2021年10月11日月曜日

バカは怖い

 コロナ禍とやらも一年を超え、もはやこっちのほうが日常となってきた。
 コロナ前ってどんな生活してたんですっけ。コロナ前でもマスクはしてましたよね。え、うそ、マスクせずに出歩いてたの? 不潔―! 野蛮ー! マスクしてなかったってことはあれですか、やっぱり生肉そのままいってたってことですかね。なんでそうなるんですか。


 そんなこんなで慣れたとはいえ感染症対策ってストレスフル。
 なにがストレスかって、やらかした当人以外が被害を受けることよね。

 たとえばさ、年に二回ぐらい目にする「高速道路を時速200km以上ですっとばした車が大破」みたいなニュースあるじゃない。パンダの赤ちゃん誕生と同じぐらい心温まるほのぼのニュース。

 あれってさ「巻き添え食らった人はかわいそうだな」とはおもうものの、事故を起こした当人には一ミリも同情しないじゃない。むしろ「ちょっとだけいい世の中になってよかったな」とおもうだけ。

「十五歳が無免許で車を運転して事故」とか「一気飲みで救急車搬送」とかも「親御さんはかわいそうにな。子どもがバカで」「こんなことで出動させられる救急隊員や医療関係者は気の毒に」とかはおもうけど、当人には一マイクロシーベルトも同情しない。部外者からするとハッピーな出来事だ。

 なぜなら、バカがバカなことをやってバカがひどい目に遭うから。
 お菓子とコーラばかり口にしているデブが糖尿病になるのも、喫煙者が肺がんになるのも、いちばん苦しむのは当人だ。医療費がかさむとか副流煙の悪影響も多少はあるけど、基本的には自業自得だ。バカがいるから人生は楽しい。

 ところが伝染病はそうじゃない。

 会食したり、酒を飲んだり、バーベキューをしたり、マスクをつけなかったり、通気性ばつぐんのマスクでマスクをつけた気になったり、マスクから鼻を出したり、しゃべるときだけマスクをはずすという謎の行動をとったりする連中が感染して苦しむ分にはいっこうに気にならない(医療リソースを逼迫するという問題はいったん置いておく)けど、問題はバカによるバカのためのバカな行動のために赤の他人までもが同じ苦しみを味わうこと。


 だから分断が生まれる。他人のバカな行動を許せない。
 他人が糖尿病になろうが肺がんになろうが事故で死のうが平気だけど、病気をうつされるのは困る。他者の行動が気になって仕方ない。


「伝染病をうつされたくない」という気持ちはすごく強い。たぶん自分が意識するよりもっと。
 歴史上、多くの人間が伝染病でばったばったと死んできた。結果、伝染病に対する警戒心の強いものだけが生き残ってきた。だから人間の遺伝子の中には伝染病に対するおそれが強く残っている。

 外国人に冷たく当たる人が多いのは伝染病対策だと聞いたことがある。
 よそからやってきた人は新しい伝染病を持ちこむ可能性が高い。だからよそ者は排除される。
 見た目が醜い人が嫌われるのも同じだそうだ。
 ある種の病気は見た目を悪くする。皮膚がただれたり、顔が変形したりする。
 だから見た目が悪い → 病気を持っている可能性が高い → 感染のリスクを避けるため見た目が悪い人を避ける ということらしい。あくまで一説だけど。

 病気を持っている人は怖い。この気持ちは生まれる前から持っているものだからすごく強い。


 だけど医学が進歩したから人々は伝染病をそんなに恐れなくなった。毎年多くの人の命を奪っていたインフルエンザでさえほとんど気にしなかった。
 新型コロナウイルスの流行は「病気を持っている人は怖い」という人類があたりまえに持っている本能を久しぶりにおもいださせたのだ。

 人類は気づいたのだ。バカは脅威だ、と。

 バカは怖い。



2021年10月8日金曜日

秘伝脳

 あれ。ちょっと待って。
 脳ってそんなに大事じゃないかも。

 とまああたしは気づいちゃった。人類がまだ気づいていない真実に。


 SF作品には
「脳だけが活かされていてバーチャル空間で活動している(とおもっている)」
「古びた肉体を捨て、アンドロイドとして生まれ変わる」
「肉体は不要。頭脳だけを電子データに置き換えることで永遠の命を手に入れる」
みたいな〝肉体不要論〟がよく出てくる。

 その背景には、脳を何より大事だとおもう思想がある。

 でもさあ。
 逆でしょ。
 人間にとって、なくてもいいのは肉体じゃなくて頭脳のほうでしょ。

 細菌でも虫でも植物でも動物でもそうだけど、生物の生きる目的って遺伝子を残すことでしょ。究極を言えば、子孫さえ残せるなら生殖器だけあればいい。
 じゃあなんで頭脳なんてかさばるものがあるのかっていったら、より効率的に遺伝子を残すためだよね。餌をとって、遠くに移動して、多くの同種の生物と出会って、遺伝子を残すため。
 それさえできれば頭なんかからっぽでもいい。頭からっぽのほうが遺伝子つめこめる。


 言ってみれば、遺伝子はマリオ。人体はヨッシー。目的はマリオを無事にゴールまで届けること。そのためならヨッシーは乗り捨ててもかまわない。

 人体は古びる。だから医学の進化によってどんどん取り換え可能になっている。
 義手、義足、義歯、人工臓器、臓器移植、輸血。取り換え可能じゃないもののほうが少ないぐらい。

 取り換えできないものの代表が脳だ。
 今はね。取り替えたら別人になってしまう。
 でも、ほんとにそう?
 それは脳を中心に物事を考えているから。だけど脳なんて数ある臓器のひとつ。


 こう考えてみよう。
 スマホが壊れたので修理に出したら、データがすべてふっとんだ。初期状態に戻ってしまった。
 そのとき「新しいスマホが手に入った」とおもう?
「自分のスマホはどこかに行ってしまった」とおもう?
 おもわないよね。「スマホがリセットされた」とおもうだけだ。

 逆に、機種変更をしたとき。データを古いほうから新しい機種に引き継ぐ。
 このとき、メモリは以前のままだけど「新しいスマホを手に入れた」とおもう。

 ここからわかるのは、スマホの本体とはデータではなく、ボディのほうだということ。
 ボディが新しくなればデータが古くても「新しいスマホ」だし、ボディが変わらなければデータがふっとんでも「元のスマホ」だ。

 人間も同じように考えればいい。脳は別のものに変わっても身体が変わらなければ同一人物だ。


 そう考えれば、いつまでも古い脳を使いつづける必要なんかどこにもない。
 脳が古くなったら新しい人工脳を使う。肉体が古くなったら新しい身体に取り換える。
 そうやって、秘伝のタレみたいにつぎたしつぎたし使っていけばいいよね。


2021年10月7日木曜日

ただ倦怠感

 二度目のワクチン接種。

「40度近い熱が出た」「数日は何もできなかった」という話を周囲から聞いていたのでおそれていたのだが、最高37.7度と大したことはなかった。

 あくまで観測範囲の話ではあるが、若い人ほど高熱が出て年配の人は大したことがないケースが多い。ということはぼくももう若くないということである。知ってたけど。


 覚悟していたほどではないとはいえ、37.7度はまあまあの高熱だ。しんどさとしては、風邪以上インフルエンザ未満ぐらい。

 ただ風邪やインフルエンザとはちがうのが、熱こそ出るものの、喉も痛くないし、鼻水も咳も痰も出ない。ただ倦怠感があり、身体の節々が痛むだけだ。

 ああそうか、これはあれだ。「老化」の症状だ。
 まだ三十代なので本格的には経験していないけど、聞くところによれば年をとると身体の節々が痛くなり、なかなか疲れがとれず、だるいのが経常化するそうだ。たぶんこの症状は多くの年寄りが日常的に味わっているやつだ。

 つまりワクチンによって老化を先取り体験しているのだ。
 コナンが飲まされた「若返る薬」の逆だ。老ける薬。

 身体は老人、頭脳は中年!
(そういう人、世の中にいっぱいいるな……)


2021年10月6日水曜日

【読書感想文】少年割腹マンガ / 藤子・F・不二雄『モジャ公』

モジャ公

藤子・F・不二雄

内容(e-honより)
奇想天外宇宙SF冒険活劇の大傑作!ある日突然やって来た宇宙人のモジャ公&ロボットのドンモと”宇宙へ家出”した空夫。予測不可能なドタバタ大冒険が始まる!


 半端に終わった『21エモン』の続編的漫画。
 というだけあって、主要登場人物は『21エモン』とほぼ同じ。
 空夫はまだ21エモンとはずいぶん性格がちがうけど(21エモンは主人公にしてはおっとりしすぎてた)、モジャラ(≒モンガー)、ドンモ(≒ゴンスケ)との「一人と一頭と一体で宇宙冒険の旅に出る」というストーリーはほぼ同じ。

 ただしどこか牧歌的だった『21エモン』と比べて、『モジャ公』はずいぶん殺伐としている。
 まずモジャラがかわいくない。マスコットキャラクター風の見た目なのに、一人称は「おれ」で負けず嫌いで女好き。ぜんぜんかわいげがない。

 ストーリーもシリアスなものが多い。
 前半の、金をだましとられる、恐竜に追いかけられる、ロケットレースに参加する、といったところはまだ昔の少年漫画っぽいが、最強の超能力者に執拗に命を狙われたり、死者の星を訪れたりと中盤からはかなりどぎつい表現が目立つ。


 特に『自殺集団』の回はかなりブラックだ。

 とある事情により住民が全員不老不死となったフェニックス星を訪れた三人。すばらしい星だと喜ぶ三人だが、住人たちはみんな覇気がない。死なないことに疲れて気力を失っているのだった。 

 ここで予知能力のあるモジャラが不吉な予知夢を見る。なんと三人が自殺をするという予兆だった。だが空夫とドンモは信じようとしない。モンガーもこの星の住人に恋をして、この星に滞在することに。 

 三人は怪しい異星人オットーににそそのかされて、金を手に入れるために「自殺屋」をやることに。自殺を予告することで注目を集める商売だ。
 予告自殺イベントが大反響。どんどんまつりあげられ、退くに退けない、逃げるに逃げられない状況に追い込まれる。脱走を試みても、自殺を撮影に来た映画監督によって阻止される。オットーに相談するも、大丈夫だから任せておけと言われるだけ。
 いよいよ自殺イベントまであと少しと迫ったとき、オットーは三人を残して金を持ち逃げしてしまう。

 そしてついに自殺イベント当日。観客は何万年ぶりの熱狂。全国民が三人の自殺を熱望している。この状況ではたして自殺を回避できるのか……。


 というスリリングな展開。
 もちろん自殺したらそこで話が終わってしまうので最終的には自殺を回避するわけだが、絶対に予知を外さないモジャラが三人の自殺を予兆しているので「あの予知はどう決着させるのだ?」という疑問が緊張感を強めている。

 しかもモジャラの予知した自殺シーンというのが、割腹したり首を吊ったりで、かなり生々しい。腹から勢いよく血が噴きだしている絵、というのはかなり強烈だ。
 藤子・F・不二雄氏は他にもブラックな作品を描いているが、ここまで直接的な描写はほかで見たことがない。

「誰も死なない世界」というのも、やがて到来する超高齢社会を暗示しているようでおもしろい。
 人口が減らないので新たに子どもは生まれず、住民は全員高齢者。無気力で、目的もなくぼんやりと生きている。
 日本の数十年後の姿かもしれない。 


【関連記事】

【読書感想文】21世紀の子どもも虜に / 藤子・F・不二雄『21エモン』

【読書感想文】構想が大きすぎてはみ出ている / 藤子・F・不二雄『のび太の海底鬼岩城』



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2021年10月5日火曜日

【読書感想文】上西 充子『政治と報道 ~報道不信の根源~』

政治と報道

報道不信の根源

上西 充子

内容(e-honより)
安倍晋三前首相の「訂正してない訂正会見」。加藤勝信内閣官房長官の「狡猾にはぐらかすご飯論法」。菅義偉首相の「全く答えにならない答弁」…なんで政治報道は突っ込まないのか??不誠実な政府答弁とその報じ方への「違和感」を「ご飯論法」を喝破した著者が徹底検証。

「ご飯論法」の名付け親である研究者による著書。
 この本の中でもさんざん誇らしげに「ご飯論法」名づけ自慢をしている。

 が、ぼくは「ご飯論法」という言葉、好きじゃない。というか大嫌いだ。

 だってわかりにくい上につまんないんだもん。

 わかりにくい答弁を例えたのだからわかりにくくて当然なのかもしれないが、それにしたってキャッチーさがない。ぜんぜん伝わらないしユーモアセンスもない。

「ご飯は食べたか」という質問をされて、(パンを食べたにもかかわらず)「ご飯(白米)は食べていない」と答えるようなもの。
というのがご飯論法の説明だが、うん、わかりにくいね。


 だいたいさ、政治家や官僚の逃げの答弁を「ご飯論法」と呼ぶのって、労働基準法違反を「サービス残業」と呼ぶようなものでしょ。問題を卑小化してるだけなんじゃない?

 政治家が国会でまともに答弁しないのって民主主義の根底を揺るがすぐらい重大な問題なのに、ご飯だのパンだのと言われたら「どっちでもええやん」という気になってしまう。あかんやん。

 ちゃんと「詭弁を弄した」とか「支離滅裂な答弁」とか「論点ずらし」とか「話題をそらした」とか指摘して真っ向から非難すべきでしょ。わけのわからん例えをするんじゃなくて。

『政治と報道』の内容は、「メディアがちゃんとおかしいものはおかしいと言え」って話なんだけど、だったら「ご飯論法」なんて言葉遊びをしてないでちゃんと「支離滅裂な答弁で回答を避けた」って書けよ。




 ま、それはいい。

 問題は、この本もまたつまんないってことだ。
 ○年○月○日の国会で□□大臣が「××」と言った、○年○月○日付の△△新聞が「××」と書いた、みたいな細かい話が延々続く。
 一個二個例示するぐらいならいいんだけど、とにかく多い。

 ウェブ用に書いた記事を集めたものらしい。どうりでつまんないわけだ。

 はっきり言って本に収めるような内容じゃない。
 消費期限が数年持つようなトピックじゃないんだよね。古新聞を読んでいるような気分になった。




 後半は消費期限切れの話が延々続くのでほとんど読みとばしたのだが、前半は悪くなかった。

 たとえば野党が与党政府に異議を唱えた場合、「反発した」「批判した」などと報じられることが多い。
 これは「野党は建設的な意見を出さずに反対ばかり」という印象を与えると著者は書く。

 しかし実際の国会で野党議員がおこなっているのは、「批判」「反論」「異議申し立て」「指摘」「主張」「抵抗」などだ。「そのような説明では説明責任を果たしていない」「そのような違法なことは許されない」「そのような対応は不適切だ」「このような状態で採決を急ぐべきではない」――そのように、理由があって異議申し立てをおこない、説明責任を果たさないまま性急にことを進めようとする政府与党の動きに、対抗しているのだ。 なのにそれを「反発」という言葉で表現してしまうと、まるで理もなく感情的に騒いでいるだけのように見える。それは野党に対して失礼だし、「野党は反対ばかり」「パフォーマンス」「野党はだらしない」といった表層的な見方を強化することに加担してしまう。
 国会報道は与野党の動きを報じるのだというのなら、野党がなぜ反対しているのか、どのような指摘をおこなっているのか、何を批判しているのか、その内容を示すべきではないか。「野党は反発」と言わずに、「野党は『……』と批判した」と書くべきではないのか。なぜ、そうしないのか。

 これはぼくもおかしいとおもう(こともある)。

 たとえば憲法53条に
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」
という規定があるにもかかわらず、野党の要求を無視して与党が国会を開かないことについて。

 これは誰が見ても憲法違反だ。
 なのにニュースでは「臨時国会を開くべきだと野党の○○議員は批判した」といった文章になる。
 どう考えたっておかしい。

 殺人が起きたときに『検察は殺人犯に反発した』と書くのか。

 野党議員の口を借りるのではなく、「自民・公明両党は憲法を守っていないし是正する気もない」と事実を書くべきだろう。

 また政府による不正行為・疑惑があったときに
「政府は問題ないとの見解を明らかにした」
などと書くのもどう考えてもおかしい。第三者のことならそれでいいが、当事者の言い分を「明らかにした」はおかしい。

 やはり殺人容疑で逮捕された容疑者が「殺してもいいじゃん」と言ったら「問題ないとの見解を明らかにした」と記事にするのだろうか。

 書くとしたらせいぜい「容疑を否認している」だろう。


「客観的」「中立」は大事だが、それがいきすぎているようにおもう。
 あかんものはあかん!と書かなあかん。


「『不快な思いをさせたのであれば申し訳ない』『誤解を招いた』と陳謝した」なんて記事もよく見る。あれもおかしい。だってあれは謝ってないもん。「おまえらが悪い」と言ってるだけなんだもん。
 ちゃんと「言い逃れに終始した」と書かなきゃ。


 とまあ、序盤に書いていることはまあまあまっとうなんだけど、この著者は党派性が強すぎるんだよね。野党にめちゃくちゃ甘い。

 野党の失態をあげつらってる場合じゃないだろ、的なことを書いている。いや与野党関係なく悪いものは悪いと言わなあかんやろ。そうしてこそ与党批判が正当性を持つんだろ。

 あと「野党は反対ばかり、みたいな印象操作をする書き方はやめろ」と書いておきながら、この本の中でも「大臣はあざ笑うような笑い方をした」とか書いてるし。いやそれこそおまえの主観による印象操作やろがい。




 新聞などの報道は「政治の中身」ではなく「政局」について報じられることが多い。

 しかし本来であれば、政治報道は政局を報じる以外に、今、国会では何が問題となっているのかも、わかりやすく報じるべきなのだ。例えば働き方改革関連法案について、なぜそれが与野党の対決法案になっているのか、野党は何に反対しており、政府与党はどう答えているのか、論点に即したわかりやすい報道がもっと必要だった。
 そういう報道があれば、危ない法案が成立しそうになったときに、世論の力で止めることができる。論点に即した報道がなければ、市民が問題点に気づかないまま法案が成立してしまい、後から問題点を知ることになる。それでは遅いのだ。なのに多くの場合、与野党対決法案は、日程闘争や採決の場面での混乱ばかりがクローズアップされる。政局にならなければ大きく報道しないというのであれば、報道がみずから権力を監視し、警鐘を鳴らすという役割を果たせない。

 政治ニュースを見ていると、まるで将棋の対局記事を読んでいるような気になる。

 逃げ切り、詰め手を欠く、迫った、決定打を欠いた、攻撃、善戦、対決姿勢……。

 いやいや。そもそも全国会議員って個人でしょ。政党や党派に属していても、最終的には個人個人が議員なわけじゃん。
 プロ野球選手は「ジャイアンツの長嶋」だからいついかなるときでもチームのために行動しなきゃいけない。ジャイアンツをやめてフリーのプロ野球選手でやっていくわけにいかないし。
 でも国会議員はそうじゃない。所属する政党の方針に背いてもいいし、党を抜けたって国会議員を続けられる。

 だから党単位で語ること自体がそもそもおかしいんだよね。


 政治の中身ではなく政局の話ばかりになるのは、政治記者がわかってないからなんだろうな。

 だって政策のことをちゃんと書くのはたいへんだもん。

 プラスチックごみ袋を有料化したことで、本当にプラごみが減ったのか、それとも個包装が増えてかえって増えたのか、減ったとしたら環境にどれだけの影響が見込めるのか、代わりに増えたものがないか。
 そういうことを調べるのはすごく面倒だ。

 でも「野党は反発した」なら、寝そべってテレビで国会中継を観ているだけでも書ける。

 小学生にだって「ああこの人はあの人の発言に納得してないんだな」ってわかる。何が問題なのか、どういう歴史背景があるのかはわからなくても、「野党は反発」はわかる。


「将棋のルールを知らないのに将棋担当になってしまった記者」みたいなものだ。

 どういう戦術をとっているのかとか、今の手にどんな意味があるのかとか、序盤の手が終盤にどう効いてくるのかとか、棋士同士にどんな因縁があるのかとかは書けない。ルールも戦術も歴史も知らないから。

 でも棋士が首をかしげたとか、お昼ごはんに何を注文したとか、悔しそうな顔を浮かべたとかは素人でも書ける。目の前の光景さえ見ていればわかるから。


 だから政局の話ばかり書くんだろうね。嘘じゃないし。はい、いっちょあがり!




 報道はしっかりせい、というのもわかる。

 でもぼくは報道機関にそもそも期待をしていない。
 もし自分が報道機関にいたら、と考えればわかる。

 苦労して地味な記事を書くより、国会中継を見て「与野党の対決」系の記事を書くほうがずっと楽でずっと話題になるんならそっちを選ぶ。
 自分が怠惰な人間なのに、記者だけは社会正義のために身を粉にして働けという気はない。

 だから新聞ちゃんとせいとか記者はがんばれとかいう気はない。そんな権利ないし。
 ぼくにあるのは「新聞を読まない」権利だけ。だから購読していない。購読していないからえらそうなことは言わない(NHKに関しては受信料を払っているスポンサー様なので文句を言いたいが)。

 ただまあ報道は社会の木鐸だ、みたいなウソはやめてねとおもうだけだ。営利目的の私企業なんだから、社会正義を司る特権階級みたいな顔すんなよとおもうだけだ。新聞社は軽減税率を呑むなよ、とおもうだけだ。

 週刊文春が喝采を浴びるのは、社会の木鐸とかジャーナリズムとか言わないからなんだよね。軽減税率適用外だからなんだよね。


 ぼくは、政治が悪いのは報道のせいとはおもわない。しょせん私企業が営利目的でやっている報道にそんな力はない。

 問題があるとしたら、司法だとおもっている。上の顔色をうかがって仕事をしない司法機関だけは許せない。社会のゴミクズだとおもっているよ。
 マスコミなんかどうでもいいからみんなもっと腐った司法を非難しよう。


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