2025年9月10日水曜日

【読書感想文】中島 隆信『障害者の経済学』 / 二兎を追う者は一兎をも得ず

障害者の経済学

中島 隆信

内容(Amazonより)
障害者を作っているのは私たち自身である
制度の問題点を経済学で一刀両断にする

障害者本人のニーズに合わない障害者福祉制度でいいのか?
選りすぐりの生徒だけ受けられる職業訓練、
補助金目当てで仕事をさせない障害者就労施設、
障害者雇用を肩代わりするビジネス……。

脳性麻痺の子どもを持つ気鋭の経済学者が、経済学の冷静な視点から、障害者を含めたすべての人が生きやすい社会のあり方を提言

 障害者をとりまく状況について、経済学の立場からアプローチした本。

 障害者にまつわる本は「こうあるべき」という理念が中心になってしまいがちだが、この本は経済学的観点で語られているだけあって感情的でない冷静な議論が多い。こうあるべきなんだよね。

「こうあるべき」を語ることにはあまり意味がない。まったくとまでは言わないけど。

「障害者にもそうでない人にも分け隔てなく接しよう」でできるのならとっくにやっているわけで。

 理念と現実が乖離しているのはなぜか、どういった制度を設計すれば理念に近づくのか、を考えるほうが道徳を説くより効果的だろう。




 障害者が経済的に自立するのはむずかしい。単純に「金を稼ぐのがむずかしいから」だけではない。政策的な理由もある。

 よくあるのが、障害を持つ子が生まれた両親が離婚するパターン。育てるのに手がかかる→母親が子どもの世話にかかりっきりになる→父親が疎外感をおぼえる→離婚、というパターンが少なくないそうだ。

 人間は時間や手間をかけたものに愛着をおぼえる(IKEA効果と呼ぶそうです。自分で組み立てた家具のほうが気に入りやすいから)。手がかかる→愛情が深くなる→さらに手をかけるようになる、というわけ。こうなるともう共依存ですね。

 こうした状況で夫婦が離婚すれば、子どもは母親に引き取られることが多いのだが、父親の経済力が乏しければ満足な養育費も受け取れないかもしれない。子どもが成人するまでは、障害の程度に応じて親に支給される「特別児童扶養手当」と障害児本人に支給される「障害児福祉手当」が合わせて月5万~6万5000円ほどあり、成人後は障害の程度に応じて「障害基礎年金」「特別障害者手当」が月9万~11万円ほど障害者本人に支給されるので、それと母親のパート収入を合わせて家計をやりくりすることになる。家賃を払いながら親子2人で何とか生活できるレベルの収入であるが、病気や事故など何か突発的なことが母親に降りかかればたちまち困窮状態に陥るだろう。
 この状態から子どもを自立させることはほぼ不可能である。なぜなら、子どもが受け取る年金は母親の生活費にも充てられているからである。年金や手当以外にも、障害のある子どもと同居していれば、自動車税/自動車取得税の減免や高速道路の割引といった特別措置が受けられ、「駐車禁止等除外標章」により駐停車禁止場所や法定駐車禁止場所以外の路上駐車が認められる。子どもを自立させればこうした〝特典〟を手放さなくてはならないのだ。
 
 (中略)
 
 こうした事態を招いている最大の原因は、障害児を持つ親の経済力の弱さにある。経済力があれば子どもの福祉手当をあてにすることもないと思われるからだ。そして、親の経済力に決定的な影響を与えているのは退職と離婚である。障害児は貧しい家庭にだけ生まれるわけでもなく、また障害児が生まれたことだけで家計が苦しくなるわけでもない。障害児が生まれたことをきっかけに、仕事を辞めざるを得なくなったり、夫婦関係をめぐるさまざまな問題が表面化して破綻を招いたりしたことが貧しさの原因なのである。

 障害児が生まれたら世話をするために母親が仕事を辞める。仕事を辞めるから収入は減るが、手当がもらえるのでなんとかやっていける。だが手当によってぎりぎり家計が持ちこたえているので、子どもが自立すれば親も生活できなくなる。障害を持つ子も親から独立できないし、親もまた子どもから独立できなくなる。

 そういうのって外から見ていると不幸な状態かもしれないが、本人たちからしたらけっこう幸せだったりするんだよね。「自分ががんばらないと立ちいかない状態」って裏を返せば「自分が強く必要とされている状態」だからね。快楽だろう。



 障害児を持つ親を何人か知っているけど、すごくがんばる人が多い。特に母親。自分の全人生を捧げ、我が子のため、さらには世の障害児のためにボランティア活動や講演会にかけまわったりする。きっとすごい快楽なんだろう。「社会にとっていいことをしてる! 人の役に立ってる! 人から求められてる!」ってドーパミンがどばどば出るんだろう。

 悪いことしてるわけじゃないから周囲からも止められにくいし。「そのへんにしときなよ」って言ってくる人は悪いやつ認定すればいいだけだし。


 ぼくも子育てをしていたので「全面的に頼られる」ことのうれしさは知っている。自分と乳幼児のふたりっきりのときなんて「自分がしっかりしないとこの子は死んでしまう」とおもえて、すごく自己肯定感が高まる。自分が強くなったように感じる。

 気持ちいいから、なかなか抜けだせないのもわかる。多くの場合は子どもが成長するにつれ子どものほうから離れていくけど、子どもが障害や病気を持っていると「私がいないとだめだ」感はいつまでも消えないのだろう。

 共依存の関係から抜けださせようとおもったら障害者と同居することの“特典”を減らすことになるんだろうが、それはそれでむずかしいよな……。




 障害者のための学校について。

 一方、比較的軽度の知的障害者には、企業への一般就労という可能性がある。第6章で詳しく述べるが、民間企業には障害者を一定割合雇用する義務が課せられている。義務を果たさないと企業名が公表されることもあるため、企業には働ける障害者を雇う動機がある。そんな企業にとって、軽度の知的障害者は願ってもない存在といえる。
 こうした需要の高まりに敏感に反応したのが首都圏の教育委員会や教育庁である。それは当然の流れだろう。なぜなら、企業の本社は東京に集中しており、勢い障害者向けの仕事も首都圏に集まっているためだ。
 東京都はその中心的な存在である。東京都教育庁は、都教育委員会が3次にわたって策定してきた「特別支援教育推進計画」に従い、これまでに就労率100%を目指す職能開発科と就業技術科を7つの学校に設置してきた。その就職実績はめざましいものがあり、最初の卒業生が出た2009年以来、就労率は9割以上をキープしている。3年間のカリキュラムは、1年次に事務、清掃、介護などひととおりの作業を経験し、2年次には段階的に就労分野を絞っていき、3年次に就労先を定めて専門的な知識と技術の向上を図るというもので、3年間かけて職業訓練を実施する学校といえる。
 ただ、これらの学校には定員があり、誰でも入学できるわけではない。選考は調査書、適性検査、面接によって行われ、2017年度入試では460人の募集人数に対して590人の応募があった。そのうち、適性検査は漢字の読みや計算能力といった基礎的学力に加え、レシートの見方、小遣い帳の作成、ラベルの切り貼りなどの作業、作文からなり、問題量も半端なく多い。問われている内容も、企業での仕事をこなす能力を備えているか確かめるものがほとんどだ。つまり、入学を希望する生徒は、適性検査を見据えた試験対策をしておかなければ合格できないのである。
(中略)
 この状況を見れば、これらの学科卒業生の就労率が高いのは当たり前であることがわかるだろう。なぜなら、障害者枠で企業に採用されるために必要とされる知識を確かめるような設問が出題されていて、それを制限時間内にしっかり解ける生徒が入学を許可されているからである。つまり、ここでの〝適性〟とは"企業に採用されやすい”という意味なのである。
 果たしてこれが公教育のあるべき姿なのだろうか。都民の税金で運営されている公的機関において、就職率100%達成を目標に掲げ、軽度の知的障害者のなかでも選りすぐりの生徒たちだけを集めて特別な職業訓練を施すのは障害者という枠組みのなかで公然と行われている差別だろう。公的機関が実施する職業訓練ならば、最も就労が難しいと思われる生徒たちを集め、立派に就職させてこそ成果と呼べるのではないだろうか。

 就労率100%をめざして学科を作ったら、学校が「就職させやすい障害者」を採用するようになり、高い就労率を誇っているという話。

 民間の学校であればこの姿勢は正しい。入学試験によって企業が採用したがるような人だけを集め、卒業生を就職させ、高い就職率を実績として誇る。営利企業として正しい手法だ。

 でも、公的事業としては失敗だよね。民間でできる仕事を公が奪っちゃってるんだから。

 ある政治家が公務員の働き方について「民間じゃ考えられない!」と戯言を言っていたが、公務員が“民間の感覚”を持つとこんなひどいことになるといういい事例だ。「民間じゃ考えられない」ことをやるのが公務員の仕事なのだ。




 B型就労支援施設(障害が重くて一般就労が難しい人に働く機会を提供する施設)の工賃を上げることを行政が施設に義務づける、という話。

 厚労省の「障害福祉サービスの内容」によれば、B型が対象とするのは「通常の事業所に雇用されることが困難な障害者」となっており、そこにはA型での雇用が困難な人も含まれている。
 つまり、最低賃金の縛りのないB型には、軽重さまざまな障害を持つ人たちが集まっているのである。
 そうした特徴を持つB型で工賃向上を義務化すれば、生産性の低い障害者の通所を拒む一方、A型や企業での就労も可能な障害者を抱え込もうとするようになるだろう。これは障害者の満足を高めるとは思えない。
 働くことの喜びは給与を受け取ることのみから発生するわけではない。思いどおりの製品がつくれたときの喜びや自分たちのつくったものが売れたときの喜びは給与とは関係がない。最低賃金に見合う生産性をあげられない障害者にとって、B型は貴重な生産活動の場になっているのである。
 また、障害者のなかには生産性に縛られないB型での活動を通じて体調が改善し、一般就労に結びつく者もいるかもしれない。つまり、施設そのものの工賃をあげる必要はなく、生産性の向上した障害者が生産活動の場を移動すればよいだけの話なのである。

 賃金を上げようとおもったら生産性を向上させなくてはならない。だが重い障害を持つ人を抱えているとそれはむずかしい。どうすれば生産性が向上するのか。「軽い障害の人を増やす」「重い障害を持つ人を排除する」だ。本末転倒だ。


 かつて全国学力テストがおこなわれたとき、学力競争が過熱した結果、教師たちは「問題を事前に教える」「勉強のできない生徒をテスト当日休ませる」という行動に出た。本末転倒だが、「クラス全員の学力を上げる」よりもはるかにかんたんな方法だからだ。

 計測しやすい指標を目標にすると(そしてそれに対して高いインセンティブを与えると)人はずるをして表面的な数字だけを改善しようとするんだよね。




 現在、企業には一定数以上の障害者の雇用が義務付けられている。基準に達しない企業は障害者雇用納付金が徴収される。事実上の罰金だ。

 そのため、「障害者雇用」を代行するビジネスも存在する。

 東京都千代田区に本社があるエスプールプラスという会社は、千葉県に所有するハウス農園を企業向けに貸し出し、企業が雇用した障害者に農作業をさせている。企業は障害者を雇い、給料も支払っているので雇用率にカウントされるが、働く場は企業ではなく千葉の農園で、できた農作物は企業が福利厚生として社員に配ったり、社員食堂の食材に活用したりする。そして作業場提供の見返りとして企業から障害者1人あたり月額1万5000円の手数料を受け取るという仕組みだ。同社のホームページには、「業界・業種を問わず、上場企業、有名企業など約100社にご利用頂いております」と書かれ、企業のニーズが高いことを窺わせる。障害者雇用に苦労している企業にしてみれば、法定雇用率の引きあげに対処するため「背に腹は替えられない」というのが本音だろう。(中略)つまり、これ以上、障害者のために切り出せる仕事がない企業にとってみれば、厚労省から〝未達成企業〟の烙印を押されて評判を落とすくらいなら、賃金と手数料を払ってもエスプールプラスに障害者を引き受けてもらった方が得策と考えても不思議はない。
 形の上では農園での就労という位置づけになってはいるものの、農作物は無償配布しており、農作業の成果から給与を得ているわけでもない。企業側からのニーズがあり、法的に何ら問題がなければ、それに応えるのがビジネス界の常識だろう。とはいうものの、これが果たして障害者雇用のあるべき姿なのか疑問符がつく。

 納付金を収めるよりも手数料のほうが安いのでそっちを利用するほうが得、という計算だ。もちろんこれは違法でもなんでもない。


 こういった事例を読んでいておもうのは、上に政策あれば下に対策ありだな、ということ。障害者雇用を促進するためにいろんな制度をつくっても、企業側はあの手この手で表面上の数字だけをあわせようとする。

 これは企業側が悪いわけではなく、政策に無理があるということだ。無理のある方針を押しつけられると、なんとかごまかそうとするものだ。

 国が企業に求めているのは、障害者を多く雇用せよ、障害者に多くの賃金を出せ、障害者とそれ以外の労働者の垣根をなくして身近な存在として感じよ、ということだ。そしてそれら複数の目標を「生産性は落とさない」という目標を死守しながら達成しなければならない。求めているものに無理がある。同時に追い求められるものではない。

 目標の設定を誤るとどうがんばってもうまくいかないよね。あれもこれもと欲張るとすべてうまくいかない。


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2025年9月8日月曜日

小ネタ39(君が代はギャルが作った説 / シュレディンガーのボウリング / 少子化の原因)


君が代はギャルが作った説

ヤバww 古すぎてマジ巌www 苔むすwww


シュレディンガーのボウリング

得点を競うスポーツで、ボウリングの他に「現在の得点がわからない(過去にさかのぼって得点が決まる)」競技ってあるんだろうか?

ボードゲームだとけっこうある(麻雀の裏ドラとか)。


少子化の原因

あんまり言われてないけど、チャイルドシートの義務化は少子化の原因になっているとおもう。

ふつうの車の後部座席に置けるチャイルドシートは2つまで。3人目を生むのを躊躇しちゃうよね。



2025年9月3日水曜日

小ネタ38(魔改造の夜 / 後ろこうなってます / 犬の形)


魔改造の夜

夜会主催者「今回の生贄はこちら……」

メーカー社員たち「Word……!?」

夜会主催者「君たちにはこの文書作成ソフトを使って、原価管理表を作ってもらう……」

メーカー社員たち「めちゃくちゃだっ……!」


後ろこうなってます

 美容院で散髪後に「後ろこうなってます」と手鏡を見せられるが、自分の後頭部を見るのは「散髪直後」だけなので比べるものがない。いいのか悪いのかわからないから、「こうなってます」と言われても「はあ」としか言いようがない。

 散髪前にもちゃんと「切る前は後ろこうなってます」と見せてほしい。


犬の形

 娘と茨城県の話になったとき、「茨城県って犬の形やろ?」と言われた。

「ちがうよ、犬の形の県は千葉県やで。チーバくんの形やろ?」

「茨城も犬って習ったで」

 調べてみたところ、千葉県も茨城県も犬の形に似ていると言われているらしい。さらに、神奈川県や岐阜県も犬の形をしていると言われているらしい。

 しかしいずれも「そこに犬を見いだそうとすれば見えないこともない」レベルだ。人はどんなものにも犬の形を見出してしまう生き物なのだ。


 だが、「犬の形に似ている」と挙げられている自治体の中で、東京都日野市だけはどこからどう見ても犬だった。

日野市


 もはや「犬市」にしてもいい。


2025年9月2日火曜日

ちびまる子ちゃんとH₂O

 少女漫画雑誌『りぼん』に連載されていた漫画で、最も売れているのは『ちびまる子ちゃん』で3200万部だそうだ。2位の『ときめきトゥナイト』は2800万部 であるが、現在もテレビアニメを放送されている『ちびまる子ちゃん』のほうが今後も売れる可能性が高いだろうから、この差は開いていくとおもわれる。

 『ちびまる子ちゃん』は『りぼん』で最も売れた漫画であり最も有名な漫画だが、『りぼん』を代表する漫画かと言われるとそれはちょっと違う気がする。

 『ちびまる子ちゃん』は『りぼん』の中ではかなり異色な作品である。恋愛要素がまるでないし、絵も下手だし、美少女も美男子も出てこない。はっきり言えば『りぼん』っぽくない。邪道が王道を抑えて一位になってしまったのだ。

 蕎麦屋がカレーを出していたら一番の人気メニューになってしまったようなものだ。


 邪道がいちばん有名になってしまった例としては、他に水がある。

 そう、あの水だ。H₂O。

 水はダントツで有名な液体だ。「液体を思いうかべてください」と言われれば、99%ぐらいの人が水または水溶液を思いうかべるだろう。雨も海も川もお湯も泥水もお茶もコーラもビールもワインもほとんど水だ。エタノールとかベンゼンを最初に思いえがく人はほとんどいない。

 でも水は液体としては異端だ。固体になると体積が増えるとか、0℃から4℃までの間は温度を下げると体積が縮むとか、いろいろと変な性質を持っている。

 水は決して“代表的な液体”ではない。王道じゃない。たまたま時代にあったから売れただけ!



2025年9月1日月曜日

【読書感想文】鹿島 茂『小林一三 日本が生んだ偉大なる経営イノベーター』 / 未来が見えていた人

小林一三

日本が生んだ偉大なる経営イノベータ

鹿島 茂

内容(Amazonより)
Amazonでも、googleでもない。
2020年、東京オリンピック後の日本社会を構想するヒント

阪急電車、宝塚歌劇団、東宝株式会社など、明治から昭和にかけて手がけた事業は数知れず。大衆の生活をなにより重んじ、日本に真の「近代的市民」を創出することに命を捧げた天才実業家の偉大なる事業と戦略とは?

 小林一三(1873~1957年)の評伝。箕面有馬電気軌道(今の阪急電鉄)、阪急百貨店、宝塚歌劇団、東宝などの創業者であり、鉄道事業の運営と周辺の都市開発や商業施設の経営などの手法は、後の鉄道会社の運営にも大きな影響を与えている。


 小林一三氏は鉄道会社が沿線の不動産開発をおこなったり駅ビルを運営したりして利用者の満足度を高めつつ路線価を高めるという画期的な手法を確立した。どれぐらい画期的かというと、みんな真似して今ではあたりまえになって画期的には見えなくなった。それぐらい画期的だった。

 このように、箕面有馬電気軌道株式会社は、創立前から前途が危ぶまれるボロ鉄道だったわけだが、ひとり、小林だけはまったく違う見方をしていた。
 
阪鶴鉄道会社の本社は、現在の省線池田駅の山手の丘上にあった。そこでいつも発起人会や、会社の重役会が開かれてゐたので、私は、そこに出席する機会に、大阪から池田まで、計画の線路敷地を、二度ばかり歩いて往復した。その間に、沿道に於ける住宅経営新案を考へて、かうやれば屹度うまくゆくといふ企業計画を空想した。(「逸翁自叙伝』)
 
 そう、「沿道に於ける住宅経営新案」なのである、小林の頭にあったのは!この点はいくら強調しても強調しすぎるということはない。

 明治時代、大阪の人口は急速に増えており、住宅事情は悪かった。

 そこで小林一三氏は中産階級(サラリーマン階級)にターゲットを絞り、大阪近郊に住み心地の良い住宅地を供給すれば必ず売れると踏んだのである。

 私はかういふ広告文を書いた。『新しく開通した大阪(神戸)ゆき急行電車、綺麗で、早うて、ガラアキで、眺めの素敵によい涼しい電車』それがお家芸の一枚看板、電車正面の此広告が、阪神間の全新聞紙に載った時の私の嬉しさ、アア、ガラアキ電車!オールスチールカー、四輛連結、三十分で突走してゐるあの日本一の電車の前身である、たった一輛のガラアキ電車!(『逸翁自叙伝』)
 
 なんという驚くべきキャッチコピーであろうか! いかに大阪では自虐ネタが受けるとはいえ、念願の神戸線の電車を自ら「ガラアキ電車」と命名するとは! 小林は破れかぶれでこんなキャッチコピーをつくったのだろうか?
 もちろん、否である。深慮遠謀の末に出てきたコピーにほかならない。
 小林が灘循環線の買収にこだわったのは、一つには、それが大阪―神戸間の基幹鉄道を可能にするからであるが、もう一つの理由として、箕面有馬電気軌道で実証済みのように、沿線に優良住宅地を開発して不動産収入を得るということがあった。
 小林が鉄道事業に乗り出すに当たってターゲットとしたのは日清・日露の戦争を契機にして日本にも生まれつつあった都市部中産階級、すなわち自分がかつてそうであったようなサラリーマン階級であるが、このサラリーマン階級というのは、原則として住居と勤め先が分離しており、朝と晩にこの二つを往復するだけで、従来の大阪人のような地域密着型の生活ではない。接待でも自費での飲み会でも居住地域の店を使うことはなく、そうした場合には仕事の延長として北の新地を使うだろう。となったら、梅田から阪急電鉄に乗ったら、あとは一路、自宅のある駅を目指すしかないが、その場合には座席に座れてしかも短時間で着くのがベストである。
 つまり、小林は、阪急というのはサラリーマンたちのための電車であるという前提から逆算して、「新しく開通した大阪(神戸)ゆき急行電車、綺麗で、早うて、ガラアキで、眺めの素敵によい涼しい電車」というコピーを考え出したのである。たしかに、自宅と勤め先を往復するだけのサラリーマンにとっては、ガラアキで道中、座って快適に過ごせ、しかも、緑の多い景色を見ながら爽快な気分で、短時間で目的地に着きたいと思うはずだ。小林のコピーはサラリーマンの願望をすべて言い表していたのだ。

 小林一三氏は箕面有馬電気軌道創業前に銀行員として十五年ほど勤務している。この経験があるからこそ、サラリーマンたちの求めているものがよくわかったのだろう。


 目を見張るのは、当時の箕面有馬電気軌道の路線はほとんどが田畑が広がる田舎だったことである。その頃近くにあった阪神(大阪ー神戸)や京阪(大阪ー京都)が大都市間を結ぶ鉄道であったのと対照的だ。そのため採算がとれないのではないかと予想されていたという。

 だが小林氏はそのデメリットをメリットに変えた。沿線が田舎ということは地価が安いということである。周辺の土地を買収して、それを住宅地として販売することで増収につなげた。鉄道事業としてはマイナスでしかない「ガラアキ電車」も、沿線に住宅を購入しようとする人にとってはプラスになる。鉄道運賃で利益が出なくても、他の事業で収益を挙げればいいと考えたのだ。

 さらに当時めずらしかった住宅ローンでの販売を導入した。

 なぜかというと、当時、計画されていた私鉄のほとんどが都市間鉄道か市内電車であったことからも明らかなように、鉄道経営を企てていた企業家の大部分が鉄道を利用する「乗客の数」だけを考えて採算ラインを計算していたのに対し、小林は沿線に住宅を構える「住人の数」を考えていたのである。土台、発想が違うのである。
 今でこそ住宅ローン方式は当たり前になっているが、日本での歴史は銀行家の安田善次郎が創立した東京建物が建物の建築費を五年以上十五年以下の月賦で支払うことを可能にしたのを先駆とするものの、実際面での適用ということであれば、この箕面有馬電気軌道の池田室町分譲地をもって嚆矢とする。
 では、小林はなにゆえに、住宅ローン方式を採用したのか? つまり、大阪にはまとまった現金を所有する富裕な商人たちがたくさんいたから、彼らを購買者と想定すればローン方式にする必要はなかったはずなのに、あえてローンを売り物にしたのはなにゆえかということである。
 答えは、資産は持たないが、学歴を有するがゆえに一〇年後、一五年後には確実に社会の中核を占めるであろう中堅サラリーマンを分譲地の住人として想定していたからである。言い替えれば、「今」ではなく来るべき「未来」に住宅を売ろうとしたのである。
 この発想は、三井銀行で足掛け一五年、サラリーマン生活を送ったものでなければ生まれないものである。

 今ある市場で勝負するのではなく、ない市場を生みだす。相当先見の明がある人でないとできないことだ。


 小林一三氏は人口学に基づいた考え方ができる人だったようだ。それを物語るエピソードがいくつも紹介されている。これからはこれぐらい人口が増える。するとこれぐらいの需要が生まれるのでこのぐらいの価格帯の商品を提供すれば年間の売上がこれぐらいになる。こうした計算をやっていたようだ。

 著者の鹿島茂氏は「人口学は未来をかなり正確に予測できる学問だ」と書いている。たしかに。戦争とかジェノサイドとか大量の難民発生とかがなければ、50年後の人口はだいたいわかる。




 他にも小林一三氏はあの手この手で電車との相乗ビジネスを成功させた。言わずと知れた宝塚歌劇団、劇場、ホテル、高校野球選手権大会(第一回は阪急沿線の豊中球場で開催。後にライバルである阪神の甲子園球場に奪われることになるが)、プロ野球チーム(阪急ブレーブス)、名門大学の誘致など、次々に「阪急」ブランドを高めることに成功した。


 ぼくは阪急沿線で生まれ育ったので身びいきも入っているのだが、阪急は上品だ。客層がいい。身なりもいいし、みんな静かに座っている。特に阪急今津線なんて閑静な住宅地と名門大学とかお嬢様学校とか宝塚音楽学校とかが沿線にあるので、なんとも優雅な雰囲気が漂っている(今津線に乗るとよく未来のタカラジェンヌの姿を見ることができる。みんな姿勢がいいし運転士にお辞儀をしているのですぐわかる)。会話をしている人もみんな物静かだ。

 それも、創業当初から中産階級をターゲットにしてきたからなのだろう。住民の生活レベルを引き上げることを目指した小林氏の取り組みが見事に成功している。


 ここで小林が述べていることは、基本的に三越などの既存のデパートに対して阪急デパートを対抗させたときの原理と同じである。
 すなわち、高品質の商品に対して一定のサービスを付けたらそれは高額な商品になるのが当たり前だが、しかし、それではその商品を買える消費者は限られた階層だけになる。しかも、いったん顧客の数が限定されてしまえば、その商品の価格が下がる可能性は低くなり、大衆は永遠にそうした商品にアクセスできない。
 小林のユニークなところは、こうした当たり前の原理を当たり前だと思わなかったところである。小林は、高品質商品でも、それを低価格でより多くの人々に届けてこそビジネスであると考えるのだ。
 では、なぜ、ビジネスはかくあらねばならないかというと、それは最大多数の最大幸福の原理のみが良き社会を保証するからである。ごく一般的な家庭の成員全員がよりよき商品を享受しうるのが良い社会であり、特権的な人々だけしかその利益を享受しえないのは良くない社会なのだ。それは商品に限らない。芝居や映画といった娯楽もまた同じ原理によるべきなのだ。なぜなら、娯楽は生活を潤し、人間性を豊かにするからである。より多くの人がよりウェル・メイドな娯楽に接することができるのが良い社会なのだ。
 つまり、小林の頭の中にはあらかじめ「より良き社会」という理想があり、いつでもその理想に照らして演繹が行われているのである。理想から具体的な現実に降りていったときに困難に直面したら、それをどう回避すればいいかが小林にとってのビジネスなのだ。小林が理念的な実業家であったというのはまさにこうした意味においてである。

 感心するのは「儲けすぎないようにする」という精神があふれていることだ。「儲けすぎない」を示す逸話が、この本の随所にあふれている。

 もちろん金儲けは考えるが、それと同じくらい「人々の暮らしを良くすること」を大事に考えている。小林一三氏が特異だったのか、それともこの時代のエリートはこのような意識を持っていたのか。

 今の時代にこういう考えをする経営者は絶滅危惧種だろうな。経営者が「儲けすぎないように」と考えていても株主がそれを許さないだろうし。


 小林一三という人は、まちがいなく日本人の暮らしを良くした人だった。彼がいなければ、日本はもっと階層社会だったかもしれない。

 なぜ彼は次々に革新的なビジネスで人々の暮らしを塗り替えることができたのか。逆に言えば、なぜ今の経営者にはそれができないのか。

  • 当時の日本社会がまだまだ未熟だったから
  • 人口がどんどん増えてゆく時代だったから
  • (株主含めて)当時の経営者が、金儲け、株価を上げること以外に使命があると考えていたから


 うーん、今後の日本でこういうスタンスを継続できる大企業が生まれる可能性は低いだろうなあ……。




 いい評伝でした。小林一三氏は未来をかなり正確に見通せていた人だったんだなと感じる。


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