2023年3月20日月曜日

【読書感想文】東野 圭吾『真夏の方程式』 / 博士と少年のいちゃいちゃ

真夏の方程式

東野 圭吾

内容(e-honより)
夏休みを伯母一家が経営する旅館で過ごすことになった少年・恭平。仕事で訪れた湯川も、その宿に滞在することを決めた。翌朝、もう一人の宿泊客が変死体で見つかった。その男は定年退職した元警視庁の刑事だという。彼はなぜ、この美しい海を誇る町にやって来たのか…。これは事故か、殺人か。湯川が気づいてしまった真相とは―。


 人気ミステリシリーズだが、これはあれだな。ミステリというより、湯川博士と少年のいちゃいちゃっぷりを楽しむ小説だな。


 正直、ミステリ部分は退屈だ。

 序盤で人が死体で発見されるが、ほとんど出番のなかった人が死体で見つかるので被害者に関心が湧かない。被害者の身元も、定年退職した刑事だということ以外はとりたてて変わったこともない。

 そのうちどうやら殺人のようだという話になるが、容疑者も、殺人の動機もまったく判然としない。殺害方法も検死によってあっさりわかるので謎もない。

 被害者も地味、殺され方も地味、容疑者は不明、動機も不明、トリックが使われた形跡もない。これではあまりに興味が湧かない。

 さすがに終盤は点と点がつながって意外な真実が浮かび上がってくるが、これまでのガリレオシリーズ『容疑者Xの検診』や『聖女の救済』ほどの驚きはない。殺害方法もかなり偶然に頼ったもので、いい出来のトリックとはいえない。

 決して悪くはないけど、これまであっと驚く展開を見せてくれたガリレオシリーズにしては凡作といったところだ。




 だが、ミステリ部分のものたりなさを、湯川博士と少年の関係が補ってくれる。『探偵ガリレオ』シリーズのファン以外が楽しめるかどうかはわからないが。

 湯川博士といえば頭脳明晰、冷静沈着、ドライでクールでおなじみで、他人に対して執着するタイプとはおもえない。また子ども嫌いでもある。

 なのに、宿で出会った少年にだけはふしぎと気にかける。宿題を教えたり、海底が見たいという少年の願いをかなえるために奮闘したり、学問の奥深さを解いたり。少年のほうも「博士」と呼んでなついてはいるが、どちらかといえば湯川のほうが積極的に少年にかかわろうとしている。


 ぼくは子どもと関わるのが好きなので、今作の湯川博士の行動はよくわかる。

 自分の子どもだけでなく、よその子どもであっても、できるかぎり支援したい、才能を伸ばしてやりたいという気持ちが湧いてくるのだ。


 子どもに本を買ってあげたい病

 以前、こんな記事を書いたが、特に好奇心旺盛な子、特定の学問分野に強い関心を抱いている子に対しては「支援したい!」という欲求がふつふつと湧いてくる。見返りなんていらない。ただ、あしながおじさんになって才能が伸びてゆくところを見ていたいのだ。

 また、ぼくも湯川博士ほどではないにせよ、非社交的で世間話というやつが苦手なので、大人といるより子どもと話すほうがずっと気楽だ。ぼくも湯川博士と同じ立場になったら、やはり「気心の知れない大人たちと同じ宿に泊まって長期間交流しないといけないぐらいなら、金を払ってでも別の宿に泊まって小学生に宿題を教える」ほうを選ぶだろう。




 中盤で、湯川博士は事件の真実について何かを気づき、しかし「ある人物」のために真相を暴くことをためらう。「ある人物」が少年のことだろうということは明白だが、少年が事件とどうかかわっているのかがわからない。なにしろ少年は人が死んだことことすらしばらく知らなかったぐらいだし、ひきがねになった事件は少年が生まれる前の出来事だ。また少年の両親はほとんど登場しない。

 「犯人は誰か」「被害者はなぜここにやってきたのか」「被害者はなぜ殺されたのか」という点よりも、「少年と事件がどうかかわっているのか」をキーに読み解くほうがずっとおもしろい。

 正直、被害者や加害者に関する謎はなくてもいいぐらいだ。これもまたミステリ。


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2023年3月17日金曜日

いちぶんがく その19

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



だけど……と、六十男はグズグズと決心がつかなかった。

(内館牧子『終わった人』より)




つまり、糞野郎だった。

(西 加奈子『漁港の肉子ちゃん』より)




サンタクロースは、一種の破壊神として、クリスマスに忍び込んできた。

(堀井 憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス』より)




樹海に早く着きたいから、その理由だけでポルシェに乗っている人はほかにいないだろう。

(村田らむ『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』より)




赤手拭名人と呼ばれる腕利きの職人がいて、店の亭主は赤手拭親方などと呼ばれて、誰もが赤手拭を欲しがった、などという過去があったのだろうか。

(本渡 章『大阪市古地図パラダイス』より)




もし、人間の部分しかなかったら、生き延びられなかった。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(著) 三浦 みどり(訳) 『戦争は女の顔をしていない』より)




老後破産してればいいのに。

パオロ・マッツァリーノ『サラリーマン生態100年史 ニッポンの社長、社員、職場』より)




ここには、異性と親しくなりたいという、邪念をはらんだ気持ちで男女が集まっている。

(石神 賢介『57歳で婚活したらすごかった』より)




母親がにわとりの素早さで振りむく。

(荻原 浩『海の見える理髪店』より)




これは読書の永久運動だ。

(岡崎 武志『読書の腕前』より)




 その他のいちぶんがく


2023年3月16日木曜日

白米食堂

 ぼくはごはん、つまり白米が大好きだ。ベタなギャグだけど、三度の飯よりごはんが好きだ。

 そんなぼくが、出現を待ち望んでいる店がある。

「白米食堂」だ。


 とにかくごはんにこだわった食堂。おいしいお米を、職人が釜で炊いて出してくれる。なんなら高性能の炊飯器でもいい。最近の炊飯器はすごいから。いろんな品種のお米を選べる店。

 つくるのはごはんだけ。おかずは一切つくらない。

 といってもおかずがないわけではない。おかずはすべて市販の「ごはんのおとも」である。

 海苔、納豆、漬物、ふりかけ、生卵、鮭フレーク、海苔の佃煮、食べるラー油、サバ缶、ちりめんじゃこ、いかなごのくぎ煮、明太子、そぼろ肉、かつおぶし、醤油、味噌……。

 そのへんのスーパーに置いているものばかりだ。とりたててめずらしいものはひとつもない。珍味はあるけど。

 でも、だからこそ、ごはんのおいしさが引き立つ。


 ほら、酒場とかバーであるじゃない。厳選したいろんな種類のお酒を置いてるけど、食べ物は缶詰とかナッツぐらいしか出さない店。

 あれの食堂版。おいしい白飯を食わせることだけに特化した店。


 そういう店がほしい。

 自分ではやりたくない。近所にほしい。誰かがやってほしい。

 誰かやってくんねえかな。わざわざ電車に乗って食べにいくほどではないから、うちの近所で。

 高級食パンブームの後は高級ごはん。どうでしょう。



さよなら週刊朝日

『週刊朝日』が五月で休刊するそうだ。

 一抹の寂しさを感じる。ほんの一抹だけ。


 ぼくは一度も週刊朝日を買ったことがない。母が好きで、毎週買っていたのだ。

 週刊朝日は総合週刊誌としてはかなり硬派な部類で、エロい記事もないし、芸能ニュースだとかゴシップ的な記事も載っていない。政治や社会問題についての記事が多く、かなりハイソ向けの週刊誌だ。週刊誌を読まない人からすると「週刊誌ってぜんぶ下品なんでしょ?」という認識だろうが(まあだいたいあってる)。

 昔は今よりもっと週刊誌が身近だった。病院や銀行の待合室には必ず週刊誌が置いてあった。多いのは『週刊新潮』や『週刊文春』などで、それらはエロい記事やゴシップニュースも載っていた。


 汚い話だが、うちの実家では週刊朝日はトイレで読むものだった。母は週刊朝日を買ってくるとまずトイレに置いていたのだ。手持ち無沙汰なトイレ時間を有意義に過ごす工夫だ。

 だから家族みんなトイレで週刊朝日を読んでいた。編集者たちには申し訳ないが、ぼくにとって週刊朝日はトイレの雑誌だった。

 

 そんなわけで小学生の頃から週刊朝日を読んでいた。

 最初はマンガやイラスト。山科けいすけ『サラリーマン専科』『パパはなんだかわからない』や山藤章二『似顔絵塾』『ブラック・アングル』など。

 そのうち、漫画やイラストのある文章も読むようになる。『デキゴトロジー』、西原理恵子・神足裕司『恨ミシュラン』、ナンシー関『小耳にはさもう』、東海林さだお『あれも食いたいこれも食いたい』。はじめのうちは絵目的で読みはじめたのに、文章もおもしろいことに気づく。大人向けの文章を読むようになったきっかけは週刊朝日からだった。

 そしてぼくが中学生の頃は『ダウンタウンのごっつええ感じ』が学校で大流行している時代。そんなときに松本人志『オフオフ・ダウンタウン』の連載がはじまり、ぼくは「クラスのみんなはテレビでしか知らない松本人志の裏側をぼくだけが知っている」とひそかに優越感を感じていた(この連載は後に『遺書』『松本』として大ベストセラーになる)。ほんと九十年代後半は黄金時代だったなあ。


 連載が良かったから人気があったというより、人気があったから才能が集まる場所になったという感じだろう。今、才気あふれる書き手が週刊誌を選ぶとはおもえないもの(週刊誌側もそれに見合った待遇を用意できないだろうし)。

 週刊朝日の休刊は寂しいけど、「あのときああしていたらこの先何年も続けられていた」みたいな転機はなく、誰がどうやってもこのへんで終わることは時代の必然だったのだろう。


 ところで雑誌が終わることを「休刊」っていうのいいかげんやめねえかな。休刊した雑誌が再開することなんて1%もないんだからさ。つまらない見栄張ってないでちゃんと「廃刊」って言おうぜ。



2023年3月15日水曜日

働きものの保育士

 姉は保育士をやっている。 

 大学で管理栄養士の資格をとって栄養士として保育園で働いていたのだが、保育にも関わりたくなって働きながら保育士の資格もとった。

 栄養士として給食を作り、夕方には手が空くので保育をするのだそうだ。

 弟のぼくが言うのもなんだが、姉はとても働きものだ。栄養士をしつつ、保育士もしつつ、家では家事や子育てもしている。


 昔から行動的な人だった。ぼくなんか一日中家でごろごろしてるのに、姉は常に身体を動かしていないと気が済まない。大学時代は、せっかく実家に帰省したのに朝六時ぐらいに起きて掃除をしたり料理を作ったりしていた。横にいて落ち着かないぐらいの働き者だ。

 ま、それはいい。姉がなまけものだと困ることもあるだろうが、姉が働きもので悪いことはない。


 姉は働きものなので、遅くまで仕事をするし、休みの日にもやれ勉強会だやれ保育サークルのイベントだとかでよく出かけているらしい。もちろん家事もやっている。

 まじめに一生懸命働くのはいいことだ。それはいいのだが、「こういう人が上にいると下の人はたいへんだろうな」とおもう。

 若い保育士さんが働きはじめたら、先輩の保育士が朝早くから遅くまで仕事をして、家にも仕事を持ち帰って、休みの日にも手弁当で保育関連のイベントをやっているとする。

 若い保育士さんが「定時になったらさっさと帰りたいし、自宅では仕事をしたくないし、オンとオフの区別はつけたい」という考えの人であれば(そっちがふつうなんだけど)、姉みたいな先輩保育士がいたらやりづらいだろう。「あんたも同じことをしなさいよ」とはっきり言われなかったとしても、繊細な人であれば無言のプレッシャーは感じるだろう。

 そして、働きもののペースについていけない人は辞めてゆき、ついていける人だけが残る。そうするとますます働きものにあわせた働き方になってしまう。


 保育士は離職率が高いという。女性が多いということもあるが、高くない給与、楽でない仕事、大きな責任もその理由だろう。

 姉のような働きものが給与分以上にどんどん働くのは雇用者からしたらありがたいだろうけど、保育士全体の待遇改善という点でいえばいいことじゃないのかもしれない。

 ま、個人が業界全体のことまで心配することはないから好きにしたらいいんだけど。