2025年2月1日土曜日

消防署の向かいの生活

 昨年、消防署の向かいのマンションに引っ越した。

 ご想像の通り、うるさい。

 うちは九階なのだがそれでもけっこうサイレンの音が聞こえる。出動時は窓を閉めていてもテレビの音が聞こえないぐらいだ。

 ま、それはいい。消防署が先にあって、それを承知で後からこちらが引っ越してきたのだから。消防署員の方々に対してはなんら不満はない。ごくろうさまです。


 発見したのは、音にはけっこう慣れるということだ。

 たぶん閑静な住宅街に住んでいた人が我が家に来たら「よくこんな騒々しいところで生活できるね」とおもうだろうが、慣れてしまえばどうということもない。寝室は消防署と反対側なので、深夜のサイレンも気にならない。さすがに窓を開けて寝ていたらサイレンで起きてしまうが。


 向かいなので、消防署の様子がよく見える。消防隊員たちはいつも訓練をしている。腕立て伏せをしたり、走ったり。また署の敷地内にSASUKEのセットみたいなやつがあって、そこで登ったり走ったりしている。

 すごいなあ。軟弱者としてはただただ頭が下がる。

 おもったのは、消防活動に関する道具の進歩はいろいろあるけど、現場で消火活動をする人たちに求められる能力ってのは江戸の火消しの頃から(あるいはもっと前から)そんなに変わってないんだろうな、ということ。

 どれだけ道具が進歩しても、最後は身軽さとかが求められるんだな。



【読書感想文】柞刈 湯葉『SF作家の地球旅行記』 / SF作家の空想力と好奇心

SF作家の地球旅行記

柞刈 湯葉

内容(e-honより)
人気SF作家・柞刈湯葉、初旅行エッセイ。 首里城、筑波山、ウラジオストク、モンゴルの草原…何のために旅に出て、何を思い、何を目指すのか。SF作家の目を通して楽しむ新感覚旅行記。 2019~2021年note投稿作品を大幅に加筆・修正した海外編4作&国内編8作、さらに[架空旅行記]として書き下ろし短編小説2作(月面編/日本領南樺太編)を加えた。

 SF作家による旅行エッセイ。

 出版社が企画した旅行記ではなく(昔はよくあったけど、今もそういうのあるのかな。出版社にそこまでの経済的余裕がないかもしれない)、著者がプライベートで行った旅行をnoteに投稿したものなので、そんなに肩肘張った旅でないのがいい。

 琵琶湖とか千葉とか筑波山とか、旅先としてはあまりメジャーでないところが逆に新鮮。国外でもカナダとかウラジオストクとか。途上国や田舎のような雑多な感じもなく、ヨーロッパの有名都市ほどの歴史があるわけでもない。

 ぼくはあまり旅をしないが、旅に対する姿勢は著者と近いものがある。あまり人が行かない場所に行きたいとか、何でもなさそうなものにおもしろさを見出したいとか、そういう気持ちがある。はっきりと「ここに行ってこれを見るんだ!」という感じではなく、「なんかおもしろいものないかなー」という気持ちで移動を楽しみたいのだ。

 知っているものを確認しにいく旅ではなく、知らないものを探しにいく旅。もちろんハズレを引いてしまうこともあるが、ハズレたこともまた楽しい。でも世の中には絶対にハズレを引きたくない! という人が少なくないんだよね。ハズレこそが旅の醍醐味なのに。

 そんな風に旅に対する姿勢が近い(とぼくは感じている)ので、『SF作家の地球旅行記』はおもしろかった。ぼくが憧れる旅だ。




 そしてなんといっても魅力は軽妙洒脱な文章。レポートと知識と空想とほら話が軽やかに錯綜する。

  心情はあまり書かれず思考や発想が多いので、ドライな文章で旅の雰囲気とぴったり合う。奥田民生『イージ㋴ー★ライダー』を聴きたくなった。


 カナダ旅行記『チップがないならポテトを食べればいいじゃない』より。

 これは日本にはない文化なのだが、北米のスタバでは店員に名前を聞かれる。本人確認をしているわけではなく、ドリンクの取り違えを防ぐためらしい。
 ただ、僕の本名は外国人にはまず聞き取れないので、初めて渡米したときはこの問題に大いに悩まされた。「え?」「もう一回言って」と何度も聞き返され、レジに無用な行列を作ってしまうのだ。「別に本名を言う必要はないので、自分に適当な英語名をつけるといいですよ」
 というアドバイスをもらったことがあるが、これは英語慣れした人の意見である。ジョンだのポールだのといった英語名もきちんと発音しないと伝わらないのだ。
 これについてはいまでは「ホンダ」と名乗ることでほぼ解決している。ホンダのバイクなら世界中で走っているので、日本人の顔をした客が「ホンダ」と名乗ればおおむねどの国でも通用する。こうした小手先のテクニックを蓄積していけば、英語ができずとも海外暮らしはわりと何とかなってしまう。

 旅行記というか滞在記というか。旅というとついつい、あれも見なくちゃこれも見なくちゃあれも食べなくちゃという気になるが、この人の旅は日常の延長。


 また、SF作家(であり生物学の研究者)でもあるだけあって、科学に対する知識も豊富だ。

 千葉旅行編『電車に乗ってチバニアンを見に行った』より。

 地球はおおきな磁石である、というのは小学校で習うのでご存知かと思うが、実はこのN極とS極はときどき入れ替わる。一番最近の入れ替わりが77万年前に起き、千葉の地層がそれをいい感じに記録しているため、77万年前以後の地質年代がチバニアン(千葉時代)となった、とのことである。
 なんで77万年も前の磁場がわかるのかと言えば、北京原人の学者が記録していたからとかそういうわけではない。溶岩が冷えて固まる際に、内部の磁鉄鉱などが地磁気の向きに揃うからである。いったん固まってしまえば地磁気が変動しても動かないので、岩石の年代さえ特定できればその時代の地磁気がわかるという寸法である。テープレコーダーやハードディスクと同じ仕組みだ。
 なお地球の地磁気はここ200年一貫して減衰しており、このペースで減り続けると1000~2000年後には地球の地磁気はゼロになってしまうらしい。そうなると太陽から吹き付ける荷電粒子が遮断できなくなり、電波通信に相当な悪影響があると言われている。
 地磁気の変動は複雑かつ未解明で「このペースで減り続ける」必然性はあんまりないのだが、1000年後まで人類文明が存続していれば、なにかしら対策が取られるかもしれない。

 こういう知識がそこかしこに散りばめられているのもおもしろい。

 このエッセイを読むと、ほんとに教養って人生を豊かにしてくれるスパイスだなとおもう。

 NHKの『ブラタモリ』なんかもそうだけど、なんの変哲もない道や坂や山でも、知識のある人が見ればそこからいろんな情報を引きだせる。そしておもしろがれる。

 柞刈湯葉氏も教養が深いので、有名観光地でない場所からもいろんな発見や空想をして楽しんでいる。こういう人は何をしていても楽しいだろう。



 旅行エッセイもおもしろいが、なんといっても真骨頂は巻末の、月面を訪れた『静かの海では静かにしてくれ』と日本領土となっている南樺太を訪れた『南側と呼ぶには北すぎる』である。

 もちろんこれはフィクションである。まだ月面旅行は気軽にはできないし、南樺太(サハリン)はかつては日本領であったが今はロシアが実効支配している(日本は南樺太を放棄したがロシアのものとは正式に決定していない)。どちらも気軽に旅をできる場所ではない。

 しかし人間の想像力は距離も時間も国境も次元も軽く飛び越えてしまうので、月面にだって「もしも終戦がもう少し早くて日本領のままだった南樺太」にだって行けちゃうのだ。


 月旅行記より。

 あと意外と困ったのは服である。地球のたいていの服は重力を受ける前提でデザインされるので、無重力下で動き回ると勝手にめくれ上がってしまうのだ。これが思った以上に厄介で、面倒になったのでシャツをズボンにインした。宇宙時代とは思えない昭和スタイル。

 なるほど。重力がある生活があたりまえになっているから考えたことなかったけど、服って重力があること前提なのか。

 無重力だったらスカートは履けないし、帽子だって脱げちゃうし、ネクタイは邪魔で仕方ないし(重力あっても邪魔だけど)、眼鏡もとれちゃうよね。宇宙時代の眼鏡はゴーグルみたいな形状になるのかな。

 言われてみればその通りなんだけど、月旅行を想像してもなかなか「無重力下での着こなし」までは想像が及ばない。さすがはSF作家だ。


 宇宙では換気という概念が存在しないため、初期の宇宙ステーションは常に人間の臭いが充満している場所だったらしい。宇宙研究施設だった時代、精悍な職業宇宙飛行士たちはこの過酷な環境を人類代表としての使命感で耐え抜いたが、観光地になるといよいよ問題が表面化しはじめた。
 その結果、強力な空気清浄機が船内のあちこちで常時回転するようになり、臭い問題は解決したが、代わりにファン音が鳴り響く環境になってしまったそうだ。

 臭いって生きる上ではかなり重要な問題だけど、目に見えないものだから、想像しにくい。「宇宙船の中はどんなにおいか」なんて考えたことないもんなあ。

 言われてみれば、宇宙ステーション内は臭くなりそうだ。いくら宇宙時代になったって人間は汗をかくしおならやゲップもする。

 たぶん剣道部の部室みたいな臭いになるんだろうな。柔道とか剣道やってた人は宇宙ステーションに入って「なつかしい!」という感情になるのかもしれない。


 とまあタイトルに冠した「SF作家の」は伊達じゃない、SF作家の空想力や好奇心が存分に楽しめる旅行記(+小説)でした。


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2025年1月29日水曜日

【読書感想文】高橋 ユキ『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』 / 煙喜ぶ田舎者が書いた本

つけびの村

噂が5人を殺したのか?

高橋 ユキ

内容(e-honより)
2013年の夏、わずか12人が暮らす山口県の集落で、一夜にして5人の村人が殺害された。犯人の家に貼られた川柳は“戦慄の犯行予告”として世間を騒がせたが…それらはすべて“うわさ話”に過ぎなかった。気鋭のノンフィクションライターが、ネットとマスコミによって拡散された“うわさ話”を一歩ずつ、ひとつずつ地道に足でつぶし、閉ざされた村をゆく。“山口連続殺人放火事件”の真相解明に挑んだ新世代“調査ノンフィクション”に、震えが止まらない!


 2013年に起きた、山口連続殺人放火事件という殺人事件がある。

 住民わずか14人という限界集落で、村人5人が殺害され、さらに被害者宅に連続して火を放たれたという事件だ。

 連続殺人であることも注目を集めたが、この事件がさらに大きく扱われるようになったのは、一句の川柳だ。

 被害者宅の隣家の男が姿を消し、男の家には外から見えるように「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という川柳が貼ってあったのだ。

 男は逮捕されたが「周囲の人間から嫌がらせをされていた」「悪いうわさを立てられた」などと供述したことから、「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」とは、気に入らない住民の悪い噂を広めて村八分をする陰湿な村人たちを皮肉りつつ犯行予告をした川柳なのではないかという憶測が飛び交うようになった……という事件だ。


 ぼくもこの事件のことはおぼえている。というより、事件の詳細はほとんどおぼえていなくて、「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」の川柳だけが強く印象に残っている。詩の力ってすごい。

 多くの人が「村八分に遭っていた男が、復讐のために村人たちを殺した事件」だと認識していたことだろう。ぼくもそのひとりだ。はっきりと「田舎者の陰湿さが引き起こした事件だ。これだから田舎者は」なんてことをネット上に書く人もいた。



 だが。

『つけびの村』を読むかぎり、どうもそんな単純に「村八分に遭っていた男が、復讐のために村人たちを殺した事件」と言える話ではないようだ。


 以前にも村で放火騒ぎがあった、過去に容疑者が怪我を負わされる刃傷沙汰があった、被害者たちは容疑者宅の前で集まって噂話をしていた……。

 話を聞くといろんな話が出てくる。

 しかし、読めば読むほど話がこんがらがってくる。なにしろ、14人しか住民のいなかった村で、5人が殺され、1人が逮捕されているのだ。生き残ったのは8人だけ。元々高齢者ばかりの村だったので、事件後に亡くなった人もいる。全員が関係者。当然、事件について語りたがらない人も多い。語ったところで、関係者なので、客観的・中立ない件とは言いがたい。

 芥川龍之介の『藪の中』のようだ。登場人物たちの語る内容がみんな微妙に食い違い、真相はまったくわからない。おそらく当人たちにだってわからないのだろう。

 いちばん真相を知っていたはずの容疑者は妄想性障害を患っていて、語ることは支離滅裂(そのため裁判では責任能力が争われたが、最高裁で死刑が確定)。

 もはや何が何だかわからない。


 読んでいるうちに、ふと気づいた。

「真相」なんて関係あるのか?

 容疑者は「他の住人から噂話の対象にされたり、村八分にされたりしていた」と主張しているが、それがどうしたというのだ?

 それが本当かどうかはわからない。だが仮に本当だったとしても、それが何なのだ? 村八分にされていたら、五人を殺害して家に火をつけていい理由になるのか?

 村の人たちが噂話をしていたかとか、田舎の人間付き合いが陰湿かとか、そんなことはどうでもいい。どっちにしろ人を殺して火をつけたらだめなのだ。

 だから「事件の背景をさぐる」なんて行為は、まったく意味がないのだ。




 そうおもって読むと、著者の“取材”と“執筆”こそがひどく陰湿なものにおもえてくる。

 容疑者だけならまだしも、被害者の遺族や隣村に行き、事件前の村の様子を探る。証言は集まるが、裏付けなどはまるでない。どれだけ証言を集めたって噂話の域を出ない。

 そして裏付けの取れていない“証言”をブログに書き、SNSに書き、本にして出版する。

 これって、定かでないうわさを広めているだけだよな……。著者こそが「煙り喜ぶ 田舎者」だ

 取材をするのはともかく、真偽の定かでない噂をそのまま書いちゃいかんだろ。しかも実名付きで。

 読めば読むほど、「誰がえらそうに語ってるんだ」と著者に対して憤りを感じる。


 極めつきはこれ。容疑者の親戚をわざわざ探して訪ねた話(××は原文では容疑者の名前が入っているがぼくが伏字にした。容疑者は死刑確定後も冤罪を主張しているらしいので)。

「お話を聞きた……」
 入り口からすぐの壁沿いに置かれた冷蔵庫の前に立っている。白地に小花柄のジャージー生地のネグリジェを着た長女は、痩せた身体に白髪頭で、××より世代が相当上の老婆だった。
 ここまで言うと、それを遮るようにきっぱりと長女は言った。
「いえ、私話すことないです、いま寝とるんじゃから。いま寝とるから、何にもできんから。もう、何にも話すことないです。いま自分の身体が一生懸命じゃから。心臓が悪いんですよ、寝とるんじゃから。だからお話しすることは、できんのですよね。はい」
 何を聞いても「いま寝とるんじゃから」しか返ってこなかった。平穏な日常生活を脅かされることになった元凶である××には、怒りしか持っていないようだった。
 田舎で起こった大きな事件。近所のものも皆、彼女たちが××の姉であることを知っている。姉たちは何も悪いことをしていないのに、多くの記者から事件について繰り返し聞かれ、いつまでも平穏な生活を送ることができない。私も取材に出向いている身なのでこんなことは言えた立場ではないが、弟が起こした事件に死ぬまで苦しめられるという意味では、彼女たちも被害者なのである。

 なにが「彼女たちも被害者なのである」だよ。おまえが加害者なんだよ。「こんなことは言えた立場ではないが」って、何を末端みたいな顔してんだよ。おまえは事件と無関係の親戚に多大な迷惑をかけてる主犯じゃねえか。「元凶である××には、怒りしか持っていないようだった」じゃねえよ。おまえのあつかましさに怒ってるんだよ。

 よく他人事の顔をできるな。




 読めば読むほど、著者の目的が野次馬根性としかおもえない。

「容疑者の無実を証明するため」とかならまだわかるよ。でもそんなことはない。たしかに容疑者は無実を主張しているが、著者はその言い分をまったく信じていない。

 事件にいたった背景をさぐるためというそれっぽい理由を用意しているが、そんなものいくら調べたったわかるわけがない(実際、わかったことといえば容疑者が妄想性障害を持っていたことぐらい)。犯人が心の中で何を考えていたかなんて本人以外にわかるわけない。いや本人にすらわからないだろう。


 野次馬根性のために嫌がる人に取材してまわり、不確かな噂を聞きだし、それを不確かなまま広める。やってることはSNSでデマを拡散する人と一緒。

 ルポルタージュとしてまったく意義を感じない本だった。

 まあそんなゲスい本があってもいいけど、私はゲスじゃありませんよという顔をして書くやつはいちばん嫌いだ。


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【読書感想文】「新潮45」編集部 (編)『凶悪 ~ある死刑囚の告発~』



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いちぶんがく その23

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



さっそく「アザラシ回収装置」を見せてもらった。

 (渡辺佑基『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』より)




「やまうど今うめがら送るがらたべてくなんしょ」

 (小泉 武夫『猟師の肉は腐らない』より)




経済学者が数学を使うから科学者だと言い張るのは、星占い師がコンピュータや複雑な表を使うから天文学者と同じくらい科学的だと言うのと変わらない。

 (ヤニス・バルファキス(著) 関美和(訳)『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』より)




村に着くと、そこに地獄があった。

 (逢坂 冬馬『同志少女よ、敵を撃て』より)




懐かしさは、味のなくならないガムだ。

 (浅倉秋成『九度目の十八歳を迎えた君と』より)




さぁ、イタリアの田舎町の茶色い水に一緒に飛び込んでいただこう。

 (山舩 晃太郎『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』より)




一人ひとりが生地のままの男、女、子どもとなって、持てるものならなんでも持ち去った。

 (アントニー・ビーヴァー (著) 川上洸(訳)『ベルリン陥落1945』より)




「きみだってまんまと、ぼくの〝不幸な生い立ち〟に同情したじゃないか」

 (櫛木 理宇『死刑にいたる病』より)




こちらに向いているカメラのレンズは、選ばれた人しか通り抜けられない狭くて暗いトンネルに見えた。

 (朝井 リョウ『武道館』より)




自分は正しくてエライというナベツネオーラが行間から伝わってくる。

 (プチ鹿島『芸人式 新聞の読み方』より)



 その他のいちぶんがく


2025年1月27日月曜日

小ネタ29(全盲ランナー / GM / 世界海賊口調日)

全盲ランナー

 以前、ニュースで「パラリンピックで全盲ランナーが金メダルを獲得しました」と伝えていた。

 それ、わざわざ報道する必要ある?

 オリンピックならわかる。オリンピックで全盲ランナーがメダルを獲得したら特筆すべきニュースだろう。

 でもパラリンピックで障害者がメダルを獲るのはあたりまえだ。障害者じゃない人がメダルを獲ったらそっちのほうがニュースだ。

「パラリンピックで全盲ランナーが金メダル」と伝えるのは、「女子サッカーの大会で女子チームが優勝」とやるようなものだ。


GM

 ガムとゴムとグミはたぶん語源が一緒なのだろう。全部「G」+「M」の音だ。

 そのせいで我々は「G」+「M」を聞くとぶにぶにした感じを思い浮かべる。

 今後、ああいう食感のお菓子を開発したときは、食感をイメージしやすいように「G」+「M」の命名をするといい。ギモとかゲマとか。あとゴマとか。あとゴミとか。


世界海賊口調日

 毎年9月21日は世界海賊口調日(International Talk Like a Pirate Day)だそうだ。海賊のような口調で話す日とのこと。よくわからない。詳しく調べれば由来とかがわかるのだろうが、わかってしまうとつまらない気がするのであえて調べないことにする。

 ハロウィンとかより気軽に参加できそうなのがいい。相手やその場の雰囲気によって「海賊口調で話すかどうか」を決められるのもいい。仮装だとこうはいかない。ハロウィンよりもこっちが流行ってほしい。でも日本だと「海賊口調」のイメージがあまりないので、「侍口調」のほうが良さそうだ。