2025年3月6日木曜日

就活詐欺

 何度か書いているが、就活がほんとに嫌だった。人生でいちばんつらかったのは就活をしていた時期だったかもしれない。


 人と話すのが得意でないとか、慣れない場所に行かないといけなかったとか、基準のよくわからない試験を受け続けないといけないといけないとか、不採用になるたびに人格否定されたような気になるとか、そもそも働きたくなかったとか、いろいろあるけど、最近ふと「丸腰で戦地に行かなくてはならなかったのがつらかったのだ」とおもい、その言葉が当時の自分の心情をうまく言い表せていることに気づく。


 もっと後になって何度か転職の面接を受けたが、そんなに嫌じゃなかった。人間的に成長したからというのもあるが、転職の面接ではわりと対等に話ができる。

「自分はこんな仕事をやってきました。これができます」と自己を開示し、企業のほうは「こんな仕事をやってもらいます。あなたに対してこれだけの給与を払います。労働条件はこうです」と条件を提示する。お互いが相手に価値を感じれば採用→入社となる。単なる交渉だ。不動産屋で部屋を借りるのとそんなに変わらない。

 ところが就職面接に関しては「自分はこんな仕事をやってきました。これができます」と伝えるべきものがない。なぜなら仕事をしていないから。

 一応「アルバイトやサークルなどの課外活動を通してこんな経験を得られました」みたいなことを語るが、そんなものが仕事に何の役に立たないことは言ってる当人だってよくわかっている。

 結局のところ「自分はこんなことができます」がないので、企業側には“可能性”を売るしかないのだ。

 これがきつい。

 可能性を売るってさ、「金貸してくださいよ。万馬券当たったら倍にして返すんで」と変わらないわけじゃない。あるんだかないんだかわからないものを売るなんてほとんど詐欺だ。

 まれにその“可能性”を買って「給与と教育与えてあげる。出世払いでいいよ」と言ってくれる企業もあるが、やっぱり対等な取引じゃないよね。

 まだないものを売ってくるんだから就活がキツいのも当然だ。投資詐欺の営業やらされてるみたいなもんだもん。


2025年3月5日水曜日

【映画感想】『映画ドラえもん のび太の地球交響曲』


『映画ドラえもん
のび太の地球交響曲(シンフォニー)』

内容(映画.comより)
国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画43作目で、原作者である藤子・F・不二雄の生誕90周年記念作品。「音楽」をテーマに、ドラえもんとのび太たちが地球を救うための壮大な冒険を繰り広げる。 学校の音楽会に向けて、苦手なリコーダーの練習をしているのび太の前に、不思議な少女ミッカが現れる。のび太の奏でるのんびりとした音色が気に入ったミッカは、音楽がエネルギーになる惑星でつくられた「音楽(ファーレ)の殿堂」にドラえもんやのび太たちを招待する。ミッカはファーレの殿堂を復活させるために必要な音楽を一緒に演奏する、音楽の達人を探していたのだ。ドラえもんたちはひみつ道具「音楽家ライセンス」を使って殿堂の復活のため音楽を奏でるが、そこへ世界から音楽を消してしまう不気味な生命体が迫ってくる。

 Amazon Primeにて視聴。


 うーん、前々作『のび太の宇宙小戦争 2021』(コロナ感染拡大のため公開は2022年)や前作『のび太と空の理想郷』が良かっただけに、今作はがっかりな出来だった。

 細かいことはいろいろあれど、ドラえもんの映画である必要性がないんだよね。「子どもたちが音楽の力で災厄をふっとばすストーリー」なので、ドラえもんらしさがない。ドラえもん映画としてこれは致命的だ。


ドラえもん映画なのに『ドラえもん』じゃない

 まずやっぱり気になるのはジャイアンの存在。ドラえもんで音楽といえば、グレート音痴・ジャイアンの存在は避けては語れないだろう。なのにこの作品ではそこを華麗にスルーしている。ジャイアンがふつうにうまい演奏をしている。おいおい。「ジャイアンは映画のときだけいいやつになる」はもうお約束化してるからいい(原作でもいいやつになるときもあるし)として、ジャイアンがリズムや音程をちゃんととれたらだめだろ。

 もっとダメなのがのび太の造形。前半こそ「練習せずにリコーダーが上手になる道具出して~!」といつもののび太なのだが、中盤からは目標に向かってひたむきに努力を重ねる努力家の少年になっている。

 脚本家はなーんにもわかってない。のび太は何をやってもダメで、努力もせず、でも欲だけは人並みにあって、そんなダメダメなところをも愛をもって描いたのが『ドラえもん』という作品なんじゃないか。誰もが持っている、ずるくてめんどくさがりで身勝手な部分を、完全にはつきはなさずに愛するのがドラえもんという存在なんだよ。

 ほんのちょっと勇気をふりしぼったり、弱い者に対する優しさを見せたり、ごくまれに努力することはあるものの、のび太が継続的な努力をしたらそれはもうのび太じゃない(『のび太の新恐竜』でもこの失敗をやらかしていた)。

 前作『のび太と空の理想郷』ではちゃんと『ドラえもん』の通底にあるスタンスを理解して、「ダメな部分を愛そう」というメッセージを発していただけに、今作の「ダメな部分をがんばって克服せよ」というメッセージには失望した。『ドラえもん』をわかってないやつに脚本を書かせちゃだめだよ。

 ジャイアンものび太もへただけど、へたでもいいじゃない、へたでも音楽は楽しいよ、という方向こそがドラえもんの精神じゃないか?


 そして異なる者への愛の欠落。

 本作でノイズを殲滅するためにのび太たちはがんばっていたけど、むしろノイズを認め、ノイズと共存する道を探るのがのび太の生き方じゃないのか。ノイズはノイズで生きてるだけなのに、自分たちに都合が悪いからって殺しちゃっていいの? そういう人間の傲慢な姿勢にずっと警鐘を鳴らしてきたのが『ドラえもん』の漫画であり、映画であったはずなのに。

 そもそもノイズを倒すのがのび太の「の」の音ってなんじゃそりゃ。それこそノイズじゃねえか。


音楽というテーマに縛られている

『ドラえもん』なのに『ドラえもん』の世界じゃないという致命的な失敗以外にも、いろいろと粗さが目立つ作品だった。

 “音楽”というテーマを意識しすぎて、すごく窮屈な作品になっている。「音楽の力で危機を乗り越える」ことが最優先になっている。

 こっちはミュージカルを観たいんじゃないんだよ! すばらしい交響曲じゃなくてドラえもんの道具を楽しみに観てるんだよ!

 ドラえもんの道具+ちょっぴりのひらめきや勇気で危機を脱するのがドラえもん映画の醍醐味なのに、本作の勝利の決め手は、みんなで一生懸命演奏した音楽+ちょっぴりのひみつ道具である。そういうのは別の作品でやってくれ。


ひたすら雑

 ストーリーもなかなか粗雑だった。

 いきなり届く「今夜音楽室に来てください」という雑な招待状(時刻の指定すらなし!)。別々に招待状が届いたのになぜかあたりまえのように集まって、なんの疑いもなく夜の学校に集まる五人。のび太たちを招待したのも「言い伝えと同じく五人で演奏していたから」というめちゃくちゃ雑な理由。五人組なら誰でもよかったわけ? 言い伝えも完全なご都合主義。『のび太の大魔境』では言い伝えの謎がきちんと後半に解き明かされていたのと対照的だ。

 ドラえもんの映画といえばとにもかくにも「冒険!」なのだが、今作は冒険ではない。ただ巻き込まれただけだ。だから『月面探査機』や『宇宙小戦争2021』で描かれたような「怖い、でも行かなくちゃ」といった逡巡もない。

 そしてへたくそきわまりない伏線。リコーダーを忘れたのび太のために、とりよせバッグでもどこでもドアでもなく、時空間チェンジャーという大がかりな道具でリコーダーを取りにいくドラえもん。あらかじめ日記に「みんなでおふろに入った」とめちゃくちゃ不自然なことを書くのび太。

「さあ、ここが伏線ですよ! 後から回収しますよ!」と言わんばかりの白々しい伏線。

「約4万年前の世界最古の楽器」のくだりは「おおっ、それがキーアイテムとなってストーリーにつながるのか!」とわくわくしたのに、「キーアイテムを真似て作られたのが世界最古の楽器」と、なんとも微妙なつながり。肩透かしを食らった。

 ついでにいうと、細かいことだけど、作中で「4万年前のドイツで作られた」と明らかにおかしいセリフが出てくる。は? 4万年前にドイツがあったのか? よそから持ち込まれたのではなくそこで作られたものだとどうしてわかる? 科学に敬意のない人が書いたセリフなんだろうなあ。藤子・F・不二雄氏ならこんなバカなミスはしなかっただろうな。


魅力のないキャラクター

 今作の主要ゲストキャラクターはミッカだが、この少女がまたおもしろみに欠ける。思想がないのだ。故郷の星の住民たちが死滅したという過去を背負っているが、それはミッカが赤ん坊のときなので記憶がない。記憶がないのだから思想もない。迷ったり悩んだりしない。

 ミッカの隣にいるチャペックもただの説明役。過去のドラえもん映画では「ゲストキャラクターの隣にいるちょっと抜けたところのあるパートナー」が登場したものだが、そんなユーモラスな部分がチャペックにはない。

 また、ヴェントー、モーツェル、タキレンといったロボットたちも、実在の作曲家たちをモデルにしているからか、造詣に冒険心が感じられない。ただただストーリーを進めるためのキャラクターたちだった。


よそでやってよね

……とまあ、悪口雑言を書き連ねたけど、すごくつまんない映画だったかというとそうでもない。

 音楽以外には特に褒めるところもないけど、途中で観るのをやめるほどつまらなかったわけでもない。

 最大の失敗は、さっきも書いたように、ドラえもんの映画ではなかったということだけだ。『ドラえもん』のキャラクターが道具を使って活躍する映画を観たいとおもっていた期待を裏切ったこと。

 まったく別のキャラクターを作ってやったのならまあまあの映画になったのではないだろうか。

 いるんだよね。人気シリーズに乗っかって己のクリエイティビティ(笑止!)を見せつけてやろうとする出しゃばりが。『トイ・ストーリー4』とかさ。

 自分らしさを発揮したいのなら自分の作った世界でやりなよ。ドラえもんの世界を利用して表現しないでくれよ。

 それならこっちも何も言わないからさ。なぜなら観ないから。


【関連記事】

【映画感想】『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』

【映画感想】『のび太の宇宙小戦争 2021』

【映画感想】『のび太の月面探査記』

出木杉の苦悩

【映画感想】『トイ・ストーリー 4』


2025年3月4日火曜日

『お料理行進曲』2番


『お料理行進曲』という曲をご存知だろうか。

 勇壮な音楽に乗せてコロッケの作り方を歌いあげるふしぎな味わいの曲で、アニメ『キテレツ大百科』のオープニング曲だったので今の中年にはなじみのある歌だ。

 テレビでは1番しか流れていなかったのであまり知られていないが、コロッケの作り方を説明した後は長尺の間奏が入り、2番ではナポリタンの作り方が歌われる。

 その中に、

炒めよう かるく 塩・コショウで
忘れるな スパゲッティ ケチャップで混ぜて

という歌詞があるのだが……。




 ナポリタンをつくるときにスパゲッティを忘れることなんてある?




2025年2月25日火曜日

いかにも浮気してるやつのFacebook

 高校時代の友人たちと話していて、Tという男の話題になった。


「Tって最近どうしてんの?」

「いろいろ悪いことしてるみたいやで。女癖悪いから」

「結婚して子どももいるんやろ?」

「そう。Facebookにマメに投稿してるんやけど、やたらと家族の写真載せてるわ」

「うわー。いかにもやなー」

「そりゃあな。ほんまに家族円満やったらわざわざFacebookでアピールする必要ないからな」

「やましい気持ちがあるからSNSでいいパパアピールするんやろな」

「この前ちょっと大きい地震があってさ、そのときにTのFacebook見たら『地震があったから子どもを守った。俺がこいつらを守っていけないという思いを改めて強くした』とか書いてて」

「うわー。モテようとしてるやん」

「いやほんま。心の中でおもっといたらいいことを、なんで世界に向けて発信するねんってことよ」

「自分のオヤジが、そんなことを世界に向けて発信してたら最悪やわ」

「いかにも浮気してるやつのFacebookって感じやな」


 というわけで、Facebookでいいパパアピールしてる男はもれなく浮気してます。現場からは以上です。



2025年2月20日木曜日

【読書感想文】『知りたくなる韓国』 / 政治参加せざるをえない国

知りたくなる韓国

新城 道彦 浅羽 祐樹 金 香男 春木 育美

目次
第1部 歴史
 第1章 朝鮮王朝時代
 第2章 大韓帝国~日本統治時代
 第3章 米軍政~大韓民国時代
第2部 政治
 第4章 韓国という「国のかたち」
 第5章 韓国外交における日韓関係
 第6章 南北関係とコリア・ナショナリズム
第3部 社会
 第7章 変化する韓国社会
 第8章 韓国家族の「いま」
 第9章 韓国の教育と就職事情
第4部 文化
 第10章 再考される伝統
 第11章 交差する文化
 第12章 模索しつつある韓国

 韓国のことを知りたかったので手に取った。池上 彰『そうだったのか!朝鮮半島』と同時に読み進めていたので理解しやすかった。



 韓国といえば民主国家というイメージを持っていたけど、実態として民主国家と呼べるようになったのは1987年以降のことで、それまでの大統領は「権力を失えば命や財産を奪われる」状態が続いていた。

 政党間の政権交代は1987年の民主化以降、30年間ですでに3回を数えます。現在の与党「共に民主党」と最大野党の自由韓国党に連なる2大政党の間で初めて政権交代が起きたのは、3回目の大統領選挙を通じた98年のことでした。2008年と17年にも入れ替わったため、与野党それぞれの立場をどちらの側も2回ずつ経験したことになります。
 選挙を通じた政権交代が可能になると、「革命」を起こす必要はなくなりますし、大統領の側も所定の任期を守り自ら退くようになりました。文在寅大統領は朴槿恵大統領の弾劾・罷免を「ろうそく革命」と称していますが、弾劾罷免はあくまでも憲法の所定の手続きに則って行われましたし、文在寅は選挙で選ばれたからこそ大統領という公職を任せられているのです。
 このように選挙が「街で唯一のゲーム」となり、そのルールブックたる憲法がすべてのプレーヤーに受け入れられることが重要です。何より、多数決による政治的競争(選挙)における敗者(少数派)が結果を甘受し、競争や体制の正統性に同意することが欠かせません。

 もっとも、1987年以降に大統領についた人に関しても、盧泰愚、李明博、朴槿恵は収賄などで有罪判決を受けており、なかなかきなくさい状況に変わりはないのだけれど……。




 暗殺やクーデター、大統領の暴走など(最近もあったね)いろいろ問題の多い韓国の政治ではあるけれど、それがポジティブな効果も生んでいるようだ。

 韓国人は政治や社会への関心が高く、とくに1980年代、学生の力で民主化を勝ち取った歴史には大きな意味があります。人権や言論の自由、より良い社会を作りたいという学生・市民の強い意志が直接的な行動を促しました。87年に韓国の民主化運動は頂点に達し、大学生と市民の力で軍事独裁政治に終止符を打ちました。その民主化の中枢にいたのが、「386世代」です。この言葉が生まれた90年代当時、「30歳代で、80年代に大学生活を送った60年代生まれ」の世代として、現在は50歳代で「586世代」とも呼ばれています。この民主化運動の時代を過ごした「386世代」は政治的団結ノムヒョン力が高く、盧武鉉大統領が当選するうえで大きく寄与したとされます。
 (中略)
 国全体が豊かになったなかで、格差社会が生んだ現象といえる就職難に直面している若者たちが、自ら「ろうそくデモ」を主導してきたことは大きな意味をもちます。市民団体の影響力が強い韓国では、ツイッター、フェイスブックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)と連動した路上デモや、「認証ショット」のように「投票へ行きました」と投票場で写真を撮ってSNSに投稿するなど、若年層を中心とした積極的なネット選挙運動が、2017年の政権交代につながったといわれています。直接的な行動が、政治や社会を動かせると人々は思うし、SNSの普及は若者の政治参加を促しています。韓国の10代20代の若者には、自分たちの置かれた状況は自己責任だけではなく、社会構造上の問題であるという認識が広がり、大学授業料半額デモなどさまざまなかたちで声を上げています。

 韓国人は若者も含めて政治参加意識が高いという。そりゃあなあ。ちょっと気を抜くと大統領が戒厳令を出したりする国なんだから、市民がちゃんと見張ってないといつ己の命や財産が危険にさらされるかわからないもんね。

 中国、北朝鮮、ロシアみたいなあぶなっかしい国々との距離も日本よりずっと近いし、そもそも今も戦争中の国だし(朝鮮戦争は終戦したわけでなくあくまで“休戦”状態)、いやおうなく政治や国際情勢には敏感になるだろう。

 そう考えると、日本人は政治参加意識が低いとか、若者の投票率が低いとか、悪いことのように言われるけど、平和の裏返しでもあるんだろうなあ。「誰が選ばれたってどうせ一緒でしょ」ってのは幸せなだよな。


 そしてつくづくおもうのは、大統領制(アメリカや韓国のように強い権限を持つ大統領制)ってぜんぜんいいシステムじゃないってこと。意思決定が早いとかのメリットもあるんだろうけど、一人に強大な権力を持たせるのはやっぱり不安定すぎる。権力は暴走するのが常だし。尹錫悦大統領の非常戒厳宣言や、トランプ大統領のあれやこれやを見ていると、権力が分散していた方が国民にとってはいいとおもえる。

 あんな危なっかしい制度を抱えていて、よく国としてまとまっていられるなと感じる。




 韓国は日本以上に若者が暮らしにくい国のようだ。

 高齢化は進み、2023年の合計特殊出生率は0.72だそうだ(日本は1.26)。3組の男女がいて、平均2人ぐらいしか子どもが生まれないのだ。かつて産児制限政策をおこなっていたのでそもそも若者の数自体が少ないし。今後、日本よりすごいスピードで高齢化が進むかも。

 韓国では就職氷河期が始まった2010年頃から、恋愛・結婚・出産を放棄する若者を「3放世代」と呼んでいましたが、近年はさらに就職やマイホームだけでなく、人間関係や夢さえも望みが持てない「7放世代」を超えて、健康や外見など人生のすべてを放棄した「N放世代」という呼称まで登場しました。2015年頃からは人間としての希望を失い、将来に対する不安と韓国社会に対する不満から、地獄のような韓国という意味の新造語「ヘル(hell)朝鮮」という言葉も生まれました。また、「土のスプーン(生まれながらの貧富の差を意味)」など、若年層に存在する格差への認識からは新階級論的な言説も生み出されています。富裕層の子どもを意味する「金のスプーン」に対比される言葉で、自分が財産のない庶民層に生まれたことを自嘲する表現です。
 ハンギョレ経済社会研究院の、19~34歳の若年層1500人を対象にした「青年意識調査(2015年)」では、社会的な成功において「自分の努力よりも、親の経済的地位が重要だ」と答えた人は7割を超えました。同年に発表された東国大学の金洛年教授の論文「韓国における富と相続」によると、個人の財産に占める親からの相続(贈与を含む)の割合は、1980年代の27%から2000年代には42%へ増加しており、本人の努力や能力より親から受け継いだ資産や不動産によって、財産の規模が決定されることが明らかになりました。相続による富の格差がますます拡大している韓国では、本人が努力しても現状を打破できず、放棄・絶望・リセットという言葉が、今日を生きる若者のキーワードとなっています。

 このへんの閉塞感は日本に近い。というより韓国が日本の状況を先取りしたというか。

 韓国は日本より人口も少ないので内需が小さく、アジア通貨危機のときに多くの企業がつぶれて外資が入ってきたので、国内の企業がそう多くない。おまけに今でも財閥が幅を利かせていて政治と強く結びついているので、財閥以外の企業は不利な立場に置かれ、賃金も上がらない。

 久しく安定している韓国だけど、またクーデターが起こる日は遠くないかもしれない。


【関連記事】

【読書感想文】池上 彰『そうだったのか!朝鮮半島』 / 約束よりも感情が優先される国

【読書感想文】「没落」の一言 / 吉野 太喜『平成の通信簿』



 その他の読書感想文はこちら