2020年7月15日水曜日
作者の人生を投影するな
純文学は作家そのもの、みたいな扱いされるじゃない。
作品から「作家の人生を乗せたもの」「魂を込めたもの」を読み取ろうとするでしょ。
「漱石が『こころ』を執筆した背景には私生活で〇〇だったことがある」
「幼少期のこの経験が太宰に『斜陽』を書かせることになった」
とか。
そりゃあ作者に起こったどんな出来事だって「作品にまったく影響を与えてはいない」とは言い切れないけど、考えすぎじゃない?
エッセイや自叙伝、私小説ならまだわかる。
でもフィクション作品は作者とはぜんぜん別の存在だろう。
たとえばさ。
メガネを見て、
「このフレームは小学生のときに都会から田舎に引っ越していじめられた職人にしか出せないしなりぐあいだ」
なんて言う?
言わないよね(もしメガネ業界で言ってたらごめんなさい)。
「このときトヨタは労働組合の力が弱まっている時期だった。この時期に発表されたカローラのボディのラインの自身の無さにはデザイナーの[唯ぼんやりとした不安]が投影されている」
なんて品評もしないよね?
「作品は作者の子どものようなものだ」という人もいるが、子どもだって親とは別人格だ。
子どもを見て親の内面を推しはかろうだなんておこがましい。
他のジャンルはどうだろう。
たとえば絵画。
絵画も人生と重ねられやすい。
このときのゴッホの心境が……なんて言われる。
しかしイラストや漫画だと、基本的に「作品=作者の全人生」にはならない。
たとえば『コボちゃん』なんて40年近くも連載していて植田まさし氏のライフワークと言ってもいいぐらいの作品だけど、コボちゃんから植田まさし先生の心情や人生を読み取ろうとする人はまあいない。
作品は作品、作者は作者だ。
書道や生け花、陶芸のような「芸術」作品は、作者と同一視されそうな気がする。
かといってダンスなんかは、そこで語られるのはあくまでパフォーマンスの良し悪しだ。
その裏に演者の人生そのものまでは見いだされないんじゃないかな。
でも落語だと「古今亭志ん生の生きざまが芸に表れている」なんてことを言われる。
ボーダーがよくわからない。
音楽はどうだろう。
シンガーソングライターの場合はわかりやすい。
尾崎豊や中島みゆきやさだまさしの歌には歌い手の全人生が投影されている、ような気がする。
でもまあこのへんは人によるな。
作詞作曲とボーカルが異なる場合は、まず作者の人生を投影しない。
秋元康が手がけたAKB48の曲を聴いて「この曲のBメロには秋元先生の学生時代にモテなかった記憶が濃厚に表れている」なんてことはふつう言われない。
またアイドルの歌にはアイドルたちの心情がある程度は表出しているのだろうが、それはあくまで「表現」だ。「人生そのもの」とまでは言われない。
芸術品であっても、「作品=作者そのもの」となるかのボーダーは微妙だ。
工芸品であっても人生が投影されるものがある。
たとえば仏像。
仏師の生き様みたいなものが仏様に宿りそうな気がする。
仏像にかぎらず、イエス像でも日本人形でも、手作りの人形は作者の全霊がこもっていそうにおもえる。
もしかしたらイスラム教が偶像崇拝を禁止しているのは、それがアッラー以外の存在(作り手)への崇拝につながるからかもしれない。
しかし人形でも作者の人生が投影されては困るものもある。
ラブドール(ダッチワイフ)とか。
人形に制作者のおじさんの人生が感じられてしまったら台無しだ。
料理もいやだな。
料理人がこれまで歩んできた人生や過去のトラウマなんかが料理に投影されているとおもったら食欲がなくなる。
距離の問題かもしれないな。
ちょっと距離を置いて鑑賞するものは、作者が投影されていてもかまわない。
でも近いものはいやだ。
口に入れるものと身につけるものとかは、作者が投影されてほしくない。
「開発職の人たちがこれまでの人生すべてを注ぎこんだ医薬品」とか、めちゃくちゃ効きそうだけど、効きすぎそうで逆にいやだもんね。
2020年7月14日火曜日
不登校
娘の保育園からの友だち、Sちゃん。
小学1年生なんだけど、もう不登校になった。
うちの娘と仲良しで、3歳から家族ぐるみで親しくしてきたので、不登校になったと聞いて心が痛い。
■ Sちゃんについて
- 女の子。3歳下の妹がいる。
- 受験をして難関私立小に入った。
- 活発、明るい、おしゃべりが上手。同世代の子と比べて確実に頭の回転が速い。走るのが大好き。好きな遊びはけいどろ。
- 受験のための塾通いは嫌がってた。遊べなくなるから。でも塾で褒められたことは嬉しそうに話していた。
- 受験も嫌がってた。「みんなと違う学校だから行きたくない」と言っていた。でも「おもちゃ買ってあげる」に釣られて受験したらしい。そのへんはしょせん子ども
- 入試に合格したときは喜んでいた。努力が評価されたことが純粋に嬉しかったんだと思う。
- コロナで入学式が延期になり、学校が始まって約1ヶ月。ここ1週間は毎日「行きたくない」と泣いているらしい。友達ができていないわけじゃないけど「勉強したくない」「家にいたい」「宿題したくない」「給食がいや」などと言っているらしい(小1なので行きたくない理由をうまく言語化できてないんだろうけど)。
- でも公園とかで会うと元気。うちの子と一緒に楽しそうに遊んでいる。
■ Sちゃんの両親について
- 二人とも明るくていい人。知り合いみんなから好かれているような家族。
- いわゆるお受験ママタイプとはぜんぜん違う。テレビばっかり見せてるし夜ふかしもさせるしおもちゃもいっぱい買い与える。むしろ甘やかしすぎでは?と思うぐらい。
- 元々は受験も考えてなかったみたい。Sちゃんが三歳ぐらいのときは「お受験なんて~」と言っていた。たまたま友達に誘われてSちゃんに模試を受けさせたらものすごい好成績で、それから火がついたみたい。はじめは「うちなんかぜんぜん勉強させてないから絶対無理だけど、まあ記念だと思って〜」って言ってたのに、受験が近づくにつれて目の色が変わっていったのがちょっと怖かった。塾の洗脳すげえって傍から見ていて思った。
- おとうさんのほうは「ぼくは公立でのびのび育てたいんですけどね。でも奥さんがやる気になっちゃって……」と言っていた。でもやっぱり受験が近づいたら目の色が変わった。
■ 推測する原因
不登校の原因なんて明確にひとつに決まるようなもんじゃないんだろうけど……。
でもまあ、最大の原因は「本人の意向を無視して私立小に入れた」だろうね。
保育園のみんなが同じ小学校に行って、自分だけ違うのがつらいんだろう。
しかも自分で選択したわけではなく、半ば親に強引に入れられたようなものだから(まあ小学校受験なんてみんなそんなもんだろうけど)。
きちんと納得させずに「おもちゃ買ってあげるから」で釣ったのはよくなかったよなあ、とおもう。
でもそんなことはSちゃんの親も十分わかってるだろうし、今さら言っても仕方がない。
「じゃあ転校させよう」ってかんたんにはできないだろうし。転校させたって解決するとはかぎらないし。
この状態が続くのであれば公立校へ転校させるしかないんだろうけど。
あと、本来ならオリエンテーションとか遠足とか新入生同士が仲良くなるイベントがあったのに、コロナ騒動で全部流れたのも原因のひとつかも。
授業時間に余裕がないから、学校になじむ前に授業が進んでいっちゃうんだよね。
■ 言いたくなること
傍から見ていて、Sちゃんのご両親に言いたくなることはいくつかある。
よその家庭のことなんで、言えないけど。
こっちだって子育ての正解を知っているわけじゃないしさ。
- 学校に行くことありきで話が進んでる
それを聞いてぼくは「そういうとこじゃないの」とおもった。
そりゃあ学校に行ってくれることがベストな解決方法なんだけど。
でもSちゃんの両親にとっては学校に行くことが唯一のゴールになっている。
「学校に行かずにしばらく家で過ごしてみる」とか「週に一回ぐらいはサボってもいいことにする」とか「宿題だけはサボってもいいことにする」とか、いろんな選択肢があったほうがSちゃんは楽になるんじゃないのかな、とおもう。
プール(2教室)、サッカー、バレエ、ダンス(2教室)、そろばん、体操、絵画、英語教室。ぼくが聞いてるだけでもこれだけ。他にもあるのかもしれない。
Sちゃんがちょっとぐずったらやめさせてハイ次の習い事!みたいな感じだった。
いろんなことに挑戦させるのはいいけど、もうちょっと腰を据えて続けさせないと資質も何もわからないんじゃない?とおもっていた。
不登校と関係あるかわからないけど、ひょっとしたら「ぐずればやめられる」という意識を持たせることになっちゃったのかもしれないな、とおもう。
「Sの受験で疲れたしお金もかかったから、妹のほうは受験やめとくわー」
と言っていた。
えっ、それ、Sちゃんからするとすごくつらいんじゃないのかな……。
自分は行きたくない塾に行かされて友達とも離ればなれになったのに、なんで妹は受験させないのー!ってなるんじゃないだろうか……。
で、妹は妹で、将来なんで自分だけ受験させてもらえなかったのかと思うんじゃないだろうか……。
……と、傍から見ていて「そういうとこ良くないんじゃないですかね?」と言いたくなるところはいくつもあったんだけど、今さら言ってもしょうがないし、親同士の関係にひびが入るのもイヤなので黙っておく。
「よそのおっさんとして不登校の子のために何かしてやれることはないか?」とおもう。
正直、不登校を解決するのはよそのおっさんの仕事じゃない。
よそのおっさんにそんなことできないし、できたとしても親をさしおいてよそのおっさんが出しゃばるわけにはいかない。
よそのおじさんにできることなんかたかが知れてる。
でも、よそのおじさんだからこそできることもあるんじゃないかな。
なんか気の紛れることをしてやりたいなーと思う。
何をしてあげたらいいんだろうか。
それとも何もしないほうがいいんだろうか。
そりゃあ学校に行ってくれることがベストな解決方法なんだけど。
でもSちゃんの両親にとっては学校に行くことが唯一のゴールになっている。
「学校に行かずにしばらく家で過ごしてみる」とか「週に一回ぐらいはサボってもいいことにする」とか「宿題だけはサボってもいいことにする」とか、いろんな選択肢があったほうがSちゃんは楽になるんじゃないのかな、とおもう。
- 習い事を次々に変えていた
プール(2教室)、サッカー、バレエ、ダンス(2教室)、そろばん、体操、絵画、英語教室。ぼくが聞いてるだけでもこれだけ。他にもあるのかもしれない。
Sちゃんがちょっとぐずったらやめさせてハイ次の習い事!みたいな感じだった。
いろんなことに挑戦させるのはいいけど、もうちょっと腰を据えて続けさせないと資質も何もわからないんじゃない?とおもっていた。
不登校と関係あるかわからないけど、ひょっとしたら「ぐずればやめられる」という意識を持たせることになっちゃったのかもしれないな、とおもう。
- 妹の扱いとの差
「Sの受験で疲れたしお金もかかったから、妹のほうは受験やめとくわー」
と言っていた。
えっ、それ、Sちゃんからするとすごくつらいんじゃないのかな……。
自分は行きたくない塾に行かされて友達とも離ればなれになったのに、なんで妹は受験させないのー!ってなるんじゃないだろうか……。
で、妹は妹で、将来なんで自分だけ受験させてもらえなかったのかと思うんじゃないだろうか……。
……と、傍から見ていて「そういうとこ良くないんじゃないですかね?」と言いたくなるところはいくつもあったんだけど、今さら言ってもしょうがないし、親同士の関係にひびが入るのもイヤなので黙っておく。
■ よそのおっさんとして
「よそのおっさんとして不登校の子のために何かしてやれることはないか?」とおもう。
正直、不登校を解決するのはよそのおっさんの仕事じゃない。
よそのおっさんにそんなことできないし、できたとしても親をさしおいてよそのおっさんが出しゃばるわけにはいかない。
よそのおじさんにできることなんかたかが知れてる。
でも、よそのおじさんだからこそできることもあるんじゃないかな。
なんか気の紛れることをしてやりたいなーと思う。
何をしてあげたらいいんだろうか。
それとも何もしないほうがいいんだろうか。
2020年7月13日月曜日
あゝゴーテル
ディズニー映画の『塔の上のラプンツェル』にはゴーテルという魔女が出てくる。
こいつは生まれたばかりのラプンツェルをお城からさらい、ラプンツェルを塔に幽閉して誰にもあわせないようにし、さらにラプンツェルが塔から逃げた後も嘘をついたり、ラプンツェルの恋人を拉致させたりする。
……と聞くとずいぶん悪いやつだとおもうよね。
じっさい、映画の中では純粋な悪役として描かれている。
だけどぼくには、ゴーテルが悪いやつだとはどうしてもおもえないのだ。
もちろん『塔の上のラプンツェル』の世界の法律がどんなものか知らないけれど、現代日本の法感覚でいえば、ゴーテルは悪ではないとおもう。
映画を観たことのない人のために説明すると、ゴーテルがラプンツェルをさらったのにはこんな経緯がある。
どんな病気も治す金色の花の力で、ゴーテルは何百年も若さを保っていた
↓
だが妊娠中の王妃の病気を治すために金色の花がお城へと持ち去られてしまう
↓
その王妃が産んだのがラプンツェル。ラプンツェルは生まれながらにして金色の花の力を宿していた。
↓
ゴーテルはお城にしのびこんで赤ん坊のラプンツェルをさらい、塔に閉じこめて育てる
つまりだね。
まずはじめの数百年、ゴーテルは何も悪いことはしていないわけだ。
ふしぎな力を持った花を見つけ、それを自分のために使っていただけ。
たしかに花の力を他人のために使わずに花の力を独占した。強欲といえるかもしれない。
でも強欲それ自体は罪じゃない。自分の力で手に入れた財産を自分のために使うのは何も悪くない。
そしてゴーテルは大切な花を持ち去られる。
ここでのゴーテルはむしろ被害者だ。大切な財産を盗まれたのだから。
しかもその花の力がないと、ゴーテルは死んでしまうのだ(花の力で本来の寿命以上に生きてきたから)。
言ってみたら、人工透析を受けている患者が透析装置を盗まれるようなものだ。
必死で取り返そうとするに決まっている。
かわいそうなゴーテル。
お城に忍びこんだゴーテル。
だが花はない。代わりに、花の力を宿す赤ちゃん(ラプンツェル)が眠っている。
ゴーテルはラプンツェルを連れ去る。
これはいけない。
不法侵入および誘拐だ。刑法犯罪である。
だが情状酌量の余地はある。なにしろゴーテルにしたら生命の危機なのだ。
刃物を持った不審者に襲われたから他人の家に飛びこんだようなものだ。これを不法侵入で裁くのはあまりに酷だ。
日本の刑法37条1項には
とある。
いわゆる緊急避難条項だ。
明らかに「お城に忍びこむ」は「命を落とす」よりも害の程度が小さい。だから今の日本の法律に照らすのであれば、ゴーテルがお城に忍びこんだことは大した罪ではない。
「乳児の誘拐」は「お城に忍びこむ」に比べればずっと重い罪だが……でもやっぱり「命を落とす」に比べれば害が小さい。
しかもゴーテルはラプンツェルをさらった後、十数年も大事に育てているのだ。
なにしろ十八歳のラプンツェルは、健康で元気で明るく優しく勇敢な女性に成長しているのだ。これはゴーテルが大事に大事に育ててきたことの証左といっていいだろう。
たとえ自分の若さと美貌と生命を保つためだったとしても、よその子を十八年も育てるなんてなかなかできることではない。
たしかに『塔の上のラプンツェル』の中で、ゴーテルは“子どもの話をまともに聞かない身勝手な育ての親”として描かれる。
だが子どもの話を適当に聞き流すことが罪なら、世の中の親の大半は犯罪者ということになってしまう。
つまりだね。
ゴーテルのやったこと(不法侵入と誘拐)はたしかに悪いんだけど、十分に同情の余地はあるとおもうんだよね。
この件が我々に投げかけるのは、
という問いだ。
これに「それでも誘拐はいけない」という人には、こう尋ねよう。
これだと「殺せない」という人が多いだろう。
A)と B)の選択で得られる結果は、じつはどちらも同じだ。
「乳児がさらわれずに女性が死ぬ」か「女性が助かって乳児がさらわれる」
そう、これはトロッコ問題なのだ。
どちらが正解ということはない。
ということで、「ゴーテルを救うか、ラプンツェルの誘拐を防ぐか」というのは倫理学的にはかんたんに答えを出せない問題なのだが、ディズニーはあっさり答えを出している。
「最後はゴーテルが砂になってしまい、ラプンツェルが両親のもとに帰ることができました。めでたしめでたし」
という形で。
観客に納得させるために
「若く美しいラプンツェル」「娘の行方を案じて胸を痛める王と王妃」「強欲で計算高い魔女であるゴーテル」
という描写をすることで。
しかしやっぱりぼくはゴーテルに同情してしまうのだ。
彼女のやったことは褒められたことではなかったけど、誰からも憎まれる悪役として描く必要はあったのだろうか、と。
願わくば『マレフィセント』のように、ゴーテルの苦悩がある程度は報われるアナザーストーリーを用意してあげてほしい、と。
ゴーテルには、姉の子ども達のためにパンを盗んだ罪で19年も服役させられたジャン・ヴァルジャンにも似た悲劇性がある。
あゝ無情。
2020年7月10日金曜日
ツイートまとめ 2019年11月
鳩
うちの1歳児、最近やたらと食べ物や飲み物を床にぶちまけるのが好きなんだけど、あれはきっと大人たちがあわてて駆け寄ってくるのが楽しいんだろうね。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 1, 2019
エサまいたら鳩がいっせいに集まってくるのを見て楽しむ感覚。
弟妹
弟妹の悲哀— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 1, 2019
弟/妹「〇〇行ってみたいー!」
母「あら、そこなら昔連れていったことあるよ」
弟/妹「えっ、うそ? いつ?」
母「あんたが1歳のとき」
弟/妹「し ら ん が な !」
アクエリアス
ぼくがアクエリアス飲むのは風邪ひいたときだけなので、アクエリアス飲むと体調が悪くなるような気がする。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 5, 2019
よちよち
よちよち歩きをできるようになった次女が小さな手でぼくの指をにぎって歩いてゆくのはとても愛らしいのだけれど、必ず玄関に連れていってから手を離すので「出ていけ」と言いたいのかもしれません。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 5, 2019
読書家の条件
同じ本を二冊以上買った経験のないやつに「本好き」を名乗る資格はない。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 6, 2019
歯みがき
高校生のとき友人Kが— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 6, 2019
「朝時間がないとき、家を出る直前にはみがきをすると、どうしてもはみがきが適当になる。だからおれは先にはみがきをして着替えを最後にする。着替えずに家を出るわけにはいかないから、これならはみがきも着替えもちゃんとできる!」
という持論を掲げて、結果毎日遅刻してた。
ワイドショー
「なんでワイドショーは〇〇とか□□とかのくだらない話題ばかりやるんだ」— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 8, 2019
だと? おまえが観てるからだよ!
近鉄のほうの
ぼくが大阪に来ていちばん「大阪だなあ」と感じたのは、いまだに近鉄バファローズの帽子をかぶってるおじさんを一日に二人も目撃したときです。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 8, 2019
[ctrl]+[z]
[ctrl]+[z](元に戻す)もありがたいが、欲を言えば— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 8, 2019
「13~15個前の操作は元に戻すが、12個前までの操作は元に戻さない」
が欲しい。
桜を観る会
金額の多寡や招待客数の問題にしたらあかん。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 11, 2019
選挙支援者に1円でも渡したらアウト。額を減らせばすむ話やない。
ほんと、これを許したら政権倒す道はクーデターしかなくなるで。
「イヤなら選挙で落とせばいい」が通用しなくなるねんから。
サッカーでいうなら、モリカケは足ひっかけたり服をひっぱったりするプレー。悪質ではあるが審判(有権者)が笛を吹かなければ続行。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 11, 2019
でも支援者を接待するのは審判に金を渡すようなもん。退場どころか永久追放にせなあかん問題。
選挙人を買収したあげく嘘をついてその座にしがみついてる首相が、投票者を買収したり嘘をついたりして招致したオリンピックで挨拶することになるのか?— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 25, 2019
ある意味ふさわしい人物だけど。
「桜を見る会やっても野党の支持率は上がらないぞ!」って言ってる人(橋下氏とか)は、— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 29, 2019
「目先の人気取るより政治の不正を正すほうが大事」って人の考えが理解できないんだろうね。
自分含め、周囲に権力欲しさで政治屋やってる人間しかいないから。
証拠隠蔽に加担してる国家公務員ども、まさか自分は「命令されてやりたくないことをやらさせてる被害者」だと思ってないだろうな?— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 29, 2019
100%加害者だぞ。告発しないかぎりは共犯者だぞ。
東京裁判で昭和天皇は罰を課せられずに実行犯たちが処刑されたの知らんのか?#桜を見る会
ティッシュ配り
道端でティッシュやチラシを配ってる人、道路の中央にまで出てきて通行のじゃまになってるような人だと「おまえからはぜったいもらわん!」と受け取らないようにするんだけど、かといって遠慮がちに道路の隅っこに立っている人だと「わざわざもらいにいくのもな」とおもって結局受け取らない。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 12, 2019
イクメン
イクメンと呼ばれて喜ぶのはイクメンじゃない男だけ。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 13, 2019
寿命
「タバコ1本で寿命が5分縮む」って話を聞いたんだけど、タバコ買ったり火つけたり吸ったり吸い殻始末したりしてたら1本につき5分ぐらいかかるだろうから、まあ妥当じゃない?— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 13, 2019
おねがい
首を洗って待っててね〜☆— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 13, 2019
ねえねえ、おねがい!— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 13, 2019
おねがいだから、耳をそろえて払ってよね☆
居場所
よく行く古本屋に「10代の子の居場所になるような店にしたい」ってあちこちに書いてある。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 14, 2019
気持ちはわかるんだけどそれは言ったらあかんやつや。
自分が10代のとき、大人が「ほらここが君たちの居場所だよ~。君たちこういうの好きでしょ~」って用意した場所に行きたいと思ってたか?
ずる
個人的には、政治家はずるがしこいぐらいのほうがいいとおもっているんだけど、ずる頭わるいやつが多いんだよな。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 14, 2019
内の臓
ほんとうに大切なものは目には見えないんだよ。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 14, 2019
胃や腸とか。
肝臓とか。
あと膵臓とか。
システム
魔王「ぐわぁぁぁぁ! やられた……。だが喜ぶなよ……。私が死んでも必ず第二、第三の魔王が現れるはず……。それを防ぐには三権分立が必要だ……。特に司法は独立性を高め、権力の行使が適正であるかどうかを常にチェックし権力の暴走を止めるシステムの構築が急務だぞ……」— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 14, 2019
ひったくり
こないだ駅に白杖ついた人がいたから— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 18, 2019
「道案内しますよ! あっ、荷物持ちます!」
って言ってカバンひったくろうとしてめちゃくちゃ警戒させてしまってごめんなさい。
鏡の世界
娘が遊園地の「鏡の迷路」に入っていったとき、— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 18, 2019
「鏡の迷路から出てきた娘のホクロの位置が左右反対になってたらめちゃくちゃ怖いな」
と想像した。
本物の娘は鏡の世界に閉じこめられてて、両親は気づかずに鏡の世界の娘を連れて帰る……。
鬼畜の所業
ドラクエとかでモンスター倒すと薬草落とすことがあるけど、モンスターしばいて金を奪ったあげく、ケガを治す薬草まで奪っていくなんて鬼畜すぎる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 19, 2019
阪急宝塚線
阪急宝塚線には、服部天神、中山観音、売布神社、清荒神と神仏が入る駅名が4つある。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 19, 2019
天神さん(菅原道真)、仏教の観音さん、アメノワカヒコ(日本神話に出てくる神)、荒神さん(竜の神)と祀ってあるものもバラバラの多神教路線。
デッドノート
なにかの拍子に社会科のノートがデスノートに入れ替わっていたとしても、書くのは既に死んでいる人の名前ばかりだから気づかないかもしれない。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 19, 2019
ヨ
娘が「STEP」という文字を「えす、てぃー、よ、ぴー」と読んでいた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 20, 2019
Eとヨをまちがえるのはわかるが、それにしてもちょっとぐらい文脈読めよ。
アナ雪2
アナと雪の女王2観てきた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 23, 2019
ヒトカゲが出てきた。
働き方改革
NHK『ルソンの壺』の働き方改革特集で「給料高くて残業多い」と「給料下がるけど残業なし」のどっちがいい? ってやってるけどそもそも問いの立て方がおかしい。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 23, 2019
それどっちも同じ働き方じゃん。
残業減らしても給料同じ、または給料増えるようにするのが改革でしょうよ。
いろいろ
姪とその友だちを大学の学祭に連れていった。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 24, 2019
いろいろあって、姪の友だちにコオロギを食べさせられた。
省略
「部落」や「風俗」って本来プラスでもマイナスでもない言葉なのに、「(被差別)部落」や「(性)風俗」という省略話法が広まりすぎたせいでふつうに使えなくなってしまった。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 27, 2019
耐え難きを耐え
日本人は政治がどれだけ腐敗して自分たちの生活が苦しくなっても愚痴を吐きながら受け入れる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 27, 2019
だが外国人労働者は団結して抗議し、権利を主張し、地位の改善を求め、法を変えさせる。
気づいたときには日本で貧困にあえいでいるのは日本人ばかり……という未来がくるんじゃないかと本気で思う。
おれバカだから
無知なふりして核心をつかない人— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) November 27, 2019
「おれバカだからわかんねえけどよ……。桜を見る会よりもっと大事なことあんじゃねえのか? ……はあ……総理大臣が法律に違反……税金で……私物化……証拠を隠蔽……なるほど……たしかにそりゃいけねえな。大事なことだわ。おれバカだからわかんねえけどよ……」
2020年7月9日木曜日
【読書感想文】サイゼリヤのような小説 / 道尾 秀介『笑うハーレキン』
笑うハーレキン
道尾 秀介
子どもを亡くし、妻と離婚し、家具製作の会社を倒産させてしまった主人公。ホームレスとなり、川原で生活しながらトラックひとつで家具修理を請け負い細々と暮らしていた。
だが素性の怪しい女が弟子入り志願してきたり、ホームレス仲間が謎の死を遂げたり、かつての取引先社長と元妻が仲良くしているのを目にしたり、明らかに怪しい家具修理の依頼があったりと次から次へと妙なことに巻きこまれ……。
と、次から次にいろんな出来事が起こるので読んでいて退屈しない。
いろいろ伏線があるけどちゃんと回収されて、収まるべきところに収まる。
エンタテインメントとしてすばらしい出来。
疫病神が見えたり、怪しさ満点の人物が現れたりとリアリティには欠けるものの、それもまた気楽に楽しむ上ではプラスかもしれない。あんまり深刻にホームレス生活を描かれても楽しくないもんな。
本筋はもちろん、家具修理の描写やたびたび引用される名言など、飽きさせない工夫が随所に散りばめられていて、作者の旺盛なサービス精神が感じられる。
……といった感想を書いたら、もう書くことがなくなった。
だいたいもっといろいろ書きたくなるんだけど、『笑うハーレキン』に関してはこれ以上特に言いたいことはない。
なぜなら、ちゃんとおもしろかったから。
サイゼリヤの料理みたいな感じかな。
ぼくはサイゼリヤによく行くんだけど、いついっても同じ味。いつもおいしい。
でもクセになる味というわけでもない。誰が食べても八十点をつけるような味。
だから「おいしかった」「この安さなのにおいしい」という以外の感想は出てこない。
もちろん、客としてはサイゼリヤにそれ以上のものは求めてない。安くておいしかったら満点だ。
『笑うハーレキン』もそんな感じだった。
徹底したエンタテインメント。きっと誰が読んでもそこそこ楽しめる。
めちゃくちゃ感動することも、すごくイヤな気持ちになることもない。
そういう本って感想を書くのがむずかしいんだよね。
「おもしろかった」としか言いようがないから。
で、一ヶ月もしたらどんな内容だったか忘れちゃうんだろうな。
でもそれでいい。それがいい。
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