2025年9月29日月曜日

フルグラを愛する者として実質値上げにおもうこと

 カルビーが商品の実質値上げをするらしい。

 実質値上げとは、お値段そのままで内容量を減らす「一見値上げに見せずに値を上げる」手口のことだ。


 ま、値上げはいい。原料とか輸送量とかも高騰しているからね。値を上げないとメーカーもやってられないだろう。

 お値段そのままで内容量を減らすのも、理解はできる。なんだかんだいってもやっぱり値が上がれば売上は落ちるのだろう。

 ポテトチップスなんか「もうあんまりおいしいと思わないけど半端に残すのもアレだし、後半はいやいや食べてしまう」こともあるので、内容量そのままで値段を上げるより、値段そのままで内容量を減らすほうがいい面もある(ただあんなに袋に空気をいっぱいに詰めるのはずるいけどな)。


 問題はフルグラだ。

 カルビーが出しているグラノーラ。我が家ではこれを毎朝ヨーグルトに入れて家族全員で食べている。

 あのさあ。フルグラは一回で食べ切るものじゃないわけよ。700gとか入ってるからね。大袋で買って毎日ちょっとずつ使うものなわけよ。

 そういうものを「お値段そのままで内容量を減らす実質値上げ」してごらんなさいよ。どうなるとおもう?

 そう、ただ単に「なくなるのが早くなって、買う頻度が増える」だけなんだよ。


 これまで4週に1回買ってたのが、3週に1回買わなくちゃいけなくなる。

「もうフルグラなくなったのか。この前買ったばかりなのに」とおもいながら。フルグラはけっこう高い。「また買わなきゃいけないのか……」とストレスになる。

 正直、ぼくは日用品や食料を買うときときにいちいち値段を見ていない。「だいたい前といっしょやろ」とおもって買っている。だからちょっとぐらい値上げされても気づかない。でも買う頻度が増えるのははっきりわかる。フルグラがそろそろ切れそうだとおもったら携帯のメモに「フルグラ」と打ちこむから。


 カルビーさんよぉ!

 ポテトチップスはともかくフルグラに関しては素直に値上げしてくれた方が気づかれにくいぞ! 100%の人が「値上げしてもいいから内容量減らすな!」とおもっていることが報告されているぞ(私調べ)。


【映画感想】『悪い夏』

 『悪い夏』
(2025)

内容(映画.comより)
第37回横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞した染井為人の同名小説を北村匠海主演で映画化し、真面目に生きてきた気弱な公務員が破滅へと転落していく姿を描いたサスペンス。

市役所の生活福祉課に勤める佐々木守は、同僚の宮田から「職場の先輩・高野が生活保護受給者の女性に肉体関係を強要しているらしい」との相談を受ける。面倒に思いながらも断りきれず真相究明を手伝うことになった佐々木は、その当事者である育児放棄寸前のシングルマザー・愛美のもとを訪ねる。高野との関係を否定する愛美だったが、実は彼女は裏社会の住人・金本とその愛人の莉華、手下の山田とともに、ある犯罪計画に手を染めようとしていた。そうとは知らず、愛美にひかれてしまう佐々木。生活に困窮し万引きを繰り返す佳澄らも巻き込み、佐々木にとって悪夢のようなひと夏が始まる。

 Amazon Primeにて視聴。以下、ネタバレあり。


 中盤ぐらいまですごくおもしろかった。まじめなケースワーカー・佐々木が、子どもに同情したことをきっかけにシングルマザーである愛美と接近。徐々にひかれあう二人……。

 ただ、佐々木が愛美にひかれていることは映像からでも明らかなのだが、愛美の本心はわかりづらい。はたして本当に好きになっているのか、それとも“計画”のために惚れた芝居をしているのか。

 おそらく両方の要素があるし、愛美本人にもわからないのだろう。何度か「自分の気持ちがわからない」と漏らしている言葉のとおり。自分の感情を素直に出すことのできなかった生い立ちのせいで、理想を直視できなくなっているのだろう。

 このあたりの「愛美の本心はどっち?」が絶妙なミステリとなって、物語にぐいぐい引き込まれる。幸福そうな佐々木と愛美たちの姿が描かれた後に、冷や水をぶっかけるようなタイミングでさしこまれる監視カメラ付きくまのぬいぐるみが不穏すぎる。いやー、ひりひりする。

 映像から伝わってくるまとわりつくような暑さの描写も実にすばらしい。ねばっこい映像にこちらまでからめとられていくような気になる。


 善良かつまじめな公務員であった佐々木が、その善良さ、まじめさがゆえに徐々に悪の道に引きずりこまれていく描写はほんとに見事。底なし沼に向かっていると知らずにどんどん深みにはまっていく姿は見ていて胸が詰まる。

 善良な人間がプロの悪に狙われたらひとたまりもないのだということが伝わってくる。

 だって佐々木にはほんとに何の落ち度もないんだもの。佐々木の先輩職員・高野も同様に転落人生を送るが、こちらは自業自得な面も強いので、その対比で余計に佐々木がたどる運命の理不尽さが強くのしかかる。



 と、中盤までのドラマがほんとにすばらしかっただけに、終盤の雑な展開がつくづく残念だった。


 まず、「金本たちに脅されて佐々木が生活保護受給詐欺の片棒をかつぐ」裏付けが弱い。だって佐々木はこの時点で何の悪いこともしてないんだもの。たしかにケースワーカーが生活保護受給者と肉体関係を持つのは褒められたことではないが、法に触れることではない。

 ふつうに考えれば「金本に脅された時点で警察に駆けこむ」という選択肢もぜんぜんあるんだよな。というかそっちのほうが自然。だって佐々木は脅されるほどのことをしてないもの。愛美に裏切られて自暴自棄になった、と解釈することもできなくはないが、それならそれで余計に愛美のもとから逃げ出したくなりそうなものだし。金本が子どもを材料にして佐々木を脅すとも考えにくいし。

 どうやら原作小説では佐々木が罠にはめられてもうひとつ脅される原因をつくるらしい。なるほど、そっちのほうが納得できる。


 脅されて悪に手を染めるようになった佐々木が生活保護申請者にキレるシーン。あれって佐々木が変わったというより、「余裕がなくなったせいで自分でも気づかないように覆い隠していた部分が発露した」シーンだとぼくはとらえたんだけど、それだったら佐々木の「実は困窮者を見下している」面を前半でもっと描いてほしかったとおもう(冒頭の山田と対面するシーンだけでなく)。


 そしてひどかったのが終盤の全員集合シーン。まるっきりドタバタコントじゃん。笑っちゃったよ。シリアスなはずのシーンなのに。コメディっぽく描きたかったのかなあ。偶然が重なっていいのは二回まででしょ。


 とってつけたようなハッピーエンドも好きじゃなかったなあ。やるなら徹底的に絶望を見せてくれるほうが個人的には好み。最後だけハートウォーミングな感じにされても白けてしまう。

 中盤まではすごくよかったのであの嫌な感じのまま最後までつっぱしってくれたらとんでもない映画になったのになあ。残念。でも総合的に見てもいい映画だったよ。後味悪い作品が好きな人にしかおすすめしないけど。


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昔の曲を主題歌に使うドラマ

  とあるテレビドラマの主題歌にポルノグラフィティの『アゲハ蝶』が起用され、新しいドラマの主題歌に昔の曲が使われるなんてめずらしい! と話題になっている。

……という記事を読んだ。


 え、べつにめずらしくないよね?

 ぼくはテレビドラマをまったく見ない。最初から最後までリアルタイムで見たドラマはひとつもない。放送終了後にDVDや配信で観たものも片手で数えられるほどしかない。

 そんなぼくでも、いくつか挙げられる。

 古くは、1993年の『高校教師』に使われた森田童子『ぼくたちの失敗』(1976年発表)。

 1993年・1997年の『ひとつ屋根の下』に使われたチューリップ『サボテンの花』(1975年発表)。

 1996年の『白線流し』に使われたスピッツ『空も飛べるはず』(1994年発表)。あんまり古くないけど。

 調べたところ、他にもいろんな例があった。書き出すときりがないのでもう書かないけど、『ふぞろいの林檎たち』(1983~1997年)に使われたサザンオールスターズ『いとしのエリー』(1979年)とか。

 いずれも大ヒットした有名ドラマだ。上記4ドラマはどれも観たことがないけど、それでも誰が出ていたかとか、どんなストーリーだったかとかはなんとなく聞いたことがある。それぐらい有名な作品だ。

 マイナー作品も挙げていったら山ほどあるはず。


 ここからは完全に憶測の話になるけど、もしかすると「古い曲を主題歌にするドラマはヒットしやすい」のかもしれない。

・古い曲/すでにヒットしている曲を起用することで幅広い年齢層を取り込める

・曲をよく知った上で起用しているのでドラマの雰囲気と曲がマッチしやすい

・レコード会社が売りだしたい新曲を使わなくていい=しがらみにとらわれずにドラマを作れるぐらい制作側(監督、脚本家など)が力を持っている、すなわち実力のある人が余計な配慮をせずに作っているからおもしろい


 ということで、『アゲハ蝶』が主題歌のドラマもおもしろいはず! タイトルも出演者もストーリーもまったく知らないけど!



2025年9月25日木曜日

おじさんが助けてもらうには


 駅の構内でひとりのおじさんが座りこんでいた。五十歳ぐらいだろうか。赤いシャツを着て、地べたに座りこんでいる。靴が片方脱げている。

 眠りこんでいる、という感じではない。まだ17時過ぎだし、飲み屋の多いエリアでもない。


 これは……どっちだろう。

 迷うところだ。もしこれが若い女性だったら、ほとんどの人が「なんとかしてやらなくちゃ」とおもうところだろう。なぜなら、若い女性が自分の意志で駅構内の地べたに座りこむことはまずないだろうから。「のっぴきならない状況が発生して座りこまざるをえないのだな」とおもう。

 だがおじさんの場合は「自分の意志で地べたに座りこんでいる」パターンもけっこうある。「おれは好きでここに座ってんだよーほっとけー」パターンだ。特にここ、大阪市にはこういうおじさんがめずらしくない。

 だが、ほんとに具合が悪くなってしまったということも考えられる。立っていられないほどしんどくなり、座りこんでしまった。脱げた靴を履きなおす余裕もない。その場合ならすぐに救急車を呼んだほうがいい。



 ちょっと迷ったが、おじさんに「すみません、大丈夫ですかー」と声をかけてみた。救える命を救わなくておじさんが死んだら寝覚めが悪いし。

 まったく反応がない。ぴくりともしない。うつむいたままだ。ぐったりしている、ととれないこともない。

 医療の知識があれば何かわかるかもしれないが、あいにく子どものときに読んだ『ブラック・ジャック』の知識しかない。これでは無免許オペぐらいしかできない。


 うーん、どっちだろう。救急車を呼んだほうがいいのか。放っておいても大丈夫なのか。

 よしっ! こういうときは誰かに委ねよう!

 ということで駅長室へ行き、駅員さんに「すみません、あそこに座りこんでいる男性がいるんですが、声をかけても反応がなくてぐったりしていて……」と深刻そうに伝えた。

 実直そうな駅員さんは「わかりました。見に行きます」と言ってくれた。よっしゃ、これでぼくの手を離れた。あとは頼んだぞ、駅員さん!



 というわけでぼくのほんのちょっぴりの勇気のおかげで、ひとりの未来あるおじさんの命を救った(もしくは酔っ払いのために駅員さんの余計な仕事を増やしてしまった)わけだが、ぼくが気になったのは「みんなおじさんに冷たい」ということだ。

 靴が片方脱げて座りこんでいるおじさん。その前を何十人もの人が通っていたが、みんなちらりと見るだけだった。17時過ぎ。時間に余裕のある人だって多かっただろう。

 現代人は薄情だ、などと嘆く気はない。ぼくだって声をかけようか迷ったし。声をかけて酔っ払いのおじさんにからまれても面倒だな、とおもったし。



 だからぼくが言いたいのは、「おじさんに優しくしよう!」ではなく「我々おじさんが助けを必要としているときはどうするのが正解か?」ということである。


 さっきも言ったように、これが若い女性ならもっと多くの人が声をかけるだろう。

 若くなくたっていい。おばさんがたったひとりで駅構内の通路に座りこんでいる。これでも「大丈夫ですか?」と声をかける人はけっこういるだろう。おばあさんならもっと心配されるかもしれない。

 また、男でも高校生ぐらいだったら心配されそうだ。男子高校生がひとりで道端で座りこんでいたら「大丈夫?」と声をかけたくなる。

 声をかけづらいのは、おじさん、もしくはおじいさんだ。

 

 厄介なことに、おじさんやおじいさんは「自分の意志で座りこんでいる人」が多い。「単独行動をとっている人」も多い。

「自分の意志で座りこんでいるおばさん」はめずらしいが、
「自分の意志で座りこんでいるおじさん」はそんなにめずらしくない。公園とか繁華街にけっこういる。

 だから声をかけてもらいにくい。

 さらにその手のおじさんは危険物扱いされやすい。急に攻撃的になるんじゃないか、とおもわれる(ぼくもおもっている)。攻撃的なイメージがあるし、おまけにおばさんよりも攻撃力がある。だから近寄りがたい。


 だから道端で座りこんでいるおじさんに声をかけづらいのはしかたない。

 だが。おじさんにだって、ほんとに助けを必要とするときがある。熱中症だとか心臓発作だとか。すぐに救護を必要とするときもある。自分で救急車を呼べないことだってあるだろう。

 そんなときに見知らぬ人に助けてもらうにはどうしたらいいだろう。


 ひとつは「身なりを良くする」だ。

 なんだかんだいっても人は見た目で判断する。ぼろぼろの服を着ているひげもじゃのおじさんよりも、きれいなスーツを着ているこざっぱりしたおじさんのほうが、声をかけてもらいやすいだろう。

 きれいな身なりをすることで「突然攻撃してくるタイプのおじさんではなさそうだ」とおもってもらいやすくなる。


 だが残念なことに世の中には“酔っ払い”という人種がいる。ふだんはちゃんとしているのに、酔っぱらうと「自分の意志で座りこむ人」になるおじさんがいる。おまけに酔っぱらうと「攻撃的になる」おじさんもいる。

 スーツを着ていても、座りこんでいたら酔っ払いと判断されるかもしれない。特に夜は危険だ。そうなると助けてもらえる率が下がる。


 だからぼくは考えた。道端で急に具合が悪くなったときに、助けてもらえる確率を上げる方法を。

 それは「うつぶせに倒れる」だ。

 道端にうつぶせに倒れていたら、いくらおじさんといえども、“ただことじゃない”感がぐっと増す。なぜなら「路上で自分の意志でうつぶせに寝るおじさん」や「路上でうつぶせに寝るおじさん」はめったにいないからだ。

 急に気分が悪くなったときはうつぶせで。



2025年9月24日水曜日

【読書感想文】ラック金融犯罪対策センター『だます技術』 / 知れば知るほど詐欺を見抜けないことがわかる

だます技術

ラック金融犯罪対策センター

内容(e-honより)
「自分がひっかかるわけない」そう思ってる人が、なぜカモになるのか?被害者が年々増える一方の特殊詐欺で使われる手口を体系化。・本物と錯覚させる・美味しい話で惹きつける・話術と仕掛けで信用させる・考えられない状況に陥れる 被害例をもとに、だましのテクニックとだまされる心理の仕組みがわかる。あなたを、親を、子どもを、被害から守るための知識を金融犯罪対策のプロ集団が解説。

 様々な詐欺被害の手口を紹介する本。

 タイトルは『だます技術』だが、もちろん詐欺グループ向けの本ではなく、詐欺にだまされないようにするための本。


 数々の詐欺の手口を紹介しているのだが(ほとんどが振り込め詐欺やカード情報を引き出すフィッシング詐欺)、あたりまえだが過去にあった手口しか紹介されていない。ほとんどがニュースなどで見たことのあるやり口だった。

 なのでニュースや情報番組などを見ていたら得られる知識がほとんどだった。ただし知識があることと詐欺に引っかからないことはまた別なのでわかっていても冷静さを失って引っかかってしまうことはあるのだろう。


 当然ながら、いくらこういった本を読んだところで「これから登場する新しい手口」はわからない。まったく新しい手口で詐欺を仕掛けられたら、そして複数の人間が大規模に仕掛けてきたら、詐欺だと気づいて逃れることはむずかしいだろう。

 たとえばぼくはコンビニで買い物をするときにクレジットカードで支払いをするけど、もしそのコンビニ自体が詐欺のためにつくられた建物で、商品も店員も本物のチェーン店そっくりに配置していたら、何の疑いもなくレジでカードをかざしてしまうだろう。さすがの詐欺グループもそこまではやらんだろうけど(割に合わないだろうから)、でもこういう「そこまではやらんだろう」という思い込みこそが足元をすくわれる要因になるのだろう。


 たとえばこんな手口が紹介されている。投資セミナーなどから株式投資アプリをインストールさせるやり方。

 被害者が指定された口座に入金すると、犯罪者はそれを確認して、アプリ側にも反映し、儲けが出ているように見せかけます。
 被害者が投資で得た利益を引き出そうとした場合、犯罪者は引き出し金額を確認して、実際にその金額分を被害者の口座に直接振り込みます。
 犯罪者にとっては、アプリに表示している数字をいじるだけに比べて手間がかかることになりますが、被害者が実際にお金が動くところを目にする効果は非常に大きいです。特に、被害例のように、最初は本当に利益が出ているのか、アプリの画面を見ただけでは疑問を抱く被害者には効果的です。
 資金が引き出せることを確認した被害者は、「この投資にはなにも問題はない」と安堵します。場合によっては、「もっと投資すればさらなる利益が期待できるのではないか」と考えるようになります。犯罪者からすれば、より多くの資金をだましとることができる可能性が高まるわけです。

 本物の投資アプリそっくりのアプリまでつくって入金させ、さらには(最初だけ)出金もちゃんとできるようにしているのだ。ここまでされたらアプリが偽物だと疑うことはほぼ不可能だろう。




 この本には詐欺に遭わないための心構えも書いてあるが、結局「すべてを疑ってかかれ」しかないんだよね。

 電話への対応の基本は、「知らない番号からの電話には出ない」ということです。
 「電話ぐらい出ても大丈夫だろう」と思うかもしれませんが、犯罪者の会話術は日々進化しており、今後も新しい詐欺の手口が出現する可能性があります。そうした手口に引っかからないためには、犯罪者との接触を極力減らすことが大切です。
 「大事な電話を取り逃してしまうのではないか?」と不安に思われるかもしれませんが、知人や家族の連絡先は登録しておき、留守番電話の設定をしましょう。

 よくわからない人に近づくな、信頼できないサイトを見るな、余計なアプリは入れるな、あまり自分のことを話すな。

 つきつめていえば「何もしないのがいちばん」ということになる。

 うーん、まあそりゃそうなんだけど。でもそれって新しいものから得られるメリットも放棄することになるわけで。

 結局、どれが詐欺でどれがそうじゃないかなんて判断するのはむずかしいので(情報に精通した人でも引っかかることがあるので)、リスク覚悟で信じるか、リスクを重く評価してすべて疑ってかかるかのどっちかしかないことになる。

 詐欺だけを遠ざける方法なんてないということが改めてわかった。じゃあこの本の意義ってなんだったんだろう。


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