はじめて『トイ・ストーリー』を観たときは「これ全部CGでつくってるなんてすげえ!」と感動したけど、CGアニメに慣れた今、『となりのトトロ』とか観ると「これ全部人の手で描いてるなんてすげえ!」とおもっちゃう。
2023年8月24日木曜日
2023年8月23日水曜日
【読書感想文】チャールズ・デュヒッグ『習慣の力』 / 無能な上司ほど指示を出す
習慣の力
チャールズ・デュヒッグ(著) 渡会 圭子(訳)
私たちが日々おこなっている行動の多くが、その場の意思決定ではなく「習慣」にもとづいておこなわれているという。
だから行動を変えたかったら、気持ちを入れ替えるのではなく(そもそもそんなこと不可能だ)、習慣を変えたほうがいい。
痩せたかったら、「明日からダイエットするぞ!」なんて意味のない決心をするのではなく、お菓子売り場のない店で買い物をするとか、定期券を買いなおして強制的に一駅分歩くようにするとか、起きる時刻を変えてぜったいに朝食を食べるとか、習慣を変えなくてはならない。「なるべく運動するようにしよう」なんて決意しても無駄だ。それで運動を継続できる人ははじめから運動不足にならない(そもそも運動で痩せるのは相当むずかしいのだがそれはまた別の話)。
たしかに、ぼく自身の「ずっとやっていること」はいずれも習慣化している。中学生のころから日記をつけ、柔軟体操をし、もっと幼いころから読書をしている。それは「風呂から出たら日記をつける」「寝る前にはどんなに眠くても柔軟体操をする」「電車での移動中は本を読む。就寝前は少しでもいいから本を読む」と、日常生活の中でルーチン化しているからだ。
もはや生活習慣となっているから二十年以上も続いている。これが「なるべく柔軟体操をしよう!」だったらぜったいに三日坊主になっていた。「毎日日記をつける」は「書きたいことがあったら日記をつける」よりもずっとかんたんなのだ。
そんなわけでぼくはゴミ出しが苦手だ。なぜなら、毎日のことではないから。「仕事に行くときは必ずゴミを出す」ならそんなにむずかしくないけど、「火曜日は燃えないゴミを、木曜日は資源ゴミを出す」だと習慣にならなくてむずかしいのだ。
多くの大学生が授業をサボってしまうのも同じことだろう。高校時代のように「毎日決まった時刻に登校して、帰っていい時刻になるまで学校にいなくてはならない」ならちゃんと授業を受けられるのに、「日によってちがう時刻に大学に行って、ちがう時刻に帰る」だとついついサボってしまう。決意は続かない。
小学校で毎日宿題を出していたのは、宿題をやることそのものに意味があるというよりも、「自宅でも勉強をする時間をつくる」という習慣を形成させるためなんだろうな。
というわけで、間食をやめようとか、タバコをやめようとか、英語を勉強しようとか、行動を変えたかったら心構えを変えるのではなく、習慣を変えなくてはならない。
ストイックな人というのは、格別意志が強いわけではなく、習慣の扱い方がうまいのだ。
ぼくが年に百冊ほど本を読むというと、ほとんど本を読まない人には「すごいですね。私なんか読もうとしてもすぐやめちゃって」と言われる。ぼくに言わせると「読もうとする」からだめなのだ。読む人は読もうとせずに読んでいる。気づいたら本を手に取っている。
だがもちろん、習慣を変えようとおもってもかんたんには変えられない。
習慣化するには報酬が必要だ。
『習慣の力』では、ファブリーズがヒット商品になった経緯が紹介されている。
悪臭を消すことのできるファブリーズは、発売当初、開発者の予想に反しあまり売れなかった。マーケティング担当者が調べたところ、ネコをたくさん飼っているような家に住んでいる人ですら、ファブリーズを使おうとしなかった。くさい家に住んでいる人はにおいに慣れてしまい、自分では気づかないのだ。「染みついているにおいを消す」ことは報酬をもたらさないため、習慣とならないのだ。
そこで、当初無臭だったファブリーズにいい香りをつけ、においを消すのではなく、掃除の最後にファブリーズを撒くことで「よい香り」という報酬を付与することにした。これによりファブリーズを日常的に使う理由ができ、さらに「掃除の最後にファブリーズの香りがしないときれいになった気がしない」という習慣へと変わった。
行動を変えるのは習慣、習慣を変えるのは実利よりもお気持ち、というわけだ。
練り歯磨きにも「お気持ち」を満たすための物質が入っている。
歯磨き剤をつけて歯を磨くと、たしかに口の中がひりひりする。子どもはたいていあの感覚が嫌いだが、あれは「歯を磨いた感」を味わうためには必要なものだったのだ。たしかに磨き忘れたときや、歯磨き剤を使わずに歯を磨いたあとは、何かものたりない感じがする。
これまた「習慣」によるものだ。
ちなみに、この本によるとシャンプーが泡立つのも同じ理由かららしい。あの泡は汚れを落とすのには何も貢献しておらず、使った人の「洗った感」を満たすためだけのものらしい。
この本には、習慣をつくる方法、人々に報酬を感じさせる方法についての例がいくつか紹介されている。
スターバックスが大きく成長したのも、従業員の習慣の力をうまく利用したからだという。
中でも印象に残ったのがこの一節。
大きな裁量を渡された従業員ほど、時間的にも内容的にもよく働いた。つまり、軍隊や昭和をひきずった体育会系部活みたいに「おまえらは命じられたことだけやれ!」とやっていると部下の士気は下がり、生産性はオチ、ミスは増えるわけだ。
これは経験的にも納得のできる話だ。
無能な指揮官ほど細かいところに口出ししたがるんだよね。自分が無能であることをうっすら自覚しているから、「なめられないために」細かいところを指摘したがる。服装がどうとか、髪型がどうとか、電話ではまず何を言えとか、メールには何を書けとか、細部をコントロールしたがる。そうやって言うことを聞かせていれば、てっとりばやく「やってる感」を味わえるからね。
有能な上司はどっしり構え、大きな指針は示すが、細かいやりかたは各人に任せる。そうすれば優秀な部下はどんどん自分にあったやりかたで伸びていける。上司がやることは責任をとることぐらい。
このへんに日本経済の凋落の大きな原因がありそうな気がするな。
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2023年8月22日火曜日
自動改札に関する大罪
混んでいる改札で、ICカードをタッチしたのに残高不足で引っかかってスムーズな通行を妨げる。これはしかたない。人間誰しもミスはある。
だが世の中にはとんでもない極悪人がいて、改札に引っかかった直後に再チャレンジするやつがいる。また引っかかる。あたりまえだ。残高不足は解消していないのだから。
ひと昔前ならいざしらず、今の改札は高性能なので「タッチの仕方が悪くて読み取れなかっただけ」ということがほとんどない。改札で引っかかった場合、ほぼまちがいなくやり直しても同じ結果になる。
だから「残金チャージする」または「別の精算方法を選択する」しかないのだが、極悪人は同じカードで再チャレンジして、深刻な渋滞を引き起こすのである。これは万死に値する。
警察官が真犯人でない人物を逮捕してしまう。これをゼロにすることはできない。組織の失敗ではあるが、警察官個人に責任を負わせるべきではない。失敗ではあるが罪ではない。
だが、偽物の証拠を捏造したり、拷問で嘘の自白をさせることは大罪だ。
「混んでいる改札で引っかかったのに後ろに順番を譲らず再チャレンジするやつ」は、一ヶ月間鉄道利用禁止にしてほしい。
2023年8月9日水曜日
【読書感想文】『くじ引きしませんか? デモクラシーからサバイバルまで』 / 多数決よりはずっとずっとマシなくじ引き投票制
くじ引きしませんか?
デモクラシーからサバイバルまで
瀧川 裕英 岡﨑 晴輝 古田 徹也
坂井 豊貴 飯田 高
最近「くじ引き民主主義」という考え方がちょっとだけ注目を集めている。
くじ引き民主主義とはその名の通り、くじ引きで代表者を決める制度だ。ランダムに選ばれた有権者が国会議員となる制度。いってみれば裁判員制度の代議士版。
そんな無茶な、とおもうかもしれない。ぼくもはじめて聞いたときはそうおもった。でたらめに選んだ人間を国会議員にするなんて。決して今の国会議員が優秀とはおもわないけど、少なくともランダムに集めた人よりはマシだろう。僅差だけど。
だが、くじで代表を選ぶのは古代ギリシャなどでも取り入れられており、メリットも多い制度として昨今改めて注目されているというのだ。国内外の自治体などで導入され、成果も上げているという。
くじで代表を選ぶことのメリットとしては、
- 様々な人が議員に選ばれ、多様性を政策に反映しやすい
- 少数派の意見も政策に反映される可能性が高まる
- 政党、派閥、支援団体、利権のしがらみを受けにくい
- 一般市民の政治への関心が高まる
- 贈賄が起きにくい(票を買っても当選できるとは限らないので)
などだ。おお、いいじゃないか。
もちろんデメリットもある。
ま、このデメリットのうち「有権者に対する説明責任が果たされにくくなる」に関してはだいぶあやしいけどね。現在、投票で選ばれた政治家が説明責任を果たしているとはおもえないので。
「政策を誤ったときの責任の所在が不明瞭になる」ってのも指摘されてるけど、それも今だって誰も責任をとらないので同じだ。汚職にまみれて大赤字になった東京オリンピック誘致の責任を誰かとりましたっけ?
よく考えてみたら、投票をして多数派が政権をとる、ってずいぶん乱暴な話だよね。小選挙区制みたいなゴミカス制度だと、現状有権者の二割か三割ぐらいの票をとれば当選できる。有権者の二割か三割ぐらいにしか支持されていない政党が、七割ぐらいの議席を得ることもある。むちゃくちゃ雑な制度だ。
その雑さを当の議員たちが理解して謙虚にふるまっているならまだしも、「これが民意だ」なんてうそぶいている輩までいる。無知のふりをした邪悪か、それとも単なるバカなのかわからないが。
代表者をくじ引きを選ぶことにはメリットもデメリットもある。投票制と同じように。
ということで、選挙制と抽選制の併用を掲げる研究者が多いようだ。たとえば、衆議院はこれまで通り投票で選ぶことにして、参議院のほうは抽選で幅広い人材を集める、とか。
これはいいね。親が政治家でなくても、金持ちでなくても、知名度がなくても、党のいいなりにならなくても、国会議員になるチャンスがある。これこそ民主主義国家だよね。
今の参議院なんか何のためにあるのかわからないし、大きく選出方法を変えたほうがいいんじゃないかな。
やべー奴が議員になってしまう可能性はあるけど、それは投票制でも同じだし、数パーセントぐらいはやべー奴がいたっていいかもしれない。現実の世の中を反映していて。
抽選で議員を選ぶことは、一部の特権階級議員の暴走を止めることにつながるかもしれない。
選挙ではあたりまえのように多数決が使われているけど、多数決ってぜんぜんいいことないんだよね。
「小学校で使うからバカでもわかりやすい」「数を数えればいいだけなので集計が楽」ぐらいしかメリットがない。
民意を反映させる上でぜんぜんいいシステムじゃないのに、あまりにも使われすぎている。
同性婚や夫婦別姓選択制や基地問題や原発建設地問題のように「少数者にとっては深刻なテーマだが、多数の者にとってはとるにたらないこと」が、多数決だとないがしろにされがちだ。
多数決を前提とした選挙制度だと、マイノリティにとっての重要課題がずっと後回しにされてしまう。人間誰しも、ある分野ではマイノリティになるのに。
「多数派の傲慢」を打ち破るくじ引き投票制、ぜひ導入してみてほしい。
ただ問題は、多数決で選ばれた今の政治家が変えたがらないだろうことなんだよな。地盤やコネクションや票田がぜんぶ無駄になっちゃうもんな。特に参議院議員にとっては既得権益を手放すことになる。
とりあえず小学校での「なんかあったら多数決」を変えるとこからかな。
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2023年8月8日火曜日
慣れない土地に行ったときに乗るバスのむずかしいところ
・ひとつの行き先に対してルートがいくつもあることがある。
電車の場合は、多くて二つ(環状線)。
・大きめの駅だと、10個以上の路線が出ていたりする。さらに乗り場もばらばらだったりする。目的地に行く路線を見つけるのに一苦労。
・「〇〇方面××行き」でも土地勘がないとわかりにくいのに、「213系統」のような無機質な名前の路線にいたってはまったくのお手上げ。
・整理券を取らないといけない路線とそうでない路線がある。同じ路線でも、どの停留所から乗るかによって変わったりする。
・交通系ICカードが使えたり使えなかったり。使えるところでも、乗車時にタッチしないといけなかったりそうでなかったり。
・お釣りが出ないことが多い。事前に両替をしろと言うくせに、走行中は立つなと無理難題を言う。
・「お釣りは出ません」と書いているくせに、嫌がらせのように290円なんて料金設定。
・停留所名が似ている。「〇〇台1丁目」→「〇〇台2丁目」→「〇〇台3丁目」など。
・「あと停留所5つで目的地だな」とおもっていたら、乗降客がいない停留所を飛ばしたりするので油断がならない。
・「次おります」ボタンを押すときに、押したがっている子どもがいないか確認してから押さなくてはならない。
・行きと帰りで停留所の場所が違う。
・そうかとおもうと、停留所が片側にしかない場合もある(循環バスなど)。
・乗車時、すぐ座ることを要求される。電車の場合は乗る前に車内の様子が見えるので「あのへんが空いているな」とわかるが、バスの場合乗る前には混雑具合が見えないので乗車後一瞬でどこに座るかを判断しなくてはならない。
・降車時、「料金を支払う」「階段を降りる」「外に出て安全確認」「後ろの人のじゃまにならないように速やかに移動」という動作を連続でおこなう必要がある。
これらすべてにまごつかない人は、バス八段。