2024年2月16日金曜日

懺悔

 みんなで食べようと買ってきたじゃがりこを置いていたら、なくなっている。家族の誰かが食べたにちがいない。

 買ってきてから、なくなっていることに気づくまで、家にひとりでいたのは長女だけ。

 長女は学校から帰った後にときどきお菓子を食べている。だらしないのでよく机の周りにお菓子のごみが置きっぱなしになっている。

 長女に「食べた?」と訊くと、知らないという。

 しかし、状況的に長女以外はありえない。

「食べたらだめって言ってるわけじゃないんだよ。何も言わずに置いといたお父さんが悪いんだから。食べたからって怒ったりしないよ」と伝えた後に、「食べたでしょ?」と訊くと、やはり長女は「食べてない」と言う。

 以前にも同じようなことがあって、そのときも犯人は長女だったのだが嘘をついてごまかそうとした。こいつぜんぜん反省してないじゃないか。

「なあ、食べるなって言ってるんじゃない。食べたことを隠すなって言ってるの!」と強めに叱った。長女は「知らんし……」と言ったきり黙りこんでしまった。


 出勤のために家を出てからも、もう、なんで嘘を認めないんだとぷりぷりし、電車の中で「子ども 嘘 認めない」なんて検索してどう対処したら潔く嘘を認められるんだろうと考え、帰ってからも長女に対して「今日はお菓子食べたらだめだよ!」なんて冷たくあたっていた。

 少しして、長女が食料品置き場をごそごそやっていたとおもったら、出てきたのだ、じゃがりこが……。


長女「あったよ」

ぼく「えっ……、どこに」

長女「べつのお菓子の袋の奥のほうに入ってた」

ぼく「あー……。ごめんなさい」


 めちゃくちゃばつが悪い。

 しかも、長女はそれ以上何も言わないのだ。いっそ「ほら、食べてないって言ったじゃん!」とか責めたててくれたほうがまだいいのに、何も言わないのだ。ぼくの謝罪をあっさり受け入れ、あとは普通に接してくる。余計に心苦しい。

 こいつ、なんて大人なんだ……! 父親があんなにみっともないふるまいをしてというのに……!


 愚かな自分を忘れぬよう、自省のためしたためる。



2024年2月14日水曜日

【読書感想文】杉井 光『世界でいちばん透きとおった物語』 / フォークだけすごいピッチャー

世界でいちばん透きとおった物語

杉井 光

内容(e-honより)
大御所ミステリ作家の宮内彰吾が死去した。宮内は妻帯者ながら多くの女性と交際し、そのうちの一人と子供までつくっていた。それが僕だ。「親父が『世界でいちばん透きとおった物語』という小説を死ぬ間際に書いていたらしい。何か知らないか」宮内の長男からの連絡をきっかけに始まった遺稿探し。編集者の霧子さんの助言をもとに調べるのだが―。予測不能の結末が待つ、衝撃の物語。

【核心のネタバレは避けるようにしますがネタバレにつながるヒントにはなってしまうとおもいます】


2024年2月13日火曜日

第2回門戸厄神厄払いツアー

「厄払いしないと悪い目に遭うと脅されて行くのは嫌だから、厄年のおっさんたちが楽しく行く厄払いツアー」を今年も決行した。

 早生まれのぼくは今年が本厄、同級生たちは後厄だ。


 去年は厄年おっさん四人で行ったが、うちひとりは子どもの病気のため今年は欠席。しかし新たに二人を加え、おっさん五名での厄払いツアーとなった。それぞれ子どもたちも連れてきて、おっさん五名+子ども五名の大所帯だ。

 去年は阪急門戸厄神駅から歩いたが、今年は甲東園駅に集合。そこから「山陽新幹線記念公園」なる公園に行く。公園から山陽新幹線が通るところをを見下ろすことができるという新幹線好きにはたまらないスポットなのだ。が、電車好きの子どもが病気により欠席だったため、特に新幹線に心躍る人はいない。「新幹線が見える」と「新幹線建設工事中に亡くなった人の慰霊碑がある」以外には何にもない公園なので、すぐに退去。そこから歩いて厄神明王のおわします東光寺へ。

 去年もやってもらった「そえごま」なる厄払い儀式。八百円払う。

(去年の日記を見て気づいたのだが、去年は五百円だった。一年で六割の値上がり! 原油価格高騰の影響がこんなところにまで)

 お参りをして、御守りを買う。そういえば去年ここで娘に御守りを買ってやってランドセルにつけていたのだが、少し前にその御守りが破れて穴が開いていた。ランドセルにぶらさげているだけなのになぜ穴があくのか、とおもって買いなおしたのだが、その御守り、なんと「身代わり御守り」という名前なのだ。ということは娘の身代わりになって破れたのか。御守りがなかったら娘が破れていたかもしれない。


 参拝の後、近くの関西学院大学まで歩く。関西ではよく知られた名門大だ。「かんさいがくいん」ではなく「くゎんせいがくいん」と読む。小さい「ゎ」の字を使うのは関学とシークヮーサーだけだ。

 関学は関係者以外でも自由に出入りできる。芝生の上では、近所の家族連れがシートを広げてお弁当を食べたり、子どもたちがボールやラジコン遊びに興じている。

 偶然にも我々五人のおっさんのうち二人が関学に通っていた。だが一人は関学に一年だけ通った後他の大学を受験しなおしてそちらに移り、もう一人は関学卒業後に別の大学に入りなおした。ふたりとも最終学歴が関学でない。つまりは「関学を捨てたやつら」だ。だがそんな連中も関学は拒まない。懐の広い、いい大学だ。


 関学の芝生で缶蹴りや大縄跳びやケイドロで遊び、おやつを食べた。おっさんのひとりが「嫁さんが怒っているから早めに帰るわ」とトボトボと帰っていった。後ろ姿の悲壮感がすごかった。厄払いしても、厄は家にいる。


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門戸厄神厄払いツアー

2024年2月7日水曜日

【読書感想文】鎌田 浩毅『武器としての教養』 / そうはいっても素人知識

武器としての教養

鎌田 浩毅

内容(e-honより)
超想定外を突破する真の教養とは何か。「京大人気No.1教授」が紙上講義。


 講談社現代新書みたいな装丁だったので講談社現代新書だとおもって読んでいたら、講談社現代新書にしては内容がスカスカだなとおもってよく見たら講談社現代新書じゃなかったごめんよ講談社現代新書、講談社現代新書って書きたいだけだね。


 いやあ、ほんと中身なかったなあ。

 火山学の教授らしいんだけど、この本に関しては火山のことよりも歴史や文学について語っている。博識ではあるんだけど、そうはいっても歴史や文学については素人の域を出ないから、どうも語っている内容が薄い。要約みたいな内容なので、それだったらオリジナル作品にあたったほうがいいやとおもってしまう。一応火山活動にからめて語ってはいるけど。


 たぶんここに書いてあることを聞いたらおもしろいんじゃないかな。ただ聞いておもしろいのと読んでおもしろいのはちがうからね。話が散漫だし、掘り下げは浅いし、読んでおもしろいもんじゃないな。編集が良くないんだろうな。講談社現代新書ならこうはならなかったはず。




 「浅間山の大噴火がフランス革命の原因になった説」という俗説について。

 この「天明三年の大噴火」については、一八世紀のフランス革命と関連するという巷説があります。この年に日本を覆った「天明の大飢饉」もそうですが、この時期は北半球全体を異常気象が襲いました。
 冷害がヨーロッパの農作物に大打撃を与えました。特に小麦が不作となり、パンの値段が高騰しました。そのためフランスでは、庶民の不満がちょうど”マグマ"が急速に上昇するように高まりました。やがてそれが社会にあふれ出し、ついに爆発したのが一七八九年のフランス革命だった――というわけです。
 たいへん魅力的な説です。しかし残念ながら、火山学的にはフランス革命は、浅間山が原因なのではありません。
 一七八三年の気候変動は、大西洋北部の氷の島アイスランドの火山爆発が原因だったと現在では考えられています。アイスランドの活火山ラカギガル火山が、大爆発を起こしたのです。確かに、浅間山の天明の大爆発とまさに同じ年という偶然はありました。
 地上にできた巨大な割れ目から噴出した溶岩流による直接の被害も甚大でした。しかし、もっとも深刻だったのは、飛散した細粒の火山灰による被害でした。農耕地や牧畜への弊害だけに留まらなかったのです。火口から空中に排出された二酸化硫黄が、人体にまで悪い影響を及ぼしました。
 こうした被害は、アイスランド国内や近隣のイギリスに留まりませんでした。火山灰と有毒な火山ガスは、偏西風にのって遠くヨーロッパ大陸にまで達したのです。すなわち、地に降りては人、動物、農地を直接襲いました。そして天に昇っては、分厚い靄を形成して気温の低下を招いたのです(拙著『地球の歴史』中公新書)。

 残念ながら「浅間山が原因説」は誤りらしく、「アイスランドの火山爆発が原因説」も完全に立証されているわけではないらしい。

 とはいえ、こういう話はおもしろい。歴史の話って「誰が何をした」でとらえてしまうけど、人が生きていた以上、気候とか天気とか食事とか体調とかも関係あったはずなんだよな。「あの日雨が降っていたからこうなった」「もしあのとき風邪気味じゃなかったら歴史はこうなっていた」みたいなこともあるんだろうな。あんまり記録に残っていないだけで。近ければ「桜田門外の変は雪が降っていたので成功した」みたいなのもあるけど。


 もっとこういう専門分野の話を読みたかったなあ。


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2024年2月6日火曜日

高級腕時計の世界

 少し前の『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』で腕時計の話をしていた。

 高級腕時計が好きな村上さんが、腕時計にまったく興味のない野田さんに数百万円出してもなかなか買えない高級腕時計の話をしていたのだが、そこで野田さんが放った質問がおもしろかった。

「えっ、それだけ高いってことは……。もしかして、ゲームとかできたりする?」

 もちろんこれはボケだ。その後で村上さんに「そういうのはできない」と否定され、さらに「じゃあアラーム機能は?」とボケを重ねていた。

 子どもの質問のようなボケなのだが、意外と真理をついている。改めて「何百万円もする腕時計なのに数千円で買える腕時計よりも機能が上回っていないのはなぜか」と考えるとなかなか答えるのはむずかしい。


 ぼくも高級腕時計のことは知らないが、高級腕時計に「時を知らせる」以外の機能がついていないことは知っている。もちろん指す時刻が正確だとか、自動巻き機能がすごいとかはあるのだろうが、大したメリットとはおもえない。ほとんどの人はゼロコンマ数秒のずれなんか気にしないし、なんなら今は自動で時間をあわせる機能のついた時計もお手頃価格で買える。自動巻き機能だってそれがなに? って感じだ。数百万円の腕時計を買う人が電池代を惜しむとはおもえないし。

 機能面、実用性で考えたら高級腕時計はデメリットだらけだ。自動巻きなので数日使わなかったらずれてしまう。アラーム機能がない。日付も曜日もわからない。歩数計機能もない。重い。文字盤が読みにくい。なにより高い。

 三万円も出せば、自動時刻合わせ機能があって、防水機能があって、傷がつきにくくて、歩数計もついてて、アラーム(スヌーズや曜日別設定も可能)もあって、ストップウォッチにもなって、日付も曜日もわかって、心拍数も測れて、スマホと連動して通知機能もあって、文字盤も自由に変えられるスマートウォッチが買える。

 値段を伝えずに小学生に「どっちが欲しい?」と訊いたら、多くは三万円のほうを選ぶだろう。大人だってそうかもしれない。


 でも、現実問題として使いにくいほうの腕時計のほうが高い値がついている。

 腕時計に限った話ではない。服でも靴でも自動車でも料理でも、ある程度の価格までは価格に比例して機能も充実するが、一定の価格以上は機能と比例しない。「誰がつくったか」「誰が使っているか」「みんなが欲しがるか」など、機能とは関係のないところで価格が決まっている。五千円のシャツは五百円のシャツよりも質のいい生地を使っているだろうが、五万円のシャツが五千円のものよりいい生地を使っているかというと、必ずしもそんなことはない。

 つまりモノの価格には「機能や材料によって決まる価格(主に売り手の事情によって決まる価格)」と「機能や材料とは無関係の価格(主に買い手の事情で決まる価格)」の二種類があるわけだ。

 野田さんが言った「それだけ高いってことはゲームとかできたりする?」は前者の考えであり、村上さんの「高い時計だからそういうのはできない」は後者の考え方だ。どっちも部分的にはあっている。


 ちょっとしたボケだが、価格決定のメカニズムを問うやりとりだ。経済学の入門書に載せてほしい。