2026年8月4日火曜日

【読書感想文】福田 直子『大真面目に休む国ドイツ』 / 労働時間が減ると無償労働が増える

大真面目に休む国ドイツ

福田 直子

内容(e-honより)
「勤勉」「堅実」なイメージの強いドイツ人、彼らの目下の悩みは、年に六週間の休みをどう過ごすか、にある。長いバカンスがきっかけで破局した夫妻、残業規制で思うように働けないサラリーマン、リストラされ、第二の人生を旅に求める早期年金受給者…。こんなに大変な「休暇」に、なぜ彼らはこれほど真剣なのか?「休暇」のためには、すべてをなげうって!バカンス先進国ドイツの理想と現実。

 勤勉なイメージが強いドイツ人だが、たいへんバカンス好きな国民だという。旅行に使う時間もお金も日本よりずっと多いそうだ。

「旅行」をキーワードにドイツを紐といた本。とはいえ途中でネタが尽きたのか、後半はドイツの大学事情とか、東西での経済格差とか(2001年刊行なのでまだ東西ドイツ統合して10年ぐらいしかたっていない)、旅行と関係の話題が並ぶ。



 ドイツで盛んなFKK(Freikörperkultur:裸体主義)について。

 FKKの歴史は案外古く、近代都市の発展と関係が深い。
 一九世紀半ば、新興産業国としてのドイツの都市の発展はめざましく、農耕社会から工業社会へと移行する間、人々の生活は大きな変化を余儀なくされた。工場労働者の急増に伴って住環境は悪化し、労働時間や自由時間もそれまでには見られないほど変化した。
 一八五〇年から一九一〇年のあいだ、ベルリンでは人口が五倍に、鉄鋼業で急成長したルール工業地帯のエッセン市では三〇倍になった。交通量も増え、店の営業時間は長くなり、明るくなれば仕事し暗くなれば就寝という、それまでののどかな生活は、昼夜の境があいまいになるほどあわただしいものになった。住宅は不足し、風呂や便所のないような狭い路地裏に住まなければならなくなった住民たちは、ただでさえ日光が不足がちな北国ドイツで病気に襲われた。大人たちは結核にやられ、子供たちはクル病にさえなった。
(中略)しかし、田園生活より精神的にもはるかなストレスを生む都市の生活では、日々の散歩だけでは健康のために不充分と医師たちは警告した。
 そこで流行りだしたのが、夏のあいだだけでも日光を思う存分浴びようと、遊びとスポーツ、歌と踊りなどの芸術的要素を盛り込んだFKK主義だった。それまで海水浴場は男子と女子が別々にされていただけでなく、社会階層によっても厳格に区分されていたが、新たな流れはそんな封建主義時代への訣別も意味していた。また「衣服がそもそもの人体美をさえぎってしまう」という運動は、タブーや因習を破り、「進歩主義者」の間で人気を集めた。

 近代都市の発達、労働の長時間化、そして高緯度による日照時間の短さによって健康を損なう人が増え、その結果として生まれたのがFKK。ただ裸で闊歩するのが好きな人たちかとおもったらこんな切実な事情があったとは。

 まあ全裸である必要はないとおもうが……。




 ドイツでは(日本の労基署とちがって?)労働監督局が企業を厳しく監督している、という話。

 ドイツでは労働監督局は労働省の管轄下。各州に設けられ、労働時間法に違反していないかどうか、あらゆる職業について監督している。いわば〝労働に関する警察官〟のような役目だ。厳密にいえば、雇用者が一日八時間の労働を守っているかどうかを「監督」。超過勤務をしても一日一〇時間まで、それ以上の超過勤務をした場合、六ヵ月間の労働時間が一日平均八時間になるよう指導する。
 また、労働日と次の労働日の間には十一時間の自由時間がなければならず、日曜日と法定休日に被用者を働かせることは原則として禁止されているので、この場合には許可が必要である。事業者がこれらの原則に違反した場合、五〇〇〇マルクから三万マルク(二五万~一五〇万円)の罰金、重い違反が認められた場合は半年までの禁固刑の可能性もある。
 つまり基本的に〝労働時間法〟が個々の産業別の労働契約より優位にあるため、これに従って労働時間が極力制限されているのが現状なのである。

 20年以上たってやっと日本もこの頃のドイツに追いついてきた感じかな。

 なるほど、これぐらいちゃんと労働監督局が仕事をすればこそ、国民の余暇時間も増え、レジャー産業が発達したわけだ。



 ドイツ人は労働時間が短く、余暇にたっぷり時間をかけることができる……と聞くといいなあとおもうのだが、物事にはいい面もあれば悪い面もある。

 戦後、時短は進み、自由時間は増える一方であった。しかし、人々の生活のテンポはせわしいものとなったのである。
 それはなぜだろうか。生活をする上での追加の仕事や"無償の仕事"が増えたのである。三〇年前であれば近所の食料品店などで身近にできた買い物も、少し離れたスーパーに行くため今では倍の時間がかかる。効率化やリストラのために昔は近くにあった小さな郵便局や銀行の支店は閉められ、遠くまで行かなければならない。用を足すためにあらゆる所で列に並ばなければならない。
 職人に頼まずに自分で自宅の棚や家具を運搬したり、組み立てたりする。予算がないからと保育園を増設することを怠る国側にかわり、個人は子供の面倒を自分でみなければならない。
 そして、休暇をとるため必死に時間内で仕事を終えなければならない。本業のもたらす賃金の絶対額が少ないとあれば副業にも従事し、株投資に邁進し、税金を減らすための策に新たな時間を割く。
 事実、この三〇年で、ドイツ人の生活から睡眠時間が徐々に削られているという研究結果がある。
 人々は時短とひきかえに、つまるところ"時間を売買した"といえるのかもしれない。

 ふうむ。人々の労働時間が減るということは、有償のサービスが低下するということでもある。

 店舗の数は減り、サービス提供時間は短くなり、サービスの質は落ちることになる。

 たとえば宅配便業者の働き方が改善されるのはいいことだけど、そうなると「値上げします」「荷物は雑に扱うけど許してね」「時間指定配達やめます」「再配達やめます」「個別配達やめます。各自が配送センターまで取りに来い」ってことになっていく。はたして我々はどこまで許容できるだろうか。

 その世の中ではたしかに労働時間は短くなって自由時間は増えるけど、その自由時間は「宅配センターへ荷物を受け取りに行く時間」とか「遠くのスーパーまで買い物に行く時間」とか「自分で家の修理をしないといけない時間」とかに消えてゆくことになるわけで、それってはたして自由時間と言えるのだろうか。

 なんなら会社に行っていつもやってる仕事をやってるほうがずっと楽なんじゃないだろうか。

 労働時間の短い社会では"無償の仕事"が増えてしまう。

 むむむ。人間は労働から逃れられないのか。結局のところ「自分だけ短時間労働でみんなは長時間労働」がいちばんいいんだよな。うーん、身勝手ー!!


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2026年7月31日金曜日

【読書感想文】森川 すいめい『感じるオープンダイアローグ』 / じっくり相手の話を聞くのはむずかしい

感じるオープンダイアローグ

森川 すいめい

内容(e-honより)
オープンダイアローグ発祥の国フィンランドでは、対話によって、精神面に困難を抱えた人の8割が回復。学校や職場、家庭、議会でも「対話の場」が開かれ、大きな効果を上げている。日本人医師として初めて、オープンダイアローグの国際トレーナー資格を得た一人である著者が、自らの壮絶な過去とオープンダイアローグに出会った必然、そして、フィンランドで受けたトレーニングの様子をつぶさに記した、オープンダイアローグをハートで感じる書!

 オープンダイアローグとは、精神医療の手法で、当事者や家族や支援者が集まって「対話」を重ねることで問題解決や心の平安を目指すという手法だそうだ。

 ぼくは幸いにして今のところ特に悩みも抱えていないし、悩みを抱えている人を支援するような立場にもないけど、良書だという噂を耳にして手に取ってみた。いつ困窮するかわからないしね。



 精神科の診療といえば患者と医師の一対一、あるいは横に看護師がいるけど聞いているだけ、みたいなパターンが多いのではなかろうか(あんまり知らないけど)。

 ただオープンダイアローグでは、患者の家族とか、医師以外の病院スタッフとか、場合によってはケアワーカーといった人たちも「対話」に参加するそうだ。

 私は、ようやくそのとき、スタッフが2名以上入ることの意味を理解した。ケロプダス病院のスタッフが、
「同じ意見のスタッフだったら、そこにいなくてもいいのです」
 と話すのを聞いてわかった気になっていたが、このとき初めて腑に落ちた。
 それまでの、医師の私が中心になって行う対話は、対話なのか単に輪になっただけなのかわからないものだったが、スタッフと対等の立場で話すようになったら、明瞭に対話が広がった。今では、他のスタッフが入ることで、対話がとれまでと全然違う、豊かなものにことを実感している。私一人の考えではどうにもならないことがしばしばあるし、他のスタッフが話しているのを聞くことで刺激も受けられる。また、話さない時間があることで考える間が生まれ、私自身の中にも新しい考えが浮かびやすくなる。対話の場にいるそれぞれの思いが重なって、新しい考えやこれまで話されていなかったことが話されるようになっていく。

 ふたりっきりで話すとどうしても「質問する人と答える人」みたいな形になってしまうけど、三人、四人になると「その場にはいるけどただ話を聞いているだけ」という人が出てくる。この人は対話に参加していないようで、その間に自分の考えをまとめたり、新しいアイディアを思いついたりする。これが重要なのだという。

 たしかにね。親しい人でないかぎりは一対一で話すのはしんどいけど三人以上だとわりと楽、ってのは自分の体験をふりかえってみてもよくわかる(あんまり多いとそれはそれで疲れるけど)。



 今のぼくにとって最大の関心事は、子どもとの接し方だ。

 うちの長女は中学生。絶賛反抗期なので、こちらが言ったことに対して、喧嘩腰の返事がかえってきたりする。そうするとこちらもムッとしてしまい、言い争いのようになったりする。お互い怒鳴るような物言いになり、当然ながらそうなると建設的な話し合いなどできるはずがない。

「じっくり相手の話を聞く」ことが大事だとはわかっているのだけど、理解しているのと実践できるのはまたちがう。

 最初は、「話し切る」「聞き切る」ための工夫をするとよいかもしれません。家族、たとえば子どもに、まずは話したいと思うことを話し切ってもらう、続いて「次は私が話していい?」などと確認したうえで、今度は母親が話したいことを話し切るというふうに、話す人と聞く人を分けるだけでも対話は促進されるでしょう。
 このとき、たとえばペンとか縫いぐるみとか何かシンボルになるものを使って、それを持っている人だけが話すというルールを作るのは助けになると思います。話を最後まで聞き切ると、今まで思い込んでいたことに間違いや誤解があることを知るきっかけになるでしょう。
 誤解が解消し、理解が進むと、もっと話したくなったり、聞きたくなったりすると思います。
 最初はとても難しいかもしれません。第三者がいなければ対話にならないかもしれません。それでも不可能ではないと思います。

 この「たとえばペンとか縫いぐるみとか何かシンボルになるものを使って、それを持っている人だけが話すというルール」はなかなかいい案かもしれない。特に子どもが小さいときは。

 案外、形で行動を縛るってのは有効だよね。

 たとえばテレビの討論番組を見ていると、出演者がお互いの話をさえぎって持論を展開し、最終的には声のでかいやつ、厚かましいやつがその場を制す……なんてことが起こる。あれだって、マイクが一本だけあって司会者がマイクを回す形にしたらあんな不毛なことも起こらないとおもうのだが。


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2026年7月30日木曜日

【読書感想文】高水 裕一『宇宙人と出会う前に読む本 全宇宙で共通の教養を身につけよう』 / 太陽が2つ以上ある惑星のカレンダー

宇宙人と出会う前に読む本

全宇宙で共通の教養を身につけよう

高水 裕一

内容(e-honより)
宇宙で本当に必要な教養とは?もしも宇宙で知的生命と会話をすることになったら、あなたは自分のことをきちんと説明できますか?出身地や身体の組成など、相手はいろいろ聞いてきます。宇宙の平均より文明が遅れている可能性がある地球人は、それらにどう答えればよいのでしょうか?さあ、ちゃんとした宇宙人への第一歩を踏み出すために、宇宙標準の科学を知って宇宙偏差値をアップさせよう!

 講談社ブルーバックス。

 宇宙人とのファーストコンタクト(どうやってコミュニケーションをとるか、未知の言語をどう解読するか)的な話かとおもったら、その先の話、つまり宇宙人とコミュニケーションがとれるようになったときにどんな話をすればいいか、という本だった。うーん、ぼくが生きている間は使うことはなさそうだな(ファーストコンタクトもないだろうけど)。

 要するに「地球以外の星や宇宙のことを知ろう」が内容なのだが、それだとあまりにとっつきにくいから「宇宙人と仲良くなるためには地球と他の惑星・衛星の違いを知っておかなくちゃいけないよね」という切り口で小説仕立てにしている本だ。

「日本と諸外国の地理的比較」だと難解だから「海外旅行の前に読む本」というタイトルをつけた、みたいな感じだね。



 太陽の個数について。

 ぼくらは太陽は1つだけだとおもっているけど、ぼくらのいる太陽系がたまたまそうなっているだけで、宇宙規模で見ると太陽が1つしかないのはむしろ少数派なのだという。2個、3個の恒星を持っている惑星のほうが多いそうだ。

「地球の特殊さは、太陽が1つしかないことだけじゃない。地球には月も1つしかない」
 ああ、たしかに。太陽系のほかの惑星がもっている衛星の数をみると、水星と金星はゼロですが、火星は2個、木星は2個、土星は3個、天王星は27個、海王星は14個(今後も観測によって増える可能性あり)と、衛星が1個しかないのは地球だけです。なんと地球は太陽系でも「変わり者」だったのです!

 太陽と月がそれぞれ1つしかないことがキリスト教、ユダヤ教、イスラム教など唯一神を信仰する宗教が多い理由ではないか……と著者は書いている(ただぼくはそれはちょっと無理があると思う。地球上にも複数の神を信じる文化はたくさんあるので)。


 我々の暦は1つしかない太陽や月の見え方をベースにしているが、太陽が複数ある星ではまた別のカレンダーを使っているはず……という話はなかなかおもしろい。

 別の銀河のカレンダーがどうなっているかなんて考えたこともなかったから(たぶんこの先も考えないだろう)。


 そして100億年後の地球のカレンダーについて。

「さて、現在の月は、毎年約4cm、地球から遠ざかっている。地球人の手の爪が伸びる速さともいわれている。微々たるものに思えるが、それにしたがって自転速度も少しずつ遅くなり、1日の長さが少しずつ長くなっていく。何億年もすれば25時間、26時間となる。一日でやれることが増えてラッキーなんて言ってられるのはそのあたりまでだ。100億年後に、同期化による速度移動が完了して地球と月の回転速度が同じになると、一日はなんと約1200時間になる。もう日雇いの仕事などやっていられない。このとき、月はまだ地球の周囲をゆっくりと回っていて、地球の自転速度とほぼ同じになる。つまり1ヵ月=1日となり、1年はわずか7日程度になってしまう。さらに時間がたつと、月は完全に地球の重力的影響下から離れて、新しい第4惑星となり、太陽を中心に円運動を始める。そしてカレンダーからは『月』の表記が消える」

 はっはっは。100億年後の心配はしなくて大丈夫だろう。どっちにしろ今のようなカレンダーは使っていまい。




 そもそもは地球でも、生物が左右対称であることは普通ではなかったようです。ではどうだったかといえば、ある点を中心に180度回転しても同じ形になる回転対称のような形の生物や、中心の点から足が放射状にいくつも伸びているような放射相称の生物などがいました。現在も、ウニやヒトデなどの仲間にそういう生物が見られます。しかし地球では、ある事件を境にして、左右対称の生物が圧倒的に優勢になりました。それが約5億5000万年前に起こった「カンブリア紀の大爆発」です。このとき、それまでの生物の
 ほとんどは絶滅し、新しいタイプの生物が一気に地球を席巻しました。現在の地球生物のほとんどはこのときに出現したものです。そして、その多くは左右対称だったのです。

 動物の身体はほぼ左右対称であることがあたりまえだとおもっているけど、別に左右対称でなくてもいいわけだ。植物なんかは自由気ままに枝を伸ばしてるしな。

 そういえば、自動車とか電車とかもみんなボディは左右対称だ。あれこそ非対象でも良さそうなものだけど。タイヤさえ対称形であれば他は非対象でもまっすぐ進むもんな。地球人が「動くものは左右対称でなければいけない」という思い込みにとらわれているせいかもしれない。


「あれ、時計が逆回りになっていませんか?」
「え? 私たちの惑星ではこれが普通ですよ」
 時計の針が回転する方向は、少なくとも地球では、日時計の名残をとどめています。かつて使っていた日時計は、太陽の光を受けてできる影が回転することで時間を表していました。その回転方向と同じ方向に針が回転するように、地球の時計はつくられたのです。
 しかし、「時計の針が右回りなのは、日時計の影が右回りだった名残」と説明するのは大問題です。理由はわかりますよね。そう、これは北半球での話で、南半球では日時計の影は逆に左回りになるからです。こんな説明をすると南半球の人から猛クレームを受けそうです。地球の時計が「右回りしかない」のは、時計を最初につくったのが北半球の文明だったからです。「ということは、地球の時計の針が右回りなのは、地球では比較的、北半球の文明が先に発達-たことの間接的な証拠とも言えるのかもしれませんね。そんなこと、気づかなかったなあ」

 時計の針が右回りなのは、地球限定どころか、北半球限定の常識なのだ。南半球の日時計は逆回りだし、もっといえばもしも赤道直下の日時計が元になっていれば時計は円ではなく直線的な形をしていたはずだ。

 我々が常識だとおもっていることがいかに地球限定、太陽系限定の常識にすぎないかということを思い知らされる。地球外生命体とふれあわないかぎりはそれで何の問題もないんだけど。


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2026年7月28日火曜日

自販機データの就活への活用

 オフィスビルがあって、その三階にはA社だけが入居している、という場合がある。

 そこそこ大きなビルであれば、フロアごとに自動販売機が置いてあって、そうなると三階の自動販売機を利用するのはほとんどA社の社員だけ、ということになる(来訪客とかが利用することもあるだろうが無視できるほど少ないものとする)。


 自動販売機を管理している会社は、そこでどんな商品がどれだけ売れたか、というデータを持っているだろう。おそらくだけど、売れた時間帯なんかのデータも。

 すると、自動販売機のデータからその会社の働き方が見えてくるはずだ。

 たとえばこの会社は遅い時間にコーヒーがよく売れてるからブラックっぽい(コーヒーだけに)とか、あの会社は深夜2時にエナジードリンクがよく売れてるから激ヤバだとか、そういった分析ができる。

 逆にお茶とか水とかがよく売れてる会社はわりと平和そうであんまりストレスがないのかなとか、お茶よりもコーラがよく売れてるから若い従業員が多いのかなとか。

 就活をしている学生からすると、ホームページに掲載された「社員の働き方」なんかよりも自販機データとかの生の情報のほうがよっぽど参考になるだろう。就活情報サイトには自販機データも載せてほしい。

 しかしそうすると本当に邪悪な会社では、対策として「エナジードリンクは別フロアで買うこと」なんてお達しが下るかもしれない。


2026年7月27日月曜日

【読書感想文】鈴木 忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』 / 天才は理解されない

嫌われた監督

落合博満は中日をどう変えたのか

鈴木 忠平

内容(e-honより)
なぜ語らないのか。なぜいつも独りなのか。そしてなぜ嫌われるのか。謎めいた沈黙と非情な采配に翻弄された男たちの証言から、孤高にして異端の名将の実像に迫る。組織における人材登用術、リーダーの覚悟などビジネスパーソンにも影響を与えた傑作ノンフィクション。文庫版新章「それぞれのマウンド」収録。

 いい本だった。実におもしろいノンフィクション。


 この本を読むまで、落合博満という人に対してあまりいい感情を持っていなかった。ぼくがプロ野球を観るようになった頃にはすでに「球界でいちばん高い年俸をもらっているプレイヤー」だった。それも(ぼくから見れば)成績の割に高すぎる年俸をもらっている選手だった。

 ぼくがプロ野球を観始めたのは1993年。当時の落合選手は中日ドラゴンズで四番を打ってはいたがホームラン数は20本前後。正直、四番としてはものたりなさすぎる成績だ。なのに年俸三億円という破格の給料をもらっていた。

 その後、FAで読売ジャイアンツに移籍したことでぼくの印象はさらに悪くなった(アンチ巨人なので)。39歳、前年のホームラン数は17本。完全にピークを過ぎた選手なのに、年俸は四億円。なんでこんなに高く評価されてるんだ、とおもっていた。

 後年、中日の監督になってからもあまり印象は良くなかった。その頃にはぼくはあまりプロ野球を観なくなっていたのだが、「日本シリーズで8回まで完全試合をやっていた山井を交代させた監督」という印象だけが残っている。

 そんなこんなで、落合博満という人物に対するぼくの印象は「金に汚い非情な人」という印象だ。たしか契約更改でも毎回交渉が長引いていた。

(ただし「高い年俸をもらう」ことに関しては決して悪いことばかりでもないよな、ともおもう。トッププレイヤーが高い給料をもらうことで他の選手も「落合さんがあの成績であれだけもらっているんだったらおれももっと上げてくれ」と交渉しやすくなるので、選手全体の待遇改善に貢献している部分もある)



 監督としての落合氏の実績は圧倒的だ。

 落合氏がドラゴンズの監督を務めたのは2004年から2011年までの8年間。その9年間で、リーグ優勝4回、2位3回、3位1回。すべてAクラス(3位以上)。日本シリーズには5回出場して2007年には日本一にも輝いている(球団53年ぶりの日本一だ)。

 ちなみに落合氏退任後の2012年以降のドラゴンズの成績は2位→4位→4位→5位→6位と絵に描いたような転落をたどり、退任後の14年間で優勝は0回、Aクラスになったのも2回だけとすっかり弱小チームになってしまった(現時点で2026年もリーグ最下位だ)。いかに落合監督時代が強かったがわかる。


 だが落合監督は、親会社やファンから愛されなかった。選手やコーチの中にも監督のやり方に不満を漏らすものが少なくなかった。2011年のシーズンを最後に契約を打ち切られることとなる。

 なお、契約打ち切り直前の3シーズンのリーグ成績は2位→1位→1位である。こんなに好成績を残して切られた監督はそうはいない(リーグ5連覇を果たしてそのまま辞めた西武・森監督もいるが)。

 その二日後、落合は中日球団と新たに二年契約を結んだ。長嶋が恨みを吐き出した中日ビルの最上階にある貴賓室で、オーナーの白井文吾と握手を交わした。
 席上で、落合は二つの要請を受けた。
 ひとつは、この球団が五十年以上も手にしていない日本シリーズの勝利であった。この時点で中日は十二球団のうち、もっとも長く日本一から遠ざかっていた。
 薄紫のダブルに、濃紺のネクタイを締めた落合は、契約更新を勝ち取った席上で不敵に笑った。
「この三年間で強くなった。それでも日本シリーズには負けた。勝負事は勝たなくちゃだめだということなんだ。強いチームじゃなく、勝てるチームをつくるよ」
 私は部屋の片隅でペンを握っていた。落合の表情は何かを吹っ切ったように見えた。
 そして、もうひとつの要請は、ナゴヤドームのスタンドを満員にすることだった。
 このころから、喜怒哀楽を出さずに淡々と勝利を重ねる落合の野球は「つまらない」とささやかれるようになっていた。
 リーグ優勝しても、四万人収容のナゴヤドームにわずかな空席があるのはそのためだと、現場と興行とを結びつける者もいた。
 そんな声を知っていたのだろう。落合は自らに言い聞かせるようにこう語った。
「勝てば客は来る。たとえグッズか何かをくれたって、毎日負けている球団を観に行くか? 俺なら負ける試合は観に行かない」
 落合は勝つことで全てを解決しようとしていた。矛盾するような二つの命題を抱えて、新しい二〇〇七年シーズンを迎えようとしていた。

 うーん……。「勝てば客は来る。たとえグッズか何かをくれたって、毎日負けている球団を観に行くか? 俺なら負ける試合は観に行かない」これは正しくないとおもうなあ。落合さんはずっと選手・監督としてプロ野球の世界に生きてきた人だから勝利至上主義になるのは当然だが(そしてそれは決して悪いことではないのだが)、ファンからすると強いだけが愛される条件ではないんだよな。勝利だけを求めて球場に足を運ぶファンはむしろ少数派で、球場の雰囲気が楽しいとか、選手が身近に感じられるとか、スター選手を生で観られるとか、そういう要素のほうがずっと大事だ。

 ただ落合さんにファンサービスをしろというのも無茶な話で、問題は監督に「勝利」と「ファンサービス」と「人件費削減」というときに相反する課題をいっぺんに押しつけようとした球団にある。

 あくまで監督には勝利だけを追い求めさせ、ファンサービスの面は別の誰かをCMO(最高マーケティング責任者)とかに据えて任せるべきだとおもうのだが。



 単なるプロ野球の話にとどまらず、組織論、リーダー論として読んでもすごくおもしろい。

「選手が訊いてくるまでは教えるな」
「選手と食事には行くな」
「絶対に選手を殴るな」
 落合はかつての自分がそうだったように、自立したプロフェッショナルを求めていた。当然だろうと、宇野は思った。ただ一方で、そうした掟は徐々に緩和されていくべきものだとも考えていた。宇野は裏方スタッフを連れて飲みに出ることがほとんどだったが、ときには選手から声をかけられることもあった。そんなとき、落合の掟がちらつき、宇野が逡巡しているとある選手から言われた。
「宇野さん、大丈夫ですよ。途中で偶然会ったことにしましょう」
 その選手が言うことはしごく自然に思えた。戦いを共にする者たちは時間とともに境界線を失くし、互いの共有物を増やしていく。それがチームであり、信頼や絆というものではないか。ひいてはそれが強さになっていくのではないか。
 ところが落合は年々、選手やコーチとの境界線を鮮明にしていった。勝てば勝つほど繋がりを断ち、信用するものを減らしているように見えた。
 ある試合でノーアウト二塁の場面となった。クリーンアップを任された和田は、最低でも三塁へランナーを進めなければならないと考えた。だから定石通りに一、二塁間ヘゴロを打った。全体のために己を犠牲にするプレーであった。
 すると試合後、ベンチ裏の監督室に呼ばれた。紙コップに入ったコーヒーがテーブルに置かれているだけの整然とした部屋だった。
 落合は眉間に皺を刻んで、語調を尖らせた。
「いいか、自分から右打ちなんてするな。やれという時にはこっちが指示する。それがない限り、お前はホームランを打つこと、自分の数字を上げることだけを考えろ。チームのことなんて考えなくていい。勝たせるのはこっちの仕事だ」
 和田は再び呆気にとられることになった。
 それまで野球をやってきて、チームバッティングを讃えられたことはあっても、咎められたことなどなかったからだ。そうして、落合のイメージは百八十度変わっていった。

 多くのプロ野球の監督は、やっていることは少年野球の監督、野球部の顧問とそんなに変わらない。グラウンドの外でも選手たちの行動に口を出し、礼儀を教えたり、人生を語ったり、ときには暴力をもって指導したり(最近はそういう人は多くないが)。言ってみれば“指導者”だ。

 だが落合監督は指導者にはなろうとしなかった。あくまで監督。成長するのは選手自身。選手の能力を冷静に見極めて、勝つために必要な選手を試合で起用する。求められればアドバイスはするが、基本的には教えない。必要なのは「言われたことに従う選手」ではなく「勝つために必要な選手」。そのために何をどうやって身につければいいかは選手が自分で考える。


 理想を言えば、落合監督のやりかたのほうがいいとおもう。言われた通りに動く選手ばかりのチームよりも、全員が勝利のために何が必要かを考えて己を律するチームの方が強いだろう。状況の変化にも対応できるし、なんなら監督が代わっても強いはずだ。

 でもそれはあくまで理想の話だ。みんながみんな落合監督のように考えて動けるはずがない。まして(ぼくの勝手なイメージもあるが)野球選手なんて「上の言うことは絶対」の世界である野球部で生きてきた人たち。急に「自分の数字を上げることだけを考えろ。チームのことなんて考えなくていい」と言われたってなかなか切り替えられないだろう(ちなみに落合博満氏は高校野球部は体質が合わずサボってばかり→大学野球部も古いやり方についていけず退部というプロ野球選手としては超異色の経歴を持っている。この経歴が独特の思想を作りあげたのだろう)。


 落合監督のやり方は正しい。でもそれがうまくいくのはすべての選手が(技術だけでなく精神面でも)超一流だった場合だけだ。実現しなかったが落合氏がWBC日本代表監督になっていたらすごくいいチームを作っていたかもしれない。

 プロの選手になっても「指示してくれないとわからないよ」「細かく指導してほしいよ」というアマチュア精神の持ち主も多いから、落合監督のやり方は全員に支持されたわけではない。ただ、少なからず理解している選手・コーチもいたことが『嫌われた監督』には書かれている。

 落合監督退任後も彼らがそのマインドを継承させていけば中日ドラゴンズはずっと強いチームでいられたはず。……だがそうならなかったのは先ほど書いた通り。監督交代後は平均以下のチームになってしまった(監督だけの責任ではないにせよ)。

 一流の組織をつくるのはむずかしいが、それを維持するのはもっとむずかしいのかもしれない。



 落合博満という人はつくづく天才だったんだな、とおもう。もちろん選手としても超一流だったが、それは単に身体能力が高かったからではないとこの本を読むとわかる。

 他の人には気づかない観察眼、既存の常識にとらわれない野球理論など、とにかく指揮官としても天才的だったのだとわかる。

 ある選手の守備範囲がわずかに狭くなったことに気づき、別の選手のエラー数が多いのは守備範囲が広いから(他の選手なら追いつきもしない打球に追いつけるからこそのエラー)だと見抜く。しかも選手やコーチですら気付かないのに。

 落合監督が嫌われたのは、その“発見”を逐一説明しなかったからだ。説明することで選手の考える機会を奪うからというのもあるだろうし、天才だからこそ己の考えが周囲から理解されないことを知っていたかもしれない。

 他の選手・コーチ・監督と見ている景色がちがったんだろうな。


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