2020年12月7日月曜日

【読書感想文】どこをとっても思いこみ / 押井 守『凡人として生きるということ』

凡人として生きるということ

押井 守

内容(e-honより)
世の中は95%の凡人と5%の支配層で構成されている。が、5%のために世の中はあるわけではない。平凡な人々の日々の営みが社会であり経済なのだ。しかし、その社会には支配層が流す「若さこそ価値がある」「友情は無欲なものだ」といったさまざまな“嘘”が“常識”としてまかり通っている。嘘を見抜けるかどうかで僕たちは自由な凡人にも不自由な凡人にもなる。自由な凡人人生が最も幸福で刺激的だと知る、押井哲学の真髄。

 つれづれなるままにつづったエッセイ。

 まったくのどに引っかかることのないゼリーのような文章。ゼリーももちろん需要はあるのだけど(主にファンからの)、仮にも新書として出すのであればもうちょっと骨のある文章を書いてほしい。腹へってんのに流動食出されたら怒るぜ。

 奥付を見てみたら、2008年刊行。ああ、なるほど。
 この時期に出版された新書ってゴミクズが多いんだよなあ。新書がよく売れて(というか他の書籍や雑誌が売れなくなって)、なんでもかんでも新書にしていた時代だから。


 ぼくは押井守という人を名前しか知らない。アニメも映画もほとんど観ないので。そんな人間にとってはまったく読む価値のない駄文だった。

 個人ブログをそのまま本にした文章。

 親が自分の子供を虐待して殺してしまったというニュースを、最近よく耳にするようになった。児童虐待の報告件数もこのところ急増しているようだ。
 もっとも実際はどうなのか、と言うとどうもはっきりしない点もある。幼い子供の命を、親の手による虐待から救えなかったという反省もあって、近ごろは家庭内での児童虐待もすぐに通報されたり、児童相談所が家庭内に立ち入って調べたりするようになったので、児童虐待が表に出る件数が単純に増えているのかもしれないからだ。
 しかし僕はある根拠から、確かに虐待は増加しているのではないかと思っている。つまり、親による子供の虐待は文明が必然的にもたらした結果だと考えるからだ。
 近ごろの若者はセックスに興味を持たないとか、嫌がるといった話もよく耳にする。それもこれも、僕は人類の文明化がもたらしたものであり、おそらく先進国ではどこでも同時に起きている現象ではないかと考えている。

 終始こんな感じ。
 社会問題を斬るのに、掲げる武器はただひとつ。「己の思いこみ」のみ。
 一切の根拠はない。まず「児童虐待が増えている」「近ごろの若者はセックスに興味を持たない」という前提が正しいかどうかを調べようとすらしない。
 ちょっと調べればいくらでも先行調査が出てくるのに「都合のいいデータを引っ張ってくる」ことすらしない。
 思いこみを出発点にして、思いこみを元に考察を重ね、思いこみで結論を下す。
 重ねていうが、仮にもこれが新書として出されてるんだよ。エッセイとしてもレベルが低いとおもうが(だって論が乱暴なだけでおもしろくないんだもの)。


 思いこみ、偏見、くりかえし、よく聞く話のオンパレード。全国の居酒屋で一万人のじいさんが「俺がおもうには」としゃべってる「なんら新しい切り口のないつまんない持論」みたいなのがひたすら続く。

 すっかりうんざりしてしまって、後半は
「もう、おじいちゃんったらしょうがないわねえ。いつまでも昭和を引きずってちゃだめよ」
と、介護するような気持ちで読んでいました。


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2020年12月4日金曜日

【映画感想】『凶悪』

 

『凶悪』

(2013)

内容(Amazonより)
史上最悪の凶悪事件。その真相とは?
ある日、雑誌『明朝24』の編集部に一通の手紙が届いた。それは獄中の死刑囚(ピエール瀧)から届いた、まだ白日のもとにさら されていない殺人事件についての告発だった。彼は判決を受けた事件とはまた別に3件の殺人事件に関与しており、その事件の 首謀者は“先生”と呼ばれる人物(リリー・フランキー)であること、“先生”はまだ捕まっていないことを訴える死刑囚。 闇に隠れている凶悪事件の告発に慄いた『明朝24』の記者・藤井(山田孝之)は、彼の証言の裏付けを取るうちに事件に のめり込んでいく……。

 実際にあった事件(上申書殺人事件)を元にした映画。

 ピエール瀧演じる須藤という男は、なんとも凶悪。暴力団組長であり、死体を切り刻んで焼却したり、土地欲しさに生き埋めにして殺したり、保険金目当てに大量の酒をむりやり飲ませて殺したり、殺人、死体遺棄、レイプ、覚醒剤、放火、ありとあらゆる犯罪をおこなう。一切のためらいもなく。

 そしてもうひとりの「凶悪」が、リリー・フランキー演じる〝先生〟と呼ばれる人物だ。
 先生は自分で手を下すことこそ多くないが、殺人や保険金詐欺を計画して須藤に実行させる。

 このふたりの怪演が光る。電気グルーヴの映像作品を何度も観て、『東京タワー』や『おでんくん』の作品に触れたぼくでも、ピエール瀧とリリー・フランキーを大嫌いになりそうになる。それぐらい悪人の演技が見事。

 しかしピエール瀧が大麻所持で逮捕されたときでも、ピエール瀧が覚醒剤を取り扱うこの映画の配信を止めなかったAmazon Primeの判断はすごい。
「役者のプライベートと作品の価値は無関係だろ」とおもっているぼくですら、「これ公開しても大丈夫なの?」と心配するレベルだ。


 ストーリーとしては、須藤が捕まり、週刊誌記者の執念深い取材の結果〝先生〟も逮捕されて懲役刑を下されるのだが、わかりやすい「悪 VS それを追いつめる正義の記者」でないのがいい。

 記者はたしかに使命感に燃えて事件取材にあたるのだが、彼の行動も決して褒められたものではない。
 認知症である実母の介護を妻に押しつけ、家庭のことは一切顧みない。妻は追いつめられ、記者の家庭は崩壊する。
 家庭人として見たら、この記者もまたクズ野郎だ。

 そして、凶悪犯である須藤や〝先生〟も、大笑いしながら見ず知らずの人間を殺す一方で、子どもと楽しくクリスマスパーティーをしたり、弟分をかわいがったり、近しい人物から「情に厚い」と評されたりする。

 こういう描写があるからこそ、余計に彼らの凶悪さが際立つ。
 決して彼らは別世界の住人ではなく、我々の隣人で愛想よくしている人間なのかもしれない。いやそれどころか、我々の中にも「凶悪」は眠っているのかもしれない。


 いちばん凄惨だったシーンが「老人にむりやり大量の酒を飲ませ、スタンガンで危害を加えるシーン」だ。
 このシーンで、須藤と〝先生〟はめちゃくちゃ楽しそうに笑うのだ。電気ショックを受けて苦痛に身をよじらせる老人の真似をして、息ができなくなるぐらい笑う。ほんとに心の底から爆笑しているという感じ。

 まるで、バラエティ番組で身体を張っている芸人を見る我々のような顔で。


2020年12月3日木曜日

重箱の隅

コンビーフの缶は台形ではなく四角錐台だ(角が丸くなっているので正確には四角錐台でもないが。



「逆三角形」はおかしい。
頂点が上を向いていようが下を向いていようが三角形は三角形だ。

あえていうなら、下の図の黒い部分のような図形(三角形をくりぬいた形)は「逆三角形」と呼べるかもしれない。



「棒を垂直に立てる」という言い方がいやだ。

垂直は対象に対して90度の角度を差す言葉なので、
「棒を地面に対して垂直に立てる」または「棒を鉛直に立てる」と言うべきだ。
〝水平〟はよく使われるのに、〝鉛直〟は日常的には使われない。



万里の長城。

たいていの人はチョー↑ジョー↑と「頂上」のイントネーションで発音している。
だが〝長い城〟なので、入城とか荒城とかと同じく「→ →」と平坦に発音するのが正しいのではないか。



最近知った「地方によって呼び名が変わるもの」。
ぜんざい。

ぼくは関西で生まれ育った人間なので、ぜんざいといえば小豆汁なのだが、関東のぜんざいは汁なしなのだそうだ。
関西人にとってのぜんざいは、関東では「しるこ」だそうだ(関西ではぜんざいがつぶあん、しるこがこしあんだとWikipediaには書いてある)。

ぼくが関西人だからかもしれないが、濁音の多いぜんざいがつぶあん、清音のしるこがこしあん、という関西風の呼び名がしっくりくる。

「地方によって呼び名が変わるもの」はいろいろある。
スコップとシャベルとか、ワイシャツとカッターシャツとか、豚まんと肉まんとか、ぶた汁ととん汁とか。

日本語はひとつのようで、案外統一されていないのだ。


北を「上」と呼ぶことについて。
細かいことを気にする性質なのに、「北を上と呼ぶこと」は気にならない(自分が呼ぶことはないが)。

なぜならそっちのほうがわかりやすいから。

東と西の感覚ってむずかしくない?
頭ではわかっているが、いまだに肌感覚としては身についてない。

「東が右、西が左」とおぼえてはいるが、東が上の地図を見たりすると「ええと、南はどっちだったっけ」と当惑する。
英語のEASTとWESTも毎回迷う。
いつも「ええと、極東がFAR EASTだから……EASTが東か」とおもう。

東西って人間の身体になじまない概念なんじゃないだろうか。
「西を向いたとき、右斜め後ろの方角は?」と訊かれて、考えずに即答できる人はどのぐらいいるのだろうか。


2020年12月2日水曜日

【読書感想文】インド人が見た日本 / M.K.シャルマ『喪失の国、日本』

喪失の国、日本

インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」

M.K.シャルマ(著) 山田 和(訳)

内容(e-honより)
インド人エリートビジネスマンが日本での赴任経験を語った体験記。90年代に日本が喪ったものを、鋭い観察力で描いた出色の日本人論

 これはおもしろい!! 今年いちばんおもしろかった。

 たまたま古本屋で見つけた本なのだがもう絶版になっているらしい。もったいない。今読んでもめちゃくちゃおもしろいのに。

 この本が日本語に訳されることになったきっかけがもうおもしろい。

 訳者がインド・ニューデリーの書店で元本を購入。だがデーヴァナーガリー文字・ヒンズー語で書かれていたので読むことはできなかった。
 その後、ニューデリーから遠く離れた町を旅していると、インド人から家に来ないかと誘われた。危険を感じながらも男の家に行き会話をしていると、なんとその男が件の本の著者であることがわかった……!

 というなんともできすぎた話。インドには約10億の人がいるのに、たまたま著者に出会うなんて。
 そして著者に英訳してもらい、英文を和訳する形で日本語版刊行の運びとなったのだとか。
 神も仏も信じないぼくでも、このエピソードには神秘的なものを感じずにはいられない。神秘の国・インドだから余計に。




 日本語版刊行に至った経緯もおもしろいが、中身はもっとおもしろい。
 インドの会社員である著者シャルマ氏が、業務で来日。会社から与えられた使命は「日本のことを知ること」。遊んでいてもいいから日本の暮らしを見聞きするように、というなんともうらやましい使命を帯びて1992年に来日している。

 1992年といえばバブル崩壊期とはいえまだまだ日本は世界トップクラスの経済大国。かたやインドは1991年に社会主義計画経済から自由主義経済になったところなので、まだまだ経済的には後進国。その差は大きかった。
 当然ながらインドから日本にやってきた著者にとっては見るものすべてが驚きだったらしく、その衝撃をみずみずしく伝えている。

「空港の係員が誰もワイロを要求しないし誰もが真面目に働いている」とか「バスの運転席に神棚も仏陀の聖絵も線香もない」といったことで驚いている。そんなことで驚いていることに驚く。
 インドってほんとに「我々が安易にイメージするインド」なんだなあ。三十年前の話だから今はどうだか知らないけど。


 以前、コリン ジョイス『「ニッポン社会」入門』という本を読んだ。日本在住のイギリス人記者によるエッセイ。プールに国民性が表れる、「猿も木から落ちる」「ずんぐりむっくり」「おニュー」といった表現の秀逸さ、日本的な行動とは何か……。どのコラムもおもしろかった。
 その本に書かれていたが、日本人は特に「外国人から日本がどう見られているか」を気にする民族らしい。ぼくもご多分に漏れず、「外国人から見た日本」の話が大好きだ。
 ふだんは意識しないことに気づかされる。

 たとえば『喪失の国、日本』のこんな文章。

 客を迎える部屋である「座敷」は、紙を張った障子戸で仕切られていた。その紙は、私が予想していたよりずっと薄いものだった。紙を透かして光が入ってくる。
 障子戸は、壁と窓(明取)と扉という三つの機能を兼ね備えていた。それは引き戸という、希有な、じつに知的な構造によって、壁になり、出入口にもなり、そこから人が現れたり吸い込まれたりするのだった。開閉のためのスペースがまったく要らない発想には感心した。

 障子なんて何度も見てるけど、こんなに深く考察したことなかった。たしかに、壁と窓と扉の三つの機能を兼ね備えてるな。言われてみると、すごくよくできたシステムだ。もしガラスが発明されていなかったら、障子が世界中で使われていたかもしれない。


 高野秀行さんの『異国トーキョー漂流記』 という本に、
「日本人がインド旅行に行くとただの乞食にまで深淵なるインド哲学を感じてしまうように、多くの外国人も日本に『東洋の神秘』を求めてやってきて、何の変哲もないものに勝手に『東洋の神秘』を感じて帰っていく」
みたいなことが書かれていた(十数年前に読んだ本なのでうろ覚えだが)。

 シャルマ氏も、日本のあれこれに「東洋の神秘」を見出す。

 日本では「学ぶ」ことは教えを乞う行為なのではなく、手伝いをすることであり、ひたすら自我(アートマン)を滅して師に尽くしつつ、その間に師の技術を「盗む」ことなのである。したがって師はただ弟子を酷使し、場合によっては打擲する。
 カウンターの向こうで客と接する板前とその弟子は、下駄と呼ばれる木製の伝統的な靴を履いており、弟子が粗相をしたり仕事が遅いときは、下駄で弟子を密かに蹴飛ばす。それで弟子の足は、いつも生傷の絶え間がないという。師は蹴飛ばすときも客とにこにこ話をしていて、他の人間にはそのことを気づかせないということだ。
 それが師の愛の形で、日本では「しごき」という独特の愛の概念をもって理解されているそうである。これは、バラモン教以後に栄えた仏教の空(スーンニヤ)の思想の実践のように私には思える。日本の伝統料理文化の継承は、このような一種の宗教的「修行」にも似た形でなされる。これは「トレーニング」や「ラーニング」という概念ではなく、「アセティック」すなわち「苦行」という訳語が適当だろう。店内には小さな白木の神殿が祀られていたが、それを見て私はインドの道場(アカーラー)を思い出した。

 板前の大将が弟子を蹴飛ばしている姿に、シャルマ氏は仏教の〝空〟や〝苦行〟を見出す。
 おもしろい考察だけど、残念ながら考えすぎだよ。虫の居所が悪いから蹴飛ばすのを「愛によるしごき」って言ってごまかしてるだけだよ。残念ながらそこには哲学も宗教もない。あるのは身勝手さだけだ。




 シャルマ氏は知性的な人物の例に漏れず、ユーモアのセンスも一級品だ。

 二回目の西洋トイレの試みはさらに難解で、意表を突いたディズニーランドだった。便器の後部に機械がついていて、さまざまな押しボタンがあったが、それはトイレット・ペーパーを使用せずに用が足せる装置だった。
 正直いって私は恐れた。トイレ一つにもさまざまな操作知識が要求される。日本はインドのように、石器時代の名残をどこにも残していない。
 すべてがデジタル化されていて、私はコンピュータの技術訓練校に行かないまま本番に臨んだ生徒のように、やけっぱちな気分を味わった。それも、最も自由で最も個人的な空間であるはずのトイレで。
 私は慎重に、注意深く、ボタンの上に書かれた英語や絵文字の意味を読んだ。ボタンを押すと、便器の内部から尻を目がけて温水が出、そのあとに温風が吹き出した。おどろいて腰を上げたとき水が飛び散ったが、瞬時に止まったのは機械が自動検知したのにちがいない。何といってもおどろいたのは、「ここを押せ(プッシュ・ヒア・アフター・ユーズ)」と書かれたボタンを押したときだった。水が流れるとどうじに、便座を覆っていた紙がモーター音とともにするすると回りはじめたのである。
 梯子というのは、さらに一軒二軒と酒場を飲み歩くことである。そして多くの場合、次第に風紀の乱れた店に行くことである。
 稲田氏が最初の店で「私はピンク・サロンの常連でね」と言い出したとき、私はその意味を「共産主義的な会合にしょっちゅう出席している」という意味に受け取った。
 それで「これからピンク・サロンに行こう」と言い出したとき、何と真面目な人かと感心した。「呼称」がもつ差別について語るに値する人であると思ったのである。
 稲田氏の誘いに、皆が「よし行こう行こう」と言いはじめた。で、われわれはそこに向かった。が、そこは共産主義者の会合の場ではなく、おどろいたことに「ハーレム」だった。

 まるでコントだ。ユーモアあふれる描写が随所に光る。

 日本人が海外旅行して失敗した話もおもしろいが、外国人が日本で衝撃を受けた話はもっとおもしろい。




 シャルマ氏は生粋のインド人なので、宗教やカーストを常に心に持っている。
 それでいながら、日本という異文化に対する敬意を忘れず、なんとか溶け込もうとしている。異文化コミュニケーションのお手本のような姿勢だ。

 たとえば彼は豚肉を口にしないが、豚肉を食べる日本人のことを責めたり蔑んだりしない。日本には「お気持ちだけいただきます」という言葉があることを知るとなんとすばらしい姿勢かと感心し、自分も「お気持ちだけいただきます」といって豚肉を食べる相手と席を共にする。

 豊かな好奇心、克己心、理性、洞察力を兼ね備えている。なんとすごい人かとおもう。
 彼の異文化に飛びこむ姿勢に感心する。

 たとえば日本では知人の家に招待されたとき玄関で靴をそろえるのがマナーだが、インドでは「靴を触るのは低いカーストの人間だけ」という規律があるそうだ。

 だからシャルマ氏が日本の家に招待されたとき、彼は逡巡する。靴を触るなんてまるで召使じゃないかと。カーストのない国で育った我々には想像するしかないが、我々が外国で「家に招待されたときは主人の靴をなめるのがマナーです」と言われるようなものだろう。

 だがシャルマ氏はどれだけ抵抗を感じる行為でも、実害がないかぎりは極力日本式に従って行動する。そこに日本に対する深い敬意を感じずにはいられない。


 シャルマ氏は日本のテクノロジーに感心し、日本人の優しさや気配りの細やかさに最上級の賛辞を贈る。

 だが、日本に長く滞在し、日本のことや日本人のことを深く知るにつれ、彼は日本人の浅薄さ、傲慢さ、狭量さに次第に気づくようになる。
 後半は鋭い指摘が続くが、日本人としては耳が痛い。なぜならことごとく図星をついているからだ。

 表面上は反戦主義だが本当に過去の戦争に向き合ってない、押しつけられた反省を受け入れているだけ、グローバリゼーションなどと言いつつも見ているのは欧米だけ、欧米のやりかたは合わせるのに他のアジアの国は軽視して日本のやりかたを押しつけようとする、行く先の宗教や文化を調べようとしない、非効率な仕事ばかりしている、インドを安い労働力確保と市場拡大の場としかとらえておらずインドへの敬意も理解も持っていない……。

 これらの指摘はことごとく当たっている。日本に対する敬意を持ち深い理解をしようという姿勢を持っているシャルマ氏が言うから余計に突き刺さる。
 そして日本の欠点は二十年以上たった今でもほとんど改善されていない。90年代前半は日本をお手本にしようとしていたインドはその後完全に日本に見切りをつけ、アメリカに視線を定めたことがすべてを物語っている。
 そしてこれはインドだけではないだろう。技能実習生などといって海外の若者を食いつぶしている日本に向けられる目はどんどん厳しくなり、能力ある若者は日本よりもアメリカや中国を選ぶようになるだろう。

 タイトルにある『喪失の国』は、その後の日本の運命を見事に言い当てていた。




 引用したい部分が何十箇所もあったが、あんまりやると引用の範囲を超えてしまうのでやめておく。

 とにかくおもしろい本だった。
 くりかえしになるけど、絶版になっているのがつくづく惜しい。電子書籍にして残してほしい本だ。


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2020年12月1日火曜日

かー坊のこと

小学校一年生のとき、近所に「かー坊」という五年生のおにいちゃんがいた。

本名は川口とか川崎とかだったとおもうが、みんなからかー坊と呼ばれていた。
ぼくたち一年生も「かー坊」と呼んでいた。

かー坊はぼくたち一年生とよく遊んでくれた。
集団登校のときも、放課後も、休みの日も。
公園で、かー坊 VS ぼくたち一年生三人組 でラグビーをしたのをおぼえている。
マツナガくんがかー坊の上半身にしがみつき、ぼくがかー坊の下半身にしがみつき、その隙にエビハラくんがボールを抱えてトライを決めた。

かー坊がうちに来ていっしょにドンジャラをしたこともある。
かー坊が鼻くそをほじった手で「のび太のママの7」のパイをさわったので、ぼくらの中では「ママの7」は引くと嫌がられるハズレパイになった。

うちの母は「あの子はちっちゃい子と遊んでくれてやさしいねえ」と言っていた。

かー坊はぼくが二年生になるぐらいでどこかに引っ越していった。
すぐにぼくらはかー坊のことを忘れた。




高校生ぐらいのときに部屋の片づけをしていて、ドンジャラが出てきた。
そういやのび太のママがババ抜きのババみたいな扱いを受けていたなあ。
ひさしぶりにかー坊のことをおもいだした。

そして、不意にわかった。
ああ、そうか。
かー坊は「ちっちゃい子と遊んでくれるやさしいおにいちゃん」とおもっていたけど、ほんとは「ちっちゃい子しか遊び相手がいないおにいちゃん」だったんだと。

一年生のときはわからなかったが、自分が大きくなればわかる。
ふつう、五年生は一年生と遊ばない。
ごくたまに遊んだとしても、毎日のように遊んだりしない。
一年生の家に遊びに行ったりもしない。

だっておもしろくないもの。
同級生と遊ぶほうがずっと楽しいもの。

かー坊は、当時の言葉でいう〝知恵おくれ〟だったんだとおもう(当時は知的障害も発達障害もみんなひっくるめてそう呼ばれていた)。
だから同級生の遊び相手がいなかった。一年生と遊ぶほうが楽しかった。


当時はなんともおもわなかったことが線でつながった。
集団登校のとき、かー坊が一年生といっしょに歩いていて、他の五年生は話しながら歩いていたこと。
人前で鼻くそをほじることからもわかるように、異様にだらしなかったこと。
五年生になっても「かー坊」と若干見下したようなあだ名で呼ばれていたこと。
母の「あの子は優しいねえ」という言葉も、たぶん素直な称賛ではなかったのだろう。


でも、当時のぼくらにとってはまちがいなくかー坊は「優しいおにいちゃん」だった。
一年生三人がかりで五年生にラグビーで勝ったことからは、いろんなことを学んだ。

でもママの7に鼻くそつけたことはまだ恨んでるからな、かー坊!