2018年7月27日金曜日

【短歌集】病弱イレブン



チームメイト追悼試合の最中に死んだ選手の追悼試合



リズム感に欠く彼らのドリブルは まるで銃弾浴びてるかのよう



病弱の健闘むなしく無情にも響きわたるはキックオフの笛



勝ったのに2回戦には上がれない トーナメントにスロープつけて



病弱を支えて励ます女子マネが ひそかに計算せし内申点



全員が倒れし後も好勝負演出するはベルトコンベア



負傷者を乗せた担架を持ちあげる隊員たちの強さが際立つ



タックルをしかけた側が倒される サッカーだけに踏んだり蹴ったり



あと一歩 病弱イレブン破れ散る 勝者はお掃除ロボットルンバ



看護師の制止を振り切り出場し 血を吐きながらキックオファァアああ



敵味方 赤と青とに分けるのは ユニフォームでなくサーモグラフィー



永遠のものなどないと思ってた 彼らにとっては終わらぬ試合



2018年7月26日木曜日

中学生が書いたサラリーマン小説


「わかっているだろうな、ホンダくん。これは我が社の命運を賭けたビッグ・プロジェクトだ。決して失敗は許されんぞ」
部長が鼻髭をさわりながら言った。おれは「承知いたしました」と軽く頭を下げて席に戻った。後ろの席の女性社員たちがこちらを見ているのを感じながら、あくまでクールに席についた。

「どうせ失敗に決まってるさ。部長、失敗したらこいつクビですよね」
同期のカワサキが薄笑いを浮かべながら言う。ほんとうにいやなやつだ。社内の噂話と上司へのごますりしか頭にない男だ。おれは聞こえないふりをしながらコンピュータを起動した。二万テラバイトのハイパースペック・マシン。こないだのビッグ・プロジェクトを成功させたお祝いに部長が買ってくれたものだ。こんなところにも部長からおれへの期待が現れている。

「こないだのビッグ・プロジェクトすごかったわね。今度のビッグ・プロジェクトも期待してるわ」
おれの机に湯のみ茶碗を置きながら、会社のマドンナであるレイコさんがささやく。ささやきついでに、おれの手をぎゅっと握りしめていった。カワサキの歯ぎしりがここまで聞こえてくるようだ。思わずにやにやしてしまう。

おれはノートをとりだして、複雑な計算式を書きはじめた。ビッグ・プロジェクトの見積もりを作成するのだ。この計算式はおれにしか書けない。だからいくらカワサキが悔しそうににらんだところで、ビッグ・プロジェクトを任せられるのはおれしかいないのだ。

出た。なんと105万円。
ついに100万円の大台に乗った。たくさんのビッグ・プロジェクトを手がけてきたおれでも、これほどビッグなプロジェクトははじめてだ。
検算をして見積もりにまちがいがないことを確認して、おれは見積もりを真っ白な紙に清書した。

ネクタイを締めなおし、清書した見積もりを部長に手渡した。窓の外に目をやり、横目で部長の反応をうかがう。
「ひゃっ、105万円……」
部長の声が震えている。当然だろう、なんせ会社の運命を握っているビッグ・プロジェクトだ。
部長の声を聞いていた同僚たちがさざめきあう。「105万円だって……」「いくらビッグ・プロジェクトだからって……」そんな驚嘆の声が聞こえる。
ビッグ・プロジェクトのビッグさに一瞬たじろいでいた部長も、すぐに落ち着きを取り戻して見積もりの内容を確かめはじめた。さすがだ。今はこんな小さな支社にいる部長だが、かつてはニューヨーク支社で数々の大胆な見積もりを世に出してアメリカ中のビジネスマンを驚かせ、東洋の見積もり王の名を欲しいままにしたと聞く。もしかすると、おれの強気の見積もりを見てかつての栄光の見積もりを思いだしているのかもしれない。

「完璧な見積もりだ……。この見積もりなら我が社の危機は救われる……」
うめくように部長が云った。当然だ、百年に一度の新入社員と呼ばれたおれの渾身の見積もりなのだから。
「この見積もりをあれだけの短時間で完成させるとは、まったく大した男だな。ホンダくんは」部長が顔をほころばせる。「それにしても105万円の見積もりとはおそれいったよ、これはもはやビッグ・プロジェクトではない。大ビッグ・プロジェクトと呼んだほうがいいだろうな」
「ははは、部長、大ビッグだと意味が重複していますよ」
「それもそうだ、こりゃあ一本とられたな」
おれの鋭いツッコミに、部長がおでこに手を当て大声で笑った。つられたように社内全体が笑いだす。ひとり苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのはカワサキだ。

そのとき扉が大きな音を立てて開いた。顔を出したのはなんと、本社にいるはずの社長だった。
「おや、楽しそうな話をしているな。わしも混ぜてくれんかね」
社長の横では、タイトなワンピースに身を包んだ切れ者秘書のエリカさんが細メガネを光らせている。
「こ、こ、これは社長。どうしてここへ」
部長があわてて椅子から立ちあがる。カワサキがさっそく社長の後ろにまわりこんで、肩をもみはじめる。まったく、わかりやすいぐらいのごますり野郎だ。
だが社長はハエでも追いはらうかのようにカワサキの手を払いのけた。
「完璧な見積もり、という声が聞こえたような気がするが……。それともわしには教えられんような話かね」
社長の目がぎらりと光った。今ではすっかり好々爺然とした社長だが、戦後の闇市で怒涛の見積もりを連発して財を成し、そこから一代でのしあがっただけのことはあり、ときおり見せる鋭い眼光は社員を威圧する。
「ととととんでもございません。たった今、ホンダくんが見積もりをつくったところでして、ぜひとも社長にもお見せしたいと思っていたんですよ」
部長が平伏せんばかりの勢いで見積もりを社長に手わたすと、すかさず秘書のエリカさんが老眼鏡をさしだす。
「ほうほう、これをホンダくんが……」
にこにことした表情で見積もりを眺めていた社長の顔つきが、突如豹変した。「まさか……」「いやしかし……」と独り言が漏れる。
最後まで読みおえると、社長は見積もりを丁寧に封筒に収め、深く息をついた。社長も無言、部長も無言、部署全体が静まりかえっていた。
やがて社長はすっと指を二本立てた。秘書のエリカさんがそこにタバコを差しこみ、流れるような動きで火をつけた。あわてて立ちあがろうとしていたカワサキが「出遅れた」という顔をした。

「いやはや驚いたよ。こんな優秀な社員がうちにいたなんて」
社長はタバコの煙を吐きだしながら声を漏らした。
「わしは長いことこの仕事をやっているがこんなすごい見積もりを見たことはない。このビッグ・プロジェクト、まちがいなく成功する!」
わっと歓声が上がった。社長の威厳の前にぶるぶると震えていた部長が安堵のため息をついた。表情を変えていないのはおれだけだ。ずっと余裕の笑みを浮かべていたからだ。

「よしっ、ボーナスをはずもう。ホンダくん、このビッグ・プロジェクトはすべて君に一任するよ!」
社長とおれはがっちりと握手をかわした。


【次回予告】
完璧な見積もりにより完璧なスタートを切ったビッグ・プロジェクト。すべて完璧かと思われていたが、なんとライバル会社であるイリーガル社がまったく同じ見積もりを作成していたことが判明。完璧だったはずのビッグ・プロジェクトに暗雲が立ちこめる。ビッグ・プロジェクトの見積もりをライバル社に漏らしていたのはいったい誰なのか……。
次回、『カワサキの謀略』。乞うご期待!


2018年7月25日水曜日

【DVD感想】 『インサイド ヘッド』

『インサイド ヘッド』
(2015)

内容(Amazonプライムより)
11才の少女ライリーの頭の中の“5つの感情たち”─ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミ。遠い街への引っ越しをきっかけに不安定になったライリーの心の中で、ヨロコビとカナシミは迷子になってしまう。ライリーはこのまま感情を失い、心が壊れてしまうのか? 驚きに満ちた“頭の中の世界”で繰り広げられる、ディズニー/ピクサーの感動の冒険ファンタジー。観終わった時、あなたはきっと、自分をもっと好きになっている。

頭の中の感情を擬人化するという、アニメーションでしか表現できないアイデア(あ、でもラーメンズが『心の中の男』でやってたわ)。
「頭の中」「頭の外」「他人の頭の中」が描かれるのでややこしくなりそうなものだが、さすがはピクサー、わかりやすく見せてくれる(一緒に観ていた四歳の娘はよくわかっておらず終盤で「ライリーって誰?」などと言っていたが)。

個人的な好みで言えば、今まで十本以上観たピクサー映画の中ではかなり下位の評価だった。『カーズ』シリーズとワースト一、二を争うぐらい。
ぼくは理屈で納得できないと先に進めないタイプなので、「抽象的なものを擬人化」「目に見えないものを具現化」するタイプの物語が苦手だ。「どうして短期的な感情の変化によって長期記憶を保管する部分がなくなってしまうんだ?」とか考えてしまう。深く考えずに観たらおもしろかったのかもしれないけど、なまじっかディティールがしっかり作りこまれているから理屈で追おうとしてしまうんだよね。

ストーリーとしては「ライリーが引っ越し先でうまくいかない」ということと「脳内司令部から長期記憶保管場所に行ってしまったヨロコビとカナシミが戻ってくる」という二点が錯綜しながら語られるわけだが、どちらも結末が読めてしまってハラハラ感がない。
子どもも楽しめるアニメーション映画なのだから「最後は友だちもできてハッピーになるんでしょ」「ヨロコビもカナシミも無事に戻ってくるんでしょ」ということが誰にでもわかる。
カナシミが序盤で厄介者として描かれている点も「序盤でこういう扱いをされているってことは最後にカナシミの大事さに気づくやつね」と容易に想像がついてしまうし、じっさいその通りに展開する(ネタバレしてもうた)。

「感情を擬人化」というアイデアはすごくおもしろいけど、そのアイデアを前面に活かそうとするあまりストーリーが単調なものになってしまったように思う。たとえば『トイ・ストーリー』でいえば「おもちゃが人間みたいに動いてしゃべってる。おもしれー」と思うのははじめの十分ぐらいで、その後はストーリーが魅力的だったからこそあんなにおもしろかった。『インサイド ヘッド』は「脳内でおこなわれていることをこんなふうに表現しました」を最後までやりつづけてしまった、という感じ。
短篇作品だったらすごくおもしろかったかも。



どうでもいいCMソングがなぜか頭にこびりついて離れなくなるとか、昔覚えた大統領の名前が忘れられてゆくとか、自分にとってパーフェクトで都合のいいイケメンが脳内にいるとか、猫の喜怒哀楽がランダムに決まってるとか、「脳内あるある」がふんだんに散りばめられていて、小ネタのひとつひとつはすごくおもしろい。
「なるほど、脳の中でこんなことが起こっているんだな」と思わされる説得力もある。たぶんきっちり脳科学のことを調べた上で作っているんだろう。


ところで、イライラ(Disgust)とイカリ(Anger)が別の個体として存在しているのがふしぎだ。イライラの激しいやつが怒りなんじゃないかと思うんだけど、アメリカでは別感情として扱われているのか?
それともじっさいの脳内ではべつの部分が担当しているのかな?
イライラの代わりにネタミとかオドロキとかワライとかがいたら、中盤の司令部のやりとりもネガティブ一辺倒ではなくもっと見応えがあったのかもしれないな。


2018年7月24日火曜日

【読書感想文】 田原 牧『ジャスミンの残り香 「アラブの春」が変えたもの』


『ジャスミンの残り香
「アラブの春」が変えたもの』

田原 牧

内容(e-honより)
この出来事は日本人にとっても、決して対岸の火事ではない。三十年近くにわたり、アラブ世界を見続けた気鋭のジャーナリストが中東民衆革命の意味を問う!「革命」は徒労だったのか。2014年第12回開高健ノンフィクション賞受賞作。

アラブの春。
2011年1月にチュニジアでデモをきっかけに政権が倒されたのを皮切りに(ジャスミン革命)、アラブ世界の各国でデモや革命が相次いで起こった。
日本では東日本大震災の時期と重なっていたこともあり大きく報道されなかったが、世界的には大きな運動だった。ぼくが見るかぎりでは「民主化バンザイ!」と手放しで賞賛する声が多かった。
民主主義が独裁政権を打ち破った、これからハッピーな世の中になるぞ、と。

『ジャスミンの残り香』を読むと、アラブの春はそんなに単純な物語ではなかったことがわかる。革命で政権を打倒した国が西欧諸国のように平和で民主的になったのかというと、答えはノーだ。

独裁政権後に政権を握った勢力も、ほとんどの場合がうまくいかなかった。旧政権側にいた人間を虐殺したり、市民を弾圧したり、内部抗争で自壊したり。
結果、再び旧政権が権力を握ったり、市民を巻き込んだ武力闘争に明け暮れたり、革命前より混乱した状況に陥っている国がほとんどだ。
だからといって「アラブの春は無駄だった」と結論づけるのはそれもまた早急すぎるけど、少なくとも手放しで褒められるものではなかった。



ヒトラーなどの影響で日本人の多くは「独裁=悪」と決めつけてしまうけど、必ずしもそうとはいえない。
江戸幕府は徳川家による独裁政権だったわけだが「江戸時代は民衆が虐げられていた悪しき時代だった」という人はほとんどいない。それなりに民衆が暮らしやすくする政策も多かった。
現在の中華人民共和国は一党独裁だが、言論の自由が制限される一方で、党が決めた場合は環境保護でも人権保護でも経済政策でもすばやく行動に移せるというメリットもある。一概に悪とは言えない。

リビアは、カダフィ大佐が強権を握る独裁国家だった。だがその反面、高福祉国家でもあった。
教育費、医療費、電気代は無料だった。新婚夫婦はマイホームを買うために50,000ドルを政府から支給されていた。アフリカの中でも治安の良い国として知られていた。産油国だったからこそできた太っ腹だったが、これを知ると「私利私欲と自身の名声のために人々を苦しめる独裁者」というイメージは変わるだろう。
言論の自由などは制限もあったが、体制に批判的でなければわりといい暮らしを送ることができた。その点では、今の日本とそう変わらないかもしれない。

だがリビアのカダフィ大佐は、内戦により殺害された。樹立された新政府はイスラム系武装勢力の台頭を抑えることができず、二つの政府と過激派組織が勢力を競う混乱状態に陥った。外国の軍事力を借りている組織も跋扈している。

リビア人の知り合いがいないので想像するしかないが「独裁政権時代のほうがずっと良かった」と思っているリビア国民は少なくないだろう。
独裁政権を打ち破ることが人々を幸せにするとはかぎらない。



著者は、革命をしないほうが良かったと語る市民はほとんどいないと書いている。
革命後の世界はたしかに良いものではなかったかもしれない。だが革命は目的ではなく手段だ。革命によって市民は武器を手に入れたのだ、と。

そうかもしれないと思う反面、生き残った人はそう言うかもしれないけど、という冷ややかな目もぼくは向けてしまう。
筆者は日本での学生運動に身を投じていた人なので、基本的に「革命をする側」の立場で書いている。革命という行為そのものを賛美しているような文章も散見される。
でもぼくは、ほとんどの革命は悪であると思う。革命という悪が「もっと悪」を打ち倒すことはあるにせよ。

革命後の混乱によって殺された人、家族を亡くした人は「革命やってよかった」と言えるだろうか。大多数の市民にとっては、平和に暮らすことが第一の願いだ。
現代のフランスに生きる人のほとんどは「フランス革命があってよかった」と思うかもしれないが、革命の巻き添えをくらって死んだ人たちはやっぱり生きたかったと思う。
世の中の多数は「革命をする側」でも「革命をされる側」でもない。



 革命の理念が成就すること、あるいは自由を保障するシステムが確立されるに越したことはない。それに挑むことも尊い。しかし、完璧なシステムはいまだなく、おそらくこれからもないだろう。そうした諦観が私にはある。実際、革命権力は必ず腐敗してきた。
 革命が理想郷を保証できないのであれば、人びとにとって最も大切なものは権力の獲得やシステムづくりよりも、ある体制がいつどのように堕落しようと、その事態に警鐘を鳴らし、いつでもそれを覆せるという自負を持続することではないのか。個々人がそうした精神を備えていることこそ、社会の生命線になるのではないか。
 革命観を変えるべきだ、と旅の最中に思い至った。不条理をまかり通らせない社会の底力。それを保つには、不服従を貫ける自立した人間があらゆるところに潜んでいなければならない。権力の移行としての革命よりも、民衆の間で醸成される永久の不服従という精神の蓄積こそが最も価値のあるものと感じていた。

この考え方も、とても立派なことは言っているが、不服従の精神が現実的に人々の幸福に貢献するかといわれるとぼくは懐疑的だ。
たしかに革命を起こす力を持っている市民は権力者にとって脅威だろう。だが市民の手に入れた武器は、自らを攻撃する凶器にもなる。
権力者が「このままだと革命を起こされるかも」と思ったときに、「だったら革命を起こされないように市民の声も尊重しよう」と考えてより穏健な政治をしてくれるだろうか。逆に「だったら革命を起こされないように市民の力を奪って弾圧しよう」と考える権力者のほうが多いんじゃないだろうか。
一度政権を失ったアラブの独裁政権を見ていると、そっちに転がっているように感じる。

日本も同じだ。一度政権の座を奪われた自民党は、政権に返り咲いた後、国民の声に耳を傾けるようになっただろうか。むしろ逆で、「批判の声に耳を傾ける」ではなく「批判の声を上げさせない」に力を注いでいるように思えてならない。


虐げられている人が声を上げ、立ちあがることはすばらしい。だけどその行為は誰も幸福にしないかもしれない。それでも立ちあがる人だけが革命家たりうるのだろう。
自分も敵も家族も友人も不幸にしながら起こす革命が正しいのか。ぼくにはなんとも言えない。だったらどうすりゃいいんだと問われると何も言えなくなる。
革命を肯定することも否定することもできない。あいまいな態度でいることが、革命の外にいる人間にとっての誠実な態度なのかもしれない。



アラブの春、そしてその後の混乱がぼくらに教えてくれるのは、権力を握ると集団は腐敗するということだ。アラブの春にかぎらず、古今東西いたるところで権力は腐敗している。

だから民主主義を守るためにもっとも必要なものは、国家権力を縛りチェックするための仕組み、すなわち憲法だ。
国民は代表者を信任して権力を委託する。だが権力者は必ず自らの利益のために権力を濫用しようとするので、憲法を定めて暴走を食いとめなければならない。
この仕組みがあるから民主主義国家は成り立っている。

権力者が改憲しようと言いだすのは、囚人が「刑務所の警備をゆるくしよう」と言いだすようなものだ。何ぬかしてんだ立場わかってんのかバカ、と一蹴しなければならない話だ。
でもそのバカなことが今の日本で着々と進もうとしている。自分たちの手で憲法を勝ち取った経験のない国民は、危機感を抱いていない。

ぼくは改憲そのものには反対しないが、「国家の権力を強くする」方向への改憲は大反対だ。逆ならまだしも。



本書の趣旨とはあまり関係がないが、おもしろかったくだり。

「もし当地に来られるのなら、盆栽を持ってくることは可能ですか。ダマスカスの空港まで持参していただければ、国内への持ち込みには何の問題もありません」
 メールの送り主は貿易関係の仕事をしているヤーセルという知人だった。彼は、私もその昔、ダマスカスのパーティーで会ったことがある「元帥」と呼ばれる独裁政権の大物とつながっていた。たしか、ダマスカスの老舗ホテル、シャームパレスで催された「元帥」の娘の出版記念パーティーの席だった。その「元帥」が盆栽をほしがっているのだという。
 独裁国家は忌まわしい。しかし、その分、そうしたでのコネは蜜の味がする。コネさえあれば、独裁国家は通常の国より、はるかに泳ぎやすい。もちろん、タダほど高いものはない。コネはときに踏み台にも足枷にもなる。両刃の剣ということだ。
 メールには査証の発行を保証するとは書かれていなかった。だが、思案投げ首の挙げ句、このチャンスに懸けることにした。つまり、盆栽と査証が交換されるという可能性である。

著者が入国が禁じられていたシリアに入ろうとしていたときのエピソード。
ライバルから盆栽を自慢された有力者が「盆栽を持ってきてくれるのならなんとかできるかも」という話を持ってきたのだ。

この後著者は、検疫でも引っかからず(検疫は持ちこみを防ぐためのものなので持ちだしには甘い)、飛行機の機内持ち込み禁止リストにも盆栽はないため、首尾よく盆栽を持っていってシリア入国を果たすことになる。

この盆栽の一件だけで、シリアがいかに混乱と腐敗の状態にあるかが伝わってきておもしろい。


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2018年7月23日月曜日

【読書感想文】 氏田 雄介『54字の物語』


『54字の物語』

氏田 雄介(著) 佐藤 おどり(イラスト)

内容(Amazonより)
9マス×6行の原稿用紙につづられた「#インスタ小説」がついに書籍化! こどもから大人まで楽しめる、世界一短い(かもしれない)短編小説90話をあなたに。あなたはこの物語の意味、わかりますか――? ◆先日研究室に送ってくれた大きなエビ、おいしかったよ。話は変わるが、例の新種生命体のサンプルはいつ届くのかね? ◆「ただいま」と言えば「お帰りなさい」と返ってくる新生活が始まった。家賃も安いし、こんな一人暮らしも悪くない。 ◆本当にこんな惑星に生命体が存在するのだろうか? 一年間に及ぶ実地調査の最終日、幸いなことに私はうんこを踏んだ。 ◆「くそ! 逃げられたか!」「いえ、あの方は何も次まなかったわ」「いや、奴はとんでもないものを次んでいきました」 ◆「やあ、私は未来から来た。今は戦前か?」「いや、戦後から七十年は経っているが」「ということは二十二世紀だな」 物語の解説&他の物語は、ぜひ本書でお楽しみください!

54字という制約の中で書かれた(一部54字未満の作品もあるが)ショートショート90篇。
ショートショートが好きで、星新一全作品はもちろん、阿刀田高作品や『ショートショートの広場』も読みあさったショートショート好きのぼくとしては放ってはおけない。

内容は玉石混交だけど、おもしろかった。さくっと読めるのもいい。
ショートショートとしてはわりとベタな内容も多く、やや子ども向けかもしれない。小学生に本好きになってもらうための入口にはぴったりかもしれないね。

作品はおもしろかったが、解説やイラストが蛇足だった。
解説は作品を野暮ったらしく説明して、イラストはひねりなく情景をそのまんま書いただけ。作品がおもしろくても解説されるとつまんなく感じてしまうんだよなあ。ショートショートは解説しないからおもしろいのに。
これだったら解説とイラストを削って、その分『ショートショートの広場』みたいに一般公募した作品を載せてほしかった。

ぼくが好きだった作品を三つ選ぶなら↓↓↓


金星で原住民に捕らえられた調査隊一行は、翌朝には解放されると聞き安堵の表情を浮かべた。夜明けまであと千時間。



数分間の格闘の末、彼が釣り上げたのは小さなゴム片だった。世界中の海面が少しずつ下がり始めたのはこの日からだ。



金属資源をめぐる戦争の最中、偶然にも大量の鉱脈が見つかり両国は歓喜した。「やった!これで新しい武器が作れる」


やっぱりショートショートはSFと相性がいいね。

娘が小学生になったら読ませてみようかな。


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