2018年8月17日金曜日

【読書感想文】いちゃつくカップルだらけの世界/『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」』


『大人もおどろく
「夏休み子ども科学電話相談」』

NHKラジオセンター「夏休み子ども科学電話相談」制作班

内容(e-honより)
常識にしばられない子どもの多様な質問、そして名だたる先生方の回答が飛び交う番組「夏休み子ども科学電話相談」。ときに身近な現象にひそむ事実にうなり、ときに意外なおもしろさに笑ってしまう、「お話」の数々を再現。楽しみながら科学的な思考法にも触れられる1冊。

NHKラジオで毎年やっている『夏休み子ども科学電話相談』。この番組は聴いたことがないけれど、Twitterなんかでよく話題になっている。
質問も回答もどっちもおもしろいなあと思っていたので、この本を読んでみた。

小学生の素朴な疑問を読むと、そういえばぼくもわかっていたつもりになっていたけど知らなかったことなあと気づかされる。

かき氷を食べたら頭が痛くなることとか、飛行機雲ができることとか、現象としては知っているけど「なぜ?」と訊かれると答えられない。

飛行機雲ができるには温度と湿度の条件がそろっていないといけないとか、言われてみれば納得なんだけど考えたこともなかった。
小学生よりある程度科学的知識を身につけた大人のほうが説明をすっと受け入れられて楽しめるかもしれない。

へえそうなんだと感心したのはこんな話。

  • かき氷を食べて頭が痛くなることを医学用語で「アイスクリーム頭痛」という
  • 地球で最初の生物は宇宙から来たという説も有力(隕石にくっついていたアミノ酸からできた)
  • 植物に優しい言葉をかけても元気にはならないが、植物にふれると強くなる




いちばんおもしろかったのは「好きなのに嫌いと言ってしまうのはどうして?」という質問。

ふうむ。たしかにそうだよねえ。動物はもっと好意を前面に出すのに、人間はなかなか素直になれないよね。
「私はあなたを好きです」をストレートに伝えたほうが恋愛関係も友人関係もうまくいく可能性が上がるだろうに、なかなかそれができない。言われてみればふしぎだ。
ぼくも好きな子に冷たくして何度も後悔した。素直に好きと言える人をうらやましいと思っていた。

この質問に対する答えは「好きという感情を隠しておいたほうが集団はうまくいくことが実験でわかっている」だった。
なるほど、それもわかる。「好き!」を前面に出す人って社会的にアレな人が多いもんね。街中でいちゃつくカップルって不愉快だし。
「〇〇さんが好き!」を全身全霊で表現するってことは、その他の人に「あなたは好きじゃない」って言うのと同じだから社会から疎外されちゃうのかもね。

でもコミュニティがぶっ壊れた破滅的状況においては、コミュニティの維持よりも自身の生殖のほうがずっと大事になるから、「好き!」を前面に出す人が繁栄するかもしれないね。
人目をはばからずにいちゃつくカップルばかりの世の中。いやだなあ……。


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2018年8月16日木曜日

【読書感想文】日本の農産物は安全だと思っていた/高野 誠鮮・木村 秋則『日本農業再生論 』


『日本農業再生論
「自然栽培」革命で日本は世界一になる!』

高野 誠鮮  木村 秋則

内容(e-honより)
東京オリンピックに自然栽培の食材を!農産物輸出大国の切り札、ここにあり!「奇跡のリンゴ」を作った男・木村秋則と、「ローマ法王に米を食べさせた男」・高野誠鮮の二人が、往復書簡のやりとりで日本の農業の未来を語り尽くした刺激的対論集!

木村秋則さんについて書かれた『奇跡のリンゴ』も高野誠鮮さんが書いた『ローマ法王に米を食べさせた男』もめちゃくちゃおもしろかった。どちらもぼくが2017年に読んだ本の中でトップ10に入るぐらい刺激的だった。
そんなふたりの対論(往復書簡のような感じで交互に自論を展開していく)なんだからおもしろくないわけがない。正直言って『奇跡のリンゴ』や『ローマ法王に~』の焼き直しの記述も多かったのでその二作を読んでいたぼくにとっては退屈だったけど、それ以外はおもしろかった。

日本の農業の置かれている状況とこれから進んでゆく道を、世界ではじめてリンゴの自然栽培に成功させた人と、限界集落を救ったスーパー公務員が指し示している。
ふたりともすごく前向きな人なので「なるほど、そのとおりにしたら日本の農業の将来は明るいな!」という気になる。
ぼくは素人なのでじっさいに農業をやっている人からすると「そんなかんたんにいくもんか」と言いたくなるんだろうけど、でも不可能といわれていることを可能にしたふたりが言うんだからふしぎな説得力がある。



日本の農産物は安全だと思っていた。
外国の農業は農薬たっぷりの大規模農業、日本は厳しい規制下で安全な野菜や果物を作っているのだと。
ところがどうもそうではないらしい。日本の農産物だからって安全ではない、むしろ諸外国に比べてはるかに安全性に劣るものが売られている状況もあるのだと。
 日本は、農薬の使用量がとりわけ高い。平成22(2010)年までのデータによると上から中国、日本、韓国、オランダ、イタリア、フランスの順で、単位面積あたりの農薬使用量は、アメリカの約7倍もあります。
 残留農薬のある野菜を食べ続けると体内に蓄積されていって、めまいや吐き気、皮膚のかぶれや発熱を引き起こすなど、人体に悪影響を及ぼすとされています。
 日本の食材は世界から見ると信頼度は非常に低く、下の下、問題外。
 もう日本人だけなの。日本の食材が安全だと思っているのは。
 ヨーロッパの知り合いから聞いた話ですが、日本に渡航する際、このようなパンフレットを渡されたそうです。「日本へ旅行する皆さんへ。日本は農薬の使用量が極めて多いので、旅行した際にはできるだけ野菜を食べないようにしてください。あなたの健康を害するおそれがあります」
日本が製造分野では没落したってことは最近ようやく受け入れられるようになってきたけど(まだ受け入れていない人もいるけど)、農業分野では世界最高峰だと思っている人も多いんじゃないだろうか。ぼくもそうだった。

そうか、日本の農産物っていいものではないのか。当然質の高いものはあるんだろうが、悪いものをはじく仕組みが整備されていないようだ。
それは個々の農家の責任というより、日本政府やJAのせいなんだろうけど。

知らなきゃよかった、とすら思う。国産野菜をありがたがって幸せに暮らせたのに。いやそれって幸せなんだろうか。



アメリカの種苗会社であるモンサント社の名前が出てくる。
堤未果『(株)貧困大国アメリカ』でも書かれていた。世界中の農業を牛耳ってるとも言われている会社だ。
ここが遺伝子改良によって作った、作物の形や大きさが均一になるF1種という種や、種子を作らない一代限りの種。それが世界中で使われている。世界中で均一のものが食べられているということは何かがあったときに一斉に問題が起こるということだし、一代限りで種をつけないということは農家は毎年モンサント社から種子を買わないといけないということだ。もしも買えなくなったら翌年からは作物を作れないわけだから言われるがままにせざるをえなくなる。

工業製品ならともかく、農産物は「急にすべて作れなくなりました」ってわけにはいかないものだから、たとえ高かったり不便だったりしてもリスク分散しておかないといけないと思うんだけどね。国の施策として。



今の農業は、ほとんど農薬と化学肥料の上に成り立っている。だけどそれはチャンスなんだと木村さんも高野さんも書いている。
日本が世界に先駆けて自然農法を確立して「日本の農産物は安全」というイメージを世界中に知らしめることができればTPPにも勝てるし経済にも大きな貢献ができると。

そのために高野さんは政治家にも働きかけをしている。ただ、そこに出てくる名前は地方創生担当大臣だった石破茂氏や首相夫人だった安倍昭恵氏。うーん、数年前なら良かったんだろうけど、今や石破さんは党内でも冷や飯を食わされて、安倍昭恵氏にいたっては交流があることがマイナスイメージにしかならない人になっちゃったしな……。つくづく高野さんも近づく政治家の引きが悪いな。

だけど、そうじゃなくても日本が国を挙げて自然農法に力を入れていくかっていったらむずかしいとぼくは思うなあ。
なぜなら「日本は工業化で成功した」という成功体験があるから。個人も国家も、半端な成功体験があるとそれを捨てて新しいことにチャレンジできなくなっちゃうんだよね。トップ企業がいつまでもトップでいられない理由がそこにある。
日本は時代遅れになったガソリン自動車産業を守ろうとして国家ごと没落してゆくような気がしてならない。アメリカもちょっとそうなってるし。
何も失うものがない状態だったら「よっしゃこれからは自然農法だ!」ってこともできるんだろうけどね。

でもこんな水を差すようなことばかり書いていたら、「可能性の無視は最大の悪策」とくりかえし書いている高野さんに怒られそうなのでやめとこう。なんとかなる、いや、なんとかできるでしょう。そう信じたい。



木村さんがこんな話を書いている。
 仲間を増やすと言えば、以前、少年院で農業指導をしたことがありました。12歳以上16歳未満の子どもたちがいる初等少年院です。
 少年院では子どもたちに革加工品などを作らせているけれど、今はあまり売れないそうです。少年院を出ると自動車の修理工場で働くことを希望する子どもたちが多いけれど、彼らを受け入れるところがあまりないし、工場に行ったら行ったで周囲の冷たい目で、1ヵ月もてばいいほうだって。
 けれど農業は基本的に個人経営です。ならば農業をやってみるのはどうかと院長さんが思いついて、私に声がかかったんですよ。
これ、すごくいいと思う。
ぼくは今のところ少年院にも刑務所にも入ったことないけど、刑務所での作業ってすごく時代遅れだと聞く。何十年も前のやり方で椅子や机を作っていたりとか。そんなもの外の世界に出て働くのに何の役にも立たない。せいぜい日曜大工ができるようになるぐらいだ。
かといって刑務所内でパソコンを教えるというのもむずかしいだろう。まず数学から教えないといけなかったりするし。
元受刑者がちゃんとした仕事につけなければ再犯に走る可能性が高まるわけで、それは受刑者当人にとっても社会にとっても良くない。

その点、農業、それも自然農法は刑務所内で習得するスキルとして適している。
自然農法だったら基本的に何十年たっても根幹は変わらないので知識や技術が古くなりにくい。土地さえあれば他人に雇ってもらわなくてもできる。土地は休耕地がたくさんある。
少年院や刑務所から出た人がこれから世界の農業を牽引する(かもしれない)自然農法をやるというのは、「成功体験がある人ほど新しいことにチャレンジしにくい」の真反対なのですごく相性がいいんじゃないだろうか。

あとは他の農家から村八分にされないかだけど、それがいちばんむずかしそうだな……。


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2018年8月15日水曜日

今どきの誕生日の内訳


娘の保育園のクラスには17人の園児がいる。
誕生日の内訳は以下の通りだ。

 4 ~  6月 …… 8人
 7 ~  9月 …… 4人
10 ~ 12月 …… 3人
 1 ~  3月 …… 2人

すごくバランスが悪い。
明らかに学年の前半に集中している。

みんな、いつ産んだらいいか考えながら産んでいるからだ。

生後2ヶ月たたないと保育園は預かってくれないので、2月以降に生まれた子は0歳児クラスに預けることができない。
また、1歳児クラスから預けるにしても、そのためには親が仕事復帰している必要がある。
4月生まれと3月生まれでは、職場復帰するときの負担がぜんぜん違う。生後1年の子と生後1年11ヶ月の子の能力は、5歳と20歳ぐらいの開きがある。
産んだ母親の身体だって、産後1年11ヶ月のほうがずっと快復しているだろう。

そういうわけで、みんな「いつ産むか」「そのためにはいつ頃仕込まないといけないか」を考えて子作りをしているのだろう。その結果、5~8月に誕生日が集中することになる(ちなみに4月生まれも少ない。少し計算とずれると3月生まれになってしまうからだ)。

交尾、妊娠、出産というきわめて動物的なおこないですら行政の事情にあわせてコントロールしなきゃいけないなんて、なんだかなあ。
しゃあないんだけど、1月生まれのぼくとしては寂しいかぎり。


2018年8月13日月曜日

日本讃歌


すばらしい国、日本。


ぼくらはお金持ち。
これまでそうだったから今後もお金持ちでいなくちゃね。
お金がないと生きていけないからね。お金のためなら死んでもいいよね。
ぼくらはお金持ち。お金を稼げない人は死ぬ気でがんばってないんだね。


ぼくらは正しい。
起訴されたら有罪率99%以上。だって正しいんだからね。
ぼくらは正しいから間違いを犯さない。間違いを犯さないから正しい。
ぼくらは正しい。間違いを指摘することが間違いだよ。


ぼくらは楽しい。
オリンピック、万博、カジノ。楽しいことばかり。
すべては気の持ちよう。総活躍できる労働、プレミアムな労働、高度でプロフェッショナルな労働。
ぼくらは楽しい。楽しめない人は日本が嫌いなの?


ぼくらは安心。
クリーンなエネルギー、民間が安く提供してくれる水、守ってくれる兵器。
怖いことは考えないようにすればいつでも安心。
ぼくらは安心。安心のためならリスクはやむをえないよね。


ぼくらは仲良し。
いつでも一緒。みんなと違うことをするやつは許さない。
同じ文化を好きになって、同じ敵を憎んで仲良く暮らそう。
ぼくらは仲良し。仲良しになろうとしない人はあっちに行ってね。


ぼくらは寛容。
嘘をついても隠蔽しても訴えないよ。
結果人が死んでも責任とれなんて言わないよ。ハラスメントだって許しちゃう。
ぼくらは寛容。寛容じゃないやつは許さない。


ぼくらは自由。
労働と家事と子育てを両立してもいいし、法律を無視して働いてもいいし、その結果死んだっていいよ。
がんばれと言うことしかできないけど、心の中で応援してるよ。
自由だから何してもいいんだよ。自由を奪われない範囲でね。



2018年8月11日土曜日

差別かそうじゃないかを線引きするたったひとつの基準


東京医科大の入試で女子の合格者を抑える得点操作が行われていたことが話題になっている。
8月7日に会見した東京医大内部調査委員会によると、2018年度の一般入試・二次試験の小論文(100点満点)において、女子と3浪以上の男子受験生の合格者が少なくなるよう、点数が操作されていた。
具体的には、受験者全員の点数に0.8をかけて減点した上で、現役〜2浪男子には20点を加点、3浪男子に10点を加点。女子受験者と4浪男子には、加点していなかった。
(BuzzFeed News『女性医師の割合は、先進国で最も低い。東京医大問題の背景にある6つのこと』)

これは良くない。ほとんどの人がそう思うだろう。ダメなところがいっぱいありすぎるから。
でも「どこまでがダメか」と思うかは人それぞれではないだろうか。



1.事前に公表していてもダメか?


東京医科大学は、受験者には知らせずにこっそり点数に手を加えていた。これはよくない。
では、あらかじめ募集要項で
「女子は点数を引きます。2浪以内の男子は加点しますが3浪以上なら加点しません」
と明記していたらどうだろうか?

「それなら大学側の自由」と思う人の割合は、非公表の場合に比べて若干増えるだろう。

「それでも女性の点数を引くことは許されない!」という人に次の質問。



2.事前に公表 & 減点ではなく拒否だったらダメか?


あらかじめ募集要項で
「女子は受け入れません」
と明記していたらどうだろうか?

これはつまり、今ある女子大や男子校がやっていることだ。
「事前に公表していたとしても女子を減点・排除してはいけない!」という人は、「お茶の水女子大学は性差別をしている」と思うだろうか。

日本でもっとも多くの東大や医学部の合格者数を出している高校は開成高校、合格率でいうと灘高校がトップだそうだ。どちらも男子校だ。
これらの高校は「日本でいちばんレベルの高い高校で学びたい」と願う女子を排除していることになるが、それも許されないだろうか?

「男子校や女子校、女子大学はいいんじゃない? 生徒にとってもメリットがあるんだし」と思うだろうか。そんな人には次の質問。




3.白人校、黒人校は許されるか?


アメリカで、黒人は受け入れない白人校、黒人だけの黒人校をつくることは許されるだろうか?
強制的な分離ではない。誰でも通っていい学校を残した上での措置である。
白人なら「人種共学校と白人校を選べる」、黒人なら「人種共学校と黒人校を選べる」という状況。今の日本で「共学校 or 男子校」「共学校 or 女子校」を選べるのと同じだ。
「特定の人種だけが通える学校は生徒にとってもメリットがある」という理屈をひねりだすことは可能だ。差別されないとか自信が生まれるとか。それでも許されないだろうか。

人種も性別も「自分では選択できない属性である」という点では同じである。男子校や女子校が許されるなら、白人校や黒人校も容認されなくてはならない(経営的に成り立つかどうかはおいといて)。
でも「白人だけの学校を作る」ことには眉をひそめる人が多いのではないだろうか。そんな人に次の質問。



4.日本人学校、朝鮮学校は許されるか?


外国にある日本人学校、日本にある朝鮮学校は許されるだろうか?
特定の人種だけの学校という点では、白人校黒人校と同じだ。白人校が許されないのであれば日本人学校や朝鮮学校も差別となる。
「白人が白人ことばを学ぶ学校を作ります」と「日本人が日本語を学ぶ学校を作ります」は別物だろうか?

話が元の位置から遠くに来てしまった。男女問題の話に戻そう。



5.スポーツで男女を分けることは差別ではないか?


オリンピック競技はポロ以外はすべて男女に分かれている。男女で分かれていないプロスポーツをぼくは知らない。テニスなどには男女ペアという種目もあるが、あれに男子同士、女子同士のペアが出ることはできないので男女で線を引いていることに変わりはない。

「男女は体格も筋力も違うんだからあたりまえじゃないか」というかもしれない。
でもそれって平均の話、傾向の話だ。属性ごとの平均や傾向によって分ける、それこそが差別じゃないの?

男より大きい女も、女より力のない男もたくさんいる。
個々の能力を無視して平均的な傾向から「男は女より体力や筋力があるから女子マラソンに男子が出てはいけない」とするのは、「男子のほうがが体力があって理系的思考が得意だから医科大学から女子を排除してもよい」「〇〇地域出身者は犯罪者になる可能性が高いから我が社では採用しない」というのと同じではないだろうか。



じゃあ差別の基準ってどこにあるの?


ちゃんとした調査をしたわけではないが、現代日本人の多数派の感覚としては
「医科大学の入試で女子だけ減点するのはダメ」
「男子校や女子大はOK」
「白人校や黒人校はダメ」
「日本人学校や朝鮮学校はOK」
「スポーツで男女別に分けるのはOK」
「就職時に出身地で差別するのはダメ」
ではないだろうか。
「どっちですか?」と訊かれて直感で答えたら、ぼくの答えもそうなる。

こうして見てみると、OKなものとダメなものに論理的な線引きはない。
あるのはただひとつ、

「今あるものはOK、これまでなかった or 既に廃止になったものはダメ」

という基準だけだよね?