2023年8月9日水曜日

【読書感想文】『くじ引きしませんか? デモクラシーからサバイバルまで』 / 多数決よりはずっとずっとマシなくじ引き投票制

くじ引きしませんか?

デモクラシーからサバイバルまで

瀧川 裕英  岡﨑 晴輝  古田 徹也
坂井 豊貴  飯田 高

内容(信山社HPより)
人生に対して運が作用することをどう評価するか。現代のデモクラシーの淵源は、古代ギリシアの公職者くじである。また、生存のくじ、臓器くじ、じゃんけん等による決定方法、いわゆる「くじ」について、〈運の平等主義〉と〈結果の不平等〉を多角的な視点から考究する。意外に「ましな決定方法?」くじ引きへの誘い。「知の糧」への企て(法と哲学新書)第2弾。

 最近「くじ引き民主主義」という考え方がちょっとだけ注目を集めている。

 くじ引き民主主義とはその名の通り、くじ引きで代表者を決める制度だ。ランダムに選ばれた有権者が国会議員となる制度。いってみれば裁判員制度の代議士版。

 そんな無茶な、とおもうかもしれない。ぼくもはじめて聞いたときはそうおもった。でたらめに選んだ人間を国会議員にするなんて。決して今の国会議員が優秀とはおもわないけど、少なくともランダムに集めた人よりはマシだろう。僅差だけど。

 だが、くじで代表を選ぶのは古代ギリシャなどでも取り入れられており、メリットも多い制度として昨今改めて注目されているというのだ。国内外の自治体などで導入され、成果も上げているという。



 くじで代表を選ぶことのメリットとしては、

  • 様々な人が議員に選ばれ、多様性を政策に反映しやすい
  • 少数派の意見も政策に反映される可能性が高まる
  • 政党、派閥、支援団体、利権のしがらみを受けにくい
  • 一般市民の政治への関心が高まる
  • 贈賄が起きにくい(票を買っても当選できるとは限らないので)

などだ。おお、いいじゃないか。

 もちろんデメリットもある。

 だが他方で、くじ引き投票制には少なくとも三つの欠点がある(Elster 1989:89)。 
 第一に、くじという偶然の要素が介在するために、代表が経験から学ぶことが難しくする。くじは、人間の継続的意志を遮断する効果を持つ。そのため、いかに多数の有権者が支持したとしても、くじによって覆される可能性が常に存在する。その結果として、選挙のたびにゼロからスタートすることになりかねない。
 第二に、くじ引き投票では、有権者に対する説明責任が果たされにくくなる。公共の利益に尽くし、そのことを大多数の有権者によって評価された政治家でさえ、くじ引きによって落選する可能性があるからである。大多数の判断が、くじ引きによって覆されかねない。
 第三に、くじ引き投票では、極端な意見の持ち主が選出されてしまいかねない。もちろん、極端な意見を支持する投票者が少なければ少ないほど、そのような代表が選出される可能性は低くなる。しかし、それはゼロではない。くじ引き投票制が長期間運用されるならば、極端で破滅的な代表が選出される事態がどこかの時点で生じないとはいえない。

 ま、このデメリットのうち「有権者に対する説明責任が果たされにくくなる」に関してはだいぶあやしいけどね。現在、投票で選ばれた政治家が説明責任を果たしているとはおもえないので。

「政策を誤ったときの責任の所在が不明瞭になる」ってのも指摘されてるけど、それも今だって誰も責任をとらないので同じだ。汚職にまみれて大赤字になった東京オリンピック誘致の責任を誰かとりましたっけ?


 よく考えてみたら、投票をして多数派が政権をとる、ってずいぶん乱暴な話だよね。小選挙区制みたいなゴミカス制度だと、現状有権者の二割か三割ぐらいの票をとれば当選できる。有権者の二割か三割ぐらいにしか支持されていない政党が、七割ぐらいの議席を得ることもある。むちゃくちゃ雑な制度だ。

 その雑さを当の議員たちが理解して謙虚にふるまっているならまだしも、「これが民意だ」なんてうそぶいている輩までいる。無知のふりをした邪悪か、それとも単なるバカなのかわからないが。



 

 代表者をくじ引きを選ぶことにはメリットもデメリットもある。投票制と同じように。

 ということで、選挙制と抽選制の併用を掲げる研究者が多いようだ。たとえば、衆議院はこれまで通り投票で選ぶことにして、参議院のほうは抽選で幅広い人材を集める、とか。

 これはいいね。親が政治家でなくても、金持ちでなくても、知名度がなくても、党のいいなりにならなくても、国会議員になるチャンスがある。これこそ民主主義国家だよね。

 今の参議院なんか何のためにあるのかわからないし、大きく選出方法を変えたほうがいいんじゃないかな。

 やべー奴が議員になってしまう可能性はあるけど、それは投票制でも同じだし、数パーセントぐらいはやべー奴がいたっていいかもしれない。現実の世の中を反映していて。

 こうした抽選制市民院の存在は、すでに示唆したように、選挙制衆議院の審議を実質化・市民化するのに寄与するであろう。与野党は、テレビ、新聞、インターネット中継などを媒体として有権者に訴えかけている。しかし、国会審議が個々の法案の採決を左右しているとは言いがたい。十分に審議していない法案であっても、一定の手続きを踏んだ後、多数決によって可決されることも少なくない。いわんや、国会審議が次の総選挙での政権選択に結びついているとは言いがたい。だが、抽選制市民院が存在すれば、どうだろうか。衆議院議は、その審議を注視している市民院議員を説得しなければならない。説得できなければ、ある法案を市民院で通過させたり、逆に阻止したりすることはできないからである。衆議院の審議は市民に分かりやすくなるとともに、法案の可決・否決をかけた真剣勝負になるであろう。そうなれば、市民院議員以外の市民も、これまで以上に国会審議に関心を持つようになるであろう。

 抽選で議員を選ぶことは、一部の特権階級議員の暴走を止めることにつながるかもしれない。




 選挙ではあたりまえのように多数決が使われているけど、多数決ってぜんぜんいいことないんだよね。

「小学校で使うからバカでもわかりやすい」「数を数えればいいだけなので集計が楽」ぐらいしかメリットがない。

 民意を反映させる上でぜんぜんいいシステムじゃないのに、あまりにも使われすぎている。


 同性婚や夫婦別姓選択制や基地問題や原発建設地問題のように「少数者にとっては深刻なテーマだが、多数の者にとってはとるにたらないこと」が、多数決だとないがしろにされがちだ。

 多数決を前提とした選挙制度だと、マイノリティにとっての重要課題がずっと後回しにされてしまう。人間誰しも、ある分野ではマイノリティになるのに。


「多数派の傲慢」を打ち破るくじ引き投票制、ぜひ導入してみてほしい。

 ただ問題は、多数決で選ばれた今の政治家が変えたがらないだろうことなんだよな。地盤やコネクションや票田がぜんぶ無駄になっちゃうもんな。特に参議院議員にとっては既得権益を手放すことになる。

 とりあえず小学校での「なんかあったら多数決」を変えるとこからかな。


【関連記事】

【読書感想文】多数決のメリットは集計が楽なことだけ / 坂井 豊貴『多数決を疑う』

選挙制度とメルカトル図法/読売新聞 政治部 『基礎からわかる選挙制度改革』【読書感想】



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2023年8月8日火曜日

慣れない土地に行ったときに乗るバスのむずかしいところ


・ひとつの行き先に対してルートがいくつもあることがある。
 電車の場合は、多くて二つ(環状線)。


・大きめの駅だと、10個以上の路線が出ていたりする。さらに乗り場もばらばらだったりする。目的地に行く路線を見つけるのに一苦労。


・「〇〇方面××行き」でも土地勘がないとわかりにくいのに、「213系統」のような無機質な名前の路線にいたってはまったくのお手上げ。


・整理券を取らないといけない路線とそうでない路線がある。同じ路線でも、どの停留所から乗るかによって変わったりする。


・交通系ICカードが使えたり使えなかったり。使えるところでも、乗車時にタッチしないといけなかったりそうでなかったり。


・お釣りが出ないことが多い。事前に両替をしろと言うくせに、走行中は立つなと無理難題を言う。


・「お釣りは出ません」と書いているくせに、嫌がらせのように290円なんて料金設定。


・停留所名が似ている。「〇〇台1丁目」→「〇〇台2丁目」→「〇〇台3丁目」など。


・「あと停留所5つで目的地だな」とおもっていたら、乗降客がいない停留所を飛ばしたりするので油断がならない。


・「次おります」ボタンを押すときに、押したがっている子どもがいないか確認してから押さなくてはならない。


・行きと帰りで停留所の場所が違う。


・そうかとおもうと、停留所が片側にしかない場合もある(循環バスなど)。


・乗車時、すぐ座ることを要求される。電車の場合は乗る前に車内の様子が見えるので「あのへんが空いているな」とわかるが、バスの場合乗る前には混雑具合が見えないので乗車後一瞬でどこに座るかを判断しなくてはならない。


・降車時、「料金を支払う」「階段を降りる」「外に出て安全確認」「後ろの人のじゃまにならないように速やかに移動」という動作を連続でおこなう必要がある。


 これらすべてにまごつかない人は、バス八段。


2023年7月31日月曜日

【読書感想文】東野 圭吾『レイクサイド』 / すっきりしない良作ミステリ

レイクサイド

東野 圭吾

内容(e-honより)
妻は言った。「あたしが殺したのよ」―湖畔の別荘には、夫の愛人の死体が横たわっていた。四組の親子が参加する中学受験の勉強合宿で起きた事件。親たちは子供を守るため自らの手で犯行を隠蔽しようとする。が、事件の周囲には不自然な影が。真相はどこに?そして事件は思わぬ方向に動き出す。傑作ミステリー。


 舞台は湖畔の別荘。中学受験の合宿で、四人の子ども、その両親、塾講師が泊まっている。そこに主人公の愛人が訪ねてくる。

 その夜、出かけていた主人公が別荘に帰ってくると、愛人の死体があった。妻が言う。「あたしが殺したのよ」と。受験前に騒がれることを嫌った保護者たちは、死体を隠して事件を隠蔽しようとする……。



 ミステリを読んでいると「そううまくはいかんやろ」とおもう作品によく出くわす。

 そんな万事計画通りに話が運ばんやろ、そうかんたんに人を殺さんやろ、そううまく目撃者が現れんやろ、そんなにたやすく本心を吐露せんやろ、そうかんたんに犯人がべらべらと犯行について語らんやろ。

『レイクサイド』がよくできているのは、中盤まではその「そううまくはいかんやろ」レベルのミステリなんだよね。

 そこにいあわせた人が死体遺棄に手を貸すのは不自然じゃないかな。いくら仲が良いといっても、他人のためにそうかんたんに犯罪に手を染めるか……? 死体隠蔽工作も順調に進む。目撃者が現れるが、それもうまく仲間に引き込むことができる。

 できすぎじゃない?

 ……という違和感は、ちゃんと後半で解消される。なるほどなるほど、ちゃんと読者の「そううまくはいかんやろ」を想定して、それすらも謎解きに利用している。さすが東野圭吾氏だなあ。押しも押されぬ大人気ミステリ作家に対して今さらこんなこと言うのもなんだけど、上手だなあ。


 また、単なる謎解きに終始させず、夫婦、親子などの関係が生み出す愛憎入り混じった感情もストーリーに盛り込んでいる。

 登場人物が多い(現場にいるのは14人)のにそれほどややこしさも感じさせないし、つくづくうまい小説だった。




 ちなみに、後味は悪い。登場人物は主人公を筆頭にみんな身勝手だし、保身ばかり考えていて行動もまったく道徳的でない。また、犯人の動機については最後まで明らかにされないし、犯行の結末も不明。つまり、まったくもってすっきりしない。

 でも個人的にはこういうのがけっこう好きなのよね。読んだ後にもやもやが残る小説は嫌いじゃない。

 悪い犯人が捕まりましたメデタシメデタシ、っていうわかりやすい物語が好きな人にはおすすめしません。


【関連記事】

【読書感想文】“OUT”から“IN”への逆襲 / 桐野 夏生『OUT』

【読書感想文】不倫×ミステリ / 東野 圭吾『夜明けの街で』



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2023年7月28日金曜日

牧場のここがヤバい

 某牧場について調べていると、「〇〇牧場のここがヤバい!3つのヤバいこと」という記事が見つかった。

 読んでみると、「1.広すぎてヤバい!」「2.動物との距離が近すぎてヤバい!」と書かれており、あーなるほど、悪口を言っているように見せて耳目を集めて実は褒めたたえるタイプの記事ね、とおもいながら読んでいたら「3.元経営者が大麻栽培で逮捕されていてヤバい!」とあった。

 急転直下でほんまにヤバいネタくるんかい!



2023年7月27日木曜日

道の訊き方訊かれ方

 歩いていたら、若い女性から「○○駅はあっちであってますか」と尋ねられた。

 若い女性から声をかけられるなんて何かの勧誘以外に経験がないのでとっさに勧誘かとおもって無視しようしてしまい、その後「あっ、道訊かれてる、ちゃんと答えないと、わっ、なんていおう」とすっかりあわててしまい、結局「あ、はい、あっちであってます!」と相手の言葉をオウム返しにしただけだった。


 ぼくはふだん道を訊かれない。訊かれることもあるが、変なタイミングのときだけだ。

 中国に行ったときはなぜか中国人からよく道を訊かれた。なんで外国人に訊くねん! Tシャツにサンダルとかで歩いてたから現地の人っぽかったのかなあ。

 旅先で訊かれることも多い。逆に、見知った道ではほとんど訊かれない。知ってる道では歩くのが速いからかもしれない。旅先だときょろきょろしながらゆっくり歩くので、隙が多くて声をかけやすいんだろう。

 数年前、はじめて行く土地だったのでスマホのアプリで地図を見ながら歩いていたら若い男性から「すみません、〇〇って店知ってますか?」と尋ねられた。なんで地図見ながら歩いてるやつが土地勘あるとおもうんだよ!


 そんなわけで、家の近所では道を訊かれることがめったにない。だから道を訊かれて動転してしまった。

 たぶんぼくが妻子と歩いてたからだろう。「妻子と歩いているからそこそこまともな人」と判断されたにちがいない。ありがたいかぎりだ。逆にいうと、一人で歩いているときは不審者だということだ。

 あわてて「あ、はい、あっちであってます!」と答えた後、ああしまったなあ、もっと上手に説明できたなあ、と後悔した。

「この道をまっすぐ行くと、信号を二つほど超えたあたりでファミリーマートが見えますので、そこを右手に入ったらすぐ駅ですよ」と言ってあげればよかったなあ。落ち着いたらうまく説明できるんだけどなあ。でもとっさに訊かれたからなあ。


 自分の答え方が悪かったと反省すると同時に、道を訊いてきたあの女性の訊き方も悪かったんじゃないか? とおもう。

 開口一番「○○駅はあっちであってますか」だぜ。

 こっちは見知らぬ人に話しかけられただけでびっくりしてるのに、いきなり本題に入らないでほしい。

 ちゃんと「あのすみません」「ちょっと道を訊きたいんですけど」とクッションを置いてほしい。そしたらこっちも「今から道を訊かれるんだな」と心の準備ができるから。

 理想を言えば、話しかける前に、「きょろきょろする」「困った顔でこちらを見て目をあわせる」というステップもほしい。

 きょろきょろして、困った顔でこちらを見て目を合わせて、「あのすみません」と声をかけて、「ちょっと道を訊きたいんですけど」とこれから話すことのテーマを提示して、しかるべきのちに「○○駅はあっちであってますか」と訊いてほしい。

 それが道尋ね道というものだ。