間相手なら当然、動物相手でも、世間的に許されないんじゃないだろうか。たとえ法的にはOKでも。

 畑正憲氏は、見よう見まね、試行錯誤、実践あるのみ、だめでもともと、というやり方で医者ができた最後の人かもしれない。


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ファストパスはイヤだ

 ファストパスってあるじゃない。テーマパークで、高い金を出してファストパスを買った人は並ばずに優先的にアトラクションを体験できますよってやつ。

 あれ、いやだよねえ。

 最初に行っておくと、ぼくはディズニーランドにもUSJにも行かない。最後にディズニーランドに行ったのは2歳のときだし(もちろんまったくおぼえていない)、USJには会社のイベントで業務として行っただけだ。


 なので想像でしかないのだが、ファストパスはイヤだ。

「金の力で順番を抜かされる」のはもちろんイヤだし、逆に「金の力で順番を抜かす」のもイヤだ。ズルしてるようで後ろめたい。

 そもそもああいう場所で金のことを考えたくない。持たざる側に立つのも持ってる側に立つのもどっちもイヤだ。

 ぼくが好きなテーマパークは大阪のスパワールドなのだが(ただし夏場を除く)、あそこは水着が裸で移動するので「リストバンドでツケ払いをして帰るときに精算」というシステムをとっている。これは中でお金のことを考える必要がないのでたいへん気分がいい。


 ファストパスを売って売上を増やしたいという施設側の思惑もわかるのだが、それって短期的には収益上がっても長期的に見たらライトユーザーの印象を下げることにつながってマイナスなんじゃねえの? ともおもう。

 ぼくの意見としては、もっと収益を増やしたいんだったら入場料を上げてくれたほうがいい。そしたら入場者数は減るかもしれないけどその分待ち時間が減って居心地は良くなる。「行かない人」と「行って満足する人」に分かれるのが理想だ。前者はテーマパークを味わえないけど、時間も金も失っていないのでがっかり感は少ない。

 ファストパス制度は「行かない人」と「行って満足する人」の他に「行ったけど満足できない人」を生みだしてしまう。お金も時間も使ったのにあんまり楽しめなかったね、の人だ。これは最悪だ。行って楽しめないぐらいなら行けないほうがずっとマシだ。


 ファストパスじゃないけど、以前某テーマパークに行ったときの印象が最悪だった。とにかく従業員が足りていない。客は長蛇の列をつくっているのに従業員が少なすぎてまったくさばけていない。「乗物に誰も乗っていないのに、説明をする従業員がいなさすぎて乗れない」という状況だった。人が多くて乗れないのよりも腹が立つ。並んでいる人たちはみんなイライラしていた。ぼくも二度と行くもんか、とおもった。

 従業員がいないのはしゃあない。でも、対応できないならいっそ「今日はこのアトラクションは中止します!」とやってくれたほうがいい。遊べないとわかっていれば他のプランを考えられるのだから。


 今の時代、どれだけチケットが売れているか、どれぐらい客が来たらどれぐらい待つことになるかなんてリアルタイムですぐわかるはず。もっと賢いやり方があるはず。

 行くなら、「チケットは確実に買えるけどぜんぜん楽しくないテーマパーク」よりも「(枚数的、金額的に)なかなかチケットを買えないけど行ったら楽しいテーマパーク」だ。

 これから働き手は減っていく一方。海外からの旅行客は増えていて、あちこちで「需要はあるけど供給が追いつかず長時間待たせる」ことが増えてくるにちがいない。

 そろそろ旧来の「とにかくたくさんの人に来てもらう」やり方を捨てて、来てもらう人を絞って満足度を高めるほうに舵を切ってもらえないだろうか。単価を上げて同程度の売上を確保するやりかたもあるんじゃないかとおもうのだが。


 ま、ディズニーランドにもUSJにも行かないぼくにはほとんど関係のない話なのだが。

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