2020年4月13日月曜日

ツイートまとめ 2019年7月



公約


文系理系

雑草魂

お前が打たなきゃ誰が打つ

服薬

メガ


金儲け

裏目

皮肉


現状維持

低評価

マナー

反逆

Made in Japan

形式

本好き

卑猥

トイ・ストーリー4

敗戦処理投手

オラは人気者

喜ぶ

作曲

ヒトラー

誤解

No.2

血液検査



倍率

投票所

デモ

勝馬投票券

バス

オン・アイス

生まれたところや皮膚や目の色で

最終回



漱石とパーミル

至近距離

#DIV/0!

灼熱マラソン

2020年4月10日金曜日

ツイートまとめ 2019年6月


マシュマロテスト

パンダ

持ち場

格言




苦しんぼ


お好み焼き

試験

調理

匿名

謝罪

桁区切り

ドキえもん

老人


出費

地理人

昭和

cha-cha-chá

政治思想

常連客

日本一

しゃべりすぎ

短すぎ

コックリさん

肩身

サイズ

ゴシップ

日本アカデミー賞

将来

死体遺棄

ノーベル物理学賞


地図

甲子園

2020年4月9日木曜日

何も聞かずにつきあってくれて


「サンキュ」を使いこなせる人にあこがれる。

ぼくは「サンキュ」を言えない。もしかしたら人生で一度も口にしたことがないかもしれない。

「ありがとう」ならいえる。「ありがとうございます」も「いつもすみません」も「感謝いたします」も。外国人相手なら「Thank you very much」と言えるだろう。
でも「サンキュ」は言えない。
気心の知れた友人でも。


「サンキュ」が上手な人がいる。
「ありがとう」は堅苦しい、「あんがと」は偉そう、「どうも」は卑屈。そんなシチュエーションで的確な「サンキュ」をくりだす。
落とし物を拾ってあげたとか、ちょっとした頼まれごとを引き受けたときとか、そんな些細な感謝を伝えるタイミングで「サンキュ」を放つ。
それだけでその人と親密になった気がする。

「サンキュ」は使い方がむずかしい。
絶妙な距離感、当人のちょっと軽薄なキャラクター、発言のタイミング、気負いを感じさせない言い方。心技体がそろっていないと自然な「サンキュ」にならない。

たぶんぼくが無理に言おうとしたなら「あー……。えっと、さんきゅう、です……」みたいな変な感じになってしまう。軽い「サンキュ」とはほど遠い。

「サンキュ」の使い手は、人付き合いがうまい。
絶妙な「サンキュ」を操ることによって、いともたやすく人との距離を縮めてしまう。うらやましい。

昔から「サンキュ」が言えなかったぼくも三十代後半。
軽く「サンキュ」と言うのがよりむずかしくなった。「おっさんが無理しちゃって」とおもわれるんじゃないか、と考えてしまってますます言えない。

だからぼくはもう「サンキュ」はあきらめた。
たぶん今後死ぬまで「サンキュ」と口にすることはないだろう。

しかし。
幸いなことにぼくが住んでいるのは大阪。
大阪には「おおきに」という言葉がある。意味、軽さ、フレンドリーさ、どれをとっても「サンキュ」とほぼ同じ言葉だ。
一点だけ違うのは、「おおきに」には若々しさがないことだ。大阪でも若い人はまず言わない。「おおきに」を操るのは一定年齢以上のおっちゃん、じいちゃんだけだ。

「おおきに」には若作り感がない。これならぼくでも言えるかもしれない。
ちょっと練習してみよう。

あー……。えー、このブログを読んでくれて、えっと、おおきに、です……。


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2020年4月6日月曜日

不正解プレゼント


高校生のとき、遠足で京都・嵐山に行った。
ゆるい学校だったので、現地集合して、あとは友人同士で結成された班ごとに自由行動をして、現地解散。班員以外のクラスメイトとはほとんど顔をあわせない遠足だった。

ぼくはクラスメイトの男子六人で嵐山をぶらぶらと歩いていた。
土産物屋に入ったところで、Hくんが言った。「なんか買ってSさんにプレゼントしようかな」

HくんはクラスメイトのSさんに恋をしていた。
一方的な片思い。
ぼくらは「おっ、ええやん」「ついにコクるんやな! がんばれよ」とHくんの決断に声援を送った。

Hくんはしばらく土産物を見ていたが、やがてひとつの商品を手にぼくらの元に戻ってきた。
彼の手にあったものを見て、ぼくらは言葉を失った。

えっ、かんざし……。


そう、彼はかんざしを手にしていたのだ。
「Sさんに似合うとおもうんだよねー」と屈託なく笑うHくん。
ぼくは戸惑った。

それはキモくない……?

たしかにSさんにかんざしは似合うかもしれない。Sさんは色白できれいな黒髪をしたおとなしめの美人。控えめな色合いのかんざしは似合うだろう。
でもそういう問題じゃない。
似合うとか似合わないとか関係ない。

はじめてのプレゼントで、まして付きあってるわけでもないクラスメイトからのプレゼントで、かんざしは重すぎないか……?

でも当時のぼくは何も言えなかった。

「たぶんちがうとおもうけど、でも万が一ということもあるし、おまえ他人にアドバイスできるほど恋愛経験あんのかと言われたら答えはノーだし……」

と考えてしまい、かんざしを手にしたHくんに対して
「おっ、おお……。たしかに、似合いそうではあるな……」
と言うことしかできなかった。

今なら言える。
「いやぼくだって女心はようわからんけど、それでもこれだけはわかる。付き合ってるわけでもない女の子にかんざしは、ぜったいあかんやつやで!」
と。

「Sさんが気に入って学校に付けてきてくれたらどうしよう!」
と妄想だけで小躍りしているHくんを見たら何も言えなかった。
「そんなわけねえだろ!」とはとても言えなかった。


後日談。
Hくんはフラれた。そりゃあね。

ちなみにぼくも高校生のとき、想いを寄せていた女の子の誕生日にブリーフケース(ビジネス用のバッグ)をプレゼントしたという苦い思い出がある。
「好きという気持ちが出すぎないように」と考えすぎた結果、そんなわけのわからんチョイスになってしまったのだ。
他人のこと言えねえ。
え? もちろんフラれましたよ。そりゃあね。


2020年4月5日日曜日

中高生の居場所をつくるな


近所に「中高生向きの本を中心にした古本屋」がある。

これはおもしろい試みだとおもってぼくも応援の意味で何度か足を運んで本を買ったり(といってもライトノベルもヤングアダルト小説も読まないので一般書を)、Twitterをフォローしたりしていたのだが、そのうち見ていられなくなってフォローをやめてしまった。
店にもしばらく行っていない。

「見ていられない」とおもったのは、店主のおじさんがやたらと
「中高生の居場所をつくりたい!」
「本好きの若者の居場所になってほしい!」
といったメッセージを発信するからだ。
それを見るのがつらかったのだ。

いや、気持ちはわかる。
ぼくだって若い人に本を読んでもらいたい。
自分がそういう場をつくれたらすばらしいことだとおもう。

でも。
だったらそれを公言しちゃだめでしょ。
胸にしまっておかないと。

自分が中学生のとき。
「はい、ここが君たち中高生の居場所だよ! 学校や部活に居心地の悪さを感じている人はここに集まってね!」
と大人から言われて、そこに行きたいとおもった?

ぜったいイヤだ。
そういうのにいちばん嫌悪感を抱いた。
そこで「おれたちのための居場所なの? じゃあ行ってみよう!」ってなるタイプの中高生は読書に逃げ場所を求めないでしょ。


ぼくが中高生のとき、居心地のいい場所はいくつかあった。
友人Kの家とか、高校前の駄菓子屋とか、コロッケを安く買える肉屋とか、本屋兼レンタルCDショップとか、川原とか。
居心地が良かったのは、そうした場所がぼくたちのために何もしてくれなかったからだ。拒みはしないけど、招きもしない。行ってもいいし、行かなくてもいい。
そういう場所が好きだった。

だから、中高生の居場所にしたいなら、中高生の居場所にしちゃだめなんだよ。

って古本屋の店主に伝えたいんだけど。でも言えない。
言えるタイプだったらたぶん古本屋を好きになってない。