2018年10月17日水曜日

【読書感想文】原爆開発は理系の合宿/R.P.ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』


『ご冗談でしょう、ファインマンさん』

R.P.ファインマン (著)
大貫 昌子 (訳)

内容(e-honより)
20世紀アメリカの独創的物理学者が、奇想天外な話題に満ちた自らの体験をユーモアたっぷりに語る。持ち前の探求心と、大のいたずら好きは少年時代から変わらぬまま。大学時代や戦時下の研究所生活でも、周囲はいつもファインマンさんにしてやられる。愉快なエピソードのなかに、科学への真摯な情熱を伝える好読物。

原爆の開発にも携わりノーベル賞も受賞した物理学者のエッセイ。
語り口は軽妙洒脱で、まるで小学生がしゃべっているのを聞いているみたい。訳もいい。

この人の行動原理は一貫していて、おもしろそうだからやってみる、つまらないからやめる、嫌いだから避ける、ばかばかしいからからかってみる、と少年のように感情の赴くままに行動している。好奇心のかたまり、ものすごく頭のいい子どもなのだ。

物理学はもちろん、数学でも天文学でも生物学でも美術でも、一度興味を持ったらとことん調べないと気が済まない。
たぶん他の分野に進んだとしてもこの人は大きな功績を残しただろうなあ。

数学の記号を自分でつくりだしたり、アリがどうやって食べ物の場所を仲間に知らせているかをじっと観察したり、金庫をひたすら観察して金庫破りの方法を見つけだしたり、やることなすことどれも子どもじみている。
こんなふうに生きられたら楽しいだろうなあ。



マンハッタン計画(第二次世界大戦中に原爆を開発するために多くの科学者が集められた計画)のことが書かれている。こういうことを書くと誤解を招きそうだが、すごく楽しそうだ。
ロバート・オッペンハイマー、ハロルド・ユーリー、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマンといった、ど素人のぼくでも名前を聞いたことのあるような物理学者・数学者・化学者たちが集まってひとつの目標に向かってそれぞれ力を尽くす。
理系の合宿、って感じだ。
 ロスアラモスで仕事につかされたこの若者たちが、まずさせられたことといえば、IBMの機械にチンプンカンプンの数字を打ちこむことだった。しかもその数字が何を表わしているのかを教える者は誰一人いなかったのだ。当然のことながら仕事は一向にはかどらない。そこで僕はまずこの若者たちにその仕事の意味を説明してやるべきだと主張した。その結果、オッペンハイマーがじきじきに保安係に談判に行き、やっとのことで許可がおりた。そこで僕が、このグループのとりくんでいる仕事の内容や目的について、ちょっとした講義をすることになった。さて話を聞き終わった若者たちは、すっかり興奮してしまった。「僕らの仕事の目的がわかったぞ。僕らは戦争に参加しているんだ!」というわけで、今までキーでたたいていたただの数字が、とたんに意味をもちはじめたのだ。圧力がかかればかかったで、それだけ余計なエネルギーが発揮されるという調子で仕事はどんどん進みはじめた。彼らはついに自分たちのやっている仕事の意味を把握したのだ。
 結果は見ちがえるばかりの変わりようだった! 彼らは自発的に能率をもっと向上させる方法まで発明しはじめた。仕事の段取りは改善する、夜まで働く、しかも夜業の監督も何も要らない、という調子である。今や完全に仕事の意味をのみこんだこの若者たちは、僕らが使えるようなプログラムまでいくつか発明してくれた。

日本人にとっては、この「楽しそうな理系の合宿」があの悲惨な原爆投下につながったと思うと複雑な心境ではあるけど。
でもファインマン氏もマンハッタン計画参加を決めた理由として「ドイツに先に開発されたらたいへんだ」ってのを挙げてて、当時の科学者たちにとっては悪の力を止めるために科学力を結集するぞ!ってなかんじの正義感に満ちていたんだろうなあと想像する。
日本人からしたら「原爆=悪」なんだけど、連合国からしたら原爆は正義の武器だったんだなあ。



ノーベル物理学賞を受賞した後の話。
物理学の知識のない人の前で講演をしても意味がないと思ったファインマン氏の策略。
 これを聞いたアーバインの学生たちは、僕がただふらりと現われて、物理クラブの学生相手に話をするのはそう簡単でないことを、ようやく納得してくれた。そこで僕は、「ものは相談だが、何かてんで面白くなさそうな演題をでっちあげ、およそ退屈そうな教授の名前をひねりだしてつけようじゃないか。そうすれば本当に物理に興味のある連中しか来ないに違いない。それ以外の連中には、どうせ用はないんだ。これでどうだろう?
 これなら何もややこしい宣伝をすることもないだろう」ともちかけた。
 こういうわけで、アーバインの大学の構内には、「ワシントン大学ヘンリー・ウォレン教授講演。『プロトンの構造について』五月一七日三時より。D一〇二教室」というポスターが二つ三つ貼り出されることになった。そして当日には僕が現われ、「残念ながらウォレン教授は都合で来られなくなり、電話で代りを頼まれました。この分野なら僕も少しは仕事をしているので、とりあえず代りを務めに、この通りやってきました」と言って集まった学生たち相手に話をした。そのときはぜんぜん問題なく、事はうまく運んだ。
 ところがこれをもれ聞いたクラブの顧問教授がカンカンに怒ってしまった。「ファインマン教授が来られるとわかっていたら、もっと大勢の人が話を聞きたがったに違いないのに」というわけだ。
この逸話に、ファインマン氏の性格がよく表れている。
無意味なしきたりや規則は平気で破る。名誉や肩書きよりも実利を重んじる。なにより、学問に対して真摯な姿勢を貫く。


専門的な話はほとんどないのに、学問、研究、思考することのおもしろさが(ファインマン氏がおもしろいと考えていることが)びんびんと伝わってくる。
理系の大学一年生に読んでほしい本だな。

2018年10月16日火曜日

ぼくの家にはファミコンがなかった


ぼくの家にはファミコンがなかった。
小学生のときだ。ファミコン(ファミリーコンピューター、スーパーファミコン、PCエンジンなどを含めた総称)を持っていないのは、クラスの男子二十人中ぼくを含めて二、三人だけだった。
話題についていけないことが多々あり、何度もつらい思いをした。

ぼくもファミコンが欲しかった。一度か二度、親に買ってほしいと頼んだことがある。だめだと言われた。眼が悪くなるから。うちにはお金がないから。
二度ぐらいしか頼まなかったのは「だめ」と言われることよりも「まだこの子はそんなことを言うのか」と残念そうな顔をされるのがつらかったからだ。

友だちの家でやらせてもらうファミコンはほんとに楽しかった。
家でもやりたくて、ノートにマリオのオリジナルコースを書いたり、サイコロでできるバトルRPGゲームを作ったりしていた。なんといじらしいことだろう。

六年生のとき、こづかいをためてこっそりゲームボーイを買った。
ゲームボーイは持ち運びできることが売りだが、ぼくは自宅以外でゲームボーイをやったことがない。ぼくがゲームボーイを買ったのは持ち運ぶためではなく、隠れてやるためだ。うちはリビングにしかテレビがなかったので、テレビゲームはやれなかったのだ。
友人にも隠していた。もう友だち同士でゲームの話をするような年齢ではなくなっていたし、何より「ゲームを持つのは悪いこと」という罪の意識があったからだ。
親の教育方針は、ぼくに「ゲーム=悪」という意識を持たせることに成功していた。

隠れてやるゲームボーイはほんとにおもしろかった。
はじめて買ったのはドンキーコング。それだけ新品で買い、あとは中古ゲーム屋でとにかく安いゲームを買った。誰も知らないようなゲーム。何度か痛い目に遭って「500円とか1,000円ぐらいの安いゲームはほんとにつまらない」ということを学んだ。
ダビスタのような競走馬育成ゲームをやりたいと思って買った『馬券王』というソフトは、なんとゲームではなくいくつかの情報を入力すると当たり馬券を予想するというただのツールだった。悔しくてソフトを叩きつけたくなった。なんとかしてこれで遊べないかといろいろやってみたがだめだった。

何度も何度もやったのは、ワリオ、ゼルダ、ポケモン、ゲームボーイウォーズ、ファミスタ、桃鉄、桃太郎伝説外伝など。
ポケモンには通算プレイ時間が表示される機能があって、「120時間」とかの数字を見るたびに「こんなにも無駄な時間を……」と憂鬱な気持ちになった。


小学生のときに買ってもらえなかった反動でゲームにどっぷりはまった……かというとそうでもない。
今でもゲームをときどきやる。ゲーマーというほどではないし、かといって完全に断絶しているわけではない。ほどほどの付き合いを保っている。

ゲームを買ってもらえなかったことは、自分にとってプラスになったんだろうか。マイナスだったんだろうか。
んー。プラス四割、マイナス六割ぐらいかな。
どっちがいいとも言いきれない。

自分の子がゲームを欲しがったらどうするか……。
仲間はずれになるのはかわいそうだけど、でもゲームばっかりやる子にはなってほしくない。

「買ってあげるけど父親であるぼくが独占する」というのがいちばんいい選択肢かもしれない。
買ってあげないときより恨まれるだろうけど。

2018年10月15日月曜日

大らかな時代


小学四年生のときの担任は「初日の出を見にいくぞ!」と言って小学生数十人を連れて大晦日の夜に登山を敢行した。

小学五年生のときの担任は理科が大好きで、オリジナルのテキストを持ってきて教科書を使わずに授業をしていた。

小学六年生のときの担任は夏休みに生徒を自宅に招待して(田舎の広い家に住んでいた)、数十人を自分の家に泊まらせてくれた。


どの先生も熱意あふれる人だったしそれらのイベントはぼくたち生徒にとってすごくおもしろかったけど、今考えると「めちゃくちゃやな」と思う。

当時は何も考えてなかったけど、今となっては
「小学生いっぱいつれて冬山登山なんかして遭難したらどうすんだよ」
「教科書使わずに授業やったらまずいでしょ」
「六年生の男女を自宅に泊まらせるなんて。変なことしてると思われてもしかたないぞ」
とつっこみどころだらけの話だ。

ようやったなあ。大らかな時代だったんだなあ。
戦前の話じゃない。ぼくが小学校に通っていたのは平成時代だったはずなのに。
平成って大らかな時代だったんだなあ。


2018年10月12日金曜日

目覚まし時計との戦い


娘(五歳)は寝起きが悪い。
子どもってみんなそうかもしれないけど「定められた時間に起きる」ことができない。

ぼくも趣味はと訊かれたら睡眠ですと答えるような人間なのでたっぷり寝かせてあげたいけど、そうはいっても早く起きて保育園に連れていかないと仕事に遅刻してしまうので泣く泣く子どもを起こす。社会人って非人道的!

目覚まし時計を買うことにした。
娘を時計売場に連れていって「どれがいい?」と訊くと「(娘)の時計!?」と目を輝かせた。
自分の時計を持てることがうれしくてしかたないのだ。ふっふっふっ。今のうちにせいぜい喜んでいるがいい。

その晩、娘は嬉々として時計に電池を入れ、アラームをセットして枕元に置いて寝た。
翌朝アラームが鳴った。ぼくが娘をゆりおこしながら「ほら、目覚まし時計鳴ってるよ」と告げると、急いでアラームを止め「自分の目覚まし時計で起きれた!」と喜んでいた。


だが娘が目覚まし時計に好感を持っていたのはそこまでだった。
そう、彼女は気づいてしまったのだ。目覚まし時計が安眠を強制的に終了させる不快音発生装置だという事実に。

こうして娘と目覚まし時計の戦いがはじまった。

娘、ぼくの目を盗んで寝る前にアラームをオフにする。

数日後、ぼくがそれに気づいてそっとアラームをオンにする。

娘、アラームのセット時間をずらす。

朝五時にアラームが鳴りだす。

娘、目覚まし時計を布団の下に隠す。

ぼく、それを探しだす。

娘、夜中に目覚まし時計の電池を抜く。

ぼく、電池を抜けないようにテープでふたをがちがちに固定する。


このように、娘は毎晩目覚まし時計と戦っている。
彼女はいつ気がつくだろう。
あれこれ工作しているひまがあったら早く寝たほうがいいということに。
それとも大人になっても気がつかないだろうか。

2018年10月11日木曜日

【読書感想文】一秒で考えた質問に対して数十年間考えてきた答えを / 桂 米朝『落語と私』

『落語と私』

桂 米朝

内容(e-honより)
落語の歴史、寄席の歴史、東京と上方のちがい、講談、漫談とのちがい、落語は文学か、女の落語家は何故いないか等々、当代一流の落語家にして文化人が、落語に関するすべてをやさしく、しかも奥行き深い蘊蓄をかたむけて語る。

人間国宝だった桂米朝氏による、落語についてのエッセイ。
中高生向けに書かれたもの、ということで平易な言葉で語られていて、すごくわかりやすい。
しかし平易だからといって浅薄なわけではない。言葉のひとつひとつに、その道を究めんとする者ならではの奥ゆきがある。

落語のことをよく知らない人に訊かれる「落語と漫談のちがいってなんなの?」とか「古典落語と新作のちがいって何?」みたいな質問に対して、米朝さんは真摯に回答している。
一秒で考えた質問に対して数十年間考えてきた答えをぶつける、みたいな本。



米朝さんは噺家としても超一流だったけど、それ以上に芸の探究者として偉大な人だ。これだけ真摯に落語に向き合った人は後にも先にもちょっといないんじゃないだろうか。

たとえば、噺の冒頭によくある「こんにちは」「おう、まあこっちへおはいり」というやりとりについての考察。
「こんにちは」と言っても「ごめんください」と言っても「コンチハ」とやっても「ごめんッ」とやっても威勢よくやるのと物静かに言うのでは、たいへんにちがいのあるもので、男女の別、老若のちがい、さらに職人か商売人か、そそっかしい男と落ちついた人、それに「こっちへおはいり」という受け手の人物とどちらが目上かということ。また、訪問の目的が、べつに用事もないが、むだばなしにやってくる時と、借金でもしようと思ってくる時とは、調子がちがって当然です。さらにまた、暑い時、寒い時という季節の点も考えにいれておかなければなりません。もう一つ大事なことは、家の構造なり大きさなりです。長屋といっても、戸をあけたら裏口まで見とおせる家もあれば、もうすこし気のきいた小ぎれいな長屋もあります。ガラリとあけたところに相手が坐っているのか、つぎの間(ま)からあらわれて「おう、まあこっちへおはいり」と言うのか、これはこんどは受ける側の問題になってきます。
「こんにちは」とはいってくる人物の場合と同様に、それを見て「おう、まあこっちへおはいり」と言う人の語調や視線も態度もさまざまにあるわけで、「おう」と相手を見た瞬間にいつもやってくる隣人である場合と、めったにこない珍客の時と、来るはずのない意外な人の場合と、それぞれ受け方にちがいがあるのは言うまでもありません。それに落語の内容によって、顔を見たらきびしく意見をしてやろうなどと思っている相手であった時なんか、顔の表情にもそれだけの演技がいるわけです。「こんにちは」「こっちへおはいり」だけでも、いくとおりにも演じ分けられてこそ、玄人のはなし家です。

「こんにちは」「おう、まあこっちへおはいり」だけのやりとりが、これだけの思慮に裏付けられているのだ。すげー。

もちろん米朝さんのような名人になるといちいちこんなことを考えて演じていたわけではないだろうけど、でもこういう理論に裏打ちされたしゃべりをしているのだから何も考えずに話している人とは説得力がちがう。そりゃ噺に深みが出るわなあ。

きっと米朝さんは演者としてだけでなく、師匠としてもすぐれた師匠だったんだろうなあ。うまく演じることはできても、これだけのことを言語化して伝えられる噺家はそう多くないだろう。
米朝一門から高名な噺家が多く出ているのもむべなるかな。



特に印象に残ったのがこの話。
 つまり、甲がしゃべっている時は、演者は甲という人物になって、甲をあらわしているのはちがいないのですが、その甲の目の使い方と、セリフの内容によって、じつは乙が描かれているのであることを忘れてはならないのです。
甲の姿勢、表情、言葉づかい、話す内容によって、聴き手は「乙は甲の弟分なんだな」とか「ぞんざいな扱いを受けている奥さんなんだな」とか思い描く。
これはひとり芝居の落語ならではの表現だよね。

『ゴドーを待ちながら』とか『桐島、部活やめるってよ』のような、「ある人物を一度も登場させずに周囲の人間のセリフのみによってその人物を描く」という作品があるが、落語は常にそれをやっているわけだ。すごいなあ。
すべての噺家がこれを考えてやっているわけではないだろうけど。


米朝ファン、落語ファンはもちろん、表現活動が好きな人にとってはおもしろい本なんじゃないかな。

じつはこの本、うっかりまちがえて二冊買っちゃったんだけど、でも二倍のお金を払っても損はないと思えるような内容でした。


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