2019年3月2日土曜日

イージー育児


うちの子は五歳と〇歳だから子育てはまだまだこれからなんだけど、まあ比較的手のかからない人たちだな、と思う。
いやもちろん大変なんだけど。五歳児は意地っ張りだし休日の朝早くから「おとうちゃんトランプしよ」と起こしてくるし、そのくせ平日は起こしても起きないし、〇歳は〇歳で夜中に泣くしうんこ漏らすし決して楽ではないんだけど。
でもまあ他の子と比べたら楽なんだろうなと思う。
ふたりしか育てたことがないから(そのふたりだってまだまだこれからだけど)推察でしかないけど。

上の子はビビりで、ちょっとした段差でも「怖い」と言って飛び降りない。はじめてのものは食べたがらないし、出かけるときも親が近くにいないと不安がる。
親から見ても「もうちょっと挑戦的になってもいいのに」と思うが、そんな性格だから大きなケガなどしたことがない。ケガをさせたこともない。親としてはすごく助かる。
同年代の子を見ていると、どんな未知の領域にもずんずん足を踏み入れようとするコロンブスの生まれ変わりや、周囲から何を言われても不服従というガンジーの生まれ変わりや、すぐに他の子に噛みつくマイク・タイソンの生まれ変わりの子もいて(タイソンはまだ死んでないか)、こりゃあ親は気苦労が絶えないだろうなと同情する。
ぼく自身もそういうタイプの子だったから、命を落とさずに大人になれたのはただただラッキーだったと思う。

こういうのって親の教育方針とかの影響も多少はあるんだろうけど、それよりかは持って生まれた気質のほうが大きい。
娘の友だちに三つ子がいるんだけど、同じ日に生まれて同じ家で同じように育てられているはずなのに、性格はそれぞれちがう。
子どもが石橋を叩いて渡る慎重派になるかトラブルメイカーになるかのちがいは運でしかないんだろう。

あと健康というのもすごく大事な要素だ。
大人だったら少々の不健康でもそこそこ自分で調整をつけて生きてゆけたりするけど、子どもは体調管理能力がゼロだから、ポテンシャルがそのまま体調に直結する。
うちの子はしっかり食べるし、アレルギーや持病もないし、すごく体力がある。三歳ぐらいからお昼寝をすることをやめてしまったが、夜まで元気に遊んでいる。ぼくよりずっと元気だ。
保育園に入れるとき、いろんな人から「子どもはすぐ熱を出すから呼び出しがかかってたいへんだよ」と言われたので覚悟していたのだが、うちの娘は年に二日ぐらいしか保育園を休まない。体調が悪くても少し寝ていたらあっという間に治ってしまう。
職場の人にもあらかじめ「小さい子を保育園に預けてるんで何かあったらぼくがお迎えに行くかもしれません。ご迷惑をおかけすると思いますがよろしくお願いします」とことわっていたのに、そんな機会はほとんどなく、肩透かしを食らった気分だ。

下の子はまだ数ヶ月しか生きていないが、今のところ上の子に輪をかけて手のかからない人生を送っている。
すごくお腹のすいたとき以外は大声で泣くこともないし、夜中も新生児にしてはまあまあ長く眠ってくれるし、とにかく楽だ(新生児にしては、だが)。
しかも超絶ありがたいことに、必ずといっていいぐらいお出かけの前にうんこをしてくれる。これはすごく助かる。電車の中とかで出されたら困るからね。もうこれだけで一生分の親孝行をしているといっても言いすぎではない。絶妙なタイミングでうんこをしてくれたときは思わず赤子に「おまえは天才児か!」と言ってしまう。すごい才能だ。


ほうっておいても性格温厚・才色兼備に育つ子もいれば、死なずに大人になっただけでも奇跡という子もいる。誰も殺さなかっただけでも親を褒めなければ、という気質の子だっているだろう。
数年間子育てをしてみて思うのは、親の子育て方針が子どもの発達に与える影響なんてほんのわずかだってこと。
遺伝子とか時代とか政治とか隣人とかどんな教師にあたるかとか、ほとんど運によって左右される。
こうすれば子どもは成功する、みたいな必勝法は存在しない。これをしたらほぼまちがいなく子どもの人生は台無しになる、というクラッシュ方法はあるだろうけど。


結局何が言いたいかっていうと、「息子三人を東大に入れる方法」みたいなことを語りだす母親は何もわかっちゃいないからおまえが大学行って勉強しなおせってこと。

2019年3月1日金曜日

【読書感想文】不倫×ミステリ / 東野 圭吾『夜明けの街で』

『夜明けの街で』

東野 圭吾

内容(e-honより)
不倫する奴なんて馬鹿だと思っていた。ところが僕はその台詞を自分に対して発しなければならなくなる―。建設会社に勤める渡部は、派遣社員の仲西秋葉と不倫の恋に墜ちた。2人の仲は急速に深まり、渡部は彼女が抱える複雑な事情を知ることになる。15年前、父親の愛人が殺される事件が起こり、秋葉はその容疑者とされているのだ。彼女は真犯人なのか?渡部の心は揺れ動く。まもなく事件は時効を迎えようとしていた…。
『赤い糸』では介護、『手紙』では加害者家族の生き方、『さまよう刃』では少年法など社会問題とからめたミステリを手掛けてきた東野圭吾さん。
『夜明けの街で』はミステリ×不倫。
ミステリと他のテーマをかけあわせることによって、次々に新鮮な味わいを提供してくれる。そしてそのどれもが高い水準を保っている。
名料理人、という感じ。

ちなみにこのタイトル『夜明けの街で』は、サザンオールスターズの不倫をテーマにした『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』の歌詞の一部から。
舞台が横浜だったり、『LOVE AFFAIR』の歌詞に出てくるスポットが使われていたり、「秘密のデート」という言葉が何度も出てきたり……と、ずいぶん曲へのオマージュを感じさせられる小説。曲を知っていたほうがずっと楽しめるので、読む前に聴くべし。



「不倫相手の女性が15年前の殺人事件の犯人かもしれない」というのが本書のいちばんの謎。
でも正直いって、殺人事件の真相よりも不倫の行方のほうが読んでいて気になる。
はたして妻には気づかれていないのか、気づいていて素知らぬふりをしているだけなのか……。読みながらゾクゾクしていた。

ぼくは不倫をしたことはないが、どんなことがあろうとも自分はぜったいに不倫はしない! と言いきれるだけの自信もない。魅力的な女性に言い寄られたら毅然としてつっぱねることができるかどうか、我が事ながらたいへん心もとない。まあ幸か不幸か、独身時代も含めてそんな機会はないけど。

ぼくは自分の意志をぜんぜん信頼していない。だから、そもそも浮気のきっかけになるような状況に近寄らないようにしている。女性と一対一で会うなんてことはしない、どうしても会わなければならないなら昼間にする、飲み会が終わったら二次会三次会に行かずにさっさと帰る(飲み会が嫌いだからだけど)、好みの女性と会ったらまず子どもの話をする(自分に言い聞かすため)……。
まあそんなことしなくてもぼくみたいなしみったれと不倫してくれるような女性はいないとは思うが、気をつけておくのに越したことはない。

ぼくはタバコを一本も吸ったことがないし、パチンコを一度もやったことがない。麻薬も一度もやったことがない。
それは自分の意志にまったく信頼を置いていないからだ。「一度やったらハマってしまうかもしれない」とおもっているから、意識的に遠ざけるようにしている。不倫もそれと同じだ。ハマってしまいそうだから怖い。

不倫なんてしても99%良いことはない。誰もがわかっている。
バレれば家庭や金銭を失うし、へたしたら仕事や友情も失うことになる。バレなくたって罪の意識は残るだろう。

それでもしてしまう。もう本能的なものとしか考えようがない。麻薬と同じで、理性で太刀打ちできるようなものではないのだろう。こえー。



ミステリとしては、正直イマイチ。
東野圭吾作品の中でもかなり下位に位置する出来栄えだった。「十五年も××をしていた」(ネタバレになるため伏字)というのは無理があるし、真相が明らかになったところで「えーまさかあの人が!?」というような驚きもない。

ホラーとして読む分にはじつにスリリングでおもしろかった。
ぞくぞく。

ただ、結末ははっきりいって生ぬるい。さんざん身勝手な立ち居振る舞いをしてきた男がこれだけで許されるのかよ、と拍子抜けする。ぼくはもっとえげつない展開が見たかったぜ。
東野圭吾氏も男なので温情を見せてしまったのかなあ。

女性作家ならきっとこういう結末にはしなかっただろうな。

【関連記事】

【読書感想文】 東野 圭吾 『新参者』



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2019年2月28日木曜日

【読書感想文】宇宙時代なのにテープで録音 / ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』

たったひとつの冴えたやりかた

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア (著)
浅倉 久志 (訳)

内容(e-honより)
やった!これでようやく宇宙に行ける!16歳の誕生日に両親からプレゼントされた小型スペースクーペを改造し、連邦基地のチェックもすり抜けて、そばかす娘コーティーはあこがれの星空へ飛びたった。だが冷凍睡眠から覚めた彼女を、意外な驚きが待っていた。頭の中に、イーアというエイリアンが住みついてしまったのだ!ふたりは意気投合して〈失われた植民地〉探険にのりだすが、この脳寄生体には恐ろしい秘密があった…。元気少女の愛と勇気と友情をえがいて読者をさわやかな感動にいざなう表題作ほか、星のきらめく大宇宙にくり広げられる壮大なドラマ全3篇を結集!

ほんとにしゃれたタイトルだね(原題は『The Only Neat Thing to Do』)。翻訳SFってかっちょいいタイトル多いよねえ。
『夏への扉』『世界の中心で愛を叫んだけもの』『星を継ぐもの』『あなたの人生の物語』とか。
その流れを受けているんだろう、星新一のショートショート集もしゃれたタイトルがついていた。『だれかさんの悪夢』『ちぐはぐな部品』『おのぞみの結末』『ありふれた手法』とか。スマートだよなあ。



『たったひとつの冴えたやりかた』

両親に内緒で宇宙探検に出かけた少女。だが、あることをきっかけに脳内にエイリアンに寄生されてしまう。とはいえそのエイリアンはとっても紳士的・友好的で、害をなすどころか体内の掃除までしてくれる。すっかり友だちになった少女とエイリアンだが思わぬ罠が……。

少年冒険小説のような明るい導入から、意外性のある展開、徐々に迫る不気味な予感、そしてさわやかな悲哀が漂うラスト……とめまぐるしくテイストが変わる小説。
うん、おもしろい。
ところどころに挟まれる「たったひとつの冴えたやりかた」という台詞が、最後の最後で重い意味を持つ。




『グッドナイト、スイートハーツ』

凶悪な敵に襲われた宇宙船を助けに向かった男。そこで出会ったのは、数十年前に別れた恋人(冷凍睡眠や美容手術のおかげで互いに老けていない)、さらに賊の人質になっていたのはかつての恋人のクローンだった……。

うーん……。
「宇宙が舞台なのにめちゃくちゃ世間せまいな!」という感想しか出てこない。
宇宙の果てで数十年前の知り合いとばったり。さらに知り合いが数十年前につくったクローンともばったり。
正月に田舎町に帰省したときぐらいの頻度で知り合いに出会うスペース・オペラ。



『衝突』

異星人とのコンタクトを、「万能翻訳機」みたいなものに頼らずに、基礎的な言語だけでおこなうもどかしさを描いていたのはおもしろかった。テッド・チャン『あなたの人生の物語』を思いだした。あちらのほうがずっと説得力があったが。



三篇すべてに言えることなんだけど、え? それだけ? という感じで終わってしまう。もうひと展開あるだろうな、と思って読んでいたら何もなし。

三十年以上前の小説だからしょうがないんだけど。
少年少女向けかも。まっすぐに前を向けなくなったおっさんにはちょっと単調すぎたよ。


小説の味わいとはあんまり関係ないけど、宇宙を縦横無尽に飛びまわる世の中が舞台なのに、録音をするときにテープを使っているのがおもしろい。長時間の録音をするときはテープ入れ替えたりしてんの。はっはっは。ダセぇ。
宇宙飛行とか冷凍睡眠とかエイリアンとのコンタクトとかに関しては自由自在に想像して書いているのに、録音はテープ。カセットテープしかなかった時代には、音をデータのまま保存しておくというのは想像できなかったんだろうなあ。

人間の想像力には制限がないようで、やっぱり制限がかかってしまうということがわかるおもしろい事例でした。

2019年2月27日水曜日

【読書感想文】話しかけてくるなり / 俵 万智『生まれてバンザイ』

生まれてバンザイ

俵 万智

内容(e-honより)
俵万智さんが、赤ちゃんを生んで、唄った母の歌。
妊娠中、出産後、子育ての間に詠んだ短歌を集めたオムニバス。

俵万智さんは好きなので『プーさんの鼻』は読んだことがあったはずだが、当時は子どもがいなかったのであまりぴんとこなかった。
五歳と〇歳の二児の父となった今では、同じ短歌を読んでもやはりいろいろ感じるものがあっておもしろい。
朝も昼も
夜も歌えり
子守歌
なべて眠れと
訴える歌
子どもが生まれる前は、子守歌ってほのぼのした優しい気持ちでうたう歌だとおもっていた。
でもじっさいはそうじゃない。
頼むから寝てくれ。おい早く寝ろよ。切迫した懇願であり脅迫であり祈りである。
子守歌をうたっている時間は、こちらの睡眠が削られている時間。戦いの時間なのだ。

ついてってやれるのは
その入り口まで
あとは一人でおやすみ
坊や
子どものとき、怖い夢を見るたびに母親のところに行っていた。「そうか、こわかったの。もうだいじょうぶだよ」となぐさめてくれた。

今、娘が「こわいゆめをみた」とぼくをおこしにくる。眠いのに起こすなよ、と思う。めんどくせえな、と思う。でも「そうか、こわかったの。もうだいじょうぶだよ」となぐさめてあげる。

そうか。母親もこんな気持ちだったのか。

記憶には残らぬ今日を
生きている
子にふくませる
一匙の粥
子どもにいろんなことをしてあげながら、「どうせこいつはおぼえてないんだろうな」と思う。
〇歳児はとうぜんだし、五歳児だって今ぼくと遊んだことや行った場所をほとんどぜんぶ忘れてしまうかもしれない。
子どもを持つ前のぼくなら、だったら意味ないじゃんと思っていたかもしれない。でも今はそうは思わない。
ぜんぶ忘れられたっていいさ。だってこっちはずっとおぼえてるからな!

みどりごと散歩をすれば
人が
木が
光が
話しかけてくるなり
子どもと歩いていると、それまで気づかなかったことに気づく。
タンポポが咲いていることや、街路樹に鳥が巣をつくっていることや、小さい段差があること。
ひとりで歩いているときは目に入ってもまったく意識をしない。だけど、子どもに世界を教えるつもりで歩いていると、タンポポが鮮明に意識される。まるで自分も生まれてはじめてタンポポを見たかのように。

それを「話しかけてくるなり」と表現するのはさすが。



赤ちゃんの歌を集めたオムニバスのはずなのに、なぜか後半には恋の歌が集められている。しかも初期の『サラダ記念日』や『チョコレート革命』などから。
子どもとの関わりを詠んだ歌の後に「恋の歌」を読むと、ずいぶんうすっぺらく感じてしまう。
いやべつに子育てのほうが恋愛より崇高だとかいうつもりはないんだけど、やっぱり同じスタンスでは味わえないよね。なんでこれ収録したんだ。じゃまでしかない。

収録されている短歌は子どもが三歳ぐらいまでの歌ばかりなので、「恋の歌」を入れるぐらいなら幼児~少年期の歌ももっと入れてほしかった。

後半さえなければいい本だったのになあ。

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【読書感想文】「壊れた蛇口」の必要性 / 穂村 弘・山田 航『世界中が夕焼け』



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2019年2月26日火曜日

不公平な姉弟


ぼくの姉には子どもがふたりいる。
八歳の姉と四歳の弟。きょうだいでありながら性格はぜんぜんちがう。一言でいうと、お姉ちゃんは神経質、弟はおおらか。

お姉ちゃんは弟に厳しい。自分と同じものを求める。
大人からすると八歳と四歳なんてまったく違うのだから、何をするにも弟はできなくて当然。だけどお姉ちゃんはそれが許せない。
「なんでわたしはできないと怒られるのに弟は許されるのよ!」という不満を抱えて生きている(ように見える)。

こないだその姉弟とすごろくをした。
やはりお姉ちゃんは弟に厳しい。
「待ってるんだから早くサイコロ振って!」「4が出たんだからそこじゃないでしょ!」と弟を叱責する。
さらに間の悪いことに、弟はいい目が出てお姉ちゃんは悪いマスにばかり止まる。
弟はトップ、お姉ちゃんはビリ。すごろくは運ですべてが決まるのでこればっかりはどうしようもない。

お姉ちゃん、だんだんイライラしてきて、露骨に弟に当たりちらしはじめた。
サイコロを弟に投げつけるように渡したり、弟のコマをわざと倒したり。
しかし弟のほうは、姉が自分に向けてくる悪意にまるで気づかない様子で、いつもと同じようににこにこしながら「やったー、6だー!」と喜んだり「お姉ちゃんがんばれー!」と応援したり(しかしそれがお姉ちゃんには煽っているように感じるのだが)。

もしこれが、悪意に気づきながら華麗にスルーしているのだとしたら相当な大物だ。


さてさて。
当然ながらその場にいる大人は、弟に気を遣う。
お姉ちゃんに「もっと優しくサイコロを渡しなよ」と注意をし、弟に「ゆっくりでいいからね」と声をかける。親も、おじいちゃんおばあちゃんも、叔父(ぼく)も、弟に気づかう。
その結果、お姉ちゃんはますます不機嫌になる。
きっとお姉ちゃんからしたら「弟がやるべきことをできてないから注意してやってんのに、周りの大人は弟ばかり甘やかす」というふうに映っているのだろう。

弟に厳しく当たる → 周囲の大人が弟に優しくする → ますますイライラして弟に厳しく接する

というスパイラルだ。
しかしお姉ちゃんは、自分の行動が「弟甘やかされすぎ」現象を生んでいるとも知らず、今日も弟に冷たくあたる。
つくづく損な性格してるなーと傍から見ていて思う。



子どもは、不公平であることに異常に敏感だ。
いつも周りと見比べて、自分が享受すべき利益が他人に渡っていないかを厳しくチェックしている。
「よそはよそ、うちはうち!」
と言われずに育った子どもはまずいないだろう。

世の中は不公平なものだが、それを認めるには時間がかかる。
世界は不公平だと学ばぬまま大人になってしまっている人も多い。
「おれをスピード違反で捕まえるんだったら他のやつも捕まえなきゃだめだろ!」
「私は努力してるのになんで大した努力もしてないあいつがいい目にあってるのよ!」
と考えてしまうタイプは一生幸せになれない。
完全に公平であってほしいという気持ちを満たそうと思うなら、誰もが不幸な国に行くしかないのだから。

かわいい姪にはそんな不幸な大人になってほしくないと思うので、
「弟に優しいお姉ちゃんって思われたら、みんなが優しくしてくれるよ」
と言ってみたのだが、はたしてどこまで伝わっているのやら。