2024年11月8日金曜日

【読書感想文】逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』 / どこをとっても一級品

同志少女よ、敵を撃て

逢坂冬馬

内容(e-honより)
1942年、独ソ戦のさなか、モスクワ近郊の村に住む狩りの名手セラフィマの暮らしは、ドイツ軍の襲撃により突如奪われる。母を殺され、復讐を誓った彼女は、女性狙撃小隊の一員となりスターリングラードの前線へ──。第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作。

 ソ連の小さな村で母と一緒に猟師として暮らしていたセラフィマ。ある日、村にドイツ軍がやってきて母親を含め村民全員が殺されてしまう。

 ソ連の赤軍に救われたセラフィマだが、赤軍に村を焼かれたことで赤軍兵士に対しても怒りを覚える。生きる意味を失ったセラフィマだったが、母を殺したドイツ軍と、村を焼いた赤軍女性兵士のイリーナに復讐をするため、赤軍の狙撃訓練学校に入ることになる。厳しい訓練、仲間の裏切りなどを経て兵士となったセラフィマたちは前線に向かうが、そこは地獄だった……。



 いやいや、とんでもない小説だった。各所で『同志少女よ、敵を撃て』はすばらしいと絶賛する声を聞いたので期待して読んだのだが、期待を裏切らない、いや期待をはるかに上回る小説だった。まちがいなく今年読んだ本の中でナンバーワン。

 難しい題材だとおもうんだよね。独ソ戦で戦った女性兵士の物語って。はっきり言って多くの日本人にとってはまるでなじみのない題材だ。ぼくも少し前にスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を読むまでは、ソ連では女兵士も最前線で戦っていたということすら知らなかった。

 だが「復讐を誓った少女が厳しい訓練と過酷な戦闘を経て成長し、裏切りや仲間の死によって傷つき、それでも強い敵を倒すために戦う」という王道少年漫画のようなストーリーによってとんでもなく惹きつける。

 ぼくは通勤途中の電車の中でこの本を読んでたんだけど、何度か乗り過ごしそうになったからね。それぐらい夢中にさせる筆力がある。

 そして王道少年漫画とちがうのは、主人公がずっと戦う意味を探していること。愛する人たちの敵討ちだったり、祖国を守るためだったり、仲間との約束だったり、純粋に狙撃が楽しかったり、いろいろ意味を付与するのだけれど、どれもしっくりこない。どれだけ成長しても、どれだけ敵兵を倒しても、かえって求める答えからは遠ざかっていく。

 少年漫画だと全面的に悪い敵がいるわけだけど、もちろん現実の戦争にそんなやつはいない。ヒトラーひとりに罪を押しつけて済む話ではない。敵にもいいやつはいるし、仲間にも悪いやつはいる。ナチスドイツは残虐なことをしたけれど、兵士や市民は家族を愛するふつうの人間だったりする。平和を守るために戦っていたソ連兵も、無抵抗の民間人や女性に暴行をはたらいたりする。


 ただ一度、「なぜ赤軍は戦うか」という議題の最中、次々と生徒たちが自らの思う動機を語り始めたとき、イリーナはそれを遮って、訓示めいた口調でこう言った。「個々の思いを否定はしないが、その気持ちで狙撃に向かえば死ぬ。動機を階層化しろ」
 イリーナによれば、「侵略者を倒せ」だの「ファシストを駆逐しろ」だのの動機は重要であるが、個人の心中にとどめておき、戦場へ行くまでの、動機の起点とすべきものなのだ。「いざ戦地に赴き、敵を撃つとき、お前たちは何も思うな。何も考えるな。……考えるな、と考えてはいけない。ただ純粋に技術に身を置き、何も感じずに敵を撃て。そして起点へと戻ってこい。侵略者を倒し、ファシストを駆逐するために戦っているという意識へ」
 生徒たちはその答えを難解と思い、困惑していた。
 ただ、セラフィマは、提示されたその考えを、まるであらかじめ知っていたかのように、何の違和感も持たずに受け取ることができた。自分とイリーナの間に、ある種の共通点があるようで気味が悪かった。

 なぜ戦うか。おそらく答えはないし、考えるだけ無駄なのだろう。デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』によると、多くの兵士は、十分な訓練を受けていたとしても、いざ戦地に行くと大半は相手を殺すことができないのだという。銃を撃てない、撃ったとしても無意識に外してしまう。それぐらい人を殺すことへの忌避感は強い。おそらく、戦う意味を考えれば考えるほど優秀な兵士からは遠ざかる。

 だが考えてしまう。なぜなら兵士とて人間だから。激しい戦闘が終われば飯を食い、睡眠をとり、仲間と話し、人間として生きることになるから。

 そこで葛藤が生まれる。『同志少女よ、敵を撃て』に出てくる兵士たちはみな答えを探している。百戦錬磨の兵士も答えを探し求めている。一切の迷いがないかのように次々に敵を殺す兵士は、その迷いのなさが原因で命を落とす。

 戦わないといけない理由なんてないんだろう。でも戦わないわけにはいかない。この小説には、敵前逃亡を図ったために味方から銃殺される兵士が描かれる。ソ連もドイツも同じ。ほとんどの人は戦いたくないのだから、それでも戦闘に向かわせるには「逃げたら殺される」とおもわせるしかない。殺さなきゃ殺される、だから殺す、だから敵もこちらを殺す。殺されないために。戦闘が戦闘を呼び、暴行が暴行を呼び、復讐が復讐を呼ぶ。

 自分でも理解不可能な感情が胸の内に渦巻いた。
 イワノフスカヤ村にいたとき、自分は人を殺せないと、疑いもなく思っていた。それが今や殺した数を誇っている。そうであれとイリーナが、軍が、国が言う。けれどもそのように行動すればするほど、自分はかつての自分から遠ざかる。
 自分を支えていた原理は今どこにあるのか。
 それは、そっくりそのままソ連赤軍のものと入れ替わったのか。
 自分が怪物に近づいてゆくという実感が確かにあった。
 しかし、怪物でなければこの戦いを生き延びることはできないのだ。


 今、パレスチナで戦争が起こっている。ニュースで観た映像で、イスラエル人のばあさんが「ムスリムの連中は皆殺しにしないといけない。女も子どもも関係ない。一人も残してはいけない」と語っていた。

 テレビで観ていたぼくはドン引き。えええ……。兵士を憎むならまだわかるが、子どもまで殺せって頭おかしいのかよ……、と。

 じっさい、そのばあさんは頭がおかしいのだ。その人だって、他の地域で暮らしていたなら、子どもまで皆殺しにしろなんておもいもしなかっただろう。でもきっと、身内を殺されたり、死ぬほどつらいおもいをさせられたり、あるいはそういう人に教育されたせいで、敵国の人間は子どもであっても殺していいと考えるようになったのだ。

 その映像を観たとき、ああもうこの戦争を理性で止めることはできないだろうなとおもった。戦争によっておかしくなった人たちとおかしくなった人たちが戦っているのだ。「これ以上続けても被害が増えるだけだから損ですよ」とか「ここで止めたらこんなメリットがありますよ」なんて言っても、止まれないだろう。

 どっちかが戦えなくなるまでやるんだろうな。敵味方ともに大量に人が死ぬことがわかっていても。悲しいけれど。



 物語の説得力がすごい。

 銃の説明、訓練とスキルアップの経過、戦闘の描写、内心の揺れ動き、戦況の説明。小説だとはわかっていても史実を見ているような気になる。

 なんでもこれが著者のデビュー作なんだとか。なんと。その才能と丁寧な仕事ぶりに圧倒される。


 話に説得力があるので、セラフィマの心情の変遷を追体験しているような気になる。冒頭で故郷の村人が皆殺しにされるシーンでは「なんでひどいことをするんだ」とおもっていたのに、セラフィマが厳しい訓練を経てドイツ軍と戦闘をするシーンでは「やっちまえ、ドイツ軍を全員殺してやれ」という気持ちになる。これこそが兵士の偽りのない心境なんだろう。どんなに戦いなんて無意味だとおもっていても、実際に戦地に赴き、共に笑いあった仲間が次々に殺されてゆく状況になれば「敵を殺さないと」という気になる。とても「ラブ&ピース!」なんて気持ちにはなれない。

 そんな「いけ! 撃て!」と考えている自分に気づき、己の中にも好戦性があることに直面させられる。そりゃあ戦争はなくならんわな。



 少女の成長冒険小説として読んでも、戦記物としても、女同士の友情物語としても、超一級品のすごい小説。

 だけど、気になるのは優れたミステリ作品を選ぶアガサ・クリスティー賞を受賞していること。もちろんミステリにはいろんなジャンルがあることは知っているけど、これは広義のミステリにも含まれないんじゃないだろうか……。何が謎なんだろう。教官・イリーナの思惑? でもそれはだいたい想像つくしな……。


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2024年11月6日水曜日

【芸能鑑賞】『最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ』

最強新コンビ決定戦
THEゴールデンコンビ

(Amazon Prime)

内容(Amazon Primeより)
MC千鳥!即興コントで一番面白い新コンビが決まる最強新コンビ決定戦開幕! M-1王者/KOCチャンピオンなど、人気・実力を兼ね備えた16名の芸人が、この番組でしか見られない8組のオリジナルコンビを結成。 挑むのは、地下から迫り上がってくるダイナミックなステージと難攻不落のお題!さらには、容赦ないムチャぶりで追い込む超豪華タレントの刺客が! 全8ステージで、200人の観客が「最も面白くないコンビ」に投票。各ステージ1組が脱落していく超過酷な最強新コンビ決定戦! 即興コントが最も面白い新コンビ、”ゴールデンコンビ”に輝き、賞金1000万円を手にするのは!?

 

(勝敗に関するネタバレを含みます。ネタの内容についてはなるべく具体的に書かないようにしています)


2024年10月28日月曜日

【読書感想文】鈴木賢志(編訳)『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』 / 学部ゼミなんてこの程度のレベルだよね

スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む

日本の大学生は何を感じたのか

ヨーラン・スバネリッド(原著) 鈴木賢志(編訳)
明治大学国際日本学部鈴木ゼミ(編訳)

内容(e-honより)
投票率85.8%の国では、小学生に何を教えているのか。スウェーデンの社会科の教科書に書かれてある内容、あなたの感想は?

 スウェーデンでは国政選挙の投票率が80%を超えているという。なぜスウェーデン国民は政治参加への意識が強いのか。その謎を探るべく、スウェーデンの小学校(厳密には日本の小学校相当)の社会科の教科書を読むという大学のゼミの様子を収めた本。


 うーん、試みはおもしろいんだけど、このゼミのレベルはひどいわ……。

 学生たちがあまりに教授の誘導に乗りすぎている。きっとこの学生たちはみんなそこそこ賢いのだろう。だから「教授が求めている感想」を的確に判断して、きちんとそれを述べている。うん、お利口だね。

 だけど自分で調べようというほどの熱意はない。ま、専門以外のゼミなんてそんなもんだよね。ごくごくふつうのゼミだとはおもうけど、そこで語られていることには本にするほどの価値はない。

 学生たちはみんな「大学生になってから読んだ現在のスウェーデンの教科書」と「自分が小学生のときに読んだ昔の日本の教科書のおぼろげな記憶」を比較してあれこれ語っている。あたりまえだけど、そんな比較になんの意味もない。


 たとえば、スウェーデンの教科書には「なぜ歴史を学ばないといけないのか」が書いてあるんだけど、それを読んだ学生が「すごいよね。日本の教科書では歴史を学ぶ意義みたいなものは教えないよね」なんて語っている。

 んなわけあるかい。歴史の教科書には、必ず歴史を学ぶ意義が書いてある。少なくとも今までぼくが使ってきた教科書はみんなそうだった。

 きっとこの学生の教科書にも書いてあっただろう。ただ忘れているだけ。なぜなら序文なんてほとんどの授業で扱わないし、テストにも出ないから。

 ほんとにやるべきなのは、今の日本の教科書を改めてじっくり読んでみて、その上でスウェーデンの教科書と比較することだろう。今の教科書なんてそのへんの図書館に行けばかんたんに閲覧できる。かんたんなことなのに、誰もやっていない。

 まあこれは学生じゃなくて指導教官の問題なんだけど。


 そもそもなんだけどさ。「小学生がまじめに教科書を読むはずがない」という視点がごっそり抜け落ちている。自分たちがそうだったくせに。

 教科書の序文なんか読まない。本文もほとんど読まない。読んだとしても、そこから何かを読み取ろうとはしない。読み取ったとしてもすぐに忘れてしまう。

 小学生ってそんなもんでしょ。現に、自分たちは小学五年生の社会の教科書に何が書いてあったかなんてまるっきりおぼえてないわけじゃない。それがあたりまえ。

 なのに、なぜ「スウェーデンの小学生は教科書を隅から隅まで熱心に読み、そこに書かれていることを完全に理解し、それを己の血肉とし、大人になった後も教科書に書かれていたことを基に社会とのかかわり方を決定している」とおもえるのか


「小学校の社会の教科書が社会思想を育んでいる」という前提そのものがまちがっている。まったく関係ないとは言わないけど、それよりは教師がどんな話をしているかとか、家庭内で親がどんな話をしたかとか、テレビやネットでどんなことを語っているかとか、身近な大人がどんな行動をしているかとかのほうがずっと大事だろう。

 人は教科書のみで学ぶわけにあらず。

「スウェーデンの政治参加率が高いのは学校教育、教科書が優れているからだ」という結論が先にあって、それに合うストーリーを作っているだけなんだよね。




 ということで、ゼミで話し合った内容の部分は途中から読むのをやめた。学生たち、ひたすら先生が喜びそうなことをしゃべってるだけなんだもん。


 しかしスウェーデンの教科書の内容自体はおもしろかった。

 ぼくが感じたのは「スウェーデンの教科書はずいぶんあけすけだな」ということ。ぼくも現在の日本の教科書をじっくり読んだわけじゃないから比較はできないけど。

 でも「議員は当選するために行動する」なんて書いてあるのはおもしろい。こんなことは誰しもが知っているけれど、日本だとなかなか書けないよね(書いてある教科書があったらごめんね)。


 また、メディアとの接し方でいえば「どうやってメディアの情報を受け取るべきか」は習ったことがあるけど「どうやって情報を発信していくか」は学校で習った記憶がない。

 これもスウェーデンの教科書ではしっかり書かれている。

 メディアが、あなたやあなたの価値観、そしてあなたの意見に影響を与えるのと同じように、あなたも自分のためにメディアを利用することができます。
 たとえば、学校のカフェや自由時間の遊び場が閉鎖されないように、あなたが誰かに影響を与えるためには「サポート」が必要です。そのような決定にうまく影響を与えるためには、なるべく多くの人々から賛同を得なくてはいけません。
 通例、このことを「世論を形成する」と言います。もし、あなたがオピニオンリーダーとなれれば、より多くの人々があなたの考えを支持するようになるでしょう。
 以下に、あなたが世論を形成し、それによって決定に影響を与えるためのコツを示しておきます。
 
 • あなたの友人や親類から、署名による支援を集めましょう。
 • 地方の新聞に投書しましょう。
 • フェイスブックでグループをつくりましょう。
 • 人々を集めてデモを行いましょう。
 • 責任者の政治家に、直接連絡を取りましょう。

 おもしろいなあ。ウェブやSNSで情報発信をしやすくなった現在だからこそ、受け取り方と同じぐらい発信の仕方も重要だもんね。

 しかし「フェイスブックでグループをつくりましょう」「デモを行いましょう」なんて、学校側は嫌がりそうだよなあ。

 だって、学生たちがおかしなことに対して批判の声を上げだしたら、真っ先に矛先が向かうのは学校であり教師だもんな。




 この課題もおもしろい。

 ある日、あなたは学校で「モナーカディエン」という独裁国家についてのテレビ番組を見ます。あなたの役目は、「モナーカディエン」を、より民主的にするために三つの分野を選ぶことです。
 以下の法律や規則のなかから三つを選び、この国がより民主的になるように、それらを変えましょう。あなたがなぜその三つを選んだのか、その理由をはっきりとさせておきましょう。あなたが行う三つの変更は、どのように人々の生活を変えることになるのかについて説明をしましょう。
 
 【モナーカディエンの法律と規則】
 • 選挙は一〇年おきに実施する。
 • 投票できる政党は一つしかない。
 • 国は、独裁政党の党首でもある国王によって統治されている。
 • 国内には監視カメラがたくさんある。
 • 国内では、他人の電話を盗聴したり、他人のメールやSMSを読むことが認められている。
 • 国王や独裁政党を批判した者は、重罰を受ける。
 • 独裁政党の党員のみが外国を旅行する特権が得られる。
 • 選挙において党員は一〇票、その他の者は一票の投票権がある。
 • 独裁政党は、インターネット上で何が書かれているかを監視している。
 • あらゆるデモは禁止されている。

 単に独裁制はよくないと書くだけでなく、独裁制を敷くためには何が必要か、独裁制に対抗するためには何が必要かを考える機会を与えてくれる、いい思考実験だ。

 もっとも、スウェーデンの子どもたちがこれを読んでじっくり考えているかどうかは知らないけど(たぶん考えてない)。


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2024年10月23日水曜日

【映画感想】『ふれる。』

 ふれる。

内容(公式HPより)
同じ島で育った幼馴染、秋と諒と優太。東京・高田馬場で共同生活を始めた三人は20歳になった現在でも親友同士。それは島から連れてきた不思議な生き物「ふれる」が持つテレパシーにも似た力で趣味も性格も違う彼らを結び付けていたからだ。お互いの身体に触れ合えば心の声が聴こえてくる- それは誰にも知られていない三人だけの秘密。しかし、ある事件がきっかけとなり、秋、諒、優太は、「ふれる」の力を通じて伝えたはずの心の声が聴こえないことに気づく。「ふれる」に隠されたもう一つの力が徐々に明らかになるにつれ、三人の友情は大きく揺れ動いていく-


 YOASOBIのファンである娘が、「YOASOBIが主題歌を歌っている映画を観てみたい」と言うので、主題歌以外前情報はまったくない状態で鑑賞。


 以下、ネタバレを含みます。

 謎の生物“ふれる”と出会った三人の少年。“ふれる”が近くにいると、身体を触れ合わせることで言葉を交わさずとも互いの心の中を伝えあえるようになる。この能力のおかげで三人は隠し事のない親友となり、やがて青年となった三人は“ふれる”とともに東京で同居生活を送ることになる。順調な三人暮らしだったが、女性の同居人を迎えたことでお互いの考えていることがうまく伝わらないことが増え……。


 うーん、最近よくあるアニメ映画って感じだなあ。ファンタジー設定はいいとして、後半は世界が崩れて主人公が内面世界へ吸い込まれる。で、変な世界で変な冒険をして、心情を叫んで、収束。

 なんで最近のオリジナルアニメ映画作品ってみんなこんな感じなんだ。何匹目のドジョウを狙ってるんだろう。


 それでも登場人物やストーリーが魅力的ならいいんだけど、『ふれる。』に関しては、登場人物のほとんどに共感できなかった。嫌なやつばっかり。

 他人とうまく話せなくて、もどかしくなるといきなり暴力に訴える主人公。

 女の子とキスをして、それをすぐ誇らしげに友人に語り、さらに交際記念サプライズパーティーとやらを勝手に開く男と、女のほうに付き合う気はないとわかると女を責めたてるその友人。

 ストーカーに追われているからといって、住人の一人が露骨に嫌がっているにも関わらずシェアハウスに強引に住みつき、さらに「この時間帯は洗面所に入らないように!」と身勝手ルールを作る女たち(個人的にはこれがいちばん嫌だった。ぼくだったらこんなことされたらどんな美人でも嫌いになる)。

 営業時間外の店(飲み物だけのバー)に入ってきて、店員のまかない飯を勝手に食う老人(それがなんと有名レストランのオーナーという無茶苦茶な設定)。

 全員嫌なヤツ。まともなのはバーのオーナーと島の先生ぐらい。“ふれる”はべつにかわいくないし、不気味さもないし、中途半端な造形だったな。

 まあ嫌なヤツが嫌なヤツと惚れたはれたをやってるのはお似合いだからいいんだけど、勝手にしろという以上の感想は出てこない。うまくいこうがフラれようがどうでもいい。

 で、ストーカーにつきまとわれているという理由で転がりこんできたくせに、女がひとりで夜道を歩いて案の定ストーカーに遭遇する。まあそうだろうね。あまりに予定調和的で、ストーリーを進めるために襲われただけにしか見えない。


 で、そのへんからいざこざがあって、“ふれる”が単に心を伝えるだけでなく悪意やいさかいの種をフィルタリングしていることが判明。このへんはちょっとおもしろくなりそうだったのに、主人公たちは内面世界へ連れていかれてしまう。あーあ、現実世界でうまく解決する方法を思いつかなくて内面世界へと逃げちゃったんだな。はっきり言って手抜きだよなあ、こういう演出。困ったら異次元をさまよわせとけばいいとおもってるんだろうな。

 そして伝えられるメッセージが「軋轢を恐れずにちゃんと言葉にして伝えるのが大事だよね」なんだけど、安易に登場人物たちを内面世界に飛ばしといてそれを言うのかよ。制作者が観客との対話から逃げてるじゃん。

 終盤は、登場人物たちがべらべら内面を吐露しはじめる。ダサいことこの上ない。打算なく己の心の中を素直にぶちまけるやつを見たことあるか? 行動や表情で感情を表現することができないから、内面の吐露をやらせちゃうんだろうな。人間はみんな正直な感情を言葉に出して伝えることができないからこそ、“ふれる”が価値を持つんじゃないの?


 ……と悪口ばかり書いてしまったけど、本当のところはそこまで悪い映画ではなかった(登場人物がみんな嫌なやつなのは本当だけど)。

 細かいところがいろいろ気になっただけで、大筋としては悪くない。ただ、ほんとに「悪くない」というレベルで、この映画にしかない要素は特になかった。


 ただやっぱり細部が雑なんだよなあ。

 二十歳ぐらいの男三人がいて、エロいことに関する考えがまったくないこと。考えていることがそのまま伝わってしまうなら、エロばっかりになってしまいそうなもんだけど。それも“ふれる。”のフィルター? “ふれる。”は争いの種とエロをフィルタリングするのか? YouTubeかよ。

 離島とはいえそこそこ人口がいたし、同年代の女の子も描かれている。島でも恋愛はあっただろうに、そこで“ふれる。”フィルターは発動しなかったのか? 発動していたらそれでフィルターの存在に気づきそうなもんだけどな。

 これまで十数年心を通わせてきた三人なのに、フィルターの存在にまったく気づかなかったってのはだいぶ無理がある設定だ。

あらすじに“三人は20歳になった現在でも親友同士。それは島から連れてきた不思議な生き物「ふれる」が持つテレパシーにも似た力で趣味も性格も違う彼らを結び付けていたからだ。”とあるけれど、ほんとにこれがすべてなんだろうな。映画内では省略したっていいけれど、制作側は「十数年の背景」を考えておく必要がある。けれどそれをしていない。だからあちこちほころびが生じる。


 表面上はそれなりにうまくまとまっているけれど、骨のない作品だった。


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2024年10月21日月曜日

【読書感想文】和田靜香・小川淳也『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。』 / こんなインタビュアーにも真摯に向き合わなきゃいけないなんて国会議員も大変だ

時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。

和田靜香(著)  小川淳也(取材協力)

内容(e-honより)
息が詰まるほど苦しい生活が続くのは「私のせい」? まったくの政治シロウトで50代のフリーランスライターが、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』の国会議員・小川淳也さんに政治の疑問と怒りについて直接問答した365日。話題の一冊にあらたな対談「私たちは敵対してしまった」を加筆して文庫化。誰もが政治参加できると実感できる必読の書!

 小川淳也という衆議院議員がいる。『なぜ君は総理大臣になれないのか』というドキュメンタリー映画の主人公になった人なので、野党議員の中では党首クラスを除けばそうとう有名なほうの議員である(ちなみにぼくはまだ『なぜ君は総理大臣になれないのか』は観てない。気にはなっている)。


 その小川淳也氏に、政治については素人に近い(政治の素人ってのも変な言い方だけど)フリーのライターである著者が、あれこれと意見をぶつけて議論を闘わせた本。

 なのだが……。

 著者のレベルがあまりにも低い。

 いや、政治の知識が乏しいことはべつにいいんだよ。政治は誰にでも関係のあることだから、政治の知識が乏しい人でも積極的に参加すべきだ。だから「あまり知識のない人代表」として政治家に意見をぶつけにいくというスタンスはすごくいい。

 ただなあ。知的謙虚さがまるでないんだよな。視野の狭さというか。

 たとえば、小川さんとベーシックインカムの話をしていて。

「国民ひとりあたり一人七万円を支給する。誰が必要か不必要か判断するのにはコストもかかるし不正する人もいるので、誰であれ一人につき七万円を支給する」という案を提示した小川さんに対し、著者は、自分は単身世帯でいろいろ割高だから、単身世帯だけは一人十万円にしてほしいと主張する。

 小川さんは反対。そうやって差をつけると、我も我もと増額を主張するので、余計なコストがかかるし不正の温床になる。だからとにかく全員同額。

 著者はさらに主張。自分はフリーランスで家を借りるのが大変だから、ベーシックインカムとは別で住居費を出してほしい。

 小川さんは反対。住宅政策はそれとは切り離すべきで、公営住宅などを充実させて全員が住むところに困らないようにするべきだと。シェアハウスをすれば単身世帯の割高も解消されるし、住宅問題も解消に向かう。

 著者の主張はこう。他人とは住みたくない。公営住宅や団地はイヤ。住むところは自分で選びたい。でも家賃を自分の財布から出すのはイヤなので、国が負担してほしい。


 ……こいつは何を言ってるんだ?

 徹頭徹尾自分の都合しか考えていない。不便なところや古い家には住みたくない。他人と暮らすのもイヤ。単身だから生活費が高くつく。だから国が単身者の面倒を見ろ。

 いや、べつにいいんだけど。個人の願望を述べたって。でもそれって「国民全員が俺に十円くれたら十億円もらえるから遊んで暮らせるじゃん!」レベルの話だ。政治でも何でもない。

 よくそんな恥ずかしい話を、国会議員に向かって臆面もなく主張できるな。


 とにかく想像力が欠如してるんだよね。単身者だけが大変だとおもってる。子どもがいてフルタイムで働きに出られない家庭、介護や看護を必要としている人のいる家庭、いろんな事情で持ち家に住み続けないといけない家庭。どっちが大変と比べることに意味はない。みんなが「うちだけが大変!うちだけ優遇してくれ!」と主張したらどうなるか、子どもにだってわかることなのに。

 著者はいろんなことに関心は持つけれど、自分と異なる立場の人のことはまるで考えようとしない。

 原発の話にしてもそう。小川淳也さんは「いずれは原発ゼロにするべきだから新設や増設には反対。だが今すぐ全停止しても稼働しているときと運用コストやリスクは大きく変わらない。また原発全停止になれば化石燃料を使った発電を増やさねばならず、環境負荷も大きい。だから原発は数十年単位で段階的にゼロに持っていく」という主張をしている。

 それに対して著者は「原発は怖いから今すぐ全停止!」の一点張り。

 いやそれはそれでひとつの立場なんだけどさ。実際そういう市民も多いし。

 でも、じゃあ原発全停止にする代わりに火力発電を増やして地球温暖化が進むことは許容しますとか、電力不足に陥って停電が頻繁に発生する国になることは許容しますとか、どっかで妥協しなきゃいけないわけじゃない。それが政治というものでしょ。

 著者の場合は、そういう譲歩が一切ない。原発は止めろ、地球温暖化には今すぐ全力で対処しろ、電力不足? そんなの知らん、どっかの誰かがすごい案出して何とかしてー!という感じ。

 あんたが求めているのは正しい政治じゃなくて魔法の力だよ。


 著者の知的レベルがアレな分、それに根気強く対話を重ねている小川淳也さんがすごい人だとおもえる。

 いやあすごい。議員もたいへんだよなあ。ぼくらが見る議員って国会でふんぞりかえっている姿ばかりだけど、実際は、こういう身勝手な人の相手をするのも仕事なんだよなあ。頭が下がります。

 ぼくだったら「それはだめですね」「何言ってるんですか、まじめに考えてください」「それだったら訴える先は国会議員じゃなくて神社ですね。神頼みしかないです」とか一蹴しちゃうけど、ちゃんと聞いて誠実に答えてるんだもん。

 しかも「そうですね、あなたのおっしゃる通り」と適当に調子を合わせてその場をやり過ごすのではなく、聞いた上で、きちんと否定している。もちろんぼくのように「は? あほちゃう?」などとは言わずに、(たぶん理解してもらえないことをわかった上で)懇々と主張を述べている。適当に合わせるほうが楽なのに。


 著者は自民党政治に反対の立場(というか敵視している。自民党議員やその支持者にもそれぞれの立場や生活があることなど想像しようともせず絶対悪のように扱っている)なんだけど、著者みたいに自分の都合だけ考えて身勝手な要求をする支持者がいて、身勝手な要望に応えていった結果が今の自民党政治であり、日本の惨状なんだとおもう。

 おらの村に道路を作ってくれ、おらの会社にだけ補助金を出してくれ、おらの業界だけ消費税の軽減税率を適用してくれ、おらのようなフリーランスで単身世帯で他人と一緒に住みたくない人にだけ手厚く税金使ってくれ。

 自民党を敵視している著者が、自民党支持者の悪いところを煮詰めたような思考をしているのはなんとも皮肉なことだ。



 ということで、主張が身勝手百パーセントで、文章もつまんねえので、途中から著者のお気持ちは飛ばして、小川淳也さんの話だけを読むようにした。

 うん、ここだけ読むといい本だ。

 戦後まもなくしてできた、日本の社会保障制度が問題になります。当時は現役世代が大勢いて、高齢者は少ない。年金の掛け金は1カ月100円から始まり、少ない負担で数少ない高齢者を十分に安心させることができた時代でした。それが現在では現役世代よりも高齢者の方が圧倒的に多い。そして子どもたちが少ない。さらに30年後には高齢化率は40%にもなります。一応ここで状況は落ち着くはずですが、人口構成で言えば、ほぼ逆三角形ですね。1カ月100円の掛け金の時代に作られた社会保障制度が、この逆三角形の時代に向かう中、もつわけがないじゃないか?と。そのことをどの政治家が、どの政党が、国民へ真摯に説明し、その責任をおっかぶる覚悟で、新たな提案をできるのか?
 この「人口問題」が社会や政治の行き詰まりを解消する根本だということの、それが基本的な認識です。

 これねえ。みんなわかってるじゃない。日本の抱える問題の大半は、高齢者が多すぎることだと。高齢者に使っている金が多すぎること。それ自体は誰のせいでもない。高齢者のせいでもない。逆に若者が多ければ、ずっと人口が増え続けているということなので、それはそれで別の問題が生まれるわけだし。

 良くないのは、問題をはっきり口にする政治家がいないこと。選挙で落ちるのを恐れて、高齢者への手厚すぎる保護を減らしましょうと言わない政治家だらけなこと。

 ぼくが政治家に求めるのは、耳に痛いことを言ってくれる人なんだけどな。耳に痛い事実を告げられて、ひどいことを言うやつだ、あいつは選挙で落としてやれ、となるほど高齢者も有権者もバカばっかりじゃないですよ、と言いたい(とおもってたけど少なくともこの本の著者はそっちのタイプだよなあ)。



 民主主義について。

  民主主義を殺す人は必ず敵と味方に分けるんです。民主主義は確かに紅組と白組のように分かれて競争し合うものですけど、お互いに正当な競争相手で、ライバルであり、リスペクトしあう前提がルールとしてある。だけどそれを踏み倒すんですよ、奴らは敵だ、敵は殲滅の対象だと。でも、そうする人たちのメンタリティの根本にあるのは自信のなさだと思います。ライバルの存在を貴べない、恐怖心からですよね。

 これね。ぼくが為政者に求める、最も重要な条件が「反対派の意見を聴き入れる」ことなんだけど、なかなかやれる人はいない。与党にも野党にもほとんどいない。はっきり言って「反対派の意見を聴き入れる」ことさえできるのであれば、どの人、どの党が政権をとってもかまわない。結果的に同じことになるわけだから。

 あげくには「我々は民意を得ている」なんて大きな勘違いをしてろくに国会審議もしないまま法案を通しまくった政党もあった。中学教科書からやりなおしてほしい。選挙なんて「俺たち全員が政治をするのは面倒だからとりあえず全員を代表して少数を選んでおくけどいつでも首をすげかえられるからな」というシステムだということをわかっていない。

 また坂井豊貴『多数決を疑う』あたりを読めばよくわかるけど、多数決というシステムはまったくもって民主的じゃない。相手より一票でも多く票を取ったほうが議席総取り、なんて民主主義の真逆みたいなやりかただ。

 多数決が他の選挙方法に勝っているのは、ほとんど「集計が楽」しかない。その「ただ集計が楽なだけで、民意をぜんぜんまともに反映できないシステムでその場しのぎの代表として選ばれた」のだとわかっている議員であれば、「選挙で勝利したのだから全権委任された!」という発想にはならないだろう。中学公民の知識さえあれば。


 経済政策。

 そうなんです、今はずっとデフレ経済が続いています。人口減少が続いて高齢化が進む中で「何かを買おう」という消費需要は減っているから、物価は上がらない。安定したインフレを持続していくことは難しい。むちゃな金融緩和をしたり、株を上げたり、不動産を上げたりしても物価は上がらない。とは言え、このまま物価が下がり続ける状況は放置できないので、人口減が続く100年間、毎年1%ずつ消費税を上げるのが、最も確実なインフレ政策なんです。

 ぼくは経済のことはよくわからないので、これがほんとにインフレ政策になるのか、人々の暮らしが良くなるのかはわからないが、この発言をする人は信頼できるということはわかる。

 あらゆることに反対の意見を語る右派も左派も、「増税=悪」という前提で語ることだけは一致している。いやいや、そうじゃないだろ。税金ってのは富の再分配機能なんだから、税金が高くなれば貧しい人ほど得をする。なのに貧しい人ほど増税に反対する。

 税金の問題は、高所得者を捕捉しきれていないことだったり、現役世代の負担が大きいことだったり、使われ方が適切でないことだったりすることであって、高い税金それ自体は悪ではない、むしろ君たちの味方なんだよとぼくは声を大にして言いたい。

 だから増税のメリットについてちゃんと語れる政治家を、ぼくは信用する。増税と聞いただけで考える前に拒否反応を示す人も多いけど(もちろんこの本の著者もそのひとりだ)、ちゃんと財政や貧困対策や経済政策について考えている政治家なら増税を語って当然だとおもう。少なくとも減税なんてもってのほかだ。

 たやすく減税を約束する政治家は、よっぽど無知か嘘つきのどちらかだとおもっている。


 日本は地球温暖化対策にしても、世界の先進国で最も遅れているでしょう。コロナ対策でも、検査の拡大に失敗したこともワクチンの開発に遅れていることも、いろんな意味で国際社会に乗り遅れた日本になっちゃいましたよね。それ、どっから来ているかと言うと、やっぱり昭和の成功モデルがみんなの頭の中にも構造的にもあるからで、社会の新陳代謝がうまくいかなくなってる。古いことを止めて新しいところにエネルギーを注ごうとすることができない。
 これは極端に言うと、再生エネルギーを進めたら電力会社に勤めてる人どうなるんだ、携帯電話を促進したら固定電話で仕事してきた人はどうなるんだ、電気自動車に変えていこうとしたらガソリン車作ってる人はどうなるんだって、日本は社会の構造変化が「雇用構造の硬直さによって阻止される」んですよ。
 それは一人の人生を、大企業を中心に一生しばりつける方向に働いているからで、そこを解いてやり、その人が会社を移ろうが、移るまいが、少なくとも社会制度上で不利や齟齬はない、その分、今勤めている会社が変わろうとする変化のダイナミズムに貢献することへの忠誠心を増やしてくださいと言いやすくなるんです。
 それぞれの人生の自由度と、正規・非正規の働き方の公平性と、社会の変化に対するダイナミズムと、3つの面からこれまで言ってきた様々な制度は見直さなきゃいけないと思っています。

「社会の構造変化が雇用構造の硬直さによって阻止される」という視点は興味深い。日本だけの問題かどうかはわからないけど。

 たしかに、会社という組織があり、そこに守るべき従業員がたくさんいる場合、会社のやっていること自体は古くなってきてもそうかんたんにつぶせない。たとえばガソリン自動車を作っている日本トップクラスの大会社があって、ガソリン自動車が時代に合わなくなっても、おいそれと方向転換をすることができない。今いる従業員を大幅に減らして、電気自動車に特化した人材を新たに採用します、というわけにはいかない。

 時代の移り変わりはどんどん早くなっている。十数年前の大学生が選ぶ就職先の人気業種は、銀行、電機メーカー、テレビ局、新聞社、出版社などだった。今やどこも斜陽産業だ。

 だけど数十年働くつもりで入った人はそうかんたんに辞めて別の業種に行くことができない。優秀な人が先のない業界で延命のために努力し、国もまた死に体とわかっていてもそれを支える。あまりにももったいない。

 終身雇用制はもうなくなりつつあるとはいえ、まだまだ大企業では一社で何十年の勤続する人は多い。そこを崩さないかぎりは社会全体が時代の流れについていくことはむずかしいだろうな。だからって安易に解雇規制緩和と言うつもりはないが。


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