2019年4月16日火曜日

【読書感想文】痛々しいユーモア/ ツチヤ タカユキ『オカンといっしょ』

オカンといっしょ

ツチヤ タカユキ

内容(Amazonより)
『笑いのカイブツ』で大ブレイクの“型破りな新人”最新作!!
「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。
彼は父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新しい男を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた半生。
本書は、いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの赤裸々な記録であり、母と息子、不器用でイカれたふたりの泣き笑い、そのすべてが詰まった、世界一ぶかっこうな青春爆走ストーリーです。

『笑いのカイブツ』でほとばしる狂気を存分に見せてくれたツチヤタカユキ氏の私小説。

ほのぼのしたタイトルだが、中身は終始殺伐としている。

すぐに新しい男を連れてくる"オカン"と、人付き合いができない"僕"。
「最悪の組み合わせ」だというふたりの歩みを中心に、社会に溶けこめずにもがく"僕"の姿がひたすら描かれている。

読んでいると苦しくなってくる。
「生きづらさ」「社会と溶けこまないといけない苦しさ」は誰しも感じたことはあるだろう。
ぼくもある。特に十代から二十代前半までは。
その苦しさを百倍に濃縮したような気持ちを、ツチヤ氏は味わっていたのだろう。
 ここに飛び込んだら、向こう側に行く事ができる。向こう側の世界では空は白色で、雲は黒色をしている。
 つまりは、乳牛の体と同じ模様が空一面に浮かんでいる。向こう側の世界には太陽がふたつあって、一方は東から昇り、もう一方は西側から昇る。ちょうどふたつが真上に来ると衝突して、毎日、ビッグバンが起こる。
 そのビッグバンによって、世界中にあるすべての花火に一気に火がつき、爆発したみたいな空色になる。そのカラフルな色彩が爆発しまくっている空から、僕がさっき捨てたナイフが降ってくる。
 向こう側の世界では僕の両親は離婚していなくて、向こう側にいる僕の頭はエンターテイメントに冒されておかしくなんてなっていないし、血液が緑色になんかなるはずもなく、そんな、何もかも順調で完璧な世界にナイフが降ってくる。
 向こう側の世界の僕らは、それに見向きもせずに、通り過ぎて行く。

高校のとき、学年に一人か二人、誰ともしゃべらないやつがいた。
誰とも話そうとしない。話しかけてもうっとうしそうにする。そのうち誰も話しかけなくなる。
そういうやつだとおもって彼らのことを気にしたこともなかったが、そうか、こういうことを考えてたのか。つらかっただろうなあ。
だからといってどうすることもできなかったんだろうけど。

ぼくはそこそこ友だちもいて楽しい学生生活を送っていたので、ツチヤ氏からしたら「向こう側の世界」にいるように見えただろう。

でも、そんなにきっぱりと分けられるものでもないよ、とおもう。
「向こう側」にいるように見える人間だって、やっぱりそれぞれもがきくるしんでいるんだよ。



ツチヤタカユキ氏の文章には、痛々しいユーモアがあふれている。
 ガキの頃、父親の事を教えてくれとせがんでも教えてくれなかった理由は、その時に明らかになった。父の話は、子どもには聞かせられないような童話の数々だった。
「あの頃、駐車場借りるお金なかったから、アンタのお父さん、いつも路上に車停めててんやん? その定位置にの人が車を停めてるのを見るたびにキレて、車の後ろから突っ込んで、無理矢理押し出しとってん」
 R15指定の過激な童話は、歳を取るごとに話のレイティングが上がり、ついにはR18指定に。
「アンタのお父さん、ベランダでマリファナ栽培しとってんけど、隣の人が飼ってはる猫がこっちのベランダに侵入してきて、育てとったマリファナ、全部食べられてん」
 その腹いせに父は、火を点けた花火で隣人の家のインターホンをドロドロに溶かしたらしい。
 その家の猫はマリファナなんか食って、大丈夫やったんやろうか?
(中略)
 オカンは、ガンで入院している。もしいなくなったら、生活ができなくなる。
 いままでずっと、モグラのように地下にいた。その間に、地上では道路が出来ていき、地上に出ようとしてもコンクリートに頭がぶつかって、土の中から出てこられなくなった。
 いくら面接を受けても受からないバイトの線は完全に消した。ここから先は、お笑い一本で生きて行く。
 父がマリファナを栽培したように、僕はネタを設定案から栽培しまくった。その双方には、共通点がある。最後に引き起こす作用は、人の笑顔だ。

前作もそうだったけど、この本も読んでいて息苦しくなるしちっとも楽しくない。
だけど、なぜか気になってしかたがない。
自分の心の中にある嫌な部分を暴かれているような気になる。ずっと見ないようにふたをしていたのに。

ツチヤさんは今後どうなっていくんだろう。作家としてやっていくのかな。
個人的には、笑いの世界に戻ってくれたらいいなと勝手におもっている。

明るく楽しい人じゃなくても笑いはつくれるんだということを証明してほしい。

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2019年4月15日月曜日

幼児とおっさんのいちごのデザート


図書館で『ルルとララのいちごのデザート』という本を借りてきて、娘(五歳)に読んであげた。


いちごを使ったお菓子のレシピが紹介されている。子ども向けの本なのですごくかんたんそうだ。ほとんどお菓子作りをしたことがないぼくでも失敗しなさそうだ。火を使わないのもいい。
「明日、このお菓子つくってみよっか?」と娘に言う。
「やろうやろう!」

翌朝、娘の友だちのおかあさんから遊びませんかと誘いが来た。公園で遊ぶ。
せっかくなのでお菓子づくりに誘ってみる。
「この後いちごのお菓子をつくるんだけど、いっしょにやる?」
「やるやる!」
たぶんよくわかっていないけど、二つ返事で参加表明。

娘、その友だちのSちゃん、Cちゃんを連れてスーパーに買い物に行く。
いちごを六パック、ゼラチン、砂糖、牛乳、ヨーグルト。Sちゃんがトッピングチョコを見つけて「これもかけたい!」と言うので、それも買う。

帰る途中で、やはり娘の友だちであるNちゃんに出会う。
「今からお菓子つくるけどいっしょに来る?」
「行く行く!」
子どもはいつも二つ返事だ。親の都合も訊かずに。
おかあさんが「いいんですか?」と心配そうに言うが、「子ども三人も四人もいっしょですよ」とぼくは答える。

ぼくと、五歳女子四人によるお菓子づくりがはじまった。全員ほぼはじめてだ。



まず五歳児にスプーンを渡し、いちごのへたをとらせる。
とったへたに実がいっぱいついているが細かいことには目をつぶる(あまりにひどい場合はぼくがやりなおした)。

それからいちごをつぶす。
スプーンの背でつぶしていくのだが、五歳児の力ではまったくつぶせないことがわかった。

そこで子どもたちにはフォークを渡し、「これでいちごをぶっ刺してくれ」と依頼。
グサグサグサといちごを突き刺していくのは楽しそうだ。心の奥底にある残虐性に火をつけるのかもしれない。

その合間をぬってぼくがスプーンでいちごをつぶしてゆく。油断していると五歳児たちのフォークで手を突き刺されそう。餅つきのこね手のような緊張感がある。

いちごをつつく幼児とおっさん

いちごをつぶすと大量のいちご汁がとれた。
こいつに砂糖をどかどか放りこんでいちごソースをつくる。いちごの重さを量っておくのをわすれたので、砂糖の量は適当だ。

ゼラチンをお湯で溶く。もちろん量は適当。
ゼラチンが手についてぬるぬるするのが気持ち悪いといって、子どもたちはきゃあきゃあ言っていた。そしてその手であちこち触る。このやろう。

さらに手についたいちごをすぐになめる。スプーンについたいちごもなめる。なめたスプーンをまた器につっこむ。

触るんじゃない! なめるんじゃない! と叱っているとNちゃんが「ねえおっちゃん、いつもはやさしいのになんできょうはこわいの?」と言う。
あれ。怒っているつもりはなかったんだけどな。ちょっとピリピリしていたのかも。反省。

しかし当人に向かって「なんできょうはこわいの?」と言える素直さ、うらやましい。
ぼくも見ならいたい。社長に「おっ、今日は機嫌悪いっすね! どうしたんすか!?」と軽快に言ってみたい。


ゼラチンを水で溶いたところにいちごソースとヨーグルトと牛乳をぶちこむ。いうまでもなく量は適当。
そいつを子どもたちにカップに詰めさせる。
これがいちばん楽しそうだった。ようやく完成イメージが見えてきたからかもしれない。
「これは〇〇(自分)の分、これはママの分」などと云いながら詰めている。

「どれが誰のかわかるようにシール貼っときや」とシールを渡してやる。
シールを貼った後で、「どのシールが誰のか忘れたらあかんから」といって画用紙に対応表を書きだした。
「ぷりきゅあのしーる → 〇〇の」みたいに書いている。
ほう、ちゃんとメモをとれるようになったんだなあと感心する。
カップに詰めたらトッピングチョコをふりかけて冷蔵庫へ。二時間冷やせばいちごヨーグルトプリンの完成だ。

汁をとったあとのいちご搾りかすと、残ったいちごソースにまた砂糖をどかどかと放りこみ(しつこいようだけど量は適当)電子レンジで加熱。いちごジャムができた。

いちごヨーグルトプリンもいちごジャムも、火は一切使っておらず、包丁もナイフも使っていない。
幼児とおっさんがやるのにふさわしい、かんたんかつ安全な料理だ。すごいぞルルとララ。



子どもたちにいちごヨーグルトプリンといちごジャムを持たせ、家まで送り届けてやる。
子どもの面倒を見た & お菓子を渡した ということでどの親からも感謝され、お礼のお菓子もいただいた。

そのお菓子はもちろん、妻に献上。
なにしろぼくが子どもたちを送っている間に、いちごと砂糖とゼラチンと牛乳とヨーグルトでぐっちゃぐちゃになったテーブルと食器を片付けてくれたので……。
本日の陰の敢闘賞だ。

2019年4月12日金曜日

【読書感想文】半分蛇足のサイコ小説 / 多島 斗志之『症例A』

症例A

多島 斗志之

内容(e-honより)
精神科医の榊は美貌の十七歳の少女・亜左美を患者として持つことになった。亜左美は敏感に周囲の人間関係を読み取り、治療スタッフの心理をズタズタに振りまわす。榊は「境界例」との疑いを強め、厳しい姿勢で対処しようと決めた。しかし、女性臨床心理士である広瀬は「解離性同一性障害(DID)」の可能性を指摘し、榊と対立する。一歩先も見えない暗闇の中、広瀬を通して衝撃の事実が知らされる…。正常と異常の境界とは、「治す」ということとはどういうことなのか?七年の歳月をかけて、かつてない繊細さで描き出す、魂たちのささやき。

「精神病院に勤務する精神科医」と「博物館の学芸員」の行動が交互に語られる。
そして別々の物語が最後にひとつに重なりあう……のかと思いきや、ちょっとしか交わらない。

えっ? なんじゃこりゃ?

別々の物語を交互に書いただけじゃねーか!

いやほんと、「博物館の謎」パートいらなかったな。ぜんぜんおもしろくなかったし。
ここ削って半分の分量にしてくれたらよかった。

「世間がひっくりかえるような秘密」とやらも蓋をあけてみれば誰もが予想する程度のものだったし、だいたいそれが世間がひっくりかえる秘密?
学芸員からしたら大問題だろうけど、ほとんどの人にとっては博物館の所蔵品なんかに興味はない。

なんでふたつの物語にしたんだろう。



ミステリとおもって読んでいたのだが(「このミステリーがすごい!」の2000年度9位作品なんだそうだ)、ミステリとしては楽しめなかった。

前半で「ある人物が墜落死した」と書かれている。その真相は終盤まで引っぱられるのだが、長々と引っぱったわりに「え? そんなしょぼい真相?」という種明かし。

「博物館の謎」もしょぼかったし、謎解きとしてはとことん期待外れだった。


結末もあっけなかった。
精神病なんてかんたんに治るようなものではないからすべてがきれいに解決するものではないのはわかるが、それにしたってこのラストはあまりに投げっぱなしじゃないか?
500ページ以上の分量を割いて、精神科医がやったことといえば「やっと診断を下した」だけ。

まあ精神科医の仕事ってじっさいはこれぐらい気の遠くなるような進捗しかないものなのかもしれないけどさ。でも小説として読んでいた側からすると「これだけ読んできてそれだけ?」って愚痴のひとつも言いたくなるぜ。



……とあれこれ書いてしまったが、この本はすごくおもしろかった。わくわくしながら読んだ。
精神病院パートはすばらしい出来だ。

あれ? これ書いてるの精神科医? と思って途中で作者の経歴を見てしまった。ってぐらい細部まで詳しく書きこまれてる。

ミステリじゃなくてサイコ小説としてなら、知的好奇心を十二分に満たしてくれるものだった。

しかも、珍しい症例をおもしろおかしくふくらませるような書き方ではなく、精神病に対する誤解を打ち消すようにひたすら慎重に慎重に書かれている。
この姿勢には好感がもてる。

話の主題になっているのは、解離性同一性障害(DID)。これはいわゆる「多重人格」で、フィクションの世界ではわりとよく扱われるテーマだ。
フィクションではたいてい猟奇的に描かれるんだけど、この本ではすごく慎重にとりあげている。
 人間の人格というのは、多面体をなしている、という言い方、よくするでしょう。優しい側面。怖い側面。清い側面。下劣な側面。……そういうものすべてをひっくるめて、ひとりの人間ができているんだ、と。そこまではいいんですが、それをさらに敷衍して、<だから人間はだれもがみな多重人格的な存在なんだ。わたし自身もそうだ>なんてことを言う者がいる。しかしね、そういうのは文学的な修辞としては許されるかもしれないが、医学的には、はなはだしい認識の錯誤ですよ。多重人格者の人格は多面体じゃなくて、優しい人格、怖い人格、清い人格、下劣な人格、その他いろんな人格が、それぞれ別個に、独立して存在しているわけです。そんな途方もない状態のことを、多重人格と呼ぶわけですからね。
 だからこそ、ひとりの人間の中での、人格どうしのコミュニケーションなどという奇妙なものが必要になってくる。
ぼくも「多重人格なんて多かれ少なかれ誰の心にもあるもんでしょ。ぼくだって家族と友人と職場の人の前では人格を使い分けてるし」とおもっていた。
「内弁慶の外地蔵」ぐらいのニュアンスで「二重人格」なんて言葉を使ったりもする。

だが本物の解離性同一性障害はそんなものではない。
ある人格が表に出ている間は他の人格の記憶がすっぽりと抜けたり、自己の内なる人格同士で対話をしたりもするとか。



ところでぼくは「多重人格」の人に会ったことがある。あくまで自称、だが。

十年ほど前。
ぼくが書店で働いていたとき、とある書店が新規オープンするというので一週間だけ手伝いに行った。

一週間働いて、最終日。
仕事を終えたぼくは、一緒に働いていた女性と話しながら駅まで向かった。
年上だったがかわいらしい女性だったので、あわよくば仲良くなりたいとおもい、お茶でもどうですかと喫茶店に誘った。
彼女は承諾してくれた。

喫茶店でたあいのない話をしているとき、ふいに彼女が言った。
「私、多重人格なんですよ」

「え?」
「私の中に何人かいて、ときどき出てくるんです。今の私でいることが多いんですけど、家にいるときはけっこう別の人格が出てきます。中には男性の人格もいます」

ぼくはどう返していいのかわからなくて、「へえ」とかつまらない相槌しか打てなかった。


そしてぼくらは喫茶店を出て別々の電車に乗った。その後は二度と会っていない。連絡先も知らない。

彼女の告白が真実だったのかどうか、わからない。
会って数日、しかももう二度と会わないぼくに向かってなぜそんなことを口にしたのかわからない。

そんな出来事があったのをずっと忘れていたのだが、『症例A』を読んで思いだした。

ひょっとすると、彼女のカミングアウトは本当だったのかもしれない。
もう二度と会わない相手だからこそ、打ち明けることができたのかもしれない。近しい人にはなかなかそんなこと言えないだろうから。


あのとき、「私、多重人格なんですよ」という彼女の言葉を聞いて、ぼくはとっさに「この人とかかわっちゃまずい」とおもってしまった。
そして「あわよくば仲良くなりたい」というぼくの気持ちは雲散霧消した。

案外、それが彼女の狙いだったりして。
「私、多重人格なんですよ」はしつこい男から逃げるための方便だったのかも。


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2019年4月10日水曜日

殺人事件まきこまれ事件


オレは探偵。そしてオレは今、船の中で殺人事件にまきこまれている。
まずいまずい。すごくまずい状況だ。

さいわいオレには確固たるアリバイがあったので真っ先に容疑者から外された。
だが、みんなの目が告げている。
「おまえ探偵なんやろ。事件解決せえよ」と。

ムリだ。ムリに決まってる。
探偵といったって、仕事といえば不倫の調査とか素性調査とかが主で、謎解きなんてやったことがない。不倫の調査だってろくにできないのに。

オレは半年前に探偵事務所に雇われたばかり。有給休暇がとれるようになったので実家に帰ろうとフェリーに乗ったらこのありさまだ。なんてついてないんだ。


こんなことなら昨日、酒を飲むんじゃなかった。
船のバーで知り合った女子大生二人組に「一応探偵やらせてもろてますけど」みたいなこと言っちゃったのがまずかった。
「えー探偵さーんですかー! すごーい!」なんて言うから「いやいや、オレが解決した事件なんて数えるほどしかないよ」なんて言っちゃった。調子に乗りすぎた。
ほんとは解決した事件なんて一個もないのに。
それどころかこないだ不倫調査してたら、ターゲットから「さっきからこっちをじろじろ見て何なんですか」って言われちゃったとこなのに。調子こいたー。

まさかバーで飲んでいるあの時にあのおじさんが殺されてたなんてぜんぜん知らなかったよ。おかげでアリバイはできたんだけど。


しかしあの女子大生たち、ちょっとイタい子だな。
死体が見つかって騒然としてるときに、いきなり「探偵さん、解決してください!」とか言うんだもんな。大声で。
ふつう言うかね。勝手に。せめてこっちに来て小声で言えよな。
それに昨夜はかわいく見えたけど今見るとそうでもないし。

おかげで、場がすっかり「探偵が解決してくれる」モードになってしまった。
船のスタッフとかが、頼んでもないのにいちいちこっちに状況報告してくれる。
「被害者が22時に廊下を歩いているところを他の乗客が目撃しています」とか。
いやいやいや。オレ、推理するなんて一言も云ってないから。
船内で殺人が起きて震えてる乗客のひとりだから。


さっき「犯人はこの中にいるってことかな」って言おうとしたら、それまでみんなざわざわしてたのにたまたまみんなが同じタイミングで黙ったせいで急に静かになっちゃった。なんか変な空気になったからオレも途中で言うのをやめた。
そしたら「犯人はこの中にいる……」って、なんか決め台詞っぽくなっちゃった。
あれはしくじった。
あれのせいで「おぉぉ……。さすが探偵だ……」みたいな空気になっちゃったもんな。完全にミスった。

だいたい船の中で人が殺されてんだからそりゃ犯人はこの中にいるだろ。誰でもわかるだろ。
なのに「さすがは探偵は違うぜ」「事件解決は時間の問題だな」みたいことをささやきあってる。こいつらバカなのか。
とても「あと三時間ぐらいしたら港に着くんで、警察に任せましょう」とか言える雰囲気じゃなくなってる。


で、いつのまにやらみんながオレの前に集まってる。
そんで「犯行が可能だったのはこの五人ですね」とかいって容疑者たちがオレの前に並んでる。おまえらもおとなしく並んでるんじゃねえよ。「探偵さん、わたしの無実を証明してください」みたいな目で見てくんじゃねえよババア。

いっそのこと、適当に「謎はすべて解けました。犯人はあなたです」とか言って指さしてみよっかな。確率五分の一だしな。それで的中して、勝手に自白とかはじめてくれたらいいんだけどな。

でも根拠とか訊かれたら困るしな。「いちばん目つきが悪いからです」とかじゃダメだろうな。
まちがってたら名誉棄損とかで訴えられたりするかも。うかつなこと言わないほうがいいな。

一応推理してみるかな。さっきまでの話ぜんぶ聞き流してたから、判断材料はなにひとつないけど。
そういや探偵事務所の先輩に言われたな。「浮気調査をするときは、自分が浮気をするやつの気持ちになって考えるんだ」って。
よしっ、犯人の立場に立って考えてみよう。

ええっと、オレは犯人。船の中で人を殺した。で、死体が見つかった。なんとかして自分に疑いがかからないようにしなければ。
船の乗客には偶然にも探偵がいた。なんか推理らしきものをはじめてる。まずい、このままだとトリックを見破られてアリバイもくずされて自分の犯行だとばれてしまう。なんとかしてこいつの口を封じなければ。一人殺すのも二人殺すのも一緒だ……。


「みなさん、わかりましたよ……。謎はすべてとけました。
 次に狙われるのは……オレです!」


2019年4月9日火曜日

5Wすべて不明


子どもと遊ぶのが好き(「子どもが好き」というより「子どもと遊ぶのが好き」だ)。

だが、どこの馬の骨ともわからないおっさんが子どもと遊んでいたら社会的には危険な存在と見られるので、今までは見知らぬ子に「声をかけたい」という思いを封印してきた。

「ぼくが友人といっしょにいる」+「子どもの中に男の子がいる」
という条件を満たす場合のみ、見知らぬ子といっしょに遊んだりした。
やはりおっさんひとりだと不審者だし、女の子に声をかけるのは良くない(と思われる)ので。



だが、自分に子どもができたことでよその子とも堂々と遊べるようになった。
娘を連れて公園に行ったときは、よその子にもよく声をかける。
「何してんの?」とか「いくつ?」とか。
退屈そうにしている子には「いっしょに遊ぶ?」と声をかけることもある。

もしかすると、自分の子と遊ぶよりもよその子と遊ぶほうが好きかもしれない。新鮮だから。
特に男の子と遊ぶのは楽しい。息子がいないので。
「やっぱり男の子は暴力的だな」とか「同じくらいの歳でも男の子のほうが軽いな」とかいろんな発見がある。



妻は、娘と歩いているとよく見知らぬお母さんからお礼を言われるらしい。
「この前はお父さんと遊んでもらってありがとうございました」と。

そう説明してくれる人はまだいいが、「この前はありがとうございました」とだけ言われることも多いらしい。

妻は一応「はあどうも」と返すそうだが、どこの誰ともわからない人にいつの何かもわからないことに対してお礼を言われるので戸惑うそうだ。

「どこ、誰、いつ、何、なぜ。全部わからないんだけど」とのこと。

さっぱりわからないことに対してお礼を言われるのってずいぶん気持ち悪いだろうなあ(他人事)。