これからの日本 これからの世界
下村 宏
(引用部分は一部、現在の常用漢字にしてあります)
昭和十一年刊行。日本少國民文庫というシリーズの第四巻だそうだ。
おそらく小学生向けに書かれた本で、現在の世界や日本の状況と、今後の課題や展望について様々な分野から検証している。また章の間にコラムがあったり、クイズコーナーや手品を紹介するページがあったりと、雑誌のようなつくりになっている。子どもを飽きさせない工夫だろうか。
古本屋で見つけて、「戦前の本か。さぞかし歪んだ思想があふれているのだろうな。どれ、当時の日本人がどれほど愚かか笑ってやろう」というちょっと意地悪な気持ちで手に取ったのだが……。
意外にもちゃんとしている。たとえば国際情勢を語っている章で、なぜ第一次世界大戦が起こったのかという解説はもちろん、第一次世界大戦で領土をとられたドイツが再び力をつけてきているので近いうちにもう一度世界大戦が起こる可能性が高い、なんてことが書いてある。
また、原子爆弾の誕生を予見していたりもする。まさか自分たちの国土に落とされるとまではおもってなかっただろうけど。
ふうん。わりと冷静に世界情勢が見えてるんだなあ。
日本が国際連盟を脱退したのが昭和八年。昭和十一年にはもう「名誉ある孤立」を貫いていたのかとおもいきや「今後、世界の国々とどうかかわっていくべきか」「他国を見習ってよい国にしていかなければいけない」なんてことが書いてある。昭和十一年はまだそれほど軍国主義がはびこってないんだなあ。
他の本を読んでも、昭和十年ぐらいの日本人の意識は戦後とそんなに変わらなかったようだ。太平洋戦争開戦後の昭和十六年~二十年ぐらいがきわだって異常だっただけで、それ以前の日本人の意識はヨーロッパ諸国とそんなに変わらなかったのかな。
ただしこの本が刊行された昭和十一年といえば二・二六事件が起こった年で、歴史の教科書でもそれを機に急激に日本が軍国主義に傾いていくと書いてある。ちょうどこの本が出たあたりが転機だったのかもしれない。
世界の国々の人口が書いてある章で、イギリスの人口が4億3830万人と書いてあった。
誤植か? 今でも1億人もいない国なのに、4億もいたはずないだろう……とおもっていたが、その後を読んで謎が解けた。この頃はまだカナダやオーストラリアは独立国ではなくイギリスの自治領なのだ。自治領や植民地の人口も含んでいるから4億もいたわけだ。
本土人口ではないとはいえ、人口4億のイギリスが人口6500万人ぐらいのドイツに負けかけたわけだから、ナチスドイツの勢いはすごかったんだなあ。また今ほどの大国ではなかったアメリカが感じた脅威もよく理解できる。
「戦前のゆがんだ思想を見てやろう」というぼくの底意地の悪い期待に反して書いてあることはだいたいマトモだったのだが、『人種改良』のほうは期待に応えてくれるものだった。
ここに書いてあるのは要は優性思想で、劣った人間は子孫を残すな、ということである。
現代の価値観だとめちゃくちゃヤバい思想(少なくとも公言していいことじゃない。まして子ども向けの本で書くなんて言語道断)ということになるのだけど、当時の価値観ではべつに異端ではなく、国家自体が率先して障害者や精神病患者の避妊手術をしていた。
今ではこんなことを公言する人はめったにいないが、考え自体がまったく過去のものになったわけではなく、今でも個人単位で信じている人は少なくないし、最近でも「避妊手術を強制された障害者などが国を相手どって損害賠償請求をした裁判の判決が出た」なんてことがニュースになっている。
この考えを推し進めていくと、不健康なやつは子孫を残すな、頭の悪いやつは子孫を残すな、性格の悪いやつは子孫を残すな……ということになり、やがては自分の番が訪れることになるんだけどね。
そして成功者の子どもが優秀かというと必ずしもそうとは……ということも明らかになってきたし。
また、この本ではメンデルの法則を引き合いに出して優秀な種を残せと語っているが、これは完全な誤解。メンデルの法則は単なる発現のしやすさについての法則であって、優劣とは関係ない。
さっき「昭和十年ぐらいの日本人の意識は戦後とそんなに変わらなかった」と書いたけど、いちばん大きく変わっているのは「国と国民がどっちが大事か」という点だとおもう。
優性思想はその最たるものだけど、「国民ひとりひとりよりも国家のほうが大事」という意識がこの本の通底にある。一部の極右政治家なんかは今もそう勘違いしているけど。
この本では「良い未来をつくるためにはどうすればよいか」をあれこれと提唱してるんだけど、その「良い」ってのは国家にとっての「良い」であって、個人にとっての「良い」とは必ずしも一致しない。ときには国家のために捨て石になることをためらうな、という調子だ。
ま、そういうやつに限って「俺以外の誰かが捨て石になれ」って考えなんだけど。
鎖国政策について。
「鎖国していなかったら日本が植民地にされていたのでは」という心配を完全に否定し、それどころか、「鎖国していなかったら日本が海外に出て植民地を増やしていたはず」とまで言い切っている。すごい自信だ。
実際どうなんだろうね。江戸時代には日本で銀がたくさんとれたらしいから(石見銀山は最盛期には世界の銀の三割ほどの産出量があったとか)、西洋の列強に狙われていたかもしれないけど、本国からの距離を考えると日本はそこまで魅力的な地ではなかったんじゃないかな、という気もする。征服できないというより征服する価値がないというか。
他方、海外進出して領地を増やしていたかというと……それもあやしい気がする。幕府が本気で海外征服しようとおもったら鎖国していてもできたわけだし。実践ではなく武芸に明け暮れていたサムライが海外で活躍できたとはとうていおもえないな……。
この著者、全体的に日本という国、日本国民を買いかぶっているきらいがあるんだけど、米と日本語に関しては蛇蝎のごとく非難している。
とにかく米が嫌い。
栄養価が低い、持ち運びがしにくい、食べにくい、冷めたらまずい、調理に時間がかかる、保存がきかない、などことあるごとに米の欠点を指摘している。日本人が小さいのは米食のせいだとか。
それから日本語、特に漢字を嫌っている。漢字の学習に時間を割いているせいで、他の学習がおろそかになっている、日本人は漢字を捨てて、できることならカナ文字も捨てて、ローマ字に切り替えるべきだと主張している。
うーん、まあわかる面もあるんだけど。でもこういう人って、日本の調子が悪いときは「米食が悪いんだ! 漢字を使っているせいだ!」と言って、日本経済が好調だと「日本人が優秀なのは米食のおかげだ! 漢字が優れているからだ!」って言いだすんだよね。つまり根拠があってしゃべってるわけではなく、憶測だけでしゃべっている。そして結論は決まっていて、その結論を引き出すために理屈をひねりだしているんだよね。
ザ・戯言って感じだ。
ただ、本気で国家の未来を考えているだけあって、十分に傾聴する価値のある提言もある。
こういう長期的な展望を語る人って、今はすごく少ないよね。
政治家もみんな、やれこの四半期の経済がどうだとか、数年後にオリンピックや万博をやったらどうなるとか、そんな短いスパンの話しかしない。
今からこの事業をはじめれば二十年後にはこんないい国になっている、なんてことは誰も語ろうとしない。田中角栄ぐらいが最後だろうか(角栄さんに関しては功罪いろいろあるけど)。
目先の集票、集金のことしか考えられないおじいちゃん議員には無理なんだろうなあ。だって二十年後は自分が生きてるかどうかわからないんだもん。
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿