2023年11月1日水曜日

【読書感想文】デヴィッド・スタックラー サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』 / 緊縮財政は人を殺す

経済政策で人は死ぬか?

公衆衛生学から見た不況対策

デヴィッド・スタックラー(著) サンジェイ・バス(著)
 橘 明美(訳) 臼井美子(訳)

内容(e-honより)
不況下において財政刺激策をとるか緊縮財政をとるかは、国民の健康、生死に大きな影響を与える。世界恐慌からソ連崩壊後の不況、アジア通貨危機、サブプライム危機後の大不況まで、各国の統計から、公衆衛生学の専門家が検証。同じように深刻な不況へ陥った各国が、異なる政策をとった結果、国民の健康にどのような違いを生んだか?緊縮財政が著しく国民の健康を害して死者数を増加させるうえ、景気回復も遅らせ、結局は高くつくことを論証する。長年の論争に、イデオロギーではなく、「国民の生死」という厳然たる事実から答えを導く一冊。

 公衆衛生の研究者と医師による、経済政策と国民の健康や生存率に関する調査。

 過去の様々な事例をもとに、どのような政策で「人は死ぬ」のかを明らかにしている。




 不況や財政危機になると、国民の健康が犠牲になることがある。医療、公衆衛生、住宅政策などにまわす予算が削られる。「健全な財政のためには一時的な犠牲はしかたがない」という論理だ。「経済が悪化すればもっと多くの犠牲が出る。多くの犠牲を防ぐためには当面のある程度の犠牲はいたしかたない」というわけだ。

 ところが。

 金融危機や経済危機をきっかけに債務危機に直面した国には、医療や食料費補助、住宅補助といった社会保護政策に支出する余裕などないと思う人は少なくないだろう。ところが現実のデータを調べてみると、ある種の財政刺激策、すなわち特定の社会保護政策への予算投入は短期的に経済を刺激し、結果的に債務軽減にもつながることがわかる。そうした政策への一ドルの投資は三ドルの経済成長となって戻ってきて、債務返済にも充当できるようになる。逆に急激かつ大規模な財政緊縮策の結果を調べてみると、当初の意図に反して、景気低迷を長引かせる結果に終わっている。急激な予算削減で需要がさらに冷え込み、失業者が増え、負のスパイラルが起きる。同時にセーフティネットが働かなくなって感染症の拡大など健康問題が深刻化し、景気回復どころかかえって財政赤字が膨らんでしまう。

 経済のために国民の健康を犠牲にすれば、経済は上向くどころか、かえって回復が遅くなってしまうのだ。もちろん死者数は増える。国民の健康に回す金を削れば、国民は不健康になる、国の医療費負担は増える、国全体の生産性は落ちる、と悪いことづくめなのだ。

 中学校の歴史の教科書にも書いてあった。1929年の世界恐慌の際、アメリカはニューディール政策という経済政策をとり、公共事業を増やし、市民の雇用を守ることに予算を投じた。その結果、経済は上向き、危機を乗り切ったと。

 ウェルチの主張は正しかった。ニューディール政策の費用は大恐慌期でも捻出できる規模のもので、今日の感覚からしても、費用対効果が優れていたと言える。ニューディールにおける社会保護政策の費用対効果は、費用に対して何人の命が救われたかという観点で計算すると、一般的な医薬品とほぼ同じレベルに達していた。
 ニューディール政策全体で言えば、その額がGDPの二〇パーセントを超えることはなかった。しかしそれは死亡率の低下だけではなく、景気回復の加速にも役立ったのである。アメリカ人の平均所得はニューディール政策の開始後すぐに九パーセント上昇し、それが消費を押し上げ、雇用創出の下支えにもなった。この政策に反対だった人々は財政赤字と債務増加の悪循環を警戒したが、結果的にはこの政策が景気回復を助け、債務も減る方向へと動いた。

 その他、様々な国でも同様の傾向が見られる。この本では、アイルランド、スウェーデン、アメリカ、ギリシャ、ロシア、イタリアなどの事例をもとに「緊縮財政が国民を殺し、国の経済を失速させる」ことを確認している。

 財政再建を後回しにして国民の命を守ることに金を使ったアイスランドはスピーディーに再建を果たし、逆にソ連崩壊後のロシアや財政危機に瀕したギリシャでは国民の健康を守るための出費を抑えたことで、経済のよりいっそうの低迷を招いた。

 本書のタイトルである『経済政策で人は死ぬか?』は決して大げさな表現ではなく、政策によって数千人、数万人の命が救われるか失われるかが変わることがあるのだ。連続殺人犯でもそんなに殺せないよ。


 財政危機に陥った国にはIMF(国際通貨基金)が介入することが多いが、IMFの言うこと(緊縮財政)を聞き入れない国ほど再建が早まっているのは皮肉なことだ。




 医療、公衆衛生など「国民の健康を守る」ことへの投資はあらゆる支出の中でも効果が高いという。雇用の創出にもつながるし、国民が健康になれば経済活動も活発になる。国家財政にとって、支出した分以上の利益を生むことがわかっている(もちろん一部の企業がごっそり中抜きしたりして不正に使われた場合は別だが)。

 だから財政難になろうとも、医療、公衆衛生、雇用対策などの金は削ってはいけない。削れば余計に財政が厳しくなる。むしろ積極的に公共投資を増やしたほうがいい。短期的には支出が減らなくても、中長期的に見ればそちらのほうが経済の立て直しにつながる。

 逆に、銀行の救済や軍事への支出は、使った分以下の経済効果しか生まないことが多いのだそうだ。


 このように、不況が自殺増加の主要因の一つであることは間違いないが、不況でなくても自殺が増えることはあるし、逆に不況だというだけで自殺が増えるわけでもない。イタリアとアメリカの例のように、政府が失業による痛手から国民を守ろうとしなかった場合には、だいたいにおいて失業の増加と自殺の増加にはっきりした相関が表れる。しかしながら、政府が失業者の再就職を支援するなど、何らかの対策をとると、失業と自殺の相関が低く抑えられることもある。たとえば、スウェーデンとフィンランドは一九八〇年代から一九九〇年代にかけて何度か深刻な不況に見舞われたが、失業率が急上昇した時期にも自殺率はそれほど上がらなかった。それは、不況が国民の精神衛生を直撃することがないように、特別の対策がとられたからである。この点はあとで詳しく述べる。
 不況になると失業が増えるのはどこの国でも同じで、避けようのないことかもしれない。しかし、自殺率の上昇はそうではない。

 だが、福祉や雇用維持に使う金は財政危機時には削られやすい。効果が見えにくい、即効性がない、私企業にとっての直接的な旨味がない、そのため集票や資金集めにつながりにくいことなどが原因なのだろう。

 身もふたもない言い方をすれば、「金持ちに使う金を削り、貧乏人や弱者に金を使うのがいちばん効果的」ってことだからね。そりゃあ政財界は現実から目を背けるわ。


 経済を立て直す必要に迫られたとき、わたしたちは何が本当の回復なのかを忘れがちである。本当の回復とは、持続的で人間的な回復であって、経済成長率ではない。経済成長は目的達成のための一手段にすぎず、それ自体は目的ではない。経済成長率が上がっても、それがわたしたちの健康や幸福を損なうものだとしたら、それに何の意味があるだろう? 一九六八年にロバート・ケネディが指摘したとおりである。
 今回の大不況について次の世代が評価するときがきたら、彼らは何を基準に判断するだろうか? それは成長率や赤字削減幅ではないだろう。社会的弱者をどう守ったか、コミュニティにとって最も基本的なニーズ、すなわち医療、住宅、仕事といったニーズにどこまで応えられたかといった点ではないだろうか?
 どの社会でも、最も大事な資源はその構成員、つまり人間である。したがって健康への投資は、好況時においては賢い選択であり、不況時には緊急かつ不可欠な選択となる。

 今の日本もまた、賃金が上がらず、物価だけが上がり、国家財政は借金が増え、経済的にはかなり苦しい状況にある。

 そんな中で「弱者に金を使う」方向に舵を切っているかというと……とてもそうは見えない。過去から学ばんでいないか、それとも知っていた上で私腹を肥やすために真実を見て見ぬふりしているか、どっちだろうね。


 ちなみに「減税しろ!」「消費税を廃止しろ!」という意見も多いが、それにはぼくは賛成しない。勘違いしている人が多いが、正しく使われれば、税金が増えれば増えるほど貧しい人は得するんだよ。1兆円減税すれば国民に1兆円が渡るだけだけど、1兆円の公共事業をおこなえば、賃金として1兆円を国民に渡せる上に、1兆円分の財を生むことができる。

 悪いのは使われ方(万博みたいな巨大ごみをつくったり、ごっそり中抜きする会社に渡したり)であって、税金が高いことは決して悪いことじゃない。


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2023年10月31日火曜日

小ネタ3

嘘略語

 バーの店員、略してバーテン


放送禁止用語

 エッチな言葉とかより「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか「お客様は神様です」みたいな間違った考えを植えつけようとする言葉の方を放送禁止用語にしたほうがいい。


インドの国旗

 


 インドの国旗の上部の黄色っぽい部分の色の名前は「サフラン」だそうだ。サフランといえばカレーに使う香辛料。どんだけカレーが好きなんだ、インド人。いっそ片方をカレー色にして、もう片方をナンの色にしたらいいのに。

 しかしインド人はインド人で、
「えっ、ごはんと梅干しを日の丸弁当っていうの。弁当にちなんで国旗をつくるなんてどんだけ梅干しとご飯が好きなんだ、日本人」
とおもっているかもしれない。


スーパーマンのマント

 スーパーマンはマントをつけているが、飛ぶためにマントはまったく必要ない。むしろじゃまだ。枝とかにひっかかりそうだし。

 あれは飛ぶためではなく飛んでいることを視覚化するためだろう。空に浮いている人の絵を見ても、飛んでいるのか空中で静止しているのかわかりにくい。でもマントが一方向にたなびいていたら飛んでいることがわかる(もしくは強風の中で静止しているか)。



2023年10月30日月曜日

一斉掃除

 世の中には「みんなで一斉に掃除をしないと意味がない」とおもっている人がいるらしい。


 朝、オフィス街を歩いていると、たまに「社員が外に出てきてごみ拾いをしているをしている会社」を見かける。一社ではないので、「社員にごみ拾いをさせることでいいことがある!」みたいな思想が世の中にはびこっているらしい。

 といって毎朝やっているわけではない。たとえば、ぼくがよく見るO社の場合、毎月一日だけ(一日が休日のときは翌日)社員が外に出てゴミ拾いをやっている。

 その思想自体にはもちろん反対しない。が、ふしぎなのは社員が一斉にやっていることだ。


 みんなでほうきやちりとりを持ってごみを拾っている。だがオフィス街にはそんなにごみが落ちていない。オフィス街にいるのはたいてい常識人なので喫煙者以外はゴミのポイ捨てをしないし(タバコが人を狂わせることがよくわかる)、行政もちゃんと仕事をしているので、さほどごみは落ちていない。

 そこにO社の社員数十人が出てきても、たいして拾うものがない。見るからに手持ちぶさたで、みんな目を皿のようにして必死にわずかなごみを探している。

「もし今ぼくがごみをばらまいたら、この人たちは非難するどころか『ごみを捨ててくれてありがとう!』と感謝してポップコーンを撒かれた鳩のように群がってくるんだろうな」なんてことを考えてしまう。


 ふつうに考えたら、六十人がみんなで一斉に一日だけ掃除をするよりも、社員を三人ずつの二十のグループに分け(月の営業日を二十日とする)、今日はこのグループ、明日はこのグループ、と交代でやるほうが効率がいいに決まっている。

 ごみが出るペースは毎日ほとんど変わらないのだから。月初だけきれいにするより毎日きれいにしたほうがいい。

 グループ分けをしても、社員にとって「月に一回だけごみ拾いをする」ことは変わらない。

 しかも六十人が一斉に掃除をすると掃除道具も人数分いるが、三人ずつでやれば掃除道具も三つで済む。

 どう考えても、「六十人が一斉に同じ日にごみ拾いをする」より「日替わりで三人ずつが掃除をする」のほうがいい。

 O社は一流企業である。そこで働いている人たちは頭のいい人なんだから、ほとんどの人はそれに気づいているだろう。

 でもそれをやらない。効率よりも、一斉に掃除をすることのほうがが大事と考えている人がいるのだ。



 ぼくが以前働いていた会社にもいた。

 その会社では「始業十分前になったらそれぞれ自分のデスクの周りを雑巾で拭く」というルールがあった(始業時間前に命じている時点で法令違反なのだがこの際それは置いておく)。

 十分前になるとみんなが雑巾を持って洗面所に行くのですごく込みあう。雑巾洗い待ちの長い行列ができることになる。

 ある日、ぼくは始業二十分前に掃除を終わらせ、みんなが雑巾洗い待ちの長い行列をつくっている間、PCに向かって仕事をしていた。

 すると上司が言う。

「おい、掃除の時間だぞ」

「はい、さっき終わらせました」

「そういうことじゃないだろ」


 えっ、そういうことじゃないの!?

 やらずに注意されるとか、みんなより遅くて怒られるとかなら理解できる。だが、みんなより先に掃除に取り掛かって誰よりも早く終わらせて、それが原因で怒られるとはおもわなかった。なんなら「おお、もう終わらせたのか。早いな」と褒められるんじゃないかとすらおもっていた。


 ということで、効率化とか成果とかより「みんなが一斉に掃除をすること」を重視する人はけっこういる。

 いいですか、みなさん、先に金持ちになってはいけませんよ。みんなで一斉に貧しくなることに意味があるんですよ。


2023年10月27日金曜日

小ネタ2

コナンの映画のみたいなジブリアニメのタイトル

『崖の上の半魚人(ポニョ)』

『風の谷の青衣女(ナウシカ)』


『崖の上のポニョ』『風の谷のナウシカ』に続くジブリアニメのタイトル

『山の上のオクラ』


臨時定休日

 とある店のシャッターに「本日は臨時定休日とさせていただきます」と貼ってあった。

 臨時なのに定休とはこれいかに。

 ありがちな間違いだ。じっさい、"臨時定休日"で検索するとたくさんの店舗のお知らせがひっかかった。

 しかし「ふだんは月曜日が定休日だが、店主が通院することになったため急遽、当分の間は火曜日も休むことにした」だったら、火曜日のほうは臨時定休日と呼んでいいかもしれない。


世界一長い川

 Bing AIに「世界一長い川は?」と尋ねたら、「1位がアマゾン川(6,992km)で、2位がナイル川(6,853km)です」との答えが返ってきた。

 あれ? たしか中学校時代に「世界一長い川はナイル川」と習ったはずだぞ?(流域面積1位がアマゾン川と習った)

 で、いろいろ調べてみると、サイトによって情報がちがう(2023年9月25日時点)。

 Wikipediaではナイル川(6,650km)、アマゾン川(6,516km)でナイル川の勝ち。

 他のサイトもいくつか見たが、まちまちだった。特にアマゾン川の長さはサイトによってちがう。

 どうも、アマゾン川は熱帯雨林の中を通っているので河口から最も遠い源流がどこかはっきりしないらしく、調査が進むにつれて新しい源流が見つかることがあり、ちょっとずつ長さが伸びているのだという。7,000kmを超えているという説もあるという。

 ふうん。もう決着がついているのかとおもったら、現在もなお競っているのだ。

 ちなみに、長江が6,380km、ミシシッピ・ミズーリ・レッドロック川は5,969km。アフリカ、南米、ユーラシア、北米と四つの大陸にある川がどれも6,000km~6,500kmぐらいの長さにあるのがおもしろい。もっと大きく差がついてもよさそうなのに。川の限界がそれぐらいなんだろうか。

 ちなみに南極大陸で最長の川はオニックス川といい、その長さは約40kmだそうだ。一級河川になれるかどうか、というレベルだ(一級河川かどうかを決めるのは住民にとっての重要性などで長さで決まるわけではない)。


2023年10月26日木曜日

【読書感想文】浅暮 三文『七転びなのに八起きできるわけ』 / 雑学集

七転びなのに八起きできるわけ

浅暮 三文

内容(柏書房HPより)
すべてのことわざには謎(ミステリー)がある!――
「《七転び八起き》だと数が合わないんじゃない?」「《棚からぼた餅》が発生する傾きは?」「《へそが茶を沸かす》ための条件とは?」「《二階から目薬》で殺人は可能?」「《捕らぬ狸の皮算用》の見積もり額は?」「《穴があったら入りたい》ときの穴の深さって?」――普段、何げなく口にしていることわざや故事成語・慣用句だが、いざその言葉の表す意味を〈検証〉してみると、謎や矛盾に満ちたものだったり、現実にはありえないシチュエーションだったりするものがいかに多いことか。さらに、誤解に基づく事象を語源としている場合もあり、かならずしも〈真実〉をついているとは言い切れないものばかりなのである。
こうした「ことばの謎」の数々を前に、ミステリ作家・浅暮三文が立ち上がる! 時に論理的、時に妄想を爆発させて展開、単なる語源的解説にとどまらない自由な発想を駆使した、言葉にまつわる「イグノーベル」的考察を存分に楽しめる超絶エッセイ!!


 ことわざの「謎」についてあれこれ考察をめぐらせたエッセイ。科学、歴史、社会学などの知識を駆使してあえてことわざにつっこむ、という空想科学読本的な本だ。

 すべてのエッセイが「私はミステリー小説家である」の一文で始まり、けれど話はあっちに行き、こっちに飛び、右往左往したままどこかへ行ってしまう。早い段階でことわざとは関係のない話になることもしばしば。

 自由なおしゃべり、という感じだった。




 エッセイとしてはとりとめがないが、随所にちりばめられている豆知識はおもしろかった。


『「二階から目薬」による殺人は可能だが、コントロールがいる。』の章より。

 さらに空調を設置した居室内の風速は○・五メートル/秒以下にするようにも決められている。理想は○・一五〜〇・二五メートル/秒。○・一メートル/秒以下になると人間には風と感じられないそうなんだ。
 ここで気象庁からお知らせが届く。気象学では落下する水滴、直径〇・五ミリ以上の物を雨と呼ぶ。そして落下速度は直径○・一ミリで毎秒二十七センチです。通常観測される雨の滴は直径二~三ミリ以下なのですよ。
 あなたの手元に目薬があれば調べて欲しい。したたる一滴はノズルの半分ほど、三ミリぐらいのはずだ。まさに雨と同程度である。となると無風と思われる室内、風速◯・一メートル/秒の状況でも、高さ二・一メートルの天井から目薬を落とすと、どんなに目の真上からさしても、およそ半秒かかる着地までに十センチずれることになる。
 成人の眼球は四センチほどだから、これは相当に難しい点眼作業だ。よほどのコントロールを必要とする。

 二階から目薬をさすと、無風とおもえる室内でも風に流されてずれる。江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』は、屋根裏から下で寝ている人に向かって毒薬を垂らして殺害するという話だが、現実には相当むずかしいみたいだね。昔の家だから今よりずっとすきま風も入っていただろうし。




『「火のない所に煙は立たぬ」どころか人間まで燃える。』の章より。

 科学の世界の発火だけでなく、火の元の原因となる身近な品々もある。まず台所の電子レンジだ。さつま芋や肉まんを長く加熱すると爆発的に燃焼するらしい。東京消防庁の実験映像では五分半で肉まんから煙が出て、六分でどかんと爆発している。うまいものは早く喰うにこしたことはない。
 続いて風呂場の乾燥機。油や塗料が付着したタオルや衣類を放り込んで使うと油が熱風で乾燥して酸化、発熱するのだ。アロマオイルを拭いた雑巾や調理師のエプロンは要注意。おまけにリビングの花だって勝手に燃えてしまう。
 欧米で観賞用として人気のあるゴジアオイなる植物は茎から揮発性の油を発し、三十五~五十℃の気温で発火し、自身も周りの草花も燃やしてしまうそうだ。この花の種子は高温に耐えるため周りを焼き畑にして繁殖するらしい。米テキサスではトルティーヤチップスを入れていた箱が気温の上昇によって自然発火した。やはりうまいものは早く食わねばならない。米国の製粉所では小麦粉が爆発した。微細な粉塵はちょっとした火の気でどかんといくのだ。砂糖やコーンスターチも同様で流しの下は爆弾の貯蔵庫といっていい。

 己も含めて、周囲一帯を燃やしてしまう植物があるそうな。なんちゅう怖い能力。蔵馬が使う魔界の植物じゃん。




『「蛇に睨まれた蛙」は剣豪並みに強い。』の章より。

 蛇に睨まれた蛙は動かなくなるが、それは蛇をビビっているわけではないそうだ。

 だが「蛇に睨まれた蛙」はヘビが恐いのではなかった。最近の京都大学の研究から剣豪の戦法である「後の先=後手に回ることで効果的な反撃」を取っていたと判明したのだ。ヘビとカエルが睨みあって静止している現象は既存の動物行動学の考えでは説明がつかなかったという。両者が出会うとヘビは体格的に優れているが接近するものの、すぐに襲わずにいる。なぜか。
 一方、カエルもすぐ逃げず、ヘビが襲いかかるか、一定の距離に近づいてから逃げる。つまりヘビに先手を許す不利な行動を取る。なぜか。どちらも変だということで、食うか食われるかの関係にあるシマヘビとトノサマガエルで調べてみたそうだ。
 するとカエルの行動が起死回生の策であると判明した。カエルは逃げるために跳躍するのだが、跳んでから着地までは進路を変更できない。そのために先に跳ぶとヘビに動きを読まれる恐れがある。
 ヘビも噛みつこうとすると体が伸びるが、再び体を縮めないと移動できない(蛇腹のように)。つまりどちらも食うか食われるかの際、一方通行なのだ。
 ヘビが伸びた蛇腹を元に戻して体を再び動かせるまで〇四秒が必要という。だからへビが動いてから攻撃を避ければ、カエルはさっと安全圏に逃れられることになるそうな。ヘビとカエルの睨みあいは五~十センチの距離まで詰められ、それを越えると、どちらかが先に動くが、対峙した両者が、その刹那となるまで長い場合は一時間も構えあっているという。もはや無想の境地である。

 ふつうに考えれば、捕食者と敵対したとき、一瞬でも早く行動を起こしたほうがいい。だが跳躍中に方向転換のできないカエルは、やみくもに跳ぶと格好の餌食になってしまう。だから蛇の動きを見てから動こうとする。一方の蛇も、蛙の動きを見てから攻撃を開始したいのでじっと機を待つ。

 一時間以上も互いを牽制しあう。まさしく宮本武蔵と佐々木小次郎の対決のようだ。




 ということで、エッセイとしては読みづらかったけど、雑学集としては十分おもしろい内容でした。


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