2024年8月6日火曜日

【読書感想文】下村 宏『これからの日本 これからの世界』 / 昭和11年の小学生へ

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これからの日本 これからの世界

 下村 宏

目次
「地球の未来」「大戦来るか? 平和来るか?」「日本民族の覚悟」「人間市場」「日本人口の今昔」「病毒の国、日本」「人種改良」「食糧の現在と将来」「木材と治山治水」「動力の現在と将来」「航空の現在と将来」「日本の言語と文字」「カナ字、ローマ字、エスペラント」「日本民族の目標」「日本民族の移民問題」「世界民族の将来」


(引用部分は一部、現在の常用漢字にしてあります)

 昭和十一年刊行。日本少國民文庫というシリーズの第四巻だそうだ。

 おそらく小学生向けに書かれた本で、現在の世界や日本の状況と、今後の課題や展望について様々な分野から検証している。また章の間にコラムがあったり、クイズコーナーや手品を紹介するページがあったりと、雑誌のようなつくりになっている。子どもを飽きさせない工夫だろうか。


 古本屋で見つけて、「戦前の本か。さぞかし歪んだ思想があふれているのだろうな。どれ、当時の日本人がどれほど愚かか笑ってやろう」というちょっと意地悪な気持ちで手に取ったのだが……。


 意外にもちゃんとしている。たとえば国際情勢を語っている章で、なぜ第一次世界大戦が起こったのかという解説はもちろん、第一次世界大戦で領土をとられたドイツが再び力をつけてきているので近いうちにもう一度世界大戦が起こる可能性が高い、なんてことが書いてある。

 ひと目地圖を見てもわかるやうに、オーストリア・ハンガリーは二つに割かれ、共にその土地はルーマニア、ユーゴースラヴィア、チェッコスロヴァキア、及びイタリーに割かれる。そのチェッコスロヴァキアとポーランドとは新に出来た國であり、更にロシアの進出を恐れて、バルティック沿岸にはリトワニア、ラトヴィア、エストニアといふ三ヶ國が新に作りあげられた。
 かういふ國々は、人口の少ない民族にもそれ〲自分の事は自分で決めさせるといふ、いはゆる少数民族の自決といふ名目で建國された。しかし、その出来あがった新しい國々では、今までドイツやオーストリアやロシアの下に抑へられてゐた少数民族のチェック、スロヴァキア人、ポーランド人などは自決したかも知れないが、そのほかに少數のドイツ人、スラヴ人、ハンガリア人、ユダヤ人などがまじつてゐて、この人々はかつて自決する権利を失ってしまった。つまり、少数民族の自決といつても、ドイツ、オーストリア、ロシアを弱めるための少数民族自決であつて、戦勝國の國々には、この原則は一向にあてはめられなかつたのである。殊にポーランドなどは、やはりバルティック海へ顔を出さしてやらねばならないといふので、東ドイツの地續きの中へ細長い廊下のやうなポーランド顔を作って、バルティック海へ突きぬけさせた。こんな不自然な無理な形がそのまゝ續く筈がない。皆さんは世界の地圖をいつも部屋にかけて、よく眺めて下さい。さうすれば、今いった事柄も深くのみこめる筈である。

 また、原子爆弾の誕生を予見していたりもする。まさか自分たちの国土に落とされるとまではおもってなかっただろうけど。

 ふうん。わりと冷静に世界情勢が見えてるんだなあ。

 日本が国際連盟を脱退したのが昭和八年。昭和十一年にはもう「名誉ある孤立」を貫いていたのかとおもいきや「今後、世界の国々とどうかかわっていくべきか」「他国を見習ってよい国にしていかなければいけない」なんてことが書いてある。昭和十一年はまだそれほど軍国主義がはびこってないんだなあ。

 他の本を読んでも、昭和十年ぐらいの日本人の意識は戦後とそんなに変わらなかったようだ。太平洋戦争開戦後の昭和十六年~二十年ぐらいがきわだって異常だっただけで、それ以前の日本人の意識はヨーロッパ諸国とそんなに変わらなかったのかな。

 ただしこの本が刊行された昭和十一年といえば二・二六事件が起こった年で、歴史の教科書でもそれを機に急激に日本が軍国主義に傾いていくと書いてある。ちょうどこの本が出たあたりが転機だったのかもしれない。



 世界の国々の人口が書いてある章で、イギリスの人口が4億3830万人と書いてあった。

 誤植か? 今でも1億人もいない国なのに、4億もいたはずないだろう……とおもっていたが、その後を読んで謎が解けた。この頃はまだカナダやオーストラリアは独立国ではなくイギリスの自治領なのだ。自治領や植民地の人口も含んでいるから4億もいたわけだ。

 本土人口ではないとはいえ、人口4億のイギリスが人口6500万人ぐらいのドイツに負けかけたわけだから、ナチスドイツの勢いはすごかったんだなあ。また今ほどの大国ではなかったアメリカが感じた脅威もよく理解できる。



「戦前のゆがんだ思想を見てやろう」というぼくの底意地の悪い期待に反して書いてあることはだいたいマトモだったのだが、『人種改良』のほうは期待に応えてくれるものだった。

 ここに書いてあるのは要は優性思想で、劣った人間は子孫を残すな、ということである。

 もつと根本的にいふと、現在の悪質者、殊に遺伝性の変質者(普通の人とちがつた病的な体質の人)は子供を生まぬやうにする事が肝心である。こゝに遺伝といふものは平等の血筋をひくといふことで、一番著るしい例は精神病患者である。気違ひの血は筋を引くから、何よりも気違ひになる子を生まぬ事が、生まれる子のため、一家一族のため、また社会のためである。本人は気違ひだからわからないが、わからないなりに人を殺し傷つけるものもある。家族なり社会なりは気違ひのために、どれだけ心配苦労をするかも知れない。どれだけ時間と手数と金を使はねばならぬかわからない。だから初めからさうした子供を生まぬに越したことはない。これは又明らかに病毒――しかも最も質の悪い病毒を亡くする最良の方法で、さうでもしなければ順々にいつまでも遺伝性の毒は絶えないといふ事になる。既にこの世の中へ生まれて来た以上はどんな病毒があつても、これをいたはつてやるべきであるが、同時にさうした悪質者として生まれるときまれば、初めから生まれぬやうにすべきである。悪質者の増加は社会の大きな害毒となるのみならず、ひいては人口の減少を来たす事になるのである。

 現代の価値観だとめちゃくちゃヤバい思想(少なくとも公言していいことじゃない。まして子ども向けの本で書くなんて言語道断)ということになるのだけど、当時の価値観ではべつに異端ではなく、国家自体が率先して障害者や精神病患者の避妊手術をしていた。

 今ではこんなことを公言する人はめったにいないが、考え自体がまったく過去のものになったわけではなく、今でも個人単位で信じている人は少なくないし、最近でも「避妊手術を強制された障害者などが国を相手どって損害賠償請求をした裁判の判決が出た」なんてことがニュースになっている。

 この考えを推し進めていくと、不健康なやつは子孫を残すな、頭の悪いやつは子孫を残すな、性格の悪いやつは子孫を残すな……ということになり、やがては自分の番が訪れることになるんだけどね。

 そして成功者の子どもが優秀かというと必ずしもそうとは……ということも明らかになってきたし。

 また、この本ではメンデルの法則を引き合いに出して優秀な種を残せと語っているが、これは完全な誤解。メンデルの法則は単なる発現のしやすさについての法則であって、優劣とは関係ない。


 さっき「昭和十年ぐらいの日本人の意識は戦後とそんなに変わらなかった」と書いたけど、いちばん大きく変わっているのは「国と国民がどっちが大事か」という点だとおもう。

 優性思想はその最たるものだけど、「国民ひとりひとりよりも国家のほうが大事」という意識がこの本の通底にある。一部の極右政治家なんかは今もそう勘違いしているけど。

 この本では「良い未来をつくるためにはどうすればよいか」をあれこれと提唱してるんだけど、その「良い」ってのは国家にとっての「良い」であって、個人にとっての「良い」とは必ずしも一致しない。ときには国家のために捨て石になることをためらうな、という調子だ。

 ま、そういうやつに限って「俺以外の誰かが捨て石になれ」って考えなんだけど。



 鎖国政策について。

 もし鎖国をせずに海外と交通をつゞけ、欧米の文化をの引入れ、その頃に日本が国際の舞台にをどり出てゐたとしたらどうであつたらう? 中にはさうすると日本が侵略されたかも知れぬといふ人もある。しかし私はさうは考へられない。鎖国であらうと無からうと、攻取られるものならいつでも取られる。もし当時の日本がオーストラリアなどのやうに、人口の極めて薄いところならば、それはもう遠慮なく占領されてしまつてゐたに相違ない。また人口が多くともインドやジャヴァやインド支那のやうに、弱い民族であつたならば、征服されてゐたであらう。しかし勝気な日本人が小さい島に一ぱいになつてゐる。それが人斬り庖丁を二本さして反りかへつてゐるから、征服したくもできなかつたはずである。弱い民族なら、鎖国しようがしなからうが、やつゝけられてゐたのである。
 (中略)もし開国の方針をつゞけたなら、切支丹は活動したであらう。日本国内で切支丹の騒動もおこつたかも知れない。しかし今欧米人が手に入れてゐる東洋の多くの土地は、日本のものとなつたであらうといふ事も考へられる。いや、さうなつたにちがひない。なんとしても鎖国であつた事は惜しい事である。

「鎖国していなかったら日本が植民地にされていたのでは」という心配を完全に否定し、それどころか、「鎖国していなかったら日本が海外に出て植民地を増やしていたはず」とまで言い切っている。すごい自信だ。

 実際どうなんだろうね。江戸時代には日本で銀がたくさんとれたらしいから(石見銀山は最盛期には世界の銀の三割ほどの産出量があったとか)、西洋の列強に狙われていたかもしれないけど、本国からの距離を考えると日本はそこまで魅力的な地ではなかったんじゃないかな、という気もする。征服できないというより征服する価値がないというか。

 他方、海外進出して領地を増やしていたかというと……それもあやしい気がする。幕府が本気で海外征服しようとおもったら鎖国していてもできたわけだし。実践ではなく武芸に明け暮れていたサムライが海外で活躍できたとはとうていおもえないな……。



 この著者、全体的に日本という国、日本国民を買いかぶっているきらいがあるんだけど、米と日本語に関しては蛇蝎のごとく非難している。

 とにかく米が嫌い。

 栄養価が低い、持ち運びがしにくい、食べにくい、冷めたらまずい、調理に時間がかかる、保存がきかない、などことあるごとに米の欠点を指摘している。日本人が小さいのは米食のせいだとか。

 それから日本語、特に漢字を嫌っている。漢字の学習に時間を割いているせいで、他の学習がおろそかになっている、日本人は漢字を捨てて、できることならカナ文字も捨てて、ローマ字に切り替えるべきだと主張している。


 うーん、まあわかる面もあるんだけど。でもこういう人って、日本の調子が悪いときは「米食が悪いんだ! 漢字を使っているせいだ!」と言って、日本経済が好調だと「日本人が優秀なのは米食のおかげだ! 漢字が優れているからだ!」って言いだすんだよね。つまり根拠があってしゃべってるわけではなく、憶測だけでしゃべっている。そして結論は決まっていて、その結論を引き出すために理屈をひねりだしているんだよね。

 ザ・戯言って感じだ。


 ただ、本気で国家の未来を考えているだけあって、十分に傾聴する価値のある提言もある。

 借金にもいろいろある。百田の収入で、それ以上のくらしをして、毎月金をするといふのでは困るが、商賣のため店をひろげ、品物を買入れる、又は田畑を求めるため借金する、さうしてその収益から借金を返して行くといふのならば結構なことである。政府で治水とか治山のために金がいるといふやうな場合には、借金をしてもよいのである。また、鐵道を敷くためや電信、電話をのばすために借金して、鐵道の乗車賃や電信の料金の収入でその借金かへして行けば、交通の発送により民衆は利便をうけ、隣の財産も増して行くのである。
 治山治水のための仕事をしても、これには鐡道や電信、電話のやうな収入はない。しかし、植ゑた樹木などにやがて値段がついてくる。それで、常の年を経ると、順々に、一方で苗木を植えるかはりに一方では成長した樹木を賣拂つて、収入も得られるのである。また、ダムを造れば、発電のため絶えず電力料金の収入も出来るわけである。さらに損を防ぐ方からいへば、最近十年に水害のために受けてゐる損害は、一年平均一億といはれてゐるが、ダムなど造れば、その損害は少なくなることになるのである。今二十五億の公債をおこし、つまり國民から借金をして、その金でダムを造ったとすると、その借金の利子を排はなければならない。その利子をかりに四歩とする、つまり一年間に、百圓につき四圓の利子を拂はなければならないとすると、二十五億圓の四步の利子は一億圓といふことになる。だがこの一億圓は、水害による損失に比べれば大したものではない。つまり水害によつて一億圓失ふよりも、進んで仕事をして利子に一億圓支拂ふ方がどれだけ有利かわからないのである。かうしたことは何も治水事業にかぎらない。世の中のあらゆる事柄について起こりうることで、私たちはいつも大きく遠く、しかも精密に正確に公平に、また冷静に研究し判断し、よいときまれば斷行しなければならない。

 こういう長期的な展望を語る人って、今はすごく少ないよね。

 政治家もみんな、やれこの四半期の経済がどうだとか、数年後にオリンピックや万博をやったらどうなるとか、そんな短いスパンの話しかしない。

 今からこの事業をはじめれば二十年後にはこんないい国になっている、なんてことは誰も語ろうとしない。田中角栄ぐらいが最後だろうか(角栄さんに関しては功罪いろいろあるけど)。

 目先の集票、集金のことしか考えられないおじいちゃん議員には無理なんだろうなあ。だって二十年後は自分が生きてるかどうかわからないんだもん。


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