2020年7月6日月曜日
むだ泣き
うちの次女(一歳八ヶ月)は“むだ泣き”をしない。
泣くことは泣くが、おなかがすいたとかだっこしてほしいとかまだ寝たくないとかそれなりの理由があって泣く。
「ただなんとなく機嫌が悪くて」のようないわゆる“むだ泣き”はぜんぜんしない。
もっとも「むだ」というのは大人から見ての「むだ」であって当人にとってはむだじゃないんだろうけど。
それにしたって特に要求もないのに泣くのはエネルギーの無駄づかいだ。
むだ泣きをしない次女。
かしこいなあ、とおもう。親なのでなんでもかしこく見えるのだ。
毎朝、ぼくが保育園に送っていくのだが、家を出るときに泣く。
「おかあさんと離れたくない」ということだろう。
でも、おかあさんの姿が見えなくなったらぴたっと泣きやむ。
これ以上泣いてもしかたないと知っているのだろう。
保育園に預けてぼくが別れを告げると大泣きする。
毎日後ろ髪を引かれながら仕事に向かっていたのだが、あるとき忘れものに気づいて引き返したら、もう泣きやんでいた。その間わずか三十秒。
ぜんぜん後ろ髪引かれる必要なかった。
訴えたいことがあるときは泣くが、訴える相手がいなくなったら泣かない。
要領がいい。
その点、長女は要領が悪い。
ちょっとしたことで機嫌を損ねて、ずっとぐずぐずする。
怒りの相手がいなくなってもすねている。
友だちと遊ぶときに、長女はかくれんぼをしたいという。友だちはおにごっこがいいという。
なんとはなしにおにごっこがはじまってしまう。長女はふてくされる。
そこまではわかる。
ところが、その後「じゃあ次はかくれんぼしよっか」となってもまだすねている。
我が子ながら、アホなんじゃないの、とおもう。
今すねてもいいことなんかいっこもないじゃん。
また、言ってもどうにもならないことをずっと引きずっている。
長女が「〇〇食べたかった!」と怒ったときに、
こちらは「ごめん、もうないわ。また買ってあげる」とか「〇〇はないけど××ならあるよ。いる?」とか言ってなだめるのだが、一度おへそを曲げたらなかなか直らない。
ないものはどうしようもないのだから、代案を引きだせただけでよしとしたほうがいい。
そこで「いやだ! 〇〇がいい!」と強情をつらぬくせいで、「じゃあもう食べなくていい!」と言われ、「また今度買ってあげる」も「代わりの××」も手に入らなくなる。
つくづく損なタイプだ。
よく「きょうだいの上の子は要領が悪く、下の子は要領がいい」と言われるが、その典型だとおもう。
まあ下の子はまだ一歳なのでこれから性格も変わっていくのだろうが。
周囲を見ても、やっぱり
「上の子は要領が悪く、下の子は要領がいい」
ケースが多い。
娘の友だちのSちゃんには、二歳下の妹がいる。
この妹、すごく要領がいい。
電車に乗ると、すぐに寝る。
移動時間は退屈だと知っているのだ。
到着したらぱちっと起きて元気いっぱい遊べる。
おねえちゃんと喧嘩をすると怒るが、直接抗議しない。
言ってもむだだと知っているのだ。
代わりに、大人に抗議する。
「ねえねが〇〇したー!」と。
そうすると大人が姉を叱ったり、「代わりに〇〇しよっか」と優しくしてくれたりすることを知っているのだ。
大人に怒られてもむくれない。
逆に、にこっと笑う。
子どもの笑顔を見せられると、大人はそれ以上強く叱れない。
すごい。
齢四歳にしてもう世の中の立ち回り方を心得ている。
計算ではなく、自分より大きい人たちに囲まれて過ごすうちに自然に身についたのだろう。
「怒ってもしかたのないことには怒らない」
「言ってもむだな人には言わない」
「怒られているときこそ笑顔」
これだけで、ずいぶん楽しい人生を送れるとおもう。
ぼくも一歳児と四歳児を見習わなくては。
2020年7月3日金曜日
【読書感想文】本気でぶつかってくる教師は気持ち悪い / 三浦 綾子『積木の箱』
積木の箱
三浦 綾子
中学三年生の一郎は、姉と思っていた奈美恵が父に抱かれているところを目撃してしまい、父の愛人であったことを知る。
世間的には資産家でありながら篤志家として評判のいい父親のことを尊敬していた父親とが愛人を家に住まわせていたこと、さらに母や実姉もその事実を知りながら何食わぬ顔で生活していることに大きなショックを受けた一郎。
その一郎が意欲に燃える若い教師と出会って心を開いて……ゆかない。
これがいい。
教師はすごく親身になって一郎のことを心配し、あの手この手で一郎を立ち直らせようとする。だが一郎はかえって教師に対して反発をおぼえる。
そうなんだよね。中学生ってこんなもんだよな。
優しくて正しくてまっとうなことを言う教師にはかえって反発するもんなんだよな。むしろちょっとやさぐれた大人のほうが誠実であるように見えたり。
テレビドラマみたいに単純なもんじゃないよね。
本気で生徒のことを考え、本気で生徒のことを叱り、本気で生徒を守ろうとする教師って、中学生からしたらいちばん気持ち悪い存在だもんな。
後になったら「いい先生だったなあ」とおもうかもしれないけど、ぼくが中学生のときのことを思いだしてみたらそのときは気持ち悪いとおもうだろう。
本気でぶつかってこないでくれ、と。
三浦綾子氏は教師をしていたというだけあって、思春期の男の気持ちをよくわかっている。
自分の性欲を持てあましながら他人には潔癖さを求めてしまうこととか、勝手に大人に期待して勝手に傷つくところとか、すごく男子中学生っぽい。
昔も今も、中学生の生態って変わってないんだなあ。
父親が愛人を囲っていることを知る……。
大人になった今なら、ショックは受けても「まあ親父だって男なんだからそんなこともあるかもな」とある程度は受け入れられるかもしれない。
しょせん親だって自分とはちがうひとりの人間だし、と。
しかし思春期の子どもにはそうかんたんに抱えきれない問題だろう。
高校生のとき、同じクラスの女の子としゃべっていたら、ふいに
「うちの親、もうすぐ離婚すんねん」
と言われた。
どんな流れだったかはおぼえていないが、突然放りこまれた言葉だった。
驚いたぼくは何も言えなかったが、彼女は
「父親がよそに女つくって、出ていくみたいやわ」
と勝手に続けた。
表情にも声の調子にも、感情は表れていなかった。完全な「無」だった。
その「無」に、ぼくは彼女の激しい怒りを見た。
内心では憎しみとか悲しみとか失望とかいろいろあったんだろうけど、たぶんそういう感情では乗り越えられなかったんじゃないかとおもう。
だから感情に固く蓋をして、「父親が浮気をして妻子を捨てて出ていく」という事実を遮断した。
そんな感じの声だった。ぼくが勝手に感じただけだけど。
うちの六歳児を見ていると、まだ親は自分の一部なんだろうなあと感じる。
親が自分のおもうとおりに動いてくれないと怒る。まるで自分の手足がおもうように動かないみたいにいらいらする。
ぼくも子どもを失望させないように気を付けなければ。浮気をするなら子どもが親と完全に分離してから(そうじゃない)。
小説の主題とはあんまり関係ないけど、数十年前の教師の姿の描写がおもしろかった。
生徒の保護者が教師に贈り物を渡したり(それもけっこう高価なもの)、教師のほうも堂々ともらっていたりといった姿が描かれている。
一部の悪徳教師だけでなく、「善良な教師ですら多少はもらう、完全にはねつけている教師は生真面目すぎる変わり者」みたいな描かれ方をしているので、当時はふつうにおこなわれていたことなんだろう。
母の話によると、母の父(つまりぼくのおじいちゃん)は官僚だったので、出入りの業者からお中元やお歳暮をはじめとする贈り物をいっぱいもらっていたらしい。
「庭の草が伸びてきた」といえば週末には取引先企業の社員がやってきて草刈りをしてくれ、「娘が犬をほしがっている」といえば数日で仔犬が贈られてきたという。
今の世の中だったら完全にアウトだけど、当時はふつうだったらしい。
ぼくのおじいちゃんはどっちかといったら規律正しい人だったけど、それでも平然と袖の下を受け取るぐらい、それがあたりまえという感覚だったのだろう。
賄賂という認識すらなかったのかもしれない。
そういやこないだ収賄容疑で取り調べを受けていた議員が「金は受け取ったが買収という認識はなかった」と語っていた。
そんなあほな、とおもうかもしれないけど、案外ほんとのことを言っているんじゃないかな。
政界に縁のない人間からすると「政治家が現金をもらったり渡したりしたら百パーセント贈収賄だろう」とおもうけど、ひっきりなしに金が動く世界にいたら感覚が狂うんじゃないかな。
お世話になっている人から「ま、ま、もらっといてください。もらうだけでいいんで」と言われたらなかなか断れるもんじゃないだろう。
真実はわかんないけどさ。
その他の読書感想文はこちら
2020年7月2日木曜日
ビールと母
母はビールが好きだ。
毎日飲む。量は飲まないが、毎日飲む。
飲まないのはよほど体調が悪いときだけ。1年のうち364.5日ぐらいは飲んでいる。
夏の暑い日は昼間から飲む。
酒に強いので、昔は量も多かったらしい。
けど、ぼくが三歳ぐらいのときに飲みすぎて発疹が出たことがあって、それ以来ふだんは一日に一本だけとしたそうだ(会食のときなんかはもっと飲むけど)。
「あのとき発疹が出ていなかったらわたしはアル中になっていたかもしれない」と母は語っていた。
父は母ほど酒好きではないが、付き合いで毎日飲む。
父のほうはあまり強くないので一本飲んだだけで酔っぱらう。だから量も増えない。経済的だ。
そんな家庭で育ったので、「大人は毎日酒を飲むもの」とおもっていた。
大学生になったときは(当時は世間一般的に十八歳でアルコール解禁とされていた)積極的に酒を飲んだ。
飲み会はもちろん、夜に人と食事をするときは必ずといっていいほど酒を飲んだ。ときどきひとりでも飲んだ。ひとりで居酒屋にも行ってみた。それが大人のたしなみだとおもっていたからだ。
飲みたいから飲むのではなく、「飲まなきゃいけないもの」とおもっていた。
「飲んでいればいつか必ず毎日飲みたくなる。それが大人というものだ」と。
しかし、何年かたってふと気づいた。
あ。お酒好きじゃないや。
飲めないわけじゃないし、嫌いでもないけど、べつに好きじゃないや。
なんなら飲むヨーグルトのほうがおいしい。
酒がなくたって平気だわ。大人数での酒宴は嫌いだし。
「大人だからって飲まないといけないわけじゃないや」と気づいた。
で、飲み会のとき以外は飲むのをやめた。
妻も飲まないので、家で飲むのは、焼肉か餃子を食べるときと、友人とスカイプで話すときだけ。それも飲んだり飲まなかったり。
月に一回飲むかどうか。
そうするとめっきり弱くなった。缶ビールいっぱいで眠たくなる。
弱くなるからなおさら飲まなくなる。
元々好きで飲んでいたわけじゃないから、やめたらいいことしかない。
お金もかからないし、寝つきも良くなるし、翌日も疲れない。
そんなわけですっかり飲まない生活に慣れたのだが、実家に帰ると文化の違いにとまどう。
母には飲まない人の存在が信じられないのだ。
食事のときは当然のように「アサヒでいいよね?」と訊かれる。
断ると「じゃあモルツにする?」と訊かれる。
ビールがいらないのだというと、「えっ、車じゃないでしょ? 体調でも悪いの!?」と驚かれる。
母からすると「この後車を運転する」「体調が悪い」以外の理由でビールを飲まないことが信じられないのだ。
彼女にとって「ビールを飲まない」は「ごはんを食べない」ぐらいの異常事態なのだ。
もしもぼくが母より先に死んだら、きっと棺桶に缶ビールを入れられ、墓に缶ビールをかけられたりするんだろうな。
「いやそんなに好きじゃないんだけどな……」とあの世で苦笑いだ。
2020年7月1日水曜日
ピアノ中年
三十代のおっさんだが、ピアノの練習をはじめた。
いきさつとしては、
娘がピアノ教室に通いだす
↓
はじめはがんばって練習していたが、サボるようになる
↓
娘に火をつけるため、ぼくがピアノを弾いて
「おとうさんのほうが(娘)よりも上手に弾けた!」
と言う
↓
娘、まんまと乗せられて
「(娘)のほうが上手に弾ける!」
と言って練習するようになる
ってのがはじまり。
それ以来、娘のライバルとして毎日のようにピアノの練習をしている。
やはりひとりで弾くより、競争相手がいたほうが練習にも熱が入るらしい。
妻はずっとピアノをやっていたのですらすら弾ける。
おまけに絶対音感の持ち主なので教え方も容赦ない。
「その音とその音はぜんぜん違うでしょ。聞いたらわかるでしょ?」なんて言う。
弾けない人、聞いてもわからない人の気持ちを理解できないのだ。
「わからないのはまじめにやってないから」とおもってしまうらしい。
ということで、六歳のライバルにはピアノ素人のおっさんのほうがふさわしい。
どんどん上達する娘のライバルでいられるよう、ぼくも一生懸命ピアノを練習している。
じつはぼくもかつてピアノを習っていた。
一歳上の姉が習っていたので、いっしょにピアノ教室に放りこまれたのだ。
五歳ぐらいのとき。
ピアノ教室に関して今もおぼえていることはふたつだけ。
ひとつは、発表会で弾きおわった後に舞台袖に引っこまず、舞台から跳びおりたこと。
もうひとつは、ピアノ教室の床で寝ころがって「ピアノやりたくない!」と泣きわめいたこと。
このふたつのエピソードからもわかるように、ぼくはまったくピアノに向いていなかった。
その結果なのか原因なのかわからないが、音感もリズム感もない。ドのつく音痴だ。
あれから三十年。
娘と競うようにピアノの練習をしてみると、意外と楽しい。
ピアノはかんたんに音が出せるのがいい。
どんなに下手な人間が弾いても、ドの鍵盤をたたけばちゃんとドの音が鳴る。
音を出すだけなら、リコーダーやギターや法螺貝よりもずっとかんたんだ。
やればやるほど上達していくのが楽しい。
ちゃんと弾けたらだんだん速く弾いて、次は音楽記号に気を付けながら情感を込めて弾く……。
一曲の中でも自分がステップアップしていくのを感じる。
右手と左手でばらばらの動きをするのはむずかしいが、脳のふだん使わない部分を使うのが心地いい疲労をもたらす。
弾き語りなんて正気の沙汰じゃないとおもっていたが、かんたんな曲なら弾きながら歌えるようになってきた。
自分で弾きながらだと、ド音痴のぼくでも少しだけうまく歌えるような気がする。
「大人になってからピアノなんてやっても上達しない」とおもっていたが、ぜんぜんそんなことない。
もちろん、吸収力は逆立ちしたって子どもにはかないっこない。
だが大人のほうが勝っている部分もある。
まず指が長い。
これだけでだいぶ有利だ。
あと意外と手の指の動きをコントロールできるのはタイピングに慣れているからかもしれない。
壁に当たったときに、大人は「なぜできないか」を因数分解して解決することができる。
上手に弾けなかったとき。
まずは右手だけで弾く。
次は左手だけで弾く。
次は両手でゆっくり弾いてみる。
次は速く弾く。
そして、自分がどこで失敗しやすいのかを把握する。弱点を把握したらそこを集中的に練習する。
これはあれだ。
プログラミングに似ている。
書いたコードがうまく動作しなかったとき、「ここまではうまくいく」「この数行を削除してみたらうまくいく」といった作業をくりかえし、ミスの原因を探しあてる作業だ。
大人になると、いろんな経験を通して、
「うまくいかないときはやみくもに体当たりするよりパーツごとに分解してつまづきを克服していくほうが結果的に近道になる」
ことを知っている。
この経験が強みになる(逆に言うと、ピアノの練習を通して子どもはこういった経験を身につけてゆくのだろう)。
そしてなにより。
大人は感情のコントロールができる。
自分のコンディションを(子どもよりも)的確に把握できる。
「眠いから早めに切りあげよう」とか「今日は調子がいいからちょっと長めに練習しよう」とか「気分を変えるためにコーヒーでも飲もう」とか、自分のコンディションと相談しながら練習効率を高める方法を選択できる。
子どもにはこれができない。
うちの娘なんか、おかあさんと喧嘩して泣きわめきながらピアノを弾いたりしている。
「そんな状態で練習してもぜったいうまくならないから気持ちを落ち着かせてからやりなよ」
と言うのだが、聞き入れない。
わんわん泣きながらピアノを弾いて、うまく弾けないといってますます怒る。
傍から見ていてアホじゃねえかとおもうのだが、そんなこと口にするとますます怒りくるうのでやれやれと肩をすくめるだけだ。
ピアノ、楽しいなあ。
この歳になってやっと気づく。
誰にも強制されずに好きなときに弾いているからかもしれないけど、楽しい。
あのとき床に寝ころがって数十分泣きつづけていたぼくをあきれたように見ていたピアノの先生!
あなたの教えは、今、やっと、届きましたよ!
いきさつとしては、
娘がピアノ教室に通いだす
↓
はじめはがんばって練習していたが、サボるようになる
↓
娘に火をつけるため、ぼくがピアノを弾いて
「おとうさんのほうが(娘)よりも上手に弾けた!」
と言う
↓
娘、まんまと乗せられて
「(娘)のほうが上手に弾ける!」
と言って練習するようになる
ってのがはじまり。
それ以来、娘のライバルとして毎日のようにピアノの練習をしている。
やはりひとりで弾くより、競争相手がいたほうが練習にも熱が入るらしい。
妻はずっとピアノをやっていたのですらすら弾ける。
おまけに絶対音感の持ち主なので教え方も容赦ない。
「その音とその音はぜんぜん違うでしょ。聞いたらわかるでしょ?」なんて言う。
弾けない人、聞いてもわからない人の気持ちを理解できないのだ。
「わからないのはまじめにやってないから」とおもってしまうらしい。
ということで、六歳のライバルにはピアノ素人のおっさんのほうがふさわしい。
どんどん上達する娘のライバルでいられるよう、ぼくも一生懸命ピアノを練習している。
じつはぼくもかつてピアノを習っていた。
一歳上の姉が習っていたので、いっしょにピアノ教室に放りこまれたのだ。
五歳ぐらいのとき。
ピアノ教室に関して今もおぼえていることはふたつだけ。
ひとつは、発表会で弾きおわった後に舞台袖に引っこまず、舞台から跳びおりたこと。
もうひとつは、ピアノ教室の床で寝ころがって「ピアノやりたくない!」と泣きわめいたこと。
このふたつのエピソードからもわかるように、ぼくはまったくピアノに向いていなかった。
その結果なのか原因なのかわからないが、音感もリズム感もない。ドのつく音痴だ。
あれから三十年。
娘と競うようにピアノの練習をしてみると、意外と楽しい。
ピアノはかんたんに音が出せるのがいい。
どんなに下手な人間が弾いても、ドの鍵盤をたたけばちゃんとドの音が鳴る。
音を出すだけなら、リコーダーやギターや法螺貝よりもずっとかんたんだ。
やればやるほど上達していくのが楽しい。
ちゃんと弾けたらだんだん速く弾いて、次は音楽記号に気を付けながら情感を込めて弾く……。
一曲の中でも自分がステップアップしていくのを感じる。
右手と左手でばらばらの動きをするのはむずかしいが、脳のふだん使わない部分を使うのが心地いい疲労をもたらす。
弾き語りなんて正気の沙汰じゃないとおもっていたが、かんたんな曲なら弾きながら歌えるようになってきた。
自分で弾きながらだと、ド音痴のぼくでも少しだけうまく歌えるような気がする。
「大人になってからピアノなんてやっても上達しない」とおもっていたが、ぜんぜんそんなことない。
もちろん、吸収力は逆立ちしたって子どもにはかないっこない。
だが大人のほうが勝っている部分もある。
まず指が長い。
これだけでだいぶ有利だ。
あと意外と手の指の動きをコントロールできるのはタイピングに慣れているからかもしれない。
壁に当たったときに、大人は「なぜできないか」を因数分解して解決することができる。
上手に弾けなかったとき。
まずは右手だけで弾く。
次は左手だけで弾く。
次は両手でゆっくり弾いてみる。
次は速く弾く。
そして、自分がどこで失敗しやすいのかを把握する。弱点を把握したらそこを集中的に練習する。
これはあれだ。
プログラミングに似ている。
書いたコードがうまく動作しなかったとき、「ここまではうまくいく」「この数行を削除してみたらうまくいく」といった作業をくりかえし、ミスの原因を探しあてる作業だ。
大人になると、いろんな経験を通して、
「うまくいかないときはやみくもに体当たりするよりパーツごとに分解してつまづきを克服していくほうが結果的に近道になる」
ことを知っている。
この経験が強みになる(逆に言うと、ピアノの練習を通して子どもはこういった経験を身につけてゆくのだろう)。
そしてなにより。
大人は感情のコントロールができる。
自分のコンディションを(子どもよりも)的確に把握できる。
「眠いから早めに切りあげよう」とか「今日は調子がいいからちょっと長めに練習しよう」とか「気分を変えるためにコーヒーでも飲もう」とか、自分のコンディションと相談しながら練習効率を高める方法を選択できる。
子どもにはこれができない。
うちの娘なんか、おかあさんと喧嘩して泣きわめきながらピアノを弾いたりしている。
「そんな状態で練習してもぜったいうまくならないから気持ちを落ち着かせてからやりなよ」
と言うのだが、聞き入れない。
わんわん泣きながらピアノを弾いて、うまく弾けないといってますます怒る。
傍から見ていてアホじゃねえかとおもうのだが、そんなこと口にするとますます怒りくるうのでやれやれと肩をすくめるだけだ。
ピアノ、楽しいなあ。
この歳になってやっと気づく。
誰にも強制されずに好きなときに弾いているからかもしれないけど、楽しい。
あのとき床に寝ころがって数十分泣きつづけていたぼくをあきれたように見ていたピアノの先生!
あなたの教えは、今、やっと、届きましたよ!
2020年6月30日火曜日
【コント】誘拐ビジネス
「もしもし」
「桂川だな」
「そうですが」
「単刀直入にいこう。おまえの息子をあずかった」
「おまえ……なんて卑劣な……」
「こっちの要求はシンプルだ。現金で一億円用意しろ。受け渡し手段は後で連絡する」
「そんなこと急に言われても……」
「おっと、用意できないとは言わねえよな。金庫にたんまりあるのをこっちは知ってんだ」
「……」
「わかってるとはおもうが、誰にも知らせるんじゃねえぞ。じゃなきゃ息子の命は保証しない」
「おまえには人の心がないのか」
「これは取引だ。ビジネスライクにいこうぜ。それがあんたのやりかただろ? へっへっへ」
「……わかった。ビジネスライクにいきましょう」
「?」
「こちらの希望条件をお伝えします。本日中に息子を我が家まで無事に送り届けること。息子の無事を確認したら、息子を預かってくれた謝礼として現金で十万円手渡します。領収書は不要です」
「は?」
「半日のベビーシッター代としては十分すぎる額かと見ています。食費や交通費など、息子の面倒をみるのに要した経費は別途請求してくれればお支払いします」
「ちょっと待て、ふざけんな。なんだ十万円って。こっちは一億円要求してんだ」
「一億円は呑めません。どうしてもというのであれば他をあたってください。十万円なら捻出可能です」
「おまえ息子がかわいくないのか」
「ビジネスライクにいきましょう」
「は?」
「よくお考えください。
そちらが今日中に息子を連れてきてくだされば、十万円が手に入るわけです。こちらは警察には知らせません。
ですが連れてきていただかなければこちらとしても警察権力に頼らざるをえません。九分九厘そちらは逮捕されるでしょう。仮に逃げおおせたとしてもずっとおびえて暮らすことになるでしょう。もちろん一億円は手に入りません」
「……」
「ビジネスライクにお考えください。どちらが利益を生むか」
「……おまえが約束を守るという保証は?」
「もちろん契約書を取り交わします。フリーメールを用意してくだされば、そこに捺印済みの契約書のPDFファイルをお送りします。そちらは捺印して返送してください」
「そうするとこちらの氏名住所が知られてしまう」
「そのときにはもう契約成立です。契約書はそちらの手元にもあるわけですから。こちらが支払わなければ契約不履行で管轄裁判所に申し出てくださってもかまいません」
「しかし一億円のはずが……。苦労して計画してきたのに……」
「『コンコルド効果』という言葉をご存じでしょうか」
「なんだそれは」
「それまで投資してきた時間や労力を惜しむあまり、利益を生まないとわかっていても撤退を決断できない心理のことです。
計画を実行しようが中止しようが、これまでに投下したコストは返ってきません。だったら未来だけに目を向け、どう行動するのが利益を最大化するかを考えたほうが得だとおもいませんか」
「たしかに……」
「過去は変えられませんが、未来は変えられるんですよ」
「いい言葉だな……いえ、いい言葉ですね……」
「おわかりいただいたようでなによりです」
「ではこちら側のタスクとして、さっそくフリーメールをご用意させていただきます」
「こちらは現金のご用意に取りかからせていただきます」
「それでは、今後とも引き続きよろしくお願いいたします」
「何卒よろしくお願いいたします」
「桂川だな」
「そうですが」
「単刀直入にいこう。おまえの息子をあずかった」
「おまえ……なんて卑劣な……」
「こっちの要求はシンプルだ。現金で一億円用意しろ。受け渡し手段は後で連絡する」
「そんなこと急に言われても……」
「おっと、用意できないとは言わねえよな。金庫にたんまりあるのをこっちは知ってんだ」
「……」
「わかってるとはおもうが、誰にも知らせるんじゃねえぞ。じゃなきゃ息子の命は保証しない」
「おまえには人の心がないのか」
「これは取引だ。ビジネスライクにいこうぜ。それがあんたのやりかただろ? へっへっへ」
「……わかった。ビジネスライクにいきましょう」
「?」
「こちらの希望条件をお伝えします。本日中に息子を我が家まで無事に送り届けること。息子の無事を確認したら、息子を預かってくれた謝礼として現金で十万円手渡します。領収書は不要です」
「は?」
「半日のベビーシッター代としては十分すぎる額かと見ています。食費や交通費など、息子の面倒をみるのに要した経費は別途請求してくれればお支払いします」
「ちょっと待て、ふざけんな。なんだ十万円って。こっちは一億円要求してんだ」
「一億円は呑めません。どうしてもというのであれば他をあたってください。十万円なら捻出可能です」
「おまえ息子がかわいくないのか」
「ビジネスライクにいきましょう」
「は?」
「よくお考えください。
そちらが今日中に息子を連れてきてくだされば、十万円が手に入るわけです。こちらは警察には知らせません。
ですが連れてきていただかなければこちらとしても警察権力に頼らざるをえません。九分九厘そちらは逮捕されるでしょう。仮に逃げおおせたとしてもずっとおびえて暮らすことになるでしょう。もちろん一億円は手に入りません」
「……」
「ビジネスライクにお考えください。どちらが利益を生むか」
「……おまえが約束を守るという保証は?」
「もちろん契約書を取り交わします。フリーメールを用意してくだされば、そこに捺印済みの契約書のPDFファイルをお送りします。そちらは捺印して返送してください」
「そうするとこちらの氏名住所が知られてしまう」
「そのときにはもう契約成立です。契約書はそちらの手元にもあるわけですから。こちらが支払わなければ契約不履行で管轄裁判所に申し出てくださってもかまいません」
「しかし一億円のはずが……。苦労して計画してきたのに……」
「『コンコルド効果』という言葉をご存じでしょうか」
「なんだそれは」
「それまで投資してきた時間や労力を惜しむあまり、利益を生まないとわかっていても撤退を決断できない心理のことです。
計画を実行しようが中止しようが、これまでに投下したコストは返ってきません。だったら未来だけに目を向け、どう行動するのが利益を最大化するかを考えたほうが得だとおもいませんか」
「たしかに……」
「過去は変えられませんが、未来は変えられるんですよ」
「いい言葉だな……いえ、いい言葉ですね……」
「おわかりいただいたようでなによりです」
「ではこちら側のタスクとして、さっそくフリーメールをご用意させていただきます」
「こちらは現金のご用意に取りかからせていただきます」
「それでは、今後とも引き続きよろしくお願いいたします」
「何卒よろしくお願いいたします」
登録:
投稿 (Atom)