2020年6月12日金曜日

お世辞が過ぎる


六歳の長女とエレベーターに乗っていたら、同乗していたおばちゃんから
「お嬢さんですか?」
と訊かれた。

??

一歳の次女ならわかる。
まだ髪も短いし、赤ちゃんの顔なんて男も女も似たようなものだ。

けど長女はもう六歳だし、髪も肩まで伸ばしている。
おまけにそのときは赤いランドセルを背負っていた。
多様性を認めなきゃいけない時代なので「どっからどう見ても」とまでは言えないが、まあ誰が見たって99%女の子だろう。
「お嬢さんですか?」と訊いてくる意図がわからない。

戸惑いながら「はい」と答えると、おばちゃんは言った。
「まあ! ご兄妹かとおもいました! お嬢ちゃん、おとうさん若くてかっこいいわねえ!」

んなあほな。

お世辞が過ぎる。
いくらなんでもぼくが六歳の女の子のお兄ちゃんには見えるわけがない。
あと数年で四十歳。髪には白いものも増えてきた。
どんなお兄ちゃんやねん。
三十歳離れた兄妹だとしたら、おかあさんがんばりすぎやろ。


驚いたのを通りこしてなんだか怖くなった。
なんなんだこのおばちゃん。
目的はなんなんだ。
高校生の女の子とおかあさんが並んでいるのを見て「まあ、姉妹かとおもいましたわ」とおだてるならまだ理解できるが、知らないおっさんをつかまえて「お若いですねー」と言って、おばちゃんになんの得があるんだ。
いったい何を売りつけようとしてるんだ。
おだてたって、三千円ぐらいまでのものしか買ってやらんぞ。


2020年6月11日木曜日

無精卵


ごはんを食べていると、子どもに「この卵をあたためたらヒヨコが出てくるの?」と訊かれた。

ぼく「それは無精卵といって中に赤ちゃんのもとは入ってないんだよ。だからあたためてもヒヨコは孵らないよ」

子どもは「ふーん」と一応納得したようだったが、横で聞いていた妻が言った。

妻「でもなんで無精卵なんか生むんだろう。ニワトリからしたら資源の無駄でしかないのにね」

ぼく「月経みたいなもんじゃない? あれだって受精しなかった卵(らん)でしょ? 子どもを産む準備してたけどタイミングが合わなかったから準備してたものを捨てるんじゃないの」

妻「その言い方だとまるで月経が無駄なものみたいじゃ……。あっ、無駄だわ。あんなもの、無駄以外のなにものでもないわ!」

考えているうちになんだかいろいろと怒りがこみあげてきたらしく、

「くそう。いいなあ、ニワトリは。まだ月経が他の生物の役に立って……。人間なんてしんどいだけで何の役にも立たないのに……」

とぶつぶつ言いだしたので

「もし宇宙人が侵略してきて人間が家畜にされたら、月経で排出されたものもおいしく食べてもらえるかもしれないよ」

と言ったのだが、「それはそれでイヤ」とのこと。


2020年6月10日水曜日

【読書感想文】絶妙な設定 / 西澤保彦『瞬間移動死体』

瞬間移動死体

西澤保彦

内容(e-honより)
妻の殺害を企むヒモも同然の婿養子。妻はロスの別荘、夫は東京の自宅。夫がある能力を使えば、完璧なアリバイが成立するはずだった。しかし、計画を実行しようとしたその時、事態は予想外の展開に。やがて別荘で見知らぬ男の死体が発見される。その驚愕の真相とは?緻密な論理が織り成す本格長編パズラー。

西澤保彦氏の作品といえば、以前に『七回死んだ男』を読んだことがある。
たしか、1日前にタイムリープする能力を持った主人公が、何度も殺人事件に巻きこまれながら推理するという話だった。
「SF+ミステリ」「何度やりなおしても被害者が殺されてしまう」というアイデアはおもしろかったのだが、残念ながら謎解きや結末についてはまったく記憶に残っていない。
さほど性に合わなかったのだろう。


『瞬間移動死体』も、SFとミステリを組み合わせた作品だ。
主人公は思い描いたところに瞬間移動できる能力を持っている。

めちゃくちゃ便利じゃないか、どんな犯罪でもやりたい放題じゃないか、とおもうが、話はそうかんたんではない。
この能力には、大きく三つ制約がある。
  • 飲めない酒を飲んで酩酊したときしか瞬間移動できない(ただし瞬間移動と同時にアルコールは身体から抜ける)。
  • 身一つでしか瞬間移動できない。ものを持っていけないのはもちろん、着ていた服も脱げて移動先では全裸になってしまう。
  • 自分がA地点からB地点に瞬間移動するのと引き換えに、B地点にあったものがなにかひとつA地点に瞬間移動する。何を引き換えにするかは選べない。

この制約があるため、たとえば「銀行の金庫の中に移動して金を持って帰る」みたいなことはできない。
金庫の中に移動したとしても、移動先に酒がないから戻ってくることができない。
仮に酒があったとしても、札束を持ったまま瞬間移動することはできない。手ぶらで行って手ぶらで帰ることになる。
また日常生活にも使えない。遅刻しそうだから瞬間移動で……とやろうにも、向こうには全裸で現れることになるのだから。

意外と使えない能力なのだ。

だが、主人公が妻に対して殺意を抱いたときに気づく。
アリバイトリックに使えるじゃないか。

日本から瞬間移動でアメリカに行き、妻を殺す。
瞬間移動で戻ってくる。
パスポートには出入国履歴がないから鉄壁のアリバイを手に入れることができる。
完全犯罪だ。

ところが主人公がアメリカに瞬間移動したとたん、おもわぬ邪魔が入る。
やむなく殺害を先延ばしにするのだが、なんとまったく身に覚えのない死体が発見され……。

と、なんとも意外な展開に。



まったく先の読めない設定で、すばらしい導入。
能力の制約が絶妙なのだ。

だが……。

ううむ。
やっぱり性に合わなかったなあ。

なんでだろうな。

SF要素があるとはいえ、ミステリとしてはすごくフェア。
前半にすべての条件を提示し、その中で謎を生みだして解いてみせる。
事件発覚にも謎解き作業にも謎の真相にも、瞬間移動能力がからんでいる。
設定に無駄がない。

無駄がなさすぎるのかなあ。
小説というよりパズルみたいなんだよね。

瞬間移動に関係するトリックをまず作って、それを引き立てるためにおあつらえ向きの舞台とふさわしい登場人物を配置して、トリックを成功させるためだけに全員が行動する。
ハプニングも起こるけど、それもトリックを成立させるために必要不可欠なハプニング。予定通りのハプニング。

ピタゴラスイッチを観ているような気分になるんだよね。
「よくできてんなー」とはおもうけど「どうなっちゃうの?」って気持ちにはならない。
「最後はしかるべきところに収まるんだろうな」って気分で読んでいた(そしてじっさいそうなった)。

精密に作りこまれすぎたミステリって好みじゃないんだよね。
多少は無駄なストーリーとかどうでもいい会話とかがあったほうがいい。
や、『瞬間移動死体』にはあるんだけどね。
ものぐさな主人公とか、すごくいびつな夫婦関係とか、可愛さあまって憎さ百倍みたいな憎悪とか。
でもそういうのもとってつけたように感じてしまったな。

漫画『DEATH NOTE』を読んだときも同じようなことをおもった(ただ『DEATH NOTE』は後から小出しでルールをどんどん追加してくるのでぜんぜんフェアじゃない。『瞬間移動死体』のほうがはるかによく練られている)。
あの漫画を好きだった人なら楽しめるかもしれない。


よくできてるけど、ぼくの好みには合わない作品でした。ぺこり。


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2020年6月9日火曜日

ワードバスケット

ワードバスケット ジュニア

長女が四歳ぐらいのときに買って、ときどき盛りあがる。
タイトルに「ジュニア」とあるが大人がやっても十分楽しめる。むしろ大人同士でやったほうが白熱するかもしれない。

ルールはシンプル。

1. 各プレイヤーに手札を5枚ずつ配る。
 手札には「あ」「い」などのひらがな一字が書いてある。
2. 山札のカードをバスケットに入れ、スタートの文字を決める。
3. プレイヤーは、バスケットに出たカードの文字で始まり手札の文字で終わる単語を言いながら手札をバスケットに投げ入れる(早い者勝ち)。
 (バスケットのカードが「き」で手札が「い」なら「きかい」と言いながら「い」のカードをバスケットに入れる)
4. 3.をくりかえす。(次は「い」で始まる言葉を考える)
5. はじめに手札がなくなった人の勝ちです。

大人が子ども相手に本気でやれば勝つに決まってるので、「大人は三文字以上」などのハンデをつけるとバランスよくなる。
さらに大人は「子どもが知っている言葉」を言わないといけないので思いついた言葉をなんでも出せるわけではない。

シンプルなルールでおもしろいんだけど、やってるとストレスが溜まってくる。
「ちょっと変えるだけでもっとおもしろくなるのに!」とおもうことが随所にある。
ゲームバランスが悪いのだ。


使い勝手の悪い文字が多すぎる

五十音のカードが一枚ずつある(そのほかに「たべもの」「いきもの」「おうち」「そと」「3文字以上」「4文字以上」「なんでも」などのカードがある)。

で、当然ながら使いにくいカードがある。
たとえば「ぬ」とか。
「3文字以上」で「子どもも知っている言葉」で「“ぬ”で終わる」言葉、どれだけある?
今ちょっと考えてみたけど「こいぬ」ぐらいしかおもいつかない。

ほかにも「あ」とか「れ」とか「せ」とか難しい(語尾だけでなく語頭としても使いづらい)。
一方「い」「か」「き」「し」なんかはかんたんだ。
カードによる使いやすさの差が大きすぎる。

いかに早くカードを捨てるかのゲームになる

ゆきづまりを防ぐために、
「おもいつかない場合は手札を1枚捨てて代わりに山札から2枚取る」
というルールがある。

そうすると「ぬ」が手元に来たら“ぬ”で終わる単語を考えるより(どうせおもいつかないのだから)すぐに捨てて他のカードを2枚取ったほうがいい、ということになる。

難しいカードは即捨てられる運命にある。ただのゴミなのだ。

「なんでもカード」「3文字以上カード」が使いやすすぎる

「どんな文字の代わりにもなる」という「なんでもカード」がある。
「3文字以上ならどんな言葉でもいい」という「3文字以上カード」がある。
これがすごく使いやすい。しかもまあまあ数がある。

「なんでもカード」をラスト2枚になるまで持っておくことが勝つコツだ。
たとえば「く」と「なんでもカード」になったら、
「『なんでもカード』で“く”で終わる単語をつくる」→「『く』カードで単語をつくって終わり」
というコンボを決めて上がり。
こうすれば上がれる、というかこうでもしないとなかなか上がれない。
ラストはほぼこのパターンになってしまう。


ゲームアイデアはいいのに、カードのバランスが悪いせいで戦略がパターン化してしまうのだ。
いろいろと惜しい。

【改善案】

ということで勝手に改善案。

■ 「なんでもカード」は減らす

強すぎるのでバランスをくずす。めったに出ないレアカードにする。

■ 文字以外の条件のカードを増やす

「身につけるもの」カード、「形のないもの」カード、「外来語(カタカナ語)」カードなんかがあってもいい。

■ 使いやすいカードは増やす

「い」「う」「か」「き」「し」などの使いやすいカードは複数枚ずつ用意する。これによって「“か”ではじまって“か”で終わる言葉」なども使う機会が生まれる

■ 使いづらいカードはまとめる

たとえば「な・に・ぬ・ね・の」で1枚にするとか(どの文字として使ってもいい)。


こんな感じにすれば、テンポよくプレイできるとおもうんだけどな。
じゃあ自分でつくれよって話なんだけど(カードだけだから誰でもかんたんにつくれる)それはめんどうだからやらない。


2020年6月8日月曜日

【読書感想文】抜け出せない貧困生活 / ジェームズ・ブラッドワース『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した

潜入・最低賃金労働の現場

ジェームズ・ブラッドワース(著)  濱野大道(訳)

内容(e-honより)
英国で“最底辺”の労働にジャーナリストが自ら就き、体験を赤裸々に報告。働いたのはアマゾンの倉庫、訪問介護、コールセンター、ウーバーのタクシー。私たちの何気ないワンクリックに翻弄される無力な労働者たちの現場から見えてきたのは、マルクスやオーウェルが予言した資本主義、管理社会の極地である。グローバル企業による「ギグ・エコノミー」という名の搾取、移民労働者への現地人の不満、持つ者と持たざる者との一層の格差拡大は、我が国でもすでに始まっている現実だ。
以前、吉野 太喜『平成の通信簿』を読んで(→感想)、
「日本ってほんと没落したんだなあ」
と感じた。
実感もあったし、データを見ても平均的な日本人の暮らしが貧しくなっている数字ばかり。
かつては世界ナンバー2の経済規模にまで昇りつめただけに、その凋落っぷりを情けなく感じた。

だが世界の覇権的ポジションから没落した国は日本だけでない。
ローマだって中国だってモンゴルだってポルトガルだって、かつては世界一といっていいほど栄華を極めた国だった(中国はまたトップに返り咲きそうではあるけど)。
しかしおごれる平家は久しからず。どこも栄枯盛衰をくりかえしてゆく。アメリカだって百年後も今のポジションに踏みとどまっていられるかあやしいものだ。

そんな没落国家の中でも、いちばん日本のお手本になりそうなのがイギリスだ。
20世紀半ばまでは世界トップクラスの大国でありながら、1960年代以降は相次ぐ経済政策の失敗により「英国病」「ヨーロッパの病人」などさんざんな扱いを受けた。
サッチャー以降、国全体の経済は少しマシになったが、失業者の増加、移民の増加、EU加盟そして離脱、それらによる国民間の分断など、人々の暮らしは以前より悪くなったかもしれない。

ブレイディ みかこ『労働者階級の反乱 ~地べたから見た英国EU離脱~』にこんな記述があった。
 一方、米国の政治学者のゲイリー・フリーマンは、『The  Forum』に発表した論考「Immigration, Diversity,  and  Welfare  Chauvinism(移民、多様性、そして福祉排他主義)」の中で、「政府から生活保護を受けることに対して、白人労働者階級は〝福祉排他主義〟と呼ばれる現象に陥りやすい」と指摘している。「福祉排他主義」とは、一定のグループだけが国から福祉を受ける資格を与えられるべきだ、という考え方だ。顕著に見られるのは、「移民や外国人は排除されるべき」というスタンスだが、同様に、ある一定の社会的グループ(無職者や生活保護受給者)にターゲットが向けられる場合もある。
 こうした排他主義は、本来であれば福祉によって最も恩恵を受けるはずの層の人々が、なぜか再分配の政策を支持しないという皮肉な傾向に繋がってしまうという。「恩恵を受ける資格のない人々まで受けるから、再分配はよくない」という考え方である。
 本来は彼らの不満は再分配を求める声になって然るべきなのに、それが排外主義や生活保護バッシングなどに逸脱してしまい、自分たちを最も助けるはずの政策を支持しなくなる。白人の割合が高い労働者階級のコミュニティほど、この傾向が強いという。
伝統的なイギリス人(白人)たちが、自分たちの生活が悪くなったのは〇〇のせいだ(〇〇には移民や生活保護受給者が入る)とバッシングをおこない、富の再分配につながる政策を支持しない。本来ならその政策によって自分たちも恩恵を受けられるのに。
「自分が100円得しても移民が200円得するような政策はいやだ!」というわけだ。
かくして貧富の差はどんどん拡大し、労働者階級の暮らしはますます悪くなってゆく。

……まるで日本と同じだ。
リベラル派を目の敵にし、生活保護受給者やワーキングプアを非難し、消費税増税、高額所得税の減税、法人税優遇を掲げる政党を支持する。
それを金持ちがやるならわかる。金持ち優遇政策をとってくれたほうが得するもの。
ところが、決して裕福とはいえない層までもがすっとするために自分より貧しいものを叩く。
それが自分自身の首を絞めていることに気づかない。

どこの国も同じなんだなあ。
だからこそ、イギリスの姿から日本は学ぶことが多いはず。



著者は、ライターという素性を隠しながら(ときに明かしながら)、Amazonの倉庫、ホームレス、訪問介護の派遣会社、コールセンター、Uberのドライバーなどで働きながら貧困層の暮らしを体験してゆく。

少し前に日本でも横田増生氏というジャーナリストがユニクロで1年働いてその潜入ルポを発表して話題になった。
時期としては『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』よりも横田増生氏のユニクロ潜入ルポ発表のほうが早いので、もしかしたらジェームズ・ブラッドワース氏は横田増生氏のルポを知って真似たのかもしれない(そのあたりの記述はこの本にはなし)。

いわゆるワーキングプア(または失業者)の暮らしを身をもって味わい、厳しい状況に置かれた人々の声をありのまま記し、ときにデータも示しながら、その生活を描く。
たぶん、そこそこ裕福をしている人はまったく知らない、知ろうともしない生活だ。

Amazon潜入の章より。
 私たちピッカーには、通常の意味でのマネージャーはいなかった。あるいは、生身の人間のマネージャーはいないと表現したほうが妥当かもしれない。代わりに従業員は、自宅監禁の罪を言い渡された犯罪者のごとく、すべての動きを追跡できるハンドヘルド端末の携帯を義務づけられた。そして、十数人の従業員ごとにひとりいるライン・マネージャーが倉庫内のどこかにあるデスクに坐り、コンピューターの画面にさまざまな指示を打ち込んだ。これらの指示の多くはスピードアップをうながすもので、私たちが携帯する端末にリアルタイムで送られてきた――「いますぐビッカー・デスクに来てください」「ここ1時間のペースが落ちています。スピードアップしてください」。それぞれのピッカーは、商品を棚から集めてトートに入れる速さによって、最上位から最下位までランク付けされた。働きはじめた1週目、私は自分のピッキングの速さが下位10%に属していることを告げられた。それを知ったエージェントの担当者は、「スピードアップしなきゃダメです!」と私に忠告した。近い将来、人間がこの種のデバイスに24時間つながれるようになったとしても、なんら驚くことではない。
 クレアのある友人は、9カ月の契約期間の終わりに近づくにつれ、ブルーバッジ獲得への期待を膨らませていった。そのために、彼は身を粉にして働いた。本から台所用品まで、何十万もの商品をアマゾンの顧客のために棚から取り出した。ピッキングの目標基準をつねに上まわり、いつも時間どおりに出勤した。そしてなにより重要なことに、仕事のほぼすべての側面を支配する無数の細かいルールをなんとか破らずに切り抜けた。にもかかわらず、この勇ましい新たな経済――病は許しがたい罪だとみなされるダーウィン的弱肉強食の世界――は、唾を吐き捨てるように彼を解雇した。彼が犯した罪は、生意気にも風邪を引くということだった。彼はトランスラインの規則にしたがい、始業の1時間前に会社に電話し、マネージャーに風邪を引いたことを知らせた。しかし、そんなことにはなんの意味もなく、彼は派遣会社にクビを言い渡されたのだった。
 まさに非人道的な扱いだ。
人を人とも思わない、という言葉がしっくりくる。
Amazonのイギリス倉庫で働く労働者の多くは東欧からの移民などだという。過酷すぎる労働環境のせいでイギリス人はすぐにやめてしまうからだ。

これを読んで「Amazonはひどい会社だ!」と腹を立てるのはかんたんだ。
だが真の問題は、Amazonの労働環境が悪いことそのものより、それでもAmazonで働かざるをえない人たちがたくさんいるということだ。

他にいい仕事がたくさんあれば、誰もこんな労働環境で働かない。
Amazonだって首に縄をつけて労働者を集めてきているわけではない。みんな、自分の意志でAmazonに入り、自分の意志で働きつづけることを選んでいるのだ。

前にも書いたが、技術の発展によって「誰にでもできるかんたんな仕事」は減ってきている。

誰にでもできる仕事

そうはいっても誰もが「特別な知識や技能を要する仕事」ができるわけではない。
なのに今でも働かないと食っていけない。
働かなきゃいけない、働く意欲もある、なのに仕事がない。
だからどんなブラック企業でもやめるわけにはいかない。

Amazon一社の問題ではなく、もっと大きな問題だ。



「ブラック企業」という言葉がすっかり定着した。
昨今は「ブラック企業大賞」なんて不名誉な賞もある。
ブラック企業として名高い企業も多い。

しかし問題はその有名なブラック企業が、なんだかんだいってうまいこと商売を続けているということだ。うまいこといっているからこそ目立って批判されるのだ(つぶれたブラック企業はブラック企業大賞に選ばれない)。
アパレルU社も広告代理店D社もコンビニS社も儲かってる。入社希望者がまったくいなくなったという話も聞かない。
なんだかんだ言いながらブラック企業を利用する客も跡を絶たない(ぼくも利用する)。

結局、過酷な労働環境はその企業だけを批判してもなくならないのだ。
誰だって、自社の従業員をいじめたいわけではない(たぶん)。そっちのほうが得だから労働環境を厳しくするのだ。

だからブラック企業をなくすためには、システムで防ぐしかない。
法律や行政によって「ブラック企業だと損をする仕組み」をつくるしかない。
個人や企業の仕事ではなく、政治の仕事だ。

……なんだけど。
 同僚たちの多くは、政治に対してほぼなんの興味も示さなかった。「政府は税金を上げるのが大好きだ。いろいろと支出があるから仕方ないことさ」と、ある同僚が1週目に言った。「ぼくは政治の議論には参加しない。そんなの意味ないだろ?」とのちに彼は肩をすくめて言った。政治はほかの人々のためのものであり、私たちのような人間が属していない領域で起きていることだった。別の同僚は、現在のイギリスの首相は「あの国会議員の女の人だっけ?」と訊いてきた。国の政治に大きな関心を示せば、その人物は変わり者だと思われたにちがいない。政治とはこちらがただ受け取るべきものであり、実際に興味をもつべき対象ではなかった。政治的な決定はほかの人々が下すのが当然だと考えられ、彼らによって決められたあらゆる物事とともに同僚たちは議論をそのまま受け容れた。“彼ら”とは、政治家、税務署員、大家、6時のニュースの原稿を読み上げるアナウンサー、携帯電話の料金を請求してくる会社、地方議会や自警団の集まりに決まって姿を現わす時代遅れのお節介な人々のことを意味した。政治家とは、自らの利益だけを考える人々だった。もしそうではない政治家がいたとすれば、それは何かより不吉なものの兆候であり、狂信者の印だととらえられた。仕事を楽しいものにしようとするアドミラルの並々ならぬ努力は、会社を、“彼ら”の仲間ではなく“私たち”の仲間として描こうとする試みだった。
そうなんだよね。
いちばん政治によって救われるはずの人たちが、いちばん政治に無関心なんだよね。
いちばん労働法によって守られるはずの人たちが、いちばん労働法を知らなかったり。
いちばん労働組合によって守られるはずの人たちが、いちばん労働組合を毛嫌いしていたり。

貧しい人が自分自身の首を絞めているとしかおもえないようなことをする。
これが現実。



最近、日本でもよくウーバーイーツのバッグを背負った人をよく見るようになった。

ウーバー配車サービスヤウーバーイーツのような「単発の仕事を受けて個人事業主として働く人」のことをギグワーカーと呼ぶそうだ。

ぼくは、ああいう働き方もアリだとおもっていた。
たとえば売れない役者をやっている人は、決まった時間にシフトに入るバイトをやるのはむずかしい。だから空いた時間にお手軽にできるウーバーイーツをやる。
そういう自由な働き方はすごくいいんじゃない? とおもっていた。

この本を読むまでは。
 分別のある人間であれば、このような仕事を喜んで引き受けることはないはずだ。だからこそ、ウーバーはドライバーに長時間にわたって仕事を拒否することを許そうとしないのだろう。同社はドライバーたちに、乗車リクエストの80パーセントを受け容れなければ「アカウント・ステータス」を保持することができないと通知している。ドライバーが3回連続で乗車リクエストを拒否すると、自動的にアプリが停止する場合もある。なかには、2回連続で拒否しただけでアプリから強制ログアウトされた例もあった。「あなた自身が社長」という美辞麗句とは裏腹に、強制ログアウト後10分間はアプリにログインできないという事実は処罰のように感じられた。
ウーバーは
「好きなときに好きな時間だけ働く」
「誰もが社長。個人事業主として自由な働き方を」
と、耳当たりのいい言葉で労働者を集める。

だがその実態は、必ずしも自由ではない。
好きなときに好きなだけ働けるわけではない。そんな働き方をしていたら稼げないし、ウーバーから仕事がまわってこなくなる。
ウーバーは「命じられたらいつでも働いてくれる労働者」に優先的に仕事を回す。

だから実際のところ、そこそこ稼ごうとおもっている労働者にとってウーバーから与えられた仕事を断る権利はほとんどない。
会社に雇われているのと同じだ(会社員だってときどきは仕事を断ることができる)。
会社員とちがう点といえば、仕事がないときは給料がもらえないこと、車やガソリン代や保険などの経費を自分で負担しなければならないこと、ケガや病気で休んだら収入がゼロになること。つまり悪いことばかりだ。

まあそういうリスクも承知の上で「自由」な働き方を選んで本人が損をするなら自業自得と言えなくもない。

だが、労働者が事故や病気で働けなくなったとすると、不利益を被るのは彼だけではない。
社会全体にとっても大きな損失だ。
本来なら会社が与えるべき労災補償や給与を、国家が負担しなければならなくなる。

結局、ウーバーは国の社会保障制度にフリーライド(タダ乗り)しているわけだ。

いろんな国で、ウーバーを相手取った訴訟がおこなわれている。
そのほとんどは「ウーバーで働く労働者はウーバーと雇用関係にあるか」という点が争われている。
国によっては「ウーバーのドライバーはウーバーの従業員である」という判決が出たようだが、日本ではまだほとんど事例がないようだ。

ぼくがウーバーを利用するのは最高裁の判決が出てからにしよう。



貧富の差って、単なる財産だけの問題じゃない。
いろんな文化がちがう。

そこそこ豊かな暮らしをしている人からすると、
「金がないって言うけど、だったらなんでそんな生活してるの? そんな生活してたら貧乏になるのはあたりまえじゃん」
と言いたくなることも多い。
 最近、古いテレビが動かなくなると、息子は購入選択権付きレンタル店から新しいテレビを分割払いで買った。この種のレンタル店は、クレジットスコアの悪い人々にソファー、テレビ、オーディオ機器などを驚くほど高い金利で売って儲けを得ている。2016年には40万以上の世帯が購入選択権付きレンタル店を利用し、その数は2008年に比べて1.31倍に増えた。利用者の多くは目先の誘惑に屈していま欲しい商品を(一定の保証付きで)高金利で購入し、たいていあとになって後悔するのだった。
 テレビを見る以外ほとんど何もすることのないミスター・モーガンには、「ニュースとラグビー」が必要なのだと彼の妻は語った。息子が購入したテレビは、通常の店では150ポンドほどで売られる安物だった。しかし、購入選択権付きレンタル店から分割で買ったモーガン家の総支払額は、最終的に400ポンドほどになる予定だった。
ぼくも、かつて会社の先輩社員が
「車をローンで買っている。ローンを払い終わったら車を売って、その金でまたローンを組んで新しい車を買う」
と語っているのを聞いて「なんでローン組むの?」とおもった。
「貯金してから買ったほうがいいのに。ローンの利息払うのは無駄じゃん」とおもっていた。

でもそれは、ぼくがそこそこ豊かな家で生まれ育ったからだ。
ぼくは親に大学進学のお金も出してもらったし、就職後しばらくは実家に住まわせてもらっていた(一応家にお金は入れていたけど気持ち程度の額だった)。
もしも親に「通勤に必要な車買うからお金貸して」と泣きつけば、たぶん貸してくれただろう。

そういう人間にとって、「ローンを組んで住宅以外のものを買う」「消費者金融で金を借りる」「クレジットカードで分割払いをする」なんてのは理解の外にある行動だ(ぼくはいずれも経験がない)。
金をドブに捨てているとしかおもえない。

ここに深い断絶がある。
お金がないことは理解できても、こういうところはなかなか理解しあえない。

お金で苦労したことのない人は
「お金がないなら自炊して食費を浮かせたらいい」
「コンビニで買い物をせずに安いスーパーで買い物をしたほうがいい」
「漫画喫茶に住むより安いアパートを借りたほうが安い」
「パチンコや宝くじで儲かるわけがない」
「身体をこわしたらたいへんだから調子悪ければ早めに病院に行ったほうがいい」
「収入以上のお金を使わないようにしたほうがいい」
「会社の不当行為で不利益を被ったら弁護士に相談したらいい」
とおもう。
どれも正論だ。

でも、それができない人もいる。
「教わってこなかった」「そういう習慣がない」「初期投資をするだけの経済的余裕がない」などの理由で。

貧乏の問題は金がないだけじゃない。
金がないと、時間もなくなるし自己投資をする余裕もなくなるし気持ちの余裕もなくなる。

『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』の著書は、アマゾンの倉庫で肉体的にきつい労働をした後は酒やスナック菓子がほしくてたまらなかった、と書いている。
なんとなくわかる。
強いストレスがかかると、甘いものとか脂っこいものとかアルコールとかの誘惑に抗う力がなくなるのだ。


ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』にはこんなことが書いてあった。
 ストレス状態になると、人は目先の短期的な目標と結果しか目に入らなくなってしまいますが、自制心が発揮されれば、大局的に物事を考えることができます。ですから、ストレスとうまく付き合う方法を学ぶことは、意志力を向上させるために最も重要なことのひとつなのです。
酒やタバコやスナック菓子はやめたほうがいい、ドラッグなんてもってのほか、適度な運動と野菜やフルーツの摂取で健康でいられる、経済的にも健康的にもどっちがいいかは明らかだ。
そのとおり。そのとおりなんだけど、それを実践できるのは金銭的余裕があるからなんだよなあ。


生きていくのに困るほどお金に苦労したことがない、という人こそ読んだほうがいい本。


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