怖い話を一席。
ほんとに背筋が凍るぐらい怖い話なので、ホラーが苦手な人と、フードコートによく行く人は読まないほうがいいです。
先日、某大型ショッピングモールのフードコートを通りがかりました。
食事どきではなかったので客数はさほど多くなく、学生がぺちゃくちゃとおしゃべりをしているだけでした。
フードコートの端には手洗い場があり、布巾が置いてあります。
きれい好きな人はこの布巾を水でぬらし、テーブルを拭いてから食事をするのでしょう。
そこにひとりのおじさんが立っておりました。
頭はボサボサでしばらく洗った様子はなく、日焼けと垢でまっ黒な顔をした、まあ要するにおうちを持たないタイプのおじさんです。
私は、見るともなしにおじさんの様子を眺めておりました。
おじさんはフードコートの布巾を手に取ると、水で濡らし、よく絞りました。
そして、その布巾で、自分のお腹や腋をごしごしと洗いはじめましたのです。
全身の血の気が引くとはこのことです。
すぐに周りを見渡しました。しかし他の客はおしゃべりに夢中で無住居型のおじさんには目もくれません。
おじさんの行為に気がついたのはぼくだけのようでした。
眼前で起こったことがいまだ現実のこととは思えません。
しかしぼくはたしかに見たのです。少なくとも1ヶ月は風呂に入っていないであろうおじさんが、共用の布巾を使って身を清めるところを。
ぼくはそのまま立ち去ったので、その後の顛末は知りません。
もし、おじさんが身体を拭いた布巾を持ち去ったのであれば、まあいいでしょう(それも良くないことではありますが)。
しかし、もし。
ぼくは想像してしまうのです。
おじさんが身体をていねいにこすった布巾を、元あったところに戻し、そうとは知らない誰かがその布巾でテーブルを……!
きゃー!!!
どうです、ほんとに背筋が凍りついたでしょう……?
だから読まないほうがいいといったのに!
ちなみにわたしは、あれ以来、そのフードコートを利用したことはありません。
2016年7月12日火曜日
【エッセイ】 リア銃。
電車の中で、大学生ぐらいの男女グループが
「ほんとあいつリア充だよなー」
「リア充爆発しろ!」
と、楽しそうにキャッキャッ言っていた。
「リア充」とか「リア充爆発しろ!」とかって、男女グループで楽しく談笑したりできない人たちが、自尊心を守るために生み出した武器のはず。
その武器を、どう見ても「リア充」側に属する人たちが使って、非「リア充」の人たちを傷つけている。
この感じ、何かに似ている。
……ああ、あれだ。
アメリカ人の銃に対する考え方だ。
銃規制反対派が「銃は善良な市民が身を守るために必要なものだ!」と主張して、その身を守るための銃によって多数の善良な市民が殺されているやつと一緒だ。
2016年7月11日月曜日
【読書感想文】施川ユウキ 『バーナード嬢曰く。』
施川ユウキ 『バーナード嬢曰く。1巻』
ありとあらゆるものがマンガの題材になっている時代なのに、ありそうでなかった読書マンガ。
『名作小説をマンガにしてみました』とかはよくあるけど、「読書」について真っ正面から取り扱ったマンガは他に知らない。
読書もマンガも好きな人っていっぱいいると思うのにな。
ぼくもその一人だし。
読書ってのはものすごく内的な行為なのでマンガにしにくいのかもしれないね。動きもないし。
『バーナード嬢曰く。』は、内容紹介に「読むとなんだか読書欲が高まる」とあるとおり、本が読みたくなるマンガ。
熱を込めて「この本おもしろいよ!」って薦めているわけでもないのに。
本屋に行くと、「涙が止まらない感動巨編」って帯とか、「書店員が選んだ泣ける本No.1」みたいな安っぽいPOPが立ち並んでいるけど、ああいうのって本好きからするとへどが出るよね(書店でへどを出すと迷惑なんでこらえるけど)。
あれって本を読まない人、本の選び方を知らない人のためのものなんだよね。
本好きはあんなもので本を買わない。
ごく淡々としたあらすじだけで十分。何千冊も読んでいれば、自然と五十文字くらいのあらすじだけでおもしろい本を見抜けるようになる(はずれることも多々あるけど)。
たいていの文庫の巻末についている『他の文庫を紹介するコーナー』の魅力は、文庫好きなら誰もが知っているはず。
そんな『他の文庫を紹介するコーナー』みたいなおもしろさが詰まっているのが、『バーナード嬢曰く。』
あっさりした本の紹介と、軽めのギャグ。
まさに文庫目録のような軽妙さが心地いい。
このマンガで紹介されている本を読みたくなって、思わずマクニールの『世界史』とハインラインの『夏への扉』を購入してしまった(なにしろkindleで読んでいるので、あっという間に買えちゃうのだ。Amazonこわい)。
紹介されている本は、いわゆる『文学』だけかと思っていたら、ノンフィクション、ビジネス書、絵本、ケータイ小説など多岐にわたっている。
作者の好みが反映されているんだろう、SFにやけに比重が置かれているが。
このマンガのおもしろさのひとつは「読書家の本に対する姿勢」への言及。
読書家って、話題になっている本に対して素直な態度をとれないよね。
たとえば芥川賞をとった又吉直樹の『火花』。
本を好きな人ほど、あの本の扱いに困ってるんじゃない?
やっぱり「しょせんはタレント本でしょ」という気持ちもどっかにあるから、手放しでほめることはできない。
かといって全面的に否定するのも、芥川賞の歴史を軽んじてるようだし、そんじょそこらのにわか芥川賞ファンと一緒にされそうでイヤ。
結局、
「新人としてはスケールの大きい作品だが細かい点で粗も目立った。次回作に期待したい」
なんて、変に大上段にかまえた選考委員みたいなコメントをしてしまったりする。
あるいは、斜に構えて「おれは話題作とか読まないんだよね」みたいなスタンスをとってしまう(誰もおまえの読書傾向になんか興味ないっての)。
ぼくは完全に後者のタイプ。
そういう、本好きのひねくれたところをうまくギャグにしている。
特にSFファンからしたら「あるある!」なネタもたくさん。
ところで『読書好きがどういう評価をくだしていいか悩む作家 ダントツの第1位』である、村上春樹の名前がこの本には出てこない。
読書について語るなら村上春樹ははずせないだろう、あんなに評価の分かれる作家はいないんだから!
......と思っていたら、2巻では満を持して村上春樹に言及しているらしい。
いかん、2巻も買ってしまいそうだ。さすが「読むとなんだか本が買いたくなる」マンガ!
2016年7月10日日曜日
2016年7月9日土曜日
【読書感想文】 エド・レジス 『不死テクノロジー―科学がSFを超える日』
エド・レジス『不死テクノロジー―科学がSFを超える日』
「最先端科学のさらに先をいく理論」の本。
「今の科学では実現不可能だけど、将来的にも不可能だとは立証されていないこと」に挑戦する科学者たちを紹介している。
サイエンス2割、伝記2割、SFが6割という感じ。
1993年に書かれた本だけど、内容はまったく古びていない。
なぜならこの本で予想されている未来は、まだぜんぜん実現していないから。
たとえば......。
作り方はこう。
小さなロボットを作る。
そのロボットには「自分と同じ動きをする、自分より小さなロボットを作る」というプログラムを組んでおく。
すると、ロボットがひとまわり小さなロボットを数体作り、そのロボットがもっと小さなロボットを数体作り……となって、ナノサイズの動きを制御できるロボットが大量にできあがる。
このロボットは分子単位の操作ができる。鉄を金にすることはできないが(原子が違うから)、炭素をダイヤモンドにすることは可能かもしれない(同じ炭素原子からできているから)。
分子を並び替えることによって、牛がいなくても牛肉がつくれる。
金属の分子を並び替えることによって車も宇宙船もつくれてしまう。
そうなると、生産のための労働は不要になる。
このナノロボットを使えば細胞レベルで治療ができるから、ガンもあっという間に治せる。
それどころではない。
人間を冷凍保存して、数万年後に解凍する。解凍時に破損した細胞はナノロボットで治せるから、未来旅行もできてしまうのだ。
おお。
バラ色の未来。
しかもこれってそう遠くない未来にできそうなことだよね。
ひょっとすると百年後には実用化してるんじゃないかっていう気もする(『不死テクノロジー』によると、もう未来での復活を信じて冷凍されている人はたくさんいるんだって。復活した人はまだいないみたいだけど)。
星新一ファンのぼくからすると「冷凍保存して未来の世界に生まれ変わったら、そこは現代よりもずっと退屈な世の中だった」というシナリオしかイメージできないけど……。
ただ、この本で描かれる未来の技術は、こんなもんじゃない。
SFだとしても「ありえない」ぐらいの未来を、本気で信じている人がいる。
「宇宙へ出ていって、コロニー(居住空間)をつくる」方法を模索している人たちの話。
なんて壮大なスケールの空想……。
「99.9999%失敗するだろ」としか思えない無謀な試み。
でも、その「0.0001%」に挑戦してきた人がいるからこそ、今、人類が宇宙に進出できてるわけだしね。
ライト兄弟が有人飛行に成功するまでは、「人間を乗せて空を飛ぶなんて理論上不可能だ」と科学者にすら思われていたそうだ。
そう考えると、宇宙コロニーもありえないことではないのかも。ひょっとするとあと百年くらいで形になっているのかもしれないね。
それにしても感心するのは、この本に出てくる科学者たちの、科学への全幅の信頼と、底抜けのポジティブさ。
「地球環境を守って住みよい地球にしよう」と皆が話しているときに、
「じゃあ地球なんて捨てて別の居住地を作っちゃえばいいじゃん!」という発想。
発想の次元がちがいますよね。
もう楽観的というか、傲慢というか......。
彼らからすると、地球は「ただ偶然に固まっただけの欠陥品」で、「現在のバージョンの太陽系はエネルギー効率が悪い」。
ぼくみたいな常識にとらわれたつまんない考えしかできない人間からすると、ただもう呆然とするばかり。
太陽を分子加速器の巨大なリングのなかに入れて絞りあげ、太陽を分解して必要なエネルギーを取りだそう、なんてアイデアが出てくるに及んでは、もう完全についていけない……。
そんな中、ぼくが「これはもうすぐ実現するんじゃないかと思ったのは、「心の転送」というアイデア。
人間の情報、思想、記憶なんてものはすべて情報だから、これらすべて読み取り、情報記憶装置に移すというもの。
人間の脳内のデータをすべてコンピュータに移植するってことだね。
こうすれば移動(転送)も容易なので、宇宙旅行もかんたん。死ぬこともないし、万が一のデータが消失してしまうという事態に備えてバックアップをとっておくこともできる。
これができれば、もう宇宙コロニーも必要なくなるよね。
一ヶ所にいながらにして何でもできちゃうんだから。
これはひょっとするとあと十年くらいでできちゃうんじゃないかな。
脳内で起こっていることを解析する研究はどんどん進められていってるし、データを保存するサーバーは今でもあるし。
いや、ひょっとするともう実現してるかも。
たとえば火星や金星には(我々が思うところの)生命体は存在しないけれど、たとえばただの電気信号だけの存在となって思考したりコミュニケーションをとったりしているやつらがいるとか……。
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