2018年4月22日日曜日
ばかの朝食バイキング
もう三十代半ばになると「焼肉食べ放題」などと聞いても心が動かされないどころか「いいお肉をちょっと食べるほうがいい」と思ってしまうのだが、それでもホテルの「朝食バイキング」だけは心躍る。
ホテルや旅館の夕食は無駄に量が多いのであまり好きじゃないが、ホテルの朝食バイキングは大好きだ。朝食バイキングを食べるためにホテルに泊まるといっても過言ではない。いや少し言いすぎた。
あんなに楽しいイベント、大人になるとそうそうない。
なんたってなんでも取り放題なのだ。
しかも、朝食、というのがいい。
朝ごはんのために各種パンとご飯とベーコンエッグとスクランブルエッグとゆで卵と目玉焼きと納豆と海苔と焼き鮭と味噌汁とカレーとコーンスープとオニオンスープとソーセージとハムとトマトとサラダとチーズとバナナとオレンジとグレープフルーツとヨーグルトとシリアルとミルクとオレンジジュースとコーヒーと紅茶を用意しようと思ったら、三時ぐらいに起きなきゃいけないだろう。それを全部やってくれるのだ。たかだか千円ぐらいで。ホテルによっては無料のところもある。最高。これに心躍らないはずがない。
目を覚まして「そろそろ朝飯でも食いにいくか」と部屋を出た段階では、まだ浮き足立ってない。それどころか少しおっくうだったりする。「めんどくさいけど、朝食付きのコースにしちゃったしな」ぐらいの気持ちだ。
でもずらりと並んでいる料理を見たら、たちまち血圧が上がる。「これ全部食べ放題!?」わかっているのに、いちいち喜ぶ。
もうぜんぶ食べたい。端から端までぜんぶ食べたい。ふだんそんな好きじゃない料理も、今日ばかりは食べたい。ミルクとオレンジジュースとグレープフルーツジュースとコーヒーをぜんぶ飲みたい。
そうはいっても現実的にぜんぶは食べられないので、まずは方向性を決めることになる。
すなわち、和か洋か。
まずご飯を盛るか、パンを手にするかでその後の方向性が決定する。ご飯はコーンスープやオレンジジュースとは合わないし、パンなら納豆や海苔はあきらめることになる。
まあたいていは洋食だ。
なぜなら、
・洋食のメニューのほうが選択肢が多い(和食なら、ほぼ味噌汁・海苔・鮭・納豆あたりに決まってしまう)
・食後のデザート→コーヒーという流れに自然に移行できる
・ご飯は家でもおいしく炊けるが、買ってきたパンは焼きたてパンに遠く及ばない
からだ。
まずはパンをとる。二個とる。スクランブルエッグとサラダをとる。ヨーグルトをとってシリアルをかける。オレンジジュースを入れる。
ふだんならこれで十分だが、そこはバイキングのおそろしさ。ここで引き下がってはもったいない。ソーセージとコーンスープとチーズとジャムとミルクとトマトも皿に盛る。
席について、自分の皿を眺めて思う。とりすぎた。
必ずとりすぎる。ちょっととって足りなかったらまたとりにいけばいいのに、それができない。一巡で済まそうとしてしまう。で、とりすぎる。
多すぎたな、これ全部食べられるかな、と不安になる。
そんな後悔すら楽しい。
後先考えずにとったので、スクランブルエッグと目玉焼きがあったり、ベーコンとソーセージがあったりする。
そんな失敗すら楽しい。
ばかみたいな皿だな、と思う。
己のばかさすら愛おしい。
いろいろとりすぎて、でもバイキングで残したらあかんと思うから無理して食べて、苦しい。
オレンジジュースもミルクもコーヒーも飲んで、おなか痛い。
ばかのバイキングだな、と思う。毎回思う。でも楽しい。毎回楽しい。
2018年4月21日土曜日
子どもをのびのびと遊ばせる先生
小学校四年生のときの担任は、三十代の男の教師。T先生。
ことあるごとに子どもたちを連れてどこかへ出かけたり、雪が積もったら授業をつぶして一日中雪遊びをさせたり(めったに雪が積もらない地域なので)、しょっちゅう冗談を言って生徒を笑わせたり、「子どもをのびのびと遊ばせる」ことに情熱を注いでいる人だった。
いい先生じゃないか、と思うかもしれないがぼくはT先生が苦手だった。
当時はうまく言葉にできずに「なんか好きじゃない」ぐらいにしか思えなかったけど、今ならなんとなくその理由がわかる。
T先生は「理想の子ども像」を強く持っていた。
彼は、勉強が嫌いで、野山で走りまわって遊ぶことが好きで、元気で明るく冗談に大笑いする子どもたちが大好きだったんだと思う。いわゆる「子どもらしい」子どもが好きだった。そして、そうでない子どもたちは好きではなかった。
ぼくは野山で走りまわることは好きだったが、勉強や本を読むことも好きだったし、明るくもなかったし、ひねくれたところがあったのでみんなが笑う冗談を「くだらない」とばかにするようなところもあった。
T先生はぼくのことを好きではなかったと思う。表立って態度に出すことはなかったが、自分が好かれていないことぐらい四年生になれば理解できる。
T先生の授業の進め方も「勉強ができない子向け」だった。問題を出して、答えられないであろうを指名し、間違った答えを引きだす。そこから「なぜ間違えたのか」「どういうところに気を付ければ間違えないか」といった指導をしていた。勉強のできない子にとってはありがたいやりかたかもしれないが、勉強の得意な子からするとつまらない授業だった。ぼくは後者だった。
ぼくが指名されることもあったが「誰にでもわかるかんたんな問題」を問われるのが不満だった。ぼくは「じっくり考えないとわからない難しい問題」を出してほしいのに。そして優越感に浸りたいのに。
つまらないので国語の教科書を先に読み進めたりしていると厳しく怒られた。「クラスがひとまとまりになって和気あいあいと授業をする」という形から外れるのを、T先生は何より嫌った。
休み時間に本を読んでいるとT先生は「天気がいいから外に遊びにいっておいで」と言う。
ノートを切ってつくったお手製のすごろくで遊んでいると「すみっこでこそこそそんな遊びをしてないでドッジボールでもしてこい」と怒られた。
T先生は塾を目の敵にしていた。
ことあるごとに「塾なんか行かなくても学校の勉強だけで十分」と口にしていた。
今はどうだか知らないけど、当時は塾に通うことを嫌う教師は多かった(学校の教師にしたら、自分の存在を否定されるような気持ちになるんだろう)。その中でもT先生は特に塾のメリットを否定していた。
ぼくは塾に通っていなかったが、四年生にもなるとクラスの何人かは塾に通っていた。ぼくの友人は塾に通っていたが、個人面談の場で「塾なんか辞めさせたほうがいいですよ」と言われたらしい。
彼らに対してT先生はことさら冷たく当たっていた。勉強のできない子がかんたんな問題を解けたときは大げさに褒める一方、塾に通う子らが難しい問題を解いても褒めなかった。彼らは居心地が悪かっただろう。
快活で勉強が苦手な子からは、T先生は大人気だった。そしてクラスの空気を支配するのはそういう子どもたちだ。だからT先生のことを悪く言いにくい雰囲気があった。
口うるさくて怒りっぽい先生のことなら「あいつむかつくよな」と言えたのに、「T先生嫌いだな」というと友だちから「なんで? めっちゃ遊ばせてくれるしおもしろいやん」と返ってくるので不満すらこぼしにくかった。
T先生は親からの評判はあまりよくなかったらしい。
まあ、授業時間をつぶして遊ばせてばっかりいたので、教育熱心な親からしたら気に入らない教師だっただろう(ぼくが通っていた小学校にはそういう親が多かった)。
でもT先生からしたら「もっと勉強させてほしいと願う親」の存在は、自分のやりかたを改める理由にはならなかっただろう。いや、それどころか「理解のない親から『子どもらしさ』を守らねば」と、自身の行動を正当化する材料になるだけだっただろう。
でも勉強をさせてほしいのは親だけじゃない。勉強したい子どももいる。
勉強が好きな子どももいるということは、T先生にとってまったく想像の外、想像すらしたくないことだったのだろうな。
2018年4月20日金曜日
味噌のポテンシャル
今さらながら味噌にはまっている。
第一次味噌ブームが起こったのは奈良時代のことだから、1300年ほど遅れてブームに乗っかっていることになる。
きっかけは料理研究家の土井善晴さんのエッセイだった(→ 感想)。
土井さんが「おかずが足りないときは味噌をそのまま食べればいい」と書いていたのでやってみたら、思いのほかうまかった。
"味噌汁"や"味噌煮"でその能力の高さは知っていたつもりになっていたが、味噌の実力はまだまだそんなもんじゃなかった。なんたるポテンシャル。
ご飯に乗せて食べてもうまい。
味噌茶漬けにしてもうまい。
味噌おにぎり、最高。海苔と味噌の相性ばつぐん。
味噌のおにぎりって梅ぼしや鮭や昆布と並ぶぐらいの定番商品になってもいいと思うのに、コンビニで「みそ」のおにぎりを見たことがない。「豚肉の味噌炒め」とか「味噌焼きおにぎり」とかはあるけど、味噌だけで主役を張ったおにぎりがない。
もっともっと評価されてもいいと思うよ、味噌おにぎり。
肉にも魚にも野菜にもご飯にも麺にもあう。
味噌は万能。ベビースターラーメンみそ味以外は全部おいしい。
2018年4月19日木曜日
君がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないでしょう
孝之へ
君がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないでしょう。
でももし私がまだ存命中にこの手紙を見てしまった場合、速やかにこの手紙を元のトイレットペーパーのストックを置いとく場所にしまってください。そしてしばらく忘れてください。私が死んだらまた思いだしてください。
もし私が危篤状態にあるときにこの手紙を発見した場合は、医師の判断を仰いでください。
意識を取り戻す可能性がぜったいにない、とお医者さんが断言したときだけこの手紙の続きを読んでください。
くれぐれも勝手な判断で「もう意識がないから読んでも大丈夫だろう」だなんて思わないでください。素人判断ほど危険なものはありませんから。
専門家の知識を甘く見てはいけません。だいたい君は六年前もちょっと調子の悪くなったHDDレコーダーを分解して、壊してしまったでしょう。あれだって早めに電器屋さんに持っていけば直ったかもしれないのに。君にはそういうことがあるから気を付けてください。
もしこの手紙を読んでいるのが孝之じゃない人の場合、ここで読むのをやめて、この手紙を孝之に渡してください。
「これ、トイレットペーパーのストックを置くところにあったよ。大丈夫、まったく読んでないから」
と言って手渡してください。「自分宛ての手紙をほかの人が先に開封した」と知ったらなんとなく嫌な気持ちになっちゃうでしょう。だからまったく読んでないことにして渡してあげてください。
もしこの手紙を読んでいるのが孝之じゃなくて、かつ私がまだ生きている場合は、この手紙を元の場所に戻してください。私が危篤状態にあるときの手順は先に書いたとおりです。
もしこの手紙を読んでいるのが孝之じゃなくて、かつ孝之のことを知らない人の場合、そして私のこともしらない人の場合、お願いがあります。
お手数ですが居間にあるパソコンを起動してください。パスワードは「password」です。
そのパソコンの「マイコンピュータ > ダウンロード > 仕事用 > 参考資料 > 2015年 > 3月」の中にある「画像」というフォルダを決して開封せずに削除してください。それが済んだら直ちにごみ箱を空にしてください。
理由は聞かないでください。こういうことは知り合いにはかえって頼みにくいので、よろしくお願いいたします。
2018年4月18日水曜日
【読書感想】恒川 光太郎 『夜市』
『夜市』
恒川 光太郎
『夜市』『風の古道』の二篇を収録。
日本ホラー小説大賞受賞(『夜市』)で、レーベルは角川ホラー文庫。でもホラーではない。
二篇ともこの世のものではない存在がはびこる世界を描いているが、怖がらせるために書いているわけではなく、さらりと「こういう世界もあるんですよ」と提示しているだけ、というような筆致。
今市子『百鬼夜行抄』という漫画を思いだした。
あれも妖怪が出てくるが、ただ「いるだけ」だった。いくつかの条件が重なれば人間に害をなすこともあるが、それは彼らが邪悪だからではなく、それなりの理由があってやっていることだった。
人間と虫の付き合い方にも似ているかもしれない。人間には人間の世界があり、虫には虫の世界がある。基本的にはお互いに干渉しないが、人間がハチの巣に近づけばハチは攻撃してくるし、人間の家にゴキブリが侵入すれば人間はゴキブリを殺そうとする。ただしそれぞれの領域を侵さなければ特に何もしない。意識することすらない。
『夜市』や『百鬼夜行抄』で描かれる人間と物の怪たちの関係もそれと似ている。それぞれべつの世界を生きている存在。こちらが何もしなければ敵ではないし味方でもない。ふとした拍子にたまたますれちがうだけの隣人。
特に『夜市』は、短篇でありながら見事な怪異譚だった。
半醒半睡のような雰囲気、徐々に登場人物の過去が明らかになる構成、意外な展開、そして余韻の残るラストと、短い中に小説のおもしろさがぎゅっと詰まっていた。
いきなりこんなわけのわからない世界に入るので、なるほど奇妙な味わいの幻想的な物語ね、と思っていたらストーリーもしっかりと組み立てられていたので思わずうなった。
世界感はすばらしいのに、お話は「少年がある日冒険の旅に出て、個性的な仲間と出会い、いろいろ苦労しながら悪いやつをやっつけてバンザイ」だったり。それだったら『オズの魔法使い』のほうがよっぽどおもしろいわ、と思っちゃうよね(いや『オズの魔法使い』は名作だけどね)。
宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』とかつまらなかったなあ。RPGゲームを文章化しただけみたいだった。「どんな本でも最後までは読んでみる」をモットーにしているぼくが途中で投げだした、数少ない本のひとつだ。いくらジュブナイルとはいえ……(『ブレイブ・ストーリー』の悪口を書きだすと長くなるので省略)。
ゲームのシナリオだったらある程度単純なほうがいいんだろうけど(複雑にしすぎるとゲームそのものの味わいを邪魔する)、小説でそんな単純なストーリーは読みたくない。
ファンタジーで終わらせない仕掛けのある小説が読みたいのだ。
貴志祐介『新世界より』や森見登美彦『四畳半神話体系』は、そのあたりに見事に成功していた。あれはおもしろいファンタジーだったけど、ファンタジーだったからおもしろかったわけではない。ファンタジーで、かつ、おもしろかった。
『夜市』も、まず蠱惑的な世界に目がいくが、物語はその世界観に頼りきりでない。めちゃくちゃな世界のようで、登場人物の行動には整合性がある。伏線の回収もじつにさりげないし、トリックの種明かしを物語のラストに持ってこない構成もいい。主題はそっちじゃないもんね。
すごく疲れているときなんかにやけに明確なストーリーのある夢を見ることがあるが、そんな感じの読書体験だった。まるで白昼夢。
「奇跡的な美しさに満ちた感動のエンディング!」というチープすぎる宣伝コピーをのぞけば、他に類のない、完成された小説だった。
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