2025年5月21日水曜日

小ネタ36 (サクマドロップ / 超能力戦士ドリアン / 高校生になってラグビーを始めたジャイアン)

サクマドロップ

 サクマドロップには2種類の味がある。「ハッカ」と「ハッカじゃないやつ」だ。


超能力戦士ドリアン

 妻に「超能力戦士ドリアンのライブに行ってくる」と言われた。まったく知らなかったが、そういう名前のバンドがいるらしい。

「地球儀持ってライブやるんでしょ?」と訊いたら「それは宇宙海賊ゴー☆ジャス」と的確にツッコまれた。結婚して10年以上たつとここまで心が通いあうのだ。


高校生になってラグビーを始めたジャイアン

「ALL FOR ONE, ONE FOR ONE」


2025年5月14日水曜日

レベルアップがゲームの醍醐味

 ロールプレイングゲームで、ゲーム中盤で仲間が追加されるイベントが発生することがある。

 そのとき、仲間のレベルが高いとがっかりする。加入した時点でLV30とか。


 やめてくれよぉ。

 制作者は「ここで弱いやつを入れても足手まといになるだろうしレベル上げ大変だろうからLV30にしといたるわ」って感じなのかもしれないが、余計なお世話だ。LV1にしてくれ!

 RPGの楽しさはレベル上げなんだよ。


 現実世界では、スポーツでも楽器演奏でも勉強でも、なかなかレベルは上がらない。何ヶ月も続けていけばレベルは上がっているが、それは「いつのまにか」であって、「おっ、今おれレベル上がった!」という瞬間はそう訪れない。

 たとえば野球で「カーブを投げる」という目標に向けて練習するとする。

「曲がらんなあ」

「あれ今ちょっと曲がった気がする」

「けっこう曲がった……かな?」

「あ、今のは失敗」

「ちょっと曲がったけどぜんぜんストライク入らねえ」

「曲がってる!」

みたいな感じでグラデーション的に成長していく(ときには後退することもある)ので、はたしてどの時点をもって「カーブを習得した」と言えるのかよくわからない。

 でもゲームなら「ピロリロリン♪ やった!大谷はカーブを習得した!」みたいなメッセージがあって、そこからは自由自在に投げられるようになる。このわかりやすさこそがゲームの魅力だ。



 その楽しさをいちばんわかりやすく味わえるのがロールプレイングゲームだ。

 レベルが数値化されていて、レベルが上がればパラメータも変化して、レベル以外にも武器の強さとか魔法のパワーとかも数字でわかって、自分の分身が成長していることがはっきりわかる。

 レベル上げこそロールプレイングゲームの醍醐味だ。

「LV30で加入してくる仲間」はその楽しさを奪っている(あとゲームスタート時に主人公のレベルが5とかになってるやつも意味わかんない。序盤にレベルが下がることはまずないんだからスタートは1でいいだろ)。


 ぼくが大好きなのは、「中盤で加入してくるレベルの低いやつ」だ。

 たしかにレベルが低い仲間は足手まといだ。戦力にはならないし、それどころかどんどん回復してやらないとすぐ死ぬし。

 その代わり、敵を倒したときはぐんぐんレベルが上がる。一気に2以上もレベルアップすることすらある。ドラクエの「てれれれれってってー♪ てれれれれってってー♪ てれれれれってってー♪」が鳴りやまないときなんて、最高に楽しい。



『ポケットモンスター』が人気になった要因のひとつが、実はこの「レベル上げの快感をいっぱい味わえること」なんじゃないだろうか。

 ふつうのRPGならレベルが上がるのはせいぜい数百回だ。4人のキャラクターが1→100までレベルアップしたら、99×4で396回。じっさいはLV99まで上がらないこともあるし、前述したようにLV30から加入するやつもいたりするから、もっと少ない可能性もある。

(最近のゲームをやってないので昔のRPG基準で話してます)


 一方、『ポケットモンスター』では100を超えるポケモンを仲間にできるので、それぞれ育成させれば合計で数千、数万回もレベルアップする。

 さらにパラメータの上昇だけでなく「わざをおぼえる」や「しんか」といった、わかりやすい成長イベントも発生。

『ポケットモンスター』はレベルアップを楽しむためのゲームなのだ。



2025年5月13日火曜日

【読書感想文】村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』 / とりとめのない話をとりとめもないままに

回転木馬のデッド・ヒート

村上春樹

内容(e-honより)
現代の奇妙な空間―都会。そこで暮らす人々の人生をたとえるなら、それはメリー・ゴーラウンド。人はメリー・ゴーラウンドに乗って、日々デッド・ヒートを繰りひろげる。人生に疲れた人、何かに立ち向かっている人…、さまざまな人間群像を描いたスケッチ・ブックの中に、あなたに似た人はいませんか。

「著者が体験した、または知人から聞いた、小説にするほどでもないとりとめのない話」をつづった短篇集。

 うん、たしかに「とりとめのない」という言葉がしっくりくる。スリリングな展開も鮮やかなオチもストーリーから導かれる教訓もない。

 それでも読めるのは村上春樹氏ならではだよな。なんてことのない文章なのに、読んでいて退屈しない。というか村上春樹作品ってだいたいそんな感じだし。『回転木馬のデッド・ヒート』よりは起伏があるけど、山場というよりは丘といった程度。



 前書きがあまりに「村上春樹っぽい」文章で、おもわず笑っちゃった。

 他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感に捉われていくことになる。おりとはその無力感のことであ我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。
 事実というものがある場合に奇妙にそして不自然に映るのは、あるいはそのせいかもしれない。我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、その発生と同時に失われてしまっているのに、我々はそれを認めることができず、その空白が我々の人生の様々な位相に奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ。
 少なくとも僕はそう考えている。

 うーん、村上春樹だなあ。いい意味でも悪い意味でも。

 このまどろっこしさよ。個人的には嫌いじゃないぜ。ビジネスの場で部下がこんな文章を書いてきたら「ふざけんな」と言うけど。




 八篇の「とりとめのない話」が収録されているが、ずっと退屈なわけではない。

 望遠レンズを使って好きな女の子の部屋をのぞいたり、毎日毎日嘔吐をくりかえしたり、両親が離婚したり、金をもらって行きずりの男と寝たり。

 めずらしい出来事が語られる。でも、ただそれだけなのだ。

「Aが起こったのはBが原因だったのです」とか「Aの結果、Cになってしまいました。Aをすべきではなかったのです」とかいったオチが用意されているわけではない。「Aが起こりました。おしまい」なのだ。

 起承転結の結がない。起・承・転・承みたいな感じでぬるっと終わる。


 これって逆にむずかしいんじゃないだろうか。

 人間って、物語が好きなんだよね。歴史的事実やスポーツニュースや政治を語るときでも、ついついそこに“物語”を求めてしまう。

 あの政治家がこんなことをしたのは〇年前に苦い思いをさせられたことの意趣返しだ、とか。苦節〇年のベテラン選手が期待のルーキー相手にプロの洗礼を浴びせた、とか。地震で誰かが命を落としたといったニュースにも、なぜ死ななきゃならなかったのかとか、死んだ人には幼い子どもがいて……みたいなストーリーを求める。「地震があった。死んだ」だけでは納得せず「〇〇だから死んだ」「〇〇なのに死んだ」といったお話を付与したがる。

 ストーリー仕立てにしたほうが記憶が定着しやすいとかのメリットもあるけど、物語は事実をゆがめてしまう原因にもなる。


『回転木馬のデッド・ヒート』は、見聞きしたとりとめのない話を、とりとめもないままに小説にしている。

 これって、かんたんなようで実はけっこうむずかしいことをやっているのかもしれない。

 

 ただ読んだ人の印象には残らないけどね。ぼくは数日前に読み終わったけど、もうどんな話だったか忘れかけてるもの。


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2025年5月12日月曜日

小ネタ35 (オヤジギャグ)

オヤジギャグ・1

 50代男性が「ワンチャンだか2ちゃんだか知らないけど」と言っていて、そのザ・オヤジギャグに感心してしまった。

 丁寧に解説をすると

  • 「若者言葉のワンチャンをわからない自分」を俎上に上げて楽しんでいる
  • くだらないダジャレ
  • 今思いついたのではなく何度か口にしているかのようにすらっと出てきた
  • 2ちゃんというのが絶妙に古い。2ちゃんねるが5ちゃんねるになったことには対応していない

と、これぞオヤジギャグという点が目白押しだ。


オヤジギャグ・2

 ところで最近オヤジギャグという言葉をあまり聞かなくなった。最近のオヤジはあまりダジャレを言わない気がする。

 少し前(といっても二十年前ぐらい。ぼくもオヤジなので二十年前は少し前なのだ)は「オヤジってすぐダジャレを言うよね。キモ~い」みたいな風潮があったのだが、「ダジャレを言うオヤジは嫌われる」という意識が浸透しすぎたからだろうか。

 それとも「1950年代のオヤジが特別にダジャレを好きだった」といった世代の特徴だったのだろうか。

「ワンチャンだか2ちゃんだか知らないけど~」のオヤジはいまや絶滅危惧種かもしれない。国を挙げて保護したほうがいい。


オヤジギャグ・3

 作業着をだましとったとして詐欺容疑で逮捕。


2025年5月9日金曜日

【ボードゲームレビュー】もじあてゲーム あいうえバトル

もじあてゲーム あいうえバトル 

内容説明(Amazonより)
50音の中から1文字ずつ攻撃して相手の言葉を推理する文字当てゲーム!
1文字ずつ攻撃して言葉を推理! みんな、なんて書いた?
相手の文字を全部当てろ! だんだんと明かされる文字。あの言葉はいったい何!?

お題から思いついた言葉を書いてまわりに見えないように置き、順番に1文字ずつ攻撃して当て合います。少しずつわかってくる文字から相手の言葉を予想して、すべての文字を攻撃しましょう。当てる推理と当てられるスリルが楽しいゲームです。


 こういうゲーム大好き! 言葉系のゲーム好きなんだけど、意外と多くないんだよね。なぜなら言葉系のゲームって紙とペンさえあればできるものが多いから。商品化しにくいんじゃないだろうか。

 ぶっちゃけると、この『あいうえバトル』も紙とペンがあればできてしまう。でも『あいうえバトル』についている「立てられるホワイトボード」があったほうが圧倒的に遊びやすい。ボードゲームとしては安めなので、なるべく買いましょう。


 ルールは以下の通り。

  1. お題(例:飲み物)が出され、各自7枚のプレートにお題にあう2~7文字の言葉を書く。濁点、半濁点は書かない。7文字に満たない分は「×」と書く。
    (レモネードなら「れもねーと××」と書く)
  2. プレートは自分だけが見えるように並べる。
  3. プレイヤーは順番に、五十音を一字ずつ宣言する。宣言された文字が書かれていた場合、そのプレートを公開する。
  4. 公開されたプレートを見て、他のプレイヤーがどんな単語を書いたか当てる。
    ただしわかっても口にしてはいけない。「×」を除くすべてのプレートが公開されたら負け。
  5. 最後まで残っていたプレイヤーが勝ち。


 ルールはだいたいこんな感じ。2~5人で遊べて、1ゲーム5~10分ぐらいで手軽に楽しめる。11歳の娘と遊んでいたのだが、横で見ていた6歳の娘も(説明を聞かなくても)すんなりルールを理解できた。

 6歳が傍で見ているだけで理解できるのだから、相当かんたんなルールだ。


 よくできているのが、「2~7文字の範囲であれば何文字の単語でもいい」というルール。

 最初にこれを見たときは「文字数が少ないほうがあてられる可能性が低くなるんだから有利じゃないか?」とおもった。ところがやってみてわかった、そんな単純なものではない。

 たしかに文字数が少なければ他プレイヤーに与える情報も少なくなるので、当てられにくくなる。
 だがここで効いてくるのが“「×」を除くすべてのプレートが公開されたら負け”というルール。文字数が多ければ、すべて公開されるまでにターン数を稼げるのだ。

 たとえばお題が「飲み物」で「かしすおれんじ」と書いていたとする。

「かし?お???」が公開されて、敵に「“かしすおれんじ”だな」とバレたとしても、そこからすべての文字が公開されるまでには最短でも4ターンかかる。その間に敵の文字をすべて公開してしまえば勝てるのだ。

 娘とやったときにこんなことがあった。「楽器」というお題で、ぼくは「ひあの(ピアノ)」と書いた。偶然にも娘もピアノを選んでいた。ただし娘が書いたのは「くらんとひあの(グランドピアノ)」。

 当然、勝ったのは娘のほう。すべてのプレートをめくるのに時間がかかるから。

 当てられにくい短い単語を書くか、すべて公開するまでに時間を稼げる長い単語を書くか。当てられたら終わり、ではないからこそ生まれる駆け引きだ。

    


「他人の書いた単語を当てる」だけでなく「自分の書いた単語を当てられないようにする」も重要だ。

 敵が「あ」を使っているかどうか気になる。だが「あ」と言うと、自分が書いた「あ」のプレートを公開しないといけない。だから言いたいけど言えない……。

 この心理を利用して、相手のプレートを推測することもできる。前半は「よく使われる文字を挙げる」のがセオリーだ。ん、ー、う、い、よ、ゆ、か、などがよく使われる文字だ。なのに誰も「ん」と言わない。ははあ、たぶん「ん」が含まれているな、とわかるわけだ。」


 このセオリーが定着すると、あまり使われない文字を使うと勝率が高まる。へ、ぬ、などはあまり使われないので、当てられにくい。

 だがこれも諸刃の剣で、「ぬ」が公開されてしまった場合に不利になるという弱点がある。一文字目が「ぬ」だったりすると、「ぬ」で始まる単語は少ないので、容易に答えを推測されてしまうのだ。



 シンプルなルールながらけっこう奥が深い。気軽に遊べて、長く遊べる。

 いいゲームだ。


 ちなみに6歳児はまだ日本語表記があやしい(バレーボールを「はーれほーる」と書いたり、氷を「こうり」と書いたりする)ので、「3文字目に“ー”と書いているがほんとは2文字目か4文字目に書く単語かもしれない」といったところまで読むことが必要になってくる。


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